森浩之
福岡ソフトバンクホークス コーディネーター(バッテリー) #022 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府泉南市 |
生年月日 | 1965年2月4日(59歳) |
身長 体重 |
177 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト2位 |
初出場 | 1987年10月11日 |
最終出場 | 1990年7月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、大阪府泉南市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
1991年から1997年の登録名は森 広之。
来歴
[編集]PL学園高では、2年次の1981年秋から正捕手となる。2年次秋の府予選の決勝で公立の桜宮高に敗れるまで無敗を続け、続く近畿地区大会でも準決勝まで勝ち上がった。1982年の第54回選抜大会では、榎田健一郎投手を擁して、前年西川佳明投手や吉村禎章主将らを擁した81年春の優勝に引き続きセンバツ甲子園連覇を果たす。昭和5・6年の第一神港商以来52年ぶり、戦後では初となる春のセンバツ甲子園連覇を達成した[1]。準決勝で三浦将明投手擁する横浜商に3x-2でサヨナラ勝ち、決勝で二松學舍大附高に15対2と大勝した。この15点は2006年までセンバツ決勝戦の最多得点記録であり、13点差は最多得点差、両チーム合計17点も最多得点記録であった。夏は府予選準々決勝で、優勝した田宮実投手(のち早大)の府立春日丘高に5-6で敗退した。
1983年、高校卒業後東洋大学に進学。1984年の大学2年生時、巧みなリードと強肩に加え打撃でも一皮剥け、春の東都リーグでベストナイン。秋には打撃ベストテン入り。1985年、3年生の春のリーグでもベストナイン。6月の全日本大学野球選手権大会では、東洋大は4年生北島広行(東芝府中)、3年生日野伸一(本田技研)と弘田旬(大丸)らの投手陣を擁して、準決勝で2年松永幸男投手擁する九州東海大に1-0(延長10回)で辛勝。決勝では法政大先発の3年猪俣隆投手に1-4で敗れ準優勝に終わる。7月の日米大学野球選手権大会では3試合に先発マスクを被った。1986年、主将になった4年生の春に東洋大を優勝に導き、MVPとベストナインを獲得した。6月の大学野球選手権決勝では2年生保坂彰茂(新日鐵名古屋)や4年生日野伸一両投手を擁して流経大を下し初優勝を飾った。自身も打率.368で6打点と大活躍をした。7月の日米大学野球と世界アマ野球では全日本の主将を務めた[2]。
1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団[1]。
プロ1年目の1987年から一軍初出場を果たし、1989年にようやく初安打を放つ。しかし自身の打力不足に加え、吉永幸一郎らの台頭などもあって、1991年に自由契約となり、プロ5年で引退した。
引退後はチームスタッフとなり、ブルペン捕手を経て1993年から2002年までブルペン担当コーチ[1]。ホークス戦のテレビ中継では、先発投手のブルペンでの調子について「森ブルペン担当の談話」としてコメントを出すことがあった。
2003年以降はコーチ職ではないブルペン担当スタッフとして職務を得ていたが、2009年に7年ぶりにコーチ登録され、二軍のコーチ補佐(バッテリー担当)を務めた。その後、2013年からはスコアラーを務め、2017年からは一軍作戦コーチ兼バッテリーコーチ補佐として再び現場に復帰[3]。2019年からは達川光男の後任として一軍ヘッドコーチを担当した[1]。
2021年は三軍監督を務め、2022年からは再び一軍ヘッドコーチを担当[4]。2023年4月4日には、藤本博史監督が身内の不幸に伴いチームを離脱したため、監督代行を務めた。
2023年11月1日、2024年からはコーディネーター(バッテリー)を務めると発表された[5]。
人物
[編集]詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1987 | 南海 ダイエー |
3 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1988 | 7 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .000 | .167 | .000 | .167 | |
1989 | 3 | 5 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .200 | .250 | .450 | |
1990 | 15 | 26 | 21 | 5 | 3 | 0 | 0 | 2 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 5 | 1 | .143 | .308 | .429 | .737 | |
通算:4年 | 28 | 45 | 37 | 5 | 4 | 0 | 0 | 2 | 10 | 6 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 3 | 8 | 2 | .108 | .227 | .270 | .497 |
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
年度別守備成績
[編集]年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|
1987 | 3 | 6 | 1 | .143 | |
1988 | 6 | 0 | 0 | ---- | |
1989 | 3 | 1 | 2 | .667 | |
1989 | 14 | 10 | 4 | .286 | |
通算 | 26 | 17 | 7 | .292 |
記録
[編集]- 初記録
- 初出場・初先発出場:1987年10月11日、対近鉄バファローズ26回戦(藤井寺球場)、8番・捕手で先発出場
- 初安打:1989年6月10日、対ロッテオリオンズ7回戦(福島県営あづま球場)、園川一美から
- 初本塁打:1990年6月20日、対近鉄バファローズ11回戦(平和台球場)、7回裏に阿波野秀幸から2ラン
背番号
[編集]- 22(1987年 - 1989年)
- 63(1990年)
- 46(1991年)
- 117(1992年)
- 99(1993年 - 2002年, 2009年 - 2012年)
- 86(2017年 - 2023年)
- 022(2024年 - )
登録名
[編集]- 森 浩之(もり ひろゆき、1987年 - 1990年、1998年 - )
- 森 広之(もり ひろゆき、1991年 - 1997年)
脚注
[編集]- ^ a b c d “ソフトバンク・森ヘッドC新春3つの誓い 選手を戸惑わせない、チーム内調整、競争は「目」で判断”. スポーツニッポン (毎日新聞グループホールディングス). (2022年1月3日) 2022年11月19日閲覧。
- ^ “東洋大・高橋昭雄元監督の逝去 ソフトバンク森浩之ヘッドコーチ悼む「残念で、仕方ないです」”. スポーツニッポン (毎日新聞グループホールディングス). (2022年9月8日) 2022年11月19日閲覧。
- ^ 2017年 コーチングスタッフについて - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2016年10月28日
- ^ “コーチ担当変更のお知らせ|福岡ソフトバンクホークス”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2020年12月3日閲覧。
- ^ “ソフトバンクのコーチ陣発表 計33人の豪華スタッフ…奈良原ヘッド、松山2軍監督”. Full-Count (2023年11月1日). 2023年11月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 森浩之 - NPB.jp 日本野球機構
- 022 森 浩之 選手名鑑2024 - 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト