東十三塚町
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東十三塚町 | |
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東十三塚町信号(押しボタン式) | |
北緯35度13分33.8秒 東経137度5分20.4秒 / 北緯35.226056度 東経137.089000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 瀬戸市 |
地区[1] | 道泉連区 |
町名制定[2] | 1942年(昭和17年)1月9日 |
面積 | |
• 合計 | 0.032671338 km2 |
標高 | 97.3 m |
人口 | |
• 合計 | 201人 |
• 密度 | 6,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
489-0056[6] |
市外局番 | 0561(瀬戸MA)[7] |
ナンバープレート | 尾張小牧 |
東十三塚町(ひがしとみづかちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
[編集]- 瀬戸市の中央部に位置する[8]。西を西十三塚町、北を進陶町・下陣屋町・東安戸町、東を道泉町・滝之湯町、南を京町と隣接している[8]。
- 住宅と陶磁器関係の中小工場が混在する[8]。かつては大部分が水田地帯であった[9]。
河川
[編集]学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 瀬戸市立にじの丘小学校 | 瀬戸市立にじの丘中学校 | 尾張学区 |
歴史
[編集]町名の由来
[編集]町名設定の際、旧瀬戸村字十三塚[注釈 1]の東方にあたることから名付けられたと推察される[2]。
十三塚の地名の由来については、以下の4つの伝説がある[12]。
- 1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いにおいて敗れた落武者13名が命からがらこの村まで逃げ延びてきたが、力尽きてしまった。かわいそうに思った村人達はこの地に13の塚を建てて弔った。
- 1482年(文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。
- 1556年(弘治2年)8月、稲生の戦いにおいて織田信長とその弟信行が戦い、敗れた落武者13名がこの地で落命した。これをいたんだ村人が13の塚を建てて祀った。
- 昔、瀬戸村に美男と美女が瀬戸川を挟んで住んでおり、二人は人知れず慕っていたが、丙午(ひのえうま)の乙女ということで破談になり、乙女は瀬戸川に身を投げ自殺してしまった。その後、この乙女の霊がここにさまよい、同月同日同時刻にここを通る馬を呪い殺していた。13年経過してやっと地元の人々がこれに気付いて、13の塚を建てて霊を弔った。
沿革
[編集]世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
東十三塚町 | 102世帯 | 201人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 279人 | [13] | |
2000年(平成12年) | 228人 | [14] | |
2005年(平成17年) | 181人 | [15] | |
2010年(平成22年) | 180人 | [16] | |
2015年(平成27年) | 144人 | [17] | |
2020年(令和2年) | 220人 | [18] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 127世帯 | [13] | |
2000年(平成12年) | 112世帯 | [14] | |
2005年(平成17年) | 95世帯 | [15] | |
2010年(平成22年) | 94世帯 | [16] | |
2015年(平成27年) | 71世帯 | [17] | |
2020年(令和2年) | 101世帯 | [18] |
交通
[編集]鉄道
[編集]名鉄瀬戸線[8] : 町の南端、京町との境を東西に走っている。最寄り駅は瀬戸市役所前駅になる。
バス
[編集]町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バス「しなの線(瀬戸北線)」【1】【1H】【2】【2H】系統、同「東山線」【16H】【17H】系統の瀬戸京町バス停になる。
道路
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “町丁名一覧【連区別】” (PDF). 瀬戸市 (2023年11月2日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ a b c 瀬戸市 1942.
- ^ “愛知県瀬戸市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “瀬戸市の標高&海抜”. 標高海抜ナビ (2018年). 2022年11月23日閲覧。
- ^ a b “人口と世帯 令和6年2月1日現在” (PDF). 瀬戸市 (2024年2月5日). 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年12月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1704.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1116.
- ^ “町名別通学学校名一覧” (PDF). 瀬戸市 (2023年9月16日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 2020, pp. 164, 165.
- ^ a b 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年12月19日閲覧。
注釈
[編集]- ^ じゅうさんづかと読んだ。
参考文献
[編集]- 瀬戸市 編『昭和17年1月9日施行 町名設定調書(其ノ一)瀬戸地区』瀬戸市、1942年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]進陶町 | 下陣屋町 | 東安戸町・道泉町 | ||
西十三塚町 | 滝之湯町 | |||
東十三塚町 | ||||
京町 |