多良間村
たらまそん 多良間村 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 沖縄県 | ||||
郡 | 宮古郡 | ||||
市町村コード | 47375-8 | ||||
法人番号 | 4000020473758 | ||||
面積 |
22.00km2 | ||||
総人口 |
1,009人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 45.9人/km2 | ||||
隣接自治体 | なし | ||||
村の木 | フクギ | ||||
村の花 | タラマバナ(ベニバナ) | ||||
村の鳥 村の魚 |
ウズラ ミーバイ(ハタ) | ||||
多良間村役場 | |||||
村長 | 伊良皆光夫 | ||||
所在地 |
〒906-0602 沖縄県宮古郡多良間村字仲筋99-2 北緯24度40分10秒 東経124度42分06秒 / 北緯24.66933度 東経124.70158度座標: 北緯24度40分10秒 東経124度42分06秒 / 北緯24.66933度 東経124.70158度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
多良間村(たらまそん)は、沖縄県の先島諸島東部の宮古列島に位置する多良間島及び水納島の2島からなる村[1]。これらの島は宮古島と石垣島のほぼ中間に位置しており隆起サンゴ礁により形成された島である[2]。宮古郡に属する唯一の町村である。
地理
[編集]北緯24度39分、東経124度42分に位置しており、多良間島(面積19.75km2)と、その北西約10kmにある水納島(面積2.15km2)からなる[2]。村の最高点は多良間島北部にある八重山遠見台(34.19m)である[2]。気候は海洋亜熱帯性気候に属する[2]。
字
[編集]- 塩川
- 仲筋
- 水納
人口
[編集]高齢化率30.3%と高く、若年層の流出が激しい[3]。
多良間村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 多良間村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 多良間村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
多良間村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
歴史
[編集]- 15世紀末 - 土原豊見親が多良間島を統一[4]。
- 1500年(尚真王24年) - 首里王府の応援を受けた宮古島の仲宗根豊見親が、八重山のオヤケアカハチを討伐。土原豊見親春源は王府・仲宗根の軍に加わり[5]、その功により多良間島主に任じられる[6]。
- その後、土原豊見親春源の子孫による統治が17世紀初めまで続く[6]。
- 1637年(尚豊王17年) - 八重山地方で人頭税制度始まる[7]。
- 1628年(寛永5年) - 宮古に平良、下地、砂川の間切が置かれる。多良間島はどの間切にも属さない特別行政区とされた[6]。
- 1637年(寛永14年) - 先島地方に人頭税導入[6]。
- 1771年(明和8年) - 明和の大津波。多良間島は3,324人の住民のうち362人の死者を出した。
- 1855年(安政2年) - アコーメー事件が起きる。役人の横暴を王府に訴えたもの[6]。
- 1859年(安政6年) - 岩手県宮古市の難破船が流れ着き、これを保護した[6]。
- 1879年(明治12年) - 琉球藩を廃止し沖縄県を置く。宮古島庁が設置され、宮古島庁の下に仲筋村、塩川村、水納村が置かれる。
- 1903年(明治36年) - 人頭税廃止[7]。
- 1908年(明治41年) - 島嶼町村制の施行に伴い、現在の多良間村域を含む区域に宮古郡平良村が置かれる。
- 1913年(大正2年) - 平良村から多良間が分村し、多良間村となる[6]。
- 1931年(昭和6年)8月 - 台風のため校舎2棟が全半壊。
- 1932年(昭和7年) - 多良間郵便局が営業を開始する[6]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年) - 宮多製糖が糖業振興法に基づき製糖業の許可を受けて増設を行い、公称能力が120t/日になる[8]。
- 1967年(昭和42年) - 南西航空の運航が始まる。
- 1971年(昭和46年)9月 - 合併により、宮多製糖株式会社が宮古製糖株式会社多良間工場となる[8]。
- 1972年(昭和47年) - 沖縄航空の6人乗りエアタクシーの運航が始まる[6]。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年) - 多良間空港開港式挙行[6]。南西航空の19人乗りが運航を開始する。
- 1976年(昭和51年) - 宮古製糖多良間工場が新築移転し、公称能力が250t/日になる[8]。
- 2003年(平成15年)10月 - 新多良間空港供用開始[6]。
- 2004年(平成16年) - 前泊港旅客待合所(シードリームたらま)供用開始[6]。
- 2010年(平成22年)
- 3月 - 村議会で県内初となる「ヤシガニ(マクガン)保護条例」を可決[10]。
- 9月27日 - 日本で最も美しい村連合の総会で多良間村の加盟が承認される。
行政
[編集]多良間村では1994年(平成6年)を最後に職員採用試験が実施されていない。採用試験を実施していないのは沖縄県の30町村で唯一であり(2017年時点)、縁故採用が横行しているとの指摘がある[12]。
姉妹市村
[編集]安政6年(1859年)に多良間島に漂着した岩手県宮古の商船の乗組員が、島民から手厚い看護を受けて全員無事に帰還したという史実が1974年(昭和49年)に発見されたことから交流が始まり、1996年(平成8年)2月6日に姉妹市村締結の調印が行われた[13]。
経済
[編集]国勢調査(平成27年)によると、多良間村の産業区分別就業者数・生産額は、第3次産業が44.9%、第1次産業が41.5%、第2次産業が21.7%である[2]。サトウキビの生産や畜産などの第一次産業が盛んで、特に黒糖(サトウキビ原料)は沖縄県内の生産量シェアの約40%で全国一の生産量である[1]。
- JAおきなわ - 営農に関する諸活動、金融、購買を行っている。
- 宮古製糖多良間工場 - 村内産サトウキビからの製糖作業を行っている。沖縄県内でも数少ない含蜜糖(黒糖)製糖である[14]。
- 日本郵政グループ
- 沖縄電力
教育
[編集]幼稚園・保育園
[編集]- 多良間村立多良間幼稚園
- 多良間村立多良間保育園
小学校
[編集]中学校
[編集]文化
[編集]祭事
[編集]御獄・神社
[編集]- 嶺間御獄
- 字塩川嶺間区の北方に隣接した小高い丘にあり、嶺間按司(みねまあじ)を祭る。嶺間御獄の祭神である嶺間按司は、成化年間(1470年頃)の人である。
- 泊御獄
- 塩川御獄
- 普天間御獄
- 運城御獄
- 水納御嶽
- 多良間神社
交通
[編集]航空
[編集]- 多良間空港
- 琉球エアーコミューター(1日2往復)
船舶
[編集]- 多良間港
- 航路
バス
[編集]道路運送法第78条に基づく自家用自動車有償旅客運送の村営路線バスがある[24]。多良間港に発着するフェリー及び多良間空港に発着する飛行機の時刻に合わせ、多良間港(普天間地区・前泊地区)・多良間空港と村中心部の間に運行される。
道路
[編集]国道・主要地方道はなし。かつては沖縄県道233号塩川仲筋線があったが、県道としては廃止された。
- 沖縄県道205号多良間多良間港線(一般県道)
放送
[編集]ラジオ
[編集]- RBCiラジオ(RBCi)とラジオ沖縄(ROK)の民放AM2局、NHK沖縄FM放送と、コミュニティ放送のエフエムみやこが、それぞれ中継局を島内に置いている(民放AMは混信対策のためFMでの放送、NHKFMは石垣島北東部も放送エリア)。FM沖縄およびNHKのAM放送は多良間島内に中継局がなく、それぞれ宮古島市内の中継局からの電波を受信する。
- ラジオ中継局周波数一覧
所在地 | RBCi | ROK | NHKFM | FMみやこ |
---|---|---|---|---|
多良間 | 82.2 | 83.6 | 86.2 | 76.5 |
- 周波数単位はMHz、出力は民放AM3W、NHKFM30W、FMみやこ10W
テレビジョン
[編集]- テレビ中継局周波数一覧
所在地 (ID) |
総合 (1) |
教育 (2) |
RBC (3) |
OTV (8) |
QAB (5) |
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多良間 | 22 | 18 | 43 | 45 | 47 |
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]名所・旧跡
[編集]- 2007年(平成19年)4月、多良間村の宮古遠見、八重山遠見、水納遠見を含む宮古島・八重山諸島の10の遠見番所(火番盛)が、国の史跡に指定された。
- 八重山遠見台
- 仲筋集落の北西、標高約30mの丘の上にある。底面の周囲約22.7m、高さ約2.5mに石が積み上げられ、頂上は円形で、昇降路は螺旋階段になっている。島で最も高い場所にあり、景勝の地でもある[4]。近くには、鉄筋コンクリート製の展望台が造られている。
- 宮古遠見台
- 泊御嶽から南方150mほどの道路沿い、南に向かって右側の小高い丘にある。底面の周囲約28.0m、高さ約3.7mに石が積み上げられ、頂上は直径約2mの円形で、昇降路は螺旋階段である[4]。周囲には木が生い茂っている。
- 水納遠見
- 湧水
- 昔は、飲み水を得ることが大切な仕事だった。多良間に水道設備ができたのは昭和の初めで、それまでは、自然洞穴の内にある泉が生活のための水源地になっていた。洞穴の入口から泉まで下っていく。奥に行くにしたがって暗くなるので、足で探って水を汲んだという。
- 夢パティオたらま - 村営の宿泊施設。
- すまむぬたらま - 多良間村地域振興拠点施設。島の特産品や土産品等を販売する直売所で、地元食材を使った料理を提供する食堂もある。外壁にはラテンバンド・ディアマンテスのメンバーであるアルベルト城間らによる壁画が描かれている[26][27][28][29]
- 里子之墓 - 処刑された平敷屋朝敏の長男が水納島に流され、次男が多良間島に流された[6]。その次男の子孫一族の墓で、後に平敷屋朝敏の遺骨もここに納められたと伝えられる[30]。
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “沖縄県多良間村/多良間村の伝統文化・工芸品とその継承”. 全国町村会. 2024年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e “第5次多良間村総合計画 基本構想”. 多良間村. 2024年9月4日閲覧。
- ^ 「観光客の来島自粛求める/多良間村の伊良皆村長」『宮古毎日新聞』宮古毎日新聞社、2020年4月4日。オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f 沖縄開発庁沖縄総合事務局平良統計情報出張所 編『図でみる 多良間村の農業と漁業』沖縄農林水産統計情報協会、1992年3月。
- ^ 中山(2004)、41頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “多良間村の歴史”. 多良間村. 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月10日閲覧。
- ^ a b 中山(2004)、295・297頁。
- ^ a b c d “会社概要”. 宮古製糖. 2023年6月7日閲覧。
- ^ 図典 日本の市町村章 p.240
- ^ “全国初のヤシガニ(マクガン)保護条例制定”. 多良間村. 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ 「多良間村長選 伊良皆氏が再選」『琉球新報』琉球新報社、2017年6月26日。オリジナルの2017年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「多良間村議会一般質問で職員採用試験実施へ」『宮古新報』2017年9月12日。オリジナルの2019年1月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 他の地域との交流 > 沖縄県多良間村 宮古市
- ^ 黒糖を使った地域との交流活動の試み 沖縄県
- ^ 多良間郵便局 (沖縄県) 日本郵政
- ^ “スツウプナカ”. 多良間村. 2021年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
- ^ “スツウプナカ”. 沖縄祭祀資料データベース. 神戸女子大学古典芸能研究センター. 2018年11月18日閲覧。
- ^ 「多良間島で伝統のスツウプナカ始まり豊年を願う」『宮古新報』2018年5月1日。オリジナルの2021年11月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “八月踊りの概要”. 多良間村. 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
- ^ “八月踊り(詳細)”. 多良間村. 2021年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
- ^ “多良間港(普天間地区)” (PDF). 沖縄県土木建築部港湾課. 2017年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ 「前泊港浮き桟橋が完成/多良間」『宮古毎日新聞』宮古毎日新聞社、2015年5月1日。オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “多良間島/水納島 アクセス” (PDF). 沖縄県企画部地域・離島課. 2016年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ 沖縄総合事務局陸運事務所. “平成27年版業務概況” (PDF). p. 35. 2016年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ 「信号を守り渡ろう/宮古島署」『宮古毎日新聞』宮古毎日新聞社、2015年4月30日。オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「島の魅力、目を引く多色で大壁画に 多良間村『すまむぬたらま』でアルベルト城間さんら制作」『琉球新報』琉球新報社、2020年7月19日。オリジナルの2020年7月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「多良間村地域振興拠点、観光協会に指定管理」『宮古新報』2020年8月17日。オリジナルの2021年1月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「交流、魅力発信の拠点に/多良間村」『宮古毎日新聞』宮古毎日新聞社、2020年9月26日。オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「地域拠点施設に壁画制作へ/多良間」『宮古毎日新聞』宮古毎日新聞社、2020年8月26日。オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「平敷屋朝敏家族 多良間島で供養/「語る会」の12人」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2017年10月31日。オリジナルの2021年1月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “多良間村長選、現職の伊良皆氏が出馬を正式表明”. 琉球新報 (琉球新報社). (2021年3月29日) 2024年8月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 中田龍介 編『八重山歴史読本』南山舎、2004年6月。ISBN 4901427113。