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利用者:桂鷺淵/寛政譜/d01

巻588-

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巻第五百八十八

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橘氏
難波親王以来の橘氏の系譜。橘諸兄楠木正成を経て安土桃山時代の楠木正虎に至る。
旧刊本 34

§588-1

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甲斐庄
庄五郎 正憲
考証あり。『寛永譜』では楠正成の後裔を称するが世系不明。今の呈譜に、正成の弟の楠正季が祖先で、正季は兄・正氏の家を継いだ。正季の三代の孫・正繁が河内国錦部郡甲斐庄に住して家号とした。正繁の九代の孫が備前俊正であるとする。按文では、官本の系図に正氏の子弟に正季が見られないとし「考ふべからず」と評価している。

甲斐庄正治が浜松で家康に仕える。正房は大坂の陣で功績を挙げ、旧領河内国錦部郡で2000石。正親は町奉行などを務め、4000石に加増。

  • ●甲斐庄某 備前甲斐庄俊正}:河内国烏帽子形城
    • 甲斐庄正治 兵右衛門:300石
      • 甲斐庄正房 喜右衛門:大番組頭、600石→2000石
        • 甲斐庄正述*喜右衛門:御書院番・長崎奉行
          • 甲斐庄正親#喜右衛門/飛騨守:御使役・御勘定頭・町奉行、1700石→4000石
            • 甲斐庄正永*喜右衛門:御徒頭・御目付・御普請奉行
              • 甲斐庄正恒*喜右衛門<堀直佑の子△:定火消。失心(発狂)により蟄居
                • 甲斐庄正寿 喜三郎:火事場見廻
                  • 甲斐庄正堅*兵部:火事場見廻・定火消
                    • 甲斐庄正昉 兵庫助 ※b2 <正寿の子
                    • *:横田準松妻 ∥ *:押田勝融妻
                  • 甲斐庄正昉 ※b1 >永田直郷の養子×→>兄の養子
              • *:甲斐庄正恒の妻△
            • 加藤茂雅>加藤重長の養子
            • *:浅野長武の妻
          • 甲斐庄正敬>土屋勝正の養子
          • 甲斐庄正奥 三郎右衛門:御小姓・御小納戸・御徒頭、300石+200俵+500石
            • 甲斐庄正之*四郎右衛門 ※a2 <正述の子:御小姓組・美濃郡代、兄の家を継ぐが狂気により収禄
          • 甲斐庄正之 ※a1 > 兄・正奥の養子
          • *:宮崎重政妻 ∥ *:大森好輝妻
        • *:原田正成妻 ∥ *:雀部重利妻

  • 正房の弟の子孫と称する家に、甲斐庄武助正方家(1366-1)がある。
旧刊本 35

§588-2

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会田
伊右衛門 資益
今の呈譜では滋野氏の一族と称し、滋野重道が信濃国小県郡海野村に住し、その子孫海野幸持が会田郷に住したことから家名としたという。按文は、滋野系真田氏の系図に会田を称する者は見られるが、重道・幸持の名が見られないとしている。

会田資久はもと北条家臣で、北条家没落後に武蔵国越谷に住し、家康・秀忠らが鷹狩の際に用いる御殿(越谷御殿)をその宅地に建設し、屋敷地として畑1町を賜る。資勝は家康に仕える。

  • ●会田資清 出羽:太田下総守家臣
    • ●会田資久 出羽:北条家臣
      • ●会田資勝 庄七郎:{御小姓}。今の呈譜には、兄として「七郎右衛門資重」がいたとする(考証あり)
        • ●会田資重 七郎右衛門
          • 会田行重 <柴田勝重の子×
          • ●会田資信 小左衛門:大番、500石
            • ●会田資盛 十左衛門:大番・大坂御弓矢奉行
              • 会田資刑 伊右衛門:大番・桐間番・御代官
                • *:竹内信秋の妻
                • 会田資敏 伊右衛門:大番・御代官(任地の石見大森で没する)
                  • 会田資益 伊右衛門<金田正祥の子△:大番、500石
                  • *:会田資益の妻△
                • 板花昌興>板花昌教の養子
              • 板花昌教 友之進>板花検校喜津一の養子
              • 花井安英>花井定賢の養子
          • 会田資忠 又六:越谷に住し、子孫は民間にあり

旧刊本 36

巻第五百八十九

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§589-1

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長谷川
――
旧刊本 37

§589-2

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長谷川
旧刊本 37

§589-3

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長谷川
旧刊本 38

§589-4

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長谷川
旧刊本 39

§589-6

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紅林
旧刊本 40

§589-5

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紅林
旧刊本 40

巻第五百九十

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§590-1

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山田
旧刊本 41

§590-2

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山田
旧刊本 41

§590-3

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山田
旧刊本 42

§590-4

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野尻
旧刊本 42

§590-5

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松井
――
庶流よりの呈譜によれば、松井冠者源維義の末裔の松井山城守義行が今川氏親に仕え、二俣城に住したという。宗保は宗行の三代の孫という。

松井宗直が今川家没落後に徳川家康に仕え、関ヶ原合戦や大坂の陣に従軍。

  • 松井宗保 惣左衛門:今川義元・氏真に仕える
    • 松井宗直 与兵衛:650石
      • 松井忠行 弥四郎
      • 松井宗次 …―→ 三郎右衛門保明の家(590-7)
      • 松井宗利 与兵衛:御納戸組頭、450石+200俵
        • *:田中正重の妻
        • 依田貞清>依田守直の養子
        • ●松井幸宗 小兵衛:御小姓組番士。無嗣絶家
        • 松井宗武 …―→ 十左衛門信成の家(590-6)
      • *:依田盛吉の妻
旧刊本 43

§590-6

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松井
十左衛門 信成
松井宗利(590-5)の三男・宗武が甲府徳川家に仕える
  • ●松井宗武 惣左衛門徳川綱重に仕える
    • ●松井宗房 十左衛門:甲府家小姓組頭→幕臣桐間番士、500石
      • ●松井信茂 惣左衛門<建部広明の子:新番組頭
        • *>萩原雅忠の養女
        • 松井信任#十左衛門/備後守:御小納戸・御小姓・御先弓頭
          • 松井信成 十左衛門 <内藤忠剋の子△:御書院番士、500石
          • *松井信成の妻△
        • 大谷木平実>大谷木季平養子 ∥ *:山口光包妻
        • *:内藤忠剋妻
    • *:千葉季珍の妻
旧刊本 43

§590-7

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松井
三郎右衛門 保明
松井宗直(590-5)の二男・宗次が家康に召し出され、父の采地から200石を分与。宗重は駿河大納言忠長に附属、のち家光に召されて御宝蔵番となり旧知を与えられる。
  • ●松井宗次 助大夫:200石
    • ●松井宗重 助大夫:駿河家大番→処士→御宝蔵番・三の丸番・大番・御広敷番、200石→400俵
      • ●松井宗秀 八大夫:新番組頭、500俵→500石
        • ●松井宗要 左大夫<森山盛勝の子:御書院番士 ◇平野勝重の娘→筧正興の娘
          • 松井宗勝 弥五八郎 <森山盛照の子:✝
          • ●松井保和 主水
            • ●松井保勝 助大夫 <平野三由の子:御書院番
              • ●松井保喬 八郎:御書院番士
                • 松井保明 三郎右衛門 <堀直信の子△:御小姓組、500石
                • *<多紀元悳の娘:松井保明の妻△
              • *:多紀元悳 永寿院の妻
      • *:森山盛勝の妻
    • *:新見正勝の妻
旧刊本 44

巻第五百九十一

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§591-1

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浅井
六之助 道利
呈譜によれば祖先は河内国田中村に住した田中伯耆守政弘。その9代の孫・伯耆守宗兼は近江国八幡山、ついで西三河浅井村に移住し浅井六之助忠清と改名したという。道忠はその4代孫と称す。

浅井道忠ははじめ桜井松平家(5-1)に属す。その後、伯父浅井範光 六郎三郎 に従い水野信元の許にあったが、桶狭間の合戦後に信元の命を受け、義元戦死の情報を大高城の家康に伝え、三河帰国の嚮導を務める。騎馬同心を預けられ、小栗吉忠とともに「三遠奉行」を務める。道多は駿河大納言忠長に附属されるが、忠長改易にともない細川興昌に預けられ、江戸に召し出される途上で死去(寛永11年)。子の政道はこれより先に大番として出仕(寛永9年没)。

  • 浅井道忠(浅井忠久)六之助:500石。◇浅井某 源了娘 ‡(上掲)
    • 浅井道多 六之助:御代官・駿河田中城番・駿河大納言附
      • 浅井朝正 長兵衛<秋鹿直朝の子×:実子誕生により家に帰る
      • ●浅井政道 雁兵衛:大番、200俵
        • ●浅井道次 雁兵衛:大番
          • ●浅井道重 十兵衛
            • ●浅井道忠 翁助・六之助 <浅井某 十蔵の子:大番・御腰物方・新番
              • ●浅井道喬 六之助・雁兵衛:大番
                • 浅井道利 六之助 <前田定政の子△:大番、200俵
                • *<芥川元周の娘:浅井道利の妻△
          • *:余語元善 古庵 の妻
          • *:浅井某 十蔵 の妻
      • *:長田重政の妻
    • 浅井忠吉 …―→ 吉次郎忠胤の家(591-2)
    • *:秋鹿直朝の妻
旧刊本 44

§591-2

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浅井
吉次郎 忠胤
浅井道忠(591-1)の二男・忠吉の系統。忠政が徳川秀忠に出仕。
  • ●浅井忠吉 清十郎
    • 浅井忠政浅井道政八右衛門:代官、200俵
      • 浅井忠保 次右衛門:大番・御金奉行、450石
        • 浅井忠能 伝八郎:大番・御鉄炮奉行、550石
          • 浅井忠政 伝兵衛<五味豊直の子△:大番✝
          • *:浅井忠政の妻△
          • ●浅井忠雅 伝蔵:大番
            • ●浅井忠季 伝七郎<足立氏の子△
              • 浅井忠胤 吉次郎<加藤忠方の子:大番、550石
                • 浅井盈忠 伝八郎:大番
                • *:滝川一通の妻
            • *<野辺正孝の娘:浅井忠季の妻△
          • *:足立氏の妻
          • *:斎藤幸雄の妻
      • 浅井成正 …―→ 織部成長の家(591-3)
      • *:筧元勝の妻 ∥ *:望田道吉《松平越後守家臣》妻 ∥ *>兄・成正の養子
旧刊本 45

§591-3

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浅井
織部 成長
浅井忠政(591-2)の二男・成正が徳川家光に出仕。
  • 浅井成正 猪右衛門:小十人・御納戸番士・同組頭、400俵
    • ●浅井成之 猪右衛門:御書院番士
      • ●浅井成高 猪右衛門:御小姓組番士
        • ●浅井成命* 猪三郎・織部:御書院番士・同組頭
          • *<溝口政珍の娘:玉虫茂郷の妻
          • ●浅井成央 権次郎<榊原長規の子:御書院番士
            • 浅井成長 織部:御書院番士、400俵
        • 遠山直雄>遠山直員の養子
      • *:久保勝成妻
    • *<浅井忠政の娘(兄の養女):水上重光妻→杉浦某 市郎左衛門妻×
旧刊本 46

§591-4

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黒田
左京 直儀
もと今川家臣。今の呈譜によれば祖の信濃守定綱は「大橘」を称し、その子広綱が黒田に改めたという。黒田光綱は三河国八名郡黒田郷に住し、今川氏真に仕えたのち家康に出仕、高井貞重とともに奥方の番を務めるという。お六の方(養儼院)は家康最晩年の側室。
  • ●黒田広綱 信濃守
    • ●黒田久綱 監物:今川家に属す
      • 黒田光綱黒田直陳五左衛門
        • *:岡部正晟《紀州家臣》妻 ∥ *:高井貞重《紀州家臣》妻 ∥ *:堀田正安妻 ∥ *:家康に仕える→近藤用勝 半右衛門《紀州家臣》妻
        • *〔お六の方/養儼院〕:家康に仕える
        • 黒田直綱#信濃守:御小姓、4000石 【コ】
          • 黒田用綱#信濃守 <近藤用勝 半右衛門《紀州家臣》の子:御書院番・御徒頭・御先鉄炮頭1220石→徳川綱吉付家老3000石 【コ】
            • *:中山直張
            • 黒田直常:1220石✝
              • 黒田直清<中山直張の子△:御小姓、600石
                • * ※a1 >直常の養女
              • *:黒田直清の妻△→春日顕道妻→酒井政英妻
              • ●黒田直方*神谷勝正《紀州家臣》の子△:御小姓組・御小納戸/隠居料300俵
                • ●黒田直巷* <立花貫長の子△:御小納戸
                  • *:立花種武の妻
                  • ●黒田直賢*:御小納戸
                    • 黒田直儀 <保科正富の子△:御小姓組番士、1220石
                    • *<阿部次福の娘:黒田直儀の妻△
                • *:黒田直巷の妻△
                • 阿部次福>阿部次豊の養子 ∥ *:中島常弼の妻 ∥ *<久代景準《榊原式部大輔家臣》の娘:一色直次の妻 ∥ *<永井元頼の娘:中島行道 ∥ *:<永井元頼の娘:姉の死後に中島行道の妻×→永井家に帰る
              • * ※a2 <直清の子、直方の妻△
            • 黒田直達:父の遺跡を継ぎ館林家寄合→幕臣中奥番士 > 牧野成貞養子【采地収公】
            • *:大河内信久の妻
            • 黒田直邦 <中山直張の子 …―→別家(660-3)
      • *:富田知信妻 ∥ *:近藤康用
      • 黒田直満 半平:紀州徳川頼宣に仕える
旧刊本 47
NDL写本

巻第五百九十二

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§592-1

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大平
角十郎 俊房
もとは大平氏であったが、俊家が近江国甲賀郡岩室に住したため岩室を称した。甲賀に幽居した家次が大平に復したという。俊堅は九鬼嘉隆・池田秀雄・青山忠成らのもとにあり、のち徳川秀忠に出仕。関ケ原の戦いの際には甲賀において徳川方の一揆を組織。大坂の陣で功績を挙げた。
  • 岩室俊家 吉兵衛:足利義輝に仕える。永禄の変(永禄8年)で戦死
    • 大平家次 但馬守:甲賀に幽居、一時織田信孝に出仕
      • 大平俊堅 角右衛門:奥方御番、200石 ‡(上掲)
        • ●大平俊宗 < 服部某 八左衛門の子△:鳥見役・同組頭
          • *:大井盛貞の妻
          • ●大平盛信<大井盛貞の子:御納戸番・同組頭・裏御門番頭、+100俵
            • *:花井定勝の妻 ∥ *:渡辺朝 伊織の妻
            • ●大平俊行:中奥番士
              • 大平俊恒:御納戸番・同組頭・小普請組頭 ‡森政宣の事件で逼塞
                • *:伊東長栄妻
                • 大平俊房:200石+100俵
            • 大井満雑>大井満茂の養子
            • *<大島氏の娘:依田盛常の妻 ∥ *<大島氏の娘:伊庭清長の妻
          • *:大島氏の妻
        • *:大平俊宗の妻△ ∥ *:富沢某 治郎右衛門妻 ∥ *:坂本久政妻
旧刊本 48

§592-2

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――
呈譜によれば、斯波高経の子孫・義長が津川姓を称する。長治(正勝)はその二男といい、母方の姓を名乗るという。

牧正勝は尾張国長久手に住する。長正は家康に仕え、三方ヶ原の戦いで戦傷死。長勝は徳川家から滝川一益家臣に移って天目山の戦いに参加、その後徳川家に召し返される。

  • 牧正勝牧長治喜右衛門:織田信長に仕える
    • 牧長正牧長定右衛門四郎牧長義《長治の兄》の子 ◇(上掲)
      • 牧長勝 助右衛門:御使番 ◇(上掲)
        • 牧長重牧勝信*助右衛門:御書院番・御小納戸・中奥番士、1500石
          • ●牧勝秋 太兵衛:御小姓組、1200石
            • ●牧某 太兵衛:御書院番。発狂【無嗣】
            • 鵜殿長時
          • 牧長高 …―→ 助右衛門義珍の家(592-3)
        • *:大久保忠拠の妻
旧刊本 49
NDL写本

§592-3

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助右衛門 義珍
牧長重(592-2)の二男・長高が召し出されて家を立てる。
  • 牧長高#七兵衛・七左衛門/下野守:御小姓組・御小納戸・寄合・裏御門番頭、父の遺領から分知300石[注釈 1]+200俵+200俵[注釈 2]+500石
    • 牧長富 七左衛門 <大久保忠寿の子△:御小姓組・御小納戸、1200石
      • 牧長房 ※a2 助右衛門 <牧長高の子:御書院番✝
      • ●牧義陳 又左衛門:御書院番
        • 牧伸義#又十郎・筑前守<水野忠伸の子△×:御小姓、病により実家に帰る
          • * ※b1 > 義陳の養女 ∥ * ※c1 > 長賢の養女
        • *:牧伸義の妻△× ∥ *:榊原長里の妻
        • ●牧長賢 市次郎<榊原長治の子△:御小姓組 ◇榊原長鉄横死事件
          • * ※c2 <牧伸義の娘:原田種穂の妻
          • 牧義珍 助右衛門:御小姓組、1200石
        • * ※b2 <牧伸義の娘:長賢の妻△
    • *:牧長富の妻△ ∥ 牧長房 ※a1 >兄・長富の養子 ∥ *:坂本治之の妻 ∥ *:中根正勝の妻
旧刊本 50
NDL写本

§592-4

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井関
乙三郎 親興
今の呈譜では菅原氏を称する。
  • ●井関親政 次郎左衛門{井関親秀 次郎右衛門}:浅井長政家臣、のち家康に仕える
    • ●井関親義{井関親正}猪兵衛:220石
      • ●井関親信 猪兵衛:殺生方・御細工頭
        • 井関親昌 <某氏の子△:御細工頭、200俵✝
          • 井関親房 ※a1 <酒井重頼の子 >親義の養子
        • *:井関親昌の妻△
        • ●井関親房 ※a2 < 酒井重頼の子→親昌の養子 :新番・大坂御金奉行、親信遺領+30俵
          • ●井関親倫 <若林直方の子:大番・大坂御金奉行 ◇官庫金紛失事件
            • ●井関貞経 <武笠幸年《武蔵一宮簸河明神神職》の子:御裏門切手番頭
              • 井関親数<小出有相の子△×
              • *:井関親数の妻△×
              • 井関親興 乙三郎 <新見正鋒の子△:御納戸番、250俵
                • 井関親経 富之助
              • *:井関親興の妻△
              • *:本間清祥の妻

旧刊本 50
NDL写本

§592-5

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山中
平吉 輔俊

●山中某 備前守-●山中勝俊-●山中兼俊-●山中某 紀伊守-●山中為俊-●山中長俊 ⇒

  • 山中長俊:豊臣政権下で1万5000石
    • 山中信俊:柴田勝家→増田長盛家臣、のち失明
      • 山中幸俊 ※a1 >祖父・長俊に養われる
      • 山中宗俊 ※b1 >祖父・長俊に養われる
    • 山中幸俊 紀伊守 ※a2 <信俊の子:大坂の陣で豊臣方、戦後は浅野長晟のもとに身を寄せる
    • 山中宗俊 八蔵 ※b2<信俊の子:徳川家康に仕える。御書院番、1000石
      • ●山中本俊 八蔵:御書院番
        • 山中釿俊#丹波守:御使番・御目付・仙洞付
          • 山中東俊五郎左衛門:御書院番、300俵
            • ●山中保俊 八蔵:御小姓組
              • 山中鐘俊*平吉:御書院番・中奥番士・小十人頭・御先弓頭、養老料300俵
                • *:浅野氏象の妻
                • 山中輔俊 平吉:御書院番士、1000石
                • *<内田正房の娘:安部信要の妻
              • 花房俊村>花房栄永の養子
              • *<斎藤暉昌の娘:早川豊包の妻×
            • *:間宮方信の妻
          • 斎藤暉昌>斎藤利久の養子
          • *:村上正春の妻
        • *:筒井義勝妻
    • 山中俊友 作右衛門 :紀伊頼宣に仕える
旧刊本 51

巻第五百九十三

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§593-1

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今大路
中務大輔 正庸
医師曲直瀬道三曲直瀬玄朔の家で、江戸幕府のもとで典薬頭を世襲。呈譜によれば宇多源氏(佐々木氏)で、佐々木成頼(源成頼)……馬淵広貞-堀部成綱……堀部親真-曲直瀬正盛(道三)と続くという。親清は禁裏から橘の姓と今大路の称号を下賜される。
  • 曲直瀬正盛曲直瀬道三道三/翠竹院・啓迪庵 【コ】【コ】【コ】
    • 曲直瀬守真 ✝
    • 曲直瀬正紹曲直瀬玄朔法印 玄朔・道三・東井/延命院・延寿院 < 河崎某の子、母は堀部親真の娘△:500石【コ】
      • *:曲直瀬正琳 養安院(593-2)の妻
      • 今大路親清今大路道三曲直瀬玄鑑#法印 典薬助・兵部大輔/道三・玄鑑{元鑑}:御小姓・典薬助 【コ】
        • 祐知:山城愛宕教学院住職 ∥ *:石尾治昌妻
        • 今大路親昌曲直瀬玄鎮#民部大輔/玄鎮・安室・道三:御小姓・典薬頭、1200石 【コ】
          • 今大路親俊曲直瀬玄淵#兵部大輔/道三/延寿院:典薬頭 【コ】
            • *:内田正頼妻→奈須恒宇 玄竹妻 ∥ *:伊東某 主税
            • 今大路親民#兵部大輔:典薬頭✝
            • *:人見近充妻
            • 今大路親顕#兵部大輔/道三・玄朔:典薬頭
              • *:依田守庸妻
              • 今大路元勲#民部大輔/道三:典薬頭
                • *:久志本常弌妻
                • 今大路寿国#兵部大輔/道三:典薬頭
                  • 今大路正福#式部大輔/道三 ※a2 < 元勲の子:典薬頭
                    • 今大路親興 雄五郎 <根来正武の子△
                      • 今大路正庸#中務大輔<山高信昉の子△:典薬頭、1200石
                      • * ※b2<今大路正福の娘:今大路正庸の妻△
                    • *:今大路親興の妻△
                    • * ※b1>今大路親興の養女
                • 今大路正福 ※a1 >兄・寿国の養子
              • 奈須方基 玄節(奈須玄節) > 奈須良音(奈須玄筑)養子
        • *:後藤広世 庄三郎 妻 ∥ *:吉田重弘妻 ∥ *:真瀬某 玄隆(真瀬玄隆)妻
      • 曲直瀬某(曲直瀬玄益) 法眼:尾張徳川義直に仕える
      • *:片山延康妻
      • *:曲直瀬正因 亨徳院《松平加賀守家臣》妻→岡本諸品 啓迪院(593-3)妻
      • *:浦野某 与一郎 妻→田中某 清六 妻 ∥ *:岡野井氏妻
    • * ※a2 < 守真の娘△
旧刊本 53

§593-2

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曲直瀬
養安院 正雄
曲直瀬道三の弟子・曲直瀬正琳を祖とする。曲直瀬養安院を称する。今の呈譜によればもとは一柳氏で、一柳宣高(603-1)の末孫・恕心の子が正琳という。
  • 曲直瀬正琳 法印 養庵/養安院:御番 【コ】
    • 曲直瀬正円 法眼 三益/養安院
      • 曲直瀬玄理 法印 一有/養安院:寄合・番医・奥医
        • 曲直瀬正璆曲直瀬平庵法印 正球/養安院:番医・御匙、1900石 【コ】
          • *:大久保忠泰の妻→高井端清の妻
          • 曲直瀬正珪越智雲夢法眼 正珪/養安院 【コ】
            • *<高井端清の娘:室賀正便の妻
            • 曲直瀬正山 法印 正山/養安院
              • *:向坂正興の妻→室賀正朋の妻
              • 曲直瀬正雄 法印 正雄/養安院 :1900石
                • 曲直瀬恒幸 正隆
                • *<井上方親 春沢 の娘:佐野康貞の妻 ∥ *:河野通明の妻 ∥ 高島兼吉>高島兼胤の養子 ∥ *:鈴木和政妻→小沢安忠妻
              • 戸川安倫>戸川安精の養子
        • *:朝岡重救妻 ∥ *:大久保忠於妻 ∥ *:田沢之達 道徹
旧刊本 55

§593-3

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岡本
啓迪院 介寿
曲直瀬道三の弟子・岡本諸品(岡本玄冶)を祖とする。道三より「啓迪」の庵号を譲られ、代々「啓迪院」を称する。
  • ●岡本重之
    • ●岡本重信
      • 岡本諸品岡本玄冶法印 宗什・玄冶/啓迪院:1000石 【コ】
        • 岡本介球岡本玄琳法眼 玄琳/啓迪院:奥御番・番医、隠居料50口 【コ】
          • *:曲直瀬正淵 亨徳院《松平加賀守家臣》妻
          • 岡本祐品 ※a2 法眼 寿仙/啓迪院 <諸品の子
            • 岡本寿品 法印 玄冶/啓迪院:寄合・番医・奥医
              • 岡本篤敬 寿仙・玄冶/啓迪院
                • 岡本松山 法眼 玄冶/啓迪院 <曾谷祐之 伯安の子
                  • 岡本介寿 法眼 玄琳・宗什・玄冶/啓迪院:1000石
                    • 岡本介福 <馬場利光の子△
                    • *:岡本介福の妻△
                  • 大森長興>大森隆長の養子 ∥ 丸山美英>丸山英積の養子 ∥ *:三枝守幹妻→斎藤正直妻
              • 森春山 玄琳・宗乙>森春生 宗乙の養子
              • *:久世広慶の妻
            • *:曾谷謙祐 格元
        • 岡本祐品 ※a1 > 兄の養子
        • *:曲直瀬玄興 亨徳院《松平加賀守家臣》妻 ∥ *:曾谷祐 伯庵曾谷伯庵)妻
旧刊本 56

§593-4

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福富ふくとみ
――
福富平左衛門家貞が家康に仕え3000石、2人の息子が2500石と500石で相続。長男の平左衛門は知行地での苛政・家臣への無道を理由に采地収公・追却。二男の家は息子の兵部が酒乱を理由として佐竹義都に召し預けられる。その息子の虎之助が赦免を受ける。
  • ●福富某 平左衛門:織田信長に仕える
    • ●福富某 大膳:豊臣秀吉・秀頼に仕える
      • 福富家貞 平左衛門:御書院番、3000石
        • ●福富某 平左衛門:寄合、2500石【采地収公・追却】
        • 福富某 彦左衛門:御書院番、500石
          • 福富某 兵部:御書院番【預】
            • 福富某 虎之助:【預→赦免】
    • *:川口宗勝
旧刊本 57

巻602:河野

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巻第六百二

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越智氏

§602-1

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河野
――
彦狭島命にはじまる越智氏の系図。河野通清を経て、安土桃山時代の河野通直に至る。
旧刊本 82

巻603-604:一柳

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巻第六百三

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越智氏(河野庶流)

§603-1

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一柳
――
伊予西条藩主一柳家
家祖の一柳宣高は河野通直の子であるとする。
旧刊本 86

§603-2

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一柳
献吉 直郷
一柳直重(603-1)の二男・一柳直照が父の遺領から分知5000石を受ける
  • 一柳直照 半左衛門・半弥 :5000石
    • 一柳直増:領地を伊予から播磨に移される ◇三枝守金の娘→杉浦正綱の娘
      • * > 一柳直治(604-2)の養女
      • 一柳直長:御近習番 ◇土屋朝直の娘→伊東祐春の娘
      • 湊増海 ∥ 一柳直朝
    • *:土屋朝直の妻
旧刊本 87

巻第六百四

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§604-1

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一柳
土佐守 末英
播磨小野藩主家。一柳直盛(603-1)の次男・一柳美作守直家は父の領地より播磨加東郡で5000石分知。父の死後、遺領より播磨加東郡・伊予2郡(宇摩・周敷)で2万3600石を分知されて計2万8600石の大名になり、播磨国小野に住す〔この際には伊予川之江藩一柳直家参照〕。直次への継承が末期養子の禁に抵触し、伊予1万8600石を収公され、播磨加東郡1万石の相続と家督相続が認められる。
旧刊本 88

§604-2

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一柳
兵庫 頼親
伊予小松藩主家。一柳直盛(603-1)の三男・一柳蔵人直頼が、父の遺領から1万石を与えられる。
旧刊本 89

§604-3

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一柳
――
一柳直盛(603-1)の五男・一柳正三郎直澄ははじめ家臣神山長左衛門の養子となるが、伊勢神戸を去って浪人となり、甲府徳川家に仕える。直正のとき幕臣となる。勘之丞直里のとき、届け出の不正・賭博・家内取締不行届・遊興などが罪に問われ改易。
旧刊本 89

巻605:久留島

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巻第六百五

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§605-1

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久留島
祥丸 通嘉
はじめ村上を称し、通総のとき来島、通春のとき久留島に改める。
清和源氏の信濃村上氏である可能性が高いが、寛永譜の通り河野庶流に配列するという。
通康は河野弾正少弼通直の婿となり、河野家を継ぐ。その後、弾正少弼通直の三男四郎通直に河野家の家督を譲る。
  • 村上通康 右衛門大夫
    • 村上通之 半右衛門得居通幸〕 > 徳井某の養子:朝鮮の役で討死
    • 来島通総#:[豊]伊予風早郡で1万4000石、朝鮮の役で討死
      • 来島通則 左門:福島正則に属す
      • 来島長親来島康親:豊後森藩 ◇福島正則の養女
        • *:津田某 豊前《福島家臣》の妻 ∥ *:星合具枚の妻
        • 久留島通春
          • 久留島通清 ‡岡上次郎兵衛〔岡上景能〕の子・甚四郎を預けられる(その後死罪)
            • 久留島通政 伊予守 ◇戸沢正誠娘→松平豊昌養女
              • 久留島通用脇坂安照の子:✝ ∥ 久留島通孝 < 松平光仲(池田光仲)の子× ∥ *:永井尚品妻 ∥ 久留島通重 ※a3 < 通清の六男→通迥の養子:✝ ∥ * ※b2 < 通迥の娘 :山崎堯治の妻
              • 久留島光通 < 久留島通貞(605-2)の二男
                • 久留島通祐:伏見奉行 ◇太田資俊の娘
                  • 久留島通同 ※c2 < 光通の七男、兄の養子
                  • * < 久留島通高 右門《家臣》の娘:揖斐政喬婚約者→上林久忠妻→佐野政敷の妻
                • *:青木一新の妻 ∥ *:渡辺信綱の妻 ∥ 山崎義俊山崎信盛の養子 ∥ *:高井綽房の妻 ∥ *:青木直美の妻 ∥ *:久留島通高 右門《家臣》の妻 ∥ * > 高井綽房の養女 ∥ 久留島通同 ※c1 > 兄・通祐の養子
            • 村上某 内記 ∥ 林正栄林勝明の養子 ∥ *:武田信令の妻 ∥ 毛利高久毛利高重の養子 ∥ 導廓:鹿苑寺住職 ∥ 毛利高慶 > 毛利高久の養子 ∥ *:高木守興妻
            • 久留島通重 ※a1 > 久留島通迥の家を継いだのち、兄・通政の養子となる
          • 久留島通貞 …―→ 久留島数馬通在の家(605-2)
          • 宗盍:僧侶
          • 久留島通迥*:御小姓組頭。父の遺領より500石を分知される。
            • 久留島通倫
            • 久留島通重* ※a2 <通清の七男、御書院組頭。通政の養子となる【采地収公】
            • * ※b1 > 通政の養女
          • 久留島通方 主膳 ∥ 二神種春 > 二神種親《家臣》の養子 ∥ 玉井通徳 > 玉井助延《家臣》の養子
        • * < 福島正利《福島正則の四男》の娘:山名矩豊の妻
      • *:藤波友忠《伊勢祭主》の母
    • 村上吉清村上通清彦右衛門:黒田長政→福島正則→紀州徳川家家臣
    • 村上通久 ∥ *:穂田元清室 ∥ *:能島武慶〔村上武吉〕妻
旧刊本 90

§605-2

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久留島
数馬 通在
久留島通春の二男・久留島出雲守通貞にはじまる家。
旧刊本 92

巻606-610:稲葉

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巻第六百六

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越智氏(河野支流)

§606-1

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稲葉
能登守 弘通
河野氏出身の備中守通貞(塩塵)が美濃に移り稲葉を氏としたとされる。
旧刊本 93

巻第六百七

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§607-1

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稲葉
百助 通碩
稲葉一通(606-1)の四男・稲葉庄右衛門通任が起した家。
  • 稲葉通任* 庄右衛門 :御持筒頭・盗賊追捕、600俵+500石→養老料300俵 ◇稲葉紀通(607-4)の娘
    • 稲葉通久:御小姓組・進物役、1100石
      • 稲葉通長
        • 稲葉通大稲葉知通(606-1)の子:御書院番
          • 稲葉通敦
            • 稲葉通済* < 稲葉通古の子、母は通大の娘 ※α :中奥番士
              • 稲葉通碩安部信允の三男△ : 1100石 ◇通済の娘→山高信昉の娘
                • * > 深田正満の養女
              • *:谷衛寿の妻→通碩の妻△
              • *:津田正誠の妻 ∥ *:小笠原持齢の妻
          • * ※α:稲葉通古 監物 《稲葉能登守家臣》の妻
旧刊本 99

§607-2

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稲葉
伊織 通生
稲葉貞通の三男・稲葉修理亮通孝(母は織田信秀の娘)が、父の臼杵領内で1万4050余石を分知されるが、「故ありて」伏見を退去し所領は宗家の稲葉典通に収められる。稲葉通照は父の死後宗家のもとにあったが幕府に出仕。
  • 稲葉通孝#:1万4050余石分知→宗家に収める
    • 稲葉通照稲葉高通}:御書院番・御小姓組、700石
      • 稲葉通義:御書院番
        • 稲葉安通
          • 稲葉栄通
            • 稲葉種通 ※a2 < 安通の二男、兄の養子となる
              • * ‡寛政2年、高木正鼎《小普請支配》のもとに愁訴することがあり、稲葉弘通に預けられる
              • 稲葉通泰:御小姓組・中奥番士
                • 稲葉通清:天明6年に失踪
                • 稲葉通生:700石 ‡通生の不行跡を訴え伯叔母2人が愁訴。閉門処分をうけたのち許され、甲府に移される
                  • 稲葉通利
                • 稲葉通一
              • * ‡姉と共に愁訴することがあり、稲葉弘通に預けられる
            • 稲葉定通
          • 稲葉種通 ※a1 > 兄・栄通の養子
        • *:織田貞則の妻
      • 稲葉通政 …―→ 彦七郎で不明となる家(607-3)
      • *:蒔田定則の妻 ∥ *:山村良好の妻 ∥ *:土岐頼利の妻
    • 稲葉某 権三郎:紀伊徳川頼宣家臣
旧刊本 99

§607-3

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稲葉
――
稲葉通照の二男・稲葉勘右衛門通政の起した家。稲葉彦七郎より系嗣不詳
  • 稲葉通政:御小姓組、300俵
    • 稲葉通倫:御近習番・御小納戸・御小姓、600石
      • ●稲葉某 彦七郎:宝永5年家督継承以後の記録途絶
    • 稲葉通安 ∥ *:小泉養正の妻 ∥ *:小菅正矩の妻 ∥ 菅谷政憲菅谷政朝の養子
旧刊本 100

§607-4

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稲葉
――
稲葉一鉄の長男・稲葉兵庫頭重通の家。「この家二家にわかれ、嫡流通重、庶流紀通がときにいたりて家たゆ」
  • 稲葉重通# 兵庫頭:[織]美濃清水1万2000石、[豊]秀吉に近侍 ◇牧村政倫 牛之助 の娘→吉田浄忠 盛方院 の娘
    • 牧村利貞 兵部大輔 > 外祖父牧村政倫の家を継ぐ:[豊]伊勢岩手城主、朝鮮で死去
    • 稲葉通重 新左衛門・甲斐守伊勢岩手藩清水藩【配流】 ‡慶長12年、京都祇園で狼藉を働き、常陸筑波に
    • 宗甫 焉空和尚:京都大通寺住職
    • 稲葉正成 佐渡守 < 林政秀の子△ …―→ 丹後守正諶の家(608-1)
    • *:正成の室△
    • 稲葉道通:長兄牧村利貞の遺跡を継ぎ(苗字は改めず)伊勢岩手城主。関ヶ原戦後、田丸藩4万5700石。
    • 春日局 < 斎藤利三の女:稲葉正成の後妻△、のち離縁
    • *:石河某 備後守
    • *:種田正状 助元
旧刊本 100

巻第六百八

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§608-1

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稲葉
丹後守 正諶
稲葉重通の養子(実は林惣兵衛政秀の子、母は安藤丹後守某の娘)・稲葉佐渡守正成が起した家。
旧刊本 102

巻第六百九

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§609-1

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稲葉
――
稲葉正則の二男・稲葉駿河守正倚が起した家。御書院番頭などを務め4000石を知行したのち、父の遺領から分知の7000石に置き換えられる。正恒が宗家を相続し采地収公。
旧刊本 107

§609-2

[編集]
稲葉
播磨守 正武
安房館山藩主家。稲葉正則の三男・稲葉備前守正員の立てた家。はじめ母方の毛利姓を称する。家綱に仕え中奥に候し1000俵を給されたが、病により致仕。父の死後、遺領から3000石を分置され、稲葉姓に復す。稲葉正明が御側を務め、加増を受けて大名に列する。
旧刊本 107

§609-3

[編集]
稲葉
主水 正芳
稲葉正則の四男・正辰が、父の遺領から3000石を分知されて立てた家。
旧刊本 108

§609-4

[編集]
稲葉
――
稲葉正則の五男・稲葉下野守正直が、父の遺領から2000石を分けられて立てた家。
  • 稲葉正直# :御使番・日光奉行・御小姓組番頭・御書院番頭、2000石 ‡母は毛利秀元の娘
    • 稲葉正博土井利益の三男:✝
    • 稲葉正親(稲葉正命)# < 大田原晴用(大田原政清の子)の子△ :御使番・火事場見廻・御小姓組番頭。宗家(608-1)を継承、采地収公
      • 稲葉正甫
      • 稲葉正福
    • * < 柴田氏の娘 :正親の妻△
    • * < 柴田氏の娘、正親の養妹 :屋代正勝の妻
旧刊本 109

§609-5

[編集]
稲葉
新太郎 通義
稲葉正則の八男・通周が、兄の領地から新田1000石を分けられて立てた家
旧刊本 109

巻第六百十

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§610-1

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稲葉
大膳 正順
稲葉正成の二男・稲葉八左衛門正次の立てた家。正次が没した際に正能・正定兄弟は幼少であり、祖父正成の請うところにより、青野5000石は正成の十男・正吉に与えられ、正能兄弟は正成に養育される。従弟の稲葉正則が、父の正勝が遺言したこととして、新田分3000石を分知。
旧刊本 110

§610-2

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稲葉
主税 正朝
稲葉正能の三男・正之が建てた家
  • 稲葉正之:御書院番、300俵→500石
    • 稲葉正房# < 稲葉正信 采女《松平越前守家臣》の子:御目付・御普請奉行
      • 稲葉正寿 < 稲葉正篤(610-1)の三男:✝
      • 稲葉正勝 < 早川重好の子△:✝
        • ●稲葉正武#:御小納戸・御小姓
          • 稲葉正朝#:御小納戸・御小姓・御徒頭、500石
            • 稲葉正方
            • *:三浦正興妻
      • *:小菅武第の妻
      • *:正勝の妻△
旧刊本 110

§610-3

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稲葉
喜太郎 正陽
稲葉正次の二男・稲葉正貞の立てた家。従弟の稲葉正則が、父の正勝が遺言したこととして、2000石の分地を受ける
旧刊本 110

§610-4

[編集]
稲葉
――
稲葉正成の十男・正吉の立てた家。兄・正次の遺領である美濃青野5000石を継承。
  • 稲葉正吉#:甲府城守衛・御書院番頭・駿府城守衛 ◇太田資宗の娘 ‡駿府城守衛時、家臣2名により男色のもつれで殺害される。
    • 稲葉正休:御書院番頭・御近習・若年寄、1万2000石 ◇土屋数直の娘 ‡江戸城中で堀田正俊を殺害、自らも殺される。
    • *:永井尚庸の妻
    • *:町野幸重の妻
旧刊本 110

巻611-614:河野

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巻第六百十一

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§611-1

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越智氏(河野庶流)
河野
長之助 通顕
室町時代前期の伊予守護・河野通之の末裔と称する(予州家)。河野通之―河野通元―河野通春―河野通安と続き、河野通安の子の河野通房が甲斐に赴いて武田家に仕えたという。
河野盛政(盛利・通泰)が武田家滅亡後徳川家康に仕える。
  • ●河野通房 下総守:甲斐に赴き武田家に仕える
    • ●河野通政 豊前守:武田信玄→北条氏政→武田勝頼に仕える
      • 河野盛政{河野通泰} 勝左衛門:御使番、930余石。◇太田昌安の娘→小笠原長行の娘
        • ●河野通利 源右衛門:弟に分知を行い600余石
          • ●河野通頼 源右衛門:大番組頭・御先鉄炮頭、+200俵→采地を廩米に改める〔800俵余〕
            • ●河野通矩 源右衛門:御書院番、600俵余
              • ●河野通常 源右衛門・蔵人 ※a2 < 通要の子△:御書院番士、600余石
                • ●河野通賢 太五郎
                  • ●河野通哲* 勝左衛門曲淵信興の子△:御留守居番・御先弓頭・御先鉄炮頭
                    • 河野常昌 < 小林行孝の子、家に戻る
                    • 河野通同 斧三郎 < 橋本敬惟の子✝
                      • 河野通顕 長之助:600石
                  • * ※b2 < 通常の娘、通哲の妻△
                • * ※b1 > 通賢の養女
              • *:通常の妻△
              • * > 桑山一慶の養女
              • *:平岩親賢の妻
            • 河野通要 新十郎:分与200俵→新番、+50俵【無嗣】
              • 河野通常 蔵人 ※a1 >叔父・通矩の養子。
            • *:横山一政の妻
            • *:河野某 治右衛門 の妻
          • 河野通良 三左衛門 …―→ 主税利通の家(611-2)
        • 河野通重 権右衛門 …―→ 善十郎通成の家(611-4)
        • 小笠原貞利 > 小笠原長行の養子
        • 河野通安 才三郎:分知330石【無嗣】
        • *:勝屋正成の妻
      • 河野照長 …―→ 庄右衛門照辰で絶える家(612-1)
旧刊本 112

§611-2

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河野
主税 利通
河野通利(611-1)の二男・河野三左衛門通良が小十人から旗本になる。河野伝七郎通重(通良の実子)は義兄(通良の養子)の通常に200俵を分け、200石を継承、のち加増を受ける。
  • 河野通良 三左衛門:御広敷番頭、200石+200俵
    • 河野通常 吉十郎・源兵衛 < 小笠原貞利の子 …―→ 亀次郎通古の家(611-3)
    • 河野通重 三左衛門・伝七郎:大番、500石
      • ●河野通悦 藤右衛門 ※a2 <通良の三男、兄の嗣子:大番・新番
        • ●河野教通* 伝七郎・源左衛門 :大番組頭・御広敷用人・二の丸御留守居・寄合
          • 河野利通* 主税 ※b2 <通悦の二男、兄の嗣子:御小姓組頭、500石
            • 河野通明 銕三郎
            • 河野正通 正三郎>松平正保の養子、家に戻る
            • 竹川秀通 富三郎・武助>竹川秀実の養子
            • * > 奥山良意の養女
            • * < 名取信富の娘
        • *:田沢正勝の妻
        • *:新見正仲の妻
        • 河野利通 ※b1 >兄・教通の養子
    • 河野通悦 ※a1 >兄・通重の養子
    • *:横地義玄の妻
旧刊本 113

§611-3

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河野
亀次郎 通古
河野源兵衛通常は河野通良(611-2)の養子。通良にはのち実子の通重が生まれる。通良は通常に家督を継がせることを望んだが通常が固辞したといい、200俵を分けられて別家(それ以前に大番として与えられていた200俵は収められる)。
  • 河野通常 吉十郎・源兵衛 :大番、200俵
    • ●河野通勝 九兵衛大津重信の子△:大番
      • ●河野通虎 一学大津重勝の子:大番
        • 河野通保 八十三郎 :【逐電】
        • ●河野通直 助次郎 < 遠山則茂の子△:大番
          • *:遠藤準政の妻
          • 河野通古 亀次郎:200俵
        • *:通直の妻△
        • *:近藤用章の妻
      • *:通虎の妻△
    • *:通勝の妻△
旧刊本 114

§611-4

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河野
善十郎 通成
河野権右衛門通重は河野盛政(611-1)の二男。通重は駿府で家康に小姓として仕えたが、刃傷事件を起こした秋元長八郎をかくまい駿府から退去し、家康の勘気を受けて蟄居。大坂の陣の際に井伊直孝の陣に加わって戦功をあげ、勘気を許されたという経歴を持つ。大番から御鉄炮頭に進む。その後、配下の同心たちが町人に家を貸したり商売を行っていることが鷹狩中に徳川家光に見とがめられ、閉門処分。のちに勘気を許され、御鉄炮頭に復帰。
河野権右衛門通成(今の呈譜では河野通定)は弟に300石を分け、1200石を知行。御書院番士・御使番から長崎奉行・大目付に進むが「その勤めに応ぜざるにより職を奪われ出仕をとどめられ」る。
河野権九郎通護は御使番となるが、綱吉が紅葉山東照宮に参詣して帰ってきた際に「拝謁すべきの席にあらざりし事」により出仕停止、のち小普請に落とされる。
  • 河野通重 勝六郎・権右衛門:御鉄炮頭、1500石
    • 河野通利 庄左衛門{勝左衛門}
    • ●河野通成{河野通定*権右衛門:長崎奉行・御鑓奉行・大目付、2200石
      • 河野通暢 勝六郎:「ゆへありて嗣たらず」
      • 河野某 権六郎・勝九郎:御書院番
      • 河野通護* 庄之助・勝九郎:御使番
        • ●河野通長 権右衛門:御小姓組番士
          • ●河野通孝 権右衛門 ※a2 <通護の二男、兄の嗣子:御書院番士
            • 河野直久(堀直久) < 堀直信の子、家に帰る
            • ●河野通成* 善十郎 < 久世広武の子:御書院番・御使番・御先弓頭、2500石
          • 河野通郁✝
          • *>堀直信の妻
        • 河野通孝 ※a1 >兄の養子
        • *:本多栄寛の妻
      • *:大久保長好の妻
      • *:小笠原広高の妻
      • *<大久保長好の娘:水野勝久の妻
      • *:都築法景の妻
    • 河野通賢 権之助:分知300石【無嗣】
      • *:森川盛房の妻
      • *:大沢基治の妻
    • *:小宮山宣興の妻
旧刊本 114

巻第六百十二

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§612-1

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河野
――
河野新太郎照長は通政の二男(ただし、兄の盛政との出生順に疑義がある)。武田勝頼に仕えたのち徳川家康に仕える。
庄右衛門照盛・照辰の父子は駿河大納言忠長に附属、忠長改易後にともに松平(池田)輝澄に預けられて播磨に住する。ともに赦免を受けるが、照辰が無嗣により絶家。
  • 河野照長{河野照久・河野通照} 新太郎
    • ●河野照盛{河野通長} 庄右衛門:大番→駿河大納言附属→赦免、500石
      • 河野照良{河野通正} 庄大夫 …―→ 仙太郎通任の家(612-2)
      • ●河野照辰 庄右衛門:駿河大納言附属→御小姓組番士【無嗣】
      • 河野通親 庄八郎・八左衛門 …―→ 八左衛門通昭の家(612-3)
      • 河野通直 庄九郎・九郎左衛門 …―→ 十郎左衛門通馨の家(612-5)
旧刊本 116

§612-2

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河野
仙太郎 通任
河野庄大夫照良は河野照盛(612-1)の長男、秀忠に召し出されて大番となり別家。
  • ●河野照良{河野通正}庄大夫:大番、500石
    • ●河野通有 弥右衛門:大番組頭
      • 河野某 権八郎
      • ●河野通眸 新五左衛門:大番組頭
        • 河野氏茂 < 座光寺為治の子:通眸に実子が誕生したため実家に帰る
        • ●河野賀通 庄大夫:大番
          • ●河野通候 帯刀:大番 ◇小林正長の娘
            • 河野通任 仙太郎:大番、500石
            • 小林正供 > 小林正芳の養子
            • 小林正矩 > 小林正察の養子
        • 森山某 茂十郎 > 森山実久の養子
    • 河野通虎 七右衛門 …―→ 末五郎通顕の家(612-4)
旧刊本 116

§612-3

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河野
八左衛門 通昭
河野八左衛門通親は、河野照盛(612-1)の三男。
  • ●河野通親 八左衛門:御近習・御小姓組番士、300俵
    • ●河野通真 市十郎:御書院番士
      • ●河野通寿 庄次郎 ※a2 < 通春の子、伯父の養子:御小姓組番士・御書院番士
        • ●河野通虎 八左衛門 <通春の子 ※b2 :御小姓組番士・御書院番
          • 河野通恭 内蔵 < 上坂政形の子△✝
            • 河野通昭 八左衛門:御書院番士、300俵
              • * < 望月君珍《松平大学頭家臣》の娘:山内政武《一橋家臣》の妻
          • *:通恭の妻△
          • *:大木親延の妻→浅井成央の妻
          • 河尻鎮海 > 河尻鎮妍の養子
        • *:町野清安の妻
    • 河野通春 甚助
      • 河野通寿 庄次郎 ※a1 > 伯父・通真の養子
      • 河野通虎 八左衛門 ※b1 > 実兄・通寿の養子
旧刊本 117

§612-4

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河野
末五郎 通顕
河野照良(612-2)の二男・河野七右衛門通虎が召し出されて小十人となる。
  • ●河野通虎 七右衛門:小十人、月俸10口+廩米100俵
    • ●河野通繁 庄七郎:小十人
      • ●河野通嗊:小十人
        • ●河野通春 七三郎
          • 河野某 宇八郎:出奔
          • 河野氏暁 次郎平 < 志村光氏の子:のち家に戻る
          • 河野通顕 末五郎 < 守屋政弘の子:御右筆→奥御右筆見習、廩米100俵+月俸10口
        • *<中島正良の娘
旧刊本 117

§612-5

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河野
十郎左衛門 通馨
河野九郎左衛門通直は河野照盛(612-1)の四男。
  • ●河野通直 九郎左衛門:小十人・新番、250俵
    • ●河野通賢 甚五左衛門:大番
      • ●河野通寿 十郎左衛門 <青沼政常の子△:大番
        • ●河野通林 十郎左衛門:大番→一橋家近習番
          • *:河野通広 吉左衛門《一橋家臣》の妻
          • *:杉浦孝章の妻
          • *:赤井泰幸の妻
          • *:佐々長賢の妻
          • ●河野通倫 政蔵:大番
            • 河野通馨:250俵
      • *:通寿の妻△
    • *:赤井善幸の妻
    • *:夏目次久の妻
旧刊本 117

巻第六百十三

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§613-1

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河野
吉次郎 通亮
『寛永系図』によれば一遍(俗名を河野四郎通治とする)の末裔という家伝のある家。今の呈譜では河野左京大夫通宣の子孫という。
河野新兵衛通勝は織田信長に仕え、その子の新七郎通俊が豊臣秀吉を経て徳川家康に仕え、「御鷹のことをつとめ」る。河野通則のとき領知朱印状を与えられる(山城国吉祥院村が知行地の一つで、通則はここで没している)。
  • ●河野通勝 新兵衛:織田信長に仕える
    • ●河野通俊 新七郎{河野某 新兵衛}:織田→豊臣秀吉家臣、230石余→徳川家康に仕え旧知安堵
      • ●河野通則 新七郎:御鷹師
        • *:入江春正の妻
        • *:加賀美遠安の妻
        • ●河野宏通 新七郎:御手鷹師→小十人
          • ●河野通公 新兵衛:小十人・御納戸番
            • 河野通純 * 又四郎:西の丸御賄頭・御納戸頭
              • 河野通集 彦五郎:✝
                • ●河野通員 弥市郎
                  • 河野通亮 吉次郎 ※a2 < 通純の三男、遺跡相続:230石余
              • 加藤正広 > 加藤正隆の養子
              • 河野通亮 ※a1:通員の遺跡を継ぐ
              • *:依田盛憙の妻
              • *:佐山信育の妻
旧刊本 118

§613-2

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河野
頼母 利置
河野通清の末裔を称し、今の呈譜に通清八代の孫・河野壱岐守通遠の子孫という。河野藤左衛門氏吉は織田信長に仕え、熱田で人質生活をしていた徳川家康にひそかに百舌鳥を進呈したという。のち織田信雄から豊臣秀吉に仕え、その後は越後国に住していたが、関ケ原の合戦の際に徳川家康に召し出されたという。氏吉の二男・氏房は村上義明(村上頼勝)に仕え、その子にあたる氏勝も村上家に仕えていたが「元和四年に村上義明が所領を没収された際に」(同年は村上藩主村上忠勝(頼勝嗣子)が改易されている)徳川秀忠に召し出されて幕臣となる。
  • 河野氏吉 藤左衛門:織田家臣→豊臣家臣→徳川家康に召し出される。
    • 河野氏門 善四郎:本能寺の変の際、二条城で織田信忠とともに自害
    • ●河野氏房 庄左衛門:村上義明に仕える
      • 河野氏勝 権兵衛:村上義明家臣→秀忠に召し出される。御小姓組番士、1500石
        • ●河野氏利 藤左衛門:御書院番士、分知により1200石→1200俵 ◇駒井昌保の娘
          • ●河野氏重 頼母:御書院番士
            • ●河野氏保 六郎左衛門 < 駒井保親の子:御書院番、1200石 ◇加藤正元の娘
              • ●河野猷通:御書院番士、分知により900石
                • 河野通年 三木之助
                • *:曾我祐弘の妻
                • 河野通種 庄之助 > 河野氏則(613-3)の養子
                • *:浦上景邦の妻
                • *:大原昌応の妻
                • * > 実兄・河野通種の養女
                • *:岡田利鎌の妻→大久保忠昌の妻
                • * < 大淵信逸 祐閑 の娘:河野通賢 十郎右衛門 の妻
                • * < 駒井保恒の娘:加藤正泰の妻
                • 河野利置 < 曾我祐弘の子:御書院番士、900石 ◇駒井寿庸の娘
                  • *:押田勝融の妻
                  • * < 駒井寿庸の娘:行方道高《一橋家臣》の妻→佐橋佳満の妻
                  • 河野氏敷✝
                  • 河野道盉 吉五郎:御小姓組番士 ◇河野氏燭の娘
              • 河野氏則 …―→ 久太郎通美の家(613-3)
        • 河野氏朝 権兵衛 …―→ 権兵衛映通の家(613-4)

  • 『信濃史料』が収録する『元和年録』によれば、村上藩家老「高野権兵衛」(河野権兵衛氏勝)は、同藩の魚住角兵衛を闇討ちした疑いをもたれ、角兵衛の弟・和右衛門が訴えを起こして幕府奉行所(評定所?)で審議にかけられた。おおかた高野権兵衛の所行とみられたものの証拠がなく、また高野権兵衛の弁舌がすぐれていたために高野の勝訴となった。村上家は家中取り締まり不行き届きのために改易とされた。高野権兵衛の祖先の高野藤蔵(河野藤左衛門氏吉)は熱田で家康に小鳥を進上し、後年家康が召し出した人物であるという関係を当代将軍も知っていたため、高野権兵衛は幕臣として召し出された[1]
旧刊本 119

§613-3

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河野
久太郎 通美
  • 河野氏則
    • ●河野通種 < 河野猷通(613-2)の子
      • ●河野氏燭 < 浦上直方の子
        • ●河野通美
旧刊本 119

§613-4

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河野
権兵衛 映通
  • 河野氏朝
    • ●河野通長 < 細井勝武の子
      • 細井勝通 ※a > 細井勝行の養子
      • ●河野通春
        • ●河野通賢 < 長谷川徳栄の子
          • 河野通明 ※b(2) < 通春の子
          • ●河野昌通 < 高山利勝の子
            • ●河野映通 < 三間政晴の子
        • 河野通明 ※b(1) >通賢の嗣子
      • 細井勝乗 > 細井勝通 ※a の養子
旧刊本 120

巻第六百十四

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§614-1

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河野
松庵 通久
家伝に河野刑部大輔通宣の子孫という。
  • 〔河野通宣―河野通長―河野通明―河野通縄―河野通幸〕

河野通幸(河野松安)が徳川家康に仕えて医師。
以後、奥医師を務め「河野松庵」「河野良以」「河野仙寿院」の名を継ぐ。

  • 河野治伝河野通縄
    • 女子(寿林尼) : 家光に老女として仕える。月俸100口
      • 河野通重 豊前守 ※a(2) : 廩米300俵 …―→ 河野勘右衛門通秀の家
    • 河野松安河野通幸[医]
      • 河野通宗[医]
        • 河野通重 ※a(1) > 大伯母・寿林の養子
        • 河野通房[医]
          • 河野通休[医]
            • 河野通頼[医]
              • 河野通久[医]
                • 河野通明
                • 森春久 > 森春松の養子
                • 町野幸寧 > 町野幸行の養子
                • 塙直挙 > 塙直博の養子
              • 栗本元格 > 栗本昌友の養子
              • 河野通敦(河野良碩)[医] > 河野通秀の養子、のち家に帰る
          • 遠藤常実 > 遠藤常安の養子
      • 河野正円
旧刊本 120

§614-2

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河野
勘右衛門 通秀
河野豊前守通重は大蔵卿通宗(614-1)の子。寿林尼の養子となる。
  • 河野通重# 勘右衛門・豊前守:佐渡奉行・京都町奉行
    • 河野通喬# : 勘定奉行・大目付・留守居
      • 河野通教
        • ●河野通秀* : 留守居番
          • 河野通敦 < 通頼の子、のち家に帰る
          • 河野通丼 < 酒井忠啓の子、のち家に帰る
          • 河野通致
      • 仁賀保誠陳 > 仁賀保誠胤の養子
      • 本田正鋪 > 本田章胸の養子
      • 織田規信 > 織田信守の養子
      • 桑山清和 > 桑山延晴の養子
      • 小菅国英 > 小菅武第の養子
      • 松平忠由 > 松平忠直(6-4)の養子
      • 大久保康寛 > 大久保康致の養子
旧刊本 122

巻615:庵原

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巻第六百十五

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§615-1

[編集]
越智氏
庵原
旧刊本 123

§615-2

[編集]
庵原
旧刊本 123

§615-3

[編集]
庵原
旧刊本 123

§615-4

[編集]
庵原
旧刊本 124

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 旧刊本では二百石とあるがNDL写本では三百石
  2. ^ 旧刊本では二千俵とあるがNDL写本では二百俵

出典

[編集]
  1. ^ 元和四 幕府、越後村上義明の所領を没収し、その家臣河野氏勝を御家人となし”. 信濃史料 巻二十二 元和元年(1615)~. 2022年9月11日閲覧。