黒田直綱
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黒田 直綱(くろだ なおつな、慶長5年(1600年) - 寛永元年4月19日(1624年6月4日))は、江戸時代初期の旗本。黒田光綱の子。通称は乙五郎、蔵人。官位は従五位下信濃守(元和元年7月)。
三河国八名郡黒田郷に住した。徳川家康に仕え、慶長19年(1614年)に小姓となり、大坂の陣両陣を戦う。元和元年(1615年)11月15日、伊豆国田方郡、相模国鎌倉郡・足柄下郡を加増され、もとからの三河国内1,000石と合わせて都合4,000石を領した。元和3年(1617年)に久能山東照宮の手水桶を奉納する。寛永元年に25歳で没し、養子の用綱(紀州藩士・近藤用勝の六男)が家督を継いだ。墓所は江戸浅草の新光明寺。