稲葉正知
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享2年(1685年) |
死没 | 享保14年5月29日(1729年6月25日) |
改名 | 宇右衛門(幼名)→正知 |
墓所 | 東京都文京区千駄木養源寺 |
官位 | 従五位下、従四位下、美濃守、丹後守、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 下総佐倉藩主→山城淀藩主 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 父:稲葉正往 |
兄弟 | 長男、正知、松平定直正室、小笠原長円正室 |
妻 |
正室:小笠原忠雄の娘 継室:今村氏の娘 |
子 | 正貞、正任、正房、有馬孝純正室 |
稲葉 正知(いなば まさとも)は、下総佐倉藩の第2代藩主、山城淀藩の初代藩主。正成系稲葉家宗家5代。官位は従五位下、従四位下、美濃守、丹後守、長門守。
生涯
[編集]貞享2年(1685年)、佐倉藩初代藩主稲葉正往の次男として京都で生まれる。幼名は宇右衛門。長兄が早世したために世子となり、宝永4年(1707年)8月21日に佐倉藩主となった。この時、義弟の稲葉正佐(叔父、父の養子になっていた)に3000石を分与している。佐倉藩の藩政では交通路の整備などに尽力した。
享保8年(1723年)5月1日、山城淀藩に移封となる。享保14年(1729年)5月29日、45歳で死去し、跡を三男の正任が継いだ。法号は万祥院。墓所は東京都文京区千駄木の養源寺。
系譜
[編集]父母
- 稲葉正往(父)
正室、継室
- 小笠原忠雄の娘(正室)
- 今村氏の娘(継室)
子女