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稲葉正知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉 正知
時代 江戸時代中期
生誕 貞享2年(1685年
死没 享保14年5月29日1729年6月25日
改名 宇右衛門(幼名)→正知
墓所 東京都文京区千駄木養源寺
官位 従五位下従四位下美濃守丹後守長門守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
下総佐倉藩主→山城淀藩
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉正往
兄弟 長男、正知松平定直正室、小笠原長円正室
正室:小笠原忠雄の娘
継室:今村氏の娘
正貞正任正房有馬孝純正室
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稲葉 正知(いなば まさとも)は、下総佐倉藩の第2代藩主、山城淀藩の初代藩主。正成系稲葉家宗家5代。官位は従五位下従四位下美濃守、丹後守、長門守。

生涯

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貞享2年(1685年)、佐倉藩初代藩主稲葉正往の次男として京都で生まれる。幼名は宇右衛門。長兄が早世したために世子となり、宝永4年(1707年)8月21日に佐倉藩主となった。この時、義弟の稲葉正佐(叔父、父の養子になっていた)に3000石を分与している。佐倉藩の藩政では交通路の整備などに尽力した。

享保8年(1723年)5月1日、山城淀藩に移封となる。享保14年(1729年)5月29日、45歳で死去し、跡を三男の正任が継いだ。法号は万祥院。墓所は東京都文京区千駄木の養源寺。

系譜

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父母

正室、継室

子女