松平重直
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長6年(1601年) |
死没 | 寛永19年11月28日(1643年1月18日) |
改名 | 千代松、重松(幼名)→重直 |
別名 | 孫次郎、長門(通称) |
官位 | 従五位下、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 出羽上山藩主→摂津三田藩主→豊後竜王藩主→豊後高田藩主 |
氏族 | 小笠原氏→能見松平家 |
父母 |
父:小笠原秀政 母:登久姫(峯高院、松平信康の娘) 養父:松平重忠 |
兄弟 | 小笠原忠脩、小笠原忠真、万姫(蜂須賀至鎮正室)、千代姫(細川忠利正室)、小笠原忠知、重直、小笠原忠慶、小笠原長俊、溝口政房、原昌行 |
妻 | 松平重忠の娘 |
子 | 英親、重長、直政、正方、娘(一柳直興正室)、娘(織田長政正室) |
松平 重直(まつだいら しげなお)は、江戸時代前期の譜代大名。出羽上山藩第2代藩主、摂津三田藩主、豊後竜王藩主、豊後高田藩初代藩主。杵築藩能見松平家6代。
生涯
[編集]信濃松本藩主・小笠原秀政の四男。母方の大叔父に当たる大御所・徳川秀忠の命により、能見松平家の松平重忠の婿養子となる。寛永3年(1626年)7月1日、養父が57歳で死去すると、直後に1万石の減封をもって摂津三田藩3万石に転封となった。
寛永9年(1632年)、7,000石加増の上で転封され、豊前国竜王(現在の大分県宇佐市安心院町)の竜王城跡地に竜王陣屋を構え竜王藩主となった。寛永14年(1637年)島原の乱に従軍する。寛永16年(1639年)高田城に本拠を移したことにより、豊後高田藩となった。寛永19年(1642年)没し、家督は長男の英親が継いだ。また信心深く、重直父子は宇佐神宮に700石を寄進している。
関連項目
[編集]- 三田城 - 三田藩主時代の居城