井関隆子
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井関 隆子(いせき たかこ、1785年7月26日(天明5年6月21日)[1] - 1844年12月10日(天保15年11月1日)[1])は、江戸時代後期に活躍した女流歌人、日記作者、物語作者。
来歴
[編集]幕臣で大番組の庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺り)に生まれる[1]。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚[1]。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚する[1]。2人の間に子はなかった[1]。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没する[1]。以後は本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったという[2]。天保9年(1838年)『さくら雄が物かたり』を書き終え[1]、天保11年(1840年)までに『神代のいましめ』を書き終える[1]。
天保11年1月1日から代表作『井関隆子日記』の執筆を開始し、天保15年(1844年)10月11日まで書き継いだ[1]。同年11月1日、死去[1]。
著書
[編集]- 『井関隆子日記』全12冊
- 『さくら雄が物かたり』 6巻1冊
- 『神代のいましめ』写本、墨付28葉
- 『いなみ野』吉海直人所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉
- 『井関隆子長短歌』
- 『秋野の花』に短歌が収録されている。また『井関隆子日記』にも800首ほどの長歌・短歌が収録されている。
- 『しのびね』写本、1冊
書写本
[編集]- 桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
- 蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
- 吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月、18-27頁。
- ^ a b c 深沢秋男『井関隆子の研究』[要ページ番号]和泉書院、2004年11月
- ^ 新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
- ^ 吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
- ^ 深沢秋男「井関隆子校注『しのびね』(静嘉堂文庫蔵)考」(『近世初期文芸』34号)
- ^ 吉海直人「〈新出資料〉井関隆子自筆『雅文』の影印と解題と紹介」(『文学研究』91号、2003年4月)
参考文献
[編集]- 『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月 - 1981年6月。
- ドナルド・キーン「井関隆子日記 (1)・(2)・(3)(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日 - 6日
- 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
- 深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月
- 真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
- 真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
- 真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
- 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
- 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
- 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
- 真下英信「『井関隆子日記』が綴られた頃の江戸の天候について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
- 真下英信「『井関隆子日記』天保15年4月29日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
- 真下英信「『井関隆子日記』 月の初日と末日の記述について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
- 真下英信「『井関隆子日記』天保11年7月3日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
- 深沢秋男「井関隆子校注『しのびね』(静嘉堂文庫蔵)考」『近世初期文芸』34号、2017年12月
- 真下英信「井関隆子の防災意識に学ぶ」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』35号、2018年3月
- 深沢秋男「『井関隆子日記』の日付訂正」『芸文稿』11号、2018年7月
- 深沢秋男「研究生活の思い出〔1〕井関隆子」『芸文稿』13号、2020年7月