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プローテシラーオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロテシラオスから転送)
テッサリアー地方の都市テーバイ英語版のコイン。ヴェールをまとったデーメーテール女神と、船と武装したプローテシラーオスが刻まれている。前302年から前286年頃[1]

プローテシラーオス古希: Πρωτεσλίαος, Prōtesilāos, ラテン語: Protesilaus)は、ギリシア神話の人物である。長音を省略してプロテシラオスとも表記される。「最初に跳んだ者」という意味[2]

ヘレネー求婚者の1人[3][4]トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の1人であり[5][6]、死の予言にひるむことなく最初にトロイアに上陸した勇気ある英雄として知られる[7][8][9]トラーキア地方のケルソネーソス(対岸のトルコダーダネルス海峡を形成するガリポリ半島)の先端部の都市エライウス英語版に有名な聖域があった[10][11][12][13][14]

系譜伝承

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プローテシラーオスは、一般的にホメーロス叙事詩イーリアス』をはじめとして、テッサリアー地方の都市ピュラケー英語版の王であるイーピクロスの息子とされている[5][3][6][9][15][16][17]。イーピクロスは麦の穂を踏んでも傷つけずに走ることが出来るという、神懸かり的な俊足で知られる英雄である[18][19][20]。ただし一部にはイーピクロスの父ピュラコスアステュオケーの子とされたり[21]、イーピクロスの兄弟アクトールの子とされることもある[22]

ヒュギーヌスによると母の名前はディオメーデー[9]ポダルケースと兄弟[5][17]

アカストスの娘ラーオダメイア[23][24][9][25][26][27]、あるいはメレアグロスの娘ポリュドーラーと結婚した[7]

神話

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トロイア戦争

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プローテシラーオスの故郷とされるテッサリアー地方の古代都市ピュラケー。
ヨーロッパニレ英語版。プローテシラーオスの墓の周りにはニレの木が植えられたという[注釈 1]

プローテシラーオスは絶世の美女であるスパルタ王女ヘレネーに求婚した際に、ヘレネーの夫となる男が結婚で被害を被ったときは必ず助力するという誓いを他の求婚者たちとともに立てた[3]。のちにヘレネーがトロイアの王子パリスに誘拐されると、プローテシラーオスはかつての誓約にしたがい、ポダルケースとともにピュラケーをはじめ、ピュラソス、イトーン、アントロン、プテレオスの軍勢40隻を率いてトロイア遠征に参加した[6][29][30]

伝えられるところによると、これは彼がラーオダメイアと結婚してからわずか1日後のことであった[31]。そのため、プローテシラーオスは故郷に建築途中の新居と新妻を残したまま、トロイアへ出発することになった[5]

ミューシアテーレポスとの戦いでは、プローテシラーオスがテーレポスから楯を奪う活躍をしたあと、アキレウスが槍で王の太股に深手を負わせた。戦闘後、アキレウスはテーレポスを破ったのは自分であるとして楯の所有権を主張したが、他のギリシア人は楯を奪ったプローテシラーオスの働きがアキレウスの戦功につながったとして、プローテシラーオスのものであると判定した[32]

テティスの予言と死

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しかしプローテシラーオスはトロイア上陸の際に命を落とすことになった。『イーリアス』によると、プローテシラーオスは全軍の中で最初に上陸しようとし、真っ先に船から飛び降りたところを敵軍の何者かによって討たれた[5]。そのため彼はトロイアの地に足を触れることすらかなわなかった[33]。戦死の知らせが故郷に届くと、彼の妻は両頬に爪痕がつくほど深く悲しんだ[5]

後代の伝承によると、プローテシラーオスが最初に上陸しようとしたのは次のような事情からであった。すなわちアキレウスの母神テティスが最初に上陸した者は必ず最初に戦死すると予言したため[8][注釈 2]、トロイア軍の攻撃を受けたにもかかわらず[34]、すべての戦士が船から降りて戦うのをためらった。そのためプローテシラーオスは誰よりも先んじて上陸して戦ったが、トロイア最大の武将であるヘクトールに討たれ、予言通りに最初の戦死者となった[23][9][35]。あるいはアイネイアースに討たれた[36]。一説によるとプローテシラーオスの本来の名前はイオラーオスであったが、誰もが躊躇する中で先陣を切って戦い、戦死したため、彼を称えてプローテシラーオスと呼んだという[9][注釈 3]。プローテシラーオスの遺体は海を渡ったケルソネーソスに埋葬され、墓の周りにはニュムペーたちがニレの木を植えた。伝説によるとトロイアの側に立っている樹々は早くに花を咲かせるが、プローテシラーオスの運命と同様に、すぐに樹頂の葉が枯れ落ちるという[38][39][40]

そのため『イーリアス』が始まったとき、プローテシラーオスはすでにこの世になく、彼の代わりにポダルケースがピュラケーの軍勢を指揮した。後にトロイア軍がギリシア軍の防壁を破って陣内に突入した際、両軍はプローテシラーオスの船の近くで激戦を繰り広げ、トロイアの将カレートールはプローテシラーオスの船に火を放とうとしたが、大アイアースに討たれた[41][42]

ラーオダメイア

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プローテシラーオスは妻ラーオダメイアのために冥府から現世に戻ったと伝えられている[23][9][25][43][44]。ラーオダメイアは戦死した夫を忘れることが出来ず、夫によく似た像を作って交わった[23]。あるいは3時間だけ夫に合わせてほしいと願った[9]。憐れに思った神々はヘルメースに命じてプローテシラーオスを冥府から連れ戻してやった。しかし再びプローテシラーオスが冥府に戻ったときラーオダメイアは自殺した[23][25][27][注釈 4]

異説

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コノーンの物語では、プローテシラーオスはトロイア戦争を戦い抜いたことになっている。戦後、プローテシラーオスは捕虜の中からプリアモスの姉妹アイテュラを戦利品として得たが、帰国の航海で嵐に遭い、カルキディケ半島のスキオーネー英語版メンデー英語版の間に漂着した。そこでプローテシラーオスたちが水を得るために上陸すると、アイテュラはその隙に他の捕虜とともに船に火を放った。プローテシラーオスは仕方なく帰国を諦め、都市スキオーネーを創建して移住した[46]

英雄崇拝

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ケルソネーソス。エライウスはその先端部。

いくつかの古代の文献はプローテシラーオスが英雄崇拝の対象となったことを伝えている。たとえば詩人ピンダロスは英雄の故郷であるピュラケーにプローテシラーオスの聖域があったことを歌っている[47]。特に有名なのはケルソネーソスの都市エライウスで、古代の多くの著述家が言及している。

ヘーロドトス

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歴史家ヘーロドトスによると、エライウスにはプローテシラーオスの墓があり、聖域として人々の尊崇を集め、神殿には金銀の盃、青銅製の様々な器具、衣類など莫大な財宝が奉納されていた[11]。この聖域はペルシア戦争のために大きな被害を被った。クセルクセース1世によってケルソネーソスの都市セストス英語版の総督に任命されたペルシア人アルタユクテースはクセルクセース1世を欺いて聖域の財宝を略奪し、聖域の土地を農地に変えた[11]。さらに神殿を別荘として私的に利用し、エライウスに出かけるたびに神殿に女を連れ込んでは淫らな行為に耽った[10][11]。しかしペリクレースの父であるクサンティッポス英語版率いるアテーナイ軍はアルタユクテースを攻撃して捕えた[10][48]。捕虜となったアルタユクテースを監視していたアテーナイ人が魚の塩漬けを焼いていると、突然魚が跳ねてビクビクと動いた。その光景を目にしたアルタユクテースは驚愕するアテーナイ人たちに対して「エライウスに坐すプローテシラーオスがすでに死んだ身でありながら、冒涜者に報復する力があることを私に示そうとしているのだろう」と言い、聖域から掠め取った財宝の賠償としてプローテシラーオスに100タラントンを奉納し、また解放されたなら自分と息子の身代金として200タラントンをアテーナイに支払うと約束した。しかしエライウスの住民はプローテシラーオスが受けた苦しみをその命でもって償わせるべくクサンティッポスに嘆願した。一方のクサンティッポスも同じ考えであったので[49]、クセルクセース1世が海峡に橋をかけた場所でアルタユクテースを磔刑に処し[10][49]、アルタユクテースの息子はその眼前で石打ちの刑に処した[49]。このアルタユクテースの末路はプローテシラーオスの罰と考えられていた[12]

アッリアーノス

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アッリアーノスの『アレクサンドロス東征記』によると、ペルシア東征に出発したアレクサンドロス大王はエライウスに到着するとプローテシラーオスの墓に犠牲を捧げた。このときアレクサンドロス大王は小アジアに上陸するにあたり、プローテシラーオスよりもいっそう武運に恵まれることを祈願したと伝えられている[14]

ピロストラトス

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ピロストラトスの時代でも、エライウスにはプローテシラーオスが埋葬されたとされる丘が残っていた。聖域に建っていた神殿はわずかな痕跡を残して失われていたが、プローテシラーオスの像は残っており、船首の形をした台座の上に立っていたという[39]。ピロストラトスの著書『ヘーローイコス』は、帝政ローマの時代にエライウスを訪れたフェニキア人が、プローテシラーオスの英雄霊と親交があるブドウ園の主人からトロイア戦争の話を聞くという体裁をとっている。したがってその内容はブドウ園の主人がプローテシラーオスから聞いた話として語られている。それによると、ブドウ園の主人のもとに現れるプローテシラーオスの霊はトロイア戦争で戦ったときと変わっておらず、せいぜい20歳ほどの青年で、心地よい香りをまとい、よく通る声と、屈強で軽快な身体を持ち、フェニキアの紫の染料で染められたテッサリアー風の外套を身にまとっている[50]。プローテシラーオスは毎月4回か5回ほどブドウ園の主人を訪れたといい、ラーオダメイアへの愛は今でも変わらず、思慮深く、よく笑い、暴力を振るうことはないが、力仕事をよく手伝ってくれ、農業の知識も豊かであった。普段は冥界か、故郷のプティーア、あるいはかつての同僚がいるトロイアで過ごしている[24]。プローテシラーオスは肺結核水腫眼病マラリアといった病気に苦しむ者を癒し、恋に悩む者には恋人の心に効果がある呪文や魔術を教えた[51]。トロイアで活躍することなく戦死したことについては、自らの悲運を嘆き、もし戦うことができていたら、アキレウスと大アイアースには劣るものの、ディオメーデースパトロクロス小アイアースには決して劣らなかっただろうと語ったという[33]

ポンポニウス・メラ

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ポンポニウス・メラ英語版は、プローテシラーオスの遺骨がケルソネーソスの神殿内に奉納されていたと述べている[52]

備考

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小惑星プロテシラオス英語版はプローテシラーオスの名前にちなんで命名された[53]

系図

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アイオロス
 
クスートス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
デーイオーン
 
ディオメーデー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アイアコス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミニュアース
 
アイネトス
 
アクトール
 
エーオース
 
ケパロス
 
プロクリス
 
アステロディアー
 
ポーコス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ピュラコス
 
 
 
クリュメネー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アルケイシオス
 
アウトリュコス
 
クリーソス
 
パノペウス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イーピクロス
 
 
 
 
 
アカストス
 
アルキメデー
 
アイソーン
 
 
 
ラーエルテース
 
アンティクレイア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ポダルケース
 
プローテシラーオス
 
ラーオダメイア
 
 
 
イアーソーン
 
 
 
 
 
 
 
オデュッセウス
 
 
 


脚注

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注釈

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  1. ^ 墓の周りにニレを植えるという話はアンドロマケーの父エーエティオーンについても述べられている[28]
  2. ^ 同様の予言はヒュギーヌスも言及しているが、誰が予言したのかは述べていない[9]
  3. ^ ただしプローテシラーオスの死は、新居を建築する際に神々を供儀しなかったため、神の怒りを買ったことが原因とする説もある[37]
  4. ^ オウィディウスは、ラーオダメイアはまだ遠征軍がトロイアに上陸する以前(プローテシラーオスが生きている頃)に、寂しさに耐えられずに蝋で夫の像を作ったとしている[45]

出典

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  1. ^ THESSALY, Thebai”. CNG. 2022年7月23日閲覧。
  2. ^ 高橋宏幸解説、p.153。
  3. ^ a b c アポロドーロス、3巻10・8。
  4. ^ ヒュギーヌス、81話。
  5. ^ a b c d e f 『イーリアス』2巻695行-710行。
  6. ^ a b c アポロドーロス、摘要(E)3・29。
  7. ^ a b キュプリア』断片(パウサニアース、4巻2・7による言及)。
  8. ^ a b アポロドーロス、摘要(E)3・29。
  9. ^ a b c d e f g h i ヒュギーヌス、103話。
  10. ^ a b c d ヘーロドトス、7巻33。
  11. ^ a b c d ヘーロドトス、9巻116。
  12. ^ a b パウサニアース、3巻4・6。
  13. ^ パウサニアース、1巻34・2。
  14. ^ a b アッリアノス『アレクサンドロス東征記』1巻11。
  15. ^ パウサニアース、4巻36・3。
  16. ^ パウサニアース、5巻17・10。
  17. ^ a b クレタのディクテュス、1巻14。
  18. ^ ヘーシオドス断片61(『オデュッセイアー』11巻326行への古註)。
  19. ^ ヘーシオドス断片62(『イーリアス』2巻695行へのエウスタティオス注解)。
  20. ^ ヘーシオドス断片63(『イーリアス』20巻227行への古註bT)。
  21. ^ エウスタティオス『イーリアス注解』323・41。
  22. ^ ヘーシオドス断片154d(Berlin Papyrus 9739 col.III)。
  23. ^ a b c d e アポロドーロス、摘要(E)3・30。
  24. ^ a b ピロストラトス『ヘーローイコス』11。
  25. ^ a b c ヒュギーヌス、104話。
  26. ^ ヒュギーヌス、256話。
  27. ^ a b ヒュギーヌス、243話。
  28. ^ 『イーリアス』6巻419行–420行。
  29. ^ クレタのディクテュス、1巻17。
  30. ^ プリュギアのダレース、14。
  31. ^ エウリーピデース断片(アリステイデース、671行への古註による『プローテシラーオス』の言及)。
  32. ^ ピロストラトス『ヘーローイコス』23。
  33. ^ a b ピロストラトス『ヘーローイコス』12。
  34. ^ アポロドーロス「サバス本」摘要(E)3・29。
  35. ^ オウィディウス『変身物語』12巻。
  36. ^ クレタのディクテュス、2巻11。
  37. ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.223b。
  38. ^ ビューザンティオンのアンティピロス(『パラティン詞華集英語版』による引用)。
  39. ^ a b ピロストラトス『ヘーローイコス』9。
  40. ^ スミュルナのクイントゥス、7巻。
  41. ^ 『イーリアス』15巻419行-441行。
  42. ^ パウサニアース、10巻14・2。
  43. ^ ヒュギーヌス、251話。
  44. ^ ピロストラトス『ヘーローイコス』2。
  45. ^ オウィディウス『ヘーローイデス』第13歌151行-158行。
  46. ^ Portions 186. "Conon, Narrations,"13”. The Tertullian Project. 2022年7月23日閲覧。
  47. ^ ピンダロス『イストミア祝勝歌』第1歌58行-59行。
  48. ^ ヘーロドトス、9巻119。
  49. ^ a b c ヘーロドトス、9巻120。
  50. ^ ピロストラトス『ヘーローイコス』10。
  51. ^ ピロストラトス『ヘーローイコス』16。
  52. ^ ポンポニウス・メラ、2巻26。
  53. ^ (3540) Protesilaos = 1973 UF5 = 1978 GJ2 = 1985 VO1”. MPC. 2022年7月28日閲覧。

参考文献

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