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さまぁ〜ず

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さまぁーずから転送)
さまぁ~ず
メンバー 三村マサカズ
大竹一樹
結成年 1988年4月
事務所 ホリプロ
活動時期 1989年4月 -
出会い 東海大学付属高輪台高等学校
旧コンビ名 バカルディ
旧トリオ名 しゃぶしゃぶ
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 コント漫才
ネタ作成者 両者
(大竹がネタの大半を書き、三村がツッコミを考える)
現在の代表番組 レギュラー番組
Qさま!!
モヤモヤさまぁ〜ず2
スペシャル番組
内村&さまぁ〜ずの初出しトークバラエティ 笑いダネ
過去の代表番組 笑っていいとも!
リンカーン
さまぁ〜ず×さまぁ〜ず
同期 爆笑問題
月亭方正
江頭2:50など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
2003年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
2014年 ベストジーニスト協議会選出部門
テンプレートを表示
さまぁ〜ず
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年8月12日 -
ジャンル バラエティ
登録者数 70万人
総再生回数 174,009,718回
事務所(MCN ホリプロ
ジーヤマ
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年6月9日時点。
テンプレートを表示

さまぁ〜ずは、ホリプロに所属する三村マサカズ大竹一樹からなる日本お笑いコンビYouTuber司会者。キャッチコピーは「東のコント職人」。2人とも東京都墨田区出身。

メンバー

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三村 マサカズ(本名:三村 勝和〈みむら まさかず〉1967年6月8日[1] - )(57歳)
身長165 cm、血液型A型。
ツッコミ(ネタによってはボケ)・ネタのツッコミ作り担当。強めのセクハラ担当でもある。
妻と長女、長男がいる。
大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日[1] - )(56歳)
身長170 cm、血液型O型。
ボケ(ネタによってはツッコミ)・ネタの原案作り担当。ユルめのセクハラ担当でもある。
妻はフリーアナウンサーおよび元フジテレビアナウンサーの中村仁美で、息子が3人いる。

来歴・人物

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デビュー前

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2人とも東海大学付属高輪台高等学校に単願推薦で入学し、2年生の時に同じクラスとなったことが出会ったきっかけ[2]坂上忍も同級生だったが、2人と知り合う以前に中退していたため芸能界で初対面となった。

1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生から連れられホリプロの事務所へ見学に訪れたのがきっかけで、お笑いの道を進むことになった。デビュー当初は元同級生・大竹・三村によるトリオ「しゃぶしゃぶ」を組むも、短期間で解散。後に東海大学文学部北欧文学科ノルウェー語専攻在学中だった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。だがその友人も程なくして脱退した。

バカルディ時代

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1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演してコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[注 1])」として本格的な活動を開始。コンビ名は、ネタを考えていた際に着ていたバカルディのTシャツが由来。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」の意味も込められている[注 2]。同期に田口浩正小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたコンビ「テンション」などがいる[3]

1990年代前半、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオなどで活躍する。同時期に人気を博したホンジャマカと共に当時の人気力士に準えて「お笑い界の」とも称され、各局でレギュラー番組を持った。しかし、『大石恵三』(フジテレビ)がわずか半年で打ち切りになると1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減少、不遇の時期を過ごす。当時『ボキャブラ天国』(フジテレビ)の出演を打診されるも大竹は断った。ボキャブラブームの到来後、再度の途中出演を打診されたが「一度決めたことを今更変えられない」という思いを固持し続け、番組終了まで『ボキャブラ天国』の出演はなかった。その後は主な活動を舞台へ移し、コンスタントなライブ活動を続けていた。

さまぁ〜ず時代

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2000年出演『新ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)の企画において、コンビ名を現在の「さまぁ〜ず」へ強制的に改名させられた(後述)。これを足がかりとして再び世間の注目を受け始め、三村独特の「〜かよ!」に代表されるツッコミ(通称「三村ツッコミ」)が認知され再ブレイク。ここから徐々に活動の場を広げていった。

2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中でゴールデンタイムから深夜番組まで八面六臂の活躍ができる中堅芸人としてテレビを中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[4]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[5]

2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員を務めた。

2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員を担当。

2014年7月、日本テレビ系で『ネリさまぁ〜ず』が開始。NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ[6]

同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞[7]

2015〜2020年まで、同じ事務所の後輩であるバナナマンと共にコンビでキングオブコント決勝の審査員を担当していた。

2020年8月12日、YouTubeチャンネルさまぁ〜ずチャンネル」を開設[8][9][10]

芸風

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深夜帯のトーク系バラエティ番組が多いため、テレビタレントとしてのさまぁ〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。

ネタは主にコントで、ネタ作りは共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「〜かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンによる漫才の芸風に似ていると言える。「〜かよ!」は三村の持ちネタだと思われがちだが、大竹も使っている。

毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブは、チケットが即日完売するほど人気・評価が高い[11]。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考え、多くのレギュラー番組を持っている現在でもコントライブへ重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。テレビではコントをベースとした漫才(コントで用いる道具を使わないなど)を披露することもある。他にも大竹の考えたダジャレをコントのネタに織り込んだり、提示されたフリップに対して三村がひたすら「○○かよ!」とツッコむネタもテレビで披露することがある。

即興芸の場では2人とも下ネタを好み、セクハラネタも多い。下ネタ・セクハラが多すぎたあまりBPOに苦情まで来たこともあるものの、オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[12]、情報誌『日経エンタテインメント!』(日経BP)が毎年行なっている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差はそれほどない[13]。また同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[13]

漫才の際、登場時のツカミとして汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ〜ず!」と名乗るものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ〜ず!」となる)。この原案を考えたのは有田哲平(海砂利水魚、現・くりぃむしちゅー)(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はツカミをやらず苦笑いで無視し、三村に「やれよ!」とツッコまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBESUMMER CITY』などが使われる。

デビュー当時は現在とボケ・ツッコミが逆だったものの、三村がボケたと自覚している笑顔が不評であったためツッコミを担当するようになった。元々はコント以外のフリートークやバラエティ番組などでもボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演以降はこうした番組では2人が等しくボケ合ったり、大竹がツッコミへ回る機会も多くなった。これについて三村は「以前は良いボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[14]

1990年代前半から単独ライブをソフト化しており、当時では先進的な試みであった。

かつてゲスト出演した『グータンヌーボ』(関西テレビ)では、「ボケがドSでツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出ていた(精神科医・名越康文による)。実際にネタでも大竹の理不尽な連続ボケに三村が対応しきれず、慌てふためいたところに笑いが起こるといった状態がよく見られる。

多数の冠番組を持つものの、MCには苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言しており、それは周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)などMCの番組進行は、強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ〜ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見が一致している(3人目の例として、『Qさま!!』での清水俊輔アナを挙げている)[3]

エピソード

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  • 楽屋が同室(『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』など2人だけでトークする一部の番組を除く[15])だったり、新幹線飛行機など移動の際にも隣同士で座るなど「仲が良い」と言われることが多い。後者に関して大竹は「隣に知らないおじさんが来るより"知ってるおじさん"が来た方がいい」と述べている。
  • 喧嘩なども少ないが、「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[16]
  • 「大竹は神経質で潔癖症。三村はガサツでおおらか」というイメージがあるが、実際は三村もかなり神経質であり、三村が物凄く気にすることを逆に大竹が一切気にしないこともある。
  • 低迷期の頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い聞かせていた[3]
    • あくまで本業はお笑いだと、お笑い系でない仕事は多く断っており社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[16]
    • その間の三村はほぼ手しか映らないようなレポーターなど、やや毛色の違う分野での活動でコンビを支えた[注 3]。一方、大竹は地上波といったバラエティ番組(日本テレビ『ジャムパラ』など)の構成を担当していたこともあった。
    • コンビ愛は極めて強く、三村は『いろもん』(日本テレビ)においてピンでの出演時を「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[3]
    • 出川哲朗はさまぁ〜ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記の逸話を好むが、大竹曰く「(レポーターなどの)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていた訳ではない」と語っている[14]
  • 2人の身長差はないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している(三村は165cm、大竹170cm)。
  • 若手時代、三村が寝坊し、大竹がベランダ(当時1階のアパートに住んでいた)から「おい!起きろ!遅刻するぞ!」と起こしに来たが、寝起きで機嫌が悪かった三村は「高飛車な態度で起こすな!」と言ってしまい、その言葉に大竹がキレて窓に並べてあったあらゆる赤べこを三村に向かって投げつけ、先に行ってしまい、三村は内心「待って…」と思ったという。
  • 冠番組のタイトルには、ほぼ全てコンビ名もしくは「さまぁ〜ず」をモジったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見た際に誰が出ている番組かすぐ分かるようにするためと、これならさまぁ〜ずに興味の無い人は見ようとしないという大竹の戦略によるもの。これを続けている以上ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと2人は語っている[3]
  • テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青、三村は赤が多い(「トゥルルさまぁ〜ず」のみ、大竹はピンク)。
  • 伊集院光は、『大石恵三』が視聴率の低迷で打ち切られたことがバカルディ時代の不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[16]
  • 1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史ナインティナイン)は当時から三村を「関東一のツッコミ」と称賛し、各所で三村のまねを披露していたが当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されるのは稀だった。また、『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の『ビートたけしの!こんなはずでは!!』(テレビ朝日)のレギュラーであったため出演を自粛した時期がある)。これらもまたさまぁ〜ずが後に再び脚光を浴びる下地となっており、メンバーたちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[16]
  • 2人とも学生時代からビートたけしを憧れの芸人としている[3]。また、北野武監督作品のファンとも公言している。芸人としてはとんねるずウッチャンナンチャン(特に内村光良を大変尊敬している)から、タレントとしてはタモリ、芸風としてはダウンタウンの影響が強い。芸人では唯一、とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代の3組と、昔から現在までそれぞれ交流を持っている。
  • 所ジョージは、バカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いと思うだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している[3]
  • 下ネタ・セクハラも辞さず「エロ芸」の域まで高めている2人だが、『モヤモヤさまぁ〜ず2』(テレビ東京)でアシスタントだった大江麻理子アナは「さまぁ〜ずのお2人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[16]。しかし前述の通り、その芸風でBPOに苦情が寄せられたこともある[17]
  • ズージャ語、所謂「業界用語」を戯けて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。
  • 出川哲朗・ネプチューンキャイ〜ンよゐこTIMらと共に「ウンナンファミリー」と呼ばれている[18]
  • 2010年、リリースしたさまぁ〜ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品として良かったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。
  • 携帯電話の普及後間もなく2人で一緒に契約したため、電話番号が2数字しか違わない。そのためお互いが相手の番号を覚えている[19]
  • 2人とも好きなミュージシャンはサザンオールスターズで共通しており、桑田佳祐とも交流がある[20]
  • 2人とも同じ美容室に通っている。また、偶然だが同じ美容室通いの芸能人には桑田・原由子夫妻がいる[21]
  • 桑田は2人の才能を認めており、『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ)の収録中に前述の美容院の美容師を通して「なんかいいボケがないか、大竹ちゃんに訊いてくれる?」と尋ねたこともあったといい、収録では大竹が提案したボケを行なったもののオンエアではその部分がカットされたという逸話が存在する[20]。また三村は自身がデザインしたTシャツを桑田へプレゼントしたことがあり、サザンの映像作品にも桑田がそのTシャツを着た姿が映されている[22][23]
  • コンビ揃って熱狂的な読売ジャイアンツのファンである。

改名のエピソード

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バラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技故に試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決だった2000年10月20日放送分にて陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは、半年間(後にもう半年延長)「さまぁ〜ず」として活動する憂き目に遭った。

「さまぁ〜ず」というコンビ名の由来は同番組内での「名前は好きなものにあやかった方が良い」という会話の中で、大竹が「俺は一年中夏で良い」と答えたこと。それを受けて対戦相手である有田が「サマーズ」という案を出し、脱力感のあるひらがなと「〜」の表記が良いという内村のアイディアが加わって命名された。2人は「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり改名決定直後は大きな抵抗があった。しかし事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などが瞬く間に「さまぁ〜ず」へと移行された。

当初改名は期間限定の予定だったがその期限が過ぎる頃になるとついにブレイクし、「さまぁ〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日、「さよならさまぁ〜ず」と題して番組初の生放送によりバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間内で間に合わず終了。その翌週さまぁ〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「物凄い葛藤があったから」と三村は語っており、放送翌日から「さまぁ〜ず」として腹を括ったとのこと[24]。後のビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田が、さまぁ〜ずが負けたら個々の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」へ改名させられた。

しかし、芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、両コンビ(特にさまぁ〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。

出演

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テレビ番組

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現在の出演番組

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レギュラー
不定期出演
スペシャル

過去の出演番組

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「バカルディ」時代を含む。

レギュラー
不定期出演・その他
スペシャル

ネット番組

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ラジオ

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CM

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映画

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舞台

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  • ハンブン東京(2007年11月16日 - 18日)
  • こどもさんかん日(2008年11月26日 - 30日)
  • エルダーソルジャーズ(2009年11月26日 - 12月1日)

ゲーム

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作品

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DVD

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  • バカルディライヴV せんたくもん(ハゴロモ) (1994年、全労済ホールスペース・ゼロ)絶版
  • バカルディライヴX 〜サラダで白飯くえねーよ!(ポニーキャニオン)(1997年、銀座博品館劇場
  • バカルディライヴ なまたまごかけ御飯(ポニーキャニオン)(1998年、青山円形劇場
  • バカルディライヴXII 少年と犬と公園と私(ポニーキャニオン)(1999年、新宿シアターアプル)
  • 冬なのにさまぁ〜ずライブ(ポニーキャニオン)(2000年、朝日生命ホール
  • さまぁ〜ず ライブ2(ポニーキャニオン)(2001年、グローブ座
  • さまぁ〜ず ライブ3(ポニーキャニオン)(2002年、天王洲アートスフィア
  • さまぁ〜ず/バカルディライブ DVD-BOX(ポニーキャニオン)(ライヴXからさまぁ〜ずライブ3までのDVDをまとめたもの。マイナスターズのCD付き)
  • さまぁ〜ず ライブ4(ポニーキャニオン)(2003年、天王洲アートスフィア)
  • さまぁ〜ず ライブ5(ポニーキャニオン)(2005年、原宿クエストホール)
  • さまぁ〜ず ライブ6(ポニーキャニオン)(2007年、恵比寿ザ・ガーデンホール)
  • さまぁ〜ず ライブ7(ポニーキャニオン)(2009年、恵比寿ザ・ガーデンホール、初回限定版はおまけ付き)
  • さまぁ〜ず ライブ8(ポニーキャニオン)(2011年、天王洲 銀河劇場、初回限定版はおまけ付き)
  • さまぁ〜ず ライブ9(ポニーキャニオン)(2013年、天王洲 銀河劇場、初回限定版はおまけ付き)
  • さまぁ〜ず ライブ10(ポニーキャニオン)(2015年、天王洲 銀河劇場、特別版は製作日記(ブックレット)付)
  • さまぁ〜ず ライブ11(ポニーキャニオン)(2017年、天王洲 銀河劇場、通常版と特別版)
  • さまぁ〜ず ライブ12(ポニーキャニオン)(2020年、東京芸術劇場、通常版と特別版)
  • さまぁ〜ず ライブ13(ポニーキャニオン)(2022年、東京芸術劇場、通常版と特別版)
  • ライブミランカ さまぁ〜ずトークLIVE 三村もいるよ! (2006年、原宿BlueJayWay)
    • ミランカVOD配信されていたソフトのDVD化。ネオから発売。
  • さまぁ〜ずの笑ってキレイ!(ビデオヘッドクリーナ内収録、TDK
  • バカルディーの通販コント「ほっぷ、すてっぷ、じゃんぷ通信販売&契約」(1991年、啓発用ビデオ(社)日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会 [1])一般流通はしていない。

CD

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  • ヤリー BE GOOD!(1998年07月23日) - ヤリリン・クリリン名義、プロミスCMソング
  • 逆境ファイター(2006年7月19日、コーラス、所ジョージアルバム「安全第二」収録、総合格闘家・所英男入場曲)
  • 「NO PLAN」として、シングル2枚、アルバム3枚、DVD3枚リリース。
  • 「マイナスターズ」として、シングル・アルバム・DVDを1枚ずつリリース。

書籍

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  • さまぁ〜ずの悲しいダジャレ(2003年、宝島社
  • RUN! DOG! RUN! さまぁ〜ずの紙コント(2003年、角川書店
  • ドッグとキャットとトリとほか(2003年、光文社
  • さまぁ〜ずの悲しい俳句(2004年、宝島社)

Youtubeチャンネル

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脚注

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注釈

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  1. ^ 例として、ジャンプ・コミックスこちら葛飾区亀有公園前派出所』第78巻巻末に2人がコメントを寄せた際は、この表記が用いられていた。
  2. ^ 象印クイズ ヒントでピント』にゲスト出演した際、コンビ名の由来を尋ねられた大竹は「最初は『バカ』というコンビ名にしようと思った」と語っている。
  3. ^ 発足したてのフジテレビ739で毎週土曜昼過ぎから放送されていた『CXスポーツサンデー』では三村のみが出演(MC)。
  4. ^ この回で三村が総合優勝を果たした。

出典

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  1. ^ a b ホリプロオフィシャルサイト さまぁ〜ず”. ホリプロ. 2011年7月12日閲覧。
  2. ^ いろもん弐』1999年10月29日放送回、日本テレビ
  3. ^ a b c d e f g QuickJapanvol.85 「22年目のさまぁ〜ず」内の20000字インタビューより
  4. ^ GOLDEN ARROW AWARDS 受賞者一覧”. 社団法人日本雑誌協会. 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月12日閲覧。
  5. ^ 「人気者の賞味期限『PARTお笑い芸人編 芸歴15〜20年「ミドル世代」が人気のワケは?』」『日経エンタテインメント!』第12巻第5号、日経BP社、2008年4月、p.42。 
  6. ^ “さまぁ〜ず、地上波全局同時レギュラー! 日テレで4年ぶり新バラエティー”. ORICON STYLE. (2014年7月9日). https://www.oricon.co.jp/news/2039564/full/ 2014年7月30日閲覧。 
  7. ^ “ベストジーニスト キスマイ藤ケ谷&ローラが受賞!マー君は特別賞”. スポニチ. (2014年10月9日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/10/09/kiji/K20141009009071940.html 
  8. ^ “さまぁ~ずのYouTubeチャンネル開設「今年の夏は面白くなるためならNGなし!」”. お笑いナタリー (ナターシャ). (2020年8月12日). https://natalie.mu/owarai/news/391630 2020年8月12日閲覧。 
  9. ^ 【さまぁ~ず】YouTubeチャンネル開設』(プレスリリース)株式会社ホリプロ、2020年8月12日https://prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000000296.000028143.html2020年10月20日閲覧 
  10. ^ HoriPro Inc. / 株式会社ホリプロ [@HORIPROMEGURO] (2020年8月12日). "さまぁ〜ずチャンネル!!! t.co/yJcsQdjcaq #さまぁ〜ず #三村マサカズ #大竹一樹 #さまぁ〜ずチャンネル #YouTube @hentaimimura @taketakeyakiimo". X(旧Twitter)より2020年10月20日閲覧
  11. ^ 大竹の「M-1グランプリ2010」登場時の紹介ナレーション
  12. ^ “好きな男性芸人は「世界のナベアツ」と「チュートリアル」が同率首位”. オリコン. (2008年7月9日). http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/56184/full 
  13. ^ a b 「2008年版お笑い芸人人気ランキング 好きな芸人嫌いな芸人」『日経エンタテインメント!』第12巻第8号、日経BP社、2008年4月、pp.36,37。 
  14. ^ a b 雑誌「QuickJapan」(第74号、2007年10月刊)のインタビューにて。
  15. ^ 「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず DVD-BOX (1・2)」特典DVDなど。
  16. ^ a b c d e 日刊スポーツ、2011年7月10日付紙面 p.10
  17. ^ 2016年11月に視聴者から寄せられた意見 【番組全般・その他】
  18. ^ QuickJapan vol.88 ウッチャンナンチャンのインタビューより
  19. ^ 2013年5月4日 『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』
  20. ^ a b 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐」P133 - 135より。 角川書店 2011年
  21. ^ 三村マサカズ @hentaimimura 2015年4月30日6:21 のツイート
  22. ^ 2016年3月4日のツイート
  23. ^ 2016年1月9日のツイート
  24. ^ 「ウンナンの気分は上々。ベストセレクション」p142-
  25. ^ "「キングオブコントの会」はオール新作コント祭!松本人志の2作含む12作品". お笑いナタリー. ナターシャ. 2021年6月3日. 2022年3月23日閲覧
  26. ^ さまぁ~ずが太鼓判 フジ新人・宮司アナ「下ネタ、ウェルカムです!」”. ORICON STYLE (2015年10月5日). 2015年10月5日閲覧。
  27. ^ Inc., Natasha,. “さまぁ~ずがワンテイクドラマに挑戦、のん、芦名星ら豪華ゲストと反省会も(動画あり / コメントあり) - お笑いナタリー”. お笑いナタリー. 2018年4月20日閲覧。
  28. ^ “さまぁ~ず、ダリ展の応援団に就任「だり(誰)よりも光栄」”. お笑いナタリー. (2016年8月25日). https://natalie.mu/owarai/news/199306 2016年8月25日閲覧。 
  29. ^ 「サッポロ The DRAFTY」新CM放映のお知らせ”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2021年12月28日閲覧。
  30. ^ “「ムーミン」声優にさまぁ〜ず!三村「俺らにピッタリ」”. シネマトゥデイ. (2014年12月19日). https://www.cinematoday.jp/news/N0069213 2014年12月19日閲覧。 
  31. ^ Wii アッコでポン!~イカサマ放浪記~|キャラクター”. 2020年3月15日閲覧。

関連項目

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  • マイナスターズ - 自身のコントライブから派生したバンド。
  • NO PLAN - 『内村プロデュース』から誕生したさまぁ〜ず参加の歌手ユニット。
  • ミドル3 - 『アメトーーク!』 の特番内で使用している3組のお笑いコンビの総称。

外部リンク

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