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[[ヒュギーヌス]]によるとペレースとメルメロスはメーデイアに命じられて、魔法の冠を花嫁のクレウーサに持って行かせ、この冠によってクレウーサとクレオーン、イアーソーンは焼け死に、その後でペレースとメルメロスもメーデイアに殺されたと述べている<ref name=Hy_25 /><ref name=Hy_239 />。 |
[[ヒュギーヌス]]によるとペレースとメルメロスはメーデイアに命じられて、魔法の冠を花嫁のクレウーサに持って行かせ、この冠によってクレウーサとクレオーン、イアーソーンは焼け死に、その後でペレースとメルメロスもメーデイアに殺されたと述べている<ref name=Hy_25 /><ref name=Hy_239 />。 |
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[[パウサニアス]]によると、幼いペレースとメルメロスはメーデイアの言いつけで毒の贈物をグラウケーに持って行った。しかしその贈物が原因でグラウケーが死んだとき、2人はコリントスの人々に[[石打ち]]の刑で殺された<ref name=Pa_2_3_6>パウサニアス、2巻3・6。</ref>。死後、ペレースとメルメロスは[[亡霊]]となって子供たちを殺したため、コリントスの人々は毎年2人に犠牲を捧げ、またコリントスの子供たちは自分の髪を切り、黒衣に身を包んだ。供儀は前146年の[[コリントスの戦い]]で[[ローマ人]]が市を破壊するまで続いたという<ref>パウサニアス、2巻3・7。</ref>。なお、コリントスには2人の合葬墓があった<ref name=Pa_2_3_6 />。別の説ではメーデイアは子供を[[不死]]にするために[[ヘーラー]][[神殿]]に隠したが、それを知ったイアーソーンはコリントスを去り、メーデイアもコリントスを[[シーシュポス]]に譲って去った<ref>パウサニアス、2巻3・11。</ref>。 |
[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]によると、幼いペレースとメルメロスはメーデイアの言いつけで毒の贈物をグラウケーに持って行った。しかしその贈物が原因でグラウケーが死んだとき、2人はコリントスの人々に[[石打ち]]の刑で殺された<ref name=Pa_2_3_6>パウサニアス、2巻3・6。</ref>。死後、ペレースとメルメロスは[[亡霊]]となって子供たちを殺したため、コリントスの人々は毎年2人に犠牲を捧げ、またコリントスの子供たちは自分の髪を切り、黒衣に身を包んだ。供儀は前146年の[[コリントスの戦い]]で[[ローマ人]]が市を破壊するまで続いたという<ref>パウサニアス、2巻3・7。</ref>。なお、コリントスには2人の合葬墓があった<ref name=Pa_2_3_6 />。別の説ではメーデイアは子供を[[不死]]にするために[[ヘーラー]][[神殿]]に隠したが、それを知ったイアーソーンはコリントスを去り、メーデイアもコリントスを[[シーシュポス]]に譲って去った<ref>パウサニアス、2巻3・11。</ref>。 |
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===系図=== |
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* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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* [[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年) |
* [[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年) |
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
2021年11月15日 (月) 10:56時点における版
ペレース(古希: Φέρης, Pherēs)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してペレスとも表記される。主に、
の2人が知られている。以下に説明する。
クレーテウスの子
このペレースは、テッサリアーのイオールコスの王クレーテウスとテューローの子で、アイソーン、アミュターオーンと兄弟[1]。ペリアース、ネーレウスとは異父兄弟[2]。アドメートス、リュクールゴス[3]、エイドメネー[1]、ペリオーピスの父[4]。
ペレースはテッサリアーのペライ市の創建者である。子供のうちリュクールゴスはネメアーの王となり[3]、アドメートスはペライの王権を継承した[5]。エイドメネーはアミュターオーンと結婚し、メラムプース、ビアース[1]、アイオリアー[6]、ペリメーレーの母となった[7]。ペリオーピスは一説にパトロクロスの母であるといわれる[4]。
系図
イアーソーンの子
このペレースは、イアーソーンとメーデイアの子で、メルメロスと兄弟である。
コルキスからギリシアに帰ってきたイアーソーンはコリントスに住み、メーデイアとの間にペレースとメルメロスも生まれた。しかしコリントスの王クレオーンは娘のグラウケー(クレウーサとも[8][9])とイアーソーンを結婚させようとし、イアーソーンもこれを受け入れて、メーデイアと離婚した。このためメーデイアはグラウケーに毒の長衣(ペプロス)を贈ってクレオーンとともに焼き殺し、さらにペレースとメルメロスを殺した。あるいはメーデイアは逃げるときに子供たちをヘーラーの祭壇に残したので、コリントス人たちに殺されたともいわれる[10]。
ヒュギーヌスによるとペレースとメルメロスはメーデイアに命じられて、魔法の冠を花嫁のクレウーサに持って行かせ、この冠によってクレウーサとクレオーン、イアーソーンは焼け死に、その後でペレースとメルメロスもメーデイアに殺されたと述べている[8][9]。
パウサニアスによると、幼いペレースとメルメロスはメーデイアの言いつけで毒の贈物をグラウケーに持って行った。しかしその贈物が原因でグラウケーが死んだとき、2人はコリントスの人々に石打ちの刑で殺された[11]。死後、ペレースとメルメロスは亡霊となって子供たちを殺したため、コリントスの人々は毎年2人に犠牲を捧げ、またコリントスの子供たちは自分の髪を切り、黒衣に身を包んだ。供儀は前146年のコリントスの戦いでローマ人が市を破壊するまで続いたという[12]。なお、コリントスには2人の合葬墓があった[11]。別の説ではメーデイアは子供を不死にするためにヘーラー神殿に隠したが、それを知ったイアーソーンはコリントスを去り、メーデイアもコリントスをシーシュポスに譲って去った[13]。
系図