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{{Otheruseslist|日本で死刑が確定した歴代の死刑囚の一覧(2000年 - 2009年)|現在日本で収監中の死刑囚|日本における収監中の死刑囚の一覧|死刑が執行された元死刑囚|日本における被死刑執行者の一覧|獄死・恩赦のため死刑が執行されなかった死刑囚|日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧}} |
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'''日本における死刑囚の一覧 (2000-2009) '''は、[[2000年]]([[平成]]12年)から[[2009年]](平成21年)の[[日本]]で、[[裁判|刑事裁判]]によって[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡され、[[確定判決|確定]]した[[死刑囚]]の一覧記事である。 |
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2021年9月6日 (月) 09:06時点における版
日本における死刑囚の一覧 (2000-2009) は、2000年(平成12年)から2009年(平成21年)の日本で、刑事裁判によって死刑判決を言い渡され、確定した死刑囚の一覧記事である。
2000年 - 2004年
2000年死刑確定囚(6人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
千葉・高知連続強盗殺人事件 (K) | 2000年2月4日 | 1983年8月 1989年2月 |
1947年(昭和22年)5月21日生まれ[1][2]。 高知地裁(隅田景一裁判長)で1994年2月23日に死刑判決を受け、高松高裁(米田俊昭裁判長)で1995年3月30日に控訴棄却判決[2]。 2000年2月4日に最高裁第二小法廷[1](北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[2]。 2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行(58歳没)[2]。 |
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) | 2000年2月24日[3] | 1996年4月 - 9月 | 1962年(昭和37年)4月生まれ・宮崎県宮崎市出身[4]。広島県(広島市およびその周辺)で女性4人を相次いで絞殺し、死体を山中に遺棄した。 2000年2月9日に広島地裁(戸倉三郎裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず死刑が確定[2]。2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没)[2]。 |
福岡・赤池町保険金殺人事件 (O) | 2000年3月30日 | 1990年12月25日・26日 | 2000年3月15日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、同年3月30日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[2]。2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[2]。 |
京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M) | 2000年4月4日 | 1990年9月 1991年9月 |
1951年(昭和26年)2月3日生まれ[2]。2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中(現在73歳)[6]。 実兄(自殺)と共謀して1990年に京都府城陽市で従兄弟(当時36歳)を殺害し、1991年にも滋賀県東浅井郡湖北町(現:長浜市)で知人女性(当時66歳)を殺害した[7]。共犯の兄(主犯とされる)は逮捕前に自殺[2]。 2件の強盗殺人罪に問われ、1993年9月17日に大津地裁(土井仁臣裁判長)で死刑判決を受け、1996年2月21日に大阪高裁(朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決[2]。 2000年4月4日に最高裁第三小法廷[1](奥田昌道裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[2]。 弁護団は「胎児性水俣病に由来する知的障害で、裁判手続きを理解できない」と主張して再審請求している[8](2020年2月時点で大津地裁に第8次再審請求中)[7]。 アムネスティ・インターナショナル日本支部は2013年の報告書で死刑囚Mについて「大阪拘置所内で車いすを使っているようだ。2008年10月に支援者宛の手紙で『レーダーとマイクロ波で調べられている』など支離滅裂な内容を書き記しているほか、他の死刑確定者たちが自身の弁護人に対しNの健康状態を心配する発言をしている」と述べている[8]。また大阪地裁に対し「再審請求中の死刑執行は『裁判を受ける権利』を保障する日本国憲法第32条に違反する」として執行に応じる義務がないことの確認を求める訴訟を起こしていたが、同地裁(松永栄治裁判長)は2020年2月20日に死刑囚Mの請求を棄却する判決を言い渡した[7] |
4都県連続4人殺害事件 (T) | 2000年9月8日 | 1984年 1988年 1989年 1991年 |
1964年(昭和39年)9月12日生まれ[2]。旧姓M[2]。 1994年1月27日に横浜地裁(上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、1995年12月20日に東京高裁(佐藤文哉裁判長)で控訴棄却判決[2]。 2000年9月8日に最高裁第二小法廷[1](河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[2]。 2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[2]。再審請求を棄却され[注 1]、恩赦請求を提出する直前だった[2]。 |
今市連続殺人事件 (T) | 2000年12月26日 | 1990年9月13日[2] 1993年7月28日[2] |
1998年3月24日に宇都宮地裁(山田公一裁判長)で死刑判決を受け、2000年12月11日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決。 弁護人は「嫉妬妄想による犯行」と主張していたが、控訴審判決後に上告せず死刑が確定[2]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[2]。 |
2001年死刑確定囚(5人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
富山社長夫婦射殺事件 (S) | 2001年1月30日 | 1991年5月7日 | 1947年(昭和22年)1月18日生まれ[1]。 1993年7月15日に富山地裁(下山保男裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に名古屋高裁金沢支部(高木實裁判長)で控訴棄却判決を受けた[2]。 2001年1月30日に最高裁第三小法廷[1](元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[2]。 2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没)[2]。 |
東京連続強盗殺人事件 (I) | 2001年2月6日 | 1996年6月10日 1999年7月8日 |
2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決[2]。 弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[2]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[2]。 |
愛知連続殺人事件 (U) | 2001年9月20日 | 1993年2月16日[11] 1993年3月3日[11] |
1969年(昭和44年)8月29日生まれ[12]。 2人への強盗殺人のほか、強盗致傷1件・窃盗5件の余罪[12]。 1994年5月25日に名古屋地裁一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決[11]。 2001年9月20日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[11]。 死刑確定後の2003年2月28日に名古屋拘置所内で病死(33歳没)[13]。 |
市川一家4人殺害事件 (S) | 2001年12月3日 | 1992年3月5日 | 1973年(昭和48年)1月30日生まれ・犯行時19歳の少年死刑囚[11]。1994年8月8日に千葉地裁(神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決[11]。 2001年12月3日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告棄却判決を受け[14]、(判決訂正申し立て棄却決定により)2001年12月21日までに死刑が確定[15]。 2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[16]。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった[17]。 少年犯罪に対する死刑確定・執行は連続射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・永山則夫以来で平成の事件では初だった。 |
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) | 2001年12月6日 | 1988年1月15日 | 1940年(昭和15年)1月24日生まれ[11]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[11]。 1991年2月7日に大阪地裁(米田俊昭裁判長)で死刑判決、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決[11]。 2001年12月6日に最高裁(深沢武久裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[11]。 死刑確定から約6年8か月後の[18]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[11]。 |
2002年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (C) | 2002年6月11日[11] | 1992年5月30日[11] | 1961年(昭和36年)2月13日生まれ[11]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在63歳)[19]。 中国国籍で、定住以外の外国人の死刑確定は戦後初だった[11]。主犯格は国外逃亡中[11]。 1995年12月15日に東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)で下記共犯とともに死刑判決を受け、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決[11]。 2002年6月11日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[11]。 |
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H) | 2002年6月11日 | 1992年5月30日 | 1964年(昭和39年)10月3日生まれ[11]。上記共犯Cと同じく中国籍で、判決期日はいずれも同上[11]。 2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在60歳)[19]。 |
川口バラバラ殺人事件 (Y) | 2002年10月24日 | 1999年1月9日 | 1949年(昭和24年)5月23日生まれ[20][11]・秋田県横手市出身[21]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在75歳)[19]。 1978年に千葉県松戸市で生活保護を受給していた男性を殺害して現金などを奪った事件を起こし、同年9月に強盗殺人罪で無期懲役判決を受けた[21]。服役先・岐阜刑務所内では模範囚で、母親が身元引受人となったことから1998年1月に仮釈放されたが、出所後は半年ほどで再就職先を退職した一方、被害者女性がアルバイトをしていたスナックなどで飲み歩き、自分が渡した小遣いに被害者から不満を言われたことなどに激昂して被害者を殺害した[21]。 2001年6月28日にさいたま地裁で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で一審破棄・死刑判決[11]。 弁護人が上告したが、本人が同年10月24日付で自ら上告を取り下げたため確定[22]。その後、死刑囚Yは東京高裁に対し「上告取り下げは無効」と主張して最高裁への事件送付を申し入れる申入書・上告審の弁護人選任届を提出し、東京高裁は事件記録を最高裁に送付したが、最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は2007年12月17日付の決定で「上告取り下げは有効であり、上告は取り下げにより既に終了したものである」として、死刑囚Yの申し立てを棄却した[23]。 |
2003年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
江戸川老母子強盗殺人事件 (F) | 2003年1月 | 1999年4月19日 | 老母子2人を殺害したほか、別件で詐欺事件も起こしていた。 2001年3月21日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受け、2001年12月19日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決[11]。 上告していたが、2003年1月5日に上告を取り下げたため死刑が確定[11]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[11]。 |
附属池田小事件(宅間守) | 2003年9月26日 | 2001年6月8日 | 1963年(昭和38年)11月23日生まれ[24][25]。 2003年8月28日に大阪地裁(川合昌幸裁判長)で死刑判決を受け、第一審の弁護人が控訴したが、本人が同年9月26日に控訴を取り下げたため、死刑が確定[11]。 死刑確定後の2003年12月中旬、支援者の女性(当時30歳代)と獄中結婚し[26]、「吉岡」に改姓[27]。死刑確定からわずか1年足らずの2004年9月14日、大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[27]。 |
2004年死刑確定囚(15人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
警察庁広域重要指定121号事件 (W) | 2004年4月19日 | 1993年10月27日 - 12月20日[11] | 1968年(昭和43年)12月14日生まれ[11]。中国系のマレーシア国籍で、2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在56歳)[19]。 東京都・群馬県・滋賀県など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた[28]。 刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で死刑判決[11]。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決[11]。 2004年4月19日に[11]最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)で[28]上告棄却判決を受け[11]、判決への訂正申し立ても同小法廷の決定(2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑が確定[28]。 共犯Mは2005年9月に死刑が確定[11]。 |
神奈川2件強盗殺人事件 (I) | 2004年4月27日 | 1988年12月28日[11] 1989年1月1日[11] |
1937年(昭和12年)10月25日生まれ[11]。 第一審・横浜地裁小田原支部(萩原孟裁判長)は1996年3月8日に強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決を言い渡した[11]。 しかし控訴審・東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日に死刑判決を言い渡し、2004年4月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決を言い渡したため死刑が確定[11]。 再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死(72歳没)[11]。 |
藤沢市母娘ら5人殺害事件 (F) | 2004年6月15日 | 1981年10月6日 1982年5月27日 1982年6月5日 |
1960年(昭和35年)8月21日生まれ[29]。 神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手の女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺害事件の共犯者を逃走先の兵庫県内で殺害した。一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。 1988年3月10日に横浜地裁(和田保裁判長)で死刑判決を受けて東京高裁に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した[30]。 最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日に上告棄却判決を受け[31]、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず確定した[32]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[29]。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (O) | 2004年6月25日 | 1986年7月[29] 1989年7月[29] 1991年5月[29] |
1953年(昭和28年)6月30日生まれ[29]。 118号事件の主犯格で元岩手県警警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された[29]。 下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、福島地裁(井野場明子裁判長)で死刑判決[29]。 1998年3月17日に仙台高裁(泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[29]。 死刑確定後に東京拘置所へ移送されたが[注 2]、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死(60歳没)。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった[29]。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (S) | 2004年6月25日 | 1986年7月[29] 1989年7月[29] 1991年5月[29] |
1940年(昭和15年)7月25日生まれ[29]。 上記O・下記K両加害者の共犯者[29]。裁判経緯はO・Kと同一[29]。 2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所[注 3]医務棟で急性肺炎により病死(73歳没)。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (K) | 2004年6月25日 | 1986年7月[29] 1989年7月[29] 1991年5月[29] |
1943年(昭和18年)2月10日生まれ[29]。 上記O・S両加害者の共犯者[29]。裁判経緯はO・Sと同一[29]。 死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死(67歳没)[36]。 |
徳之島兄家族殺傷事件 (N) | 2004年8月26日 | 2002年8月16日 | 1970年(昭和45年)5月7日生まれ[29]。2004年6月18日に鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定[29]。死刑確定から約3年5か月後の[37]2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行(37歳没)[29]。 |
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) | 2004年9月9日 | 1989年10月10日[29] 1991年12月26日[29] |
1947年(昭和22年)3月11日生まれ[29]。 1995年5月19日に大津地裁(中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴棄却判決[29]。 2004年9月13日に最高裁8福田宏裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[29]。 死刑確定から約3年6か月後の[38]2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[29]。 |
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三)[39] | 2004年9月13日 | 1988年1月9日 | 1958年(昭和33年)9月3日・大阪府大阪市西成区生まれ[40](旧姓:河村)[29]。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳)[注 4]を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画[41]。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして京都府南山城村の山林に埋めて遺棄した[41]。 刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが[41]、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった[39]。大阪地裁(谷村充祐裁判長)は[29]「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定[注 5]し[39]、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決[29]。 2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[29]。 死刑確定後に旧名「河村啓三」名義でインパクト出版会から著書『こんな僕でも生きてていいの』[42]『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』[43]『落伍者』を出版[44]。 2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが[45]、請求中の[29]2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[46][47]。 |
コスモ・リサーチ事件 (S)[39] | 2004年9月13日 | 1988年1月9日 | 1951年(昭和26年)9月16日生まれ[29]。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上[29]。 2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(67歳没)[46][47]。 |
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) | 2004年11月10日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[48] |
1997年4月18日 | 1942年(昭和17年)5月15日生まれ[39]。殺人前科あり(1976年に広島県広島市内で家出中の女子高生を殺害して懲役10年の刑に処された)。 第一審・東京地裁(山室惠裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが[49]、控訴審・東京高裁(仁田陸郎裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた[50]。 最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)にて2004年10月13日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2004年11月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[48]。 死刑確定から約3年2か月後の[37]2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行(65歳没)[39]。 |
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) | 2004年11月13日[51] | 2002年7月19日[51] | 1966年(昭和41年)5月19日生まれ[51]。 第一審・前橋地裁(久我泰博裁判長)では2003年10月9日に無期懲役判決が言い渡されたが、2004年10月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で一審破棄・死刑判決[51]。上告せず、同年11月13日に死刑確定[51]。 死刑確定から約3年4か月後の[38]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[51]。 |
高知連続保険金殺人事件 (S) | 2004年11月19日 | 1987年1月17日[51] 1992年8月19日[51] |
1927年(昭和2年)6月21日生まれ・死刑確定時77歳[51]。女性死刑囚としては最高齢。 高知県室戸市内で1987年に共犯者らと共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円を詐取したほか、1992年にも交通事故を装って同居女性を殺害し、保険金を詐取しようとした[52]。殺人・詐欺などの罪で起訴され、刑事裁判では無罪を主張したが[52]、1998年7月29日に高知地裁(竹田隆裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決[51]。 2004年11月19日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[51]。共犯3人は懲役刑が確定。 大阪拘置所に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり[52]、同年12月に大阪拘置所から大阪医療刑務所へ移送された[53]。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため大阪医療刑務所で死亡(83歳没)[52]。 |
福岡連続強盗殺人事件 (H) | 2004年12月2日 | 1995年4月18日 | 1951年(昭和26年)7月2日生まれ[51]。2020年9月27日時点で[5]福岡拘置所に収監中(現在73歳)[54]。 1995年4月に福岡県大牟田市で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[51]。 2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[51]。 |
フィリピン人2女性殺害事件 (M) | 2004年12月14日[55] (上告審判決宣告日) |
1998年12月25日 | 1953年(昭和28年)12月14日生まれ[56]。本籍地は奈良県大和高田市礒野東町[56]。 旧姓S[56]。2020年9月27日時点で[5]名古屋拘置所に収監中(現在71歳)[注 6][54]。 1998年11月に三重県松阪市でフィリピン人女性2人(いずれもスナック従業員[58]・20歳代[注 7])を絞殺して現金13,000円とネックレス(時価合計約25万円相当)などを奪ったほか[55]、1998年5月には愛知県名古屋市内のパチンコ店[注 8]へ侵入し[58]、従業員1人の頭部を木刀で殴って重傷(全治6か月)を負わせ、売上金1,920万円余りを奪ったとして、強盗殺人罪・建造物侵入罪・強盗致傷罪に問われた[55]。 2000年3月1日に共犯者3人とともに津地裁(柴田秀樹裁判長)で共犯者2人とともに死刑判決を受け[58]、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決[51]。2004年12月14日に最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け[55]、同月24日に判決訂正申立書を提出したが、2005年1月21日に申立てが却下されたことで死刑判決が確定[57]。 死刑確定後の2015年には親族へ飴・食パンなどに付属している応募券19枚を郵送しようとしたり、知人からネガフィルムの差し入れを受けようとしたが、いずれも拘置所側から不許可にされたことで精神的苦痛を受けたとして国家賠償請求訴訟を起こし、2017年4月13日に名古屋高裁(藤山雅行裁判長)で一部勝訴の判決(賠償金額22,500円)の判決を受けた[59]。 ともに第一審で死刑判決を受けた共犯者のうち1人は公判途中(2000年10月)に死亡し[58]、もう1人は控訴審(名古屋高裁・2001年5月14日判決)で「殺害実行犯としての責任は重いが、従属的な面がある」として、死刑判決を破棄され無期懲役判決を受けた[60]。 |
2005年 - 2009年
2005年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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仙台・高松保険金殺人事件 (Y) | 2005年1月25日 | 1985年11月・1990年3月 | 1935年(昭和10年)6月10日生まれ[51]。 1997年2月18日に第一審・高松地裁(重吉孝一郎裁判長)で無期懲役判決を受けたが、控訴審・高松高裁(島敏男裁判長)で2000年10月26日に一審破棄・死刑判決を受けた[51]。 2005年1月25日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[51]。 死刑確定から約3年4か月後の[61]。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)[51]。 |
同級生連続殺人事件 (M) | 2005年1月27日 | 1989年8月9日 1989年9月13日 |
1967年(昭和42年)12月6日生まれ[51]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在57歳)[54]。 同級生2人を殺害した[54]。1994年7月6日に水戸地裁下妻支部(小田部米彦裁判長)で死刑判決を、2001年5月1日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[51]。 2005年1月27日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[51]。 |
資産家老女ら2人殺害事件 (A) | 2005年3月3日 | 1989年10月1日 - 4日 | 1946年(昭和21年)12月14日生まれ[51]。旧姓O[51]。 第一審・東京地裁(山崎学裁判長)では1999年3月11日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・東京高裁(吉本徹也裁判長)では2001年5月17日に一審破棄・死刑判決を受けた[51]。 2005年3月3日に最高裁(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[51]。 死刑確定から約3年後の[38]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)[51]。 |
オウム真理教事件(宮前一明) | 2005年5月6日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[62] |
1989年2月 - 11月3日 | 1960年(昭和35年)10月8日生まれ[51]。旧姓は岡崎および佐伯[51]。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。 刑事裁判では自首の成立は認められたが量刑は減軽されず、1998年10月23日に東京地裁(山室惠裁判長)で死刑判決[51]。2001年12月13日には東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[51]。 最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[62]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[63]、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)[51]。 |
スナックママ連続殺人事件 (N) | 2005年6月7日 | 1991年(12月13日 - 12月28日) | 1956年(昭和31年)1月14日[51]・鳥取県鳥取市西品治生まれ[64]。警察庁広域重要指定119号事件[51]。 18歳の時(1974年7月6日)に鳥取市永楽温泉町で殺人事件を起こし、1975年2月に鳥取地裁で懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決を受けた前科がある[64]。1984年6月に松江刑務所を仮出所したが、同年9月にも永楽温泉町で強盗致傷事件を起こして1985年1月に懲役7年の判決を受け、1991年10月に鳥取刑務所を出所してから約2か月後の犯行[64]。 兵庫県姫路市(12月12日)・島根県松江市(21日)・京都府京都市(26日に2件)で相次いでスナックママ4人を殺害[65]。4件の強盗殺人事件を起こした後、指名手配中の1992年1月5日には大阪府大阪市天王寺区で落語家・3代目桂あやめを襲撃して現金14万円を奪う強盗殺人未遂事件を起こし[66]、同月7日には同区内のマンションに侵入して金を奪おうとするが、住人から自首するよう説得されて逮捕された[65]。大阪地裁刑事第3部にて行われた第一審の公判では強盗殺人4件について全面的に無罪を主張したが[67]、1995年9月11日に大阪地裁(松本芳希裁判長)で死刑判決を受けた[注 9][68]。 控訴審では姫路市の殺人事件のみ一転して犯行を認めたが「多量の飲酒で病的に深酔いし責任能力がなかった」として、それ以外の罪状(強盗殺人3件+桂への強盗殺人未遂事件)も含め一審と同様に無罪を主張[69]。しかし2001年6月20日に大阪高裁(河上元康裁判長)は一審判決を支持し、被告人N(当時K姓)の控訴を棄却する判決を言い渡した[70]。2005年6月7日に最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[71]。 第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没)[72]。 |
大阪連続バラバラ殺人事件 (K) | 2005年7月8日 | 1985年5月 - 1994年3月[73] | 1940年(昭和15年)7月10日生まれ[51]。 警察庁広域重要指定122号事件[51]。1985年5月下旬 - 1994年3月下旬にかけて大阪市内の自宅で女性5人(46歳主婦・19歳福祉施設寮生・9歳女児45歳・スナック店員・38歳飲食店員)を絞殺し、遺体を山中に遺棄した(うち9歳女児を除く4人の遺体は切断されていた)[73]。また、1985年5月に9歳女児を殺害した際には女児の自宅などに身代金を要求する電話を計5回掛けた[74]。 捜査段階では身代金要求を除きすべて犯行を認めたが、公判では「殺害したのは知人で、自分は遺体の遺棄などを手伝っただけだ」と無罪を主張[75]。一連の事件の途中(3件目と4件目の間)に別の窃盗罪で2件の有罪判決が確定していたため、大阪地方検察庁は刑法の規定(併合罪)により確定判決の前後で「殺人3件」と「殺人2件+窃盗」に事件を分離し、前後両事件について死刑を求刑した[注 10][74]。 大阪地裁(横田信之裁判長)は1999年3月24日に殺人5件をすべて有罪と認定し、被告人Kに死刑判決を言い渡したが、身代金要求については「第三者による便乗的犯行の疑いがある」として無罪とした[75]。被告人Kだけでなく、大阪地検も身代金要求の事実認定を不服として大阪高裁へ控訴した[76]。 2001年3月27日に大阪高裁(福島裕裁判長)は身代金要求に関しても有罪と認定し、同部分を無罪とした一審判決を破棄した上で改めて死刑判決を言い渡した[77]。その後、2005年7月8日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は控訴審判決を支持して被告人Kの上告を棄却する判決を言い渡し、死刑が確定した[78]。 2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)[51]。 |
警察庁広域重要指定121号事件 (M) | 2005年9月16日 | 1993年10月27日 - 12月20日[79] | 1961年(昭和36年)2月27日生まれ[80]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中[81](現在63歳)。 旧姓S[80][79]。本籍地は東京都足立区扇一丁目[80]。 1998年5月26日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で犯行の主導的な役割を認定され、死刑判決を受けた[79]。 2001年5月30日に東京高裁(龍岡資晃裁判長)で控訴棄却の判決[79]。2005年9月16日に最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)で上告棄却の判決を受け[82]、死刑が確定[79]。 共犯Wは2004年4月に上告棄却判決を受け、死刑が確定[11]。 |
仙台老夫婦殺害事件 (H) | 2005年9月26日 | 1986年2月20日 | 1950年(昭和25年)12月29日生まれ[83][79]。2020年9月27日時点で[5]宮城刑務所仙台拘置支所[注 3]に収監中(現在73歳)[注 11][81]。 本籍地は宮城県仙台市若林区荒井、住居は同区沖野六丁目[83]。 1981年に入院先(仙台市内の眼科)で知り合った元会社社長の被害者男性(死亡当時82歳)と交際を深めるうちに、被害者が資産家であることを知った一方[84]、被害者が左官の仕事を紹介してくれないことを逆恨みし[85]、金に困っていたことから被害者夫婦を殺害して金を奪うことを計画[84]。1986年2月20日午後に男性宅を訪れ[85]、借金を申し込んだが断られたため[86]、男性の頭部を鉄棒で滅多打ちにして殺害し、約30分後に帰宅した妻(当時75歳)も鉄棒で撲殺した上で、郵便預金証書など(額面約450万円)と現金12,000円を奪った[85]上で同日夜、トラックで2人の遺体を仙台市内の山林に遺棄した[84]。 1988年9月12日に仙台地裁刑事第1部(渡辺達夫裁判長)で死刑判決を受け[87]控訴したが[88]、1991年3月29日に仙台高裁(小島建彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[86]。 1991年4月に上告したが[89]、上告中の1992年3月27日に自ら上告取下書を提出した[90]。しかし弁護人から「控訴取り下げは訴訟能力を欠いた状態でなされたため無効」とする申し出がなされたことを受け、最高裁が[91]福島章に命じて精神鑑定(1992年6月29日に実施)したところ[90]、心神喪失状態であることが判明した[91]。このため最高裁は控訴取り下げ書を無効とし、刑事訴訟法に基づいて被告人Hが回復するまで公判手続きを停止することを決定した[91](1993年5月31日付・最高裁第二小法廷〈大西勝也裁判長〉決定)[92]。死刑事件で公判に付される能力(訴訟能力)に異議を申し立てて認められた初の事例で[注 12]、本件以外に同様の事例は藤沢市母娘ら5人殺害事件のみである[94]。その後、同小法廷は1997年6月12日に再度の精神鑑定を命じ(福島が実施)、「知的障害の境界線上にいるが、統合失調症など重大な精神障害とはいえない」とする同鑑定結果を踏まえ[95]、1998年3月17日付で「被告人が心神喪失の状態でなくなった」として、公判手続停止決定を取り消す決定を出した[96]。 2003年には西山詮が3度目の精神鑑定を実施し、「被告人Hは拘禁反応の状態だ。これはほとんどが裁判の状況及び被告人Hと接触する人々の言動に起因するものだ」とする鑑定結果を出した[97]。最高裁第二小法廷は2004年9月に上告審口頭弁論公判期日を指定したが、実質的な弁論が行われなかったため、2005年7月15日に改めて弁論を実施し[98]、上告から14年余りで審理が終結することとなった[99]。2005年9月26日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[89]。 アムネスティ・インターナショナル日本支部は2006年の報告書で死刑囚Hについて「精神病の病状が重く、判決の意味が理解できていないそうだ」「公判手続が停止されてからはいったん症状が改善して病院へ送られたが、拘置所に戻ると悪化した」と述べている[100]。 |
東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) | 2005年10月17日 | 1995年12月21日[79] | 1970年(昭和45年)9月24日生まれ[101][79]。本籍地は山口県下松市大字西豊井[101]。 1998年6月5日に東京地裁(岩瀬徹裁判長)で死刑判決を、2001年9月11日に東京高裁(高木俊夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[79]。 2005年10月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け[102]、死刑が確定[79]。2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)[79]。死刑確定 - 執行までの期間は約2年8か月[61]。 著書に『死と生きる-獄中哲学対話』(池田晶子との共著)[103]がある[79]。 |
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) | 2005年11月30日[79] | 2003年(2月23日・4月1日)[79] | 2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中[81]。 2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2005年7月13日に本人が控訴取り下げ[79]。弁護人が異議を申し立てたが、2005年11月30日に死刑確定[79]。共犯Oは2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[104]。 |
大阪愛犬家連続殺人事件 (U) | 2005年12月15日 | 1992年6月19日 - 1993年10月29日 | 1954年(昭和29年)8月14日生まれ[79]。2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中(現在70歳)[81]。 警察庁広域重要指定120号事件。無実を主張したが、1998年3月20日に大阪地裁(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を受けた。2001年3月15日に大阪高裁(栗原宏武裁判長)で控訴棄却判決を、2005年12月15日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[79]。 |
2006年死刑確定囚(20人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤) | 2006年2月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[105] |
1988年8月 - 1989年6月 | 1962年(昭和37年)8月21日生まれ[79]。警察庁広域重要指定117号事件。 1997年4月14日に東京地裁(田尾健二郎裁判長)で死刑判決、2001年6月28日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[79]。 最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[105]。再審請求準備中の[106]2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)[79]。死刑確定 - 執行までの期間は2年4か月だった[61]。 |
右翼幹部ら2人殺害事件 (T) | 2006年2月14日 | 1992年2月9日 1994年4月28日 |
1963年(昭和38年)7月13日生まれ(旧姓K)[79]。2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中(現在61歳)[81]。 1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した[107]。 2000年3月16日に大阪地裁(古川博裁判長)で無期懲役判決を受けたが、2001年12月25日に大阪高裁(池田真一裁判長)で一審破棄・死刑判決[79]。 2006年2月14日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[79]。 |
古美術商ら2人殺害事件 (Y) | 2006年2月24日 | 1994年3月 - 1995年3月 | 1949年(昭和24年)11月16日生まれ[79]。2020年9月27日時点で[5]名古屋拘置所に収監中(現在75歳)[81]。 Yは1994年4月に元暴力団員3人と共謀し古物商宅に押し入って現金を奪ったが、この時の共犯の1人が反抗するようになったため4月に殺害した。1995年3月に三重県四日市市の古物商を殺害し、現金を奪った上に遺体を丸山ダムに遺棄した[107]。 1997年3月28日に津地裁四日市支部(柄多貞介裁判長)で共犯の男Nとともに死刑判決を受けたが[108]、1997年9月25日に名古屋高裁(土川孝二裁判長)は「利害の反する2人の被告人に1人の弁護人を付けたことは訴訟手続き上の不備だ」として第一審判決を破棄し、審理を津地裁(本庁)に差し戻す判決を言い渡した[109]。その後、1999年6月23日に差戻審・津地裁(柴田秀樹裁判長)で無期懲役判決(共犯Nは死刑判決)を受けたが、第2次控訴審となった2001年6月14日・名古屋高裁(小島裕史裁判長)では再びNとともに死刑判決を受けた[108]。なお共犯Nは2002年、上告中に病死した[79]。 2006年2月24日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[79]。 |
愛知・静岡2女性殺害事件 (M) | 2006年3月2日 | 1996年8月31日 1997年9月4日 |
1944年(昭和19年)1月31日生まれ[79](旧姓T)。2020年9月27日時点で[5]名古屋拘置所に収監中(現在80歳)[81]。 静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し尾張旭市の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した[110]。 静岡の事件は否認したが、2000年7月19日に名古屋地裁(山本哲一裁判長)で死刑判決を受け、2002年2月28日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決を受けた[79]。 2006年3月2日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[79]。 |
神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) | 2006年4月4日[79] | 2004年7月22日[79] | 1940年4月2日生まれ[79]。神戸地裁(笹野明義裁判長)における審理で期日間整理手続が適用され、4回目の公判となる2006年3月20日に開かれた判決公判で死刑判決[79]。弁護人が控訴したが翌日(2006年3月21日)に本人が取り下げ、2006年4月4日付で死刑が確定[79]。 死刑確定から約2年5か月後の[18]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[79]。 |
鶴見事件(高橋和利) | 2006年3月28日 | 1988年6月20日[111][79] | 1934年(昭和9年)4月28日生まれ[79]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在90歳)[81]。 横浜市鶴見区下野谷町で、金融不動産業を営む男性(当時65歳)と内縁の妻(当時60歳)が、首や顎をバールやドライバーで強打されるなどして殺害され、現金1,200万円が奪われた事件[111]。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認[111]。殺害時のアリバイを主張し再審請求している[112]。 1995年9月7日に横浜地裁(上田誠治裁判長)[注 13]で死刑判決を受け[111]、2002年10月30日に東京高裁(中西武夫裁判長)で「高橋の自白には虚偽が含まれているとしても、自白以外の証拠から犯人と断定できる」として、控訴棄却判決を受けた[113]。2006年3月28日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[114]。 死刑確定後の2011年5月、実名で手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会)[115]を出版したほか、2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。2017年8月25日、日本弁護士連合会(日弁連)が再審支援を決定[116]。 |
豊中市2人殺害事件 (N) | 2006年6月13日 | 1992年3月5日 | 1948年(昭和23年)1月13日生まれ[117]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[117]。 2001年11月20日に大阪地裁(氷室真裁判長)で死刑判決、2003年10月27日に大阪高裁(浜井一夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[117]。 2006年6月13日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、2014年5月15日に大阪拘置所内で病死(66歳没)[117]。 |
川崎中国人6人殺傷事件 (C) | 2006年6月27日 | 1999年5月25日 | 1968年(昭和43年)4月20日生まれ[117]。中国・福建省出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された[107]。 事実誤認および強盗殺人の殺意の不在を主張したが、2001年9月17日に横浜地裁川崎支部(羽渕清司裁判長)で死刑判決を、2003年3月20日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[117]。 2006年6月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[117]。2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[117]。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。 |
ドラム缶女性焼殺事件 (K) | 2006年7月6日 (正式な死刑確定日)[118] |
2000年4月4日 | 1964年(昭和39年)3月23日生まれ[117]。下記Sの共犯で、加害者のうち4人に死刑が求刑されK・S両被告人の死刑、2人の無期懲役が確定[117]。 2002年2月21日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で死刑判決、2003年3月12日に名古屋高裁(川原誠裁判長)で控訴棄却判決[117]。 2006年6月9日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[119]、2006年7月6日付で死刑判決が確定[118]。再審請求したが棄却され[117]、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[118][117]。 |
ドラム缶女性焼殺事件 (S) | 2006年7月6日 (正式な死刑確定日)[118] |
2000年4月4日 | 1969年10月17日生まれ(旧姓N)[117]。上記Kの共犯(裁判経緯はKと同一)[117]。再審請求したが後に取り下げ、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)[117]。 |
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) | 2006年9月1日 | 1994年12月19日 | 1948年(昭和23年)2月10日生まれ[117]。殺人前科あり。 放火と殺意を否認したが、2000年2月17日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決、2002年7月4日に東京高裁(安弘文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[117]。 2006年9月1日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[117]。 死刑確定から約1年11か月後の[18]2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)[117]。 |
堺夫婦殺害事件 (E) | 2006年9月7日 | 1997年10月30日 | 1942年(昭和17年)7月21日生まれ[117]。2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中(現在82歳)[120]。 知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画し、知人3人と共謀して言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。被害者2人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された[121]。 2001年3月22日に大阪地裁堺支部(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を、2003年1月20日に大阪高裁(那須彰裁判長)で控訴棄却判決を受けた[117]。2006年9月7日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[117]。 共犯者は逃亡中。 |
オウム真理教事件(麻原彰晃) | 2006年9月15日[117] | 1989年2月 - 1995年3月 | 1955年(昭和30年)3月2日生まれ・本名:松本智津夫[117]。オウム真理教の元教祖で、坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件など麻原が主導した一連の事件で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。 2004年2月27日に第一審・東京地裁(小川正持裁判長)で死刑判決を受け[117]弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかった。これを受け、東京高裁(須田贒裁判長)は2006年3月27日付で控訴趣意書が期限内に提出されなかったことを理由に控訴棄却を決定した[122]。弁護団は東京高裁の別の部(白木勇裁判長)へ異議を申し立てたがこれも同年5月31日付決定で棄却され[123]、それに対する最高裁への特別抗告も同年9月15日付で最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)が出した決定により棄却されたことで死刑が確定した[124]。第一審で死刑判決を受けた被告人の控訴審が手続き上の理由で打ち切られ、確定した事例は最高裁に統計が残っている1966年以降で初めてだった[124]。第四次再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[117]。 |
飯塚事件(久間三千年[125]) | 2006年10月8日[126] | 1992年2月20日 | 1938年(昭和13年)1月9日生まれ[117]。 一貫して無実を主張したが、1999年9月29日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決[117]。2001年10月10日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月8日に最高裁(滝井繁雄裁判長)で上告棄却判決を受け[117]、同年10月8日付で死刑が確定[126]。 死刑確定から約2年後の[127]2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。死後、2009年10月に家族が再審請求[117]。 |
宮崎2女性殺害事件 (I) | 2006年10月8日[128] | 1996年8月29日 1997年6月13日 |
女性死刑囚。1958年(昭和33年)5月23日生まれ[117]。2020年9月27日時点で[5]福岡拘置所に収監中(現在66歳)[120]。 父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した[129]。 一部無罪を主張したが、2001年6月20日に宮崎地裁(小松平内裁判長[注 14])で死刑判決を受けた。2003年3月27日に福岡高裁宮崎支部(岩垂正起裁判長)で控訴棄却判決を[117]、2006年9月21日に最高裁第二小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け[131]、同年10月8日付で死刑が確定[128]。 死刑確定後、「事件当時は心神喪失状態だった」として再審請求を行った[132]が、2018年には宮崎地裁によって棄却され[133]、即時抗告も2019年に福岡高裁宮崎支部によって棄却された[134]。 |
奈良小1女児殺害事件(小林薫[135]) | 2006年10月10日 | 2004年11月17日 | 1968年(昭和43年)11月30日生まれ[117]。2006年9月26日に奈良地裁(奥田哲也裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2006年10月10日付で取り下げ[117]、控訴期限が切れた2006年10月11日0時に死刑確定[136]。 弁護人は2007年6月16日に控訴取り下げ無効の申し立てをしたが2008年4月に棄却された[117]。「恩赦不相当」の判断がなされてから2週間後の2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)[117]。 |
栃木・妻と知人殺害事件 (N) | 2006年10月12日 | 1988年11月 1989年11月 |
1966年(昭和41年)9月11日生まれ[137]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在58歳)[138]。 無実を主張したが、2001年12月18日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた[137]。2003年9月10日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却、2006年10月12日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[137]。 |
医師ら生き埋め殺人事件(高橋義博[注 15][140]) | 2006年10月26日 | 1992年7月23日 - 24日[141] | 1949年(昭和24年)9月16日生まれ[137]。広島県出身で、廣州貿易株式会社代表取締役、「冬虫夏草研究会」会長を務めていた[139]。 元会社役員の男らと共謀し[142]、神奈川県川崎市の男性医師(当時37歳[143]ないし36歳 / 東京都立広尾病院の医師)と知人男性[注 16](32歳)の2人を車で拉致[142]。現金約79万円などを奪い[142]、2人を監禁先のマンション(世田谷区)で拳銃を突き付けるなどした上で、睡眠薬で眠らせ、栃木県塩谷郡藤原町(現:日光市)の山林に掘ってあった穴に生き埋めにして殺害した[141]。 事件は約4年後に発覚[144]。発覚前の1994年12月には「冬虫夏草研究会会長」の肩書で『奇跡を呼ぶ冬虫夏草』(KKベストセラーズ)を出版[139]しており、死刑確定後の2008年には福島瑞穂(参議院議員)が実施したアンケート[注 17]で同書の著者であることを明かしている[140]。 実行犯3人(無期懲役が確定)[注 18]のうち2人とともに「殺人は計画的なものではない」と主張していたが[注 19][147]、2000年8月29日に横浜地裁(矢村宏裁判長)で死刑判決を受けた[141]。2003年4月15日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却、2006年10月26日に最高裁(島田仁郎裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[137]。 死刑確定後も「殺人は無罪」として再審請求していたが[147]、2021年2月3日に急性冠症候群のため東京拘置所で病死(71歳没)[142]。 |
名古屋・福岡連続殺人事件 (P) | 2006年11月24日 | 1995年1月12日[137] 1995年1月28日[137] |
1946年(昭和21年)12月7日生まれ[137]。元内縁の妻Aが結婚したことを逆恨みし、Aが経営する名古屋市内の居酒屋でAの首を刃物で刺して殺害したほか、福岡市に逃亡中には乗車したタクシー運転手Bを包丁で刺殺して現金数千円などを奪った[148]。 公判では「名古屋事件は知人の犯行で、福岡事件は薬物の影響により心神喪失状態だった」などと主張したが、1999年6月14日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決[137]。2003年3月28日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決・2006年11月24日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[137]。再審請求中の[137]2009年1月4日に肺炎のため収監先・福岡拘置所で獄死(62歳没)[148]。 |
いわき市母娘強盗殺人事件 (T) | 2006年12月20日[137] | 2004年3月18日 | 第一審・福島地裁いわき支部(村山浩昭裁判長)では2006年3月22日に無期懲役判決を受けたが、2006年12月5日に控訴審・仙台高裁(田中亮一裁判長)で一審破棄・死刑判決[137]。2006年12月20日に自ら上告を取り下げ死刑確定[137]。 死刑確定から約1年10か月後の[127]2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 3]で死刑執行(55歳没)[137]。 |
2007年死刑確定囚(23人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) | 2007年1月11日[118] | 2004年1月13日 - 9月7日 | 1976年(昭和51年)10月22日生まれ[137]。長野地裁(土屋靖之裁判長)で2006年5月17日に死刑判決を受け控訴したが、2007年1月11日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[137]。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)[137]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (MA) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年5月[137] | 1954年(昭和29年)6月29日生まれ[137]。下記MKの双子の兄[149]。199412月に宮崎市の元会社員Aの元妻らと共謀し、生命保険の保険金目当てにフィリピン・マニラで被害者Aを殺害した[149]。1995年6月には知人の貿易商Bに共犯(双子の弟MK)を受取人とする旅行傷害保険を掛けた上でBをマニラで殺害したほか、知人C(愛知県尾西市〈現:一宮市〉・旅行代理店社員)のキャッシュカードを奪い、Cを長野県駒ヶ根市の別荘地で殺害した[149]。一連の犯行ではM兄弟と友人Sの計3人が共謀したとされるが、3人とも「被害者は病死した」と主張してマニラの事件を否認[137]。 2002年1月30日に共犯者2人とともに名古屋地裁一宮支部(丹羽日出夫裁判長)で死刑判決を受け、2003年7月8日には名古屋高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[137]。 2007年1月30日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[137]。名古屋拘置所に収監されていたが、2016年1月に肺炎のため八王子医療刑務所へ移送され、同月22日に肺炎のため病死(61歳没)[150]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (MK) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年6月[137] | 上記MAの双子の弟[149]。2020年9月27日時点で[5]名古屋拘置所に収監中(現在70歳)[138]。 裁判経緯は兄MAおよび共犯者Sと同一[137]。控訴審判決では「(犯行に当たり)最も中心的な役割を果たした」と認定されている[149]。 2000年2月に右目の異常を訴え、名古屋拘置所が委託している眼科医の診察を受けたところ、持病の糖尿病が原因で失明するおそれがある「糖尿病網膜症」と診断されたが、名古屋拘置所が専門病院に店員させるなど適切な措置を取らず、同年7月に右目を失明したとして、2005年8月に国家賠償請求訴訟(請求額:1,100万円)を提訴[151]。国側は「医師は適切な措置をした」などと争っていた[152]が、2009年5月27日付で、国側が解決金400万円を支払う形で和解が成立している[151]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (S) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年5月[137] | 1971年(昭和46年)3月9日生まれ[137]。上記MA・MK兄弟の共犯者(裁判経緯はM兄弟と同一)で[137]、2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中[注 20](現在53歳)[138]。 控訴審判決では「MA・MK両被告人に対し従属的な役割で加担した。矯正可能性は否定できないが罪責は大きい」として同様に控訴棄却判決(第一審の死刑判決を支持)を受けている[149]。2008年11月25日に第一次再審請求[154]。 |
宮崎連続強盗殺人事件 (M) | 2007年2月6日 | 2001年11月25日 2001年12月7日[137] |
1968年(昭和43年)2月23日生まれ[137]。2003年1月24日に宮崎地裁(小松平内裁判長[注 14])で死刑判決を受け、2004年5月21日には福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)で控訴棄却判決を受けた[137]。 2007年2月6日に最高裁(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[137]。2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)[137]。 |
宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) | 2007年3月8日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[155] |
2000年6月11日 | 1951年(昭和26年)3月13日生まれ[137]。公判では第一審から「店員を脅すためにライターに着火したら爆発した」と主張し殺意を否認したが[149]、2002年3月19日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた[137]。 2003年4月23日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決を受け[137]、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)から2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡された[156]。その後、2007年3月8日付で同小法廷が被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定した[注 21][155]。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)[137]。 |
名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) | 2007年3月22日 | 2002年3月14日 | 1950年(昭和25年)3月12日生まれ[158]。旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。 第一審・名古屋地裁(伊藤新一裁判長)では2003年5月15日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁(小出錞一裁判長)で2004年2月6日に一審破棄・死刑判決を受けた[158]。 2007年3月22日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[158]。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)[158]。 |
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) | 2007年4月14日[159] | 2001年5月8日 | 1958年(昭和33年)5月19日生まれ[158]。 2003年2月12日に青森地裁(山内昭善裁判長)で死刑判決を受け、2004年2月19日に仙台高裁(松浦繁裁判長)で控訴棄却判決を受けた[158]。 最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが[160]、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却され[161]、同月14日付で死刑が確定[159]。 2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 3]で死刑執行(56歳没)[158]。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。 |
池袋通り魔殺人事件 (Z) | 2007年5月2日 (正式な死刑確定日)[157] |
1999年9月8日 | 1975年(昭和50年)11月29日生まれ[162]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中[163](現在49歳)。 本籍地は岡山県岡山市灘崎町[162](現:岡山市南区灘崎)。 公判では犯行時の責任能力が争点となったが、東京地裁(大野市太郎裁判長)は2002年1月18日に完全責任能力を認定して死刑判決を言い渡した[164]。当時、死者が出た通り魔事件で完全責任能力が認定され死刑判決が言い渡された事例は極めて異例だった[注 22][165]。 控訴審・東京高裁(原田國男裁判長)でも2003年9月29日に控訴棄却判決を[166]、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)でも2007年4月19日に上告棄却判決を受け[167]、訂正申し立て期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑が確定した[注 21][157]。 |
福山市独居老婦人殺害事件 (N) | 2007年5月9日 (正式な死刑確定日)[168] |
1992年3月29日 | 1953年(昭和28年)1月13日生まれ[169][158]。2020年9月27日時点で[5]広島拘置所に収監中(現在71歳)[163]。 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[158]。第一審・広島地裁(1994年9月30日)および控訴審・広島高裁(1997年2月4日)はいずれも無期懲役判決だったが[158]、1999年12月10日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は控訴審判決を破棄して審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した[170]。2004年4月23日に差し戻し後の控訴審・広島高裁(久保真人裁判長)で死刑判決を、2007年4月10日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決(死刑判決支持)を受け[171]2007年5月9日付で死刑が確定した[168]。 1997 - 1998年の検察上告中、唯一高裁へ差し戻された事例で[158]、最高裁が死刑を求めた検察の上告を認めて無期懲役判決を破棄し、差し戻し後の控訴審で言い渡された死刑判決が確定した事例は永山則夫連続射殺事件以来戦後2件目だった[171]。 |
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫) | 2007年5月31日[158] | 2005年11月17日 | 1983年(昭和58年)8月21日生まれ[158]。16歳のとき山口母親殺害事件を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした。 2006年12月13日に大阪地裁(並木正男裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[158]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)[158]。 |
太州会内部抗争連続殺人事件 (N) | 2007年6月12日 | 1997年10月 | 1947年(昭和22年)6月3日生まれ[158]。2020年9月27日時点で[5]福岡拘置所に収監中(現在77歳)[163]。 無罪を主張したが、2003年5月1日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受けた[158]。2005年4月12日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却、2007年6月12日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[158]。 |
春日部中国人夫婦殺害事件 (S) | 2007年6月19日 | 2000年9月22日 | 1973年(昭和48年)8月21日生まれ[172]。中華人民共和国国籍[172]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中[163](現在51歳)。 元筑波大学大学院生。被害者・加害者とも中国人留学生[158]。被害者夫は新越谷外国語会話教室中国語講師で埼玉大学大学院生、妻は筑波大学大学院生。 2002年2月22日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2004年1月23日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決[158]。 2007年6月19日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け[173]、死刑が確定[158]。 事実誤認・量刑不当を主張[158]。 |
自殺サイト殺人事件 (M) | 2007年7月5日[158] | 2005年2月19日 - 6月[158] | 1968年(昭和43年)8月8日生まれ[158]。2007年3月28日に大阪地裁(水島和夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月5日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[158]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。 |
三重連続射殺事件 (H) | 2007年7月5日 | 1994年7月19日 1994年11月20日[158] |
1960年(昭和35年)4月10日生まれ[174][158]・会社役員[174]。2020年9月27日時点で[5]名古屋拘置所に収監中(現在64歳)[163]。 本籍地は三重県度会郡南伊勢町、住居は三重県松阪市下村町[174]。 男性2人を相次いで射殺し、2人の遺体を土に埋め、奪った預金通帳などから現金1,227万円を引き出すなどした[175]。無実を主張したが、2002年12月18日に津地裁(天野登喜治裁判長)で死刑判決を受けた[158]。その後、2004年3月22日に名古屋高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[158]。 2007年7月5日に最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け[176]、死刑が確定[158]。 共犯者1人は一・二審とも無期懲役を言い渡され、検察官が上告していたが、2005年7月15日付で最高裁第二小法廷(津野修裁判長)が検察官の上告を棄却する決定を出した[175]ため、無期懲役が確定している[177]。 |
熊谷男女4人殺傷事件 (O) | 2007年7月18日[158] | 2003年8月18日 | 1977年(昭和52年)7月20日生まれ[158]。2007年4月26日にさいたま地裁(飯田喜信裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月18日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[158]。 2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)[158]。死刑執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて死刑執行に立ち会った。 |
オウム真理教事件(横山真人) | 2007年8月23日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[178] |
1995年3月20日 | 1963年(昭和38年)10月19日生まれ[179]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。 1999年9月30日に東京地裁(山崎学裁判長)で死刑判決を受け、2003年5月19日に東京高裁(原田國男裁判長)で控訴棄却判決[179]。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した[178]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[63]、同所で第一次再審請求即時抗告中の2018年7月26日に死刑執行(54歳没)[179]。 |
上申書殺人事件 (G) | 2007年10月16日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[180] |
2000年7月30日 2000年8月20日[179] |
1958年(昭和33年)7月24日生まれ[179]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在66歳)[181]。 茨城県水戸市・栃木県宇都宮市で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ[180]、2003年2月24日に宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で死刑判決を受けた[179]。2004年7月6日に東京高裁(山田利夫裁判長)で控訴棄却判決を受けたが、上告中の2005年10月に「1999年 - 2000年、起訴された事件とは別に3件の殺人事件に関与した」とする上申書を[179]茨城県警に提出した[182]。 水戸・宇都宮事件の上告審では最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[180]。10月9日に判決の訂正を申し立てたが[183]、2007年10月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[180]。 余罪事件では2009年6月30日に水戸地裁で懲役20年の判決を受け[179]、控訴棄却を経て2012年2月20日付の最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)決定により上告が棄却されたことで確定したが、既に死刑が確定していたため、刑法の規定[注 23]により懲役刑は執行されない[182]。 |
オウム真理教事件(端本悟) | 2007年11月12日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[184] |
1989年12月など | 1967年(昭和42年)3月23日生まれ[179]。オウム真理教の元幹部で坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件などに関与[179]。 2000年7月25日に東京地裁(永井敏雄裁判長)で死刑判決を受けた[179]。2003年9月18日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決を[179]、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[184]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)[179]。 |
マブチモーター社長宅殺人放火事件(畠山鐵男) | 2007年11月1日 | 2002年8月5日 2002年9月24日 2002年11月21日 |
1943年(昭和18年)4月17日生まれ(旧姓:小田島)[179]。本事件以前にも練馬三億円事件(1990年発生)を起こして懲役12年に処された前科がある[185]。 一連の連続殺人(4人殺害)を起こした後、2004年 - 2005年に新聞のお悔やみ記事を見て通夜・葬式で留守の家に押し入る空き巣を繰り返して逮捕され[186]、その後連続殺人への関与が判明した。最初の事件(2002年8月にマブチモーター社長の妻・娘を殺害した事件)は2005年10月に解決し[187]、一連の連続殺人は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された[188]。 2007年3月22日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け、2007年11月1日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[179]。共犯Mも一・二審で死刑判決を受け[189][190]、2011年11月に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[191]。ノンフィクション作家・斎藤充功と交流していたほか[注 24]、実名(「小田島鐵男」名義)で2009年に『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版)を出版した[193]。 食道癌のため2017年9月16日に東京拘置所内で病死(74歳没)[194]。 |
大和連続主婦強盗殺人事件 (S) | 2007年12月5日 (正式な死刑確定日)[195] |
2001年8月29日 2001年9月19日[179] |
1954年(昭和29年)10月28日生まれ[179]。共犯者は無期懲役判決(求刑:死刑)を受けた[179]。 2003年4月30日に横浜地裁(田中亮一裁判長)で死刑判決を受け、2004年9月7日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決[179]。2007年11月6日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[179](正式な死刑確定日は2007年12月5日)[195]。 再審請求中の2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)[179]。 |
横浜前妻一家3人殺害事件 (F) | 2007年11月15日 | 2002年7月31日 | 1965年(昭和40年)4月7日生まれ[179]。2004年3月30日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を受け、2005年5月24日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[179]。 2007年11月15日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[179]。2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)[179]。 |
岡山女性殺害事件 (U) | 2007年11月30日 | 2001年8月9日[179] | 1939年(昭和14年)7月29日生まれ[196]。本籍地は愛知県豊田市実栗町[196]。 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[179]。愛知県内で知人女性2人を相次いで殺害し、遺体を遺棄したとして[注 25][198]、1980年3月19日に名古屋地裁一宮支部(吉川清裁判長)で無期懲役判決(求刑:同)を受けた[注 26][197]。 1999年11月に仮釈放されたが、出所後の2001年8月に金銭トラブルから、岡山県岡山市内で無職女性(当時57歳)を絞殺し[198]、遺体を市内の竹やぶに遺棄した[200]。 2003年5月21日に岡山地裁(榎本巧裁判長)で死刑判決を、2004年2月5日に広島高裁岡山支部(安原浩裁判長)で控訴棄却判決を受けた[179]。2007年11月30日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[198]死刑が確定したが、2008年2月7日に肝門部胆管癌のため、大阪医療刑務所[注 27]内で病死(68歳没)[200]。この時、法務省は病死した死刑確定者(それまでは氏名・性別を秘匿し病死の事実の未公表)の氏名を初めて公表した[注 28][200]。 |
2008年死刑確定囚(10人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
長崎・佐賀連続保険金殺人事件 (S) | 2008年1月31日 | 1992年9月11日 1998年10月27日[179] |
1947年(昭和22年)7月11日生まれ[179]。2020年9月27日時点で[5]福岡拘置所に収監中(現在77歳)[181]。2003年1月31日に長崎地裁(山本恵三裁判長)で死刑判決を受け、2004年5月21日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[179]。共犯者は一審で死刑判決を受けたが、控訴審で無期懲役になった[179]。 2008年1月31日に最高裁(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[179]。 |
オウム真理教事件(小池泰男) | 2008年3月3日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[201] |
1995年3月20日等 | 1957年(昭和32年)12月15日生まれ(旧姓:林)[179]。オウム真理教の元幹部で松本サリン事件・地下鉄サリン事件などに関与[179]。 2000年6月29日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を、2003年12月5日に東京高裁(村上光鵄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[179]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[201]。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され[63]、第一次再審請求の特別抗告中だった2018年7月26日に宮城刑務所(仙台拘置支所に隣接)[注 3]で死刑執行(60歳没)[179]。 |
三島女子短大生焼殺事件 (H) | 2008年3月17日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[202] |
2002年1月22日 | 1972年(昭和47年)2月21日生まれ[179]。 「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度な計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。 強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油を掛け、生きたまま焼き殺した。 第一審・静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)では2004年1月15日に無期懲役判決を受けたが、2005年3月29日に東京高裁(田尾健二郎裁判長)は一審破棄・死刑判決を言い渡した[179]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月29日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け[203]、判決訂正申し立ても2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[202]。2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)[179]。 |
宇都宮実弟殺害事件 (H) | 2008年3月17日[204] | 2005年5月8日[204] | 1942年(昭和17年)8月6日生まれ[204]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在82歳)[205]。 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[204]。 2007年1月23日に宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)で死刑判決を受け、2007年8月16日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決[204]。2008年3月17日に自ら上告を取り下げ死刑確定[204]。 |
京都・神奈川親族連続殺人事件 (M) | 2008年4月8日[204] | 2007年1月16日 2007年1月23日[204] |
1981年(昭和56年)8月3日生まれ[204]。 気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。 2008年3月17日に京都地裁(増田耕兒裁判長)で死刑判決を受け、同年4月8日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[204]。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)[204]。 |
入間暴力団組員5人射殺事件 (Y) | 2008年4月23日 | 2003年12月14日[204] | 1947年(昭和22年)4月2日生まれ[206]。 本籍地は東京都青梅市今井一丁目、住居は埼玉県入間市鍵山一丁目[206]。 指定暴力団・住吉会系元組長[207]。中学校卒業直後から暴力団員として活動し、殺人未遂で懲役4年に処されるなど、粗暴犯を中心に多数の前科あり[208]。 拳銃を用い[208]、入間市内の暴力団事務所で、同系列の別の暴力団組長ら5人を射殺したとして、殺人罪などに問われた[209]。2005年9月8日にさいたま地裁(福崎伸一郎裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月28日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決を受けた[204]。2008年4月24日に最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け[208]、死刑が確定[204]。 死刑確定後の2009年8月に肝臓癌が判明したが、手術を希望せず、容体が悪化した同年11月から東京拘置所内の病室で酸素吸入を受けるなどの処置を受けていた[207]。2010年1月2日に病死(62歳没)[209]。 |
伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K) | 2008年6月5日 | 2001年8月4日[204] | 1961年(昭和36年)4月30日生まれ[204]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在63歳)[205]。 2004年2月4日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を、2005年7月19日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[204]。2008年6月5日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 |
下関通り魔殺人事件 (U) | 2008年7月11日 | 1999年9月29日 | 1964年(昭和39年)3月6日生まれ[204]。下関駅の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。 第一審の精神鑑定では「心神耗弱」と「完全責任能力がある」とするものに結果が分かれたが、判決では完全責任能力が認定され、山口地裁下関支部(並木正男裁判長)で2002年9月20日に死刑判決を受けた[204]。2005年6月28日に広島高裁(大渕敏和裁判長)で控訴棄却判決を[204]、2008年7月11日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても同小法廷決定(2008年8月30日まで)で棄却されたため、死刑が確定した[210]。 2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。 |
本庄保険金殺人事件(八木茂) | 2008年8月6日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[211] |
1995年6月3日 - 1999年5月29日[204] | 1950年(昭和25年)1月10日生まれ[204]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在74歳)[205]。 殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ[211]無実を主張したが、さいたま地裁は共犯者の調書を根拠に有罪と認定し、2002年10月1日にさいたま地裁(若原正樹裁判長)で死刑判決を言い渡した[204]。 2005年1月13日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を[204]、2008年7月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[211]。 |
福島悪魔払い殺人事件 (E) | 2008年10月5日[212] | 1994年12月 - 1995年6月[204] | 1947年(昭和22年)8月21日生まれ[204]。戦後女性死刑囚執行第4号。2002年5月10日に福島地裁(原啓裁判長)で死刑判決を受け、2005年11月22日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[204]。2008年9月16日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[213]、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却され[214]、同年10月5日付で死刑が確定[212]。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 3]で死刑執行(65歳没)[204]。 |
2009年死刑確定囚(17人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (WM) | 2009年1月22日[204] | 2000年7月13日[204] | 1952年(昭和27年)12月9日生まれ・小物販売業[215]。旧姓I[215][204]。 元暴力団組長[216]。本籍地は北海道旭川市東光、住居は札幌市西区二十四軒二条四丁目[215]。 後述のIKから依頼を受け、暴力団「渡一家」[216](山口組系)[217]の組長夫婦を拳銃で射殺したとして、殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、事件前に組長宅への強盗を企てた強盗予備罪[注 29]に問われた[218]。拳銃の加重所持などにより懲役7年に処されるなど、前科4犯(いずれも実刑の懲役刑)を有している[218]。 2004年3月26日に富山地裁(神沢昌克裁判長)で死刑判決を[219]、2006年2月16日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却判決を受けた[204]。2009年1月22日に最高裁第一小法廷(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け[218]、死刑が確定[204]。なお、同事件ではWM・IK両被告人とは別に、被害者の組長が率いていた「渡一家」の副組長も「事件の首謀者」として死刑を求刑されたが、2006年11月21日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で無罪判決を受けた[216]。検察が控訴したが、名古屋高裁金沢支部(青木正良裁判長)でも2008年4月17日に控訴棄却の判決を受け[220][217]、無罪が確定した[221]。 名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に肝不全による出血性ショックにより入院先の病院で病死(56歳没)[222]。 |
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (IK) | 2009年3月23日[204] | 2000年7月13日[204] | 1947年(昭和22年)3月15日生まれ(旧姓O)[223][204]。本籍地および住居は富山県高岡市大町[223]。 上記WMの共犯者で、暴力団「渡一家」元幹部(被害者である組長の舎弟)[216]。取調べの段階で「副組長(無罪確定)と一緒に組長WMに対し、被害者夫婦の殺害を依頼した」と供述した[216]。WMに命じて組長夫婦を殺害させた殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、建造物侵入・威力業務妨害・覚醒剤取締法違反の余罪あり。 2005年1月27日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で死刑判決を[224]、2006年10月12日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却の判決を受けた[204]。 2009年3月23日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[225]、死刑が確定[204]。確定後の2009年5月13日、金沢刑務所から名古屋拘置所に移監された[226]。 再審請求中の2014年7月16日に肝臓癌のため収監先・名古屋拘置所内で病死(67歳没)[227]。 |
熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M) | 2009年4月3日[212][204] | 2003年10月16日[204] | 1973年(昭和48年)5月26日生まれ[204]。 2006年9月21日に熊本地裁(松下潔裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月3日に福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で控訴棄却判決[204]。 2009年4月3日に水から上告を取り下げ死刑確定[204]。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)[204]。 |
闇サイト殺人事件 (K) | 2009年4月13日[104] | 2007年8月(24日 - 25日) | 1973年(昭和48年)3月9日生まれ[104]。2009年3月18日に名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが2009年4月13日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[104]。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[104]。 共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した[228]。 |
和歌山毒物カレー事件(林眞須美)[104] | 2009年5月18日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[229] |
1998年7月25日[104] | 1961年(昭和36年)7月22日生まれ[104]。女性死刑囚。2020年9月27日時点で[5]大阪拘置所に収監中(現在63歳)[230]。 第一審では黙秘したが、2002年12月11日に和歌山地裁(小川育央裁判長)で死刑判決を受けた[104]。控訴審ではカレー事件について無実を主張したが、2005年6月28日に大阪高裁(白井万久裁判長)で控訴棄却判決を受けた[104]。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[231]、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[232]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した[229]。2014年3月に支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩と養子縁組。著書に『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』『和歌山カレー事件--獄中からの手紙』(共著)がある[104]。 |
埼玉愛犬家連続殺人事件 (S) | 2009年6月22日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[233] |
1993年4月20日 - 8月26日 | 1942年(昭和17年)1月2日生まれ[104]。共犯者・風間の元夫[234]。事件前にはテレビ番組「男のBEタイム」(テレビ東京系列、1988年9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演したほか、有名ブリーダーとして雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。 従犯・山崎永幸は懲役3年の判決を受け(1998年8月28日に満期出所)、出所後の1999年に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社)[注 30]を出版したほか、2001年6月20日放映のテレビ番組『オフレコ!』(TBS系列)に出演し事件について証言した。 公判で被告人Sは「犯行は元妻・風間が主導した」と主張したが[235]、風間とともに2001年3月21日に浦和地裁(須田贒裁判長)で死刑判決を、2005年7月11日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決をそれぞれ受けた[104]。2009年6月5日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で風間とともに上告棄却判決を受け[236]、両被告人の判決訂正申し立ても同月22日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[233]。 死刑確定後の2016年11月に収監先・東京拘置所内で心臓発作を起こして外部の病院に救急搬送され、以降は拘置所内で治療を受けていたが[234]、2017年3月27日に多臓器不全のため所内で病死(75歳没)[237]。 |
埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子[238]) | 2009年6月22日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[233] |
1993年4月20日 - 8月26日 | 1957年(昭和32年)2月19日生まれ[104]。共犯者Sの元妻[234]・女性死刑囚。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在67歳)[230]。 事件前の1992年2月に著書『愛しのアラスカン・マラミュート』(アフリカケンネル)を出版している。 公判で風間は「一部の死体損壊・遺棄に関与しただけで、元夫Sに利用された」と主張していたが[235]、元夫Sとともに死刑判決を受け確定した[104]。 死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに2人の手記・絵画が掲載されている。2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。 |
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) | 2009年6月9日[104] | 2003年2月23日 2003年4月1日[104] |
1957年(昭和32年)2月19日生まれ[104]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在67歳)[230]。 2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受けた[104]。2009年6月9日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[239]。共犯Tは控訴を取り下げ、2005年11月30日に死刑が確定した[79]。 |
ファミレス2人射殺事件 (M) | 2009年6月26日[240] | 2005年4月25日 | 1956年(昭和31年)8月15日生まれ[104]。2005年12月12日に千葉地裁(金谷暁裁判長)で死刑判決を、2006年10月5日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた[104]。2009年6月15日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[104]、同年6月26日付で死刑が確定[240]。 共犯1人 (H) は2011年12月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[241]、もう1人の共犯は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で共犯Hとともに死刑執行(52歳没)[242]。 |
仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T) | 2009年6月23日 | 2001年1月8日 2001年2月3日 |
1963年(昭和38年)6月10日生まれ(旧姓I)[104]。2020年9月27日時点で[5]宮城刑務所仙台拘置支所[注 3]に収監中(現在61歳)[230]。 貸金業者ら2人を殺害し、2004年3月25日に仙台地裁(本間榮一裁判長)で死刑判決を受けた[104]。2005年7月26日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却の、2009年6月23日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[104]。 |
前橋スナック銃乱射事件 (K) | 2009年7月31日 (訂正申立棄却決定日)[243] |
2003年1月25日 | 1969年(昭和44年)8月18日生まれ[104]。2020年9月27日時点で[5]東京拘置所に収監中(現在55歳)[230]。 住吉会系暴力団の元組幹部[243]。暴力団住吉会幸平一家Y会の元会長YO(2014年に死刑確定・2020年に獄中で自殺)から同じ住吉会系暴力団組員・YK(2013年に死刑確定)とともに対立していた元暴力団組長の殺害を指示され、群馬県前橋市のスナック店内で拳銃を乱射して計4人(店の前にいた元組長の護衛約1人+客3人)を射殺し、元組長ら2人にも重傷を負わせた[244]。 2005年3月28日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、2006年3月16日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決[104]。 2009年7月10日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受け、判決への訂正申立も同月31日付の決定で棄却されたため、死刑が確定[243]。 |
オウム真理教事件(早川紀代秀) | 2009年7月31日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[245] |
1989年2月 1989年11月4日 |
1949年(昭和24年)7月14日生まれ[104]。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。 最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため[245]、2008年8月1日までに死刑が確定した[246]。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され[63]、第3次再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(69歳没)[104]。 |
オウム真理教事件(豊田亨) | 2009年12月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[247] |
1995年3月20日 | 1968年(昭和43年)1月23日生まれ[104]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。広瀬とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[247]。第1次再審請求の即時抗告中だった2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)[104]。 |
オウム真理教事件(広瀬健一) | 2009年12月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[247] |
1995年3月20日 | 1964年(昭和39年)6月12日生まれ[104]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。豊田とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[247]。第1次再審請求中の2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)[104]。 |
北見市資産家夫婦殺害事件 (K)[248] | 2009年12月4日[248] | 1988年10月21日 | 1945年(昭和20年)1月1日生まれ[249][250]。2020年9月27日時点で[5]札幌刑務所札幌拘置支所[注 3]に収監中(現在79歳)[251]。 生命保険契約を結んでもらうために虚偽の説明をしたことが発覚することを免れるため、北海道北見市で顧客の資産家夫婦をドライバー・包丁で刺殺した[248]。事件後には海中に車を転落させ、自殺を装うなどして[248]13年余り逃亡したが[250]、公訴時効成立の約10か月前(2002年12月)に逮捕された[248]。 2004年3月2日に釧路地裁北見支部(伊東顕裁判長)で死刑判決を受け、2005年12月1日に札幌高裁(長島孝太郎裁判長)で控訴棄却判決を受けた[250]。 2009年12月4日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[248]。 |
架空建設計画取引における連続殺人事件 (S) | 2009年12月24日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[252] |
1996年6月8日 1996年11月19日 |
1950年(昭和25年)10月4日生まれ[253][250]。本籍地は福岡県嘉麻市[253]。下記Tの共犯。2020年9月27日時点で[5]福岡拘置所に収監中(現在74歳)[251]。 2004年3月11日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受け、2006年5月24日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決[250]。2009年12月11日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け[254]、2009年12月24日付で同小法廷が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため、死刑が確定[252]。 |
架空建設計画取引における連続殺人事件 (T) | 2009年12月24日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[252] |
1996年6月8日 1996年11月19日 |
1943年(昭和18年)10月19日生まれ[253]。本籍地および住居は福岡県飯塚市[253]。 上記Sの共犯。第一審・福岡地裁では(Sが死刑判決を受けた日と同日に)無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁では一審破棄・死刑判決を受け、上告棄却により死刑確定[250]。2010年4月14日に収監先・福岡拘置所で病死(66歳没)[250]。 |
脚注
注釈
- ^ 被害者4人のうち2人の殺害について実を主張して再審請求していたが、2004年2月9日に横浜地裁で再審請求棄却決定を受け、即時抗告(東京高裁)も同年4月23日に、特別抗告(最高裁)も同年5月29日で棄却され[9]、2004年6月末時点で[10]次の再審請求を準備していた[9]。
- ^ 2004年7月末[33](上告棄却判決直後)時点では共犯S・K両名とともに仙台拘置支所に収監されていた[34]。
- ^ a b c d e f g h 札幌高裁・仙台高裁の管内(前者は北海道全域・後者は東北6県)で死刑が確定した死刑囚はそれぞれ札幌拘置支所・仙台拘置支所に収監されるが、死刑執行設備(刑場)はそれぞれ拘置支所に隣接する札幌刑務所・宮城刑務所に位置するため、死刑執行はそれぞれ刑務所で行われる[35]。
- ^ 被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた[41]。
- ^ 無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった[39]。
- ^ 第一審判決後(2000年4月17日)に三重刑務所から名古屋拘置所へ移監された[57]。
- ^ 加害者Mは被害者2人と面識があった[55]。
- ^ 加害者Mがかつて勤務していたパチンコ店[55]。
- ^ ただし、姫路市の事件(控訴審で唯一犯行を認めた)は「殺害後に金品奪取の意図が生じた疑いが残る」として強盗殺人罪の成立を認めず殺人・窃盗罪を適用した[68]。
- ^ 刑法第45条「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。」
- ^ 上告中の2004年7月末時点では[33]八王子医療刑務所に収監されていた。
- ^ 『毎日新聞』はこの時に「最高裁によれば、確認できた限りでは上告審で公判手続きが停止された例はないようだ」と報道した[93]。
- ^ 上田は判決公判前に定年退官したため、判決文は中西武夫裁判官(後に控訴審で東京高裁の裁判長を担当)が代読した[111]。
- ^ a b 小松平内は2000年 - 2004年、宮崎地裁の裁判長として死刑判決を3件宣告した[130]。
- ^ 著書名義は「髙橋義博」[139]。
- ^ この男性(美容院経営者)は医師の資産を管理していた[141]。
- ^ 福島は国政調査権を使い[145]、2008年7月に死刑確定者たちへアンケート用紙を郵送し(最終締切は同年8月末)[146]、郵送相手105名のうち78名から回答を得ている[145]。
- ^ 1人は高橋とともに死刑を求刑されたが、殺害を思いとどまるように進言したことなどから「人間性も見られた」として無期懲役となった[141]。ほか2人はいずれも無期懲役求刑[141]。
- ^ 主犯とされた高橋とともに殺人の計画性を否定した実行犯2人 (X・Y) は「殺人は、被害者の1人が急に暴れたため、YとZが2人で首を絞めて殺した偶発的なもの。1人を殺したことで、もう1人も殺すしかなくなり、仕方なく殺した」と主張していた[147]。しかし、高橋は「その証言を認めると、主犯である自分の殺人が無罪になるため、横浜地裁は『被告人らの証言は信憑性に欠ける』として、捜査段階での脅迫を交えた取り調べによって得られた(員面・検面)調書のみを証拠とした」と主張している[147]。
- ^ 上告中の2004年7月末時点では[33]共犯MA・MKとともに名古屋拘置所に収監されていた[153]。
- ^ a b 宇都宮宝石店放火殺人事件の加害者の死刑確定(2007年3月8日)により[155]、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)で初めて100人に達した[156]。同年4月27日に3人の死刑が執行されたことで、拘置中の死刑囚人数は99人に減少したが、池袋通り魔殺人事件の加害者への死刑が同年5月2日付で確定したため、再び100人に達した[157]。
- ^ 新宿西口バス放火事件・深川通り魔殺人事件では複数人の死者が出たが、いずれも判決では心神耗弱が認定されて無期懲役(求刑:死刑)が出ていたほか、心神喪失で不起訴となった事例も複数あった[165]。
- ^ 刑法第51条「併合罪について二個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行する。ただし、死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない。」
- ^ 斎藤は小田島鐵男(畠山鐵男)の死後に『3650 死刑囚小田島鐡男"モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間』(ミリオン出版)を出版した[192]。
- ^ 1974年11月 - 1977年5月にかけ、勤務先(名古屋緑郵便局)から約620万円を横領したことが交際相手の女性(当時37歳・岡崎市在住)に露見して冷たくされ、別れ話を持ちかけられたため、1977年8月21日に岡崎市内で女性を丸太で撲殺し、遺体を東加茂郡足助町(現:豊田市)の久木川河原に埋めて遺棄した[197]。さらに横領の追及を逃れ、小牧市に移り住んでいた1979年8月26日、結婚話のもつれから、岩倉市内のマンションで女性(当時37歳)を絞殺し、遺体をほぼ同じ場所(久木川河原)に埋めた[197]。
- ^ 検察官は同年3月5日に「わずかな間に2人の人命を奪った極悪非道な犯行だ」として、無期懲役を求刑していた[199]。Uは当時の公判で殺意を否定したが、名古屋地裁一宮支部は明確な殺意を認定した上で、「犯行そのものは短期間に2人を殺害した冷酷なもので、極刑に値するが、Uの横領を知り、被害者2人が急に冷たくなるなど、2人にも落ち度があった。Uもこれまでの公判で素直に罪を認め、被害者の冥福を祈る改心の態度を示している」として、求刑通り無期懲役を宣告した[197]。
- ^ 上告審判決(2007年11月30日)の時点で大阪医療刑務所に収容されていた[196]。
- ^ 法務省成人矯正課は、その理由を「死刑執行された死刑囚の氏名を公表するようになった2007年12月以降の流れを踏まえた」と説明したが、年齢・犯罪事実は公表しなかった[200]。
- ^ 同事件前、WMらは被害者である組長の家に押し入る強盗を計画・予備していたが、その実行予定者が警察に逮捕されて失敗[218]。計画が組長側に発覚することを恐れたIKらから組長夫婦の殺害を依頼され、実行した[218]。
- ^ 実際は『週刊新潮』元記者・作家の蓮見圭一による代筆。2000年発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義。後に『愛犬家連続殺人』に改題して角川書店(角川文庫)から発刊。
出典
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- 裁判官:加藤幸雄(裁判長)・舟橋恭子・片山博仁
- 主文
- 名古屋拘置所長が,原告に対して平成17年6月10日にした,教父母との交通(礼状の発信と面会)を不許可とする告知の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
- 原告のその余の請求を棄却する。
- 訴訟費用は原告の負担とする。
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- 最高裁判所裁判官:古田佑紀(裁判長)・今井功・中川了滋・竹内行夫
参考文献
永山判決
- 最高裁判所第二小法廷判決 1983年(昭和58年)7月8日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁、昭和56年(あ)第1505号、『窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』「一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例」、“一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。”。 - 永山則夫連続射殺事件(被告人:永山則夫)の上告審判決。後に「永山基準」と呼ばれる死刑適用基準が明示された。
死刑事件全般関連の文献(判例集)
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個別事件関連の書籍(加害者・被害者などの著書・手記を含む)
- 河村啓三『こんな僕でも生きてていいの』(第1刷発行)インパクト出版会(発行人:深田卓)、2006年4月10日。ISBN 978-4755401633 。 - コスモ・リサーチ事件の加害者(2004年に死刑確定 / 2018年に死刑執行)による著書
アムネスティ・インターナショナルからの報告書
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- 「第2節 日弁連が支援している再審事件の現状 > 1 日弁連が支援している再審事件」『弁護士白書 2020年版』日本弁護士連合会、2021年2月26日、196-198頁。ISBN 978-4902873191。オリジナルの2021年4月9日時点におけるアーカイブ 。2021年4月9日閲覧。
インパクト出版会の書籍(『年報・死刑廃止』シリーズなど)
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:阿部圭太・岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:国分葉子・フォーラム90実行委員会) 編『死刑と情報公開 年報・死刑廃止1999』(第1刷発行)インパクト出版会、1999年11月10日。ISBN 978-4755400957 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:阿部圭太・岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会) 編『終身刑を考える 年報・死刑廃止2000-2001』(第1刷発行)インパクト出版会、2001年3月15日。ISBN 978-4755401046 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・末広哲・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) 編『世界のなかの日本の死刑 年報・死刑廃止2002』(第1刷発行)インパクト出版会、2002年7月15日。ISBN 978-4755401237 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会・国分葉子) 編『無実の死刑囚たち 年報・死刑廃止2004』(第1刷発行)インパクト出版会、2004年9月20日。ISBN 978-4755401442 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、中井厚、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所) 編『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』(発行)インパクト出版会、2009年4月10日。ISBN 978-4755401978 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、高田章子、中井厚、深瀬暢子、安田好弘、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所、死刑廃止のための大道寺幸子基金) 編『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』(発行)インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN 978-4755402241 。
- 年報・死刑廃止編集委員会『オウム死刑囚からあなたへ 年報・死刑廃止2018』インパクト出版会、2018年10月25日。ISBN 978-4755402883 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日。ISBN 978-4755402982 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『コロナ禍のなかの死刑 年報・死刑廃止2020』(第1刷発行)インパクト出版会、2020年10月10日。ISBN 978-4755403064 。