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* 幼少期から慢性腎炎や[[呼吸不全|呼吸筋不全症]]、[[B型肝炎]]などの疾患を抱えている<ref name="kokkai"/>。[[ライフワーク]]は「スポーツ文化をキーワードに健康寿命を延伸させ、余暇を充実させ誰もが心豊かに生きることができる環境づくり」である<ref name="kokkai"/>。 |
* 幼少期から慢性腎炎や[[呼吸不全|呼吸筋不全症]]、[[B型肝炎]]などの疾患を抱えている<ref name="kokkai"/>。[[ライフワーク]]は「スポーツ文化をキーワードに健康寿命を延伸させ、余暇を充実させ誰もが心豊かに生きることができる環境づくり」である<ref name="kokkai"/>。 |
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* 2021年2月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の新会長に就任した橋本は記者会見の質疑応答の中で、一部で報じられたフィギュアスケート男子の[[高橋大輔]]選手との「キス騒動」に言及<ref name="nikkei20210218">{{Cite news | url = https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG18BID0Y1A210C2000000/ | title = 「社会の空気変える」橋本新会長、五輪へ強い思い | newspaper = 日本経済新聞電子版 | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2021-2-18 | accessdate = 2021-2-23 }}</ref>。橋本は「軽率な行動で、当時も今も深く反省している」と述べた<ref name="nikkei20210218"/>。 |
<!--* 2021年2月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の新会長に就任した橋本は記者会見の質疑応答の中で、一部で報じられたフィギュアスケート男子の[[高橋大輔]]選手との「キス騒動」に言及<ref name="nikkei20210218">{{Cite news | url = https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG18BID0Y1A210C2000000/ | title = 「社会の空気変える」橋本新会長、五輪へ強い思い | newspaper = 日本経済新聞電子版 | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2021-2-18 | accessdate = 2021-2-23 }}</ref>。橋本は「軽率な行動で、当時も今も深く反省している」と述べた<ref name="nikkei20210218"/>。--> |
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== 家族・親族 == |
== 家族・親族 == |
2021年3月12日 (金) 22:17時点における版
橋本 聖子 はしもと せいこ | |
---|---|
生年月日 | 1964年10月5日(60歳) |
出生地 | 日本 北海道安平町(旧 早来町) |
出身校 | 駒澤大学附属苫小牧高等学校 |
前職 |
富士急行従業員 スピードスケート選手 自転車競技選手 国務大臣 |
現職 |
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長 参議院議員 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
公式サイト | 参議院議員 橋本聖子オフィシャルサイト |
内閣 |
第4次安倍第2次改造内閣 菅義偉内閣 |
在任期間 | 2019年9月11日 - 2021年2月18日 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1995年7月 - 現職 |
橋本 聖子(はしもと せいこ、1964年(昭和39年)10月5日 - )は、日本の政治家、元スピードスケート・自転車競技選手。参議院議員(5期)。現在、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長、同理事[1]を務めている。戸籍名は、石﨑 聖子(いしざき せいこ)。
スピードスケートおよび自転車競技でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、自由民主党参議院議員会長、公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長、公益財団法人日本オリンピック委員会副会長を歴任した。
略歴
北海道勇払郡早来町(現:安平町)の牧場で生まれ育つ[2]。祖父母は開拓者で、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植した[2]。4人兄弟の末子。1964年東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた[3]。このことから、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる[4]。
父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される[5]。
中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる[要出典]。
原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死の境をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。
1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。1994年、富士急行株式会社退社。
30歳のときに自由民主党の当時の幹事長だった森喜朗から「参議院議員に出馬をしないか」とすすめられる[2]。1995年、第17回参議院議員通常選挙の比例区に自民党から立候補し初当選。
国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履く。日中は議員活動、早朝、深夜にトレーニングを行う[2]。午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、土日の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。
1996年、現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。この経験はスポーツの振興や人材育成に取り組む上で大きな財産になった[2]。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手としての現役引退を決意する[6]
1998年、一般人の男性(警察官)と結婚。
2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。
役職
- 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、初当選。
- 2000年7月 - 北海道開発総括政務次官就任。
- 2001年
- 7月 - 第19回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(2期目)
- 8月 - 参議院文教科学委員長就任。
- 2003年9月 - 自由民主党副幹事長就任。
- 2004年9月 - 自由民主党副幹事長退任。
- 2005年9月 - 自由民主党女性局長。
- 2006年6月18日 - 日本スケート連盟会長。
- 2007年7月 - 第21回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選(3期目)
- 北海道トライアスロン連合会長/トライアスロン議員連盟 幹事長
- 2007年9月 - 2007年自由民主党総裁選挙で、立候補者・福田康夫元内閣官房長官の推薦人代表となる。
- 2008年9月 - 麻生内閣で外務副大臣に就任。
- 2012年12月 - 第2次安倍内閣で自民党参議院政策審議会長に就任。
- 2013年7月 - 第23回参議院議員通常選挙で比例区から立候補、当選(4期目)
- 2016年7月 - 自民党参議院議員会長に就任[7]。女性として初の自民党参議院議員会長であると同時に、就任の時点において閣僚経験のない初の自民党参議院議員会長である(現行憲法下での閣僚経験のない自民党参院議員会長としては野村吉三郎(第2代自民党参議院議員会長)以来およそ60年ぶりであった)。
- 2019年7月 - 第25回参議院議員通常選挙で比例区から立候補、当選(5期目)
- 2019年7月 - 自民党参議院議員会長を退任
- 2019年9月 - 第4次安倍第2次改造内閣で東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)として初入閣。
- 2020年9月 - 菅義偉内閣でも東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)再任。内閣総理大臣臨時代理就任順位第5位に指定された[8]。
- 2021年2月18日 - 内閣府特命担当大臣を辞任し(後任には丸川珠代が入閣し就任)[9] [10]、同日、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任(女性蔑視発言を受けて辞任した森喜朗元首相の後任として)[11]。19日に会長就任に伴い政治的公平性を期すため自由民主党に離党届を提出。22日に受理された。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第17回参議院議員通常選挙 | 1995年7月23日 | 比例区 | 自由民主党 | ' | ' | ' | - | 第13位 | |
当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 265,545 | ' | 6/27 | - | - | |
当 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年7月29日 | 比例区 | 自由民主党 | 221,361 | 3.7 | 11/35 | - | - | |
当 | 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 279,952 | 6.4 | 5/29 | - | - | |
当 | 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年7月21日 | 比例区 | 自由民主党 | 225,617 | 4.5 | 8/33 | - | - | |
当選回数5回 (参議院議員5) |
スポーツ活動
オリンピック
オリンピック | ||
---|---|---|
日本 | ||
女子 スピードスケート | ||
銅 | 1992 アルベールビル | 女子 1500 m |
- 1984年、サラエボ冬季オリンピック出場。当時スピードスケート女子全種目の4種目に出場したが、いずれも8位以内(入賞)には届かなかった(500m11位、1000m12位、1500m15位、3000m19位)。
- 1988年、カルガリー冬季オリンピックではスピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新の上、入賞を果たす(500m5位、1000m5位、1500m6位、3000m7位、5000m6位)。但し3000mでは、同走の選手にクロッシングゾーンで本来譲られるべき走路(ほぼ同走時にはアウトからインに入るコースの選手が優先権)を、邪魔されてしまうアクシデントがあった(その同走選手は走路妨害を取られて失格)。さらに最後の出場種目だった5000mでは、レース終盤に苦悶の表情ながらも懸命に滑り続け、そして最後は完全に力尽きてしまい転倒してのゴールとなった(後に橋本本人は「あのゴール直後の転倒は私自身非常に恥ずかしく、スケート人生の中で一番悔いの残るレースだった」と語っている[12])。
- 同1988年、ソウル夏季オリンピックに自転車の代表選手として出場した。このため、関ナツエとともに、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏両方のオリンピックに出場した[13]
- 1989年、世界オールラウンドスピードスケート選手権大会において、500m優勝を含む日本人初の総合銀メダル。
- 1992年のアルベールビル冬季オリンピックも女子スピードスケート全5種目出場。女子1500mでの橋本は、序盤から中盤まで積極的に飛ばし続け、終盤ラップタイムが落ちたものの屋外リンク自己記録の2分6秒88をマーク。結果3位入賞を果たし、日本人女性としては史上初となる冬季オリンピックで銅メダルを獲得する快挙を達成した[14]。1000mは5位入賞だった(他500m12位、3000m12位、5000m9位)。
- 1992年バルセロナオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で11位。
- 1994年、リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務め、女子スピードスケートでは500mを除く4種目に出場。特に3000mでは、600m付近で当時世界記録保持者のグンダ・ニーマンの転倒に巻き込まれ、橋本自らも転んでしまい左肘と左脇腹に打撲傷を負うハプニングがあった。その後橋本の再レースが認められ、約1時間経過後の再レースでは当時の日本新記録となる6位入賞を果たした。5000mでも8位入賞だった(他1500m9位、1000m21位)。
- 1996年アトランタオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で12位、女子2万4000mポイントレースで9位。
合計7回(冬季大会4回・夏季大会3回)のオリンピック出場は日本女子最多記録である(世界最多記録は8回出場のヨセファ・イデム、レスリー・トンプソン、ニノ・サルクヴァゼが保有)。
引退後
現役引退後は後進の指導に当たる。個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル(SHI)」を設立し、代表取締役に就任[15]。
- 2006年7月1日付けで日本スケート連盟会長に就任する。また、日本オリンピアンズ協会の理事も務めている。
- 2008年10月30日、麻生内閣発足に際して外務副大臣に就任したため日本スケート連盟会長職を休職した。これは国務大臣・副大臣・大臣政務官については「公益法人その他これに類する諸団体については、報酬のない名誉職等を除き、その役職員を兼職してはならない。」とする「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」の規定によるものである。2009年9月16日、内閣総辞職に伴い外務副大臣を退任したため、日本スケート連盟会長職に復帰した。
- 2009年11月17日、日本オリンピック委員会理事に就任し、バンクーバー冬季五輪選手団長となる[16]。2012年、ロンドン夏季オリンピック選手団副団長。2013年には、日本オリンピック委員会常務理事となり[17]、女性として初めて、日本オリンピック委員会選手強化本部長を兼務[18]。2014年、ソチ冬季オリンピック選手団長となる。2015年、リオ夏季オリンピック選手団長となる[19]。2017年、日本オリンピック委員会副会長に就任[20]。
- 2009年12月21日、日本女子プロ野球機構名誉顧問に就任。
- 2010年、国会開会中ながらバンクーバーオリンピックに日本選手団の団長として参加。女性として初めてオリンピック日本選手団団長となった。スノーボード男子ハーフパイプ出場の國母和宏の服装問題で出場辞退の話が浮上した際には、団長として國母に開会式への出席辞退と謝罪会見をさせた上で競技には出場させるという裁定を下した。
- 2012年12月には日本自転車競技連盟の会長に就任。2008年から東京都自転車競技連盟の会長に就任していた。
- 2012年より、日本ハンドボール協会顧問[21]を務め、副会長に就任。
- 2012年に発覚した柔道全日本女子の園田隆二監督及びコーチらの女子柔道強化選手への暴力問題に関する、日本オリンピック委員会「緊急調査対策プロジェクト」メンバーを勤める。2013年2月6日自民党参議院議員総会において、暴力問題を告発した15名の強化選手について「プライバシーを守ってもらいながらヒアリングをしてもらいたいというのは、決していいことでない」「あまりにも選手のプライバシーを守ろうとする観点から、15人の選手が表に出ていないことをどう判断するか。非常に大きな問題だ」と語った[22][23]。これが、告発に対する否定的な見解として問題化したため、後に「公表しないことに厳しい意見もあることから、どういう方法で選手を守り、経緯や事実を明らかにするか検討すべきという考えだ」と釈明するコメントを出した[24]。また、2013年、全日本柔道連盟外部理事に就任[25]。
- 2013年1月、日本自転車競技連盟会長に就任[26]。
- 2015年10月、全日本スキー連盟理事に就任[27][28]。
- 2017年6月、日本ライフル射撃協会副会長に就任[29]。
- 2017年7月、日本ホッケー協会副会長に就任[30]。
その他、前述の通り父が馬主であったことから、日本競馬にも幼き頃より造詣があり、自由民主党の競馬推進議員連盟の会長にも就いている[31]。
賞
- 1985年 北海道民栄誉賞
- 1986年 エイボン女性スポーツ賞
- 1988年 山梨県民栄誉賞
- 1988年 北海道新聞スポーツ賞
- 1989年 朝日体育賞
- 1989年 日本ユネスコフェアプレー賞
- 1994年 文部大臣賞
オリンピック出場7回は女子として日本最多記録[32][33]。
政策・政治活動
- 2007年12月7日に「南京の真実を検証する国民の集い」にメッセージを送った[34]。
- 2007年の第16回統一地方選挙においては自民党道連会長として、リレハンメル五輪で銅メダルを獲得したスピードスケート選手・堀井学に北海道議会議員選挙への出馬を要請した(登別市選挙区から立候補した堀井は当選)。
- 2001年の時点では選択的夫婦別姓制度には反対していた[35]。2019年の調査では「どちらとも言えない」としていた[36]。2020年10月9日の記者会見で、男女共同参画担当相として、「国民がどう望んでいるのか前向きに検討することは、非常に前進だと感じてもらえる」として、選択的夫婦別姓の導入に向けた議論に取り組む姿勢を示した[37]。
- 2012年、ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件を契機に改正された銃刀法の所持項目等を高校生射撃部員を増やすため緩めたい意向を明らかにした[38]。
- 憲法9条の改正に賛成し、自衛隊を他国同様の「国防軍」にすべき(2013年毎日新聞アンケート)。
- 日本の核武装について、国際情勢によっては武装すべき(同上)。
- 首相や閣僚の靖国神社参拝は問題ないとしている(同上)[39]。
- 2020年3月17日、新型コロナウイルス感染症の影響が懸念される東京五輪について、五輪相として「延期も規模縮小もしない予定通りの形で開催する」との認識を示した。「無観客ではないということか」と記者から問われた際、自信をもって「そのとおり」と答えた[40]。
- 2020年、男女共同参画担当大臣として、性犯罪者へのGPS機器の装着義務化等を検討する政府の方針を発表した[41]。
エピソード
- 幼少期から慢性腎炎や呼吸筋不全症、B型肝炎などの疾患を抱えている[2]。ライフワークは「スポーツ文化をキーワードに健康寿命を延伸させ、余暇を充実させ誰もが心豊かに生きることができる環境づくり」である[2]。
家族・親族
実家は養牛で知られ、父の善吉はマルゼン橋本牧場を経営し「牛のハシモト」として知られた牛の仲買商。後にサラブレッドのJRA顕彰馬マルゼンスキーのオーナーとしても知られる。母方の大叔父には新十津川村長、衆議院議員を務めた松実喜代太がいる[2]。衆議院議員を務めた高橋辰夫は義理の兄(姉の夫)である[2]。現在、三男三女あり(実子3人。夫と、死別した前妻との子供3人)。現在は千葉県在住。
支援団体
所属団体・議員連盟
著書
- 「聖火に恋して」(日刊スポーツ出版社、東京、1995年2月 ISBN 978-4-81720138-6
論文
政治資金問題
橋本が代表を務める自民党支部が、2015年2月に農林水産省の補助金対象となった北海道内の2つの企業から計42万円の寄付を受けていたことが、2016年11月公開の政治資金収支報告書により判明。橋本は「補助金対象とは知らなかった」として、寄付金の一部を返還することとした[44]。
脚注
- ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
- ^ a b c d e f g h i 第201回国会 参議院本会議 第5号 令和2年2月14日 - くにさく。2020年11月21日閲覧。
- ^ 橋本 聖子さん Interview 「競馬というのは世界最高のエンターテイメントだと思うんです。」 2/7 日本馬主協会連合会 2016年6月17日
- ^ 1988年9月16日、朝日新聞朝刊、「『聖子』の由来、いま実感 橋本さん、念願の聖火リレー」
- ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
- ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
- ^ “橋本聖子氏、自民参院会長に無投票当選 初の女性会長”. 朝日新聞. (2015年7月26日) 2016年7月26日閲覧。
- ^ “首相臨時代理 1位は麻生氏、2位は加藤氏”. 日本経済新聞. (2020年9月17日) 2020年9月17日閲覧。
- ^ “橋本氏、五輪組織委会長受諾を首相に報告 五輪相の辞表提出”. 産経新聞. (2021年2月18日) 2021年2月18日閲覧。
- ^ “丸川五輪相「日本の男女共同参画、道半ば」 森氏発言念頭か”. 産経新聞. (2021年2月18日 22時48分) 2021年2月18日 22時48分閲覧。
- ^ “橋本聖子氏が新会長に就任 東京五輪・パラ組織委員会”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年2月18日) 2021年2月18日閲覧。
- ^ 著書「聖火に恋して」より
- ^ 橋本聖子、大菅小百合ら、夏季&冬季五輪に出場したアスリート=プレーバック五輪 第11回
- ^ Albertville 1992-Medals ceremony: BORNER J. (GER) 1st, NIEMANN G. (GER) 2nd, HASHIMOTO S. (JPN) 3rd.
- ^ 国会議員情報:橋本 聖子(はしもと せいこ) - 時事ドットコム
- ^ “橋本聖子氏がJOC理事”. 朝日新聞. (2009年11月18日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “平成25・26年度JOC新役員を決定”. 日本オリンピック委員会. (2013年7月1日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “JOC会長、竹田氏8選 選手強化本部長は橋本聖子氏”. 朝日新聞. (2013年6月28日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ リオ五輪選手団団長に橋本聖子氏、夏季大会で女性は史上初 - スポニチ
- ^ 橋本氏がJOC副会長就任へ - 時事ドットコム
- ^ No.530 10月号 - 日本ハンドボール協会
- ^ “自民・橋本聖子氏、告発選手名の公表を/柔道”. 産経スポーツ. (2013年2月6日). オリジナルの2013年7月31日時点におけるアーカイブ。 2013年10月17日閲覧。
- ^ “橋本聖子氏「告発選手名の公表を」”. 日刊スポーツ. (2013年2月6日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “柔道、匿名で告発に異議? 橋本聖子氏、後に釈明”. 朝日新聞. (2013年2月7日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “全柔連、副会長・専務理事も辞職へ 女性理事に谷亮子氏ら起用”. 日本経済新聞. (2013年6月25日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ “会長のご挨拶(橋本 聖子)”. 日本自転車競技連盟. 2019年7月10日閲覧。
- ^ 【お知らせ】公益財団法人全日本スキー連盟役員一覧 - 全日本スキー連盟
- ^ 原田雅彦氏、橋本聖子氏らが全日本スキー連盟理事に - 日刊スポーツ
- ^ 新会長に松丸氏=ライフル射撃協会 - 時事通信
- ^ 新副会長に橋本聖子氏 日本ホッケー協会 - 朝日新聞デジタル
- ^ インタビュー・コラム - 日本馬主協会連合会
- ^ “橋本 聖子(はしもと せいこ)本名 石崎 聖子(いしざき せいこ)”. 参議院 2018年1月11日閲覧。
- ^ “「真摯に挑む姿見せる」橋本聖子・日本選手団長”. 毎日新聞ニュース. (2016年4月26日) 2018年1月11日閲覧。
- ^ “宮崎正弘の国際ニュース・早読み”. 宮崎正弘. (2007年12月8日) 2013年10月17日閲覧。
- ^ 世界日報 2001年11月9日
- ^ “朝日・東大谷口研究室共同調査”. 朝日新聞 (2019年). 2019年7月8日閲覧。
- ^ 夫婦別姓「前向きに検討」、共同通信、2020年10月9日。
- ^ 2012年1月11日朝日新聞
- ^ 2013参院選 自民党 橋本聖子
- ^ “五輪「観客あり、延期なし」へ準備 橋本五輪相が認識”. 朝日新聞. (2020年3月17日) 2020年3月17日閲覧。
- ^ 政府が方針を決定 性犯罪者にGPS義務化を検討
- ^ “参院選で自民候補支援の宗教団体、靖国参拝に賛否”. 朝日新聞. (2013年8月16日) 2013年10月17日閲覧。金曜日朝刊第3面記事
- ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ 補助金企業、橋本聖子氏の支部に寄付…一部返還 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
関連項目
- 日本の冬季オリンピック銅メダル
- マルゼンスキー - 実家の橋本牧場産駒の名馬。
- 日本オリンピアンズ協会 - 理事を務めている。
- 元オリンピック選手の国会議員の一覧
- 日本の女性国会議員一覧
- 自由民主党国会議員一覧
外部リンク
- 参議院議員 橋本聖子オフィシャルサイト
- 橋本聖子 - 首相官邸ホームページ
- 橋本聖子 - オリンピックチャンネル
- 橋本聖子 - Olympic.org
- 橋本聖子 - Olympedia
公職 | ||
---|---|---|
先代 鈴木俊一 |
国務大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当) 第6代:2019年 - 2021年 |
次代 丸川珠代 |
先代 片山さつき |
内閣府特命担当大臣(男女共同参画) 第26代:2019年 -2021年 |
次代 丸川珠代 |
先代 伊藤信太郎 山本一太 |
外務副大臣 伊藤信太郎と共同 2008年 - 2009年 |
次代 武正公一 福山哲郎 |
議会 | ||
先代 市川一朗 |
参議院文教科学委員長 2001年 - 2002年 |
次代 大野つや子 |
党職 | ||
先代 溝手顕正 |
自由民主党参議院議員会長 第29代:2016年 - 2019年 |
次代 関口昌一 |
先代 世耕弘成 |
自由民主党参議院政策審議会長 2012年 - 2013年 |
次代 山谷えり子 |
名誉職 | ||
先代 喜岡淳 |
最年少参議院議員 1995年7月 - 1998年7月 |
次代 鶴保庸介 |
公職 | ||
---|---|---|
先代 白川博 |
日本スケート連盟会長 第10代:2006年 - 2019年 |
次代 長島昭久 |
先代 森喜朗 |
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長 第2代:2021年 - |
次代 現職 |
- 令和時代の閣僚
- 日本の女性閣僚
- 日本の副大臣経験者
- 女性参議院議員
- 自由民主党の参議院議員
- 比例区選出の参議院議員
- 令和時代の参議院議員
- 平成時代の参議院議員
- 日本会議国会議員懇談会の人物
- 日本のスポーツ選手出身の政治家
- 日本の女子自転車選手
- 日本の女子スピードスケート選手
- オリンピック自転車競技日本代表選手
- オリンピックスピードスケート日本代表選手
- 夏冬オリンピックを経験した選手
- スピードスケートのオリンピックメダリスト
- 日本のオリンピック銅メダリスト
- アジア冬季競技大会メダリスト
- 複数のスポーツで活躍した選手
- 日本のスピードスケート指導者
- 日本の自転車競技
- 富士急行の人物
- 日本女子プロ野球機構
- 日本のトライアスロンに関する人物
- 日本の競馬に関する人物
- 駒澤大学附属苫小牧高等学校出身の人物
- 北海道出身の人物
- 1964年生
- 存命人物