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篠田体制2年目。[[榎本達也]]が引退(その後、普及部コーチに就任)、[[駒野友一]]、[[平山相太]]、[[高橋秀人]]らが退団。
篠田体制2年目。[[榎本達也]]が引退(その後、普及部コーチに就任)、[[駒野友一]]、[[平山相太]]、[[高橋秀人]]らが退団。


[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[永井謙佑]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[林彰洋]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[大久保嘉人]]、[[FCソウル]]から[[萩洋次郎]]らを獲得。1月には[[太田宏介]]が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰。更に3月には[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から前年得点王の[[ピーター・ウタカ]]を[[期限付き移籍]]で獲得するというクラブ史上例の無い大型補強を敢行した<ref>[http://thepage.jp/detail/20170226-00000002-wordleafs 大補強したFC東京が10年ぶりの敵地での鹿島撃破に見せた変革の一端] THE PAGE (2017年2月26日)</ref>。
[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[永井謙佑]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[林彰洋]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[大久保嘉人]]、[[FCソウル]]から[[萩洋次郎]]らを獲得。1月には[[太田宏介]]が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰。更に3月には[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から前年得点王の[[ピーター・ウタカ]]を[[期限付き移籍]]で獲得するというクラブ史上例の無い大型補強を敢行した<ref>[http://thepage.jp/detail/20170226-00000002-wordleafs 大補強したFC東京が10年ぶりの敵地での鹿島撃破に見せた変革の一端] THE PAGE (2017年2月26日)</ref>。


夏の移籍情報では[[ルイス・フェリペ・ヴェローゾ・サントス|リッピ・ヴェローゾ]]、[[チャン・ヒョンス]]、[[ジャキット・ワクピロム]]を獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が[[蔚山現代FC]]に完全移籍、中島が[[ポルティモネンセSC]]に期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の[[久保建英]]と[[平川怜]]がプロ契約を結んだ。
夏の移籍情報では[[ルイス・フェリペ・ヴェローゾ・サントス|リッピ・ヴェローゾ]]、[[チャン・ヒョンス]]、[[ジャキット・ワクピロム]]を獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が[[蔚山現代FC]]に完全移籍、中島が[[ポルティモネンセSC]]に期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の[[久保建英]]と[[平川怜]]がプロ契約を結んだ。
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:* [[2010年のJリーグ|2010年]] 今野泰幸
:* [[2010年のJリーグ|2010年]] 今野泰幸
:* 2013年 太田宏介
:* 2013年 太田宏介
:* 2019年 [[萩洋次郎]]
:* 2019年 [[萩洋次郎]]
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;優秀新人賞
;優秀新人賞

2020年11月30日 (月) 03:58時点における版

FC東京
原語表記 FC東京
愛称 FC東京
クラブカラー     ブルー[1]
    レッド[1]
創設年 1935年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 東京都[1]
ホームスタジアム
味の素スタジアム[1]
収容人数 48,955[1]
運営法人 東京フットボールクラブ株式会社[1]
代表者 大金直樹[1]
監督 日本の旗 長谷川健太
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
画像外部リンク
エンブレム
en:File:FCTokyo.png
FC東京のサポーター (2008年3月8日 対神戸戦)

FC東京(エフシーとうきょう、F.C. Tokyo)は、日本東京都をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

FC東京の位置(東京都内)
1
1
2
2
3
3
1.味の素スタジアム、2.小平グランド及びクラブハウス、3.深川グランド及び本社

1999年にJリーグへ加盟[1]ホームタウン東京都である[1]。ホームスタジアムは調布市味の素スタジアム(東京スタジアム)である[1](ホームスタジアムについての詳細は後述)。練習場は、小平市FC東京小平グランド[1]東京ガス武蔵野苑)である(2001年までは江東区猿江FC東京深川グランド[2]

このため、地域活動は調布市周辺エリア(三鷹市及び府中市を含む[注 1]。)、小平市をメインとして、都心23区でも、特に上述の練習拠点があった江東区深川[3]、かつてJリーグ公式戦を開催したことがある江戸川区北区世田谷区を中心として行われている。

クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された[1]

マスコットキャラクターは『東京ドロンパ』であり[1]、チーム創設10周年に向けてマスコットを選考して、2009年開幕戦より登場した。

2000年までは東京を名乗るJリーグクラブが他に無かったため、「東京」の呼称であったが、2001年東京ヴェルディ(旧V川崎)がホームタウンを東京都に変更して以降、「FC東京」や「F東京」などと表記されている。なお、Jリーグの公式情報やスポーツ振興くじ(toto)等での紙面が限られる公式発行物に関しては、F東京として掲載される場合が多い[4][5](但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、単に「東京」と表記)。

プロ化以前の呼称東京ガスから来る『ガス』が現在でもFC東京を指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる[注 2]。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『青赤軍団[6][5]』がある。

運営法人

東京フットボールクラブ株式会社[1]
TOKYO FOOTBALL CLUB Co.,Ltd.[7]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
135-0003[1]
東京都調布市下石原1丁目2−3 TSOビル
設立 1998年10月1日
業種 サービス業
法人番号 6010601025736 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 大金直樹代表取締役社長[1]
資本金 11億8700万円
売上高 56億3494万7000円(2020年01月31日時点)[8]
営業利益 8267万6000円(2020年01月31日時点)[8]
経常利益 7532万8000円(2020年01月31日時点)[8]
純利益 4968万1000円(2020年01月31日時点)[8]
純資産 22億8116万8000円(2020年01月31日時点)[8]
総資産 27億3530万円(2020年01月31日時点)[8]
従業員数 49人[9]
決算期 1月期
主要株主 東京ガス
関係する人物 鳥原光憲
外部リンク https://www.fctokyo.co.jp/
テンプレートを表示

1998年10月1日、東京ガスなど161団体が出資した[10] 運営法人『東京フットボールクラブ株式会社』を設立[1][2]

FC東京の運営法人については、東京に関わりを持つできるだけ多くの企業・自治体の共同出資とし、特定の企業の影響を受けない独立性の有るものとするという方針が採られた。1997年に東京ガスサッカー部部長鳥原光憲及びその上司でJFL評議会会長の上原英治が方針を固め、東京ガス上層部の了承を得てのものであった[11]

上記経緯から、設立当初から東京ガスとは親子会社の関係に無く[12][13]、他の主要株主も持株比率は5%程度に留まっている[14]

歴代の代表取締役社長にはいずれも東京ガス出身者が就いており、役員の多数は主要株主からの出向である。

役員出向元 (太字は現任)


出資者

FC東京の位置(東京都内)
1
1
2
2
3
3
4
4
5
5
6
6
1.三鷹市、2.府中市、3.調布市、
4.小平市、5.西東京市、6.小金井市
株主
設立時の161団体から増大を続け、2015年6月現在374団体。
東京ガスの関連企業が多く、区市町村からは1999年より三鷹市[15]府中市[16]調布市[17]、2002年より小平市[18]西東京市が、2004年より小金井市[19] が名を連ね、それぞれ100万円を出資(20株保有[18])している。詳細は「株主一覧」を参照
スポンサー

詳細は「クラブスポンサー」を参照

経営情報

クラブは2016年発表の「2020VISION[20]」において、営業収入の数値目標として50億円を掲げている。

損益

年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2005 3,168 1,186 797 402 783 3,054 2,387 N.A. 667 114 9
2006 3,299 1,217 747 274 1,061 3,355 2,605 1,612 750 -56 -67
2007 3,347 1,243 778 278 1,048 3,581 2,756 1,680 825 -234 -236
2008 3,433 1,251 765 276 1,141 3,562 2,703 1,570 859 -129 -125
2009 3,763 1,357 828 375 1,203 3,731 2,939 1,768 792 32 20
2010 3,671 1,372 779 284 1,236 3,274 2,437 1,370 837 397 361
  • 金額の単位: 百万円
  • 人件費は事業費に含まれる。

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 3,334 1,336 551 110 355 982 3,063 1,427 305 198 239 0 894 271 139
2012 3,865 1,385 817 227 419 1,917 3,622 1,574 427 337 245 0 1,039 243 145
2013 3,545 1,422 788 206 422 707 3,482 1,637 373 284 255 0 933 63 67
2014 3,859 1,665 857 205 424 708 3,822 1,709 405 376 263 0 1,070 37 4
2015 4,678 1,710 966 235 457 1,310 3,993 1,641 385 429 350 0 1,188 685 376
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 4,541 1,935 961 245 444 289 667 4,447 2,025 482 472 258 0 240 970 94 83
2017 4,588 1,717 1,026 483 446 282 634 4,401 2,010 468 389 295 0 238 1,001 187 114
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017

資産

年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 982 190 792 783
2006 883 134 748 807
2007 703 182 520 815
2008 833 389 444 863
2009 951 347 604 1,003
2010 1,349 382 967 1,005
2011 1,698 535 1,163 1,062
2012 1,870 541 1,329 1,064
2013 1,957 560 1,397 1,065
2014 1,807 379 1,428 1,092
2015 2,511 706 1,805 1,092
2016 2,310 377 1,933 1,137
2017 2,688 641 2,047 1,137

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005200620072008200920102011201220132014201520162017

金額の単位: 百万円

歴史

前史

1935年に結成された「東京ガスサッカー部」が前身であり[1]1991年日本サッカーリーグ2部へ昇格[1]1992年からジャパンフットボールリーグへ参加[1]

1997年に『東京ガスフットボールクラブ』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。1998年には翌シーズンよりクラブ名称を『FC東京』とする改称及び東京都をホームタウンとしてプロクラブ化し、1999年からのJリーグ加盟とJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった[1]

1999年(J2)

1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟。プロ契約を結ばない東京ガス時代からの選手が多数を占める中[21]、堅実な戦いで[22] シーズン中盤まで2位以内をキープ。第27節仙台戦でFWアマラオがクラブ初のハットトリックを達成。しかし、ナビスコカップを勝ち上がったことによる過密日程や[22]アマラオの負傷欠場によって[23]、終盤には4連敗を喫してJ1昇格圏外へ追い込まれた。最終節で大分をかわして2位に入り(1999年J2最終節参照)、Jリーグ ディビジョン1(J1)昇格を果たした。

Jリーグヤマザキナビスコカップでは、神戸市原横浜FMのJ1チームを下してベスト4に進出、MF佐藤由紀彦ニューヒーロー賞に選出された[24]

2000年 - 2010年(J1)

2000年

2000年は「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出。10名の社員選手を有するなど、他のJ1クラブに比べ予算・戦力共に小規模ながら[12] 開幕5節で4勝1敗の成績で首位に立つなど旋風を起こし[22][23]、年間総合順位は7位。新加入のGK土肥洋一が好守を見せ[23]、以後2006年に至るまでリーグ戦216試合連続フル出場というJリーグ記録を残した[2]

攻撃ではFWアマラオと、川崎から期限付き移籍で加入したツゥットのコンビが得点を量産[22][23]。ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げて、クラブ初のJリーグベストイレブンにも選ばれた[23]。なお、ツゥットはシーズン終了後に浦和へ完全移籍した。

天皇杯は初戦でJ2甲府に敗退。

2001年

2001年に収容人員49,000人の新本拠地・東京スタジアム(現:味の素スタジアム)が完成・使用開始となった[24] 事により観客動員数が飛躍的に増加[23]。スタジアムのこけら落しとなった開幕戦では、川崎市から移転し呼称変更した東京ヴェルディ1969との初の東京ダービーとなり、新加入の元日本代表FW呂比須ワグナーVゴールで制した[22]

呂比須は4月4日のナビスコカップ甲府戦でハットトリックを挙げるなど序盤こそ活躍したものの、アマラオとプレースタイルが重複することなどから徐々に出場機会が減り[23]、チーム加入後わずか半年で福岡へ完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得したブラジル人MFケリーがチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握[22]。以後4年間攻撃の核として活躍した。

天皇杯初戦で横浜FCに破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫した。この試合を最後に、東京ガス時代以来7年間指揮を執った大熊清監督を退任[22][23][24]

2002年

2002年、監督に原博実を迎えて攻撃サッカーを指向した強化を進め[23]、開幕戦では前年優勝の鹿島から4点を奪い圧勝[23]。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せた小林成光は交通事故で、攻守の起点となった三浦文丈は第2節浦和戦で負傷し、共に長期離脱を強いられた[23]

一方、この年に移籍加入した選手達が5月以降レギュラーに成長。DF加地亮とMF石川直宏が右サイドでの攻撃を活性化させ、DF茂庭照幸も新加入のブラジル人CBジャーンとのコンビで堅守を築いた[23]。また、入団2年目のMF宮沢正史もプレースキッカーとして能力を発揮し、ボランチのレギュラーを掴んだ[23]。シーズン終了後、佐藤由紀彦横浜FMへ期限付き移籍で退団した(その後完全移籍)。

また、この年尾亦弘友希馬場憂太がチーム初のアカデミーからのトップチーム昇格を果たし[24][2]、FC東京U-18所属の呉章銀がこれも初となる2種登録選手でJリーグデビューし[23]、当時のJ1最年少記録となる16歳8ヶ月20日でJ1初出場を果たした。

2003年

チームスローガン:90分間、攻撃サッカー。

2003年は、原体制2年目。DF金沢浄が加入し、リーグ最小失点を記録。1st、2ndステージ共に優勝戦線に絡み[23]、年間順位4位の成績。また、シーズン初戦だった3月8日ナビスコ杯・横浜FM戦(横浜国際総合競技場)で、FC東京U-18所属の高校生だった梶山陽平がトップチームでの公式戦に初出場した[24][23]。一方で、天皇杯を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』として親しまれたFWアマラオ湘南へ移籍した。

8月にはスペイン・レアル・マドリードとクラブ史上初の国際親善試合を開催[2]

また、加地亮茂庭照幸がクラブ所属選手初の日本代表として出場した[2]

2004年

チームスローガン:攻激、攻劇、攻撃サッカー。

原体制3年目。アマラオに代わって[23]FWルーカスを獲得。また、MF今野泰幸札幌から加入し、ユースからは李忠成梶山陽平呉章銀が昇格[24]

8月にはスペイン遠征を行い、デポルティーボ・ラ・コルーニャの恒例プレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャガリシア語版に招かれ、これを制し[24]、帆船型のトロフィーを獲得。

リーグ戦は年間8位の成績。ナビスコカップでは、日本代表およびU-23日本代表によって複数の主力を欠く中[23]決勝進出。同カップで初めてベストメンバーを揃えて臨んだ[23]決勝戦では浦和を延長・PK戦の末に破り、初優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトルを獲得した[2]

2005年

チームスローガン:攻めて取る。攻めて獲る。

原体制4年目。ケリーが退団したが、若手へシフトする意味で大きな補強はしなかった。

開幕直後はそれまで苦手とした磐田に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後は4-3-3の新布陣や新加入MFダニーロの不発[23]などでチームワーストの6連敗を喫し、優勝戦線から早々に脱落。5月には原の監督解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の横浜FM戦(日産スタジアム)で石川直宏の負傷退場(膝靭帯完全断裂により復帰まで約8か月を要した)[23]、直後のルーカスの意識不明・救急車搬送による試合終了等もあった[23]。終盤戦は12試合負けなしの成績も残して、年間順位は10位。最終節(右図)ではC大阪の優勝を阻止した[23]。シーズン終了後に、原が監督を退任。また、加地亮G大阪へ移籍した。

なお、この年は7月9日の東京ダービー(東京V戦、FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名がコンコースにて東京Vサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿のフタを東京V側の群衆に投げつけて、東京Vのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ傷害罪で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円の罰金が科せられた。

2006年

チームスローガン:Ousadia 〜信頼・勇気・挑戦〜

埼玉スタジアム2002で行われた浦和戦

クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・ガーロが監督就任。速攻主体のチームを、ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカーへの転換を図ったが[23]、3バックの採用や「マンマークを徹底する」守備を基本とし、短いパスで攻撃を構築しようとする戦術はなかなか奏功せず、4月15日の第8節千葉戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。

加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、ナビスコ杯では2分4敗の予選リーグ最下位で敗退。更にガーロの要望で獲得したブラジル人FWワシントンも、投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。7月22日鹿島戦で4失点を喫し敗れると(2 - 4)、29日広島戦(0-2)、8月5日のプレシーズンマッチ・FCソウル戦(0-3)、12日浦和戦(0 - 4)と連敗し、8月15日にクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。

後任監督には1995年から大熊の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた倉又寿雄が就任。第18節千葉戦から指揮を執り、布陣を4バックに戻すなど修正を施しリーグ戦を13位で終えた。

シーズン終了と共に倉又が監督を退任(U-18監督へと復帰)。12月5日に原が監督に再任された。また、この年限りでジャーン湘南へ移籍)、三浦文丈(引退)、宮沢正史大分へ移籍)、戸田光洋清水へ移籍)などが退団。

2006 FIFAワールドカップ日本代表土肥洋一茂庭照幸の2人がクラブとして初めて選出され[24]、茂庭はオーストラリア代表戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。

2007年

開幕戦結果
会場 スコア 相手 会場 スコア 相手
1997 駒沢陸 1-0 福島FC   2003 味スタ 2-1
1998 駒沢陸 3-0 国士大 2004 味スタ 1-0 新潟
1999 西が丘 2-0 鳥栖 2005 味スタ 4-0 新潟
2000 横浜国 1-0 横浜FM 2006 味スタ 2-0 大分
2001 東スタ 2v-1 東京V 2007 味スタ 2-4 広島
2002 東スタ 4-2 鹿島

チームスローガン:It's Our Time 〜青き疾風、赤い怒涛〜

2007年は再び原体制となり、コスタリカ代表FWのパウロ・ワンチョペ磐田から元日本代表MF福西崇史、ブラジル人DFエバウドを獲得した。

しかし、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、エバウドと茂庭照幸の両センターバックも負傷により低調で[23]、攻守の軸が定まらず、開幕からつまづいた[4]。J2だった1999年から2006年まで8季(旧JFL時代の1997年、1998年を含めると10季)続けて開幕戦に勝利していたが、広島に敗れ、開幕戦連勝記録も止まった(右表)。ワンチョペはシーズン途中で退団。更に、U-22代表として梶山陽平伊野波雅彦平山相太の三人が、フル代表として今野泰幸が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月に離脱した。年間成績は12位で終了。なお、第28節横浜FM戦の勝利で、J1通算100勝を達成した[2]

原は1年限りで監督を退任。

2008年

チームスローガン:Moving Football 〜ボールも・身体も・観ている人の心も〜

FC東京サポーター
J1第1節神戸戦 (味の素スタジアム)
コレオグラフィ中央の「10」はJリーグ加盟10周年を表す。
FC東京サポーター
J1第34節千葉戦 (フクダ電子アリーナ)

2008年U-17日本代表元監督の城福浩が監督に就任。

土肥洋一福西崇史(共に東京Vへ移籍)に加え、MF馬場憂太千葉へ)、鈴木規郎神戸へ)、伊野波雅彦鹿島へ)、FWルーカスG大阪へ)らがそれぞれ移籍[24]。一方でMF羽生直剛、FWカボレ、DF長友佑都(前年は特別指定)らを獲得。城福は戦術に「ムービングフットボール」を掲げ、2006年に臨んだポゼッションサッカーへ再挑戦した[23]

夏場には白星から遠ざかるが、第30節鹿島戦では長友、カボレらの得点で快勝するなど好調に転じ[23]、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。

最終節ではJ2降格危機にあった千葉に対して終盤11分間で4点を奪われて逆転負けを喫した(その結果、千葉が残留し東京Vが降格)。

リーグ戦年間成績は6位に浮上。天皇杯でも東京ガス時代の1997年以来となるベスト4へ進出した。

2009年

チームスローガン:Moving Football 〜観ている人の心を動かせ〜
飛田給駅構内。ナビスコカップ優勝を讃える横断幕が掲げられている。

城福体制2年目。福岡から中村北斗水戸から平松大志を獲得した。序盤戦は低迷するが、MF今野泰幸をCBにコンバートし[23]ブルーノ・クアドロスとコンビを組ませ、またボランチに梶山陽平と高卒ルーキー米本拓司を固定した頃から守備が安定。更に、石川直宏の24試合で15得点を挙げる大活躍によってリーグ戦の順位も上がり、ACL出場圏内入りは逃したものの5位に入った。また、長友佑都と石川がJリーグベストイレブンに選出された[24]。2名が受賞したのはクラブ初。また、GK権田修一がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てた。

ナビスコカップは決勝で川崎に勝利して優勝。また、この試合で先制点を挙げた米本はニューヒーロー賞とMVPを獲得した。この年より、マスコットの『東京ドロンパ』が登場[24][2]

2010年

チームスローガン:Moving Football 〜心をひとつに〜

城福体制3年目。2002年からユニフォームの胸スポンサーだったENEOSが撤退し補強予算が狭められる中[25]浅利悟が引退し[24]藤山竜仁札幌へ移籍。茂庭照幸に戦力外を通告、契約交渉で折り合わずブルーノ・クアドロスが退団、佐原秀樹期限付き移籍期間満了に伴い、川崎に復帰した。退団が相次いだセンターバックには大分から森重真人全州大学校からキム・ヨングンを、また、新潟からMF松下年宏を、ブラジルのABC FCからFWリカルジーニョを期限付き移籍で獲得するも、登録選手はJ1最少の26人、選手の平均年齢はJ1で2番目の若さという陣容だった。

シーズン開幕直前、米本拓司前十字靭帯半月板を損傷。梶山陽平も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ[23]、序盤は前年のレギュラーボランチ両名を欠く厳しい選手構成となった。開幕戦こそ4年ぶりに勝利を収めたが(1 - 0 対横浜FM・味スタ)、J1中断期間前までは得失点ともに少なく引き分ける試合が多かった。

また、2010 FIFAワールドカップ日本代表今野泰幸長友佑都が選出された[24]。なお、長友はW杯終了後にイタリアチェゼーナへ期限付き移籍で退団した。W杯期間中にFW大黒将志らを獲得。大黒の得点もあってスルガ銀行チャンピオンシップで勝利し、前年に続くタイトル獲得には成功したものの、なかなか勝ち点を伸ばせないまま、9月に城福を解任。

後任に大熊清が就任したが、最終節で京都に敗戦し、最終節に勝利した神戸に入れ替わりで年間順位が16位となり、J2降格が決まった。

2011年(J2)

チームスローガン:TOKYO SPIRIT[注 3] 〜すべては勝つために〜

大熊体制2年目。赤嶺真吾(レンタル移籍していた仙台へ完全移籍)、キム・ヨングン大宮へ完全移籍)、リカルジーニョなどが退団した。一方で、FWロベルト・セザーらを獲得、層の薄さに苦しんだ前年の経験を踏まえ、MF谷澤達也など各ポジションにJ2での経験を持つ選手を加えた。

2月には「FC東京のある“まち”」というテーマでの演劇が調布市せんがわ劇場にて公演され、FC東京からは特別審査員として新任の阿久根謙司代表取締役と藤山竜仁普及部コーチが出席した[26]

4月には東北地方太平洋沖地震及び長野県北部地震の復興支援のため、松本山雅FCとのチャリティーマッチを開催[注 4]。また、宮城県出身の今野泰幸が発起人の1人となり、「東北人魂を持つJ選手の会」を設立。秋田県出身の下田光平もこれに参加し、東北地方のサッカー復興に向けて活動した。

リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとされたFW平山相太[27] が長期離脱するなど、立石敬之強化部長が「想像を超えて最悪に近いほど故障者が出た。しかも軸になる選手ばかり[28]」と言う程の状況に陥り、序盤は7戦で4得点、2勝に留まり苦しんだが、田邉草民高橋秀人の抜擢、羽生直剛をトップ下に据える[29] 4-2-3-1布陣(右図)の採用により徐々に地力を見せ始めた。さらに、2007年まで在籍していたFWルーカスらを補強。第18節(12試合目[注 5])を終えた段階で昇格圏内に入り[23]、以後上位をキープ。11月19日の鳥取戦で勝利し、1年でのJ1復帰を決めた。翌20日に2位の鳥栖が敗れ、J2優勝を決めた。

天皇杯は決勝で京都に勝利し、前身の東京ガスサッカー部を含めたクラブ創設後初、J2勢として初となる天皇杯制覇を果たし、クラブ初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得した。同決勝戦を以て大熊は監督を退任。

2012年 - (J1)

2012年

チームスローガン:C・O・A Football[注 6]

監督に前町田監督のランコ・ポポヴィッチが就任。

今野泰幸G大阪へ、鈴木達也徳島へ完全移籍した一方、横浜FMから渡邉千真長谷川アーリアジャスール磐田から加賀健一清水から太田宏介東京Vから河野広貴を完全移籍で獲得、また、期限付き移籍していた選手を復帰させるなど、2年ぶりのJ1及び初のACLでの戦いに向け陣容を整えた[29]。渡邉、長谷川らの活躍でACLはグループリーグを突破し、ベスト16進出(右図)。中断期間中に谷澤達也が退団するも、新加入のネマニャ・ヴチチェヴィッチが穴を埋めた。リーグ戦は10位、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は2回戦敗退に終わった。

2013年

チームスローガン:C・O・A Football~さらなる進化をめざして~[注 6]

ポポヴィッチ体制2年目。羽生直剛梶山陽平らが期限付き移籍でチームを離れるも、大宮から東慶悟を完全移籍で、イングランド2部サウサンプトンから李忠成を期限付き移籍で獲得。シーズン途中で李が所属元へ復帰、田邉草民が業務提携を結んだスペイン2部サバデルへ期限付き移籍。

リーグ戦では第3節から4連敗し12位まで順位を下げたものの、得点源となった渡邉千真を中心にJ1におけるクラブ史上通年最多得点を記録。第8節からの3連勝と第24節からの4連勝でいずれも5位まで順位を上げたが、翌年のACL出場権を得られる3位以上には届かず、第33節柏戦での敗戦により賞金圏内の7位からも脱落、8位でシーズンを終えた。

ナビスコカップは決勝トーナメント進出を逃し、天皇杯では準決勝でPK戦の末広島に敗れ3位に終わった。

契約満了によりこの年限りでポポヴィッチ監督が退任[30]。FWルーカスが現役を引退した。

なお、この年東京都2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの招致に成功。FC東京は招致PRイベントを行うなど[31] クラブを挙げてこの活動を支援しており[注 7][33]2016年大会招致活動の頃からの協力[34][35] が実った形となった。

2014年

チームスローガン:Bello e Aggressivo! -限界を超えて頂点へ-

新監督にACチェゼーナ元監督のマッシモ・フィッカデンティが就任。

ネマニャ・ヴチチェヴィッチが退団、長谷川アーリアジャスールがC大阪、中村北斗が大宮にそれぞれ完全移籍。FWエドゥー、MF武藤嘉紀(前々年から特別指定)らを獲得し、梶山陽平羽生直剛が期限付き移籍から復帰した。

リーグ戦序盤はなかなか勝てなかったものの、中盤に入るとフィッカデンティの戦術が浸透し、試合運びが安定。守備面では2003年以来となる5試合(J1第16節から第20節まで)連続無失点を記録し、リーグ戦総失点も前年の47失点から33失点と大きく改善した。一方攻撃面ではFWに転向した武藤がリーグ新人最多得点記録タイの13得点を挙げる活躍を見せた。クラブ記録となる14試合(J1第13節から第26節まで。右図)無敗を記録し[36]、一時は5位(J1第18節、第21節から第22節まで)にまで浮上したが、第27節で無敗記録が途切れてからは失速し、最終的には9位でシーズンを終えた。

ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯はベスト16に終わった。また、昨年引退したルーカスが功労選手賞を受賞した。

2015年

松本鳥栖清水を相手に4連勝。

チームスローガン:Bello e Aggressivo! -すべては勝利のために-

フィッカデンティ体制2年目。エドゥー塩田仁史渡邉千真らが退団し、前田遼一榎本達也らを獲得。丸山祐市林容平橋本拳人が期限付きから復帰。

1stステージはFW前田のフィットが遅れたものの、前年からの堅守を軸に前半戦だけで10得点を挙げた武藤嘉紀の頑張りと、キッカーの太田宏介を中心としたセットプレーで得点を重ね、2度の4連勝と健闘。2ステージ制のステージ毎の順位としては過去最高の2位に付けた。

1stステージ終了後には武藤がドイツ・マインツへ移籍し、ネイサン・バーンズサンダサの2人のFWが加入した。

2ndステージは復調した前田がFWの軸になり、新外国人の2人がそのパートナーを務めるようになったものの、武藤退団の穴は埋め切れず、終盤第13節からは東慶悟がFWを務めた(右図)。さらに正GKの権田修一がオーバートレーニング症候群で第5節を最後に離脱したためブラダ・アブラモフを緊急補強し、第10節以降の正GKを務めさせた。1stステージほど勝ち点を伸ばせなくなり、最終節開始時点では年間3位につけるも、同節の鳥栖戦を引分けたために、同節勝利のG大阪との入れ替わりで年間順位4位に転落。過去最高の勝ち点、最高タイの年間順位を記録したものの、チャンピオンシップの出場を逃した。その後、G大阪・浦和天皇杯決勝進出に伴う繰り上がりで翌2016年のACLプレーオフ(PO)出場権を獲得[注 8]

ナビスコ杯、天皇杯は共にベスト8で終了。同年末にフィッカデンティが退任。

2016年

チームスローガン:Challenge the Top -頂戦-

フィッカデンティ監督の後任に2008年から2010年途中まで指揮していた城福浩が再任。ブラダ・アブラモフ太田宏介らが退団。権田修一SVホルンにレンタル移籍。湘南から秋元陽太鳥栖から水沼宏太甲府から阿部拓馬明治大学から室屋成(前年は特別指定選手)[注 9]磐田から駒野友一、中国・北京国安からハ・デソンらが加入した(駒野及びハは1stステージ終了後にそれぞれ福岡・名古屋へ期限付き移籍)。

また2月13日に、2015年シーズンに密着したドキュメンタリー映画『BAILE TOKYO』が公開[38]。主題歌はRIP SLYMEの「Baile TOKYO」[39]

この年より「FC東京U-23」を発足させJ3リーグに参入。

同年の公式戦初戦となるAFCチャンピオンズリーグ2016のプレーオフではチョンブリーFCを相手にクラブ最多得点記録を更新した[40] 9-0で大勝。4年ぶり2度目となるACL本戦出場権を掴んだ[41]。本戦では全北現代(韓国)、江蘇蘇寧(中国)、ビンズオン(ベトナム)と対戦。グループリーグ突破は最終節までもつれたが、同節は前田遼一の2得点の活躍で勝利し決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では上海上港(中国)と対戦。ホームでの第1戦は水沼が2得点を挙げ先勝したが(2-1)、アウェー・上海体育場での第2戦は試合終了間際に失点し(0-1)、1勝1敗。アウェーゴールの差で敗退した。

リーグ戦では序盤より怪我人が続出しメンバー繰りに苦戦。またACLプレーオフ出場のためオフやキャンプの期間が短くなった影響により、フィジカルコンディション不足・スタミナ不足に陥る。1stステージでは攻守のバランスに苦心しながらも堅守に立ち返って[42] 徐々に浮上し9位で終えた。しかし、2ndステージでは先制しながらも試合終了間際に失点し逆転負けするゲームが頻発したため、7月23日の2ndステージ第5節川崎戦敗北後に城福を解任。後任にはコーチで元福岡監督の篠田善之が監督に昇格。篠田就任後、8勝2敗2分と安定感を取り戻し年間9位でリーグ戦を終えた。

2017年

チームスローガン:TOKYO GRIT~すべての力を~

篠田体制2年目。榎本達也が引退(その後、普及部コーチに就任)、駒野友一平山相太高橋秀人らが退団。

名古屋から永井謙佑鳥栖から林彰洋川崎から大久保嘉人FCソウルから髙萩洋次郎らを獲得。1月には太田宏介が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰。更に3月には広島から前年得点王のピーター・ウタカ期限付き移籍で獲得するというクラブ史上例の無い大型補強を敢行した[43]

夏の移籍情報ではリッピ・ヴェローゾチャン・ヒョンスジャキット・ワクピロムを獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が蔚山現代FCに完全移籍、中島がポルティモネンセSCに期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の久保建英平川怜がプロ契約を結んだ。

序盤こそ順調に勝ち点を稼いでいたものの14節清水エスパルス戦から6試合未勝利、その後22節のヴィッセル神戸戦から4試合未勝利と成績が低迷。YBCルヴァンカップではグループリーグ終盤で失速。広島とのプレーオフを制しノックアウトステージへと進んだものの1回線で川崎にトータルスコア1-7を付けられ大敗。天皇杯でも2回戦で長野に敗戦しカップ戦は早期敗退となった。

9月10日、監督の篠田が成績不振により退任し、コーチの安間貴義が昇格してシーズン終了まで暫定監督を務めた。監督交代後の成績は1勝4敗4分とチームは低迷。特に第27節以降は勝ちがなくチームを立て直すことが出来ずJ1復帰後としては史上最低の13位でシーズンを終えた。

また、立石敬之が当年度をもってGMを退任(その後ベルギーリーグのシント=トロイデンVVのCEOに就任)。

2018年

チームスローガン:強く、愛されるチームを目指して

長谷川健太が新監督就任。神戸から大森晃太郎を完全移籍で獲得。横浜から富樫敬真からディエゴ・オリベイラを期限付き移籍で加入。また、中央大学から矢島輝一、U-18から原大智品田愛斗が新加入。

開幕戦こそ引き分けるも、その後ベガルタ仙台・ジュビロ磐田と2試合連続して敗戦。第4節の湘南ベルマーレ戦より新戦力のディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットし始め長谷川健太が掲げる「ファストブレイク」戦法も定着した事もあり第20節のヴィッセル神戸戦まで順調に勝ち点を稼ぎ続けていた。

しかし夏の移籍市場で新戦力の獲得に失敗。ヴァンフォーレ甲府より期限付き移籍でリンスを獲得したのみに留まり選手編成も固定化。

更には戦術も対戦相手に研究され始めた事で攻撃陣は沈黙し徐々に順位を落とし始め最終的に6位でフィニッシュした。

シーズン終了後、梶山陽平が引退を発表した。

2019年

チームスローガン:強く愛されるチームを目指して[44]

ディエゴ・オリヴェイラが完全移籍に切り替わり、鳥栖から田川亨介新潟から宮崎幾笑山形から児玉剛を獲得、横浜FM久保建英福岡ユ・インスが期限付き移籍から復帰。また外国籍選手枠の拡大に目をつけ、グレミオからジャエル光州FCからナ・サンホバンコク・ユナイテッドからナッタウットヴォトゥボランゲンセからアルトゥール・シルバと多数の助っ人を獲得。新人は東福岡高校の中村拓海、中央大学の渡辺剛を獲得した。

田邉草民が福岡、大久保択生が鳥栖、前田遼一岐阜米本拓司名古屋へそれぞれ完全移籍。リンス、富樫敬真はレンタル期間満了のため退団した[45]

前半戦は久保建英が抜擢され大きくブレイク。戦術、メンバーともほぼ昨年からの踏襲だったが久保の活躍もあり開幕から12戦無敗(9勝3分)とスタートダッシュに成功。第8節で広島との無敗対決を制して首位に立つと、そのまま前半戦は首位を独走した。

しかし夏の移籍市場で久保はレアル・マドリードに移籍、チャン・ヒョンスアル・ヒラル太田宏介が名古屋と主力級選手が複数流出。味の素スタジアムラグビーワールドカップ2019の試合会場となったこともあり、第24節からアウェー8連戦[注 10] の強行日程が組まれていた。

だが夏場に急失速した昨シーズンと異なり、件のアウェー8連戦も4勝2分2敗で乗り切るなど大崩れはせず、第27節まで首位をキープ。しかし調子を上げてきた鹿島、横浜FMに追い上げられ、28節で一度鹿島に首位を奪われる。31節で再度首位に浮上するも、ホーム味スタに帰還した32節から湘南浦和と下位相手に連続で引き分け、ここを連勝した横浜FMに首位を奪われる。特に浦和戦はディエゴ・オリヴェイラと永井謙佑の2トップが揃って負傷する痛恨の引き分けとなった。最終節は横浜FMとの直接対決。優勝には4点差以上での勝利が必要な中、前節右肩を脱臼した永井が強行出場するも、0-3で敗戦しリーグ優勝には届かなかった。だがリーグ戦の19勝7分8敗の勝ち点64、2位という結果はともにクラブ史上最高記録を更新した[46]

成績

所属選手

国際大会選出選手

ホームスタジアム

前述の通り、本拠地は味の素スタジアム(調布市)であるが、過去には都心23区国立霞ヶ丘陸上競技場国立西が丘サッカー場[55]江戸川区陸上競技場駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場でもホームゲームを開催している[注 11]

2019年ラグビーワールドカップにより、味の素スタジアムが使用できない時期は、8月から11月はアウェイ8連戦となった[57][58]。またルヴァンカップはグループステージは味スタがこれに伴う改修のため平日に使用できない都合で、2試合を秩父宮ラグビー場、残り1試合はさいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)にて主催する[57]

また東京都外では鹿児島県立鴨池陸上競技場2000年)、香川県立丸亀競技場(2000年・2001年)、石川県西部緑地公園陸上競技場(2000年)、長野県松本平広域公園総合球技場2006年2011年にはチャリティーマッチを開催)、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(2011年)でホームゲームを開催した。

新スタジアム構想

国立競技場については、新競技場への改修終了後2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会後の活用後の一環として、球技場専用に改修の上で本拠地を味スタから移転させる構想が報道された[59] が、ここを本拠地にするにしても使用料が高額になる恐れがあるとして、新国立にほど近い、代々木公園陸上競技場とサッカー・ホッケー球技場付近[60] を改修して、4万人程度が収容可能なサッカー専用の競技場を建設する案を、複数の民間事業者が東京都に提案していることも分かった[61] と報じられている。

入場者記録

クラブは2012年発表の「2015VISION」[62] 及び2016年発表の「2020VISION」において[20]、1試合平均動員数3万人を目標に掲げている。

  J1
  J2
年度 総数 1試合
平均
ホーム
試合数
会場 000000001試合平均入場者 / 総入場者00000000 Jリーグ
公式
備考
1999 062,963 03,498
18
西10,江5,駒3[注 11]
 
[1] [注 11]
2000 177,107 11,807
15
国10,駒2,[注 11]
鴨1,丸1,石1
 
[2] [注 11]
2001 334,698 22,313 東13,国1,丸1
 
[注 12]
2002 332,597 22,173 東12,国3
 
[3][4]
2003 373,978 24,932 味14,国1
 
[5][6]
2004 381,575 25,438 味13,国2
 
[7][8] [注 13]
2005 460,721 27,101
17
味15,国2
 
[9]
2006 409,634 24,096 味14,国2,松1
 
[10]
2007 429,934 25,290 味16,国1
 
[11]
2008 437,176 25,716 味15,国2
 
[12]
2009 440,032 25,884 味15,国2
 
[13]
2010 426,899 25,112 味15,国2
 
[14] [注 14]
2011 333,680 17,562
19
味14,国3,駒1,熊1
 
[15] [注 15]
2012 407,243 23,955
17
味16,国1
 
[16] [注 16]
2013 426,246 25,073 味14,国3
 
[17]
2014 428,184 25,187 味16,国1
 
[18]
2015 489,336 28,784 味17
 
[19]
2016 408,623 24,037 味17
 
[20] [注 17]
2017 450,331 26,490 味17
 
[21]
2018 449,338 26,432 味17
 
[22]
2019 536,187 31,540 味17
 
[23] [注 18]
FC東京の位置
熊
松
石
丸
鴨
都外試合会場の所在地
  • 総入場者数
    • 2001年09月29日:050万人到達 - J1 2nd第07節 vs浦和レッドダイヤモンズ (国立霞ヶ丘陸上競技場)
    • 2003年07月06日:100万人到達 - J1 1st第11節 vsベガルタ仙台 (味の素スタジアム)
    • 2005年10月15日:200万人到達 - J1第27節 vsサンフレッチェ広島F.C (味の素スタジアム)
    • 2008年03月30日:300万人到達 - J1第03節 vs京都サンガF.C. (味の素スタジアム)
    • 2010年07月17日:400万人到達 - J1第13節 vsヴィッセル神戸 (味の素スタジアム)
    • 2012年12月01日:500万人到達 - J1第34節 vsベガルタ仙台 (味の素スタジアム)
    • 2015年05月10日:600万人到達 - J1 1st第11節 vs鹿島アントラーズ (味の素スタジアム)[63]
    • 2017年07月13日:700万人到達 - J1 1st第18節 vs鹿島アントラーズ (味の素スタジアム)[64]
    • 2019年07月14日:800万人到達 - J1 1st第19節 vs川崎フロンターレ (味の素スタジアム)[65]

カップ戦(Jリーグカップ・ACL)主催試合会場別試合数

年度 Jリーグ杯 ACL 備考
1999 西が丘2 , 江戸川1
不参加
2000 江戸川1 (リーグ杯)2回戦からシード
2001 東京ス2
2002 東京ス2 , 国立1 , 駒沢1 (リーグ杯)東京ス=決勝T1を含む
2003 味スタ1 , 国立1 , 駒沢2 (リーグ杯)味スタ=決勝T1のみ
2004 味スタ3 , 国立2 (リーグ杯)味スタ・国立とも=決勝T各1含む[注 19]
2005 味スタ3
2006 味スタ2 , 国立3
2007 味スタ2 , 国立2 (リーグ杯)味スタ=決勝T1含む
2008 味スタ3 , 国立1 , 松本1 (リーグ杯)味スタ=決勝T1含む
2009 味スタ3 , 国立1 , 駒沢1 (リーグ杯)味スタ=決勝T2を含む[注 19]
2010 味スタ2 , 国立1 , 駒沢1 (リーグ杯)味スタ=決勝T1を含む
2011
不参加
2012 味スタ2 東京ス[注 20] 1 , 国立2 (リーグ杯)ACL出場のため決勝Tにシード
2013 味スタ1 , 国立1 , 駒沢1
不参加
2014 味スタ3
2015 味スタ4 (リーグ杯)味スタ=決勝T1を含む
2016 味スタ2 東京ス[注 20]5 (ACL)プレーオフ1を含む。
(リーグ杯)ACLプレーオフ勝利のためリーグ杯予選は免除[注 21]
2017 味スタ4 不参加 (リーグ杯)プライムステージ(決勝トーナメント)1を含む。
2018 味スタ3
2019 秩父宮2、NACK(大宮)2 (リーグ杯)味スタがラグビーワールドカップ2019開催に伴う施設改修工事のため、主催試合を秩父宮ラグビー場とNACK5スタジアム大宮に変更、うちNACKはプライムS1を含む。

年齢構成

[66]

年度 平均年齢
(Jリーグ平均)
年齢構成分布
18歳
以下
19~
22歳
23~
29歳
30~
39歳
40~
49歳
50~
59歳
60歳
以上
2004 32.5歳(34.7歳) 12.0 6.8 23.9 34.2 15.4 7.7
 
2005 31.7歳(35.4歳) 9.5 9.7 24.7 35.0 16.6 4.5
 
2006 35.1歳(35.9歳) 5.6 3.6 23.0 37.2 20.1 10.5
 
2007 34.0歳(36.5歳) 5.8 9.5 22.0 35.3 21.1 6.4
 
2008 37.5歳(37.4歳) 5.8 4.7 13.2 33.4 30.1 12.9
 
2009 38.1歳(37.3歳) 6.1 4.3 13.8 32.9 26.8 16.1
 
2010 38.8歳(38.2歳) 3.8 8.3 11.2 29.6 28.7 18.3
 
2011 37.6歳(38.6歳) 8.1 5.2 15.1 25.3 30.5 15.7
 
2012 37.2歳(39.0歳) 11.1 7.5 12.9 23.7 26.9 18.0
 
2013 39.8歳(39.5歳) 6.7 3.5 11.0 25.5 31.7 14.8 6.7
 
2014 43.1歳(40.4歳) 3.1 4.0 9.3 20.7 32.3 18.9 11.6
 
2015 42.2歳(41.1歳) 5.2 5.7 8.1 19.0 31.0 20.6 10.4
 
2016 40.2歳(41.6歳) 9.1 5.1 10.0 20.3 28.1 19.2 8.1
 
2017 42.1歳(41.7歳) 9.8 7.3 8.1 12.0 28.3 22.4 12.0
 
2018 42.1歳(41.9歳) 5.7 7.9 9.8 15.8 28.8 21.5 10.6
 

タイトル

国立霞ヶ関陸上競技場
2004年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝

国内タイトル

国際タイトル

その他

個人別

Jリーグ

ベストイレブン
優秀選手賞(ベストイレブンは除く)
優秀新人賞
フェアプレー個人賞
  • 2003年 石川直宏
  • 2005年 茂庭照幸
  • 2016年 秋元陽太
J2 Most Exciting Player
月間MVP
月間優秀監督賞

Jリーグ杯

その他受賞

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青×赤
FP(2nd)
GK(1st) 黄×紺
GK(2nd) ピンク×黒 ピンク ピンク
GK(3rd) 黒×赤
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ミクシィ
XFLAG
2019年 - 2018年は鎖骨
東京ガス
TOKYO GAS
2016年
2020年 -
ACL用
鎖骨 なし
背中上部 三菱商事
Mitsubishi
Corporation
2017年 - 2010年 - 2011年は袖
2012年 - 2016年までは背中下部
背中下部 東京ガスライフバル
LIFEVAL
2019年 - 2009年は背中
2010年 - 2018年までは胸
2012年はACL予選ラウンド用の胸にも掲出
東京ガス
TOKYO GAS
2019年 -
パンツ 2003年 -

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1999 am/pm 解禁前 Enesta - TEPCO 解禁前 adidas
2000
2001
2002 ENEOS am/pm
2003 TOKYO GAS
2004
2005
2006
2007
2008
2009 - LIFEVAL
2010 LIFEVAL TEPCO Mitsubishi
Corporation
2011 TEPCO /
-[注 23]
2012 LIFEVAL /
MALAYSIA
LNG
Mitsubishi Corporation ENEOS
2013 LIFEVAL Mitsubishi
Corporation
2014
2015 UMBRO
2016 LIFEVAL /
TOKYO GAS
2017 LIFEVAL Mitsubishi
Corporation
-
2018 - XFLAG ES
EURO SPORTS
2019 XFLAG - LIFEVAL TOKYO GAS
2020 XFLAG /
TOKYO GAS (ACL)
  • 2012年の胸スポンサーは、Jリーグ及びACL予選ラウンドが「LIFEVAL」、ACL決勝ラウンドが「Malaysia LNG」
  • 2016年の胸スポンサーは、Jリーグが「LIFEVAL」、ACLが「TOKYO GAS」
  • Jリーグの他チームは背番号の上にスポンサー・下に選手名を表記しているが、FC東京は2009年から2016年までは反対(背番号の上に選手名・下にスポンサー)表記だった[注 24]
  • タイトル獲得チームであるが、タイトル獲得を表す星は入っていない[注 25]

FC東京U-23

FC東京U-23
原語表記 FC東京U-23
創設年 2016年
解散年 2019年
所属ディビジョン J3リーグ
監督 日本の旗 長澤徹
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FC東京U-23(エフシーとうきょう・アンダートゥエンティスリー、略称表記:F東23)は、2016年から2019年までJ3リーグ(J3)に参加した、FC東京に所属する23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)。

概要(FC東京U-23)

2015年9月にJリーグにおいてセカンドチームのJ3参加が提議されると、FC東京は真っ先に参加志望を表明[68]

同年12月15日、Jリーグ理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され[69]、初年度参加チームの一つとして参戦することがクラブから発表された[70]。ユニフォームはトップチームと異なるデザインのものを使用する。

トップとユースの中間のチームという位置付けで[71] 23歳以下の選手の強化育成、アカデミーの各年代の底上げを目標としている[70]。そのため、トップチームの成績と選手層の向上にセカンドチームを寄与させるべく、練習はトップとセカンドの練習を合同で一体的に[72]、試合前に選手を選別するという形を採った[73][74]。このため、連携面では他チームに遅れがちとなっている[75]。また、トップチームにおける23歳以下の選手保有数をギリギリに制限することで[74]2種登録選手の活用を促進[73]。下部組織においては、上のカテゴリーへの飛び級を一般化させることで、学年別の編成から実力に応じた編成への移行が図られている[76]

略歴(U-23)

2016年
初年度監督はトップチームコーチの安間貴義が兼務していたが、7月にトップチームの監督交代に伴い安間はトップチームのコーチに専任、FC東京U-18コーチを務めていた中村忠に変更された(中村は同時にトップチームコーチにも就任)。第28節長野戦において久保建英がJリーグ最年少出場記録を更新[77] U-18では、U-23に登用された選手のみならず下級生にも成長を促す好循環をもたらし[78]同年のクラブユース選手権及びJユースカップを制した。
2017年
中村体制2年目。開幕戦のカターレ富山戦では波多野豪鈴木喜丈山田将之がプロデビュー。久保建英は第5節C大23戦でJリーグ最年少得点記録を更新した[79]。また、今季もユースの選手がJ3リーグとプレミアリーグを並行して戦い、J3でユースの選手が参加している場合はさまざま選手を使いながら底上げをし、高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグEASTでの初優勝を成し遂げた[80]
2018年
中村に代わり、再び安間が監督に就任。
2019年
安間がトップチームコーチへ転属し、前ファジアーノ岡山監督の長澤徹が新たに監督に就任。順位こそ過去最低の16位に沈むが、原大智が19得点を挙げて得点王となった。
2020年
引き続き長澤が指揮を執ってJ3リーグに参戦予定であったが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で開幕が遅れ、同様に他競技も活動中断となったことから、ホームスタジアムとして活用を予定していた3競技場の確保が困難になり[注 26]、Jリーグに参加辞退を申し出、2020年6月5日のJリーグ理事会で参加辞退が承認された[82]

成績(U-23)

年度 所属 順位 試合 勝点 得点 失点 得失点 監督
2016 J3 10位 30 36 9 9 12 32 31 +1 日本の旗 安間貴義 / 日本の旗 中村忠
2017 11位 32 43 12 7 13 36 47 -11 日本の旗 中村忠
2018 14位 32 36 10 6 16 38 45 -7 日本の旗 安間貴義
2019 16位 34 36 9 9 16 43 52 -9 日本の旗 長澤徹

表彰

主催ホームゲーム開催地(U-23)

U-23チームは、J3キャパシティー基準を充足した味の素フィールド西が丘北区、約7,300人収容)、及びクラブオフィスのある江東区夢の島競技場(約4,800人収容)や駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(約20,000人収容)で開催。

年度 味フィ西 夢の島 駒沢 味スタ その他
2016 8 4 2 1
2017 9 5 1 1
2018 9 7 0 0
2019 12 1 1 0 Jスタ2
生目の杜1

ユニフォームスポンサー (U-23)

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
三井物産
MITSUI & CO.
2016年 -
背中上部 なし
-
背中下部 なし
-
なし
-
パンツ 東京ガス
TOKYO GAS
2016年 -

歴代ユニフォーム (U-23)

ユニフォームスポンサー遍歴 (U-23)

年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2016 MITSUI & CO. 解禁前 - - OSSO ITALY TOKYO GAS UMBRO
2017
2018 -
2019 -

下部組織

異競技間交流

その他

メディア

テレビ

主にテレビ中継はDAZN東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で行われている(以前は、TOKYO MXでは東京以外で行われるホーム戦やアウェー戦の試合も自社制作していた。一部日本放送協会(NHK)と同日中継の場合あり)。

2018年1月より、TOKYO MXにて「F.C. TOKYO COLORS」を放送している。2020年10月時点では091ch[84]での放送で、土曜朝7:00 - 7:30に本放送、同日午前11:00 - 11:30に092chにてリピート放送を実施。

ジェイコム東京で「FC東京VIVA Paradise」が放送されている。毎月2回更新(15日間のリピート放送)なのでタイムラグが生じるが選手や試合などの情報が放送されている。番組自体は200回近い放送が行われている長寿番組。

ラジオ

コミュニティーFM局の調布FM[85]が、味の素スタジアム開催試合を中継している。1999年J2終盤戦ではTOKYO FMでも試合が生中継されたこともあった。

TOKYO FMでは『F.C. TOKYO SPIRIT 勝利への道』を2011年4月から放送。また、調布FM、FM西東京レインボータウンFMなどでも、番組内にFC東京応援コーナーを設けている。

新聞他

東京中日スポーツは、紙面で「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載している。以前は、それに加えて有料登録制の携帯サイト「365日FC東京モバイル」を設けて情報を発信していた。

2014年より、クラブ公認季刊誌「F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO」を発刊。

出版

書籍

オフィシャルファンブック
書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
FC東京ファンブック 2000 毎日新聞社 2000年4月
162
ISBN 4620791458
(ISBN-13 978-4620791456)
FC東京ファンブック 2001 2001年4月
130
ISBN 4620791768
(ISBN-13 978-4620791760)
FC東京ファンブック 2002 2002年2月
126
ISBN 4620792004
(ISBN-13 978-4620792002)
FC東京ファンブック 2003 2003年3月
129
ISBN 4620792225
(ISBN-13 978-4620792224)
FC東京ファンブック 2004 2004年3月
130
ISBN 462079239X
(ISBN-13 978-4620792392)
FC東京ファンブック 2005 2005年2月
130
ISBN 4620792535
(ISBN-13 978-4620792538)
FC東京ファンブック 2006 2006年2月
130
ISBN 4620792721
(ISBN-13 978-4620792729)
FC東京ファンブック 2007 2007年2月
130
ISBN 4620792926
(ISBN-13 978-4620792927)
FC東京ファンブック 2008 2008年3月
130
ISBN 4620793132
(ISBN-13 978-4620793139)
FC東京ファンブック 2009 2009年3月
130
ISBN 4620793361
(ISBN-13 978-4620793368)
FC東京ファンブック 2010 朝日新聞出版 2010年3月
130
ISBN 4021902139
(ISBN-13 978-4021902130)
FC東京ファンブック 2011 2011年3月
132
ISBN 4021902163
(ISBN-13 978-4021902161)
FC東京オフィシャルファンブック2012 フロムワン 2012年3月
132
FC東京オフィシャルファンブック2013 2013年2月
132
FC東京オフィシャルファンブック2014 2014年2月
132
FC東京オフィシャルファンブック2015 2015年2月
132
FC東京オフィシャルファンブック2016 2016年2月
132
FC東京オフィシャルファンブック2017 2017年2月
132
その他の書籍
書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
ゴールをめざせ! 攻撃サッカー
点を取るための戦術と練習メニュー[86]
池田書店 2001年6月
191
ISBN 4262162400
(ISBN-13 978-4262162409)

VHS・DVD

シーズンレビュー
タイトル 発売日 収録時間 ASIN
FC東京 J-1への軌跡 [VHS] 2000年4月21日
40分
ASIN B00005FD5E
Tokyo 2000 (ミレニアム) 2000年4月21日
130分
ASIN B00005FCAH
FC東京 2000-2002 シーズンレビュー (限定生産)
 
FC東京 2002 シーズンレビュー 2003年8月22日
103分
ASIN B0000BHH8U
FC東京 2003 シーズンレビュー 2004年4月23日
110分
ASIN B0001N1OF6
FC東京 シーズンレビュー2004 2005年3月21日
110分
ASIN B0007OE4CE
FC東京 2005シーズンレビュー 2006年3月24日
110分
ASIN B000EPFPAG
FC東京 2006シーズンレビュー 2007年6月08日
99分
ASIN B000NVLBQ8
FC東京 2007シーズンレビュー 2008年5月09日
94分
ASIN B0015RA7GY
FC東京 2008シーズンレビュー 2009年5月08日
90分
ASIN B001RIJZ8M
FC東京 シーズンレビュー2009 2010年3月26日
120分
ASIN B0036BO5KG
FC東京 2010シーズンレビュー 2011年3月28日
129分
ASIN B004O6LZH8
FC東京 2011シーズンレビュー 2012年3月20日
132分
ASIN B007JOZON8
FC東京 2012シーズンレビュー 2013年3月31日
103分
ASIN B00BN39RRK
FC東京 2013シーズンレビュー 2014年3月26日
144分
ASIN B00IM92QJE
FC東京 2014シーズンレビュー 2015年4月08日
145分
ASIN B00UEWL8Y6
FC東京 2015シーズンレビュー 2016年3月30日
138分
ASIN B01BTPMW8M
FC東京 2016シーズンレビュー 2017年3月31日
159分
ASIN B06X41L46T
その他のDVD
タイトル 販売元 発売日 収録時間 全国書誌番号 / ASIN
2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ総集編
初制覇!FC東京カップウィナーズへの軌跡!
日活 2005年1月21日
105分
ASIN B0006VL9M6
FC東京 スターズ 1999-2008 日活 2009年7月24日
118分
ASIN B002AR5O7U
JリーグオフィシャルDVD 2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ
FC東京 カップウイナーズへの軌跡「TOKYO AT THE TOP」
データ・スタジアム 2010年1月29日
56分
ASIN B00322S1FO
JリーグオフィシャルDVD 俺たちの国立 (ロード・トゥ・国立)
2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ 激闘の軌跡!
データ・スタジアム 2010年1月29日
50分
ASIN B00322S1FY
次代を担うプレーヤー養成プログラム
FC東京U-15むさしのチームプラクティス
T&H 2008年
195分
全国書誌番号:21698016

不祥事

2013年1月31日、運営会社の東京フットボールクラブ株式会社(東京FC)の経理担当部長が2005年から2012年までの8年間に約2300万円の会社経費を私的に流用したことが発覚。東京FCは同日付で経理担当部長を懲戒解雇した。損失額については経理担当部長が全額を弁済し、東京FCの代表取締役が責任を取って報酬の20%を3ヶ月間自主返上すると発表した[87]

脚注

注釈

  1. ^ 東京スタジアムは、三鷹・府中・調布の3市にまたがる関東村の跡地利用の一環として建設された。
  2. ^ 海外メディアでは「The Gas Men」との表記も見られる。
  3. ^ 「SPIRIT」には、Speed(スピード)、Personality(個性)、Independence(自立)、Race(競争)、Insight(状況判断)、Technique(テクニック)の意味が込められている。
  4. ^ Jリーグからの「東北電力東京電力管内での慈善試合開催は不可」との通達もあり、長野県松本平広域公園総合球技場で行われた。
  5. ^ 東日本大震災による公式戦休止のため、リーグ戦の日程が変則的なものとなっていた。
  6. ^ a b 「C・O・A」には、Collective(組織的に)、Offensive(攻撃的に)、Attractive(魅力的に)戦い[29]、サッカーにおいて日本のコア(中心)を目指す意味が込められている。
  7. ^ 招致委員会による「招致応援宣言」に名を連ねたスポーツチームは、ナショナルチーム以外ではFC東京のみである[32]
  8. ^ J1終了時点ではPO出場権はJ1年間3位の浦和にあった。しかし天皇杯決勝戦において、浦和は勝てば自力で、敗れても他力でACL本戦出場権を得られ(POを回避でき)るという状況にあったため、決勝戦の結果を問わずFC東京はPO出場権を得ることができた[37]
  9. ^ 現役大学生が大学在籍中に加入するのは長友佑都武藤嘉紀に続いて3人目。
  10. ^ 途中で行われたルヴァンカップ準々決勝も含めると事実上10連戦(決勝トーナメントはホーム・アンド・アウェー方式のためNACK5スタジアム大宮をホームとして使用した試合も含む)。なお、リーグ戦で8戦連続アウェーゲームを戦うのはFC東京が史上初である。
  11. ^ a b c d e 東京スタジアム(味の素スタジアム)完成前の1999年は登録上は西が丘だったが[55]、夏季は芝生の張替え・育成や他のアマチュア大会に使う関係で江戸川を中心に、また秋季はアマチュア大会の日程の都合もあり駒沢で3試合主催した。2000年は西が丘がJ1基準を満たさないため、収容人員でJ1基準を満たす駒沢が名目上のホームスタジアムとなったが、夜間照明設備の不備により過半数を国立で開催[56]
  12. ^ 東京スタジアム完成
  13. ^ 東京スタジアム、命名権採用につき味の素スタジアムに改称
  14. ^ J2降格
  15. ^ J1昇格(復帰)。天皇杯初優勝。
  16. ^ ACL初出場
  17. ^ ACL出場
  18. ^ ラグビーワールドカップ2019開催に伴い、味スタでの主催試合を前半戦に集中し、後半戦はアウェー8連戦となった。
  19. ^ a b 国立で行われる決勝戦は中立地開催扱いのため含めず。
  20. ^ a b ACLにおいては、ネーミングライツが禁じられていることから「東京スタジアム」の表記を用いる。
  21. ^ プレーオフに敗退した場合、リーグ杯予選を味スタで3試合開催予定だった。
  22. ^ ガスの炎の色を表す。東京ガスを母体とするスポーツチームの多くが、ユニフォームを同系統の配色としている。詳細は東京ガス#スポーツとのかかわりを参照。
  23. ^ 2011年4月より掲示を中止[67]
  24. ^ Jリーグでは2016年から背中の広告に関してこれまでの上部だけでなく裾部分の下部にも掲出が可能になったが、FC東京ではそれ以前から下部にスポンサーを掲出していたことになる。2016年以前に下部にロゴを提出していた例としてガンバ大阪柏レイソルがある(G大阪は1992年から1996年の間、FC東京と同様背番号の下の箇所に当時スポンサーだった松下電器産業(「National/Panasonic」、もしくは「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd. 」)のロゴを入れていた。柏の場合は2014年から上部にスポンサーのAflac、下部に柏が支援しているセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのロゴが無償提出されていた。また、2016年からは下部に無償ロゴのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに加え有償のスポンサーの ジールホールディングス を掲出している。)
  25. ^ 他のタイトル獲得経験のあるJリーグチームでは清水エスパルスが挙げられる。2012年までは湘南ベルマーレも同様だった。
  26. ^ FC東京のメディアブリーフィングによれば、味の素フィールド西が丘なでしこリーグ関東リーグ関東大学リーグ等との、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場は陸上競技との調整が発生し、夢の島競技場オリンピックの関係で利用が制限されるとのことであった[81]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w プロフィール Jリーグ (2020年9月6日)
  2. ^ a b c d e f g h i 『FC東京ファンブック2010』アサヒオリジナル、2010年、120-121頁。 
  3. ^ 青山経営論集」第41巻第2号、2006年9月。 75-82頁
  4. ^ a b 【J1:第18節】鹿島 vs F東京:原博実監督(F東京)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2007年6月30日)
  5. ^ a b 【F東京】フィッカデンティ監督、9日C大阪戦に意欲「組織化された守備を続けて」 スポーツ報知 (2014年8月8日)
  6. ^ “脱・原トーキョー”に成功。城福監督が新・東京を作った ゲキサカ (2009年11月3日)
  7. ^ About J.League(英語)Jリーグ公式サイト
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  10. ^ サッカー批評ISSUE55双葉社、2012年、69頁。ISBN 978-4575452754 
  11. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、87-88頁。 
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  13. ^ フットボールサミット第35回』カンゼン、2016年、180頁。 
  14. ^ J联赛豪门运作深度报告 中超可借鉴其成功经验 捜狐 (2010年2月12日)(中国語)
  15. ^ 平成24年度 財務諸表 三鷹市
  16. ^ 各会計歳入歳出決算 及び 基金の運用状況審査意見書 府中市
  17. ^ 平成24年度 財務諸表 調布市
  18. ^ a b 平成25年度小平市各会計決算及び基金の運用状況審査意見書3 小平市
  19. ^ 平成25年度財政状況 小金井市
  20. ^ a b FC東京2020VISION発表 FC東京 (2016年1月16日)
  21. ^ FC東京4連勝で奪首 - ウェイバックマシン(2000年1月15日アーカイブ分)スポーツ報知 (1999年5月5日)
  22. ^ a b c d e f g 『FC東京ファンブック2002』毎日新聞社、2002年、106-107頁。 
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『サポーターが選んだFC東京 名勝負BEST10』コスミック出版、2012年、62-74頁。 
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  33. ^ 東京-浦和、史上初の5発全ヘッド/J1 日刊スポーツ (2013年9月15日)
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  35. ^ Jリーグ公式戦における招致PRについて (PDF) 東京オリンピック・パラリンピック招致委員会 (2009年4月14日)
  36. ^ 日程・結果 Jリーグ
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  41. ^ FC東京、9得点の大勝でACL本大会へ -ACLプレーオフ チョンブリFC戦- 日本サッカー協会 (2016年2月10日)
  42. ^ 【FC東京】「リーグワースト3位の総得点をどう思う?」に、ベテランの羽生が味わい深い回答 サッカーダイジェスト (2016年6月17日)
  43. ^ 大補強したFC東京が10年ぶりの敵地での鹿島撃破に見せた変革の一端 THE PAGE (2017年2月26日)
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関連項目

外部リンク