奥原崇
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名前 | ||||||
愛称 | オク、オックン | |||||
カタカナ | オクハラ タカシ | |||||
ラテン文字 | OKUHARA Takashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年7月31日(52歳) | |||||
出身地 | 東京都稲城市[1] | |||||
身長 | 172cm[1] | |||||
体重 | 65kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[2]、FW[3] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1990 | 堀越高校 | |||||
1991-1994 | 中央大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1999 | 東京ガス/FC東京 | 55 | (9) | |||
2000-2002 | エリースFC東京 | |||||
2000 | 青梅FC | |||||
通算 | 55 | (9) | ||||
代表歴 | ||||||
2001 | 日本 フットサル | |||||
監督歴 | ||||||
2012-2016 | FC東京U-15深川 | |||||
2013 | 東京都選抜 | |||||
2022-2023 | FC東京U-18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、東京都稲城市出身のサッカー指導者、元サッカー選手、フットサル選手。
来歴
[編集]選手時代
[編集]堀越高校、中央大学を経て、1995年に東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入。高いテクニック[4]と創造性のあふれるプレーで[2]ファンタジスタとして活躍し[4][5]、FC東京の初代背番号10を背負った[2][6]。スルーパスやボレーシュートに代表される攻撃センス溢れるプレーと、ポニーテールをなびかせた外見から[5]「ロベルト・オク」、「東京のバッジョ」と呼ばれ愛された[7]。
しかし、大学時代にファウルを受けた際に膝を負傷して以来、この怪我との戦いが続いた[8]。髪型をバッジョに肖ったのも、バッジョが重傷からの復活を遂げた選手だからだった[9]。チームがFC東京としてJリーグ(J2)に加盟した1999年も、膝をかばう影響で腰などの状態も悪く、開幕からシーズン中盤戦を過ぎてもプレーできる状態にならなかったが[8]、9月25日に駒沢陸上競技場での大分トリニータ戦にて先発で10か月ぶりに復帰を果たし[5]、以後J1昇格をかけて戦うチームで奮闘。等々力での天王山となった川崎フロンターレ戦ではボレーシュートで先制点を決めるなど[8]結果を残したが、リーグ戦は年間7試合の出場にとどまり、膝の状態も考慮して翌年のJ1を戦うチームの構想に入らなかったことがフロントから伝えられ、同年限りで現役を引退した[2]。西が丘での天皇杯・初芝橋本高校との試合後の場内インタビューでサポーターに向け正式に引退表明し、天皇杯ジュビロ磐田戦が最後の試合となった。その試合でも怪我の影響もあり途中交代となったが攻撃のアクセントとなり、観戦していた磐田OBのドゥンガはこの試合の磐田の勝因に「東京の10番(奥原)が途中でベンチに下がった」ことを挙げた[10]。
その後は東京ガス本社で営業担当として勤務しながら[9]、アマチュアとして関東リーグのクラブでプレーし[6][2]、かつてのチームメイトである岡元勇人とともに国体の東京都代表に選ばれ、2000年の同大会で優勝[11][9]。また2001年にはフットサル選手として日本代表にも選出され、AFC選手権に出場した[12]。
指導者時代
[編集]2003年からはFC東京に復帰し[2]、普及部コーチのクリニックマスターとして子供達の指導にあたり[4]、指導者としてスタート。城福浩監督が就任し新体制となった2008年からトップチームコーチに就任[1]。城福の補佐、選手とのパイプ役として尽力した。この間にA級ジェネラルライセンスを取得[13]。2010年9月、城福監督解任に伴い退任し[14] U-12育成担当となった。2011年よりFC東京U-15深川でコーチ、2012年より監督を務め、2013年のU-15クラブユース選手権では準優勝、2014年のU-15高円宮杯では優勝。
FC東京での活動に加えて国民体育大会に臨む東京都選抜(少年男子)の指導も任されており[8]、2013年には監督として地元開催となった同大会で優勝を果たした[15]。
2017年から育成部長として下部組織全体を統括する。2021年12月にS級コーチライセンスを取得[16][17]。
2022年からFC東京U-18の監督に就任[18]。5年ぶりの現場復帰を果たす。
2024年からFC東京のトップチームコーチに就任が発表された[19]。
所属クラブ
[編集]- 梨花SC (現 梨花FC) (稲城市立第六稲城小学校)[20]
- 稲城市立稲城第四中学校[20]
- 堀越学園高校[1]
- 中央大学学友会サッカー部[1]
- 1995年 - 1999年 東京ガスサッカー部 / 東京ガスフットボールクラブ / FC東京
- 2000年 - 2002年 エリースFC東京
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 中大 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
1995 | 東京ガス | 10 | 旧JFL | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
1996 | 18 | 2 | - | 0 | 0 | 18 | 2 | ||||
1997 | 18 | 1 | - | 6 | 6 | 24 | 7 | ||||
1998 | 12 | 5 | - | 3 | 0 | 15 | 5 | ||||
1999 | FC東京 | J2 | 7 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | 11 | 2 | |
2000 | A東京 | 8 | 関東 | 8 | - | - | 8 | ||||
青梅 | - | - | |||||||||
2001 | A東京 | 8 | 7 | - | - | 7 | |||||
2002 | 3 | - | - | 3 | |||||||
通算 | 日本 | J2 | 7 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | 11 | 2 | |
日本 | 旧JFL | 48 | 8 | - | 10 | 6 | 58 | 14 | |||
日本 | 関東 | - | - | ||||||||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 1 | 0 | 15 | 7 |
- 1996年4月21日:JFL初出場 - JFL第1節 vs大分FC (西が丘)
- 1996年4月28日:JFL初得点 - JFL第2節 vsデンソーサッカー部 (刈谷)
- 1999年9月25日:J2初出場 - J2第28節 vs大分トリニータ (駒沢)
- 1999年10月24日:J2初得点 - J2第32節 vs川崎フロンターレ (等々力)
指導歴
[編集]- 2003年 - FC東京
- 2003年 普及部 コーチ
- 2004年 - 2006年 普及部 クリニックマスター
- 2007年 普及部 スクールマスター
- 2007年 - 2012年 東京都国体選抜少年男子 コーチ
- 2008年 - 2010年9月 トップチーム コーチ
- 2010年9月 - 同年12月 普及部コーチ 兼 U-12育成担当
- 2011年 U-15深川 コーチ
- 2012年 - 2016年 U-15深川 監督
- 2013年 東京都国体選抜少年男子 監督 [11]
- 2017年 - 2021年 アカデミーマネジメント部長 アカデミーダイレクター
- 2022年 - 2023年 U-18 監督
- 2024年 - トップチーム コーチ[19]
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | |||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | |||
2012 | FC東京U-15深川 | U-15関東1部 | 7位 | 27 | 22 | 7 | 6 | 9 |
2013 | 10位 | 17 | 22 | 5 | 2 | 15 | ||
2014 | 2位 | 42 | 22 | 12 | 6 | 4 | ||
2015 | 6位 | 30 | 22 | 8 | 6 | 8 | ||
2016 | 6位 | 27 | 22 | 7 | 6 | 9 | ||
2022 | FC東京U-18 | プレミアリーグEAST | 5位 | 35 | 22 | 11 | 2 | 9 |
2023 | 10位 | 22 | 22 | 5 | 7 | 10 | ||
通算 | 日本 | U-15関東1部 | - | - | 110 | 39 | 26 | 45 |
プレミアリーグEAST | - | - | 44 | 16 | 9 | 19 | ||
総通算 | - | - | 154 | 55 | 35 | 64 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- 全日本大学サッカー選手権大会 (1992年)
- ジャパンフットボールリーグ (1998年)
- 国民体育大会サッカー競技 青年男子 (2000年)
監督時代
[編集]- 東京都国体選抜
- 国民体育大会サッカー競技 少年男子 (2013年)
- FC東京U-15深川
- FC東京U-15混合チーム
- U15足校联盟杯 (2016年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “トップチームスタッフ 新任のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月9日閲覧。 FC東京 2008.01.20
- ^ a b c d e f 奥原氏がコーチ就任 - ウェイバックマシン(2008年1月9日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2008年1月6日)
- ^ “エリースフットボールクラブ東京 選手一覧”. 2002年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月6日閲覧。 関東サッカーリーグ (2002年9月7日)
- ^ a b c 『FC東京ファンブック2010』アサヒオリジナル、2010年、94頁。
- ^ a b c 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、22頁。
- ^ a b “フットサル日本代表候補「奥原崇」を応援して”. 2001年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月14日閲覧。 東京中日スポーツ (2001年4月20日)
- ^ 後藤勝『トーキョーワッショイ! F.C.TOKYO 99-04 REPLAY』双葉社、2005年、33頁。
- ^ a b c d [負けられない「多摩川クラシコ」共に切磋琢磨し、伝統の一戦へ]OBコメント(東京編)【第6回 FC東京 OB 奥原崇】 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2007年4月26日)
- ^ a b c けがに泣いたエース 奥原崇さん(J1初挑戦 FC東京)『朝日新聞』 2000年11月23日 朝刊 東京2版
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト』1999年12月xx号
- ^ a b 第68回国民体育大会サッカー競技 東京選抜 監督対談 東京都サッカー協会
- ^ “奥原がフットサルでアジア王者挑戦”. 2001年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月7日閲覧。 東京中日スポーツ (2001年7月20日)
- ^ 2008(平成20)年度 公認A級コーチジェネラル 認定者【83名】 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年4月9日)
- ^ 城福監督 解任 後任は大熊氏 東京中日スポーツ (2010年9月20日)
- ^ スポーツ祭東京2013 第68回国民体育大会 サッカー競技 -東京都がサッカー競技で総合優勝- 東京都サッカー協会
- ^ 奥原崇氏、北原次郎氏がS級ライセンス取得 ゲキサカ 2021年12月16日
- ^ 2021年度第14回理事会・指導者ライセンス認定の件 日本サッカー協会 2021年12月16日
- ^ FC東京U-18の中村忠監督が11年ぶりに東京V帰還へ! 後任監督は奥原崇氏 ゲキサカ 2021年12月26日
- ^ a b “奥原崇FC東京U-18監督退任のお知らせ”. FC東京オフィシャルホームページ (2024年1月13日). 2024年1月14日閲覧。
- ^ a b 奥原崇氏プロフィール (PDF) 稲城市立第三稲城小学校
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 奥原崇 - WorldFootball.net
- 奥原崇 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 奥原崇 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 奥原崇 - J.League Data Siteによる選手データ
- サントリー・Jリーグ スポーツクリニック 2006 - FC東京普及部:奥原コーチインタビュー - ウェイバックマシン(2009年9月19日アーカイブ分)
- 「選手の"器"を大きくする」3つのポイント / ジュニアユースから逆算したジュニア年代に必要な指導 - COACH UNITED (2017年2月20日)
- プロを目指すには「自立した生活習慣の獲得」が必要 / FC東京U-15深川が目指す「育成と結果の両立」 - COACH UNITED (2017年2月27日)