栗澤僚一
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名前 | ||||||
愛称 | クリ[1][2] | |||||
カタカナ | クリサワ リョウイチ | |||||
ラテン文字 | KURISAWA Ryoichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年9月5日(42歳) | |||||
出身地 | 千葉県松戸市 | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
1998-2000 | 習志野高校 | |||||
2001-2004 | 流通経済大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | FC東京 | 79 | (4) | |||
2008-2018 | 柏レイソル | 217 | (2) | |||
通算 | 296 | (6) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は柏レイソルのヘッドコーチを務める。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。流通経済大学法学部卒[3]。
来歴
[編集]兄の影響で[4]6歳の時に[2]サッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた[5]。トレセンでのプレーが認められ[5][6]、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため[5][6]全国的には無名の存在だった[7]。
習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け[6]、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが[5]、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった[7]。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出された[8]。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入[9]。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと[10]、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み[11]、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ[3]。
2005年に大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使って[12] リズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献[13]。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した[14]。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった[15]。2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが[1]、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた[16][17](2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)。復調後は攻守のバランスを取りつつ[18] チームの潤滑油として奮闘を続けていたが[4]、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより[19]、出場機会を激減させていた。
2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で[19] 柏レイソルへレンタル移籍[20][21]。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28[注 1] を着用し、主に攻撃的な位置に入り[18]得点に絡むことを意識してプレーしていた[4][7]FC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが[22][23]、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。
2010年から柏へ完全移籍[24][25] となった。警告処分を厭わない[注 2] 守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。翌2011年には右ボランチとしてレアンドロ・ドミンゲスと酒井宏樹の右サイドアタック陣を支え続けJ1優勝に大きく貢献した。同年にはFIFAクラブワールドカップ2011にも出場し、準々決勝モンテレイ戦でのPK戦ではキッカーも務めてベスト4入りに貢献した。その後もこぼれ球の予測に長けセカンドボール回収に優れる[2] ボランチの中軸として出場を続け、主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会もあり、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた[26]。また、同年3月にタレントの佐藤弥生と結婚[27][28]。ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり先発を外れる機会が多くなったが[29]、衰えない運動量で[30] 計算できる貴重な選手として[31] 重宝された。
2018年12月1日、現役引退が発表された[32]。2019年より柏レイソルのコーチに就任[33]。 2024のJ1第22節FC東京戦では、監督の井原正巳が体調不良のため、代行で指揮を執った。
人物
[編集]- 同時期にFC東京に在籍していた今野泰幸や馬場憂太と特に仲が良く[4]、頻繁に部屋を行き来していた。柏に移籍後も馬場とは親しく、馬場のブログに登場することがある。
- ジュビロ磐田との試合で相性が良く、通算3試合で3得点を挙げ「磐田キラー」と呼ばれた[15]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1989年 - 1991年 柏イーグルス (松戸市立新松戸北小学校)[5]
- 1992年 - 1994年 新松戸SC (松戸市立新松戸北小学校)[5]
- 1995年 - 1997年 松戸市立新松戸北中学校 (現:松戸市立小金中学校)[25]
- 1998年 - 2000年 習志野市立習志野高等学校
- 2001年 - 2004年 流通経済大学
- プロ経歴
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 流経大 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
2004 | FC東京 | 33 | J1 | 6 | 0 | 3 | 1 | - | 9 | 1 | |
2005 | 27 | 34 | 3 | 5 | 1 | 2 | 0 | 41 | 4 | ||
2006 | 13 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
2007 | 22 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 30 | 0 | |||
2008 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | 6 | 0 | ||||
柏 | 28 | 11 | 1 | - | 5 | 0 | 16 | 1 | |||
2009 | 32 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
2010 | J2 | 31 | 0 | - | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
2011 | J1 | 31 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | ||
2012 | 26 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 33 | 0 | |||
2013 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
2014 | 14 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
2015 | 19 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 | |||
2016 | 18 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 22 | 1 | |||
2017 | 7 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
2018 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 265 | 6 | 46 | 2 | 31 | 0 | 342 | 8 | |
日本 | J2 | 31 | 0 | - | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
総通算 | 296 | 6 | 46 | 2 | 35 | 0 | 377 | 8 |
- 2004年は特別指定選手として出場
その他の公式戦
- 2013年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2011 | 柏 | 28 | - | 3 | 0 | |
2012 | 4 | 0 | - | |||
2013 | 10 | 2 | - | |||
2015 | 3 | 0 | - | |||
2018 | 2 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 19 | 2 | 3 | 0 |
- 出場歴
- 2004年4月:Jリーグ初出場 - 3日J1 1stステージ第3節 vs東京ヴェルディ1969 (味の素)
- 2004年7月17日:公式戦初得点 - ヤマザキナビスコカップ グループD第5節 vsヴィッセル神戸 (神戸ウイング)
- 2005年4月10日:Jリーグ初得点 - J1第4節 vsジュビロ磐田 (味の素)
- 2009年5月:J1・100試合出場 - 5日J1第10節 vs浦和レッドダイヤモンズ (国立)
- 2013年10月19日:J1・200試合出場 - J1第29節 vsヴァンフォーレ甲府 (柏サッカー場)
指導歴
[編集]- 2019年 - 柏レイソル コーチ
- 2024年7月 監督代行
脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c PLAYER'S DATABASE - ウェイバックマシン(2007年9月27日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- ^ a b c 『Jリーグ選手名鑑2014 エルゴラッソ特別編集』2014年、60頁。
- ^ a b 栗澤僚一選手(流通経済大学)来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年8月13日アーカイブ分) FC東京 (2004年7月21日)
- ^ a b c d 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、31頁。
- ^ a b c d e f PLAYER'S HISTORY FILE 014 - ウェイバックマシン(2010年7月2日アーカイブ分) Jリーグ選手協会 (2008年4月11日)
- ^ a b c on the way 柏レイソル
- ^ a b c 365日FC東京 <第19回> MF 栗沢 僚一 意識高い阿部さんの影響大きかった - ウェイバックマシン(2004年8月3日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2004年7月23日)
- ^ 第77回関東大学サッカーリーグ戦・順位表・表彰者一覧 College Soccer Central
- ^ 栗澤僚一選手(流通経済大学)「JFA・Jリーグ 特別指定選手」承認のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月13日アーカイブ分) FC東京 (2004年2月26日)
- ^ 練習中に左足肉離れ ケリーまた離脱!! 栗沢が代役出場に意欲 - ウェイバックマシン(2004年10月25日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2004年4月29日)
- ^ 365日FC東京 高い技術に裏打ちされた栗沢の先制ゴール - ウェイバックマシン(2004年10月27日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2004年7月21日)
- ^ 馬場負傷開幕ピンチ でも栗沢がいる! - ウェイバックマシン(2005年2月20日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2005年2月17日)
- ^ 365日FC東京 <第42回> MF 栗沢 僚一 いい判断ができる選手になりたい。あとは熱い気持ち - ウェイバックマシン(2005年10月28日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2005年3月18日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)
- ^ a b ジュビロキラー栗沢復活 東京中日スポーツ 2006.11.17
- ^ 【J1:第11節 F東京 vs 名古屋】プレビュー J's GOAL (2008年5月5日)
- ^ 引退の文丈が栗沢を後継者に 背番号『10』を託す 東京中日スポーツ (2006年11月29日)
- ^ a b MF栗沢 復活スタメン - ウェイバックマシン(2007年12月8日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2007年12月7日)
- ^ a b 栗沢 柏へレンタル移籍 鈴木が新加入 東京中日スポーツ (2008年8月27日)
- ^ 栗澤僚一選手 柏レイソルへ期限付き移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年8月29日アーカイブ分) FC東京 (2008年8月26日)
- ^ 栗澤僚一選手が期限付き移籍加入 柏レイソル (2008年8月26日)
- ^ 栗澤僚一選手 柏レイソルへの期限付き移籍延長のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) (2009年1月9日)
- ^ 栗澤僚一選手の期限付き移籍延長 柏レイソル (2009年1月9日)
- ^ 栗澤僚一選手 柏レイソルへ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2010年1月10日アーカイブ分) FC東京 (2010年1月6日)
- ^ a b 栗澤僚一選手が移籍加入 柏レイソル (2010年1月6日)
- ^ 優勝杯を掲げたキャプテン代理の柏MF栗澤「最高でした!」 ゲキサカ (2013年11月2日)
- ^ 栗澤僚一選手が入籍 柏レイソル (2013年4月1日)
- ^ 柏の栗沢結婚「王様のブランチ」佐藤弥生 日刊スポーツ (2013年4月1日)
- ^ 『サッカーダイジェスト No.1334』日本スポーツ企画出版社、2015年、65頁。
- ^ 第2ステージ(2)走行距離トップは柏のMF栗沢、ダッシュしたのは名古屋のMF永井 産経ニュース (2015年7月18日)
- ^ 『Jリーグ選手名鑑2015 J1・J2・J3 (エルゴラッソ特別編集)』三栄書房、2015年、48頁。
- ^ 『栗澤 僚一選手 現役引退のお知らせ ※コメント追加』(プレスリリース)柏レイソル、2018年12月1日 。2018年12月7日閲覧。
- ^ 『栗澤 僚一コーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2018年12月13日 。2018年12月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 栗澤僚一 - Soccerway.com
- 栗澤僚一 - FootballDatabase.eu
- 栗澤僚一 - WorldFootball.net
- 栗澤僚一 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 栗澤僚一 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 栗澤僚一 - FIFA主催大会成績
- 栗澤僚一 - J.League Data Siteによる選手データ
- プロフィール (2008年) - ウェイバックマシン(2008年4月29日アーカイブ分) - FC東京
- 柏レイソル公式プロフィール
- TOKYO MANIA Vol.10 栗澤僚一選手インタビュー - 182ch (2005年5月12日)