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その後、同年9月19日に立憲民主党に入党、同日付で党国対委員長に就任した<ref>{{Cite news |title=安住氏が立民入党、国対委員長に |newspaper=日本経済新聞 |date=2019-09-19 |url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO49984950Z10C19A9PP8000}}</ref>。 |
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2020年11月1日 (日) 11:13時点における版
安住 淳 あずみ じゅん | |
---|---|
生年月日 | 1962年1月17日(62歳) |
出生地 |
宮城県牡鹿郡牡鹿町 (現:石巻市) |
出身校 | 早稲田大学社会科学部卒業 |
前職 | 日本放送協会(NHK)報道記者 |
所属政党 |
(無所属→) (新党さきがけ→) (旧民主党→) (民主党→) (民進党(前原G)→) (無所属→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党 |
称号 | 社会科学士(早稲田大学・1985年) |
親族 | 父・安住重彦(元牡鹿町長) |
公式サイト | 安住淳オフィシャルホームページ |
第15代 財務大臣 | |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2012年10月1日 |
選挙区 | 宮城5区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 現職 |
安住 淳(あずみ じゅん、1962年1月17日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(8期)。立憲民主党国会対策委員長。
財務大臣(第15代)、政府税制調査会長(第11代)、衆議院安全保障委員長、民主党選挙対策委員長、防衛副大臣(菅第1次改造内閣)、民主党国会対策委員長(第15代)、民主党幹事長代行(第2代)、民主党宮城県連代表、民進党国会対策委員長(初代)、民進党代表代行(第2代)等を歴任した。
父は牡鹿町長を務めた安住重彦。
来歴
生い立ち
宮城県牡鹿郡牡鹿町(現:石巻市)生まれ。宮城県石巻高等学校を卒業後、一浪して早稲田大学社会科学部に入学。早大在学中は雄弁会、国際貿易論を専門とした大畑弥七のゼミに所属していた。早大卒業後、日本放送協会に報道記者として入局。自由民主党を担当し、園田博之内閣官房副長官の番記者を務めた経験がある[1]。当時の上司に影山日出夫がおり、安住が政界入りする際は「よく大変な世界に入るよな」と励まされたという[2]。1993年にNHKを退職。
同年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党・新党さきがけの推薦を受け、無所属で旧宮城2区から出馬したが、落選。その後新党さきがけに入党するが、1996年に離党し、さきがけの幹部だった鳩山由紀夫や菅直人らが中心になって結党した旧民主党に参加する。
政界入り
1996年の第41回衆議院議員総選挙では宮城5区から出馬し、初当選。元々、宮城5区を含む旧宮城2区は社会民主党から民主党結党に参加し、選挙前まで第1次橋本内閣の郵政大臣だった日野市朗の地盤であったが、この選挙では安住が宮城5区、日野が比例東北ブロック単独で出馬して共に当選している。2000年の第42回衆議院議員総選挙ではコスタリカ方式により安住が比例区、日野が選挙区で出馬する予定だったが、選挙前に候補者が差し替えられ、前回同様安住が宮城5区、日野が比例単独で出馬した。2000年11月、衆議院外務委員会理事に就任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では自民党が大勝する中で、宮城県内で唯一民主党の議席を死守した。この総選挙での民主党大敗により岡田克也代表は辞任し、安住は後任の前原誠司代表の下で選挙対策委員長に就任する。2008年大阪府知事選挙ではガソリン値下げ隊36名を率いて熊谷貞俊候補を支援するが、熊谷は橋下徹に敗北した[3]。
鳩山政権
2009年の第45回衆議院議員総選挙では宮城5区で5選。総選挙後、衆議院安全保障委員長に就任。2010年6月、鳩山由紀夫首相が辞任し、後任の菅直人首相の下で再び民主党選挙対策委員長に就任。
菅政権
第22回参議院議員通常選挙では民主党幹事長の枝野幸男と共に陣頭指揮を執るが、菅首相の消費税増税をめぐる発言のブレ等により、民主党は大敗を喫した。党内からは枝野幹事長、安住選挙対策委員長の責任論も噴出したが、菅首相は9月に民主党代表選挙で再選されるまで両名を続投させた。9月の民主党代表選挙では現職の菅直人への支持を表明し[4]、2010年9月に発足した菅第1次改造内閣では北澤俊美防衛大臣の下で副大臣に任命される。翌2011年1月、菅第2次改造内閣発足に伴う党役員人事で民主党国会対策委員長に就任した。5月12日、人権擁護法案を次期臨時国会で提出を目指す方針を示した[5]。
与党民主党の東日本大震災対策副本部長・渡辺周が、物資不足への対応策を問われ、ガソリンを現地に運んでも貯蔵するところが無い。学校のプールに貯蔵できないか、と国会の司令塔・安住国対委員長が検討したことを語っている[6]。
菅内閣の東日本大震災対応に批判が高まると「誰が総理大臣やってもとてつもない難問で、菅さんが全部悪いというのは乱暴だ」と反論し[7]、菅総理大臣の在日韓国人違法献金問題についても「日本名での献金で認識がなかった。不注意だったと思うが、故意ではないので心配していない。これからも丁寧に説明すればいい」と述べ[8]、菅内閣への退陣要求を牽制した。
2011年(平成23年)6月に自由民主党と公明党が、菅内閣の東日本大震災の対応などについて内閣不信任案を提出。民主党執行部に不信を募らせた民主党議員たちが同調の動きを見せたことに対し、「与党の責任を果たすため、大差で否決しないといけない。賛成者は誰であっても、何人であっても除名になる」と述べた。また自民党の逢沢一郎国対委員長に対して、7月上旬に菅内閣が退陣し民主党代表選挙を実施する意向を伝え、公債発行特例法案の早期成立に理解を求めた[9]。
野田政権
2011年9月、野田内閣に財務大臣として初入閣。過去に財政政策関連のポストとは無縁だったため、財務相就任には本人も含め驚きの声が上がった[10]。安住は、衆院安全保障委員長、防衛副大臣など安全保障政策のポストを多く経験してきたため、防衛大臣への就任を予期して防衛白書を読んで準備していたという[11]。消費税引き上げを最大課題とする野田総理が、国会対策委員長として野党と折衝に当たった手腕を見込んだとも言われる[12]。旧大蔵大臣時代を含めても、財務大臣として初入閣するのは比較的異例であり(前任の財務大臣だった野田佳彦も、財務副大臣から昇格する形で財務大臣として初入閣している)、40代での財務大臣就任は史上初(大蔵大臣時代を含めても池田勇人、田中角栄の両首相経験者に次ぎ3人目)であった。野田第1次改造内閣、野田第2次改造内閣においても再任。2012年9月10日の松下忠洋金融担当大臣の死去に伴い、同日より金融担当大臣事務代理を兼務する[13]。
民主党幹事長代行
2012年9月28日、民主党幹事長代行並びに民主党政治改革推進本部長[14]に就任し、同年10月1日の野田第3次改造内閣発足に伴い財務大臣、金融担当大臣(事務代理)を退任した。
11月16日に衆議院解散されると、参議院議員である輿石東幹事長に代わり、党の衆院選対策を事実上取り仕切る立場で奔走する。「党の顔」の一人として「TV番組はすべて俺が出る」などと意欲を見せた[15]。
第46回衆議院議員総選挙では、現職閣僚や党幹部が軒並み苦戦し、その多くが落選する中、自民党の新人で同じNHK出身の元キャスターである大久保三代をダブルスコアで破り、6選を決める。なお宮城5区では第41回衆議院議員総選挙以降、次点以下の候補が比例復活した例がなかったが、この総選挙では、安住は初当選以来初めて、対立候補の比例復活を許している。
民主党下野後
2013年1月25日の宮城県連大会において、民主党宮城県連代表に就任した。同年7月の第23回参議院議員通常選挙では、宮城県選挙区選出の岡崎トミ子元国家公安委員会委員長の選挙対策本部長を務めるが、岡崎は自民党の愛知治郎、みんなの党の和田政宗に次ぐ得票数3位で落選し、1997年の補欠選挙で岡崎が当選して以来、守ってきた民主党の議席を失った[16]。
2013年9月の党役員人事において、民主党東日本大震災復旧・復興推進本部長に就任[17]。
2013年10月15日に召集された第185回国会にて沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任。2014年、民主党国会対策委員長代理に起用される[18]。同年の第47回衆議院議員総選挙では、前回破った自民党の大久保が党の公認を得られず、代わって比例北海道ブロックから鞍替えした勝沼栄明が宮城5区から出馬したが、安住が勝沼を大差で破り、7選。2015年1月の民主党代表選挙では、元代表の岡田克也の推薦人に名を連ねた[19]。岡田代表の下で、民主党国会対策委員長代理に再任。
民進党
2016年3月27日、民主党・維新の党の合併により結党された民進党に参加し、国会対策委員長代理から昇格する形で初代民進党国会対策委員長に起用された[20][21]。2016年民進党代表選挙では蓮舫代表代行(当時)を支持し、自身は蓮舫代表の下での幹事長就任に強い意欲を見せていた[22]が、代表に選出された蓮舫の下で民進党代表代行に起用された[23]。
2017年7月末、野田佳彦の幹事長辞任により、岡田克也、枝野幸男、前原誠司など蓮舫から幹事長就任を要請されそうな幹部に「オファーがあっても受けるな」と言って回っていた。蓮舫執行部は幹事長の人選ができず辞任に追い込まれた[24]。
10月22日投票の第48回衆議院議員総選挙では、9月末に民進党が希望の党への合流方針を取って衆院選で公認候補を出さないことを決定したことを受けて、当初は希望の党への公認申請を出す方向で検討中だったが[25]、公認申請難航のため「新党とかには、まったくおつきあいするつもりもない」と述べて希望の党からも立憲民主党からも公認を受けない無所属で出馬[26]。再び勝沼を比例復活を許さぬ大差で破り8選[27]。
無所属の会→立憲民主党
10月26日に岡田克也が代表を務める院内会派・無所属の会の結成メンバーとなった[28]。
2018年5月1日、民進党と希望の党の合流による新党「国民民主党」について「小さな政党の離合集散に付き合う気になれない」と述べ、民進党に離党届を提出した[29]。
2019年1月15日には無所属の会から立憲民主党会派に入会した。
その後、同年9月19日に立憲民主党に入党、同日付で党国対委員長に就任した[30]。
2020年9月19日に立憲民主党と国民民主党が合流して結成した新「立憲民主党」に参加し、党国対委員長に就任した[31]。
政策・主張
- 日本国憲法の改正に賛成[32]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに反対[32]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[32]。
- 原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成[32]。
- 日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に賛成[32]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかといえば賛成[33]。
- 2016年11月17日の安倍・トランプ会談を「朝貢外交」と形容したが、花田紀凱は産経新聞のコラムで「自らの外交感覚の無さをさらしただけだ(中国の「環球時報」も「朝貢外交」と報じた)」と評した[34]。
活動
- 2008年1月18日、大阪府知事選挙の応援演説で対立候補の橋下徹を「政党を隠しての選挙はせこい。結局、のみ込まれて改革できないよ。茶髪で反権力で人気になったのに自公に乗っかって、姑息」[35]と非難した。
- 2008年12月5日に改正国籍法が成立したことに関して自身のブログで、右寄りの一部の人が多数を装い各議員の事務所にメールやファックスを多数寄せる組織的な反対運動を起こしていることを何よりも心配しているとして「ネット社会の負の部分をまざまざと見た思いだった。こうしたことで法案の審議や議員の自由な政治活動に支障があっては、国会がおかしくなる」と記している[36]。→「国籍法改正問題」も参照
- 2010年11月に起きた尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件では、映像を公開した海上保安官の一色正春について「理由のいかんにかかわらず、海保で働く資格のない男だね」と強い不快感を示し、彼を擁護する意見に対しては「義憤に駆られてやったと擁護する人もいるが、それでは組織が持たない」と批判した。一方、菅内閣が事件の映像を国民に非公開にしていたことについては、妥当な処理であったと主張した[37]。
- 2010年11月3日に行われた入間航空祭において、民間団体「航友会」会長が「一刻も早く菅政権をぶっつぶしましょう」と批判したのを受けて、防衛省は自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる事務次官通達を出した。この件について主導したのは安住だったと2011年1月27日の産経新聞が報じた。安住は産経新聞の取材に対して「コメントしない」と語った[38]。
- 2011年7月5日、松本龍復興大臣が失言を連発して辞職したことについて「(被災県の知事への応対は)誤解を受ける態度、発言だったことは否定できない。残念だがやむを得ない」と述べた[39]。一方で「本当に情けない内閣だ。こういう醜態は恥ずかしい」と、与党の国対委員長の立場ながら菅内閣に対する強い批判も行った。
- 2011年7月12日、郵政改革法案の早期成立を強く要求している連立与党の国民新党を「瀬戸際外交みたいだ。異様な対応を取る人たちが連立政権のパートナーとなっている」と批判した[40]。
- 2011年7月30日、テレビ東京の番組で、東日本大震災の復旧・復興で被災地自治体の首長から国政への不満が出ていることについて、「首長は増税しないのだから(批判されにくい)。国からお金をもらって自分は言いたいことを言って、出来なかったら国のせいにする。自分たちは立派なことを言うが泥はかぶらない。この仕組みは何とかしなければいけない」と批判した[41]。
- 2011年9月26日の衆議院予算委員会における塩崎恭久(自由民主党)の質疑中、埼玉県朝霞市の公務員宿舎建設に関連して、自身もNHK時代には給与では生活できずに社宅に住んだとして、「(国家公務員には)多少は宿舎の便宜供与等もあってしかるべきだと思ってます」と述べた。NHKの年間報酬については、9月28日の参議院予算委員会で平均1041万円であることが明らかになっており、かなりの高給取りであるとの指摘がある[42]。
- 2011年11月、自由民主党総裁安倍晋三がニコニコ動画が主催する14党の党首が集まる討論の場で民主党代表野田佳彦との党首討論を提案したのに対し、安住は「双方向と言いながら極めて偏った動画サイトに投稿を許すようなやり方は、逆に、これまでの良き伝統の党首討論を崩すと思う」と提案を拒否。ドワンゴから「極めて偏った動画サイト」の発言について抗議を受けた[43]。
- 2020年2月4日、衆議院の立憲民主党会派の控え室ドアの廊下側に蛍光ペンで「100点」「0点」「出入り禁止」「論外」などと書かれた主要新聞6紙の政治面の記事のスクラップを貼り出した。これについて安住本人は記者の取材で、自らの指示で掲示させたと認め「冗談のつもりで、感情の思うままに書いてしまった。反省している」と陳謝したが、あわせて「みんな爆笑していた」や控え室外側に掲示したにも関わらず「敷地内に貼っただけ」などとも述べていた。その後、党代表の枝野幸男から「理性的に対応してほしい」と注意を受けた[44][45][46][47][48]。
- 2020年10月26日、国会内で行われた立憲民主党の衆参議員の会合において、立憲民主党との合流協議をめぐり、分裂の危機を迎えている社民党と結成していた統一会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」について、「ものすごい長い名前だったけど、ようやくここにきて『立憲・社民・無所属』となり、まもなくもう一つ消えれば、『立憲・無所属の会』ぐらいになる。いよいよ本格的に我が党の時代が来るんじゃないか」と発言した。その後、他の議員の反応を受け「余計なことを言ってすみません」と陳謝した[49]。
人物
- 若林忠志の妻が石巻出身だった縁で阪神タイガースのファン[50]。「阪神タイガースを応援する議員の会」の23人の発起人の一人。「阪神タイガースが優勝したら国会で六甲颪を歌う」が同会の活動方針。
- 熱狂的なEXILEファンでもある。2009年11月のブログでは天皇即位20年の記念式典でEXILEと同席して交流を果たし、「会えた、会えた、会えた…会えました」と記している[51]。
- 第46回衆議院議員総選挙での民主党惨敗後、かつて渡部恒三が命名した七奉行の会のメンバーのうち、野田政権下で閣僚や党三役を務めた枝野幸男(元内閣官房長官・経済産業大臣)、岡田克也(元副総理・党代表)、玄葉光一郎(元外務大臣)、野田佳彦(元首相)、前原誠司(元党政策調査会長・国家戦略担当大臣)の5人に安住(元財務大臣・党幹事長代行)を加えた6人で頻繁に会合を行っており、「民主党6人衆」と称されている[52]他、総選挙で落選し政界引退した仙谷由人の後任という形で七奉行と称されている事もある[53]。この場合は仙谷と同じく総選挙で落選した5年後の総選挙の比例単独で当選し国政復帰を果たした樽床伸二(元党幹事長代行・総務大臣)も含まれている。
所属団体・議員連盟
- 民主党水産振興議員連盟(会長)
著書
- 『安住淳の国会日誌―二〇〇一年~二〇〇五年』童牛社、2006年7月25日。ISBN 9784924595743。
脚注
注釈
出典
- ^ “ゴーマン大臣安住淳(財務相)「コンプレックスだらけの青春時代」”. フライデー. 講談社. 2020年8月26日閲覧。
- ^ スポーツ報知 2010年8月13日
- ^ スポニチアネックスOSAKA 社会 "熊谷氏応援"安住議員が橋下氏バッサリ「姑息」
- ^ 安住淳公式BLOG「代表選挙に突入」2010年08月27日(Fri)
- ^ “人権救済法案、今国会は断念 政府・民主党”. MSN産経ニュース. (2011年5月12日). オリジナルの2011年5月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 今朝の朝ズバッ!「みのもんたの朝ズバッ!」2011.3.21
- ^ 2011年4月15日06時01分 スポーツ報知 誰がやっても難問「菅政権が悪い」は乱暴
- ^ “政府・与党に衝撃 執行部、首相辞任不要で足並み”. 日本経済新聞. (2011年3月11日)
- ^ “代表選「最短で7月上旬」 民主国対委員長”. 日本経済新聞. (2011年6月7日)
- ^ 時事通信 2011年9月2日
- ^ テレビ朝日 2011年9月2日
- ^ 日本経済新聞 2011年11月17日夕刊
- ^ 「人事異動」『官報』5885号、国立印刷局、2012年9月13日、10面。
- ^ “比例40減方針、民主が確認 衆院選挙制度改革”. 日本経済新聞. (2012年11月6日)
- ^ “選挙の顔は安住氏?「TVは全部、オレが出る」”. 読売新聞. (2012年11月17日). オリジナルの2012年11月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【参院選速報】民主・岡崎氏が落選”. 産経新聞. (2013年7月22日)
- ^ 民主党 海江田改造『次の内閣』 BLOGOS
- ^ “民主、国対委員長代理に安住氏 馬淵選対委員長は続投”. 日本経済新聞. (2014年9月19日)
- ^ “民主代表選候補の推薦人名簿”. 時事通信社. (2015年1月7日). オリジナルの2015年1月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進党政調会長に山尾氏 国対委員長に安住氏 ポスト大半は民主”. 北海道新聞. (2016年3月24日). オリジナルの2016年4月9日時点におけるアーカイブ。 2016年4月9日閲覧。
- ^ “安住国対委員長で最終調整 民進、参院選へ対決姿勢”. 東京新聞. (2016年3月24日). オリジナルの2016年4月9日時点におけるアーカイブ。 2016年4月9日閲覧。
- ^ “蓮舫、民進代表選で“密約” 「安住を幹事長にはしない」”. livedoorニュース. (2016年8月24日) 2016年10月10日閲覧。
- ^ “民進代表代行に安住氏=国対委員長は山井氏-蓮舫氏調整”. 時事通信. (2016年9月17日) 2016年10月10日閲覧。
- ^ “「蓮舫」電撃辞任 退陣を仕掛けた安住淳の“ちびっこ”的いじめ”. 週刊新潮. (2017年8月10日)
- ^ “【衆院選】離党届きょう提出 民進宮城県連の混乱続く”. 産経新聞. (2017年9月30日)
- ^ “【衆院選】民進元代表代行の安住淳氏「完全無所属で」”. 産経新聞. (2017年10月2日)
- ^ “【衆院選】安住淳氏「解散と同時に党がなくなった。上はこんな選挙やらせちゃだめ」宮城5区で勝利”. 産経新聞. (2017年10月23日)
- ^ “民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に”. 時事通信. (2017年10月26日). オリジナルの2017年10月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “安住淳元財務相が民進に離党届提出 参院選前の地域政党検討も「小さな党の離合集散、付き合えない」”. 産経新聞. (2018年5月1日)
- ^ “安住氏が立民入党、国対委員長に”. 日本経済新聞. (2019年9月19日)
- ^ “立民国対委長に安住氏 国民政調会長に舟山氏 東北議員、新党要職に”. 河北新報. (2020年9月16日)
- ^ a b c d e “2012衆院選 宮城5区 安住淳”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月7日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ “【花田紀凱の週刊誌ウォッチング〈593〉】安倍トランプ会談「内容は一切話さないようにしましょう」と言いつつ、その中身を文春が”. 産経新聞. (2016年11月27日)
- ^ スポニチアネックスOSAKA (2008年1月18日)
- ^ 安住淳が斬る!「国籍法改正」
- ^ “尖閣ビデオ流出で海上保安官 擁護していては組織もたない”. スポーツ報知. (2010年11月12日). オリジナルの2010年11月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【自由が危ない】防衛次官通達、安住氏が主導 政務官再考促すも耳を貸さず”. MSN産経ニュース. (2011年1月27日). オリジナルの2011年1月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ 民主・安住国対委員長「残念だがやむを得ない」産経新聞 2011年7月5日
- ^ 国民新党は「瀬戸際外交」と民主・安住氏が批判 産経新聞 2011年7月12日
- ^ “被災地首長「泥かぶらない」 民主安住氏が批判”. 日本経済新聞. (2011年7月30日)
- ^ “「ちびっこギャング」安住財務相が「暴言大魔王」 週刊文春が「認定」した根拠”. J-CASTニュース. (2011年10月5日)
- ^ “ドワンゴ、民主党に抗議 安住氏「極めて偏った動画サイト」発言に反発”. ITmediaNEWS. (2012年11月27日)
- ^ “安住淳氏、新聞記事に「くず」「出入り禁止」…国会内に掲示”. 読売新聞. (2020年2月5日)
- ^ “「くず」「出禁」…立憲・安住氏、新聞記事を論評し掲示”. 朝日新聞. (2020年2月4日)
- ^ “立民、新聞6紙の記事「評価」”. 日本経済新聞. (2020年2月5日)
- ^ “新聞記事をランク付けで掲示 立民・安住氏が謝罪 ハナマル、くず…産経は「論外」”. 産経新聞. (2020年2月4日)
- ^ “東京・朝日などに「花丸」、産経「論外」、他紙は... 立憲・安住氏は新聞をどう「採点」した?”. J-CASTニュース. (2020年2月5日)
- ^ “「もう一つ消えれば…我が党の時代」立憲・安住氏が発言”. 朝日新聞. (2020年10月26日) 2020年10月26日閲覧。
- ^ スポーツ報知 2010年1月15日
- ^ 安住淳の徒然記
- ^ “民主6人衆、どぶ板の夏… 「A級戦犯」と批判され必死”. 朝日新聞. (2013年7月12日)
- ^ ““民主党7奉行”の民進解党・小池新党合流はみっともない”. NEWSポストセブン. (2017年10月4日)
関連項目
外部リンク
公職 | ||
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先代 野田佳彦 |
財務大臣 第15代:2011年 - 2012年 |
次代 城島光力 |
先代 野田佳彦 |
政府税制調査会長 第11代:2011年 - 2012年 |
次代 城島光力 |
先代 榛葉賀津也 |
防衛副大臣 2010年 - 2011年 |
次代 小川勝也 |
議会 | ||
先代 今津寛 |
衆議院安全保障委員長 2009年 - 2010年 |
次代 奥田建 |
党職
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先代 (結党) |
立憲民主党国会対策委員長 初代:2020年 - |
次代 (現職) |
先代 辻元清美 |
旧立憲民主党国会対策委員長 第2代:2019年 - 2020年 |
次代 (解党) |
先代 蓮舫 長妻昭 江田憲司 |
民進党代表代行 細野豪志 江田憲司 →江田憲司と共同 2016年 - 2017年 |
次代 枝野幸男 |
先代 結成 |
民進党国会対策委員長 初代:2016年 |
次代 山井和則 |
先代 樽床伸二 |
民主党幹事長代行 第2代:2012年 |
次代 中川正春 |
先代 鉢呂吉雄 |
民主党国会対策委員長 第16代:2011年 |
次代 平野博文 |
先代 玄葉光一郎 石井一 |
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次代 鉢呂吉雄 渡辺周 |