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第68期(2009年度)B級2組順位戦で、[[順位戦#降級点|降級点]]を1つ抱えた状態で前半戦4連敗しC級1組への陥落が危ぶまれたが、そこから5勝5敗の指し分けとし、逆に降級点を消した(2年連続指し分けの規定)。同じクラスから元タイトルホルダーの[[内藤國雄]]・[[森雞二]]が降級していく中で、ベテランの意地を見せた。 |
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2010年、第58期王座戦でベスト4に進出。 |
2010年、第58期王座戦でベスト4に進出。 |
2020年7月16日 (木) 23:05時点における版
青野 照市 九段 | |
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青野 照市 | |
名前 | 青野 照市 |
生年月日 | 1953年1月31日(71歳) |
プロ入り年月日 | 1974年4月1日(21歳) |
棋士番号 | 114 |
出身地 | 静岡県焼津市 |
師匠 | 廣津久雄九段 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 青野 照市 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 4回 |
2016年9月26日現在 |
青野 照市(あおの てるいち、1953年1月31日 - )は、将棋棋士。廣津久雄九段門下。棋士番号は114。静岡県焼津市出身。竜王戦1組通算6期、順位戦A級通算11期。
棋歴
研究派として知られ、A級通算11期を数える。
A級に11期在籍し、その間、大山康晴、中原誠、米長邦雄、谷川浩司等としのぎを削り、さらに羽生善治、佐藤康光、森内俊之、藤井猛等(いわゆる「羽生世代」)が台頭してきた中でも健闘した。
1999年度のB級1組順位戦で1位となり、2000年に10年ぶりにA級に復帰したとき、羽生世代の棋士たちがA級の大半を占める中での活躍は「中年の星」として話題となった。
将棋に熱中し出したのは中学の頃で、後に一流棋士になった者としては晩学である[1]。
東西対抗三段リーグ制度(奨励会A組)の最後のリーグ卒業者である。青野が関東優勝を決めた後、過去に2度の関西優勝歴があった淡路仁茂が関西優勝をしたため、東西決戦なしで二人が同時に四段に昇段することとなった。その朗報が青野のもとに届いた当日、青野がちょうどタイトル戦の記録係をしていたことは話題となった[1]。
プロ1年目(1974年度、21歳)で新人王戦に優勝。出場時は四段昇段前であったが、2回戦と3回戦の間に四段昇段している。
プロ2年目(1975年度)には、順位戦でC級1組昇級を決め、さらには第27期棋聖戦と第2回名将戦でも本戦で活躍するなど全棋士中トップの勝率(0.745)を挙げ、第3回将棋大賞の勝率一位賞と新人賞を同時受賞。
1978年度、公式戦15連勝を記録(将棋大賞連勝賞)。同年度、第5期名棋戦で優勝。
第37期(1978年度)C級1組順位戦、第38期(1979年度)B級2組順位戦で、ともに9勝1敗で1位となり、2年連続昇級でB級1組に上がる。そして、B級1組3年目で9勝3敗・1位の成績を収め、1983年、A級八段となる。その後3期目で陥落するが、1期で復帰している。
1979年度、新人王戦で2度目の優勝。記念対局では、前回優勝の時には敗れた中原誠名人に勝つ。
第32回(1982年度)NHK杯戦で決勝進出。中原誠に敗れて準優勝。第1回全日本プロトーナメントで準優勝。
第24期(1983年度)王位戦でリーグ入り。谷川浩司、大山康晴、田中寅彦、森安秀光を相手に4連勝する快進撃であったが、5回戦で新鋭の高橋道雄との全勝対決で敗れ、挑戦権を逃す(高橋はこの期に王位を獲得し、史上最低段タイトルの記録を作ることとなる)。
第46期(1987年度)A級順位戦で5勝4敗とし、A級で初めて勝ち越す。
第37期(1989年度)王座戦でタイトル初挑戦。五番勝負で途中まで2勝1敗として中原誠王座を角番に追い詰めるが、そこから2連敗して惜敗。全局先手番勝利のタイトル戦であった。
第3期(1990年度)竜王戦で高橋・谷川・中原らを破り、1組優勝。
2000年、10期ぶりにA級に復帰(以降4期連続で在籍)。同年、史上23人目の通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。次の第59期A級順位戦では5勝4敗とし、A級の順位を自己最高の5位とした。
第8回(2000年)および第11回(2003年)の達人戦(非公式戦)で優勝。第16回(2008年)には準優勝。
第68期(2009年度)B級2組順位戦で、降級点を1つ抱えた状態で前半戦4連敗しC級1組への陥落が危ぶまれたが、そこから5勝5敗の指し分けとし、逆に降級点を消した(2年連続指し分けの規定)。同じクラスから元タイトルホルダーの内藤國雄・森雞二が降級していく中で、ベテランの意地を見せた。
2010年、第58期王座戦でベスト4に進出。
2011年2月17日、史上23人目の通算700勝(655敗)を達成。
還暦を迎えて以降も、特に順位戦において健闘を続けてきた。第70期(2011年度)順位戦で桐山清澄(当時64歳)がC級1組に降級して以降、昭和20年代生まれの棋士で唯一B級2組に留まり続ける。なお当期順位戦では、1勝9敗と振るわず再び降級点を喫してしまったものの、翌第71期は2勝5敗から後半戦3連勝で5勝5敗の指し分け、翌第72期は4勝6敗と負け越したものの前期の好成績が影響し降級点を回避した。
翌第73期は3勝5敗からの2連勝で5勝5敗の指し分け、翌第74期は初戦から2連勝と好調に滑り出し、後半戦でやや失速し最終局(10回戦・対井上慶太戦)を4勝5敗で迎えた。この対局に勝ち、2期連続で指し分けの成績により、再び降級点を抹消[2]。
第42期(2016年度)棋王戦予選で千葉幸生六段に勝ち、10年ぶりとなる本戦に進出。本戦トーナメントでは糸谷哲郎八段に敗れた。
第76期順位戦B級2組10回戦で、中田宏樹八段に敗れ、C級1組に降級した。これにより翌第77期はB級2組以上に60歳以上の棋士はいなくなることが決定した。
研究家
- 対振り飛車急戦戦法のひとつである鷺宮定跡の創始者。その名称は、創始者の青野とタイトル戦で連採した米長邦雄がともに西武新宿線鷺ノ宮駅(東京都中野区)付近に住んでいたことに由来する。この功績により(遅ればせながら)1998年に第25回将棋大賞の第4回升田幸三賞を受賞している。
- 飛車先不突矢倉の雀刺し戦法は青野流と呼ばれこの戦法で谷川浩司の順位戦連勝を18でストップさせた。
- 相横歩取りで、飛車交換直後に4六角と打つ新手を発見[3]。
- 佐藤康光とのA級順位戦で後手番一手損角換わり戦法を採用し、敗れはしたものの戦法が流行するきっかけを作った。
- インターネットに明るいことで知られ、いろいろな将棋サイトで研究対象となったこともある3×3将棋[4]を「9マス将棋」として商品化を提案し、幻冬舎から2016年8月に発売。若いころはゲームブック「棒銀大作戦」「矢倉大作戦」も監修している[5]。
- 横歩取り青野流(5八玉型)は、青野の弟子の奨励会員が研究会で指したのがきっかけで、青野が弟子と一緒に研究して戦法化した[6]。佐々木勇気による「横歩取り勇気流」(6八玉型)と共に、第45回将棋大賞の升田幸三賞を同時受賞している。
人物・エピソード
- 弟子に西尾明、八代弥及び安食総子(女流棋士)がいる。
- 1997年10月27日、竜王戦2組・対中川大輔戦で僅か33手で敗れる。しかも逆転負けという非常に珍しい将棋であった。
- 村山聖の最後の順位戦の相手。これに敗北した際、降級を覚悟したが、ライバルも負けたため降級を回避した。その後村山は休場しそのまま逝去。A級に上がっても将棋を指せない人がいることを知り、降級に怯える自分が情けなくなり、若手との対局を楽しもうと考えを変えてから成績が良くなり、その後のA級復帰の原動力となった。
- 2003年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントで女流棋士の中井広恵に敗れた。現役A級棋士が女流棋士に負けた初の事例となった。
- 奨励会時代に反則負けの直後の一局で後手にも関わらず先に指してしまい初手反則負け、2局連続どころか2手連続での反則負けという不滅の記録(本人談)を打ち立てたことを自著で述べている[7]
- 2020年1月12日、第69期王将戦第1局の検討会の際、中村修の指導をもとにTwitterを始めた[8]。
理事としての業績
- 2007年5月の棋士総会の理事選挙に立候補してトップ当選し、日本将棋連盟の渉外及び営業広告・出版・販売担当の理事に就任した(これ以前にも過去2期4年にわたって理事を務めている)。2016年からは、専務理事としてWebメディア事業を統括していた。
- 2016年を「Webメディア元年」と銘打って、「連盟Webサイトを情報の発信だけにとどまらず、事業収益を獲得し、将棋のWebメディアとしての価値を継続的に向上させていく」と宣言した[9]。
- 新規Webメディアについて、株式会社シンクロ[10]との業務提携を決定し、2016年7月11日、将棋会館(東京都渋谷区)にて調印式(シンクロ・西井社長、日本将棋連盟・谷川会長、青野専務理事)が実施された[11]。
- 2016年9月には、「日本将棋連盟公式Webサイト」の仕様が変更されたが[12] 、棋士名や対局結果に間違いが多いうえ、藤倉勇樹と安西勝一の名前が画像ごと抹消されていた。将棋ファンの意見を募った上野裕和五段らが、2016年9月の月例報告会で問題提起したことを受け [13]、 常務会の名義でWebに謝罪が掲載された[14]。しかし、2017年3月末の時点で、未だに間違いが残っている[15] 。(理事解任後、2018年3月末までに、新Webサイトで大幅な訂正が行なわれ、現在は重大な間違いは修正済。)
- 理事として将棋ソフト不正使用疑惑をめぐる混乱に対する責任を問われ、2017年2月27日に行われた臨時総会で中川大輔、片上大輔と共に解任された[16]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
- 1968年 4級 = 奨励会入会
- 1970年 初段
- 1974年4月1日 四段(奨励会A組(旧三段リーグ)関東優勝、東西決戦無し = プロ入り
- 1976年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1979年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1980年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1983年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1994年8月5日 九段(勝数規定)
主な成績
タイトル戦登場
- 王座戦(1989年度 = 第37期)
- 登場回数1、獲得0
棋戦優勝
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
将棋大賞
- 第3回(1975年度)勝率第一位賞・新人賞
- 第6回(1978年度)連勝賞
- 第25回(1997年度)升田幸三賞(鷺宮定跡)
- 第45回(2017年度)升田幸三賞(横歩取り青野流)
その他表彰
- 1993年 国際交流基金設立20周年記念感謝状
- 1998年 現役勤続25年
- 2000年 将棋栄誉賞(通算600勝達成)
- 2000年 しずおか大賞
- 2011年 平成23年度外務大臣表彰
- 2013年 現役勤続40年[17]
主な著書
- スラスラ出来る将棋定跡集(1979年11月、山海堂、ISBN 4-381-00603-8)
- 必勝!鷺宮定跡(1986年2月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0201-7)
- 矢倉大作戦(1987年7月、創元社) - ゲームブック。現在は絶版。
- 棒銀大作戦(1987年7月、創元社、ISBN 4-422-75032-1) - 同上。
- 新・鷺宮定跡(1997年3月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0207-6)
- 勝負の視点(1995年10月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-641-0)
- 第一線棋士!(2004年8月、清流出版、ISBN 4-86029-080-1)
- 将棋界の不思議な仕組み プロ棋士という仕事(2016年10月、創元社、ISBN 4422750267)
脚注
- ^ a b 「将棋世界」2000年1月号付録
- ^ 63歳での降級点抹消は、B級2組に限定すると関根茂の61歳(第49期・1990年度)を上回る最高齢記録で、降級点制度が存在する全階級(B級2組・C級1組・C級2組)に範囲を広げても北村秀治郎の64歳(第26期C級2組・1971年度)に次ぐ2位の高齢記録である。
- ^ 1980年の飯野健二戦、中原誠監修『将棋戦型別名局集6 横歩取り名局集』(マイナビ出版)P.144
- ^ 南雲夏彦が1980年に考案(The Museum of Abstract Strategy Games, © 2009-, All rights reserved.)
- ^ 両著とも2015年より、創元社の電子書籍としてネットでダウンロード可能
- ^ 今プロで流行中の「横歩取り青野流」 青野照市九段が教える青野流の狙いと指し方とは?【将棋世界2018年7月号のご紹介】 日本将棋連盟(2018年5月31日)
- ^ 青野照市 『勝てる将棋格言36 プロの実戦に学ぶ妙手』p.326 創元社 2003年8月20日 ISBN 4-422-75088-7 香落ちの下手(後手)なのに先に初手を指してしまった。(本書執筆時点で)奨励会時代も合わせて反則決着が10局存在する、とも述べられている。
- ^ スポニチ文化社会部のツイート
- ^ 2016年度棋士総会(2015年6月4日)
- ^ シンクロ(所在地:東京都品川区、代表取締役社長:西井敏恭)
- ^ 将棋ニュース(2016年07月19日)
- ^ エキサイトニュース 「加藤一二三が「Kato, one hundred twenty-three」将棋連盟公式サイト」(2016年09月14日)など)
- ^ [Twitter@hirokazuueno(2016.9.16)][Twitter@YoshiyukiKubota(2016.9.26)]など)
- ^ 「公式Webサイトに関するお詫びとお知らせ」(2016年09月27日 20:06)
- ^ 「中村修九段の挨拶文について」大平武洋 (@oohira0511)ほか
- ^ “将棋連盟、ソフト不正使用疑惑の混乱で理事3人を解任”. 日本経済新聞. (2017年2月27日) 2017年2月27日閲覧。
- ^ 第39回「将棋の日」表彰・感謝の式典の模様 | お知らせ|お知らせ・イベント情報:日本将棋連盟
関連項目
外部リンク
- 日本将棋連盟プロフィール
- 青野照市 (@lOYcNAI5kDsv3cT) - X(旧Twitter)