飯野健二
飯野 健二 八段 | |
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名前 | 飯野 健二 |
生年月日 | 1954年7月7日(70歳) |
プロ入り年月日 | 1975年3月4日(20歳) |
引退年月日 | 2011年7月6日(56歳) |
棋士番号 | 117 |
出身地 | 東京都葛飾区 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 関根茂九段 |
弟子 | 金井恒太・坂東香菜子・飯野愛 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 飯野 健二 |
戦績 | |
通算成績 | 445勝544敗(0.4499) |
竜王戦最高クラス | 4組 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2019年4月4日現在 |
飯野 健二(いいの けんじ、1954年7月7日 - )は、将棋棋士。関根茂九段門下。棋士番号は117。東京都葛飾区出身。
棋歴
[編集]1968年、6級で奨励会に入会。以降、三段昇段までは、各昇級昇段に1年以上をかけることなく順調に昇る。
1973年度後期から三段リーグ(旧制)で3期(1年半)を戦うが四段に上がれず、そこで三段リーグ制度が廃止。それから約1年後の1975年3月4日、武市三郎に勝ち、12勝4敗の規定により四段昇段(プロ入り)。その武市との一局で採用した戦法は、奨励会入会以来2度目の採用の振り飛車(阪田流向かい飛車)であった。「知らない将棋を指せば震えないだろう」と考えたからだという[2]。
プロ3年目の1977年度に、全棋士中5位の勝率(0.667)を挙げる。
第17期十段戦の予選(1977 - 1978年)で5連勝し、狭き門の十段リーグ入りにあと一歩と迫るが、予選決勝で大山康晴に敗れる(当時、本戦入りできるのは毎期2人のみであった)
第41期(1982年度後期)と第47期(1985年度後期)の棋聖戦で一次予選・二次予選を通過し、本戦進出。
第42期(1983年度)と第43期(1984年度)のC級2組順位戦で、2期連続で次点(4位)となり昇級を逸する(いずれも8勝2敗)。第49期(1990年度)にも8勝2敗の成績を収めたが、9位。
第1期竜王戦(1987 - 1988年)で5組優勝。本戦進出するとともに4組昇級。
第59期(2000年度)C級2組順位戦で累積3点目の降級点を喫し、フリークラスに陥落。以降、2011年までに順位戦復帰を果たせず、規定により引退[3]。
人物
[編集]- 家族は妻と3人の娘[4]。
- 1997年からの一時期、関東奨励会幹事を務める[2]。2009年には、関東研修会幹事に就任。
- 1970年代後半、棋士達の間では矢倉が全盛だった。若手棋士の殆どがそれに倣い矢倉に傾倒する中で、飯野はひねり飛車や力戦型の将棋をよく指した。
弟子
[編集]棋士となった弟子
[編集]名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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金井恒太 | 2007年4月1日 | 六段、タイトル挑戦1 |
(2023年4月1日現在)
女流棋士となった弟子
[編集]名前 | 女流プロ入り日 | 段位、主な活躍 |
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坂東香菜子 | 2001年10月1日 | 女流初段 |
飯野愛 | 2013年10月1日 | 女流初段 |
(2018年4月1日現在)
- 飯野愛は三女。女流育成会のち研修会に参加し、2013年10月より女流2級となり、女流プロとしての資格を得た。
- 娘の愛が女流プロを目指し始めたのは高校2年(2003年頃)と遅く、しかも、唐突に女流棋士を目指すと宣言されたので、驚かされた。これまで女流棋士として育ててなかったのもあり、日頃の優しい父とは一変し、師匠として厳しく指導。約10年後に何とか女流棋士となった[5][6]。
- 金井が2008年度のNHK杯戦で本戦出場したときに解説役を務め、その際、金井への期待として「棋士は(実力だけではなく)人気もなくてはいけない」と語った。
昇段履歴
[編集]- 1968年 6級 = 奨励会入会
- 1971年 初段
- 1975年3月4日 四段 = プロ入り
- 1981年11月17日 五段(将棋の日表彰)
- 1986年12月8日 六段(勝数規定)
- 1998年5月29日 七段(勝数規定)
- 2011年7月6日 引退(最終対局日)
- 2019年4月1日 八段(退役棋士昇段規定)[7]
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 989対局 445勝544敗 勝率0.4499
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[8]
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竜王戦 出典[9]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1975 | 30 | C216 | ||||||||||||||||
1976 | 主催者移行問題により中止 | |||||||||||||||||
1977 | 36 | C214 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C204 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | C230 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | C216 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | C218 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | C217 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C219 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C203 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C202 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C209 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C222 | 1 | 5組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C232 | 2 | 4組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | C215 | 3 | 4組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C227 | 4 | 5組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C209 | 5 | 5組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C220 | 6 | 5組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C233 | 7 | 5組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C243 | 8 | 5組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C240 | 9 | 5組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C209 | 10 | 5組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C222 | 11 | 5組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C235 | 12 | 5組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C217 | 13 | 5組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C237 | 14 | 5組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | F編 | 15 | 5組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | F編 | 16 | 5組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | F編 | 17 | 5組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | F編 | 18 | 5組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 5組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 5組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | F編 | 21 | 5組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | F編 | 22 | 5組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | F編 | 23 | 6組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | F編 | 24 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 1999年 現役勤続25年
主な著書
[編集]- 実戦に勝つ!詰め将棋 (1998年9月18日、池田書店)
- いちばんやさしい7手からの詰将棋(2009年7月20日、池田書店)
出演
[編集]ウェブテレビ
[編集]脚注
[編集]- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ a b 「将棋世界」2000年1月号付録
- ^ “飯野健二七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2011年7月7日). 2017年8月26日閲覧。
- ^ 師匠でもある父とともに。高2から女流棋士を目指してきた道のり ― 飯野愛女流初段インタビュー-日本将棋連盟・将棋コラム 2020年2月6日
- ^ “棋譜で親子が会話する 将棋棋士・飯野愛女流1級と父の師匠・飯野健二七段の関係”. AbemaTIMES (2017年12月21日). 2018年1月3日閲覧。
- ^ “将棋・飯野愛女流1級、高校2年からプロ志望に父・健二七段も驚き「え?って言いました」”. AbemaTIMES (2017年12月27日). 2018年1月3日閲覧。
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ ニコファーレ, 【叡王戦開催記念】チーム対抗 詰将棋カラオケ|スケジュール|nicofarre. “【叡王戦開催記念】チーム対抗 詰将棋カラオケ|スケジュール|nicofarre ニコファーレ”. nicofarre.jp. 2018年4月17日閲覧。