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* 2016年6月、アメリカの経済誌[[フォーブス_(雑誌)|フォーブス]]は最新の[[スポーツ選手長者番付|世界のアスリートの年収]]ランキングを発表した。メッシの年収は8140万ドル(約87億100万円)であり、サッカー選手の中では2位、世界のアスリートの中でも2位であった<ref>[http://forbesjapan.com/articles/detail/12451 「世界で最も稼ぐスポーツ選手」はC・ロナウド 年収94億円で首位に]</ref>。
* 2016年6月、アメリカの経済誌[[フォーブス_(雑誌)|フォーブス]]は最新の[[スポーツ選手長者番付|世界のアスリートの年収]]ランキングを発表した。メッシの年収は8140万ドル(約87億100万円)であり、サッカー選手の中では2位、世界のアスリートの中でも2位であった<ref>[http://forbesjapan.com/articles/detail/12451 「世界で最も稼ぐスポーツ選手」はC・ロナウド 年収94億円で首位に]</ref>。
* 2017年5月、[[アメリカ]]の[[ESPN]]は[[ワールド・フェイム100|世界で最も有名なアスリート100名]]を発表し、メッシは[[クリスティアーノ・ロナウド]]、[[レブロン・ジェームズ]]に次ぐ3位にランクインした<ref>[http://www.espn.com/espn/feature/story/_/page/worldfame100/espn-world-fame-100-top-ranking-athletes ESPN World Fame 100] ESPN.com 2017年6月10日閲覧。</ref>。
* 2017年5月、[[アメリカ]]の[[ESPN]]は[[ワールド・フェイム100|世界で最も有名なアスリート100名]]を発表し、メッシは[[クリスティアーノ・ロナウド]]、[[レブロン・ジェームズ]]に次ぐ3位にランクインした<ref>[http://www.espn.com/espn/feature/story/_/page/worldfame100/espn-world-fame-100-top-ranking-athletes ESPN World Fame 100] ESPN.com 2017年6月10日閲覧。</ref>。
* 2017年7月、FCバルセロナはリオネル・メッシとの新たな4年間の契約延長を発表した、メッシの新しいサッカー年俸(1年ぶん)は税金を引いた後の「手取り額」で約51億4100万円になるとのことである<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/07/05/kiji/20170705s00002020282000c.html メッシ バルサと4年契約延長 年俸は手取りで51億円超!]</ref>。
* 2017年7月、FCバルセロナはリオネル・メッシとの新たな4年間の契約延長を発表した、メッシの新しいサッカー年俸(1年ぶん)は税金を引いた後の「手取り額」で約51億4100万円になるとのことである、また欧州サッカーの選手たちはこのように全員、税金分を引いた後の手取り年俸発表にしているので、アメリカのプロスポーツ選手達のように税込みでの年俸発表にしたら純粋なサッカーの年俸だけで年間で100億円以上の収入があるのがメッシである<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/07/05/kiji/20170705s00002020282000c.html メッシ バルサと4年契約延長 年俸は手取りで51億円超!]</ref>。
* 世界でも屈指の人気アスリートであり、[[Instagram]]のフォロワー数は2017年8月現在で約7880万人を超えており、世界中のありとあらゆるアスリートの中でも[[クリスティアーノ・ロナウド]]、[[ネイマール]]に次いで3番目に多い<ref>[https://oversea.instagrammernews.com/category_group/sports 世界のアスリートフォロワー数ランキング]</ref>。
* 世界でも屈指の人気アスリートであり、[[Instagram]]のフォロワー数は2017年8月現在で約7880万人を超えており、世界中のありとあらゆるアスリートの中でも[[クリスティアーノ・ロナウド]]、[[ネイマール]]に次いで3番目に多い<ref>[https://oversea.instagrammernews.com/category_group/sports 世界のアスリートフォロワー数ランキング]</ref>。
* 2018年1月、フットボール・リークスのリークにより[[FCバルセロナ]]からリオネル・メッシに対して1年間で支払われてるサッカー年俸はボーナスなどを含めたら最大で約165億円になることが判明した<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180113-00251074-footballc-socc メッシ、年間報酬は最大165億円! バルサとの驚きの契約内容が明らかに]</ref>。


== 個人成績 ==
== 個人成績 ==

2018年1月16日 (火) 02:58時点における版

リオネル・メッシ
FCバルセロナでのメッシ(2016年)
名前
本名 リオネル・アンドレス・メッシ
Lionel Andrés Messi[1]
愛称 レオ、リオ[2]
メシアス(メシア[3][4]
ラテン文字 Lionel MESSI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1987-06-24) 1987年6月24日(37歳)
出身地 ロサリオ
身長 169cm[5][注 1]
体重 67kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 FCバルセロナ
ポジション FW (CF, ST, RWG)
背番号 10
利き足 左足
ユース
1995-2000 アルゼンチンの旗 ニューウェルズ
2000-2003 スペインの旗 バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 スペインの旗 バルセロナC 10 (5)
2004-2005 スペインの旗 バルセロナB 22 (6)
2004- スペインの旗 バルセロナ 382 (349)
代表歴2
2004-2005  アルゼンチン U-20 18 (14)
2007-2008  アルゼンチン U-23 5 (2)
2005- アルゼンチンの旗 アルゼンチン 122 (61)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2008 北京 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月30日現在。
2. 2017年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リオネル・アンドレス・メッシLionel Andrés Messi [ljoˈnel anˈdɾes ˈmesi] ( 音声ファイル), 1987年6月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身のイタリア系アルゼンチン人サッカー選手リーガ・エスパニョーラFCバルセロナ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード

13歳でFCバルセロナに加入し、17歳でトップチームデビューして以降、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝、4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献。自身も5回のバロンドールを受賞し[注 2]、5回のチャンピオンズリーグ得点王と4回のリーガ得点王を獲得した。

アルゼンチン代表では2005年から代表に選出され、2010年からはキャプテンを務めている。同国代表の通算最多得点記録の保持者でもある。2014 FIFAワールドカップではアルゼンチンの準優勝に貢献し、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。また2008年には北京オリンピックに出場し、金メダルを獲得した。

経歴

幼少期

アルゼンチンのロサリオにて、工場労働者の父とパートタイムの清掃員の母という低所得な家庭に生まれた[7][8][9]。父方の祖先アンジェロ・メッシはイタリアアンコーナ出身であり、1883年にアルゼンチンに移住した[10][11][9] 。5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルズ・オールドボーイズに加入する。10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)が発覚、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断されたが、ニューウェルズ・オールドボーイズは治療費の工面を拒否し、リーベル・プレートも獲得を諦めた。

クラブ

バルセロナ加入

人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナの加入テスト。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたという。FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることとなる。この時、彼の身長は143cmだった。治療のため一家での引越しだったとはいえリオネル少年にとって生まれ育った母国の友人らと別れる事になるのは子供心にショックな事だった。スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた[6]

ユースチームで投薬治療を続けた結果、身長は170cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキッチが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。

世界最高峰の選手へ

バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーを抑えて選出された。UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシーFC戦・1stレグをはじめ、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレーを見せたが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障し、その後のシーズンを棒に振った。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成した。

ヘタフェ戦でのメッシのゴールシーン

2006-07シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯準決勝1stレグ、ホームでの対ヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわして得点を決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナ1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の「後継者」たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。第37節のエスパニョール戦では、マラドーナばりの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。

2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入。サミュエル・エトオロナウジーニョにメッシ自身と4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトオが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。

2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトオ、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。

バロンドール受賞以降

2011年2月9日に行われたポルトガル戦前のメッシ(右)とクリスティアーノ・ロナウド(左)

2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された[注 3]。12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し、決勝点を挙げる。決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝点を挙げ、バルセロナの優勝に貢献。メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。胸でボールを押し込んだことに関してメッシは「相手GKが体勢を崩していて強いシュートを打つ必要がなかったので、確実にボールを押し込むために胸を使った」と話した[12]。12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。2007年、2008年と2年連続で次点となっていた[注 4]ため、3度目の正直での受賞となった。

2010年1月16日のセビージャ戦で、自身バルセロナ通算100得点を史上最年少で達成した。3月6日のアルメリア戦で決勝点を挙げると、14日のバレンシア戦、21日のサラゴサ戦と2試合連続でハットトリックを達成するなど、バルセロナの得点を9連続で記録した[注 5]。4月6日のチャンピオンズリーグ準々決勝・アーセナルとの2ndレグで、大会史上6人目となる1試合4得点[注 6]を達成した[13]。決勝トーナメントでの1試合4得点は史上初であり[13]、この得点でチャンピオンズリーグ通算得点が25となり、リバウドを抜いてバルセロナ歴代1位となった。チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった[14]

2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。

2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された[15]

2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると[16]、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった[17]。2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、4-0のスコアで勝利した。メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPを受賞し、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。

2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。

2月14日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのバイエル・レバークーゼン戦で1得点を挙げ、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント通算得点数を19とし、ラウル・ゴンサレスアンドリー・シェフチェンコを抜き歴代単独最多となった[18]。2月19日のバレンシア戦では自身のリーガ通算200試合出場を、4得点を挙げて祝った[19]。同月26日のアトレティコ・マドリード戦では決勝点を挙げたもののハンドリングでシーズン5回目の警告を受け、自身初の累積警告による出場停止処分を受けた[20]。3月7日のレヴァークーゼン戦2ndレグではチャンピオンズリーグ史上初となる1試合5得点を達成し、バルセロナの大勝に貢献した[21]。3月20日のグラナダ戦でハットトリックを達成してバルセロナでの公式戦通算得点数を234とし、セサル・ロドリゲス・アルバレスの持つ記録を更新し歴代トップとなった[22]。3月24日のリーガ第30節のマジョルカ戦で自己最多となるシーズン35得点目を挙げ、8節を残してロナウドの持つリーガでのシーズン通算得点のクラブ記録を更新した[23]。4月3日のチャンピオンズリーグ準々決勝2ndレグ、ACミラン戦で2得点を挙げチャンピオンズリーグでのシーズン通算得点を14とし、昨年の自身の記録を更新して大会最多得点記録を樹立した[24]。4月7日のリーガ第32節のサラゴサ戦で2得点を挙げ、1972-73シーズンのゲルト・ミュラー以来39シーズンぶりとなる、1シーズン公式戦通算60得点を達成した[25]。5月2日のリーガ第20節延期分のマラガ戦で3得点し、これでシーズン公式戦68得点とし、ゲルト・ミュラーの持つ、シーズン公式戦67得点の最多得点記録を更新し[26]、最終的にシーズン公式戦73得点を記録し、リーガ、チャンピオンズリーグの両方で得点王を獲得。リーガでは史上最多記録となる50得点を挙げ、1976-77シーズンにディナモ・ブカレストドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した欧州リーグシーズン得点記録(47得点)を35年ぶりに更新した[27]。またチャンピオンズリーグでは前述の通り大会最多得点を記録し、史上初の4シーズン連続得点王となった[28]。 2012年12月9日のリーガ第15節のベティス戦では2得点を挙げてゲルト・ミュラーの年間ゴール記録(85得点)を40年ぶりに更新し、最終的に年間91得点を記録した[29]

2013年1月7日、クリスティアーノ・ロナウドとアンドレス・イニエスタを抑え、バロンドールを4年連続で受賞。4年連続4度目の受賞は共に史上初である[30]

2013年1月27日のリーガ第20節のオサスナ戦では4得点を決めてリーガ200得点を史上最年少(25歳217日)で達成し、テルモ・サラの持つ記録(29歳352日)を大幅に更新した[31]。3月9日のリーガ第27節のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では第11節のマヨルカ戦から続く17戦連続27得点を達成。その後、第29節から3試合負傷欠場するも復帰後は再び得点を続け、最終的に21戦連続33得点を記録しリーグ戦における史上最多連続得点を記録した[32]。また、この記録によってプリメーラ・ディビシオンのバルセロナ以外の全19チームから得点を奪い、なおかつ得点を途切れさせずにリーグ戦を半周するという史上初の快挙を達成した[33]。シーズン終盤は負傷欠場の影響もあり記録更新はならなかったものの、リーガ46得点、公式戦60得点を挙げ2年連続得点王に輝いた。また、これによって3度目の欧州得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューの単独最多受賞者となった。チャンピオンズリーグでは1回戦2ndレグのACミラン戦で2得点を決めてチームの逆転勝利に貢献するも、パリ・サンジェルマン戦の1stレグで右足ハムストリングを負傷。2ndレグでは途中出場となり、こちらも逆転勝利に貢献した。準決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では1stレグには出場を果たしたものの、2ndレグでは出場機会はなく、ベンチからチームの敗退を見届けることとなった。

2013-14シーズンは開幕当初から度重なる負傷に悩まされ、11月10日のベティス戦では左足大腿の肉離れを起こし、1ヶ月半以上の離脱を強いられることとなった。2014年3月16日のオサスナ戦ではハットトリックを達成して親善試合&公式戦含めて通算371得点を記録、これによってパウリーノ・アルカンタラの記録を87年ぶりに更新しバルセロナ歴代最多得点者となった。続く3月23日のレアル・マドリード戦でもハットトリックを達成してエル・クラシコでの通算得点を21とし、アルフレッド・ディ・ステファノを抜いてクラシコ単独最多得点者となった。2014-15シーズンは9月27日のグラナダ戦で2得点を決め、クラブ、代表合わせて公式戦通算400ゴールを達成した。11月22日のセビージャ戦ではハットトリックを達成してリーガ通算253得点を記録しテルモ・サラを抜いてリーガ最多得点記録者となった。11月25日のチャンピオンズリーグGS、APOEL戦では2試合連続、CLでは5度目のハットトリックによってラウル・ゴンサレスの71得点を抜いてCL累計74得点を記録し、CL歴代最多得点者となった。12月7日のエスパニョールとのダービーマッチでは再びハットトリックを達成して、親善試合&公式戦含めてクラブ通算400ゴールを達成した。シーズン後半からはルイス・スアレスの加入の影響もあり、かつてのように右ウィングで起用されることが多くなった。2015年3月8日のラーヨ・バジェカーノ戦では公式戦32回目(リーガでは24回目)のハットトリックを達成し、公式戦、さらにはリーガでのハットトリック最多記録を更新した。4月18日のバレンシア戦ではバルセロナでの公式戦通算400ゴールを達成した。チャンピオンズリーグ準決勝ではかつての恩師、ジョゼップ・グアルディオラ率いる、バイエルン・ミュンヘンと対戦し、2ゴールを挙げ、前日にクリスティアーノ・ロナウドに抜かれたCL通算得点を77点とし、再びトップに立ち、決勝進出に貢献した。リーグ戦では5月17日のアトレティコ・マドリード戦、コパ・デル・レイでは決勝のアスレティック・ビルバオ戦でいずれも先制点を決め、 チャンピオンズリーグ決勝ユヴェントス戦では決勝点につながるシュートを打ちチームの史上初の2度目三冠達成に大きく貢献した。チャンピオンズリーグではネイマール、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に輝いた。8月27日にはUEFA欧州最優秀選手賞を54票中49票(得票率90.7%)と圧倒的な票を集めて史上初となる2度目の受賞を果たした。FIFAクラブワールドカップでは決勝のリーベル・プレート戦で先制点を挙げてチームの5冠達成に貢献し、2015年を出場した6大会全てで得点して締めくくった。

2016年1月11日にはクリスティアーノ・ロナウドとチームメートのネイマールを抑えて5度目のバロンドール受賞を達成し、バロンドールの受賞記録をさらに更新した。2月3日のバレンシア戦では34度目のハットトリックを達成し、キャリア通算500ゴールを記録した。同17日のスポルティング・ヒホン戦では2ゴールを決めリーガ通算300ゴールを達成した。10月19日のチャンピオンズリーグ、マンチェスター・シティ戦ではチャンピオンズリーグ単独最多の7度目のハットトリックを達成した。11月6日のリーグ11節セビージャ戦ではクラブ通算500ゴールを達成した[34]。2017年3月19日のバレンシア戦では2ゴールを決め、8シーズン連続リーグ戦25ゴール、および公式戦40ゴール越えを達成した[35]。4月23日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは2ゴールを決めて決勝点を挙げ、バルセロナでの公式戦通産500ゴールを達成した。

2017年7月5日、メッシはバルセロナとの間で新たに4年間の契約を延長したことが発表された。これにより税控除後の年俸は4,000万ユーロになるとのことである[36]。10月18日、チャンピオンズリーグ、グループステージのオリンピアコス戦で欧州カップ戦通算100ゴールを達成した。[37]

2018年1月14日のレアル・ソシエダ戦ではFKを決めてリーグ通算366得点を記録。これによりゲルト・ミュラーを超えて単独クラブでの欧州5大リーグ最多得点記録を更新した。

代表

アルゼンチン代表でプレーするメッシ
2014 FIFAワールドカップ決勝で敗れて悔しがるメッシ

2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権アルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では自身がドリブルを仕掛け獲得したPKから先制点を、セルヒオ・アグエロが獲得したPKから同点にされた後の勝ち越しゴールを決め、優勝に大きく貢献。大会を通じて6得点、得点王と最優秀選手を獲得する大活躍を見せた。この活躍がフル代表監督ホセ・ペケルマンの目に止まり、同年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした[38]。この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった[38]

2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復し、代表に選出された。レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージの対セルビア・モンテネグロ戦にて、W杯でのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献した。チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れた。

2007年夏に母国アルゼンチンで開催されたFIFA U-20ワールドカップには出場資格を持っていたものの、既にフル代表に定着していた自身は辞退、フル代表が臨むコパ・アメリカ2007へ出場した。レギュラーを徐々に手繰り寄せていた彼は、準々決勝の対ペルー戦、準決勝の対メキシコ戦で得点を決めるなどチームの決勝進出に貢献。しかし、決勝のブラジル戦で敗れ、準優勝に終わった。

2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。チームはベスト4の座を懸けたドイツ戦で完敗し、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わる。

コパ・アメリカ2011では準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベーラからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした[39]。2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した[40]

2013年6月14日にグアテマラとの親善試合においてハットトリックを決め、これによって代表通算得点を35得点としディエゴ・マラドーナの代表通算34得点を抜き、アルゼンチン代表の得点数でエルナン・クレスポと並んで歴代2位タイに浮上した[41]

2014FIFAワールドカップブラジル大会では、4得点をあげ、大会最優秀選手のゴールデンボール賞に輝いた。ベストイレブンには選出されていない。しかしチームは決勝トーナメントに入ってから決勝のドイツ戦の延長まで無失点を継続して勝ち進み、準優勝に終わった。

コパ・アメリカ2015では決勝で敗れ準優勝。同大会最優秀選手の受賞が決まっていたものの受賞を辞退。同賞は空席となった[42]

9月4日のボリビアとの親善試合では途中出場で2得点を決め、南米のチーム全てに得点した史上4人目の選手となった[43]

開幕前に負傷し臨んだコパ・アメリカ・センテナリオでは、2016年6月10日に行なわれたグループリーグ第2戦のパナマ戦で61分から途中出場しハットトリックを達成[44]。6月18日の準々決勝・ベネズエラ戦では先発に復帰し、1得点2アシストの活躍で勝利に貢献[45]。続く6月22日の準決勝アメリカ戦では直接フリーキックを決めて代表通算55得点とし、アルゼンチン代表最多得点記録を更新した[46]。チームは3年連続で国際大会の決勝に進出するものの、因縁の再戦が実現したチリ戦では延長戦の末スコアレスドローで2大会連続でPK戦にもつれこむ。PK戦では自身もPKを失敗して2-4で敗れ、3年連続で決勝で敗退しタイトルを逃した[47]

コパ・アメリカ・センテナリオ大会の終了後、代表引退を示唆するコメントを残した[47][48]が、8月12日、母国への愛情を理由に引退表明を撤回[49]。引退騒動後最初の試合となったワールドカップ地区予選ウルグアイ戦では決勝点を挙げた[50]。アルゼンチンがワールドカップ出場圏外の6位で迎えた同予選最終節のエクアドル戦では、同点ゴール、逆転ゴールを含むハットトリックの活躍で全3得点を挙げ、アルゼンチンをワールドカップ出場に導いた[51]。さらにこの試合で南米予選21ゴールを記録し、南米予選最多得点記録を樹立した。

プレースタイル

瞬発力と敏捷性を生かした突破力、ゴール感覚は世界最高峰と言われる。それに加え、抜群のキープ力や高いパスセンスも持つ[52]。 相手DFのマークを外すための技術を持ち、MFとしてもWGとしても、CFとしても対応できるなど適応力も高い。身体的にも強靭で、自分より大きなDFにも対応できる。こぼれ球の処理にも秀でている[53]。 セットプレーのキッカーとしても優れる[54]

メッシ自身は自らのプレーがラ・マシアで培われたバルセロナのスタイルに起因するところが大きいとし、直感を重視して本能的にプレーしていると述べている[55]

正確無比なプレーはしばしば「プレイステーションの中の選手のようだ」と喩えられることがある[56][57]

元々は利き足とは逆の右ウィングを持ち場とし、サイドを深くえぐってからのセンタリングや、ドリブルで内側へ切り込んでからのシュートを武器としていた。グアルディオラ監督の采配により0トップ布陣の中央へ移動し[58]、センターフォワードよりも下がった位置で動き回る「ファルソ・ヌエベ(偽の9番)」の役割を会得[59]。2014-15シーズン途中からはルイス・スアレスの加入もあり、再び右ウイングにポジションを移したが、試合中は右サイドというよりも主に中央付近でプレーし、ネイマールやスアレスらと強力なコンビネーションを見せた。2017-18シーズンに新監督として就任したエルネスト・バルベルデはメッシを再び3トップの中央で起用している[60][61]

評価

史上最多となる5回のバロンドールに輝くなど、サッカー史上最高の選手の1人とされ、ジョゼップ・グアルディオラ[62]シャビ[63]セルヒオ・バティスタ[64]など、歴代最高の選手とする声も多い[65]

クリスティアーノ・ロナウドとは、2000年代後半以降は世界最高の選手として度々比較されている[66][67][68]。ロナウドと互いの実力を認め合っており[69][70]、ロナウドはメッシをライバルとして意識している[71]

アレックス・ファーガソンは教え子であるロナウドを世界最高の選手に挙げながらも、メッシの真面目さとサッカーへの愛情、ボールを奪いに行く勇気を高く評価し「ロナウドとは違うタイプの選手で、素晴らしい選手であることに疑いはない」と賛辞を送っている[68]

アーセン・ベンゲルは「リオネル・メッシは2位以下を大きく引き離して世界のトップにいる」と世界最高の選手と評価し、トップスピードでありながら方向を変えることができるドリブル技術を「危険極まりない脅威」と表現した[72][73]

アルフレッド・ディ・ステファノは個人技や創造性、両足での決定力に加え、チームのためにプレーする姿勢を高く評価し[74]、自らを魅了する選手の一人であるとしている[65][75]。アルゼンチン代表におけるキャプテン就任についても「数々のタイトルを獲得したメッシはプレッシャーに耐える術を知っている人間であり、彼に相応しい名誉だ」として支持している[75]。マラドーナとの比較については「時代が違う」として、必要のないことであると述べている[75]

デビッド・ベッカムもメッシを世界最高の選手に挙げ、献身的なプレーとともに全ての試合を楽しむ姿勢を評価している[76]ズラタン・イブラヒモビッチも同様にメッシをバロンドールに値する世界最高のプレーヤーと賞賛し、プレイステーションで遊ぶように軽々とプレーすることが信じられないと述べた[77]

ディエゴ・マラドーナは「(メッシが歴代最高の選手かどうかは)歴史が決めること」であるとしながらも、メッシのプレーを見ることが喜びであると語り[78]、メッシが史上最高の選手となることを望む旨を度々発言している[79][80]。マラドーナはメッシのプレーだけでなく、その人柄も高く評価している[81]

レオ・メッシ財団

2007年、「レオ・メッシ財団」を設立。難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に、自身と家族のアイデアから設立された。財団のホームページは現在では5ヶ国語に翻訳されている。

他の慈善団体と協力してイベントの実施や病院や施設などを訪れたり、施設環境の向上に尽力している模様はブログなどでも度々語られており、その活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている[82]

2008年、財団のホームページとは別に日本でオフィシャルブログを開設した。経緯としては、ファンへの情報配信と財団の協賛企業集めの一環である。財団の存在や活動内容を周知するアンテナの役目も果たしている。2009年には中国語版も開設されたが、英語版やスペイン語版などの開設の目処は立っていない。メッシの個人スポンサーが1業種1社の条件で契約を結んでいるため、同業他社からスポンサーは得ることができず、協賛企業が見つからず開設できないという[83]

エピソード

個人成績

クラブ

2017年5月29日現在
クラブ シーズン ディビシオン 背番号 リーガ 国王杯 UEFA
CL
国内スー
ペル杯
UEFAスー
パー杯
FIFA
CWC
シーズン
通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
FCバル
セロナB
2003-04 セグンダB 5 0 - - - - - - - - - - 5 0
2004-05 17 6 - - - - - - - - - - 17 6
セグンダB通算 22 6 - - - - - - - - - - 22 6
FCバル
セロナ
2004-05 プリメーラ 30 7 1 1 0 1 0 - - - - - - 9 1
2005-06 19 17 6 2 1 6 1 - - - - - - 25 8
2006-07 26 14 2 2 5 1 2 0 1 0 - - 36 17
2007-08 28 10 3 0 9 6 - - - - - - 40 16
2008-09 10 31 23 8 6 12 9 - - - - - - 51 38
2009-10 35 34 3 1 11 8 1 2 1 0 2 2 53 47
2010-11 33 31 7 7 13 12 2 3 - - - - 55 53
2011-12 37 50 7 3 11 14 2 3 1 1 2 2 60 73
2012-13 32 46 5 4 11 8 2 2 - - - - 50 60
2013-14 31 28 6 5 7 8 2 0 - - - - 46 41
2014-15 38 43 6 5 13 10 - - - - - - 57 58
2015-16 33 26 5 5 7 6 2 1 1 2 1 1 49 41
2016-17 34 37 7 5 9 11 2 1 - - - - 52 54
通算 382 349 62 44 115 94 15 12 4 3 5 5 583 507

代表

出場大会

試合数

国際Aマッチ 122試合 61得点 (2005年 - )


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
2005 5 0
2006 7 2
2007 14 6
2008 8 2
2009 10 3
2010 10 2
2011 13 4
2012 9 12
2013 7 6
2014 13 8
2015 8 4
2016 11 8
2017 6 4
通算 122 61

ゴール

タイトル

クラブ

FCバルセロナ

代表

北京オリンピックでのメッシ
U-20アルゼンチン代表
U-23アルゼンチン代表

個人

脚注

注釈

  1. ^ 成長ホルモンの分泌障害を抱え、その治療のための成長ホルモン投与によって現在の身長を得ている[6]
  2. ^ 2010年から2015年まではFIFAバロンドールとして表彰。
  3. ^ メッシ以前のアルゼンチン出身の受賞者は1957、59年のアルフレッド・ディ・ステファノ、1961年のオマール・シボリであるが、当時は受賞資格が欧州国籍の選手にしか与えられておらず、ディ・ステファノはスペイン人、シボリはイタリア人としてそれぞれ受賞している。そのためアルゼンチン人としてバロンドールを受賞したのはメッシが初である。
  4. ^ それぞれカカクリスティアーノ・ロナウドの次点である。
  5. ^ サラゴサ戦の4点目に、ズラタン・イブラヒモヴィッチがメッシの得たPKを決めて記録は止まった。
  6. ^ 1試合4得点は自身初めてのことである

出典

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外部リンク