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マルティン・パレルモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルティン・パレルモ
2018年のパレルモ
名前
愛称 El Loco (奇人),
Titán (タイタン),
El optimista del gol
(ゴールの楽天家)
ラテン文字 Martín PALERMO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-11-07) 1973年11月7日(50歳)
出身地 ラプラタ
身長 187cm
体重 85kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
ユース
アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ 93 (34)
1997-2000 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 102 (81)
2001-2003 スペインの旗 ビジャレアル 70 (18)
2003-2004 スペインの旗 ベティス 11 (1)
2004 スペインの旗 アラベス 14 (3)
2004-2011 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 216 (112)
1992-2011 通算 592 (249)
代表歴
1999-2010 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 15 (9)
監督歴
2013-2014 アルゼンチンの旗 ゴドイ・クルス
2014-2015 アルゼンチンの旗 アルセナル・デ・サランディ
2016-2018 チリの旗 ウニオン・エスパニョーラ
2019 メキシコの旗 パチューカ
2020-2021 チリの旗 クリコ・ウニド
2021-2022 アルゼンチンの旗 アルドシビ
2023- アルゼンチンの旗 プラテンセ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
2008年、ジョアン・カンペール杯FCバルセロナ戦でのパレルモ

マルティン・パレルモMartín Palermo (スペイン語発音: [maɾˈtim paˈleɾmo])、1973年11月7日 - )は、アルゼンチンラプラタ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

パレルモPalermo)は、イタリア南部に多く見られる姓で自身も同国からの移民の子孫であり、イタリアの法律により同国籍を保有している。

クラブ歴

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1997年にボカ・ジュニアーズへ移籍すると実力をいかんなく発揮し1998年前期リーグでは20得点をあげて得点王となった。さらに南米年間最優秀選手賞に選ばれるなどボカファンのアイドルとなった。キャリアのハイライトは2000年に行われたトヨタカップレアル・マドリード戦。開始3分で先制点、前半6分には追加点を奪う活躍でヨーロッパ王者を下し、同大会のMVPに選ばれた[1]

2001年にスペインのビジャレアルCFに移籍した。2001-02シーズンのコパ・デル・レイレバンテUD戦で、スタンド最前列の壁が崩壊した事故に巻き込まれ、残りのシーズンを棒に振る大怪我を負った。2008年8月、右膝十字靭帯を負傷する大怪我を負った。

2011年6月、現役を引退。2012年2月には長年在籍したボカ・ジュニアーズのホームスタジアムであるラ・ボンボネーラで引退試合が行われた[2]。ボカでの通算得点は236で、これは同クラブ歴代1位の記録である[3]

代表歴

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アルゼンチン代表ではコパ・アメリカ1999のメンバーとして初招集。同大会で3得点を記録したが、コロンビア戦にてPKを3本蹴って3本失敗という近代サッカー史に残る珍事の主役となった(パラグアイ代表GKホセ・ルイス・チラベルトはPK3本を決めハットトリックを達成した試合の後で「パレルモ、ボールはこうやって蹴るものなんだよ」と発言している)。

これが直接的な原因では無いものの以降は代表とは縁が無かったが、2009年4月17日ディエゴ・マラドーナ監督によって、5月20日に行われる親善試合に招集されることが発表された。同年9月30日の親善試合・ガーナ戦では復帰後初得点を含む2得点を決める活躍をみせた。続く10月10日のW杯予選ペルー戦では後半ロスタイムに値千金の決勝ゴールを挙げた。2010 FIFAワールドカップ代表メンバーにも選ばれ、グループリーグ第3戦のギリシャ戦でワールドカップ初得点を挙げた。

指導歴

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現役引退後は指導者に転身。2019年1月22日にはリーガMXCFパチューカへ招聘された[4]アペルトゥーラ2019でリーグ9位に終わり、11月24日に退任することが発表された[5]

2020年11月27日よりクリコ・ウニドの監督に就任し、チリ1部リーグで再び指揮を執ることとなった[6]

人物

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タイトル

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クラブ

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ボカ・ジュニアーズ

個人

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脚注

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外部リンク

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