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カルロス・テベス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・テベス
アルゼンチン代表でのテベス (2014年)
名前
本名 Carlos Alberto Tevez[1]
愛称 El Apache
Carlitos
El jugador del pueblo
ラテン文字 Carlos Tevez
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1984-02-05) 1984年2月5日(40歳)[2]
出身地 シウダデラスペイン語版
身長 171cm[3]
体重 75kg
選手情報
ポジション FWCFSS[4]
MFAM[4]
利き足 右足
ユース
1992-1996 アルゼンチンの旗 オール・ボーイズ
1997-2001 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 75 (26)
2004-2006 ブラジルの旗 コリンチャンス 38 (25)
2006-2009 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド 26 (7)
2007-2009 イングランドの旗 マンチェスターU (loan)  63 (19)
2009-2013 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 113 (58)
2013-2015 イタリアの旗 ユヴェントス 66 (39)
2015-2016 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 34 (14)
2017-2018 中華人民共和国の旗 上海申花 16 (4)
2018-2021 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 66 (22)
通算 517 (227)
代表歴2
2001 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-17 6 (2)
2004  アルゼンチン U-23 6 (8)
2004-2015 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 76 (13)
監督歴
2022 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
2023- アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2004 アテネ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2021年9月4日現在。
2. 2015年11月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・アルベルト・テベスCarlos Alberto Tevez (スペイン語発音: [ˈkaɾlos ˈteβes]), 1984年2月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州シウタデラ出身の元サッカー選手。現サッカー指導者。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはフォワード

経歴

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生い立ち

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ブエノスアイレスの貧民街で5人兄弟の長男として生まれた[5]

クラブ

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南米

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プリメーラB・ナシオナル(2部)のCAオール・ボーイズでプレーしていた時にボカ・ジュニアーズにスカウトされ[6]、13歳でボカ・ジュニアーズの下部組織に入団した。17歳でトップチームデビューするとすぐにレギュラーの座を獲得した[5]

ボカ・ジュニアーズ所属時代は2003年のリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝、トヨタカップではACミランをPK戦の末に破るなど大きな活躍をした。

MSI社が保有権を獲得し、特殊な移籍形態で2004年にSCコリンチャンス・パウリスタに移籍した。移籍から半年後にはキャプテンを任され[6]、2005年のブラジル全国選手権1部で優勝した。アルゼンチン人ながらブラジルのサッカーファンに愛された。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、「アルゼンチン人サッカー選手がブラジルで活躍することはないだろう」と発言したことがあったが、テベスがリーグ最優秀選手に輝いたために自身の発言を謝罪した[6]。2003年から2005年まで3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝いた。

ウェストハム・ユナイテッド

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2006年、ハビエル・マスチェラーノとともにプレミアリーグウェストハム・ユナイテッドFCに移籍する。入団当初は不振であったが、シーズン終盤には10試合で7得点を挙げて、チームを残留に導く原動力となる。

マンチェスター・ユナイテッド

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マンチェスター・ユナイテッドFCでのテベス

2007年にマンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。2007-08シーズンはマンチェスター・ユナイテッドの2冠(プレミアリーグUEFAチャンピオンズリーグ)に貢献。48試合に出場し19得点を挙げた。2008年12月に行われたFIFAクラブワールドカップで優勝したため、南米・欧州の両代表で同タイトルを獲得した史上初の選手となった。

マンチェスター・シティ

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マンチェスター・シティFCでのテベス

2009年7月13日、契約満了に伴いマンチェスター・シティFCに5年契約で移籍した。移籍1年目に23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなるFAカップ優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、マンチェスター・ユナイテッドで共にプレーしたディミタール・ベルバトフとともに初の得点王に輝いた。

2011年のシーズンオフには移籍志願したものの[7]、条件が折り合わずに残留となった。だが2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦で途中出場を拒否したとして騒動となった[8]。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。ロベルト・マンチーニ監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため2011-12シーズンの冬の移籍期間ではACミランへの移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表[9]。 2012-13シーズンはリーグ戦は11得点に終わったものの14アシストをあげた。

ユヴェントス

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2013年6月、ユヴェントスFCへの移籍が決定[10]。移籍金は合計1200万ユーロともいわれている。契約は3年間。背番号は、ミシェル・プラティニロベルト・バッジョアレッサンドロ・デル・ピエロといった名選手が背負った10番である。2013-14シーズンはリーグ戦でチーム最多となる19ゴールを決め、ユヴェントスの優勝に貢献した。 2014-15シーズンは32試合に出場し20ゴールを記録、リーグ優勝とコッパ・イタリア獲得に貢献した。また、チャンピオンズリーグでも13試合に出場し7ゴールと活躍しユヴェントスの決勝進出に貢献した。

ボカへの帰還

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2015年6月、テベスの古巣ボカ・ジュニアーズがテベスの復帰を発表。約11年ぶりの復帰となる[11]

上海申花へ移籍

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2016年12月29日、中国サッカー・スーパーリーグ上海申花への移籍が発表された[12]。世界最高額の年俸3800万ユーロ(約47億円)として話題になったが[13]、同じく中国スーパーリーグに移籍したエセキエル・ラベッシの年俸が日本円にして約60億円で上回るともされる[14]。背番号は32番。しかし、中国での生活に馴染めず、また、中国リーグの姿勢を批判するなど、問題行動を連発し、ファンからの批判も浴び、2018年1月6日に契約を解消したことが発表された[15]

ボカへの再帰還

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2018年5月よりボカに再復帰した。2019-20シーズンのスーペルリーガ・アルヘンティーナ第23節、ヒムナシア・ラプラタ戦で決勝ゴールを決め、最終節を前に1ポイント差で首位を走っていたリーベルに逆転、34度目のリーグ制覇を果たした。しかし2021年に退団を表明[16]

ボカ・ジュニアーズ退団後は無所属の状態が続いていたが、母国アルゼンチンのトーク番組内で引退を明言[17]

代表経歴

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2001年のFIFA U-17世界選手権に出場し、2得点を記録。アテネオリンピックでは、8ゴールを記録して得点王となり、ハビエル・マスチェラーノらと共にアルゼンチンの金メダル獲得に大きく貢献した。

A代表では2004年3月30日のエクアドル戦でデビュー。コパ・アメリカ2004ペルー戦で決勝点となる代表初得点を挙げた。

2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、セルビア・モンテネグロ戦で途中出場し、得点を決めている。

2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対メキシコ戦で、前半26分にリオネル・メッシからのパスを受けて先制ゴールを決める。パスを受けたのはオフサイドポジションだったが、判定によりテベスのゴールが認められた[18]。この試合でテベスはミドルシュートでもう1得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された。

アレハンドロ・サベーラが監督となってからはなぜかチームの戦術の構想からは外され、2014年ワールドカップの代表候補30人にも選ばれなかった。テベスが代表から外された理由についてはフリオ・グロンドーナ会長やリオネル・メッシとの関係悪化が噂された[19]。もっともグロンドーナは大会終了後に他界し、テベス自身はメッシとの確執については否定している。

2014年10月27日、国際親善試合に向けて国外クラブに所属するアルゼンチン代表メンバー25人を発表し約3年ぶりの代表復帰となった。しかし、2018 FIFAワールドカップ南米予選には招集されず、コパ・アメリカ2015コパ・アメリカ・センテナリオも未招集に終わり、代表からは事実上引退状態となっていた。

監督業

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ロサリオ・セントラル

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2022年6月22日、当時国内リーグで22位と低迷していたロサリオ・セントラルの監督に就任することが発表された[20]。同年6月25日、監督として初陣となったヒムナシア・イ・エスグリマ戦では80分に失点を喫し、0-1で負けた[21]。その次の試合も1-2で落とし連敗したものの、7月9日に行われたサルミエント戦ではファクンド・ブオナノッテのゴールによって1-0で勝利し、デビュー3戦目で監督としての初白星をあげた[22]。最終的に27試合7勝11分9敗の成績で、シーズン終了後に退任した[23]

インデペンディエンテ

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2023年8月22日、CAインデペンディエンテの監督に就任したことが発表された[23]。インデペンディエンテはシーズン前半戦で低迷し降格の可能性もあるが、会見では「自分のキャリアを懸けて監督を引き受けた」と覚悟を示した[23]

エピソード

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  • テベスは1歳の時に誤って熱湯を浴び、火傷を負った。母親によってタオルにくるまれた際に繊維が皮膚に付着し、首や胸には成人になった現在でも傷が残っている[6]ボカ・ジュニアーズ時代に、この火傷の痕を取り除く手術の費用をチームが負担するとオファーされたものの、「この顔は神様から与えてもらったものだから、変えるつもりはない。それに、この傷は生きてきた証でもある。」として固辞している[24]
  • 2004年コパ・リベルタドーレス準決勝第2戦のリーベル・プレート戦でゴールを決めた際、ユニフォームを脱ぎ、鶏を真似た踊り、いわゆる「チキンダンス」のゴールパフォーマンスを披露したが、これが相手チームへの侮辱行為とみなされて退場処分を受けた[25]
  • 金銭にまみれた現代のサッカー界や年長者への敬意を欠く若手に辟易しており、早期の引退を希望していた[26]
  • マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが「自分が生きている間にシティに負けることはない」と発言をしていたことに対して反撃するかのごとく、2011-12シーズンのリーグ優勝パレードでテベスは「RIP Fergie(安らかに眠れ、ファーガソン)」と書いたプレートを掲げた。この事に対してマンチェスター・シティは謝罪の意を表明した[27]
  • 2014年7月29日、ブエノスアイレス近郊でテベスの育ての父が誘拐されたが身代金を払い、約8時間後に無事解放された[28]

個人成績

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クラブ

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯アルヘンティーナ杯 期間通算
2001-02 ボカ・ジュニアーズ プリメーラ 11 1 0 0 0 0 11 1
2002-03 32 11 0 0 0 0 32 11
2003-04 23 12 0 0 0 0 23 12
2004-05 9 2 0 0 0 0 9 2
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2005 コリンチャンス セリエA 38 25 6 4 0 0 38 25
2006 9 6 0 0 0 0 9 6
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2006-07 ウェストハム 32 プレミア 26 7 0 0 1 0 27 7
2007-08 マンチェスター・U 34 14 0 0 2 1 36 15
2008-09 29 5 6 6 3 2 38 13
2009-10 マンチェスター・C 35 23 6 6 1 0 42 29
2010-11 31 20 0 0 6 3 37 24
2011-12 13 4 1 0 0 0 14 4
2012-13 34 11 1 0 6 5 41 16
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2013-14 ユヴェントス 10 セリエA 34 19 1 0 0 0 35 19
2014-15 32 20 1 0 0 0 33 20
アルゼンチン リーグ戦 リーグ杯アルヘンティーナ杯 期間通算
2015 ボカ・ジュニアーズ 10 プリメーラ 12 5 0 0 5 4 17 9
2016 11 4 0 0 4 2 17 6
2016-17 11 5 0 0 0 0 11 5
通算 アルゼンチン プリメーラ 109 40 0 0 9 6 118 46
ブラジル セリエA 47 31 6 4 0 0 53 35
イングランド プレミア 202 84 14 12 19 11 235 107
イタリア セリエA 66 39 2 0 0 0 35 19
総通算 392 179 22 16 24 15 438 210
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2007-08 マンチェスター・U 32 - 12 4
2008-09 - 9 2
2010-11 マンチェスター・C 6 0 -
2011-12 - 1 0
2012-13 - 5 0
2013-14 ユヴェントス 10 6 1 6 0
2014-15 - 13 7
通算 UEFA 12 1 46 13
その他の国際公式戦

代表歴

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出場大会

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試合数

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アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
2004 10 2
2005 9 0
2006 8 2
2007 13 3
2008 4 0
2009 8 1
2010 8 4
2011 4 1
2012 0 0
2013 0 0
2014 2 0
2015 10 0
通算 76 13

得点

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# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 2004年7月17日 ペルーの旗 チクラーヨ, エスタディオ・エリアス・アギーレ ペルーの旗 ペルー 0-1 0-1 コパ・アメリカ2004
2 2004年7月20日 ペルーの旗 リマ, エスタディオ・ナシオナル コロンビアの旗 コロンビア 1-0 3-0
3 2006年3月1日 スイスの旗 バーゼル, ザンクト・ヤコブ・パルク クロアチアの旗 クロアチア 1-1 3-2 親善試合
4 2006年6月16日 ドイツの旗 ゲルゼンキルヒェン, フェルティンス・アレーナ セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ 5-0 6-0 2006 FIFAワールドカップ
5 2007年6月1日 スイスの旗 バーゼル ザンクト・ヤコブ・パルク スイスの旗 スイス 0-1 1-1 親善試合
6 2007年6月5日 スペインの旗 バルセロナ, カンプ・ノウ アルジェリアの旗 アルジェリア 1-0 4-3
7 2007年6月28日 ベネズエラの旗 マラカイボ, エスタディオ・ホセ・パチェンチョ・ロメロ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 4-1 4-1 コパ・アメリカ2007
8 2009年3月28日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス, エル・モヌメンタル ベネズエラの旗 ベネズエラ 2-0 4-0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
9 2010年5月24日 カナダの旗 カナダ 4-0 5-0 親善試合
10 2010年6月27日 南アフリカ共和国の旗 ヨハネスブルグ, FNBスタジアム メキシコの旗 メキシコ 1-0 3-1 2010 FIFAワールドカップ
11 3-0
12 2010年9月7日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス, エル・モヌメンタル スペインの旗 スペイン 3-0 4-1 親善試合
13 2011年6月20日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス, エル・モヌメンタル アルバニアの旗 アルバニア 4-0 4-0

監督成績

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クラブ 就任 退任 記録
試合 得点 失点 得失点 勝率 %
アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル 2022年6月21日 2022年11月3日 24 6 11 7 24 25 −1 025.00
通算 24 6 11 7 24 25 −1 025.00

タイトル

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クラブ

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ボカ・ジュニアーズ
SCコリンチャンス・パウリスタ
マンチェスター・ユナイテッドFC
マンチェスター・シティFC
ユヴェントスFC
上海緑地申花足球倶楽部

代表

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個人

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脚注

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  1. ^ 2006 FIFA World Cup Germany: List of players: Argentina”. FIFA. p. 2 (21 March 2014). 10 June 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。21 February 2019閲覧。
  2. ^ “Carlos Tevez”. Barry Hugman's Footballers. http://barryhugmansfootballers.com/player/25528 21 February 2019閲覧。 
  3. ^ Carlos Tévez”. worldfootball.net. 7 January 2021閲覧。
  4. ^ a b “CARLOS TÉVEZ - PLAYER POSITION”. FOOTBALLCRITIC. https://www.footballcritic.com/carlos-tevez/player-positions/29 2023年12月20日閲覧。 
  5. ^ a b 「誇りとわだかまりの間で」footballista、ソルメディア、2009年3月25日号、4-5頁
  6. ^ a b c d 「カルリートスの来た道」ワールドサッカーキング増刊号、フロムワン、2008年4月30日号[要ページ番号]
  7. ^ “テベス、退団希望の声明を発表”. Goal.com. (2011年7月5日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/07/05/2560913/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E9%80%80%E5%9B%A3%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8 2012年6月2日閲覧。 
  8. ^ “マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否”. Goal.com. (2011年9月28日). http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2011/09/28/2686025/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E6%BF%80%E6%80%92%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E9%80%94%E4%B8%AD%E5%87%BA%E5%A0%B4%E6%8B%92%E5%90%A6 2012年6月2日閲覧。 
  9. ^ Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC
  10. ^ http://www.juventus.com/juve/en/news/foto/carlo+tevez+alla+juventus/carlos+tevez+alla+juventus
  11. ^ ユベントス、FWテベスのボカ復帰と18歳バダラー獲得を正式発表”. フットボールチャンネル (2015年7月14日). 2018年4月7日閲覧。
  12. ^ [1]
  13. ^ “世界最高給のテベス、期待外れの成績で中国ファンの怒りが頂点に”. AFPBB. (2017年5月13日). https://www.afpbb.com/articles/-/3132605 2017年6月19日閲覧。 
  14. ^ “テベスは「世界最高年俸」ではなかった? 1位の60億円を稼ぎ出す選手とは…”. フットボールチャンネル. (2017年5月13日). https://www.footballchannel.jp/2017/05/13/post210815/ 2018年1月3日閲覧。 
  15. ^ 上海申花、テベスとの契約解除を正式発表…年俸50億円での中国挑戦はわずか1年で終了
  16. ^ 37歳FWテベスがボカ・ジュニオルス退団を表明…「引退と言えるかどうかは分からない」”. サッカーキング (2021年6月5日). 2021年6月5日閲覧。
  17. ^ 元アルゼンチン代表FWテベスが現役引退…マンチェスターの両雄やユーヴェなどでプレー”. サッカーキング (2022年6月4日). 2022年6月4日閲覧。
  18. ^ “誤審、神の手ゴール…「幸運」呼ぶマラドーナ”. 読売新聞. (2010年6月28日). https://web.archive.org/web/20100630050540/http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/tournament/news/20100628-OYT1T00575.htm 2010年6月28日閲覧。 
  19. ^ バティスタがアルゼンチン代表に招集しない本当の理由
  20. ^ 現役引退したばかりのテベス、アルゼンチンで監督キャリアスタート…ロサリオ・セントラルと1年契約締結”. GOAL.com. (2022年6月22日). 2022年8月19日閲覧。
  21. ^ テベスの監督デビュー戦は黒星…「責任は全て私にある」”. 超WORLDサッカー! (2022年6月26日). 2022年8月19日閲覧。
  22. ^ 指揮官テベスが初白星! 監督してと大きな一歩に”. 超WORLDサッカー! (2022年7月10日). 2022年8月19日閲覧。
  23. ^ a b c テベス氏がインデペンディエンテの新監督に就任! 低迷する名門の復活へ「全試合が決勝戦」”. サッカーキング (2023年8月24日). 2023年8月24日閲覧。
  24. ^ “凄惨な過去を語るテベス”. Goal.com. (2009年11月1日). http://goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2009/11/01/1597234/%E5%87%84%E6%83%A8%E3%81%AA%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9 2012年6月2日閲覧。 
  25. ^ “The most bookable acts of sarcasm ever”. The Guardian. https://www.theguardian.com/football/2005/oct/19/theknowledge.sport 11 October 2018閲覧。 
  26. ^ “テベス:「カネまみれのサッカーにあと3、4年でさよなら」”. Goal.com. (2010年11月26日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2010/11/26/2232889/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%82%8C%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A8%EF%BC%93%EF%BC%94%E5%B9%B4%E3%81%A7%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89 2012年6月2日閲覧。 
  27. ^ “テベスがファギーを中傷? シティは謝罪”. Goal.com. (2012年5月15日). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2012/05/15/3103748/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%82%B7-%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AF%E8%AC%9D%E7%BD%AA 2012年6月2日閲覧。 
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外部リンク

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