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フリオ・クルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリオ・クルス
名前
本名 フリオ・リカルド・クルス
Julio Ricardo Cruz
愛称 Jardinero (庭師)
ラテン文字 Julio CRUZ
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-10-10) 1974年10月10日(50歳)
出身地 サンティアゴ・デル・エステロ
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1996 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 64 (16)
1996-1997 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 29 (17)
1997-2000 オランダの旗 フェイエノールト 103 (50)
2000-2003 イタリアの旗 ボローニャ 98 (30)
2003-2009 イタリアの旗 インテル 184 (74)
2009-2010 イタリアの旗 ラツィオ 25 (8)
代表歴
1997-2009 アルゼンチンの旗 アルゼンチン [1] 22 (4)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
フリオ・クルス

フリオ・リカルド・クルスJulio Ricardo Cruz, 1974年10月10日 - )は、アルゼンチンサンティアゴ・デル・エステロ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。ニックネームは「庭師」[2][3]。息子のファン・マヌエル・クルスもサッカー選手である[4]

経歴

[編集]

母国アルゼンチンのバンフィールドでデビューした後、CAリーベル・プレートでゴールを量産し、1997-98シーズンにフェイエノールトへ移籍。3シーズンで52得点を記録した[5]

2000-01シーズンにボローニャへ移籍し、ケネット・アンデションの後釜として期待に応え、3シーズンで30得点を記録した[6]。2003-04シーズン、様々なチームからオファーを受けたが、クーペル監督の存在が決め手となり、インテル・ミラノに移籍した[6]クリスティアン・ヴィエリアドリアーノズラタン・イブラヒモビッチ、そして同郷のエルナン・クレスポらとのレギュラーポジション争いを繰り広げながらも[7]、出場機会を得れば結果を残した。また長年、インテルのキャプテンとしてプレーしている同国出身のハビエル・サネッティとは1993年に共にCAバンフィエルドでプロデビューを果たしている間柄である。

1997年にデビューしたアルゼンチン代表では、1998年フランスワールドカップ2002年日韓ワールドカップ共に落選したが、2005-06シーズンの驚異的な活躍が認められると、2006年に4年ぶりに復帰し、2006年ドイツワールドカップへ出場するメンバーに選出され、2試合に出場した。

このシーズンは締め括りのW杯出場だけでなく、インテルでも他のFW陣が負傷やスランプに苦しむ中コンスタントに出場し、チーム最多かつセリエAにおける自身のキャリアでも最多の15得点を挙げ、1988-89シーズン以来のスクデット(カルチョ・スキャンダルによる繰り上がり優勝)に貢献、チャンピオンズリーグでも自身最多の4得点を挙げる現時点でのキャリアハイと言えるシーズンとなった。

2003年のユヴェントスFC戦ではジャンルイジ・ブッフォンからゴールを奪った[8]。この試合を初めユヴェントスとの試合では度々活躍を見せており、フェイエノールト時代の1997-98シーズンにもチャンピオンズリーグでユヴェントスと対戦した際に2得点を挙げるほどのユベントスキラーである[8]。ユヴェントス戦では通算で10得点を挙げた[6]また誠実な人柄でファンから愛されている選手である。2007-08シーズンはエース、アドリアーノの不調により、出場機会が回ってくるようになった[要出典]

2008-09シーズンはアドリアーノのインテル復帰・復調から、イブラヒモビッチ、アドリアーノに続く3人目のストライカーとして途中出場でよく起用され、貴重な決勝点や同点弾を決める事も多い。また、場合によっては戦術上、2人のセンターフォワードの後ろ側(トップ下)でプレーすることもあった。

2009年7月、インテルでは通算197試合75得点を挙げたが[5]、インテルとの契約が満了したためSSラツィオへ移籍した[9]

その他

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限られた出場時間の中でもきっちりと結果を出す職人肌の選手で、長身と足下の技術を生かしポストマンやシャドーストライカーとして活躍した。また左右どちらの足でも強烈なシュートが打てるため得点能力も高い。インテルは優秀なキッカーがいるため、蹴る機会は多くないが、[要出典]フリーキックの技術は一級品である[10]

個人成績

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代表での成績

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クラブ シーズン リーグ戦 カップ戦 UEFA 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
バンフィエルド 1993-94 5 0 - - - - 5 0
1994-95 26 6 - - - - 26 6
1995-06 32 10 - - - - 32 10
1996-07 1 0 - - - - 1 0
合計 64 16 - - - - 64 16
リーベル・プレート 1996-97 29 17 - - - - 29 17
合計 29 17 - - - - 29 17
フェイエノールト 1997-98 27 14 - - 6 3 33 17
1998-99 29 15 - - 2 0 31 15
1999-00 30 15 - - 8 3 38 18
2000-01 - - - - 1 0 1 0
合計 86 44 - - 17 6 103 50
ボローニャ 2000-01 27 7 - - 1 0 28 7
2001-02 33 10 2 2 - - 35 12
2002-03 28 10 1 0 6 1 35 11
合計 88 27 3 2 7 1 98 30
インテル 2003-04 21 7 4 3 10 1 35 11
2004-05 18 5 6 2 8 2 32 9
2005-06 31 15 8 2 6 4 45 21
2006-07 14 7 4 2 4 3 22 12
2007-08 26 13 3 3 4 2 33 18
2008-09 13 2 5 1 - - 18 3
合計 123 49 28 10 32 12 184 74
ラツィオ 2009-10 25 8 - - - - 25 8
合計 25  8 - - - - 25 8
合計 415 161 31 12 56 19 489 190

代表での成績

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出典[1]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1997 5 1
1998 0 0
1999 2 1
2000 1 0
2001 4 0
2002 1 1
2003 0 0
2004 0 0
2005 2 1
2006 2 0
2007 0 0
2008 5 0
合計 22 4

脚注

[編集]
  1. ^ a b Cruz, Julio”. National-Football-Teams.com. 2016年10月31日閲覧。
  2. ^ イリチッチは“おばあちゃん”?セリエA選手たちの面白いニックネーム”. Football Tribe Japan (2020年5月23日). 2020年11月26日閲覧。
  3. ^ フリオ・クルス、週末の伊ダービーやセリエAを語る”. Qoly (2015年10月17日). 2020年11月26日閲覧。
  4. ^ Son of Julio Cruz set for Verona medical”. FOOTBALL ITALIA (2023-97). 2023年9月8日閲覧。
  5. ^ a b Julio Cruz, il figlio Juan Manuel debutta nel Banfield e il Bologna vorrebbe comprarlo”. Corriere (2021年3月21日). 2023年9月8日閲覧。
  6. ^ a b c Julio Cruz, El Jardinero senza rimpianti: goal e altruismo nel sangue”. GOAL (2022年10月10日). 2023年9月8日閲覧。
  7. ^ フリオ・クルス”. ゲキサカ. 2020年11月26日閲覧。
  8. ^ a b “ユベントス・キラー”フリオ・クルスのロケットFKがブッフォンを襲う【ビューティフル・フリーキック】”. 超ワールドサッカー (2020年8月1日). 2020年11月26日閲覧。
  9. ^ クルス、ラツィオに加入”. ゲキサカ (2009年8月1日). 2020年11月26日閲覧。
  10. ^ 2000年代のインテルを支えた“仕事人”フリオ・クルスの技ありショット【ビューティフル・フリーキック】”. 超ワールドサッカー (2020年9月15日). 2020年11月26日閲覧。

外部リンク

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