ボージャン・クルキッチ
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カタルーニャ州選抜でのボージャン(2013年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ボージャン・クルキッチ・ペレス Bojan Krkić Pérez | |||||
愛称 | ボージャン | |||||
カタカナ | ボージャン クルキッチ | |||||
ラテン文字 | Bojan Krkić | |||||
セルビア語 | Бојан Кркић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スペイン セルビア | |||||
生年月日 | 1990年8月28日(34歳) | |||||
出身地 |
スペイン カタルーニャ州リェイダ県 | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW(ST) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2006 | FCバルセロナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | FCバルセロナB | 22 | (10) | |||
2007-2011 | FCバルセロナ | 104 | (26) | |||
2011-2013 | ASローマ | 33 | (7) | |||
2012-2013 | → ACミラン(loan) | 19 | (3) | |||
2013-2014 | FCバルセロナ | 0 | (0) | |||
2013-2014 | → AFCアヤックス(loan) | 24 | (4) | |||
2014-2019 | ストーク・シティFC | 53 | (14) | |||
2017 | → 1.FSVマインツ05 (loan) | 11 | (1) | |||
2017-2018 | → デポルティーボ・アラベス(loan) | 13 | (0) | |||
2019-2020 | CFモントリオール | 25 | (7) | |||
2021-2022 | ヴィッセル神戸 | 20 | (1) | |||
通算 | 324 | (73) | ||||
代表歴 | ||||||
2006-2007 | スペインU-17 | 20 | (16) | |||
2007-2011 | スペインU-21 | 21 | (4) | |||
2008 | スペイン | 1 | (0) | |||
2007-2019 | カタルーニャ | 8 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ボージャン・クルキッチ・ペレス(Bojan Krkić Pérez, 1990年8月28日 - )は、スペイン・カタルーニャ州リェイダ県出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。元スペイン代表。
FCバルセロナ史上最年少得点記録保持者であり、同クラブで史上最年少でラ・リーガ100試合出場を達成した[1]。
FCバルセロナの下部組織では900得点以上記録している。
日本語表記としてはカタルーニャ語の発音によるボージャン・ケルキックのほか、セルビア語に基づくボヤン・クルキッチと表記されることもある。
来歴
[編集]幼少のころに名門FCバルセロナに入団し、カンテラの各カテゴリの得点記録を軒並み塗り替え、バルセロナの若手有望株と期待された。特に2006年に昇格したセカンドチームであるバルセロナBではセンターフォワードのレギュラーポジションに定着し、22試合で10ゴールとジョバニ・ドス・サントスらとともにオフェンスの中心を担う活躍をみせるなど、カンテラ通算7年間(1999年~2006年)で900点以上をあげた[2]。
この活躍が評価され、2007-08シーズンからはわずか16歳にしてドス・サントスと共にトップチームへの昇格し、直後のプレシーズンマッチ第2戦のハーツ戦にて得点に絡む活躍を見せている。
リーガ・エスパニョーラでデビューを果たしたのは2007年9月16日のリーガ第3節CAオサスナ戦であり、17歳と18日という若さでのデビューとなった。また、その3日後の9月19日に行われたオリンピック・リヨン戦でUEFAチャンピオンズリーグのデビューを果たした。
そして、それから1ヵ月後の10月20日、リーガ第8節ビジャレアルCF戦で得点を挙げてクラブ最年少得点記録を更新した。この初ゴールのアシストは、それまでの記録保持者であるリオネル・メッシであった。この2007-08シーズンではリーガデビューからコンスタントに試合に出場し、リーガ10ゴールを挙げるなどトップチームに定着するに至った。これは同じく17歳でデビューしたラウル・ゴンサレスの9ゴールを抜きリーガ・エスパニョーラの新人記録となった。
なお、デビュー時点では、スペインの労働法により18歳未満とはプロ契約を結べなかった為、バルセロナとプロ契約をしていなかった。このため、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナル、チェルシーといったイングランドのクラブがボージャンを獲得しようとしたが、本人はバルセロナを離れるつもりはないと明言し、最終的には18歳になった直後にバルセロナとプロ契約を結んだ。
2008-09シーズンからジャンルカ・ザンブロッタの移籍に伴い、背番号を11番へ変更した。
スペイン代表には2008年2月のフランスとの親善試合で初めて招集され、代表の最年少出場記録更新が期待されたものの、体調を崩したため出場することはなかった。EURO2008でも招集が決まっていたが辞退している。これについては後にインタビューで不安発作が原因であったことを明かしている[3][4]。その後、2008年9月10日の2010 FIFAワールドカップ予選のアルメニア戦で代表デビューを果たした。
2010-11シーズンから背番号を移籍したズラタン・イブラヒモビッチが付けていた9番に変更した。2010年12月にはFCバルセロナとの契約を2015年まで延長。契約解除金はそれまでの8000万ユーロから増額され、1億ユーロに設定された[5]。2011年3月リーガエスパニョーラ第29節ヘタフェ戦で、クラブ史上最年少でリーガ100試合出場を遂げ、「本当に素晴らしい夜だった。僕にとっても、チームにとってもこのような試合は必要だったんだ。ピッチに立てて、それもゴールを決められてうれしいよ。100試合出場だって気付いたときは、鳥肌が立ったんだ。それもバルサでの100試合出場。これまでやってきた自分の仕事を、とても誇らしく思っている。これだけ早く100試合出場を達成できたのは、サポーターのおかげだ。いつもファンから愛されていると感じてきたし、そのことが僕に戦い続ける力を与えてくれているんだ」とコメントした[6]。
2011年7月22日、出場機会を求めてルイス・エンリケ率いるASローマに1200万ユーロで移籍[7]。なお、この移籍契約には2012-13シーズン終了後にFCバルセロナが1300万ユーロで義務的買戻しを実行する条項が含まれている。 この買戻しはASローマによって阻止することは可能だが、その場合は移籍金の総額が4000万ユーロへと増額される[8]。10月1日、アタランタBC戦においてダニエレ・デ・ロッシからのアシストで移籍後初ゴールを記録した。
2012年8月30日、ASローマからACミランにレンタル移籍[9]。1シーズンのこのレンタル移籍に関して、ローマとバルセロナの間の前述の契約内容に影響は無い旨、レンタル発表時にFCバルセロナは公式サイトで伝えている[10]。
2013年7月にバルセロナへ復帰し、同月6日にアヤックスへ1年間のレンタルで加入した[11]。
2014年7月22日、ストーク・シティFCに4年契約で移籍した[12]。8月16日のアストン・ヴィラ戦でプレミアリーグデビューを果たし、11月9日のトッテナム・ホットスパー戦では初ゴールを挙げた。2015-16シーズンには前半戦終了時点で5得点を記録するなど好調さを見せ、2016年2月11日には契約を2020年まで延長した[13]。しかし翌2016-17シーズンには出場機会が減少し半年で9試合の出場に終わった。
2017年1月30日、1.FSVマインツ05に半年間の期限付き移籍で加入した[14]。
2017年8月31日、デポルティーボ・アラベスに1年間のローンで移籍した[15]。
2019年8月6日、ストークとの契約を解消し、退団したことを発表[16]。同月7日にモントリオール・インパクトと契約したことが発表された。契約期間は2020年12月末まで[17]。9月25日のカナディアン・チャンピオンシップ決勝戦2ndレグ(対トロントFC)ではPK戦の1番手を務めて成功し、優勝に貢献した[18]。クラブからの契約延長オプション行使の申し出もあったが、これを拒否したため2020年12月31日に契約満了となった。冬の移籍市場でヨーロッパ復帰を模索したが、移籍期間中には合意に至らなかった[19]。
2021年8月9日、Jリーグのヴィッセル神戸への加入が発表された[20][21]。9月5日、J1リーグ第24節のサンフレッチェ広島戦で途中出場でJリーグデビュー。10月2日、第31節の浦和レッズ戦で移籍後初ゴールを決めた。チームにフィットしてきた矢先、10月24日の名古屋グランパス戦で負傷。そのまま離脱となり1年目のシーズンは、6試合1得点で終えた[22]。
2022年は、主にMFの位置で起用されることが多く、5月14日に行われた第13節鳥栖戦ではFW大迫勇也のシーズン初得点をアシストした。7月13日に行われた天皇杯ラウンド16・柏レイソル戦でシュートを放った際に負傷し帰国。左ひざ内側半月板損傷の診断を受け2年連続での長期離脱となった[23]。12月27日、契約満了により神戸を退団することが発表された。
2023年3月23日、現役引退を発表した。
エピソード
[編集]- 父親のボヤン・クルキッチ・シニアは1980年代にOFKベオグラードなどでプレーしたセルビア人の元サッカー選手で、現在はFCバルセロナのスカウトを務める。
- カタルーニャ生まれで、看護師をしている母もカタルーニャ人であるため、スペイン代表のほかカタルーニャ代表に選出された経験もある。また、カタルーニャの親善大使にも任命されている。
- 元FCバルセロナFWリオネル・メッシとは、お互いの曽祖父が兄弟という遠縁の親戚関係にあり、三従兄弟にあたる[24]。
- かつては、「NEXTメッシ」と称されたこともあった[25]。
- 自転車が大好きでそれに関する起業も考えている[26]。
個人成績
[編集]- 2021年9月2日現在
クラブ | シーズン | ディビジョン | リーグ | カップ | リーグカップ | UEFA/CONCACAF/AFC | その他* | 通算 | ||||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
バルセロナB | 2006–07 | セグンダB | 22 | 10 | — | 22 | 10 | |||||||
バルセロナ | 2007–08 | プリメーラ | 31 | 10 | 8 | 1 | — | 9 | 1 | — | 48 | 12 | ||
2008-09 | 23 | 2 | 9 | 5 | — | 10 | 3 | — | 42 | 10 | ||||
2009–10 | 23 | 8 | 4 | 2 | — | 6 | 1 | 3 | 1 | 36 | 12 | |||
2010–11 | 27 | 6 | 5 | 1 | — | 3 | 0 | 2 | 0 | 37 | 7 | |||
通算 | 104 | 26 | 26 | 9 | 0 | 0 | 28 | 5 | 5 | 1 | 163 | 41 | ||
ローマ | 2011–12 | セリエA | 33 | 7 | 2 | 0 | — | 2 | 0 | — | 37 | 7 | ||
ミラン (loan) | 2012–13 | セリエA | 19 | 3 | 2 | 0 | — | 0 | 0 | 6 | 0 | 27 | 3 | |
アヤックス (loan) | 2013–14 | エールディヴィジ | 24 | 4 | 3 | 1 | — | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 5 | |
ストーク | 2014-15 | プレミアリーグ | 16 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | — | — | 18 | 5 | ||
2015-16 | 27 | 7 | 1 | 0 | 3 | 0 | — | — | 31 | 7 | ||||
2016-17 | 9 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | 11 | 3 | ||||
2017-18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 2 | 0 | ||||
2018-19 | 21 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | — | 23 | 1 | ||||
通算 | 74 | 15 | 3 | 1 | 8 | 0 | — | — | 85 | 16 | ||||
ストーク U-21 | 2016-17 | — | — | — | — | — | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
マインツ05 (loan) | 2016-17 | ブンデスリーガ | 11 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | 11 | 1 | |||
アラベス (loan) | 2017-18 | プリメーラ | 10 | 0 | 2 | 1 | — | — | — | 12 | 1 | |||
モントリオール・インパクト | 2019 | MLS | 8 | 3 | 2 | 0 | — | — | — | 10 | 3 | |||
2020 | 17 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 19 | 4 | |||
通算 | 25 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 29 | 7 | |||
神戸 | 2021 | J1 | 6 | 1 | — | — | — | — | 6 | 1 | ||||
セグンダB通算 | 22 | 10 | — | 22 | 10 | |||||||||
プリメーラ通算 | 114 | 26 | 28 | 10 | 0 | 0 | 27 | 5 | 6 | 1 | 175 | 42 | ||
セリエA通算 | 52 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 64 | 10 | ||
エールディヴィジ通算 | 24 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 5 | ||
プレミアリーグ通算 | 74 | 15 | 3 | 1 | 8 | 0 | — | 1 | 1 | 86 | 17 | |||
ブンデスリーガ通算 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | ||
MLS通算 | 25 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | 29 | 7 | |||
J1リーグ通算 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | ||
総通算 | 331 | 74 | 40 | 12 | 8 | 0 | 42 | 5 | 7 | 2 | 427 | 92 |
- Jリーグ初出場 - 2021年9月5日 J1第24節 サンフレッチェ広島戦(エディオンスタジアム広島)
- 初得点 - 2021年10月2日 J1第31節 浦和レッズ戦(ノエビアスタジアム神戸)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FCバルセロナ
- プリメーラ・ディビシオン:3回(2008-09, 2009-10, 2010-11)
- コパ・デル・レイ:1回(2008-09)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2回(2009, 2010)
- UEFAチャンピオンズリーグ:2回(2008-09, 2010-11)
- FIFAクラブワールドカップ:1回(2009)
- UEFAスーパーカップ:1回(2009)
- アヤックス
- ヨハン・クライフ・スハール:1回 (2013)
- エールディヴィジ:1回 (2013-14)
- モントリオール・インパクト
- カナディアン・チャンピオンシップ:1回 (2019)
代表
[編集]- U-17スペイン代表
- U-21スペイン代表
個人
[編集]- UEFA U-17欧州選手権大会最優秀選手:1回 (2007)
- FIFA U-17ワールドカップ・ブロンズボール:1回 (2007)
- FIFA U-17ワールドカップ・ブロンズシューズ:1回 (2007)
- リーガ・エスパニョーラ ブレイクスルー選手:1回 (2007-08)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “元神戸のFWボージャンが現役引退へ…かつての同僚ピケ氏が“お漏らし”「木曜日にさよならを言う」”. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “世界で輝く「○○ッチ」たち”. スポーツナビ. 2009年4月2日閲覧。
- ^ Rojo, Luis F. (2016年6月6日). “FC Barcelona: El calvario de Bojan: "Viví cinco meses con mareos 24 horas al día"” (スペイン語). Marca.com. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Bojan Krkic: ‘I had anxiety attacks but no one wants to talk about that. Football’s not interested’” (英語). the Guardian (2018年5月18日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Bojan: “I’m very happy””. FC Barcelona. 2010年12月20日閲覧。
- ^ “ボージャン:「気付いたとき、鳥肌が立った」”. Goal.com. (2011年3月21日) 2011年3月22日閲覧。
- ^ バルセロナのボージャンがローマへ、両チーム間で合意 - AFPBB.com 2011年7月22日
- ^ “Bojan, transferred to AS Roma”. FC Barcelona. 2011年7月22日閲覧。
- ^ “ボージャンのミラン移籍が正式に発表”. Goal.com. (2012年8月30日) 2012年8月30日閲覧。
- ^ “Bojan Krkic signs with AC Milan”. FC Barcelona. 2012年8月29日閲覧。
- ^ “バルセロナ、ボージャンのアヤックス行きを発表”. Goal. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “ボージャン、ストーク行きが決定”. Goal. 2014年7月23日閲覧。
- ^ プレミアで輝くボージャン、ストークと契約延長 - Goal.com 2016年2月12日
- ^ 元バルサのボージャンがマインツ加入、ストークから半年のローン - AFPBB.com 2017年1月30日
- ^ “さすらいの元バルサFWボージャン、レンタルでアラベス移籍が決定”. サッカーキング. (2017年9月1日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ “ボージャン、ストークとの契約を解除「力になることはできなかったけど…」”. 超ワールドサッカー (2019年8月6日). 2019年8月6日閲覧。
- ^ “ストーク退団のボージャン、新天地はMLSのモントリオールに決定!”. 超ワールドサッカー (2019年8月8日). 2019年8月8日閲覧。
- ^ “ボージャンがモントリオール加入2ヶ月で早くもタイトル獲得”. SPORT 日本 (2019年9月27日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Bojan asume el riesgo de rechazar ofertas a la espera de mejores proyectos” (スペイン語). AS.com (2021年2月5日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ “FWボージャン クルキッチ選手 完全移籍加入のお知らせ”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト (2021年8月9日). 2021年8月10日閲覧。
- ^ “J1神戸 ボージャン加入「イニエスタは特別な存在」 今夏の“半端ない補強”最終弾”. デイリースポーツ (2021年8月10日). 2021年8月10日閲覧。
- ^ FW ボージャン クルキッチ選手の負傷と帰国についてヴィッセル神戸オフィシャルサイト 2021年11月7日
- ^ “FWボージャン クルキッチ選手の負傷について”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年7月28日閲覧。
- ^ あなたは知ってた? 実は血縁関係にある世界のサッカー選手たち サッカーキング 2018年9月26日
- ^ “J1神戸がボージャン獲得へ 元バルサ通算5人目!イニエスタとも4季プレー”. デイリースポーツ (2021年8月8日). 2021年8月8日閲覧。
- ^ “J1神戸元FWボージャン、起業家に転身 自転車メーカー立ち上げ参画「神戸でもたくさんの人が使っている」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年3月2日) 2023年3月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ボージャン・クルキッチ - National-Football-Teams.com
- ボージャン・クルキッチ - Soccerway.com
- ボージャン・クルキッチ - Soccerbase.comによる選手データ
- ボージャン・クルキッチ - FootballDatabase.eu
- ボージャン・クルキッチ - WorldFootball.net
- ボージャン・クルキッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ボージャン・クルキッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ボージャン・クルキッチ - FIFA主催大会成績
- ボージャン・クルキッチ - UEFA
- ボージャン・クルキッチ - J.League Data Siteによる選手データ
- ボージャン・クルキッチ - BDFutbolによる個人成績
- 公式サイト
- Bojan Krkic (@BoKrkic) - X(旧Twitter)
- Bojan Krkic (@bokrkic) - Instagram