カジェタノ・レ
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名前 | ||||||
本名 |
カジェタノ・レ・ラミレス Cayetano Ré Ramírez | |||||
ラテン文字 | Cayetano Ré | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
パラグアイ スペイン | |||||
生年月日 | 1938年2月7日 | |||||
出身地 | アスンシオン | |||||
没年月日 | 2013年11月26日(75歳没) | |||||
身長 | 163cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | フォワード | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1958-1959 | セロ・ポルテーニョ | |||||
1959-1962 | エルチェ | 79 | (25) | |||
1962-1966 | バルセロナ | 84 | (56) | |||
1966-1971 | エスパニョール | 102 | (23) | |||
1971-1972 | タラサ | |||||
1972 | バダロナ | |||||
代表歴 | ||||||
1958-1959 | パラグアイ | 25 | (?) | |||
監督歴 | ||||||
1973-1974 | エルデンセ | |||||
1974-1975 | アルメリア | |||||
1975-1978 | エルデンセ | |||||
1978-1980 | オンティニエンテ | |||||
1981-1982 | コルドバ | |||||
1983-1984 | エルチェ | |||||
9184 | グアラニー | |||||
1985 | セロ・ポルテーニョ | |||||
1985-1987 | パラグアイ | |||||
1987-1988 | ネカクサ | |||||
1989 | ベティス | |||||
1992 | デポルテス・テムコ | |||||
1996 | セロ・ポルテーニョ | |||||
1999 | セウタ | |||||
2000 | グアラニー | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カジェタノ・レ・ラミレス(Cayetano Ré Ramírez、1938年2月7日 - 2013年11月26日)は、パラグアイ・アスンシオン出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはフォワード。
選手経歴
[編集]母国セロ・ポルテーニョでプロデビューを果たすと、1959年にスペインへ渡り、エルチェCFに加入した。当時プリメーラ・ディビシオンに所属していたエルチェだったが、レはヨーロッパ挑戦1年目にしてリーグ戦2桁ゴールを挙げた。2年目と3年目の2桁ゴールは達成できなかったが、アシストやチャンスメイク面でチームに貢献した。
1962年、FCバルセロナに移籍する。バルセロナでは2シーズン目からレギュラーの座を掴み、在籍3シーズン目には25ゴールを記録して、リーグ得点王 (ピチーチ賞)を獲得した。
バルセロナを退団後、1966年にRCDエスパニョール、1971年にはタラサFCに移籍し、CFバダロナで現役を引退した。
また、パラグアイ代表として1958 FIFAワールドカップに出場した。
指導者経歴
[編集]現役を引退後すぐにサッカー指導者に転向し、1973-74シーズンからCDエルデンセにて指導者キャリアをスタートさせた。
1985年、パラグアイ代表の監督に就任した。就任後、1986 FIFAワールドカップ南米予選から代表監督としての仕事が始まった。南米予選を見事に勝ち抜いたパラグアイ代表は、実に28年ぶりとなる本大会出場を決める。その本大会のグループリーグではイラク、ベルギー、開催国メキシコと同組になった。初戦のイラク戦では0-1で敗戦、次戦のメキシコ戦は1-1の痛み分け、最終戦のベルギー戦でも2-2と引き分け、ギリギリの状況でグループリーグ勝ち抜けを決めた。ベスト16では格上のイングランドと対戦し、0-3で完敗を喫した。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FCバルセロナ
- コパ・デル・ヘネラリシモ : 1回 (1962-63)
- インターシティーズ・フェアーズカップ : 1回 (1965-66)
個人
[編集]- ピチーチ賞 : 1回 (1964-65)