「伊吹島」の版間の差分
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|画像=[[ファイル:Ibuki-jima Island.jpg|300px]]<br />伊吹島全体の航空写真。{{国土航空写真}} |
|画像=[[ファイル:Ibuki-jima Island.jpg|300px]]<br />伊吹島全体の航空写真。{{国土航空写真}} |
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|座標={{ウィキ座標2段度分秒|34|7|50.5|N|133|31|58.4|E|region:JP-37}} |
|座標={{ウィキ座標2段度分秒|34|7|50.5|N|133|31|58.4|E|region:JP-37}} |
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|面積=1. |
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|周囲=5. |
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|標高=121.51 |
|標高=121.51 |
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|最高峰= |
|最高峰= |
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|諸島= |
|諸島= |
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|海域=[[瀬戸内海]] |
|海域=[[瀬戸内海]] |
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|国={{JPN}} |
|国={{JPN}} [[香川県]][[観音寺市]] |
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|地図 = {{Location map|Japan Kagawa Prefecture#Japan|relief=1|float=center|label=伊吹島}} |
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|OSMズーム = 11 |
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'''伊吹島'''(いぶきじま)は、[[香川県]][[観音寺市]]に属する[[島]]。[[瀬戸内海]]の[[燧灘]](ひうちなだ)に浮かぶ<ref name="角川書店1985p118"/>。「伊吹いりこ」([[カタクチイワシ]]の[[煮干し]])の産地として知られる。 |
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[[File:Ibukizima 20230804 1.jpg|thumb|[[道の駅とよはま]]より]] |
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[[ファイル:Ibuki_Island.jpg|thumb|[[琴弾山]]より]] |
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'''伊吹島'''(いぶきじま)は、[[香川県]][[観音寺市]]に属する[[島]]。 |
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面積は1.09km<sup>2</sup>、周囲長は5.5km<ref name="角川書店1985p118"/><ref name="観音寺市1985p328"/>。[[四国]]本土の[[観音寺港]]の西10kmに位置し<ref name="観音寺市1985p15">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=15-16}}</ref>、有人島としては香川県の最西端にある。2020年(令和2年)の[[国勢調査]]による人口は323人。 |
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[[瀬戸内海]]の[[燧灘]](ひうちなだ)にある伊吹島は、[[四国]]本土にある観音寺港より西10kmに位置し、周囲は5.4kmで有人島としては香川県西端となる。[[江戸時代]]以前からの四季折々の民俗 宗教行事が続けられている。良質ないりこ([[カタクチイワシ]]の[[煮干し]])産地として有名。島内の[[電気]]、[[上水道]]はともに本土より供給されており、島の南側の真浦港からは定期船が就航している。 |
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== 名称 == |
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*人口:503人 (2018.05.01) |
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[[弘法大師]]が材木を引き揚げて[[薬師如来|薬師]]像を彫ったという伝承があり、この材木を意味する「異木」が「伊吹」に転訛したとされる<ref name="角川書店1985p118"/><ref name="観音寺市1985p328">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=328-330}}</ref>。また、近くの海底に泡が噴き出ている場所があり、この場所を意味する「息吹」が転訛したという説もある<ref name="角川書店1985p118"/><ref name="観音寺市1985p328"/>。 |
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==地理== |
== 地理 == |
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[[File:Ibuki Island townscape ac (1).jpg|thumb|伊吹島の町並み]] |
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島の周囲は険しい[[断崖]]が多く[[台地]]状になっており、人家は北から南にかけて島の中心に集中している。 |
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地質的には[[海底火山]]の噴火に伴う[[安山岩]]など([[瀬戸内火山帯|瀬戸内火山岩類]])によって構成され<ref name="中国新聞20230528">{{Cite news |和書 |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/311607 |title=アートが加わる『いりこの島』 伊吹島 香川県観音寺市 |newspaper=中国新聞 |date=2023-05-28 |accessdate=2024-08-20}}</ref>、北浦安山岩層と滝宮安山岩層の2部層からなる<ref>{{Cite journal |和書|author=川畑博 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2012/0/2012_455/_pdf/-char/ja |title=香川県伊吹島に分布する瀬戸内火山岩の産状 |journal=日本地質学会学術大会講演要旨 2012 |year=2012}}</ref>。 |
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*港湾:真浦港(島内南側)、北浦港(島内北側) |
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*周囲の島:[[股島]]、[[小股島]]、[[円上島]] |
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伊吹島の周囲は険しい[[断崖]]となっている場所が多い<ref name="中国新聞20230528"/>。中央部は緩やかな[[台地]]状になっており<ref name="観音寺市1985p15"/>、人家は鞍部となっている島の中心部に集中している<ref name="中国新聞20230528"/>。伊吹島では小規模な畑作が営まれているが、[[水田]]による稲作は不可能とされている<ref name="観音寺市1985p15"/>。 |
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==歴史== |
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[[石器]]が出土するなど古くから人が住んでいた。鰯(いわし)漁に従事する人々が多く定住し、[[昭和]]中期頃に最盛期を迎える。定期船、[[海底ケーブル]]での電気や上水道など、生活の利便性は向上したものの、人口は減少傾向にある。 |
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南岸の真浦港から観音寺港に向かう定期船が運航されている。[[電気]]と[[上水道]]はいずれも本土より[[海底ケーブル]]によって供給されている。伊吹島には合田<!--ごうだ-->姓と三好姓が多い<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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===行政区域の変遷(町村制施行移行後)=== |
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*[[1890年]][[2月15日]] [[豊田郡 (香川県)|豐田郡]][[観音寺町|觀音寺町]] |
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*[[1899年]][[3月16日]] [[三豊郡|三豐郡]]觀音寺町 |
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*[[1949年]][[1月1日]] [[伊吹村]]に分離 |
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*[[1956年]][[9月30日]] 観音寺市(旧制)と合併 |
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; 港湾 |
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==伊吹いりこ== |
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* 真浦港(南岸) |
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[[漁業]]と水揚げされた魚の水産加工が主産業で、島名を冠した煮干し「伊吹いりこ」は、[[地域団体商標]]に登録されるほど名高い。鮮度が高いうちに釜茹でし、カタクチイワシの大きさに合わせて乾燥時間を調整することで、苦味の元となる脂分が少なく仕上がる。18軒の[[網元]]が営む加工場から出荷され、四国本土の[[讃岐うどん]]店や[[ラーメン]]店での[[出汁]]とりなどに使われる<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO19180800U7A720C1NZ1P00/|title=【食ナビ】香川・伊吹いりこ/だし以外にも 釜飯・天ぷら 地味な滋味|work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』夕刊|date=2017年7月25日}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.shikoku-np.co.jp/dg/article.aspx?id=K2023121200000001100 |title=地元食材、給食で堪能=観音寺はいりこ尽くし 大野原小で市長も舌鼓 |access-date=2024-01-21 |publisher=[[四国新聞]]}}</ref>。伊吹いりこは煮干し界の最高峰とされ、クルマなら[[ロールス・ロイス|ロールスロイス]]に匹敵する“ブランド煮干し”と言われている<ref>{{Cite news|url=https://www.gqjapan.jp/lifestyle/article/20210821-editors-bestby-recommends|title=編集部員のAmazonで買って良かったものPart.1|work=|publisher=[[GQ JAPAN]]|date=2021年8月21日|accessdate=2021-09-06}}</ref>。 |
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* 北浦港(北岸) |
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; 属島 |
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* [[股島]] |
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* [[小股島]] |
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* [[円上島]] |
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Ibuki Island townscape ac (2).jpg|真浦港周辺 |
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Ibuki Island stone wall ac (1).jpg|港と集落を結ぶ急坂 |
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Ibuki Island townscape ac (6).jpg|伊吹島中央部の集落 |
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Ibukizima 20230804 1.jpg|[[道の駅とよはま]]から見た伊吹島 |
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</gallery> |
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=== 人口の変遷 === |
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|1872年(明治5年) |
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|style="text-align:right"|1075人|| |
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|<div style="width:107.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1891年(明治24年) |
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|style="text-align:right"|1490人|| |
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|<div style="width:149.0px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1902年(明治35年) |
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|style="text-align:right"|1868人|| |
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|<div style="width:186.8px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1913年(大正2年) |
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|style="text-align:right"|2339人|| |
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|<div style="width:233.9px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1922年(大正11年) |
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|style="text-align:right"|2775人|| |
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|<div style="width:277.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1940年(昭和15年) |
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|style="text-align:right"|3406人|| |
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|<div style="width:340.6px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1950年(昭和25年) |
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|style="text-align:right"|4325人|| |
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|<div style="width:432.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1960年(昭和35年) |
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|style="text-align:right"|3864人|| |
|||
|<div style="width:386.4px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1970年(昭和45年) |
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|style="text-align:right"|2340人|| |
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|<div style="width:234.0px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1980年(昭和55年) |
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|style="text-align:right"|1827人|| |
|||
|<div style="width:182.7px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|1990年(平成2年) |
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|style="text-align:right"|1366人|| |
|||
|<div style="width:136.6px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|2000年(平成12年) |
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|style="text-align:right"|1020人|| |
|||
|<div style="width:102.0px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|2010年(平成22年) |
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|style="text-align:right"|712人|| |
|||
|<div style="width:71.2px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|2020年(令和2年) |
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|style="text-align:right"|323人|| |
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|<div style="width:32.3px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|} |
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== 歴史 == |
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=== 先史時代 === |
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伊吹島の中央部には[[旧石器時代]]から[[古墳時代]]にかけての[[複合遺跡]]があり<ref name="観音寺市1985p15"/>、旧石器時代のナイフ形[[石器]]や細石刃、[[縄文時代]]最晩期の突帯文のある土器の破片、[[弥生時代]]の高杯首飾土器の破片、古墳時代の[[須恵器]]や高杯却部土器の破片などが出土している<ref name="香川民俗学会1991p7">『伊吹島の民俗』香川民俗学会、1991年、p.7-14</ref>。この複合遺跡は集落跡ではなく祭祀遺跡だったことが示唆されている<ref name="観音寺市1985p15"/>。観音寺市における旧石器時代の遺跡は伊吹島のみである<ref name="観音寺市1985p15"/>。 |
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=== 古代 === |
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大宝3年(703年)、[[豊後国]]宇佐から[[琴弾山]]を訪れた船が気噴島(伊吹島)に船を繋いだ記録がある<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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=== 中世 === |
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天治元年(1124年)には観音寺の[[琴弾八幡宮]]から勧請されて[[伊吹八幡神社 (観音寺市)|伊吹八幡神社]]が創建され、世観を開山として泉蔵坊が、満璋を開山として海蔵坊が創建されたとされる<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38"/>。[[平安時代]]末期から[[鎌倉時代]]初期には[[石清水八幡宮]]領だった<ref name="角川書店1985p118"/>。建長8年(1256年)には日吉社領となった。 |
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=== 近世 === |
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天正元年(1573年)、[[三好義継]]の子である三好義兼と三好義茂の兄弟は、伊吹島に隠住して勢力を拡大させた<ref name="観音寺市1985p328"/>。慶長年間(1596年~1614年)には三好義継の三男である三好正治が白旗網の漁法を始めた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。三好家は伊吹島に京風の文化を広めたとされ、やがて子孫が庄屋を務めるようになった<ref name="観音寺市1985p328"/>。 |
|||
[[江戸時代]]の伊吹島は[[讃岐国]][[豊田郡 (香川県)|豊田郡]]伊吹島村だった<ref name="角川書店1985p118">{{Cite book |和書|author=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 |title=角川日本地名大辞典 香川県 |publisher=角川書店 |year=1985 |pages=118-120}}</ref>。当初は[[生駒氏]]領だったが、寛永18年に[[丸亀藩]]([[山崎氏]])領、万治元年に丸亀藩([[京極氏]])領と代わった<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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文化5年(1808年)9月10日には[[伊能忠敬]]測量隊が三豊郡和田浜から伊吹島に渡り、伊吹島や大股島などの測量を行った上で泉蔵院を宿とした<ref name="観音寺市1985p275">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |page=275}}</ref>。安政5年(1858年)頃からは[[股島]]の開拓が行われた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。文化・文政年間(1804年~1830年)、有力者の[[萬屋金兵衛]]は独力で、真浦港における最初の[[防波堤]]とされる27mの東波止を築いた<ref name="観音寺市1985p397">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=397-399}}</ref>。このことが発端となり、慶応2年(1866年)には81mの東波止と82mの西波止が築造され、今日の真浦港の原型が築かれた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。[[幕末]]頃には[[打瀬網漁]]が始まった<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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=== 近代 === |
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1871年(明治4年)には[[丸亀県]]の所属、同年には[[香川県]]の所属、1873年(明治6年)には[[名東県]]の所属、1875年(明治8年)には再び香川県の所属、1876年(明治9年)には[[愛媛県]]の所属と変遷したが、1888年(明治21年)に香川県の所属で落ち着いた<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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1890年(明治23年)2月15日には[[豊田郡 (香川県)|豊田郡]][[観音寺町|觀音寺町]]が発足し、伊吹島は觀音寺町大字伊吹となって出張所が置かれた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。1899年(明治32年)3月16日には新たに[[三豊郡]]が発足し、觀音寺町は三豊郡の自治体となった<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。1902年(明治35年)11月には伊吹島漁業組合が設立された<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。1914年(大正3年)には第一等伊吹丸が進水し、伊吹島にも動力船が導入された<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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1918年(大正7年)4月には日之出館が[[上方歌舞伎]]を招いてこけら落しを行った<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p41">{{Cite book |和書|author= |title=伊吹島民俗資料館だより |publisher=伊吹島民俗資料館運営委員会 |year=2004 |pages=41-43}}</ref>。日之出館は[[廻り舞台]]や[[花道]]を有する[[芝居小屋]]であり、芝居・浪曲・映画の興行が行われたほか、青年会の会合や小学校の学芸会も行われた<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p41"/>。 |
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真浦港近くに小規模な発電所が建てられ、1924年(大正13年)9月には伊吹島に電灯が灯った<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p13">{{Cite book |和書|author= |title=伊吹島民俗資料館だより |publisher=伊吹島民俗資料館運営委員会 |year=2004 |pages=13-16}}</ref>。四国の離島としては最も早く電灯が灯った島とされる<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p13"/>。1934年(昭和9年)12月28日には[[円上島]]の球状ノーライトが国指定[[天然記念物]]に指定された<ref>{{Cite web |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191832 |title=円上島の球状ノーライト |publisher=文化遺産オンライン |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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大正初期に内海漁業が行き詰まると、[[長崎県]]の[[五島列島]]や[[朝鮮半島]]沿海に遠征して鯖網漁が行われ、やがて漁獲の主体が[[サバ]]から[[イワシ]]に移っていった<ref name="角川書店1985p118"/>。1924年(大正13年)4月中旬には浦項寺家と呼ばれる海難事故が起こり、朝鮮に出漁中の60人が死亡したことで、伊吹島では約10戸が再起不能となった<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。この事故の後には[[日本水難救済会|帝国水難救済会]]伊吹支所が設置されている<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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1934年(昭和9年)9月21日には[[室戸台風]]によって北浦の避難港が竣工式の前日に全壊したが、1936年(昭和11年)には再度の工事によって防波堤が竣工した<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。伊吹島の[[網元]]は朝鮮に根拠地となる漁業基地を持っていたが、[[太平洋戦争]]終戦によって朝鮮における資産を失った<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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=== 現代 === |
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1945年(昭和20年)9月17日には[[枕崎台風]]によって真浦港が全壊し、真浦港に停泊していた漁船230隻の大半が破損した<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。小学校の2階建校舎1棟が全壊して1棟が半壊したほか、島内の民家も甚大な被害を受けた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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三豊郡觀音寺町において伊吹島は発言力が弱く、不公平な税負担を強いられたり行政サービスの還元が少なかったことから<ref name="観音寺市1985p328"/>、1949年(昭和24年)1月1日、三豊郡觀音寺町大字伊吹が[[伊吹村]]として分離された<ref name="角川書店1985p118"/>。終戦直後には都市部の食糧難や朝鮮からの引き揚げによって人口が増加し<ref name="観音寺市1985p328"/>、1950年(昭和25年)には人口がピークの4325人に達した。1950年(昭和25年)には発電所を[[四国電力]]から買収して村営とし、点灯時間は日没から23時にまで拡大した<ref name="角川書店1985p118"/>。1952年(昭和27年)4月、漁協が伊吹漁業協同組合に改称した<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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財政面の厳しさを理由として、[[日本の市町村の廃置分合|昭和の大合併]]の1956年(昭和31年)9月30日には伊吹村が[[観音寺市]]に編入されて観音寺市に伊吹町が設置された<ref name="角川書店1985p118"/>。同日に伊吹村は廃止された<ref name="角川書店1985p118"/>。1957年(昭和32年)には[[離島振興法]]の適用地に指定され、1959年(昭和34年)には離島振興計画によって農山漁村電気導入促進法の適用を受けた<ref name="香川民俗学会1991p7"/><ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p13"/>。 |
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1960年(昭和35年)には日本の映画館数がピークを迎えたが、この頃の伊吹島には映画館として日之出館と伊吹映画劇場の2館があった<ref>{{Cite book |和書|author= |title=映画便覧 1960 |publisher=時事通信社 |year=1960 |page=248}}</ref>。1967年(昭和42年)には[[海底ケーブル]]による送電が開始され、24時間の点灯が可能となった<ref name="角川書店1985p118"/><ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p13"/>。 |
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伊吹島には湧水・地下水や河川がないことから、生活用水は長らく雨水に依存していた<ref name="角川書店1985p118"/>。1973年(昭和48年)には観音寺市営の給水船ひうちが本土からの上水道の送水を開始し、その後簡易水道が設置された<ref name="角川書店1985p118"/>。1984年(昭和59年)には海底パイプによる上水道の送水が開始された<ref name="角川書店1985p118"/>。 |
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2002年(平成14年)の[[住民基本台帳]]人口は987人となって1000人を下回った<ref name="季刊しま200206">{{Cite journal|和書 |author=齋藤潤 |title=瀬戸内海の今を歩く 第十景 伊吹島 イリコを中心に回る島 |journal=季刊しま |publisher=日本離島センター |date=2002-06 |pages=28-35}}</ref>。実際の居住者数は住民基本台帳人口よりも少ないとされる<ref name="季刊しま200206"/>。2014年度(平成26年度)の来島者数は約11,000人だった<ref name="日本離島センター2019p482">{{Cite book |和書|author= |title=日本の島ガイド SHIMADAS |publisher=日本離島センター |year=2019 |pages=482-485}}</ref>。 |
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2013年(平成25年)夏、初めて伊吹島が[[瀬戸内国際芸術祭]](夏会期)の会場となった<ref>{{Cite web |url=https://setouchi-artfest.jp/blog/detail76.html |title=伊吹島で「島四国」が開催されました。 |publisher=ART SETOUCHI |date=2012-05-11 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。2016年(平成28年)秋には初めて秋会期の会場となった<ref name="朝日新聞20161009">{{Cite news |和書|title=瀬戸内国際芸術祭2016 アート熟す、秋到来 11島と2港に186作品 |newspaper=朝日新聞 |date=2016-10-09 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。瀬戸内国際芸術祭の期間中には定期船の増便も行われている<ref name="朝日新聞20161006">{{Cite news |和書|title=瀬戸内国際芸術祭2016 伊吹の幸、ぎっしりお弁当『うららの玉手箱』 |newspaper=朝日新聞 |date=2016-10-06 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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== 産業 == |
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[[漁業]]と水産加工業が伊吹島の主産業である。[[カタクチイワシ]]の[[煮干し]]である「伊吹いりこ」の産地として知られる。 |
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=== 伊吹いりこ === |
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[[File:New Ibuki 2 ac (2).jpg|thumb|伊吹いりこ]] |
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[[File:Engraulis japonicus 01.JPG|thumb|]] |
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==== 歴史 ==== |
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伊吹島でいりこの製造が始まったのは[[幕末]]の文久2年(1862年)であるとされ<ref name="朝日新聞20120624">{{Cite news |和書|title=熱血うどん旅 20 イリコを追って 湯気立ちこめる加工場へ 即釜茹で |newspaper=朝日新聞 |date=2012-06-24 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。明治時代には10軒ほどがいりこを製造していた<ref name="季刊しま201809">{{Cite journal|和書|title=熬鰯が支える醇風の島 |journal=季刊しま |publisher=日本離島センター |date=2018-09 |pages=3-10}}</ref>。1967年(昭和42年)には[[海底ケーブル]]による送電が開始されたことで、1970年代には機械化が進んでいりこの製造量が急増し、ピークの1985年(昭和60年)には製造量が年間4000トンを超えた<ref name="朝日新聞20120624"/>。1988年(昭和63年)には売上高が約44億円に達し、伊吹島だけで九州全体の煮干しの売上高を上回った上に<ref name="季刊しま201809"/>、網元1軒あたりの売上高は2億円を超えていた<ref name="季刊しま200206"/>。 |
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1993年(平成5年)頃からの不漁を機に資源調査や管理に着手し、6月から9月までの漁期の間にも休漁日を設けている<ref name="季刊しま201809"/>。2008年(平成20年)の調査において、香川県は都道府県別の煮干し生産量で全国第6位であり、香川県全体の約80%を伊吹島が占めていた<ref name="朝日新聞20110509">{{Cite news |和書|title=『伊吹いりこ』に悩みの種『肥満イワシ』県が対策 ダイエット予算計上 |newspaper=朝日新聞 |date=2011-05-09 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。2011年(平成23年)の製造量は約1500トンだった<ref name="朝日新聞20120624"/>。2010年代には売上高が10億円前後で推移し<ref name="季刊しま201809"/>、漁獲量が低迷した2014年(平成26年)の売上高は約6億円だった<ref name="朝日新聞20150620">{{Cite news |和書|title=うどんのだし、生き生き 香川・伊吹島 |newspaper=朝日新聞 |date=2015-06-20 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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==== 特色 ==== |
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伊吹島のカタクチイワシ漁は6月中旬に始まり、9月初旬に終了する<ref name="ライト&ライフ"/>。2020年代時点では15軒の[[網元]]がパッチ網漁(イワシ機船船びき網漁業)によってカタクチイワシを漁獲している<ref name="ライト&ライフ"/>。2011年(平成23年)9月、伊吹漁業協同組合による「伊吹いりこ」が[[特許庁]]の[[地域団体商標]](地域ブランド)に登録された<ref name="ライト&ライフ"/><ref name="朝日新聞20120624"/>。伊吹島の沖合で漁獲されたカタクチイワシを伊吹島で加工し、伊吹漁協が取り扱ったものだけがこのブランドで出荷される<ref name="ライト&ライフ"/>。伊吹島は「いりこ島」と呼ばれることもある<ref name="朝日新聞20210605">{{Cite news |和書|title=炙りいりこ酒 川鶴酒造 埋蔵エリア・香川県 |newspaper=朝日新聞 |date=2021-06-05 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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2018年(平成30年)時点では15統の[[網元]]が創業しており<ref name="季刊しま201809"/>、それぞれの網元がイワシ漁から加工までを一貫して担っている<ref name="朝日新聞20150620"/>。4隻一組で行うパッチ網漁は、網を引く本船2隻、魚群を探す探知船1隻、漁獲したカタクチイワシを運ぶ運搬船1隻からなる<ref name="朝日新聞20150620"/>。本船が網を投下して引き揚げ、運搬船で運んで加工場内に吸い上げると、2分半ほど釜茹でにした後、約20時間にわたって乾燥させる<ref name="朝日新聞20130613">{{Cite news |和書|title=海面キラキラ、カタクチイワシ漁 県特産『伊吹いりこ』に |newspaper=朝日新聞 |date=2013-06-13 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。カタクチイワシを鮮度が高いうちに釜茹でし、大きさに合わせて乾燥時間を調整することで、苦味の元となる脂分が少なく仕上がる。真水よりも沸点の低い海水を釜茹でに用いることで、いりこが熱湯の中で踊らずに皮がはげにくいとされる<ref name="朝日新聞20120624"/>。 |
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四国本土の[[讃岐うどん]]店やラーメン店での[[出汁]]とりなどに使われる<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO19180800U7A720C1NZ1P00/|title=香川・伊吹いりこ だし以外にも 釜飯・天ぷら 地味な滋味|newspaper=日本経済新聞 夕刊 |date=2017-07-25}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |url=https://www.shikoku-np.co.jp/dg/article.aspx?id=K2023121200000001100 |title=地元食材、給食で堪能 観音寺はいりこ尽くし 大野原小で市長も舌鼓 |newspaper=四国新聞 |date=2023-12-12|access-date=2024-01-21}}</ref>。多くの讃岐うどん店が伊吹いりこを使用しているとされる<ref name="ライト&ライフ">{{Cite web |url=https://www.yonden.co.jp/cnt_landl/2111/special.html |title=さぬき味探訪 「伊吹いりこ」と「釜揚げいりこ」「純手打うどん」 |publisher=ライト&ライフ |accessdate=2024-08-20}}</ref>。香川県西讃地域の郷土料理として、伊吹いりこを用いた[[炊き込みご飯]]の「いりこ飯」がある<ref name="ライト&ライフ"/>。 |
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<!--伊吹いりこは煮干し界の最高峰とされ、クルマなら[[ロールス・ロイス|ロールスロイス]]に匹敵する“ブランド煮干し”と言われている<ref>{{Cite news|url=https://www.gqjapan.jp/lifestyle/article/20210821-editors-bestby-recommends|title=編集部員のAmazonで買って良かったものPart.1|work=|publisher=[[GQ JAPAN]]|date=2021-08-21|accessdate=2021-09-06}}</ref>。--> |
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==== 派生商品 ==== |
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昔から伊吹島の漁師はいりこを日本酒に漬けた酒を愛飲したとされるが、2011年(平成23年)には観音寺市の[[川鶴酒造]]が「炙りいりこ酒」を開発した<ref name="朝日新聞20210605"/>。酸度が高く[[アミノ酸]]が少ない日本酒を用いることで、いりこのうまみ成分である[[イノシン酸]]と[[グルタミン酸]]の創造効果を狙ったという<ref name="朝日新聞20210605"/>。 |
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成長しすぎたカタクチイワシは脂いわしと呼ばれ、乾燥させにくいことから商品価値がないとされるが、伊吹島の漁師は[[釜揚げ]]にしてポン酢などを付けて漁師めしとして食べていた<ref name="朝日新聞20191114">{{Cite news |和書|title=新名産『釜揚げいりこ』 伊吹島、漁協と冷凍メーカー開発『脂いわし』活用 |newspaper=朝日新聞 |date=2019-11-14 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。伊吹漁協と冷凍食品メーカーのキョーワが共同開発を行い、2019年(令和元年)には釜揚げいりこの販売を本格的に開始した<ref name="朝日新聞20191114"/>。 |
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== 伊吹島方言 == |
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伊吹島方言は[[平安時代|平安]]末期の[[京都]]の[[アクセント]]を残す、全国的にも珍しいアクセントであるとされる<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20230603045355/https://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/detail/ibukijima.html |title=新鮮な伊吹いりこが有名な島(伊吹島) |access-date=2024-01-21 |publisher=[[香川県]]}}</ref>。 |
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1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて、[[神戸大学]]の学生だった妹尾修子が[[観音寺市立伊吹小学校・伊吹中学校|観音寺市立伊吹中学校]]の協力を得て調査し<ref>{{Cite journal|和書 |author=妹尾修子 |title=香川県伊吹島のアクセント |journal=国語研究 |publisher=國學院大學国語研究会 |issue=22 |date=1966-05 |pages=22-23}}</ref>、指導教官だった和田実によって学会に報告された<ref>{{Cite journal|和書 |author=和田実 |title=第一次アクセントの発見 伊吹島 |journal=国語研究 |publisher=國學院大學国語研究会 |issue=22 |date=1966-05 |pages=24-28}}</ref>。[[京阪式アクセント]]や[[讃岐式アクセント]]が、アクセント核がある拍までのピッチの変化が「高起式」「低起式」の2つの式として整理されるのに対し、伊吹島アクセント(伊吹島式アクセント)は「平進式」「下降式」「上昇式」の3つの式の区別として整理されるという特徴がある<ref>{{Cite journal|和書 |author=佐藤栄作 |title=アクセント型の許容からみる伊吹島アクセントの3式 伊吹島と観音寺の中学生の比較 |journal=早稲田日本語研究 |publisher=早稲田大学国語学会 |issue=10 |date=2002-03 |pages=11-22}}</ref>。 |
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言語学者としては[[金田一春彦]](1983年来島)、[[上野善道]](1983年来島<ref>{{Cite journal|和書 |author=上野善道 |title=伊吹島方言の複合動詞のアクセント規則 |journal=消滅に瀕した方言アクセントの緊急調査研究 |issue=1 |year=2001 |pages=3-82}}</ref>)、[[服部四郎]]<ref name="日本離島センター2019p482"/>などが伊吹島を訪れて調査している。伊吹島方言は約1200年前のアクセントを保つ事例として学界の定評を得ていたが、2001年(平成13年)には方言学者の[[山口幸洋]]と名倉仁美によって、言語外事実を考慮した上での疑問が呈された<ref>{{Cite journal|和書 |author=山口幸洋 |author2=名倉仁美 |title= |journal=國語學 |publisher=日本語学会 |volume=52 |issue=3 |pages=100-101 |date=2001-09}}</ref>。 |
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== 教育 == |
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=== 伊吹小学校・伊吹中学校 === |
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[[File:Kan'onji City Ibuki Elementary and Junior High School ac (1).jpg|thumb|観音寺市立伊吹小学校・伊吹中学校]] |
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{{main|観音寺市立伊吹小学校・伊吹中学校}} |
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1892年(明治25年)11月に伊吹小学校が創立した<ref>{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 通史編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |page=700}}</ref>。1947年(昭和22年)には伊吹小学校に併設して伊吹中学校が開校し、1952年(昭和27年)には新校地に移転した<ref>{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 通史編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=733-734}}</ref>。伊吹小学校の児童数のピークは683人を有していた1959年(昭和34年)であり、伊吹中学校の生徒数のピークは336人を有していた1962年(昭和37年)である。1968年(昭和43年)には塩水プールが完成し、水泳部は香川県大会や四国大会などで好成績を収めた<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p13"/>。 |
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2010年(平成22年)に観音寺市立伊吹小学校が観音寺市立伊吹中学校の敷地に移転し、小中併設校となった。2016年(平成28年)6月には「[[アサギマダラ]]を伊吹小中学校に呼ぼうプロジェクト」を開始させた<ref>「machiじまん 伊吹島エリア チョウが結ぶ島の絆」『四国新聞』2016年2月16日</ref>。観音寺市の小学生は伊吹島を訪れて離島について学ぶ洋上学習を行っている<ref>{{Cite newspaper |和書 |url=https://www.shikoku-np.co.jp/dg/article.aspx?id=K2024061100000000400 |title=伊吹島の魅力触れよう 観音寺の小4、洋上学習始まる |newspaper=四国新聞 |date=2024-06-11 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。洋上学習は観音寺市を代表する[[体験学習]]とされ、2023年度(令和5年度)には47回目を迎えた<ref>{{Cite web |url=https://www.city.kanonji.kagawa.jp/uploaded/attachment/33038.pdf |title=令和5年6月 観音寺市教育委員会第8回定例会会議録 |publisher=観音寺市教育委員会 |date=2023-06 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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伊吹島には高等学校がないため、伊吹島出身の高校生は伊吹観音寺航路を用いて四国本土の高校に通うか、観音寺市に下宿して四国本土の高校に通っている<ref name="日本離島センター2019p482"/>。 |
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Former Ibuki Elementary School ac.jpg|旧伊吹小学校 |
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== 交通 == |
== 交通 == |
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[[ |
[[File:Ibuki - Kan'onji Route osm.jpg|thumb|400px|伊吹観音寺航路]] |
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[[File: |
[[File:New Ibuki 2 Port of Maura ac (1).jpg|thumb|真浦港]] |
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=== 海上 === |
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=== 海上交通 === |
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観音寺港-真浦港:所要時間25分、一日5往復、[[オートバイ|バイク]]・[[自転車]]も乗船可。香川県の離島航路のなかで唯一の市営航路である。 |
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; 伊吹観音寺航路 |
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* [[観音寺港]] - 真浦港 |
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** 所要時間25分。一日5往復。[[オートバイ|バイク]]・[[自転車]]も乗船可。香川県の離島航路のなかで唯一の市営航路だったが、2021年(令和3年)10月1日には民営化されて真鍋海運が事業者となった<ref name="瀬戸内海放送20211001">{{Cite web |url=https://news.ksb.co.jp/article/14451860 |title=伊吹-観音寺航路が「民営化」 島民の航路を守る決断 香川・観音寺市 |publisher=瀬戸内海放送 |date=2021-10-01 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。これを機に一日4往復から一日5往復に増便された<ref name="瀬戸内海放送20211001"/>。 |
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==== 航路の歴史 ==== |
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明治中期頃には観音寺港と真浦港の間に貨客郵便船が就航したが、[[帆船]]だったことで欠航も多かった<ref name="観音寺市1985p395">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=395-397}}</ref>。1919年(大正8年)には初めて機械船の第一伊吹丸が就航し、1920年(大正9年)には第二伊吹丸に、1924年(大正13年)には第三伊吹丸に、1933年(昭和8年)には第五伊吹丸に更新されて大型化していった<ref name="観音寺市1985p395"/>。 |
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戦後の1950年(昭和25年)6月には乗客定員104人の第六伊吹丸が就航した。1957年(昭和32年)4月には定員120人の第十二伊吹丸が就航し、観音寺港と真浦港の便数は一日4往復となった<ref name="観音寺市1985p395"/>。1970年(昭和45年)1月には定員200人のいぶき丸が就航し、便数は一日6往復となった<ref name="観音寺市1985p395"/>。1977年(昭和52年)2月には定員300人のことひきが就航した<ref name="観音寺市1985p395"/>。 |
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New-Ibuki.jpg|観音寺港に停泊するニューいぶき |
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New Ibuki 2 ac (1).jpg|真浦港に停泊するニューいぶき2 |
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=== 道路 === |
=== 道路 === |
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伊吹島の集落内の道路は幅が狭くて急勾配であるため、住民の足として[[オートバイ]]や[[オート三輪]]が用いられていた<ref name="観音寺市1985p328"/>。2007年(平成19年)6月29日には[[観音寺市のりあいバス]]の伊吹線が運行開始した<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/administration/article.aspx?id=20070629000389 |title=のりあい自動車の運行開始 観音寺市・伊吹島 |newspaper=四国新聞 |date=2007-06-29 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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* 島内を走る[[都道府県道|県道]]:[[香川県道262号伊吹循環線]] |
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* 公共交通機関:[[観音寺市のりあいバス]]伊吹線 |
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; [[都道府県道|県道]] |
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==地域== |
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* [[香川県道262号伊吹循環線]] |
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===方言=== |
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; バス |
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全国的にも珍しい[[アクセント]]で、[[平安時代|平安]]末期の[[京都]]のアクセントを残している<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/detail/ibukijima.html |title=新鮮な伊吹いりこが有名な島(伊吹島) |access-date=2024-01-21 |publisher=[[香川県]]}}</ref>。 |
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* [[観音寺市のりあいバス]]伊吹線 |
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== 施設 == |
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[[File:Kan'onji Ibuki Post Office ac (1).jpg|thumb|観音寺伊吹郵便局]] |
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* 観音寺市伊吹支所 |
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* 観音寺伊吹郵便局 |
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* 伊吹公民館 - 1966年(昭和41年)10月竣工<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。芝居小屋の日之出座跡地に建っている<ref>{{Cite book |和書|author= |title=目で見る 中讃・西讃の100年 |publisher=郷土出版社 |year=2000 |page=132}}</ref>。 |
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* 伊吹診療所 - 1981年(昭和56年)3月25日竣工、4月20日診療開始<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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* 伊吹駐在所 |
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* 観音寺市立伊吹保育所 |
* 観音寺市立伊吹保育所 |
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* 伊吹漁村センター |
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* [[観音寺市立伊吹小学校・伊吹中学校]] - 2010年に従来の観音寺市立伊吹小学校が観音寺市立伊吹中学校の敷地に移転し、併設校となった。 |
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* 伊吹漁業協同組合 |
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* 真浦港 |
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* 観音寺市伊吹クリーンセンター |
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* 春日旅館 |
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* 旧伊吹小学校 |
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===医療=== |
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Kan'onji City Hall Ibuki Branch ac.jpg|観音寺市伊吹支所 |
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*伊吹[[診療所]] |
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Ibuki Community Center ac (1).jpg|伊吹公民館 |
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Ibuki JF ac (2).jpg|伊吹漁村センターと伊吹漁業協同組合 |
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Former Ibuki Elementary School ac.jpg|旧伊吹小学校 |
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== 名所・旧跡 == |
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===行政機関=== |
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[[File:Ibuki Island Folklore Museum ac (2).jpg|thumb|伊吹島民俗資料館]] |
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*観音寺市役所伊吹[[総合支所|支所]] |
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* [[泉蔵院 (観音寺市)|泉蔵院]] - [[真言宗大覚寺派]]の寺院。天治元年(1124年)創建と伝わる。延宝3年(1675年)には鐘楼が建てられた。本堂、観音堂、山門などの建物があり、境内の東側には天満宮がある。 |
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==観光== |
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* 西の堂 |
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*伊吹[[八幡宮|八幡神社]] |
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*滝宮神社 |
* 滝宮神社 |
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* 島四国 - 泉蔵院から西の堂まで、おもに海岸沿いにある[[四国八十八箇所]]に見立てた[[石仏]]を巡る[[島四国]]がある。毎年[[旧暦]]3月21日に行なわれる。島の人は「おしこくさん」と呼ぶ。 |
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*伊吹島民俗資料館;島の人達が作った手作りの資料館。昔の民具、漁具、写真、その他の資料が展示されている。入場無料。 |
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* [[伊吹島民俗資料館]] - 旧伊吹幼稚園の建物を用いた資料館。伊吹島の漁具・民具・文書などを保存展示しており、秋季には敷地内に[[アサギマダラ]]が飛来する<ref name="伊吹島民俗資料館">{{Cite web |url=https://kanonji-kanko.jp/ibukijima-folk-museum/ |title=伊吹島民俗資料館 |publisher=観音寺市観光協会 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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*七宝山泉蔵院 |
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* 石門 - 島の北西端の海岸にある、波の浸食作用で出来た[[天然橋|石門]]。 |
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*[[島四国]]:泉蔵院から西の堂まで、おもに海岸沿いにある[[四国八十八箇所]]に見立てた[[石仏]]を巡る。毎年[[旧暦]]3月21日に行なわれる。島の人は「おしこくさん」と呼ぶ。 |
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* 出部屋(伊吹産院)跡 - 出産した女性が新生児と生活した産室の跡地。出部屋は1970年(昭和45年)まで用いられ、1983年(昭和58年)に解体された。 |
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*[[天然橋|石門]];島の北西端の海岸にある、波の浸食作用で出来た石の門。 |
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* 金田一春彦先生の歌碑 - 1983年(昭和58年)に伊吹島を訪れた言語学者の[[金田一春彦]]の歌碑。2004年(平成16年)10月31日建立。 |
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Senzo-in Ibuki ac (2).jpg|泉蔵院 |
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Nishi-no-do Ibuki ac (1).jpg|西の堂 |
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=== 伊吹八幡神社 === |
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[[File:Ibuki Hachiman-jinja ac (1).jpg|thumb|伊吹八幡神社]] |
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*[[瀬戸内国際芸術祭]] |
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{{main|伊吹八幡神社 (観音寺市)}} |
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伊吹八幡神社は伊吹島の[[氏神]]である。祭神は[[応神天皇]]、[[神功皇后]]、[[タマヨリビメ (日向神話)|玉依姫命]]<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38">{{Cite book |和書|author= |title=伊吹島民俗資料館だより |publisher=伊吹島民俗資料館運営委員会 |year=2004 |pages=38-41}}</ref>。10月第1土曜・日曜には秋祭りが行われ、チョウサと呼ばれる[[太鼓台]]が登場する<ref>{{Cite book |和書|author= |title=香川県の祭り・行事 |publisher=香川県教育委員会 |year=2008}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.pref.kagawa.lg.jp/kmuseum/setorekishi/maturi-gyouji-minnzokugeinou/ibukihatimannjinnjyanoakimaturi.html |title=伊吹八幡神社の秋祭(観音寺市) |publisher=香川県 |accessdate=2024-08-20}}</ref>。 |
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==脚注== |
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{{reflist}} |
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天治元年(1124年)3月15日に[[琴弾八幡宮]]から[[勧請]]されたと伝わる<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38"/>。天正15年(1587年)には三好義兼が大小2枚の鏡を献納した<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38"/>。慶長12年(1607年)には社殿が焼失したが、慶長年間には再興されて御神体の開眼供養が行われた<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。延宝3年(1675年)にも再建された<ref name="香川民俗学会1991p7"/>。 |
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==外部リンク== |
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{{commonscat|Ibukijima}} |
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*[https://www.city.kanonji.kagawa.jp/ 観音寺市ホームページ] |
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随神門は元禄15年(1702年)8月に建立され、1882年(明治15年)に再建されると、1968年(昭和43年)に修復された<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38"/>。1921年(大正10年)に拝殿が改築され、それまでの拝殿は絵馬堂(後に神楽殿)となった<ref name="伊吹島民俗資料館運営委員会2004p38"/>。 |
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Ibuki Hachiman-jinja ac (2).jpg|随神門 |
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Ibuki Hachiman-jinja ac (3).jpg|鳥居 |
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Ibuki Hachiman-jinja ac (5).jpg|社務所 |
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== 出身者 == |
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* [[萬屋金兵衛]] - 網元。文化・文政年間(1804年~1830年)に私財を投じて真浦港の原型を築いた<ref>{{Cite book |和書|author=四国新聞社 |title=港・みなと町 東瀬戸内海74港の探訪 |publisher=丸山学芸図書 |year=1984 |page=194}}</ref><ref name="観音寺市1985p919">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |page=919}}</ref>。1777年生、1854年没<ref name="観音寺市1985p167">{{Cite book |和書|author= |title=観音寺市誌 資料編 増補改訂版 |publisher=観音寺市 |year=1985 |pages=167-169}}</ref>。 |
|||
* [[伊瀬峰治]] - 漁師、伊吹漁業組合長。香川県会議員。1894年生、1971年没<ref name="観音寺市1985p167"/>。 |
|||
* [[三好文司]] - 網元。観音寺町会議員・伊吹村長。春日旅館近くには石碑「三好文司翁之碑」がある。1898年生、1961年没<ref name="観音寺市1985p167"/>。 |
|||
* [[伊瀬芳吉]] - 実業家。[[ダイハツ工業]]社長。1905年生。2000年没。 |
|||
* [[川端喜久治]] - 漁師、伊吹漁業組合長。観音寺市議会議長。観音寺市立伊吹小・中学校近くには銅像「川端喜久治翁像」がある。1912年生、1982年没<ref name="観音寺市1985p167"/>。 |
|||
* [[伊瀬仙太郎]] - 東洋史学者<ref>{{Cite journal|和書 |author=大川富士夫 |title=伊瀬仙太郎先生を送る |journal=立正大学文学部論叢 |issue=79 |year=1984 ||pages=3-6}}</ref>。[[東京学芸大学]]名誉教授。1913年生。1999年没。 |
|||
* [[吉田重義]] - ボートレーサー<ref name="日本離島センター2019p482"/>。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* 『伊吹島の民俗』香川民俗学会、1991年 |
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* 『伊吹島民俗資料館だより』伊吹島民俗資料館運営委員会、2004年 |
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* 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年 |
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* 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 香川県』角川書店、1985年 |
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== 外部リンク == |
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* [https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/21/23191.html 伊吹島] 観音寺市 |
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2024年8月26日 (月) 02:52時点における最新版
伊吹島 | |
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伊吹島全体の航空写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 | |
所在地 | 日本 香川県観音寺市 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
座標 | 北緯34度7分50.5秒 東経133度31分58.4秒 / 北緯34.130694度 東経133.532889度 |
面積 | 1.09[1] km² |
海岸線長 | 5.5[1] km |
最高標高 | 121.51 m |
プロジェクト 地形 |
伊吹島(いぶきじま)は、香川県観音寺市に属する島。瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に浮かぶ[1]。「伊吹いりこ」(カタクチイワシの煮干し)の産地として知られる。
面積は1.09km2、周囲長は5.5km[1][2]。四国本土の観音寺港の西10kmに位置し[3]、有人島としては香川県の最西端にある。2020年(令和2年)の国勢調査による人口は323人。
名称
[編集]弘法大師が材木を引き揚げて薬師像を彫ったという伝承があり、この材木を意味する「異木」が「伊吹」に転訛したとされる[1][2]。また、近くの海底に泡が噴き出ている場所があり、この場所を意味する「息吹」が転訛したという説もある[1][2]。
地理
[編集]地質的には海底火山の噴火に伴う安山岩など(瀬戸内火山岩類)によって構成され[4]、北浦安山岩層と滝宮安山岩層の2部層からなる[5]。
伊吹島の周囲は険しい断崖となっている場所が多い[4]。中央部は緩やかな台地状になっており[3]、人家は鞍部となっている島の中心部に集中している[4]。伊吹島では小規模な畑作が営まれているが、水田による稲作は不可能とされている[3]。
南岸の真浦港から観音寺港に向かう定期船が運航されている。電気と上水道はいずれも本土より海底ケーブルによって供給されている。伊吹島には合田姓と三好姓が多い[1]。
- 港湾
- 真浦港(南岸)
- 北浦港(北岸)
- 属島
-
真浦港周辺
-
港と集落を結ぶ急坂
-
伊吹島中央部の集落
-
道の駅とよはまから見た伊吹島
人口の変遷
[編集]1872年(明治5年) | 1075人 | ||
1891年(明治24年) | 1490人 | ||
1902年(明治35年) | 1868人 | ||
1913年(大正2年) | 2339人 | ||
1922年(大正11年) | 2775人 | ||
1940年(昭和15年) | 3406人 | ||
1950年(昭和25年) | 4325人 | ||
1960年(昭和35年) | 3864人 | ||
1970年(昭和45年) | 2340人 | ||
1980年(昭和55年) | 1827人 | ||
1990年(平成2年) | 1366人 | ||
2000年(平成12年) | 1020人 | ||
2010年(平成22年) | 712人 | ||
2020年(令和2年) | 323人 |
歴史
[編集]先史時代
[編集]伊吹島の中央部には旧石器時代から古墳時代にかけての複合遺跡があり[3]、旧石器時代のナイフ形石器や細石刃、縄文時代最晩期の突帯文のある土器の破片、弥生時代の高杯首飾土器の破片、古墳時代の須恵器や高杯却部土器の破片などが出土している[6]。この複合遺跡は集落跡ではなく祭祀遺跡だったことが示唆されている[3]。観音寺市における旧石器時代の遺跡は伊吹島のみである[3]。
古代
[編集]大宝3年(703年)、豊後国宇佐から琴弾山を訪れた船が気噴島(伊吹島)に船を繋いだ記録がある[6]。
中世
[編集]天治元年(1124年)には観音寺の琴弾八幡宮から勧請されて伊吹八幡神社が創建され、世観を開山として泉蔵坊が、満璋を開山として海蔵坊が創建されたとされる[7]。平安時代末期から鎌倉時代初期には石清水八幡宮領だった[1]。建長8年(1256年)には日吉社領となった。
近世
[編集]天正元年(1573年)、三好義継の子である三好義兼と三好義茂の兄弟は、伊吹島に隠住して勢力を拡大させた[2]。慶長年間(1596年~1614年)には三好義継の三男である三好正治が白旗網の漁法を始めた[6]。三好家は伊吹島に京風の文化を広めたとされ、やがて子孫が庄屋を務めるようになった[2]。
江戸時代の伊吹島は讃岐国豊田郡伊吹島村だった[1]。当初は生駒氏領だったが、寛永18年に丸亀藩(山崎氏)領、万治元年に丸亀藩(京極氏)領と代わった[1]。
文化5年(1808年)9月10日には伊能忠敬測量隊が三豊郡和田浜から伊吹島に渡り、伊吹島や大股島などの測量を行った上で泉蔵院を宿とした[8]。安政5年(1858年)頃からは股島の開拓が行われた[6]。文化・文政年間(1804年~1830年)、有力者の萬屋金兵衛は独力で、真浦港における最初の防波堤とされる27mの東波止を築いた[9]。このことが発端となり、慶応2年(1866年)には81mの東波止と82mの西波止が築造され、今日の真浦港の原型が築かれた[6]。幕末頃には打瀬網漁が始まった[1]。
近代
[編集]1871年(明治4年)には丸亀県の所属、同年には香川県の所属、1873年(明治6年)には名東県の所属、1875年(明治8年)には再び香川県の所属、1876年(明治9年)には愛媛県の所属と変遷したが、1888年(明治21年)に香川県の所属で落ち着いた[1]。
1890年(明治23年)2月15日には豊田郡觀音寺町が発足し、伊吹島は觀音寺町大字伊吹となって出張所が置かれた[6]。1899年(明治32年)3月16日には新たに三豊郡が発足し、觀音寺町は三豊郡の自治体となった[6]。1902年(明治35年)11月には伊吹島漁業組合が設立された[6]。1914年(大正3年)には第一等伊吹丸が進水し、伊吹島にも動力船が導入された[6]。
1918年(大正7年)4月には日之出館が上方歌舞伎を招いてこけら落しを行った[10]。日之出館は廻り舞台や花道を有する芝居小屋であり、芝居・浪曲・映画の興行が行われたほか、青年会の会合や小学校の学芸会も行われた[10]。
真浦港近くに小規模な発電所が建てられ、1924年(大正13年)9月には伊吹島に電灯が灯った[11]。四国の離島としては最も早く電灯が灯った島とされる[11]。1934年(昭和9年)12月28日には円上島の球状ノーライトが国指定天然記念物に指定された[12]。
大正初期に内海漁業が行き詰まると、長崎県の五島列島や朝鮮半島沿海に遠征して鯖網漁が行われ、やがて漁獲の主体がサバからイワシに移っていった[1]。1924年(大正13年)4月中旬には浦項寺家と呼ばれる海難事故が起こり、朝鮮に出漁中の60人が死亡したことで、伊吹島では約10戸が再起不能となった[6]。この事故の後には帝国水難救済会伊吹支所が設置されている[6]。
1934年(昭和9年)9月21日には室戸台風によって北浦の避難港が竣工式の前日に全壊したが、1936年(昭和11年)には再度の工事によって防波堤が竣工した[6]。伊吹島の網元は朝鮮に根拠地となる漁業基地を持っていたが、太平洋戦争終戦によって朝鮮における資産を失った[1]。
現代
[編集]1945年(昭和20年)9月17日には枕崎台風によって真浦港が全壊し、真浦港に停泊していた漁船230隻の大半が破損した[6]。小学校の2階建校舎1棟が全壊して1棟が半壊したほか、島内の民家も甚大な被害を受けた[6]。
三豊郡觀音寺町において伊吹島は発言力が弱く、不公平な税負担を強いられたり行政サービスの還元が少なかったことから[2]、1949年(昭和24年)1月1日、三豊郡觀音寺町大字伊吹が伊吹村として分離された[1]。終戦直後には都市部の食糧難や朝鮮からの引き揚げによって人口が増加し[2]、1950年(昭和25年)には人口がピークの4325人に達した。1950年(昭和25年)には発電所を四国電力から買収して村営とし、点灯時間は日没から23時にまで拡大した[1]。1952年(昭和27年)4月、漁協が伊吹漁業協同組合に改称した[6]。
財政面の厳しさを理由として、昭和の大合併の1956年(昭和31年)9月30日には伊吹村が観音寺市に編入されて観音寺市に伊吹町が設置された[1]。同日に伊吹村は廃止された[1]。1957年(昭和32年)には離島振興法の適用地に指定され、1959年(昭和34年)には離島振興計画によって農山漁村電気導入促進法の適用を受けた[6][11]。
1960年(昭和35年)には日本の映画館数がピークを迎えたが、この頃の伊吹島には映画館として日之出館と伊吹映画劇場の2館があった[13]。1967年(昭和42年)には海底ケーブルによる送電が開始され、24時間の点灯が可能となった[1][11]。
伊吹島には湧水・地下水や河川がないことから、生活用水は長らく雨水に依存していた[1]。1973年(昭和48年)には観音寺市営の給水船ひうちが本土からの上水道の送水を開始し、その後簡易水道が設置された[1]。1984年(昭和59年)には海底パイプによる上水道の送水が開始された[1]。
2002年(平成14年)の住民基本台帳人口は987人となって1000人を下回った[14]。実際の居住者数は住民基本台帳人口よりも少ないとされる[14]。2014年度(平成26年度)の来島者数は約11,000人だった[15]。
2013年(平成25年)夏、初めて伊吹島が瀬戸内国際芸術祭(夏会期)の会場となった[16]。2016年(平成28年)秋には初めて秋会期の会場となった[17]。瀬戸内国際芸術祭の期間中には定期船の増便も行われている[18]。
産業
[編集]漁業と水産加工業が伊吹島の主産業である。カタクチイワシの煮干しである「伊吹いりこ」の産地として知られる。
伊吹いりこ
[編集]歴史
[編集]伊吹島でいりこの製造が始まったのは幕末の文久2年(1862年)であるとされ[19]。明治時代には10軒ほどがいりこを製造していた[20]。1967年(昭和42年)には海底ケーブルによる送電が開始されたことで、1970年代には機械化が進んでいりこの製造量が急増し、ピークの1985年(昭和60年)には製造量が年間4000トンを超えた[19]。1988年(昭和63年)には売上高が約44億円に達し、伊吹島だけで九州全体の煮干しの売上高を上回った上に[20]、網元1軒あたりの売上高は2億円を超えていた[14]。
1993年(平成5年)頃からの不漁を機に資源調査や管理に着手し、6月から9月までの漁期の間にも休漁日を設けている[20]。2008年(平成20年)の調査において、香川県は都道府県別の煮干し生産量で全国第6位であり、香川県全体の約80%を伊吹島が占めていた[21]。2011年(平成23年)の製造量は約1500トンだった[19]。2010年代には売上高が10億円前後で推移し[20]、漁獲量が低迷した2014年(平成26年)の売上高は約6億円だった[22]。
特色
[編集]伊吹島のカタクチイワシ漁は6月中旬に始まり、9月初旬に終了する[23]。2020年代時点では15軒の網元がパッチ網漁(イワシ機船船びき網漁業)によってカタクチイワシを漁獲している[23]。2011年(平成23年)9月、伊吹漁業協同組合による「伊吹いりこ」が特許庁の地域団体商標(地域ブランド)に登録された[23][19]。伊吹島の沖合で漁獲されたカタクチイワシを伊吹島で加工し、伊吹漁協が取り扱ったものだけがこのブランドで出荷される[23]。伊吹島は「いりこ島」と呼ばれることもある[24]。
2018年(平成30年)時点では15統の網元が創業しており[20]、それぞれの網元がイワシ漁から加工までを一貫して担っている[22]。4隻一組で行うパッチ網漁は、網を引く本船2隻、魚群を探す探知船1隻、漁獲したカタクチイワシを運ぶ運搬船1隻からなる[22]。本船が網を投下して引き揚げ、運搬船で運んで加工場内に吸い上げると、2分半ほど釜茹でにした後、約20時間にわたって乾燥させる[25]。カタクチイワシを鮮度が高いうちに釜茹でし、大きさに合わせて乾燥時間を調整することで、苦味の元となる脂分が少なく仕上がる。真水よりも沸点の低い海水を釜茹でに用いることで、いりこが熱湯の中で踊らずに皮がはげにくいとされる[19]。
四国本土の讃岐うどん店やラーメン店での出汁とりなどに使われる[26][27]。多くの讃岐うどん店が伊吹いりこを使用しているとされる[23]。香川県西讃地域の郷土料理として、伊吹いりこを用いた炊き込みご飯の「いりこ飯」がある[23]。
派生商品
[編集]昔から伊吹島の漁師はいりこを日本酒に漬けた酒を愛飲したとされるが、2011年(平成23年)には観音寺市の川鶴酒造が「炙りいりこ酒」を開発した[24]。酸度が高くアミノ酸が少ない日本酒を用いることで、いりこのうまみ成分であるイノシン酸とグルタミン酸の創造効果を狙ったという[24]。
成長しすぎたカタクチイワシは脂いわしと呼ばれ、乾燥させにくいことから商品価値がないとされるが、伊吹島の漁師は釜揚げにしてポン酢などを付けて漁師めしとして食べていた[28]。伊吹漁協と冷凍食品メーカーのキョーワが共同開発を行い、2019年(令和元年)には釜揚げいりこの販売を本格的に開始した[28]。
伊吹島方言
[編集]伊吹島方言は平安末期の京都のアクセントを残す、全国的にも珍しいアクセントであるとされる[29]。
1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて、神戸大学の学生だった妹尾修子が観音寺市立伊吹中学校の協力を得て調査し[30]、指導教官だった和田実によって学会に報告された[31]。京阪式アクセントや讃岐式アクセントが、アクセント核がある拍までのピッチの変化が「高起式」「低起式」の2つの式として整理されるのに対し、伊吹島アクセント(伊吹島式アクセント)は「平進式」「下降式」「上昇式」の3つの式の区別として整理されるという特徴がある[32]。
言語学者としては金田一春彦(1983年来島)、上野善道(1983年来島[33])、服部四郎[15]などが伊吹島を訪れて調査している。伊吹島方言は約1200年前のアクセントを保つ事例として学界の定評を得ていたが、2001年(平成13年)には方言学者の山口幸洋と名倉仁美によって、言語外事実を考慮した上での疑問が呈された[34]。
教育
[編集]伊吹小学校・伊吹中学校
[編集]1892年(明治25年)11月に伊吹小学校が創立した[35]。1947年(昭和22年)には伊吹小学校に併設して伊吹中学校が開校し、1952年(昭和27年)には新校地に移転した[36]。伊吹小学校の児童数のピークは683人を有していた1959年(昭和34年)であり、伊吹中学校の生徒数のピークは336人を有していた1962年(昭和37年)である。1968年(昭和43年)には塩水プールが完成し、水泳部は香川県大会や四国大会などで好成績を収めた[11]。
2010年(平成22年)に観音寺市立伊吹小学校が観音寺市立伊吹中学校の敷地に移転し、小中併設校となった。2016年(平成28年)6月には「アサギマダラを伊吹小中学校に呼ぼうプロジェクト」を開始させた[37]。観音寺市の小学生は伊吹島を訪れて離島について学ぶ洋上学習を行っている[38]。洋上学習は観音寺市を代表する体験学習とされ、2023年度(令和5年度)には47回目を迎えた[39]。
伊吹島には高等学校がないため、伊吹島出身の高校生は伊吹観音寺航路を用いて四国本土の高校に通うか、観音寺市に下宿して四国本土の高校に通っている[15]。
-
旧伊吹小学校
交通
[編集]海上交通
[編集]- 伊吹観音寺航路
- 観音寺港 - 真浦港
航路の歴史
[編集]明治中期頃には観音寺港と真浦港の間に貨客郵便船が就航したが、帆船だったことで欠航も多かった[41]。1919年(大正8年)には初めて機械船の第一伊吹丸が就航し、1920年(大正9年)には第二伊吹丸に、1924年(大正13年)には第三伊吹丸に、1933年(昭和8年)には第五伊吹丸に更新されて大型化していった[41]。
戦後の1950年(昭和25年)6月には乗客定員104人の第六伊吹丸が就航した。1957年(昭和32年)4月には定員120人の第十二伊吹丸が就航し、観音寺港と真浦港の便数は一日4往復となった[41]。1970年(昭和45年)1月には定員200人のいぶき丸が就航し、便数は一日6往復となった[41]。1977年(昭和52年)2月には定員300人のことひきが就航した[41]。
-
観音寺港に停泊するニューいぶき
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真浦港に停泊するニューいぶき2
道路
[編集]伊吹島の集落内の道路は幅が狭くて急勾配であるため、住民の足としてオートバイやオート三輪が用いられていた[2]。2007年(平成19年)6月29日には観音寺市のりあいバスの伊吹線が運行開始した[42]。
- バス
- 観音寺市のりあいバス伊吹線
施設
[編集]- 観音寺市伊吹支所
- 観音寺伊吹郵便局
- 伊吹公民館 - 1966年(昭和41年)10月竣工[6]。芝居小屋の日之出座跡地に建っている[43]。
- 伊吹診療所 - 1981年(昭和56年)3月25日竣工、4月20日診療開始[6]。
- 伊吹駐在所
- 観音寺市立伊吹保育所
- 伊吹漁村センター
- 伊吹漁業協同組合
- 真浦港
- 観音寺市伊吹クリーンセンター
- 春日旅館
- 旧伊吹小学校
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観音寺市伊吹支所
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伊吹公民館
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伊吹漁村センターと伊吹漁業協同組合
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旧伊吹小学校
名所・旧跡
[編集]- 泉蔵院 - 真言宗大覚寺派の寺院。天治元年(1124年)創建と伝わる。延宝3年(1675年)には鐘楼が建てられた。本堂、観音堂、山門などの建物があり、境内の東側には天満宮がある。
- 西の堂
- 滝宮神社
- 島四国 - 泉蔵院から西の堂まで、おもに海岸沿いにある四国八十八箇所に見立てた石仏を巡る島四国がある。毎年旧暦3月21日に行なわれる。島の人は「おしこくさん」と呼ぶ。
- 伊吹島民俗資料館 - 旧伊吹幼稚園の建物を用いた資料館。伊吹島の漁具・民具・文書などを保存展示しており、秋季には敷地内にアサギマダラが飛来する[44]。
- 石門 - 島の北西端の海岸にある、波の浸食作用で出来た石門。
- 出部屋(伊吹産院)跡 - 出産した女性が新生児と生活した産室の跡地。出部屋は1970年(昭和45年)まで用いられ、1983年(昭和58年)に解体された。
- 金田一春彦先生の歌碑 - 1983年(昭和58年)に伊吹島を訪れた言語学者の金田一春彦の歌碑。2004年(平成16年)10月31日建立。
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泉蔵院
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西の堂
伊吹八幡神社
[編集]伊吹八幡神社は伊吹島の氏神である。祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命[7]。10月第1土曜・日曜には秋祭りが行われ、チョウサと呼ばれる太鼓台が登場する[45][46]。
天治元年(1124年)3月15日に琴弾八幡宮から勧請されたと伝わる[7]。天正15年(1587年)には三好義兼が大小2枚の鏡を献納した[7]。慶長12年(1607年)には社殿が焼失したが、慶長年間には再興されて御神体の開眼供養が行われた[6]。延宝3年(1675年)にも再建された[6]。
随神門は元禄15年(1702年)8月に建立され、1882年(明治15年)に再建されると、1968年(昭和43年)に修復された[7]。1921年(大正10年)に拝殿が改築され、それまでの拝殿は絵馬堂(後に神楽殿)となった[7]。
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随神門
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鳥居
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社務所
出身者
[編集]- 萬屋金兵衛 - 網元。文化・文政年間(1804年~1830年)に私財を投じて真浦港の原型を築いた[47][48]。1777年生、1854年没[49]。
- 伊瀬峰治 - 漁師、伊吹漁業組合長。香川県会議員。1894年生、1971年没[49]。
- 三好文司 - 網元。観音寺町会議員・伊吹村長。春日旅館近くには石碑「三好文司翁之碑」がある。1898年生、1961年没[49]。
- 伊瀬芳吉 - 実業家。ダイハツ工業社長。1905年生。2000年没。
- 川端喜久治 - 漁師、伊吹漁業組合長。観音寺市議会議長。観音寺市立伊吹小・中学校近くには銅像「川端喜久治翁像」がある。1912年生、1982年没[49]。
- 伊瀬仙太郎 - 東洋史学者[50]。東京学芸大学名誉教授。1913年生。1999年没。
- 吉田重義 - ボートレーサー[15]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 香川県』角川書店、1985年、118-120頁。
- ^ a b c d e f g h 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年、328-330頁。
- ^ a b c d e f 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年、15-16頁。
- ^ a b c 「アートが加わる『いりこの島』 伊吹島 香川県観音寺市」『中国新聞』2023年5月28日。2024年8月20日閲覧。
- ^ 川畑博「香川県伊吹島に分布する瀬戸内火山岩の産状」『日本地質学会学術大会講演要旨 2012』2012年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『伊吹島の民俗』香川民俗学会、1991年、p.7-14
- ^ a b c d e f 『伊吹島民俗資料館だより』伊吹島民俗資料館運営委員会、2004年、38-41頁。
- ^ 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年、275頁。
- ^ 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年、397-399頁。
- ^ a b 『伊吹島民俗資料館だより』伊吹島民俗資料館運営委員会、2004年、41-43頁。
- ^ a b c d e 『伊吹島民俗資料館だより』伊吹島民俗資料館運営委員会、2004年、13-16頁。
- ^ “円上島の球状ノーライト”. 文化遺産オンライン. 2024年8月20日閲覧。
- ^ 『映画便覧 1960』時事通信社、1960年、248頁。
- ^ a b c 齋藤潤「瀬戸内海の今を歩く 第十景 伊吹島 イリコを中心に回る島」『季刊しま』、日本離島センター、2002年6月、28-35頁。
- ^ a b c d 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、2019年、482-485頁。
- ^ “伊吹島で「島四国」が開催されました。”. ART SETOUCHI (2012年5月11日). 2024年8月20日閲覧。
- ^ 「瀬戸内国際芸術祭2016 アート熟す、秋到来 11島と2港に186作品」『朝日新聞』2016年10月9日。2024年8月20日閲覧。
- ^ 「瀬戸内国際芸術祭2016 伊吹の幸、ぎっしりお弁当『うららの玉手箱』」『朝日新聞』2016年10月6日。2024年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e 「熱血うどん旅 20 イリコを追って 湯気立ちこめる加工場へ 即釜茹で」『朝日新聞』2012年6月24日。2024年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e 「熬鰯が支える醇風の島」『季刊しま』、日本離島センター、2018年9月、3-10頁。
- ^ 「『伊吹いりこ』に悩みの種『肥満イワシ』県が対策 ダイエット予算計上」『朝日新聞』2011年5月9日。2024年8月20日閲覧。
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参考文献
[編集]- 『伊吹島の民俗』香川民俗学会、1991年
- 『伊吹島民俗資料館だより』伊吹島民俗資料館運営委員会、2004年
- 『観音寺市誌 資料編 増補改訂版』観音寺市、1985年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 香川県』角川書店、1985年
外部リンク
[編集]- 伊吹島 観音寺市