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服部尚貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
服部 尚貴
2008年スーパーGT第3戦富士(解説者として)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県四日市市
生年月日 (1966-06-13) 1966年6月13日(58歳)
F1での経歴
活動時期 1991
所属チーム '91 コローニ
出走回数 2(0スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1991年日本GP
初勝利
最終勝利
最終戦 1991年オーストラリアGP
テンプレートを表示

服部 尚貴(はっとり なおき、Naoki Hattori1966年6月13日 - )は、三重県四日市市出身のレーシングドライバー。2017年現在、スパ・フランコルシャン24時間レースで総合優勝した経験を持つ唯一の日本人ドライバーである。

プロフィール

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デビュー

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高校時代にカートの草レースに出場[1]。1985年にスターレットダートトライアルに出場し、初レースで優勝する。翌1986年にフォーミュラカテゴリーのFJ1600へ参戦。1987年に鈴鹿FJ1600シリーズチャンピオンを獲得する。

F3

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1988年から全日本F3選手権にステップアップ。F3での二年目となる1989年無限・MF204エンジン勢が優勢の中、服部は第6戦・筑波フォルクスワーゲンエンジンで1勝を挙げランキング4位と健闘。1990年に無限エンジンを得ると、10戦中7度の表彰台獲得、シーズン3勝を挙げる安定した強さを見せシリーズチャンピオンを獲得。前述の通りデビューがダートトライアルであるが、その後フォーミュラカーのトップレーサーまで到達した稀な例となった。

F3000/F1

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1991年には国内トップカテゴリーである全日本F3000選手権にステップアップ。また同年秋にF1日本GPオーストラリアGPコローニからスポット参戦したが、2戦とも予備予選不通過に終わる。

日本GPでは、予備予選前の早朝に雨が降ったため所々に水たまりが残っており、S字先の左高速コーナーであるダンロップコーナー(ターン7)でハーフスピンしイン側ガードレールに接触したためフロント部を破損、デグナー入口のグラベルゾーンまで走ってストップしたが、その際に悔しさを抑えられず、マシンを降りる際に外したステアリングを車体に強く叩きつけた行動がTVカメラに映っていたため、その場面を目撃した中嶋悟から「仕事道具をあんな扱いにする者は大成しない」、「何があってもクルマに感情をぶつけてはいけない。」と苦言を呈された。服部自身は予選終了後のインタビューで「自分の経験不足が全てですね。まだ濡れてるところがあったんですけど、コントロールしきれなかった。」と述べた。オーストラリアGP後には現地で津川哲夫によるインタビューに答えて、「アデレードの市街地コースは面白かったです。まだ全然攻めていく途中の段階で、車がどう動くのかな?という感じで終わってしまいました。結果は出なかったけど自分にプラスの経験を得られたので、これを活かして全日本F3000タイトルを取りたい。3000で結果を出して近い将来F1に戻って来たいですね。」とコメントした。

2008年F1日本GPでのトークショーにおいて、「最初はコローニから『いくらいくら出せばウチで走らせてあげるよ』と持ちかけられたが、個人交渉をして交通費からギャランティまで出させた。日本人ドライバーで持参金無しでF1乗ったのは自分が初めてだと思う」という旨の発言をしている。

この1991年以後は、1995年秋にパシフィックGP(TI英田)日本GP(鈴鹿)の日本開催2連戦の変則カレンダー[2]だったこともありスポット出場を模索するも交渉不調に終わる[3]など、F1に乗る機会が訪れなかったが、1996年童夢F1プロジェクトのテストドライブを担当し鈴鹿で童夢・F105を、同年の12月にはカーグラフィック誌の企画でフェラーリ・412T2TIサーキット英田にてテストドライブしている。

フォーミュラ・ニッポン/CART

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全日本F3000から発展した全日本選手権フォーミュラ・ニッポンには1996年のシリーズ発足時より参戦し、1996年シーズンではチームメイトのラルフ・シューマッハ、この年がフォーミュラカーラストイヤーとなった星野一義らと最終戦までチャンピオン闘いを繰り広げ、シリーズ2位となった。

1997年と1998年はCARTのステップアップカテゴリーであるインディ・ライツに参戦し、1999年にはCARTにステップアップしたが、開幕戦のマイアミにおいてアル・アンサーJr.と接触してクラッシュし、左踝の上と膝の下を複雑骨折した事[4]により中盤の多くのレースを棒に振ったことが影響し、翌2000年シーズンから日本に復帰。フォーミュラ・ニッポンを再び主戦場とした。

2000年から2002年まではTEAM 5ZIGENから、2003年から2005年はDoCoMo DANDELIONから参戦した。2001年シリーズには開幕4戦で3勝を挙げ、シリーズ2位となった。その後2005年をもってフォーミュラ・ニッポンから引退した。

全日本GT選手権/SUPER GT

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一方で全日本GT選手権/SUPER GTでは、1994年にムーンクラフト日産・シルビアでGT-1クラス(現GT500クラス)に参戦しているほか、1996年にはGT500クラスでチーム・ラークマクラーレンチーム郷)よりラルフ・シューマッハとのコンビでマクラーレン・F1 GTRをドライブし、シリーズ2位を獲得した。

その後前述のアメリカンフォーミュラ参戦のため、3年間のブランクが空くが、2000年の国内復帰の際にムーンクラフトがメンテナンスをしていた縁でチーム国光の「RAYBRIG NSX」で、高橋国光引退後のシートを射止め、シリーズに復帰する。2001年に免停処分で出場ができなかった星野一義の代役としてホシノレーシングに一時的に加入。その後プライベートチームの一ツ山レーシングに所属した後、2003年に今度はトヨタ系チームのKRAFTに移籍した。そこでダンロップワークスのドライバーとして活動。2006年シーズンから投入された新型のレクサス・SC430で、第3戦の富士スピードウェイにおいて優勝を果たした。これは、1996年最終戦美祢以来の優勝であった(ダンロップにとっても、1997年最終戦以来の勝利)。その後2度表彰台に上がりシリーズ9位となったものの、翌2007年にチーム、マシン共に大不振に陥り、同じダンロップタイヤを履くナカジマレーシングのNSXが1勝を含む3度の表彰台を記録しランキング2位を記録したのとは対照的に、シーズン中盤まで最新型マシンを手にできず、また新型投入後も熟成が進まず、入賞回数こそ9戦中5回を記録したものの最高位は6位に止まり、この年を以てSUPER GTから引退した。

結果としてGTでは自動車メーカーのワークスドライバーではなく、タイヤメーカーのワークスドライバーとして活動したことや、多くのレース関係者との人脈があったため、トヨタ・レクサス、ニッサン、ホンダの3ワークス全てでドライブした、数少ないドライバーの1人である。

現在

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2006年には、フォーミュラ・ニッポンのDoCoMo DANDELIONのオペレーティングディレクターに就任。2007年は本山哲の強い誘いにより、「Arabian Oasis Team IMPUL」に移籍しチーム監督に就任した。2008年は本山がTeam LeMansに移籍するのに伴い、服部もTeam LeMansの監督代行となっている。

また2008年からは、SUPER GTの「ドライビングスタンダードオブザーバー」に就任し、レース中のアクシデント(マシン同士の接触等)があった際にペナルティ等の判断を下し、シリーズに新規参戦するドライバーに課せられるルーキーテストの審査を行っている(2010年からは岡田秀樹との2人体制)。

若手ドライバーの育成カテゴリーであるフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)においても、FCJのタイヤがダンロップのワンメイクである関係から、コントロールタイヤの選定や、シャシーに著しい個体差があると思われる場合にその性能差を実際に乗り比べて確認するなど、2006年のカテゴリー発足時から2013年の終了時までシリーズ全体のアドバイザーを務めた。また2024年現在はFIA-F4選手権のプロジェクトリーダーとして、同シリーズの運営責任者を務めている。

このほか2005年よりレプリスポーツと提携して「Team Naoki」を発足させ、FJ1600・スーパーFJ・FCJ等の育成カテゴリーに若手ドライバーを参戦させる活動も行っている(奇しくも3カテゴリーとも、2009年までタイヤがダンロップのワンメイクであった)。

2005年より、ダンロップのテレビCMにD1ドライバーの野村謙と共に出演している。ホットバージョンに出演していた際には土屋圭市清水和夫からは「ハンゾー」、他のドライバーからは「はっちゃん」などと呼ばれている。

その後もGAZOO Racing 86/BRZ raceスーパー耐久に参戦し、2015年にはST-4クラスで埼玉トヨペットからエントリーしトヨタ・86でクラスタイトルを獲得した[5]

ヘルメット

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愛用のヘルメットには、1990年全日本F3000のテスト中のクラッシュにより死去したF3同期デビューの親友・村松栄紀の名前(「EIKI LIVES」)が刻まれている。Team Naokiに所属していた石浦宏明は自らのデザインに服部と同じ黄色と青のヘルメットであり、同じくTeam Naokiに所属していた吉田広樹も服部に近いデザインのヘルメットである。

レース戦績

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  • 1986年 - FJ1600鈴鹿選手権
  • 1987年 - 鈴鹿、筑波FJ-1600B(#73 ウエスト86J)(シリーズチャンピオン)
  • 1988年 - 全日本F3選手権(#70 PERFE'S COX RT31/ラルトRT-31 GX)(シリーズ9位)
  • 1989年 - 全日本F3選手権(#98 浅田飴クール RT33 VW/ラルトRT-33 GX)(シリーズ4位・1勝)
  • 1990年
    • 全日本F3選手権(#5 カワイスチールLG COXRT/ラルト RT34 MF204)(シリーズチャンピオン・3勝)
    • 全日本ツーリングカー選手権(#15 PIAA CIVIC→#14 JACCS-CIVIC/EF9)
    • 日本グランプリ記念レース F3 Panasonic スーパーカップレース(#5 カワイスチールLG COXRT/ラルト RT33 MF204)(決勝5位・ファステストラップ
  • 1991年
  • 1992年
    • 全日本F3000選手権(#98 TOSTEM LOLA T91/ローラT91-50 MF308)(シリーズ5位)
    • 全日本ツーリングカー選手権・クラス3(#14 JACCS-CIVIC/EF9)(シリーズ2位)
  • 1993年
    • 全日本F3000選手権(#98 TOSTEM LOLA T92/ローラT92-50 MF308)
    • 全日本ツーリングカー選手権・クラス3(#14 JACCS-CIVIC/EG6)(クラスチャンピオン・4勝)
  • 1994年
    • 全日本F3000選手権(#24 レイナード94D MF308)(シリーズ5位・1勝)
    • 全日本GT選手権・GT-1クラス(MOON CRAFT #14 CCIあめんぼうシルビア)(シリーズ14位)
    • 全日本ツーリングカー選手権(#14 ジャックスシビック)(シリーズ7位)
    • 第1回NICOS CUP 十勝24時間レース(#1 スカイラインGT-R/BNR-32)(総合4位)
  • 1995年
    • 全日本F3000選手権(TEAM LeMans #24 LeMan's REYNARD/レイナード95D MF308)(シリーズ8位・1勝)
    • 全日本ツーリングカー選手権(#14 ジャックス シビック)(シリーズ15位)
    • 国際F3000選手権
    • SUGO 爆走500km N1耐久レース(TEAM 5ZIGEN #99 5ZIGEN CIVIC)(総合23位)
  • 1996年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM LeMans #24 X-JAPAN Le Mans/レイナード96D MF308)(シリーズ2位・2勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(チーム ラーク・マクラーレンGTR #60 ラーク・マクラーレンF1 GTR)(シリーズ2位・3勝)
    • 全日本ツーリングカー選手権(JACCS MOONCRAFT MOTORSPORTS PROJECT #14 ジャックス アコード)(シリーズチャンピオン・5勝)
    • ユーノスロードスター4時間耐久レース(#39 ユーノスロードスター/NA6CE)(決勝3位)
  • 1997年
    • インディ・ライツ(#25 チーム・グリーン)(シリーズ16位)
    • 全日本ツーリングカー選手権<Rd.15&16スポット参戦>(#1 KOOL ACCORD/ホンダ アコード)(決勝2&2位)
  • 1998年 - インディ・ライツ(#27 チーム・グリーン)(シリーズ10位)
  • 1999年 - CARTシリーズ(#15 ウォーカーレーシング/レイナード・ホンダ)
  • 2000年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #5 TEAM 5ZIGEN/レイナード99L MF308)(シリーズ8位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(チーム国光 with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ15位)
    • 第7回十勝24時間レース(#53 5ZIGEN JICシビック)(総合21位)
  • 2001年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #5 TEAM 5ZIGEN/レイナード99L MF308)(シリーズ2位・3勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1~3>(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン)<Rd.4以降>(HITOTSUYAMA RACING #21 イエローコーンマクラーレンGTR)(シリーズ23位)
    • スーパー耐久シリーズ・Class5(TEAM 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/DC-2)
    • 第8回十勝24時間レース・Class4(TEAM 5ZIGEN #5 5ZIGEN S2000)(決勝DNF)
    • 2001ヨーロピアンチャレンジ(#31 ロータスエクシー)(決勝2位)
  • 2002年
    • フォーミュラ・ニッポン(#5 TEAM 5ZIGEN/レイナード99L MF308)(シリーズ8位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(HITOTSUYAMA RACING #76 イエローコーンマクラーレンGTR)(シリーズ17位)
    • スーパー耐久シリーズ・ClassN+(TEAM 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/DC5)(シリーズ6位・1勝)
    • マツダロードスターフェスタ2002(#86 ホットバージョンロードスター/NB6C)(決勝2位)
  • 2003年
    • フォーミュラ・ニッポン(#41 DoCoMo TEAM DANDELION RACING/ローラB351 MF308)(シリーズ12位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(KRAFT #35 プロジェクトμエスペリアスープラ)(シリーズ15位)
    • スーパー耐久シリーズ・ClassN+(TEAM 5ZIGEN #5 5ZIGEN INTEGRA/DC5)(シリーズ4位・1勝)
    • MAZDA FESTA 2003 (#24 ベストモータリングロードスター/NB6C)(決勝2位)
  • 2004年
    • フォーミュラ・ニッポン(#41 DoCoMo TEAM DANDELION RACING/ローラB351 MF308)(シリーズ9位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(KRAFT #35 イエローハットスープラ)(シリーズ10位)
    • 第11回十勝24時間レース・Class4(TEAM SPOON #96 FORWARD スプーン ED/HONDA S2000)(総合7位・クラス優勝
  • 2005年
    • フォーミュラ・ニッポン(#2 DoCoMo TEAM DANDELION RACING/ローラB351 MF308)(シリーズ12位)
    • SUPER GT・GT500クラス(KRAFT #35 イエローハットYMSスープラ)(シリーズ12位)
    • 第12回十勝24時間レースST2クラス(PROVA RACING DIVISION #63 WING PERMAGARD IMPREZA/スバル インプレッサ GDB)(総合5位・クラス2位)
    • MAZDA FESTA 2005(#11 ベストモータリング/RX-8)(決勝10位)
    • MAZDA FESTA 2005(#24 ベストモータリングロードスター/NCEC)(優勝)
  • 2006年
    • SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM KRAFT #35 BANDAI DIREZZA SC430)(シリーズ9位・1勝)
    • 全日本スポーツカー耐久選手権・GT1クラス(#20 DUNLOP Ferrari 550 GT1/Ferrari 550 maranello GT1)
    • 第13回十勝24時間レース・GTクラス(シフト #74 アラビアンオアシス Z/フェアレディZ)(総合7位・クラス優勝
    • 2006 もてぎEnjoy耐久レース(#102 C-FUELwithサクシード)(決勝47位)
  • 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM KRAFT #35 BANDAI DUNLOP SC430)(シリーズ19位)
  • 2008年
    • シビックワンメークレース東日本シリーズ<Rd.1スポット参戦>(SPOON #96 SPOON CIVIC)
    • スーパー耐久シリーズ2008・Cls. ST-2(ラリーアート・ピット京都 #56 眠眠打破ランサー/三菱 ランサーEVOⅨ)(シリーズ6位)

全日本F3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1988年 VW Asia Motorsport ラルト・RT31 VW・GX SUZ
Ret
TSU
12
FSW
12
SUZ
3
SUG
15
TSU
8
SEN
6
SUZ
6
NIS
6
SUZ
6
9位 7
1989年 Le Garage Cox Racing Team ラルト・RT33 SUZ
9
FSW
Ret
SUZ
23
TSU
3
SUG
Ret
TSU
1
SUZ
6
NIS
18
SUZ
6
SUZ
3
4位 18
1990年 KAWAI STEEL Le Garage Cox Racing ラルト・RT34 無限・MF204 SUZ
2
FSW
2
SUZ
Ret
TSU
1
SEN
4
SUG
1
TSU
2
SUZ
1
NIS
3
SUZ
6
1位 49

マカオグランプリ

[編集]
チーム シャーシ/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1990年 日本の旗 Le Garage Cox ラルト・RT34 / 無限・MF204 14位 11 7 8位

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1991年 LE GARAGE COX RACING TEAM + MOON CRAFT SUZ
Ret
AUT
13
FSW
10
MIN
15
SUZ
Ret
SUG
5
FSW
10
SUZ
12
FSW
C
SUZ
6
FSW
Ret
20位 3
1992年 SUZ
4
FSW
Ret
MIN
5
SUZ
3
AUT
6
SUG
15
FSW
10
FSW
7
SUZ
13
FSW
5
FSW
1
5位 21
1993年 SUZ
8
FSW
Ret
MIN
5
SUZ
11
AUT
C
SUG
7
FSW
C
FSW
5
SUZ
20
FSW
11
SUZ
8
15位 3
1994年 Team Le Mans SUZ
4
FSW
12
MIN
6
SUZ
3
SUG
3
FSW
3
SUZ
Ret
FSW
Ret
FSW
5
SUZ
1
5位 27
1995年 SUZ
1
FSW
C
MIN
Ret
SUZ
7
SUG
5
FSW
Ret
TOK
10
FSW
Ret
SUZ
Ret
8位 11
1996年 X JAPAN Racing Team Le Mans SUZ
8
MIN
Ret
FSW
2
TOK
3
SUZ
3
SUG
8
FSW
1
MIN
3
SUZ
1
FSW
Ret
2位 38
2000年 TEAM 5ZIGEN SUZ
3
TRM
7
MIN
6
FSW
5
SUZ
4
SUG
Ret
TRM
7
FSW
8
MIN
8
SUZ
9
8位 10
2001年 SUZ
1
TRM
1
MIN
5
FSW
1
SUZ
8
SUG
7
FSW
12
MIN
6
TRM
18
SUZ
10
2位 33
2002年 SUZ
6
FSW
Ret
MIN
Ret
SUZ
4
TRM
6
SUG
12
FSW
6
MIN
6
TRM
8
SUZ
5
8位 9
2003年 DoCoMo TEAM DANDELION RACING SUZ
8
FSW
Ret
MIN
Ret
TRM
11
SUZ
8
SUG
9
FSW
9
MIN
4
TRM
7
SUZ
11
12位 3
2004年 SUZ
7
SUG
7
TRM
Ret
SUZ
10
SUG
6
MIN
Ret
SEP
2
TRM
Ret
SUZ
10
9位 7
2005年 TRM
3
SUZ
6
SUG
6
FSW
10
SUZ
7
MIN
6
FSW
7
TRM
7
SUZ
14
12位 7

国際F3000選手権

[編集]
チーム シャーシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1995年 Auto Sport Racing レイナード ジャッド A SIL CAT PAU PER HOC SPA
Ret
EST
Ret
MAG NC 0

(key)

フォーミュラ1

[編集]
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1991年 コローニ C4 USA BRA SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR
ESP JPN
DNPQ
AUS
DNPQ
NC 0

(key)

全日本GT選手権/SUPER GT

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1994年 MOON CRAFT 日産・シルビア GT1 FSW
4
SEN
10
FSW
Ret
SUG
8
MIN
Ret
14位 14
1996年 チーム ラーク・マクラーレンGTR マクラーレン・F1-GTR GT500 SUZ
1
FSW
Ret
SEN
15
FSW
Ret
SUG
1
MIN
1
2位 60
2000年 チーム国光 with MOON CRAFT ホンダ・NSX GT500 MOT
Ret
FSW
14
SUG
10
FSW
7
TAI
5
MIN
Ret
SUZ
DSQ
15位 13
2001年 TEAM IMPUL 日産・スカイラインGT-R GT500 TAI
15
FSW
Ret
SUG
7
23位 4
HITOTSUYAMA RACING マクラーレン・F1-GTR FSW
11
TTM
Ret
SUZ
Ret
MIN
11
2002年 GT500 TAI
13
FSW
8
SUG
6
SEP
8
FSW
13
TRM
3
MIN
Ret
SUZ
Ret
17位 27
2003年 KRAFT トヨタ・スープラ GT500 TAI
9
FSW
5
SUG
6
FSW
10
FSW
10
TRM
12
AUT
7
SUZ
10
15位 24
2004年 GT500 TAI
4
SUG
5
SEP
2
TOK
9
TRM
13
AUT
8
SUZ
16
10位 37
2005年 GT500 OKA
9
FSW
3
SEP
14
SUG
10
TRM
5
FSW
6
AUT
9
SUZ
13
12位 29
2006年 TOYOTA TEAM KRAFT レクサス・SC430 GT500 SUZ
14
OKA
12
FSW
1
SEP
11
SUG
7
SUZ
3
TRM
7
AUT
9
FSW
2
9位 64
2007年 GT500 SUZ
8
OKA
9
FSW
7
SEP
11
SUG
9
SUZ
Ret
TRM
9
AUT
11
FSW
11
19位 14

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1995年 日本の旗 本田技研工業 日本の旗 岡田秀樹
スイスの旗 フィリップ・ファーブル
ホンダ・NSX GT1 GT1 121 NC NC

ツーリングカー

[編集]

全日本ツーリングカー選手権(JTC)

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1988年 ホンダ・シビック JTC~3 SUZ NIS SEN TSU SUG FSW
Ret
NC 0
1989年 JTC~3 NIS
3
SEN
9
TSU
5
SUG
Ret
SUZ
4
FSW
Ret
1990年 ナカジマレーシング JTC-3 NIS
3
5位 44
ムーンクラフト SUG
4
SUZ
Ret
TSU
6
SEN
2
FSW
9
1991年 JTC-3 SUG
Ret
SUZ
Ret
TSU
2
SEN
3
AUT
3
FSW
8
11位 42
1992年 JTC-3 AID
3
AUT
4
SUG
7
SUZ
2
MIN
Ret
TSU
10
SEN
1
FSW
2
3位 77
1993年 JTC-3 MIN
Ret
AUT
1
SUG
3
SUZ
1
AID
1
TSU
Ret
TOK
5
SEN
3
FSW
1
1位 112

全日本ツーリングカー選手権(JTCC)

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994年 MOON CRAFT ホンダ・シビックフェリオ OAR1 OAR2 SUG1
9
SUG2
11
TOK1
10
TOK2
6
SUZ1
8
SUZ2
7
MIN1
3
MIN2
10
TAI1
3
TAI2
4
TSU1
Ret
TSU2
Ret
SEN1
4
SEN2
2
FSW1
7
FSW2
12
7位 64
1995年 FSW1
8
FSW2
7
SUG1
22
SUG2
Ret
TOK1
Ret
TOK2
Ret
SUZ1
15
SUZ2
14
MIN1
2
MIN2
Ret
TAI1
19
TAI2
10
SEN1
7
SEN2
9
FSW1
Ret
FSW2
12
15位 26
1996年 ホンダ・アコード FSW1
1
FSW2
1
SUG1
1
SUG2
4
SUZ1
2
SUZ2
1
MIN1 MIN2 SEN1
2
SEN2
4
TOK1
1
TOK2
2
FSW1
DSQ
FSW2
DSQ
1位 125
1997年 TEAM 無限 FSW1 FSW2 TAI1 TAI2 SUG1 SUG2 SUZ1 SUZ2 MIN1 MIN2 SEN1 SEN2 TOK1 TOK2 FSW1
2
FSW2
2
14位 24

アメリカン・オープンホイール

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インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1997年 チーム・グリーン MIA
13
LBH
Wth
NZR
15
SAV
5
STL
14
MIL
13
DET
7
POR
24
TOR
6
TRO
24
VAN
15
LGA
20
FON
6
16位 32
1998年 MIA
18
LBH
3
NZR
7
STL
8
MIL
12
DET
23
POR
16
CLE
17
TOR
2
MIS
16
TRO
3
VAN
17
LGA
5
FON
17
10位 66

(key)

CART

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1999年 ウォーカー・レーシング レイナード・99i ホンダ MIA
Ret
TRM LBH NZR RIO STL MIL POR CLE ROA TOR MIS DET
16
MDO
19
CHI VAN
Ret
LGA
14
HOU
Ret
SRF
Ret
FON
Ret
35位 0

(key)

スパ・フランコルシャン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1990年 日本の旗 チーム・ゼクセル 日本の旗 福山英朗
フランスの旗シャルロット・ベルネ
日産・スカイラインGT-R N/class5 410 12位 2位
1991年 スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン
オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム
A/Div.1 517 1位 1位

エピソード

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  • 全日本F3では参戦3年目でチャンピオンを獲ったが、1年目は最初の3戦のみエンジンやシャシーなどの供給を受けているも、残りは借金をしながらの参戦であった。2年目はル・ガラージュCOXのドライバーとして、3年目は無限ワークスとしての参戦であった[6]
  • F3時代からレース活動と並行して、「ベストモータリング」やその派生版「ホットバージョン」に出演する等モータージャーナリストとしての活動も行っている。日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員も歴任した。
  • 上述の通り、「ホットバージョン」への出演や「ワールド・タイムアタック・チャレンジ[7]」に出場する等、チューニングカーに対しても造詣が深い。

脚注

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  1. ^ Best MOTORing official ベストモータリング公式チャンネル (2024-11-30), 安くてドラテク上達するクルマ!!【Best MOTORing】1992, https://www.youtube.com/watch?si=Hx6GIRMrFqMxhg1b&v=sy7mq3qsik0&feature=youtu.be 2024年12月11日閲覧。 
  2. ^ 1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響。
  3. ^ 今宮純のストーブリーグ最新レポート F1グランプリ特集 14-15頁 ソニーマガジンズ 1995年11月16日発行
  4. ^ オートスポーツNO.770 1999年5/15号 16頁より。
  5. ^ Fm湘南「大ちゃんのサーキットレポート」
  6. ^ 週刊オートスポーツNO.859 2002年3/14号 68頁「レーサーのアルバムvol.3」より
  7. ^ ワールドタイムアタックチャレンジは、2010年よりオーストラリアのシドニーモータースポーツパークで開催されている、チューニングカーのタイムアタックイベント。

関連項目

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外部リンク

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タイトル
先代
影山正彦
全日本F3選手権
1990年
次代
パウロ・カーカッシ