ムーンクラフト
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
〒412-0048 静岡県御殿場市板妻11番地の5 |
設立 | 1975年 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 6080101004309 |
事業内容 |
レーシングカーのデザイン、開発設計、製作 レーシングカーのメンテナンス レースチームの運営及びレースへの参加 風洞実験による空力実験・開発 風洞実験施設のレンタル |
代表者 |
由良拓也(取締役社長、創業者) 古川正人(代表取締役) |
資本金 | 3,346万円 |
主要株主 | 東レ・カーボンマジック株式会社(100%) |
外部リンク | https://www.mooncraft.jp/ |
ムーンクラフト株式会社(MOONCRAFT CO., LTD)は、静岡県御殿場市に本社を置くレーシングチーム、レーシングカーコンストラクターである。
概要
[編集]1975年にレーシングカーデザイナーの由良拓也が、レーシングカーデザイン会社として設立。国内外様々なレーシングカーのデザイン・製作を手がける。社名の由来は、設立時に「星の名前を社名にしよう」といくつか候補を考えた中で「身近である一方、手が届きそうで届かない」存在として月を選んだことと、「プロダクトデザインではなくクラフトデザイン、量産品ではなく手作りの工芸品に近い物作り」というところから「月(ムーン)+クラフト」になった[1]。ただ実際に会社を経営してみると「月の満ち欠けのように、会社の経営も浮き沈みが激しい」としていろいろ苦労したという[1]。
1977年、富士グランチャンピオンレース (富士GC) 用マシン「紫電77」は、洗練されたデザインによりレース界に衝撃を与えた[2]。同じくGC用として製作したMCS(ムーン・クラフト・スペシャル)カウルは、GCレースが単座席化した1980年代初頭に圧倒的な強さを誇った。
また1983年にデザインした「マツダ・717C」は、1983年のル・マン24時間レースで日本車初のクラス優勝を獲得するなど、数多くの実績を上げている。1985年からは自社のレーシングチームでレースに参戦。全日本F3000、フォーミュラ・ニッポン、JTCCなどに参戦している[3]。
1988年、全日本F3000や富士GCでメインスポンサーだった日本運送(フットワークエキスプレス)が資本参入し、社名を「フットワークフォーミュラ」に変更。鈴木亜久里が同年の全日本F3000チャンピオンを獲得する(マシンはマーチ87・ヤマハ)。また、コンストラクターとしてF1進出を目指し、足掛かりとして「MC030」に始まるオリジナルF3000シャシーを開発。全日本F3000や国際F3000で片山右京やデイモン・ヒルらがドライブした。しかし、フットワークがアロウズを買収してF1に参戦するプランに変更したため、1990年に資本関係を解消。同年3月のテスト中に村松栄紀が事故死し、F3000シャシーの開発も中断した。
1991年、ヤマハが発表したスポーツカー「OX99-11」のボディデザインを担当。2006年には自社製スポーツカー「紫電」を発表し、プロモーションを兼ねて2006年から2012年までSUPER GTのGT300クラスに参戦。2007年にはチームチャンピオンを獲得した。しかし、どちらも市販化計画は実現しなかった。
2018年11月、東レ・カーボンマジックはムーンクラフトの全株式を取得し、子会社化することを発表した[4]。東レ・カーボンマジックが2024年よりFIA-F4選手権に供給している「MCS4-24」では、マシンの空力デザインや風洞実験などの部分に関与している[1]。
製作、設計したレーシングカー
[編集]- 紫電77
- マツダ・717C
- MCS
- MCS・グッピー
- 日産・スカイライン スーパーシルエット
- マツダ・737C
- ローラ・MCS94
- ムーンクラフト・紫電
- SGT LOTUS EVORA
- F4 MC-090
- MCS50 Carbonara (K4-GP参戦車両)
脚注
[編集]- ^ a b c 【知られざる ムーンクラフトの秘密!】違いがわかる男”由良拓也のガレージ探訪 - J SPORTS モータースポーツ・2024年11月6日
- ^ “「速いクルマは美しい」に形から挑んだ名車とは?ムーンクラフトの名車”紫電”の歴代モデルをご紹介します。”. Motorz. 2016年11月15日閲覧。
- ^ “MOONCRAFT、レースの記憶”. MOONCRAFT CO., LTD. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “ムーンクラフト株式会社の株式取得について”. 東レ・カーボンマジック株式会社. 2018年11月8日閲覧。