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中子修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1995年の全日本ツーリングカー選手権出場車両。
1997年の全日本ツーリングカー選手権でシリーズチャンピオンを獲得した中子のホンダ・アコード

中子 修(なかこ おさむ、1954年8月20日 - )は、三重県尾鷲市出身の元レーシングドライバー。父は元市議会議員中子幸男

レース戦歴

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  • 1977年 - 鈴鹿シルバーカップレース第4戦FL500でレースデビュー7位。最終戦2位
  • 1978年
    • 鈴鹿シルバーカップレースFL500(シリーズチャンピオン)
    • レース・ド・ニッポン筑波<スポット参戦>(#20 KS-07)
  • 1979年
    • 鈴鹿FL500(#21 ワークエクイプ07B)
    • 日本F3チャレンジカップ(現・全日本F3選手権)<Rd.1〜3>(鴻池スピード #23 WORKエクイップKS-06C)(シリーズ11位)
  • 1980年 - 日本F3チャレンジカップ(ハヤシレーシング #21 ハヤシ803)(シリーズ3位、第7戦 初優勝)
  • 1981年
    • 全日本F3選手権(テクノレーシングチーム #6 テクノ320)(シリーズチャンピオン)
    • 全日本フォーミュラパシフィック(FP)<Rd.7〜9>(ハヤシレーシング #21 ハヤシ220P)(シリーズ8位)
  • 1982年
    • 全日本FP選手権<Rd.1~4>(ハヤシレーシング #6 ハヤシ220P)(シリーズ7位)
    • イギリスF3選手権<Rd.7~10>(ハヤシレーシング)
  • 1983年
  • 1984年 - 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#26 LM04C日産 パナスポーツ日産)(ノーポイント、パートナー・鈴木利男
  • 1985年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#15 無限 Civic Si)(後半戦に出場シビックに初優勝をもたらす。パートナー・中嶋悟
    • 全日本F2選手権(#18 オロナミンC高橋車輪ラルトR/H6)(3ポイント・シリーズ17位)
    • 富士グランチャンピオンレース(#21 FALCON パワーラビットマーチ832 DL BMW MCSV)(12ポイント・シリーズ10位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#26/#12 パナスポーツ 日産ターボC LM04C日産)(15.5ポイント・シリーズ21位)
    • 世界耐久選手権第9戦WEC-JAPAN(#12 LM05C日産)(2位)
  • 1986年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 Civic Si)(1勝、パートナー・佐藤浩二
    • 富士グランチャンピオンレース(#2 OLIO FIAT 85S マーチ842 BS BMW MCSVI)(38ポイント・シリーズ3位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権<Rd.2〜5>(#23 MARCH R86V NISSANニチラ)(1ポイント、パートナー・星野一義
  • 1987年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(クラス1全勝120ポイント・クラス1シリーズチャンピオン獲得 総合2位、パートナー・岡田秀樹
    • 全日本F3000選手権(#22 BEST HOUSE87B BS DFV)(39ポイント・シリーズ6位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#7 OLIOFIAT 07 TOYOTA)(8.5ポイント・シリーズ32位、パートナー・マウリシオ・サンドロ・サラ
  • 1988年 - 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(2勝・クラス3シリーズチャンピオン 総合7位、パートナー・岡田秀樹)
  • 1989年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(2勝・クラス3シリーズ3位 総合26位、パートナー・鈴木利男)
    • 全日本F3000選手権(#2 CHERENA LOLA-T88,89 BS)(1ポイント・シリーズ17位)
  • 1990年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限 Civic)(2勝・クラス3シリーズ2位 総合13位、パートナー・岡田秀樹
    • 全日本F3000選手権(#2 CHEREN LOLA T89,90 BS)(3ポイント・シリーズ17位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 CABIN R90V)(6ポイント・シリーズ29位、パートナー・和田孝夫
  • 1991年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限 Civic BS)(2勝・クラス3シリーズチャンピオン 総合16位、パートナー・岡田秀樹)
    • 全日本F3000選手権<Rd.1〜9>(#2 CHERENA LOLAT90,91 BS)(ノーポイント)
  • 1992年 - 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限Civic BS)(4勝・クラス3シリーズチャンピオン、パートナー・岡田秀樹)
  • 1993年 - 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限Civic BS)(3勝・クラス3シリーズチャンピオン、パートナー・岡田秀樹、この年でGr.Aは終了)
  • 1994年 - 全日本ツーリングカー選手権<Rd.3~18>(TEAM Castlol無限HONDA #16 Castlol 無限 シビックフェリオ) (28ポイント・シリーズ11位)
  • 1995年 - 全日本ツーリングカー選手権(#16 カストロール無限シビックフェリオ)( 28ポイント・シリーズ13位)
  • 1996年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 カストロール 無限Accord)(2勝・シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM TAISAN #34 STPタイサン ポルシェGT2)(シリーズ15位)
  • 1997年 - 全日本ツーリングカー選手権(TEAM 無限HONDA #16 Castrol 無限 Accord)(ポールポジション2回 4勝・シリーズチャンピオン)[1][2]
  • 1998年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(CASTROL MUGEN #16 Castrol 無限 NSX)(2勝・4位、パートナー・道上龍
  • 1999年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(MUGEN・DOME PROJECT #16 Castrol 無限 NSX)(3位2回・9位、パートナー・道上龍)
  • 2000年 - 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1〜4>(MUGEN DOME PROJECT #16 Castrol 無限 NSX)(2位2回・10位、パートナー・道上龍はシリーズチャンピオン獲得)

マカオグランプリ

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チーム シャーシー/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1981年 日本の旗 ハヤシレーシング ハヤシ・228 トヨタ・220P 8位 Ret

全日本F2選手権/全日本F3000選手権

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1983年 スピードスターホイールレーシングチーム SUZ
DNS
FSW
Ret
NIS SUZ
11
SUZ
4
FSW
Ret
SUZ
Ret
SUZ
4
10位 20
1985年 マリブモータースポーツクラブ SUZ FSW NIS SUZ SUZ
10
FSW
9
SUZ
Ret
SUZ
Ret
17位 3
1987年 BEST HOUSE RACING TEAM SUZ
7
FSW
5
MIN
7
SUZ
Ret
SUZ
10
SUG
5
FSW
5
SUZ
9
SUZ
7
6位 39
1989年 NAKAJIMA PLANNING SUZ
NC
FSW
10
MIN
7
SUZ
11
SUG
6
FSW
9
SUZ
15
SUZ
13
18位 1
1990年 SUZ
5
FSW
7
MIN
Ret
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
16
FSW
7
SUZ
9
FSW
9
SUZ
6
17位 3
1991年 SUZ
10
AUT
11
FSW
Ret
MIN
8
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
20
SUZ
DNQ
FSW
C
SUZ FSW
DNQ
NC 0

全日本ツーリングカー選手権(JTC)

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チーム コ.ドライバー 使用車両 車番 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1985年 無限 日本の旗 中嶋悟 ホンダ・シビック 15 DIV.1 SUG TSU NIS
Ret
SUZ
1
FSW
3
1986年 日本の旗 佐藤浩二 15 DIV.1 NIS
1
SUG TSU
Ret
SEN
Ret
FSW
Ret
SUZ
Ret
1987年 MOTUL 無限 日本の旗 岡田秀樹 16 DIV.1 NIS
1
SEN
1
TSU
1
SUG
1
FSW
1
SUZ
1
1位 120
1988年 日本の旗 岡田秀樹 16 JTC-3 SUZ
1
NIS
2
SEN
1
TSU
6
SUG
2
FSW
2
1位
1989年 日本の旗 鈴木利男 16 JTC-3 NIS
1
SEN
3
TSU
Ret
SUG
1
SUZ
Ret
FSW
Ret
3位
1990年 出光 無限 日本の旗 岡田秀樹 100 JTC-3 NIS
5
SUG
2
SUZ
1
TSU
4
SEN
1
FSW
4
3位 78
1991年 日本の旗 岡田秀樹 100 JTC-3 SUG
Ret
SUZ
1
TSU
4
SEN
2
AUT
Ret
FSW
1
1位 74
1992年 日本の旗 岡田秀樹 100 JTC-3 TAI
1
AUT
3
SUG
1
SUZ
Ret
MIN
Ret
TSU
1
SEN
4
FSW
1
1位 93
1993年 日本の旗 岡田秀樹 100 JTC-3 MIN
1
AUT
3
SUG
1
SUZ
7
TAI
2
TSU
6
TOK
1
SEN
4
FSW
8
3位 110

全日本ツーリングカー選手権(JTCC)

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994年 TEAM 無限 ホンダ・シビックフェリオ OAR1 OAR2 SUG1
Ret
SUG2
6
TOK1
12
TOK2
Ret
SUZ1
16
SUZ2
Ret
MIN1
4
MIN2
7
TAI1
12
TAI2
17
TSU1
10
TSU2
Ret
SEN1
5
SEN2
6
FSW1
26
FSW2
13
11位 28
1995年 FSW1
13
FSW2
Ret
SUG1
3
SUG2
3
TOK1
8
TOK2
9
SUZ1
Ret
SUZ2
15
MIN1
7
MIN2
Ret
TAI1
Ret
TAI2
DNS
SEN1
10
SEN2
Ret
FSW1
Ret
FSW2
Ret
13位 28
1996年 ホンダ・アコード FSW1
2
FSW2
2
SUG1
2
SUG2
3
SUZ1
1
SUZ2
4
MIN1 MIN2 SEN1
3
SEN2
2
TOK1
2
TOK2
1
FSW1
DSQ
FSW2
DSQ
2位 115
1997年 FSW1
C
FSW2
C
TAI1
2
TAI2
1
SUG1
8
SUG2
Ret
SUZ1
4
SUZ2
5
MIN1
1
MIN2
1
SEN1
4
SEN2
10
TOK1
Ret
TOK2
2
FSW1
1
FSW2
Ret
1位 107

全日本GT選手権

[編集]
チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1996年 TEAM TAISAN 日本の旗 松田秀士 ポルシェ・911 GT500 SUZ
9
FSW
9
SEN
Ret
FSW
12
SUG
12
MIN
6
15位 10
1998年 Castrol 無限×童夢 プロジェクト 日本の旗 道上龍 ホンダ・NSX GT500 SUZ
Ret
FSW
C
SEN
Ret
FSW
5
TRM
1
MIN
11
SUG
1
4位 48
1999年 日本の旗 道上龍 GT500 SUZ
14
FSW
12
SUG
3
MIN
3
FSW
9
TAI
16
TRM
4
10位 36
2000年 日本の旗 道上龍 GT500 TRM
2
FSW
8
SUG
2
FSW
10
TAI MIN SUZ 10位 34

引退後の活動

[編集]
  • 2000年:ツインリンクもてぎにてホンダ・コレクションホールの車の第2回動態確認テスト(8月)に参加。McLAREN MP4/6(1991年)やRA300[3]などをドライブ。
  • 2001年
    • 4月第1回動態確認テストに参加。Williams Honda FW11(1986年)やブラバムHonda BT18(1966年,F2マシン)、自らのチャンピオンカーであるCastrol 無限 ACCORD SiR(1997年)、McLAREN MP4/6(1991年)などをドライブ。
    • 4月ツインリンクもてぎのヒストリックドリームランに参加。6月同サーキットにてグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード遠征事前テストに参加。
    • 9月同サーキットにて「エンジョイHONDA2001」に参加。
    • 11月同上第2回動態確認テストに参加。RALT Honda RT20(1986年)、Honda F-1 RA301(1968年)、RA301T(1968年)をドライブ。
  • 2002年
    • 同上第1~3回動態テストに参加。1.Mclaren HONDA MP4/6、Honda F-1 RA301T 2.Lotus HONDA 100T(1988年)、Honda F-1 RA301 3.Williams Honda FW11、RC-F1 2.0X(HONDA F-1のプロトタイプ)、Ralt Honda RT20をドライブ。同サーキットのヒストリック・ドリームランとエンジョイホンダ2002サウンドライブに参加。
  • 2009年:スーパー耐久第3戦からスプーンS2000で参戦。

人物

[編集]
  • モータージャーナリストの熊倉重春は1993年インターTECにて、「日本のレーサーで職人といえば中子修、天才といえば高橋国光」と評した。
  • 上記の通り、全日本ツーリングカー選手権において、長年ホンダ・シビックを駆って数々のクラス優勝及びタイトルを獲得した事から、FF車使いの名手として知られていた[4]

脚注

[編集]
  1. ^ 富士スピードウェイで行われたこの年の最終戦インターTEC第2レースにおいて、16周目のヘアピン進入で本山哲のインを突いた中子がタイヤをロックさせてしまい、本山に接触させるアクシデントが発生した。その後、18周目の100Rで本山がアウトから来た中子のリアに接触させる形で報復し、中子はリタイアとなった。これにより、中子には5万円の罰金が科せられた他、報復行為に出た本山には50万円の罰金などのペナルティが科せられた。
  2. ^ ついに実現した中子修と本山哲のスペシャル対談「JTCCは良くも悪くも“人間味”が出て面白いレースだった」オートスポーツweb 2020年4月2日
  3. ^ 1967年のHONDA F-1、実際にはこの時は走行出来なかった。
  4. ^ 『AT型ホンダ・シビック』猛威をふるったジャイアントキラー【忘れがたき銘車たち】 | レーシングオン | autosport web”. AUTO SPORT web (2021年8月24日). 2023年10月20日閲覧。

関連項目

[編集]
タイトル
先代
佐々木秀六
全日本F3選手権
1981年
次代
中本憲吾