国土開発幹線自動車道
国土開発幹線自動車道(こくどかいはつかんせんじどうしゃどう)(略語: 国幹道)とは、国土開発幹線自動車道建設法(以下「法」)に基づき建設することが予定されている道路である。高規格幹線道路の1つである。
法第1条で、「この法律は、国土の普遍的開発をはかり、画期的な産業の立地振興及び国民生活領域の拡大を期するとともに、産業発展の不可欠の基盤たる全国的な高速自動車交通網を新たに形成させるため、国土を縦貫し、又は横断する高速幹線自動車道を開設し、及びこれと関連して新都市及び新農村の建設等を促進する」とうたわれている。この法律は、1957年に国土開発縦貫自動車道建設法として公布・施行、6つの旧道路建設法を廃止して1966年に改正されたもので、全国の都道府県を結ぶ高速道路網として、32路線、総延長7,600 kmの予定路線が定められた[1]。1987年に第四次全国総合開発計画(四全総)に基づいて従前の路線を延伸、または新たな路線を追加した改正が行われ、現在の延長は11,520 kmとなっている。
国幹道は、予定路線のうち基本計画が決定された区間から順次高速自動車国道法第4条第1項 の規定に基づく高速自動車国道の路線を指定する政令によって高速自動車国道とされる。2009年の第4回国土開発幹線自動車道建設会議までに、予定路線の92 %にあたる延長10,623 kmの区間が基本計画に、またうち9,428 kmの区間が整備計画に策定されている[2]。
経緯
[編集]日本の高速道路建設は、戦前から構想はあったものの、戦後復興期になってから田中清一と田中角栄の二人の活動もあってようやく実現化されたが、当初は個別路線単独に計画が進められ、6つの自動車道を建設する法律によって合計延長5000キロメートル (km) の道路が計画されていた[3]。自動車道と称する6つの路線の高速道路建設法とは、1957年(昭和32年)4月の国土開発縦貫自動車道建設法に始まり、1960年(昭和35年)7月の東海道幹線自動車国道建設法、1963年(昭和38年)7月の関越自動車道建設法、1964年(昭和39年)6月の東海北陸自動車道建設法、1965年(昭和40年)5月の九州横断自動車道建設法、同年6月の中国横断自動車道建設法のことである[4]。これらの高速道路は、全国的な高速道路網構想に基づくものではなく、地域的均衡性がとれていないものであったことから、旧建設省が1960年から「自動車道路網設定のための調査」を進めていた[3]。北海道とそれ以外の内地(本州・四国・九州)とに分けて計画が行われ、内地では既定の6つの自動車道路計画を骨格に、地方中心都市や産業都市、地方開発の拠点を相互連絡するための必要な路線を追加認定するものとし、全国の都市や農村地から概ね2時間以内にアクセスできることを目標とした[3]。北海道については、国土係数理論を用いて本土との道路延長を0.15対1の比率で設定されたことにより、内地分が6580 km、北海道分が約1000 kmが計上されて、全国合計を7600 kmの国土開発幹線自動車道として当初の計画が旧建設省により策定された[3]。これを受けて、1966年7月に既定の6つの個別法律に基づく約5000 kmの自動車道を包含した高速自動車国道を形成する国土開発幹線自動車道建設法が制定された[3]。
1980年以降、人口の東京一極集中が起こるようになったことから、1987年(昭和62年)6月の閣議決定により第四次全国総合開発計画(四全総)が策定され、従来の国幹道7600 kmを含めた延長1万4000 kmの高規格幹線道路網が計画された[5]。このとき新規追加された国幹道法に基づく高規格幹線道路の延長は約3920 kmで、既定計画分の約7600 kmと合わせて、合計延長約1万1520 km分が国土開発幹線自動車道としている[6]。この計画で、従前のアクセス2時間とした目標から1時間へと利便性の見直しが図られた[5]。
予定路線
[編集]国土開発幹線自動車道の予定路線は、下表のとおりとされている(法3条、別表)(最終改正:1999年12月22日)。法の別表では市町村合併は反映されていない。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 武部健一『道路の日本史』中央公論新社〈中公新書〉、2015年5月25日。ISBN 978-4-12-102321-6。
- 峯岸邦夫編著『トコトンやさしい道路の本』日刊工業新聞社〈今日からモノ知りシリーズ〉、2018年10月24日。ISBN 978-4-526-07891-0。