1945年の映画
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1945年の映画(1945ねんのえいが)では、1945年(昭和20年)の映画分野の動向についてまとめる。
1944年の映画 - 1945年の映画 - 1946年の映画
出来事
[編集]世界
[編集]→「1945年 § できごと」も参照
- 9月 - ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』が公開、イタリアン・リアリズム(ネオレアリズモ)が始まる[1][2]。
- 9月19日 - 起業家エリック・ジョンストン、アメリカ映画協会(MPAA)〔就任当時は「アメリカ映画製作者配給者協会(Motion Picture Producers and Distributors of America)」〕会長に就任[3][4][5]、アメリカ映画輸出協会(MPEA)会長にも就任[5]。
日本
[編集]→「1945年の日本 § できごと」も参照
- 戦火で焼失する映画館、逐次増加[6]。1月・5館、2月・3館、3月・106館、4月・55館、5月・47館、6月・84館、7月・140館、8月・74館[6][注 1]。
- 1月
- 2月
- 3月
- 4月
- 5月
- 6月
- 7月
- 8月
- 9月
- 映画監督・島津保次郎死去[6]。
- 9月10日 - 新聞・映画・通信に対する一切の制限撤廃に関するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)覚書発表[19]。新たな検閲の権限はCIE(民間情報教育局)に委譲[19]。
- 9月13日 - 大阪・梅田映画劇場再オープン[24]。
- 9月22日 - 日本映画界の代表、城戸四郎・森岩雄・菊池寛などが日本放送協会の6階に呼ばれ、GHQ情報
頒布 ()部(IDS、のちの民間情報教育局CIE)からチャンバラ映画禁止などの映画製作の方針が通達された[30][31][32]。邦画代表者の反対意見は受け入れられなかった[33]。 - 9月27日 - 映画製作についての統制撤廃に関するGHQ覚書[34]発表[35]。
- 10月
- 11月
- 12月
周年
[編集]- 創業50周年
日本の映画興行
[編集]各国ランキング
[編集]アメリカ興行収入ランキング
[編集]順位 | 題名 | スタジオ | 配給収入 |
---|---|---|---|
1. | 母と娘 | Hallmark | $16,000,000 |
2. | 聖メリーの鐘 | RKO | $8,000,000 |
3. | 哀愁の湖 | 20世紀FOX | $5,505,000 |
4. | 白い恐怖 | ユナイテッド・アーティスツ | $4,971,000 |
5. | 錨を上げて | MGM | $4,779,000 |
6. | 愛の決断 | MGM | $4,567,000 |
7. | Week-End at the Waldorf | MGM | $4,366,000 |
8. | Thrill of a Romance | MGM | $4,338,000 |
9. | 失われた週末 | パラマウント | $4,300,000 |
10. | サラトガ本線 | ワーナー・ブラザース | $4,250,000 |
- 出典: Box Office Report - Revenue Database - 1945 - ウェイバックマシン(2009年7月13日アーカイブ分)
日本公開映画
[編集]→詳細は「1945年の日本公開映画」を参照
受賞
[編集]- 第18回アカデミー賞
- 作品賞 - 『失われた週末』(パラマウント映画)
- 監督賞 - ビリー・ワイルダー(『失われた週末』)
- 主演男優賞 - レイ・ミランド(『失われた週末』)
- 主演女優賞 - ジョーン・クロフォード(『ミルドレッド・ピアース』)
- 第3回ゴールデングローブ賞
- 第11回ニューヨーク映画批評家協会賞 - 『失われた週末』
- ヴェネツィア国際映画祭 - ※開催されず
- キネマ旬報ベストテン - ※選出されず
誕生
[編集]- 1月3日 - ヴィクトリア・プリンシパル、アメリカ合衆国の女優
- 1月6日 - 松原智恵子、日本の女優
- 1月18日 - おすぎ、日本の映画評論家
- 1月28日 - マルト・ケラー、スイスの女優
- 3月13日 - 吉永小百合、日本の女優
- 3月14日 - 栗原小巻、日本の女優
- 3月27日 - 宮本信子、日本の女優
- 4月19日 - 村野武範、日本の俳優
- 5月31日 - ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ドイツの映画監督
- 7月6日 - 長塚京三、日本の俳優
- 7月10日 - 森功至、日本の声優
- 8月14日 - ヴィム・ヴェンダース、ドイツの映画監督
- 9月12日 - 藤田弓子、日本の女優
- 9月21日 - ジェリー・ブラッカイマー、アメリカ合衆国の映画プロデューサー
- 10月18日 - 若本規夫、日本の声優
- 10月29日 - 小栗康平、日本の映画監督
- 11月23日 - 綿引勝彦、日本の俳優(+ 2020年)
- 12月1日 - 富司純子、日本の女優
死去
[編集]- 3月10日 - 吉村操 日本の映画監督(* 1905年)
- 7月13日 - アラ・ナジモヴァ ロシアの女優(*1879年)
- 8月6日 - 白井戦太郎 日本の映画監督(* 1906年?)
- 8月16日 - 丸山定夫 日本の俳優(* 1901年)
- 8月19日 - 葛城文子 日本の女優(* 1878年)
- 8月21日 - 園井恵子 日本の女優(* 1913年)
- 9月18日 - 島津保次郎 日本の映画監督(* 1897年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 合計514館となり、東宝の社史より1館多くなっている。
- ^ 東宝の資料では「4月24日 (略)譲渡成立調印」となっていて、日活の資料では「5月 大日本映画製作株式会社の映画館を買収」となっている[21]。
- ^ ただし、終戦の8月15日時点では、戦災のため36館に減少していた[22]。
- ^ 当時、大映は日活ビルの3階と4階を使用していた。
- ^ 『東宝五十年史』では「昭和21年(1946)4月1日 終戦直後の映画館数1,190館」となっている[27]。
- ^ 『東宝五十年史』では「興行中の劇場は月末まで休場館続出」となっている[24]。
- ^ 〔引用者註〕『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集』では「敗戦一週間後(中略)公開」となっているが、松竹公式サイトの8月30日(木)を採用した。
- ^ 『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集』では「『宮本武蔵』など二二八本が非民主主義的を理由に上映禁止」となっている[5]。
- ^ 『大映十年史』では、映画公社の解散は10月15日になっている[8]。
- ^ 『東宝五十年史』では「日本映画製作者連盟」となっている[35]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 谷川 1993, p. 106.
- ^ “無防備都市 Release info”. IMDb. 2023年9月17日閲覧。
- ^ 「Milestones: Aug. 30, 1963」『タイム』1963年8月30日。ISSN 0040-781X。2023年7月12日閲覧。「since 1945 Hollywood's unflagging champion as head of the Motion Picture Association」
- ^ 「Johnston Named Motion Picture Czar」『スポーケン・デイリー・クロニクル』19 September 1945。オリジナルのJuly 24, 2020時点におけるアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
- ^ a b c d 石原良太 1986, p. 55.
- ^ a b c d e f g h i j 筈見 1955b, p. 101.
- ^ 園部利彦. “炭素(C) - かつて銀幕を照らした映写機の光源”. 高純度化学研究所 公式ブログ. 高純度化学研究所. 2024年5月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 大映 1951, §大映十年と社会・映画界の動き.
- ^ a b c d e f 松竹 1985, p. 674.
- ^ “【作品データベース】野戦軍楽隊 やせんぐんがくたい”. 松竹公式サイト. 松竹. 2023年9月16日閲覧。
- ^ “雛鷲の母”. 映連データベース. 日本映画製作者連盟. 2023年9月17日閲覧。
- ^ “映画・映像 業界用語辞典 「プリント」”. TMS東京映画映像学校. 2023年9月17日閲覧。
- ^ a b 東宝 1982b, p. 39.
- ^ “海の虎 - 作品情報・映画レビュー”. キネマ旬報WEB. キネマ旬報社. 2024年5月4日閲覧。
- ^ “狼煙は上海に揚る”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2023年9月17日閲覧。
- ^ “京橋映画小劇場No. 35 アンコール特集 7 萬世流芳”. 国立映画アーカイブ. 2023年9月17日閲覧。
- ^ a b c d 東宝 1982b, p. 40.
- ^ 「朝日座」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 。コトバンクより2024年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 東宝 2010b, p. 201.
- ^ a b c “沿革”. 日活公式サイト. 日活. 2020年4月1日閲覧。
- ^ 日活 2014, pp. 60, 62.
- ^ 日活 2014, p. 62.
- ^ “生ける椅子”. 映連データベース. 日本映画製作者連盟. 2024年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e 東宝 1982b, p. 41.
- ^ “最後の帰郷”. 映連データベース. 日本映画製作者連盟. 2024年5月5日閲覧。
- ^ a b 岡田 1967, p. 313.
- ^ 東宝 1982b, p. 44.
- ^ 松竹 1985, p. 257.
- ^ “【作品データベース】伊豆の娘たち いずのむすめたち”. 松竹公式サイト. 松竹. 2023年9月5日閲覧。
- ^ 柿田清二 (1996年4月). “表現の自由”. 日本映画監督協会. 2019年8月22日閲覧。 “これよりさき、9月22日、GHQ情報頒布部(IDS)は映画製作会社の首脳部を招き、次の内容の「占領の基本目標にもとづく映画製作の具体的な方針」を示した。”
- ^ 岡田 1967, p. 314.
- ^ a b 角川 1982, p. 182.
- ^ 岡田 1967, p. 315.
- ^ “GHQ覚書(ジーエッチキューおぼえがき)とは”. コトバンク. 平凡社世界大百科事典 第2版. 朝日新聞社. 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c d 東宝 1982b, p. 42.
- ^ a b 山川 1987, p. 157.
- ^ “【作品データベース】宮本武蔵 みやもとむさし”. 松竹公式サイト. 松竹. 2023年9月7日閲覧。
- ^ a b c 筈見 1955b, p. 102.
- ^ 日活 2014, p. 60.
- ^ a b “団体概要 歴史”. 日本映画製作者連盟公式サイト. 日本映画製作者連盟. 2020年1月29日閲覧。 “昭和20年12月1日 「映画製作者連合会」として発足”
- ^ 関野満夫「日本の戦時財政と消費課税 ── 売上税を欠いた消費課税の大増税 ──」『経済学論纂』第58巻第1号、中央大学経済学研究会、2017年12月、41頁、CRID 1050001202698108416、ISSN 0453-4778。
参考文献
[編集]- 石原良太 編『映画賞・映画祭 日本・外国受賞作品大全集 : 栄光と虚栄・アカデミー賞からヨコハマ映画祭』芳賀書店、1986年6月。ISBN 4-8261-0520-7。
- 岡田晋『日本映画の歴史 : その企業・技術・芸術』ダヴィッド社、1967年。doi:10.11501/2514450。全国書誌番号:67008666。
- 角川春樹、藤岡和賀夫、阿久悠『ザ・ブーム』角川書店、1982年1月25日。全国書誌番号:82015854。
- 松竹『松竹九十年史』松竹、1985年12月。全国書誌番号:87001945。
- 大映 編『大映十年史』大映、1951年。doi:10.11501/2460993。全国書誌番号:52009699。
- 谷川義雄『年表・映画100年史』風濤社、1993年5月。ISBN 4-89219-113-2。
- 東宝『東宝五十年史』東宝、1982年11月。全国書誌番号:83041631。
- 渋沢社史データベース版(1982年11月刊行本が底本)
- 東宝 編『東宝75年のあゆみ ビジュアルで綴る3/4世紀 1932 - 2007』東宝、2010年4月。全国書誌番号:21785703。
- 東宝 編『東宝75年のあゆみ 1932 - 2007 資料編』(PDF)東宝、2010年4月。
- 日活『日活100年史 = Nikkatsu-celebrating 100 years of history』日活、2014年3月。全国書誌番号:22411179。
- 筈見恒夫『写真映画百年史』 4巻、鱒書房、1955年10月。 NCID BA32272354。NDLJP:2466996。
- 山川浩二『昭和広告60年史』講談社、1987年。ISBN 4-06-202184-6。