コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

矢沢永吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢澤永吉から転送)
矢沢 永吉
別名 五大洋光
生誕 (1949-09-14) 1949年9月14日(75歳)
出身地 日本の旗 日本広島県広島市
学歴 広島電機大学付属高校(現広島国際学院高校)卒業
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1972年 -
レーベル GARURU RECORDS
共同作業者
公式サイト 矢沢永吉公式サイト
矢沢永吉 Eikichi Yazawa Channel
YouTube
チャンネル
活動期間 2015年 -
ジャンル 音楽
登録者数 49.7万人
総再生回数 8354万4315回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年12月25日時点。
テンプレートを表示

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年昭和24年〉9月14日 - )は、日本ロックミュージシャン[出典 1]俳優広島県広島市仁保(現南区)出身[出典 2]身長180cm血液型はB型[9]

人物概要

[編集]
  • 愛称は「永ちゃん」「ボス
  • 矢沢ファンは、ロック界でも屈指の熱狂ぶりで知られるが[出典 3]、他のアーティストのファンとの決定的な違いは“矢沢になろうとする”こと[出典 4]素肌に白スーツ&リーゼント姿の筋金入りはもちろんのこと、生きざまを人生の針路とする人が多い[出典 5]。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された[14]。キャロルがデビューした1972年から、ソロデビュー以降、今日まで人気を維持し、独特のファン層を形成している[13]
  • ほぼ全曲にわたる作曲、および数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。
  • 1975年のソロデビュー以降、ライブを大事にしたいという考えから[15]、特にテレビ媒体に露出することは少なかった[出典 6][注釈 1]。1978年、資生堂CMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を初め[18]、当時の音楽番組にはほとんど出演せず[出典 7][注釈 2]。ラジオは1970年代に何度か出ている[24][注釈 3]。このため1980年2月10日にNHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ[26][注釈 4]。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMは出演し[27]、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛ける[出典 10]。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒーBOSS」の初代CMキャラクターに起用されてからである[出典 11]1980年代もテレビに出演することは少なかったが、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた[出典 12]。事務所の人間の殆どが「ボスのイメージに合わない」と難色を示したが、矢沢が「面白いじゃない、やろうよ」と鶴の一声で出演が決まったものだが[29]お茶の間への知名度を拡げた[29]。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じ[出典 13][注釈 5]、その後、ドラマ数本と映画に出演している[出典 15]
  • 活字メディアにもキャロル時代からしばしば登場した[22]。『週刊プレイボーイ』は、キャロル時代から矢沢を応援しており、誌面への登場はミュージシャンでトップの32回に及ぶ[38]。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾った[39]
  • 多くのアルバムをセルフ・プロデュース。コンサート興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る[1]
  • 自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している[出典 16]
  • 声以上の楽器はないと話しており[出典 17]レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い[出典 18]
  • 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える[28]
  • オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持[出典 19]
  • オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初であった[47]
  • 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティスト。
  • 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う[出典 20]。以降2023年まで武道館最多公演記録153回と更新中[出典 21]。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる[出典 22]
  • 1978年[出典 23]、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。1981年、所得約2億4000万円[21]
  • ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得[46]
  • 1978年、資生堂のCMソングとしてヒットした「時間よ止まれ」が、2014年再び同社のCM曲として復活した[57]
  • ホットドッグ・プレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蝿のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた(紅白については後の2009年に第60回NHK紅白歌合戦でサプライズゲストとして初出場)。
  • 2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)初週売上1.7万枚を獲得した(Blu-rayの売上枚数初週売上9805枚と合算した「総合ミュージック映像ランキング」も1位獲得)。
  • また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた[58]
  • 2018年7月13日、平成30年7月豪雨の発生を受け、自身のホームページ内の動画にて、同年9月11日に行われる広島グリーンアリーナ公演で得た収益を被災地に寄付することを表明した[59]
  • 2019年9月、アルバム『いつか、その日が来る日まで...』が、初週11.2万枚を売り上げ、同年9月16日付オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。2016年5月16日付に小田和正が『あの日あの時』で1位を獲得した際の68歳8ヶ月を上回り、最年長1位獲得アーティストとなった(1949年9月14日生まれの矢沢にとっては、今回が70歳での1位獲得(9月16日時点の年齢)。「最年長1位獲得アーティスト」記録は、ソロアーティストおよび作品が対象。年齢の月数は、月の過半日数以上で翌月に繰り上げとなる)。また、自身が歴代1位記録を持つ「アルバムTOP10入り作品数」を本作で54作に更新した[60]

家族

[編集]

前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親。

次女の矢沢洋子は二番目の妻との娘で歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と入籍したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月22日、洋子が第一子となる女児を出産[61][62]、2022年10月12日に第二子となる女児を出産[63]。孫娘は矢沢を「じいじ」と呼び、矢沢もまた孫娘を愛でている[64][65]

経歴

[編集]

生い立ち 〜 広島

[編集]

父・永一は戦前、当時は高価だった自転車販売店を営み[66]、7–8人の丁稚を雇うような大きな店舗を構えていた[66]。永一には妻と二人の子供がいたが[66]広島原爆で自分以外は全員死んで[66]、一人だけ生き残り、以降は酒に溺れるようになった[66]戦後に永一は10歳以上年の離れた若い女性と再婚[66]、永吉が生まれた[66]。永一は酒を止めず、ろくに働かずあちこちに借金を作り[66]、そんな生活に耐えられなくなり、愛想を尽かした母親は[66]、永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発した[出典 24]広島で被爆した父親は、永吉が小学校2年生の時に原爆症で病死[出典 25]。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされ[出典 26]、その後は父方の祖母に育てられ[出典 27]、極貧の少年時代を過ごした[出典 28]。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。矢沢は「晴れた日に海を見ていると広島を思い出すよ。やたら天気よくてね。広島ってヤクザとか原爆とか色々言われるけど、ボクにとっては一地方都市ね。悲しいことも楽しいこともあるけど、全部含めてね、淋しかーったって記憶しかないね。広島にいた子供の頃って、一人だったなって記憶しかない。かき氷が食いたかったけど、食えなくて、水だけジャブジャブ飲んでた。そんなことしか覚えてないよ」などと述べている[21]。当時のモータリゼーションもあって[71]、将来は板金工になって金を稼いでやろうと考えていたが[71]、中学時代、ラジオから流れるビートルズを聴いてロックに目覚め[出典 29]、さらにザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる[出典 30][注釈 6]。東京で歌手になる夢を周りに語ったが[71]、日本にロックという文化が根付いていなかった60年代に於いて[71]、ましてや広島の片田舎では「お前、頭、大丈夫か?」という反応しか得られなかった[出典 32]

横浜へ 〜 キャロル結成

[編集]
  • 1975年
    • 解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBS・ソニーに行き、幹部と面会して自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている[92]。面会後、CBS・ソニーから借金をして多額の現金をフォノグラムに払い、同社のプロジェクトチームが動き始めた[出典 48]。ロックミュージシャンのイメージ形成としては当時、御法度とされた音楽著作権などミュージックビジネスに強い関心を示し、熱心に勉強を続ける[出典 49]音楽出版社が握っていた原盤権を早い段階で獲得したといわれる[出典 50]
    • 所属会社の要請で4月13日、日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散。

1970年代、ソロデビュー

[編集]
  • 1975年
    • キャロルの解散が決まるとすぐに次のビジョンを描き[出典 51]、1974年末から渡米の準備を始め[出典 52]、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、ソロアルバム用のデモテープを完成させ[98]、キャロル解散から20日後の5月3日、初の渡米[出典 53]。キャロル時代の書籍『暴力青春』(1975年、KKベストセラーズ)に書かれた「理屈やゴタクを並べるヤツは、金と暇のあるヤツさ。オレにはそんな時間も余裕もまったくなかった。オレの辞書には"行動"という言葉しかないんだ」を地で行く行動力[98]。53歳時のインタビューでもキャロル解散時は、心に全く余裕が無かったことを回想している[98]。CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍後[18]、キャロル解散5か月後の9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるシングルアイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバムI LOVE YOU, OK』でソロデビューした[出典 54]。制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んだ[出典 55]。当時のシラケ世代の中で「ロックの世界から陽水拓郎に挑戦するんだ」と先行するフォーク勢打倒を打ち出した[95]。当時を振り返って矢沢は「キャロルからソロになった時は燃えました。雷のように熱かった。自分なりに2年半キャロルやって、芸能界の仕組みというのが分かったから、なまじ中途半端に名前があると、かえってそれをぶち抜くくらいのパワーがいる。名前があった方が不利だと思っていたね、あの頃は」などと述べている[99]。ファンにはキャロル時代の『ファンキー・モンキー・ベイビー』のような曲調が求められ、アルバム『I LOVE YOU, OK』は不評[15]。「お前のロックはもう死んだ」「女みたいな歌を歌うな」などと散々叩かれた[出典 56]
    • 同年9月27日の京都会館を皮切りにソロ初のツアーを行ったが[95]、半年前まで完売だったチケットが全く売れず[18]。キャロルを否定するような曲構成に評判は散々で[18]、"キャロルの矢沢"を期待するファンが一気に離れた[出典 57]。ある地方公演では楽屋がなく、近くの駄菓子屋の6畳一間を借りて着替えたこともある[15]。1975年10月7日、キャパ1400の長崎県佐世保市民会館の公演では[96]、雨の中、スタッフが総出でタダ券を配りまくって、200~300人余りの観客だったエピソードは、"リメンバー・佐世保"として『若い広場』を初め、矢沢の口からよく語られる[出典 58]。思うように仕事が入らず、エネルギーと時間を持て余す矢沢は[104]小室等の『パックインミュージック』(TBSラジオ)にゲストとして呼ばれてないのに勝手に生放送に乱入し[104]、パワー全開で矢沢節を展開させて小室を驚かせた[104]。小室は「日本のフォークソングをもっと強靭なものに育てていきたい」という考えを持っていたが[104]、意に反して当時、四畳半フォークが流行し、フォークが段々やわになっていく現状に苛立っていたため[104]、力強い矢沢に好感を持ち、矢沢は数度小室の『パックインミュージック』に押しかけ出演した[104]
  • 1976年
    • 1976年1月8日に中野サンプラザで行われたツアーラストの東京公演では、全身ラメの入った衣装を身に纏ってバラードアイ・ラヴ・ユー、OK」を歌ったため、観客は口あんぐりでブーイングを浴びせられる屈辱[18]。キャロルの"ノリ"のままでいけば、チケットが売れることは最初から分かっていたが[18]。それならキャロルを解散した意味はないと考えていた[出典 59]。メロディメーカーとしての絶対の自負から、クオリティーの高い楽曲のリリースを続ければ、ファンは必ず戻って来てくれるはずだという勝算を持っていた[出典 60]
    • 矢継ぎ早にライブツアーを重ねることで[18]、ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく[出典 61]。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった[105]。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂での1976年7月24日のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、サディスティックスをバックに迎え、最大収容3100人の会場に7000人近くが詰めかけ[102]、ソロアーティストとしての"スーパースター・矢沢永吉"を強く印象づけた[出典 62]
  • 1977年
    • 10代不良少年層を中心に熱狂的なファンを集め始める[出典 63]。当時のファンは9割以上が男[12]。女性はその熱い男に無理やり連れて来られた人だけで、男子トイレだけぎゅうぎゅう詰め状態[12]。男たちはいわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く[102]、ヒートアップした観客が暴走し、警備員とケンカになるなど熱狂的な状況に「矢沢のライブは危ない」と使用拒否する会場も出てくるなど[出典 64]、矢沢の名前は全国に轟いていった[102]。数々の難題があった中で日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行した[出典 65]
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート。
  • 1978年

1980年代

[編集]
  • 1980年代に入ると黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。
  • この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であった大野真澄フォークシンガーであり、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきら山川啓介を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズ加藤ひさしに作詞を依頼している。
  • 1980年
  • 1981年
  • 1982年
  • 1983年
    • 「I am a Model EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1983」をスタート。過激なファンによるコンサート中のトラブルを根絶するために観客席での喫煙行為、場内での、カメラやテープレコーダーでの盗聴盗撮の一斉取り締まりを実施[27]。さらに悪質な偽物のグッズ販売を抑制するために、オリジナル・グッズの通信販売をスタートさせる[27]
  • 1984年
    • 「E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート[27]
  • 1985年
  • 1986年
    • 「FEELIN' COME HA-HA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '86」をスタート。
  • 1987年
    • 「ROCK'N ROLL KNIGHT EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を5/22からスタート。
    • 「ROCK'N ROLL KNIGHT 2 EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を11/30からスタート
    • 第3弾海外版アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売[27]。全米での売上げ枚数5万枚。MTVスタッフによるPV製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。「FLASH IN JAPAN」のミュージック・ビデオの撮影は、上京以降、ずっと背を向け続けていた広島市原爆ドームで行われた[27]
    • 日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。サントラが発売される。
  • 1988年
    • アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。
    • 東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍[29]。日本国内を重視した活動になる。それまで一貫してプロモーション活動を積極的に行うことはせずにレコーディングとライヴ活動に専念していたが[29]、大小関わらず様々な雑誌インタビューから全国のテレビ・ラジオ局までプロモーションに回る[29]。地方の放送局やラジオ局からすると「来るはずのない人が来た!」と大騒ぎになった。こうして“よろしくお願いします”と挨拶しながらこまめにを回ることで、再び日本にミュージシャン“矢沢永吉”という芽がしっかり出始める。この試みは大成功であった。
    • 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。このことからアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感を募らせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。
    • 「It's Only YAZAWA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '88」をスタート。
  • 1989年
    • 「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9/1からスタート
    • 「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12/6からスタート

1990年代

[編集]
  • 1990年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。
  • 1991年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991「Big Beat」をスタート。
  • 1992年
    • アルバム『Anytime Woman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スターの長男、ザック・スターキーが「Anytime Woman」と「銀のネックレス」を担当した。レコーディングはロンドンのアビーロード・スタジオ。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992「Anytime Woman」をスタート。
  • 1993年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993「Come On!」をスタート。
  • 1994年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1994「The name is YAZAWA」をスタート。
    • TBS系列のテレビドラマ、アリよさらばで自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。
  • 1995年
    • ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995「JUST TONIGHT」をスタート。
  • 1996年
    • インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996「WILD HEART」をスタート。
    • 原宿にてゲリラライブ敢行。
  • 1997年
  • 1998年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998「SUBWAY EXPRESS」をスタート。
  • 1999年
    • 映画「お受験」で映画初主演[32]
    • 9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催[109]
    • 10月、世界最大のヨットレース「アメリカスカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。
    • 初のアメリカでのツアー「Millennium America Tour」敢行(ホノルルロサンゼルスサンフランシスコ)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999「LOTTA GOOD TIME」をスタート。

2000年代

[編集]
  • 2000年
  • 2001年
    • 「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001「Z (zi)」をスタート。
    • FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。
    • 自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。
  • 2002年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002「ONE MAN」をスタート。
    • 初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。
  • 2003年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2003「Rock Opera」をスタート。
    • ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。
    • 7月27日、大阪の万博記念公園で開催されたFM802主催の野外ロックフェス「MEET THE WORLD BEAT 2003」にシークレットゲストとして出演。披露したのは「ラブ・ファイター」1曲だけではあったが、突然の登場であったため観客を驚かせた。
  • 2004年
  • 2005年
    • ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005「ROOTS」をスタート。
  • 2006年
  • 2007年
    • 8月18日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。
    • 10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。
    • 郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。
  • 2008年
    • デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが、37年目で初めてステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表。20年在籍したEMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズ・レーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる[117]
  • 2009年
    • 7月20日、ap bank fesにサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなり出演に至った。
    • 7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。
    • 8月2日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。
    • 8月19日、新宿のタワーレコード新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビュー初のインストアライブ。
    • 9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介甲本ヒロト真島昌利、長女の矢沢洋子が出演。
    • 9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。
    • 10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009「ROCK'N'ROLL」をスタート。
    • 11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。
    • 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演。大物歌手揃いの紅白で、一人の歌手が持ち歌を2曲歌うという特例を許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。シークレット扱いで、リハーサルもおおっぴらに出来ずで[118]。「時間よ止まれ」の歌詞を間違え[118]、NHK側の配慮で字幕テロップを消された。

2010年代

[編集]
  • 2010年
    • 5月30日、「東京大学 五月祭」にて、初の学園祭ライヴにサプライズ出演。
    • 7月24日、HIGHER GROUND 2010に出演。
    • 8月7日、8日のSUMMER SONIC 2010に出演。
    • 8月14日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOに出演。
    • 8月28日、音楽と髭達2010 "GENERATION"にサプライズ出演。
    • 10月28日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2010「TWIST」をスタート。
  • 2011年
    • 11月17日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜」をスタート。
  • 2012年
    • 5月12日、開業前の東京スカイツリー350m天望デッキにてスペシャルライブを行う。
    • 8月20日よりEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE in LIVE HOUSEを開催。
    • 9月1日、日産スタジアム(横浜国際総合競技場)にてEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」を開催。
    • 11月7日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2012「JAMMIN' ALL NIGHT」をスタート。
    • 12月31日、第63回NHK紅白歌合戦に白組特別出演歌手としてサプライズ出演。「IT'S UP TO YOU」を熱唱。
  • 2013年
    • 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2013「ALL TIME HISTORY -A DAY-」をスタート。
    • 12月24日・25日に初のディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。
  • 2014年
    • 2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成[119]
    • 5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。
    • 8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。
    • 8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。
    • 8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。
    • 9月6日、第19回東京ガールズコレクションにサプライズ出演。
    • 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。
    • 12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。
  • 2015年
    • 4月12日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT』」を配信(4月24日から27日までの4日間、YAZAWA CLUB会員限定で再配信された)。
    • 9月5日、東京ドームにてソロデビュー40周年を記念したライブ「EIKICHI YAZAWA ROCK IN DOME 2015」開催。その模様はWOWOWプライムにて生中継された。また、本ライブに先駆けて、ファンクラブ・YAZAWA CLUB会員限定のライブ「EIKICHI YAZAWA OPEN REHEARSAL GIG」を行った(8月28日・Zepp Sapporo、8月31日・Zepp Namba(OSAKA)、9月1日・Zepp Nagoya)。本公演の模様は同年12月2日にBlu-ray&DVDで同時リリース[120]
  • 2016年
    • 2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST RESPECT ARTIST(音楽シーンに貢献し、多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)」を受賞[121]
  • 2017年
    • 10月22日、実に7年ぶりとなる25本以上のツアー、「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」」開始。
  • 2018年
    • 満69歳(「ロック」)を迎えるに当たり全国5都市のドームツアー「EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018 - STAY ROCK -」を9月1日よりスタート。9月4日の名古屋公演が台風21号の影響により翌日にずれ込むなどしたが、9月15日東京ドームで完走し、この模様はWOWOWで生中継された。
  • 2019年
    • 2月10日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT 2』」を配信。同ライブはYAZAWA CLUB会員で、申し込みのあった中から抽選で選ばれた50名が招待され、前日9日に行われたライブを収録したものである(10日・11日にはオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」にて各一回ずつ特別上映)。
    • 7月6日、自身初のロックフェス「E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019"」を幕張メッセで開催。出演は矢沢の他、氣志團KREVA東京スカパラダイスオーケストラ(Guest・奥田民生)、MIYAVI。ライブの模様は動画配信サービス・Huluを通じて生配信された(なお、同年7月25日より1ヶ月限定で、矢沢のライブのみを独占配信[122]。同フェスを開催するにあたっての意気込みやリハーサル風景などに独占密着した映像を、同年7月10日に日本テレビのワイドショー情報番組スッキリ」にて放映。翌週17日には独占インタビューが放送された)。ライブ中盤、日本テレビ系列で生放送された音楽番組「THE MUSIC DAY 2019 時代」の中継に出演した[123]
    • 10月10日、台風19号の接近による公共交通機関の混乱及びそれらに伴う来場者の安全を第一に考慮し、10月12日に日比谷野外大音楽堂で開催予定だったワンマンライブ「EIKICHI YAZAWA SPECIAL LIVE『THE STAR IN HIBIYA 2019』」の中止を発表した[124][125]。矢沢にとって70歳の誕生日を迎えて初のライブだったこともあり思い入れも深く、また、43年ぶりの日比谷野外音楽堂での公演を楽しみにしていたファンの気持ちを汲み、10月19日夜にチケット当選者に向けてリハーサル風景などを編集した映像をインターネットを通じて限定配信[126]
    • 11月24日、同年11月16日より行われているライブツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019『ROCK MUST GO ON』」マリンメッセ福岡での公演を体調不良(喉)により急遽中止を発表した。札幌公演より喉の調子が思わしくなく、できる限りの対策や治療を施したが回復が見られなかったため。自身の体調不良を理由に公演を取り止めたのは歌手生活47年にして初めてである[127]。27日の浜松アリーナ公演もドクターストップがかかり、中止を余儀なくされた[128]

2020年代

[編集]
  • 2020年
    • 3月26日、4月21日から予定していたライブツアー『E.YAZAWA "ROCK MUST GO ON" TOUR -EXTRA- 2020』の全公演を中止すると発表した[出典 77]。これは前年2019年より猛威を振るっている2019新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け(「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」、「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」参照)、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスターを発生させないための決定である[130]
    • 5月2日、公式YouTubeチャンネルにて、ファンクラブ会員限定で『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1』(2015年)、同月3日に『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2』(2019年)を再配信。また同月5日・6日の2日間、<YAZAWAとSTAY HOME,STAY ROCK!>『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1、2スペシャルプログラム』と題し、選りすぐりの8曲を一般にも配信した。これは上記「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」に基づく「いのちを守る STAY HOME週間」で外出を自粛しているすべての人へ矢沢からの心意気である(配信動画冒頭に矢沢からのスペシャルメッセージが添えられた)。後日、緊急事態宣言が延長されたことを憂慮、また、配信が好評だったこともあり5月9日から24日まで再配信することを発表した。
    • 6月17日、2020年6月現在までに商品化されていない過去のライブ映像の中から厳選した3本を有料配信すると発表した。プロジェクトの名称は代表作のひとつである「SOMEBODY'S NIGHT」に因み『3 BODY'S NIGHT(サンバディーズナイト)』とした[131]。第1弾は6月27日に、2017年の『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」』武道館公演の模様をフルバージョンで配信。第2弾は7月に、2019年の『ROCK MUST GO ON』横浜アリーナ公演、第3弾は8月に、1999年の『LOTTA GOOD TIME』日本武道館公演の模様を配信。なお、本配信にあたって、矢沢本人が音源のミックスダウンを行い、少しでも臨場感を伝えられるよう努めた。また、ライブ本編以外にも撮影していたリハーサル風景などを含むメイキング映像も併せて配信した。
    • 9月12日、日本テレビ系列で放送された大型音楽番組「THE MUSIC DAY」にて、矢沢のロングインタビューをもとに『時間よ止まれ』に纏わる逸話をドラマ化した特別企画『矢沢永吉 特別ドラマ』が放送された。矢沢を演じたのは俳優の神尾楓珠[132]
  • 2021年
    • 7月7日、「矢沢です。今秋ツアーやります。」という告知メッセージが公式サイトに掲載された[133]。7月11日、10月5日より石川県・金沢歌劇座を皮切りに、全国ツアー『I’m back!! 〜ROCKは止まらない〜』を開催することを正式に発表。10月1日、12月25日に横浜アリーナにおいて追加公演が決定したことを発表した[134]。 ライブツアーは2019年に実施した『ROCK MUST GO ON』 以来、1年10ヶ月ぶりである。
    • 12月15日・18日・19日・21日の4日間は東京・日本武道館で行われた。19日の公演は、WOWOWプライムにて生中継された。最終日21日の公演を終え、同会場の単独アーティスト公演回数最多記録(146回)を更新した[135]。12月25日、横浜アリーナで千秋楽を迎え、23会場31公演を完逐した[136]。また、ツアー終了時に72歳3カ月である矢沢は、全国アリーナツアー(ホールを含む31公演)を行った国内男性ソロアーティスト最年長記録を塗り替えた(それまでは2019年に当時71歳10カ月で小田和正が行ったアリーナツアー(64公演)が最年長記録であった)[137]
  • 2022年
    • 4月4日、デビュー50周年を記念し国立競技場2DAYSを含むスタジアム&ドームツアーを8月から開催する予定であると発表した[出典 78]
    • 7月2日・3日、ロック・フェスティバル「E.YAZAWA SPECIAL EVENT ONE NIGHT SHOW 2022」を幕張メッセで開催した[139][140]
    • 8月27日、『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』初日。27日・28日は国立競技場で開催され、2日間で延べ12万人のファンを魅了した[141]。27日はスペシャルゲストに歌手のMISIA、28日にはB'zがサプライズゲストとして出演した[142]。本ライブは新しくなった国立競技場で行われた初の有観客音楽ライブである。また、2019年12月以降、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため禁止していた"タオル投げ"が解禁された[143][144]。9月18日に福岡PayPayドーム、9月25日に京セラドーム大阪でライブを行い、3都市4公演を完遂した。なお、国立競技場公演2日目(8月28日)の模様を収めたBlu-ray&DVDを2022年12月21日にリリースすることが発表された[145]
    • 9月14日、秋のホール&アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2022 〜ONE FIFTY〜』(11都市17公演)を開催すると発表した。ツアー最終公演は日本武道館での4DAYSを予定しており、最終日の12月20日には矢沢が日本武道館で行ったライブ通算150回を達成[146][147]するはずであったが、3日目(12月18日)の公演から喉に不調を感じ、最終日当日となる12月20日まで回復に努めたが好転しなかった。観客に対し真摯に向き合い、最高のパフォーマンスを魅せる姿勢を常としている矢沢は現状ではステージに立つことは出来ないと苦渋の決断を下し、最終日公演中止の告知を公式サイト及びSNSを通じて発表した。これにより150回の記録更新は持ち越しとなった[148][149]。12月23日、「NHK MUSIC SPECIAL 矢沢永吉 激白!超えられなかったあと1本」に出演。記録達成を目前に断念した武道館公演への思いを語った。また、今夏に行った国立競技場ライブへの道のりを記録したドキュメンタリー映像やキャロル時代からの秘蔵映像も併せて放送された[150]
  • 2023年
    • 7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL'23に初出演[151]。“GREEN STAGE”にて8曲を披露した。
    • 12月14日、全国アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2023「Welcome to Rock’n’Roll」』東京4Days初日公演を日本武道館にて開催。前年2022年に喉の不調で断念した日本武道館公演通算150回を、本公演を以って達成した[152]

様々な事件・騒動

[編集]
山中湖の自宅取り壊し
1978年7月に[66]富士山麗の山中湖に1億円で建てた自宅が無断で『アサヒ芸能[注釈 7]に取り上げられ[27]、地図にも掲載された[23]。そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、酒盛りしたり、大声で歌ったり、花火を打ち上げたり、落書きしたりし[66]、家族が生活できないほどにファンに引っ掻き回され周辺は大騒ぎとなる[出典 79]。妻はノイローゼで入院一歩前、子供たちは不登校になり、しかたなく他の地区へ引越した[出典 80]。その後、空き家となった住居に一部のファンが侵入し、スプレーで落書きや板を剥がしてのたき火、無造作に残された女性下着など、悪質な行為がエスカレートしたため、自宅を取り壊すこととなる[出典 81]
ポルシェ盗難事件
1982年、マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件[出典 82][注釈 8]
そっくりさんによる3億円CM裁判[155]
最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。
オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件[出典 84]
土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった[出典 85]。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15、6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である[66]。なお、犯人は個人事務所の経理部長とオーストラリアの現地責任者で、1998年8月に現地責任者が、1999年3月10日に経理部長がそれぞれ逮捕されている[156]
サントリー「BOSS」CM自粛
サントリー「BOSS」CM中のセリフ「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…どこ行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議し、CMは自粛となった。次回のCMではセリフが「冗談じゃねえよ」となった。
桑田佳祐による「すべての歌に懺悔しな!!騒動
1994年に桑田が発表した楽曲「祭りのあと」のカップリング曲である「すべての歌に懺悔しな!!」の歌詞を巡り、マスコミによって長渕剛と共に桑田に揶揄された当事者とされた。この際、激怒した長渕とは対照的に「お互いクリエイター。全然、気にしてないよ。それより桑田君の方は大丈夫か?」と逆に桑田を気遣う発言をしたとされている。
キャロルの著作権を巡るジョニー大倉との争い
ものまねタレントへの提訴
2007年、ものまねタレントの石山琉大が、「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自身の公式ホームページに記載し、ものまね芸および自身の経営する飲食店の広告・宣伝のために矢沢の知名度を利用した。しかし、石山自身の借金がたまり、イベント会場を借りたが支払いもせず、車販売などでもトラブルを次々起こす。石山のビジネスには何ら係わりのない矢沢の事務所にも被害者から苦情が舞い込むことがしばしば発生したため、業を煮やした矢沢側が石山を相手に1000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。
すると石山は、矢沢側からの損害賠償の訴えが精神的苦痛になったことを理由に、矢沢に対して1億円の賠償を求める逆訴訟を起こした。代理人を通し、矢沢は石山に誠意を込めて謝ってほしいと譲歩を示したことで石山側が折れた。石山から謝罪文書と50万円を受け取った。しかし、後に“石山が和解に納得していない”という内容のコメントを矢沢が自身のHPに掲載したことで、再び関係が悪化、2009年10月19日に石山は名誉棄損を主張して矢沢に対して3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2010年3月25日、全て棄却された。

上述のような逆境に見舞われたが、CMやテレビドラマ、映画への出演により2005年までに借金を完済し、東京・赤坂の一等地に5階建てのスタジオを建設するまでに至る。なお本人はその件に関し「また新たなローンが出来てしまった」と笑い交じりに話している。金融機関から「あなたは返済の優等生ですよ」と評価されているという。[要出典]

音楽性

[編集]

特徴

[編集]
  • 団塊の世代であり、特にザ・ビートルズの影響を強く受けている[157]。最初にプロデビューを飾ったキャロルは、初期ビートルズを模範としたロックンロールをベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、他のメンバーとの間に大きな溝が生まれ解散に至った[出典 86]
  • キャロル解散の後、ソロ活動を始めたが、バラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。1975年9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるアルバム『I LOVE YOU,OK』および、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット」でソロデビュー。本アルバムでは、当時まだ日本では珍しかったセルフプロデュースを行い、アレンジも同時に行うというセルフプロデュース方式をとった[159]。外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサーを起用するという、現在では当たり前の手法を行った[159]。『I LOVE YOU,OK』を作り終え「俺はバンドのなかの矢沢永吉と決別して、ひとりでやっていけるかもしれない」という手応えを得る[159]海外レコーディングの成果に一つにアレンジの習得がある。アレンジーつによって原曲がいろんな顔に変わることに驚いたと述べている。1980年代前半には、レコーディングに参加したドゥービー・ブラザーズのメンバーらを連れてコンサートを行った。[要出典]
  • 39歳前後のインタビューで「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った[160]。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代〜50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった[出典 87]
  • 主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れている[162]
  • マイクスタンドを振り回す独特のアクションは「マイクターン」と呼ばれ[53]、ソロ・デビュー当時からライブでの見せどころの一つである[163]。ソロデビューした時にベースを弾くのを止めたら、触るものが無くなって手持ち無沙汰になり、ある日、マイクを蹴って、スパーンと決まった[93]。自身もびっくりしたが、観客もびっくりした。「あっ、これはいいな」と気づいて始めた[93]。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープで固定、シールドコードも白色に統一してある。ステージ衣装も白のスーツを着用することが多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する[注釈 9]。コンサート終盤には楽曲(「止まらないHa〜Ha」「トラベリン・バス」等)に合わせてタオル投げが会場全体に起こるのも大きな特色の一つである[52]。この「タオル投げ」は、客側から「トラベリン・バス」演奏時に自然発生で起こったのが最初であるという[出典 88]
  • コンサートの広告には、現在に至るまで「特攻服での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。キャロル時代から始まり、1975年のソロデビュー以降、1980年代にかけても[出典 89]、矢沢は暴走族ヤンキー愚連隊などの不良層から支持を受けており[出典 90]、それゆえ会場内はポマードシンナーの臭いが漂い[168]、コンサート会場周辺は単車の爆音が鳴り響き[168]、毎年不良の集会と化し[168]、血の気の多いファン同士の乱闘もしばしば起こり会場周辺に混乱を引き起こすことも少なくなかった[出典 91]。当時は全国規模で2~3,000人という私設応援団があり[出典 92]、中には特攻服のようなユニフォームの団体もあり[169]、"集団の威圧感"があったことも事実で[169]、これらは社会問題にまでなり[出典 93]、新規ファンや女性客、一般のファンが近寄り難かったためである[出典 94]。他に当時は今日のようにネット販売がなく、チケット売り場(プレイガイドなど)に並ぶしかチケットが取れなかったため、応援団同志でトラブルが多かった[169]。またキャパ2,000の会場で、観客が椅子の上で飛び跳ね、300席椅子を壊したこともあった[169]。1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない[17]、洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった[出典 95]。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった[24]。ちなみに、矢沢はこういったことがあった時期に「なんで桑田佳祐には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思っていたことがあったことを1980年代後半から1990年代前半までサザンオールスターズや桑田の作品に関わっていた小林武史とインタビューをした際に明かしている[172]。一連の騒ぎや「会場拒否」が落ち着いたのは1990年代に入ってからであった[167]また、過去の迷惑行為の多くが飲酒者によって引き起こされていたため、現在では入場時、アルコールチェックが行われ、飲酒者を締め出している。[要出典]2019年1月には私設応援団なる迷惑ファンの出入り禁止およびファンクラブの強制脱会の措置を下したことを公式サイトで報告した[173]。矢沢がソロデビューした1970年代半ばから1980年にかけては『ぴあ』や『POPEYE』といったカルチャー誌若者文化を先導し[168]、都会的なアイビースタイルが好まれた時代で[168]、矢沢が一貫してこだわり続けたのはその対極にあるものだった[168]
  • 1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす[171]。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した[出典 96]
  • 自身をシンガーソングライターではなくメロディーメーカーであると自負をしており、作曲のみを行っている。作詞をしないのは「才能がないから」としている[175]
  • 1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」「僕はなにひとつ、つくらなかった(捏造しなかった)」[176]という趣旨の発言をしている。
  • チェコ・ナショナル交響楽団をバックバンドに招聘し、「Rock Opera」を開催した[177]

功績

[編集]

ロックのメジャー化

[編集]

日本の「ロックの祖」[13]、日本にロックンロールを定着させた[76]、ロックを日本で初めてビッグビジネスにした[54]、自身の力でロックが市民権を得るところまで引き上げた[54]などと評される。歌謡曲フォークソングの全盛だったこの国の音楽シーンに「日本語のロック」という風穴をぶち開け[52]、以降も半世紀以上にわたり最前線で活動を重ね、最高峰として君臨する[52]。たとえ無力の若者でも才能一つで「成りあがる」ことが出来るという"ジャパニーズドリーム"を体現して見せ[13]、ロックに「生き方」という意味づけを行い[13]、日本に於ける「ロック」という価値観を形づくり[13]、日本のロックスター像を形成した[178]。独立独歩のステータスの確立という点において、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在である[出典 97]

レコード会社操り人形ではなく[13]、自身で作曲し、自身でアルバムやステージをプロデュースし[13]、アーティストとしてのロックスター像を確立し[13]、自ら会社を立ち上げて、音楽ビジネスに於けるアーティストの権利を最初に主張し[13]、日本の音楽業界に欠けていたことを片っ端から構造的に変えていった[13]。矢沢はアーティストであると同時に先進的なイノベイターでもあった[出典 98]

アマチュア時代のキャバレーナイトクラブから始まり、ライブハウス地方公民館日比谷野音や大都市の大ホールを経て、日本武道館、後楽園球場を制覇。この出世の階段が、そのままロック界の成功の進路として"体系化"させた[54]

キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい[出典 99]。1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館公演[出典 100]。1978年3月21日に発売した資生堂CMソング時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得しミリオンセラーを記録[出典 101]

コマーシャルソングが大きな注目を集めたのは、資生堂カネボウによる、春・夏・秋・冬の化粧品キャンペーンソング合戦であるが[184]、まだまだフォークやロック、ニューミュージックは反商業主義を掲げ[184]、そういうものとは手を組まないという風潮があった時代に於いて[184]、矢沢がCMタイアップという資本主義経済の権化と手を組んだことは、以降の両者の関係に大きな影響を与えた[184]スージー鈴木は「広島出身ミュージシャンたちはビジネス嗅覚が鋭い」と評価している[82]。80年代の新しい音楽的才能は多くがタイアップから世に出た[185]。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[出典 102][出典無効]。東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)時代から、日本のロック黎明期のプロデュースに携わった石坂敬一は「日本のロックが爆発しないのはシングルヒットがないからだ、などと内田裕也加藤和彦らと言い合っていたら、自身と関係のないCBS・ソニーで『時間よ止まれ』が当たり"日本"のロックと言わなくてもいい時代に80年代以降なっていった」と述べている[187]。石坂は1988年に矢沢を東芝EMIに引き抜いた[187]。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバムゴールドラッシュ』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢が一位を独占した[22]。またこの年12月に出したライブ・アルバムLIVE 後楽園スタジアム』もオリコンアルバム1位を獲得している。

同年5月長者番付(1977年度納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得[出典 103][注釈 10]。申告所得額は1億7123万円と[出典 104]、2位南こうせつに1億円の差をつける突出したものだった[66]。矢沢は「自分で勝ち取ったんですよ。むしり取ったというのかな、この業界から。びっくりしたと思うよ。こんなヤツが出てきたよって」と述べている[15]。1980年と1982年にも1位となり[15]、最後の公示だった2004年も3位に入る[15]。ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を打ち破った。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[171]。自身では「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べている[171]。7月15日に刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに18刷60万部を売り上げ[出典 105]版を重ねて100万部を超えるベストセラーとなる[出典 106]。矢沢は、音楽スタイルの表面的な部分だけでなく、ロックという生き様を体現した[出典 107]

8月28日には後楽園球場コンサート。ロックの単独公演で5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された[出典 108]。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先鞭をつけた[31]。後楽園球場コンサートを控えた1978年当時の雑誌インタビューで矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロックの実質的な始祖であると言い切った[出典 109][注釈 11]。1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた[190]

海外レコーディング先駆け

[編集]

1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した[出典 110]。また1981年、米国のレコード会社アサイラム・レコードと契約し[27]、アルバム『YAZAWA』を発売するが、直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った日本人シンガーは矢沢が初めてである[出典 111]

矢沢は

誰よりも誰よりも先に海外に出た。誰よりも誰よりも日本一になってやろうと思った。誰よりも誰よりも絶対上にいってやろうと思った。誰よりも誰よりも誰よりも最高の世界的なやつらとセッションした。セッションしないで海外に出もしないで、英語で苦労したこともないのに、お前らなにがわかるんだっていうのがおれの言い分。日本の国内あたりでピィピィやってて、なにお前らにわかるんだ

などと述べている[193]

ライブミュージシャンの先駆者

[編集]

1975年ソロデビュー以降、「ライブと言えば矢沢永吉」と言われるほど[190]ショーマンシップ溢れるライブを展開してきた[190]。自身のロック・スピリッツを明確に表現できるのはステージであると確信し、積極的にツアーを行った[190]。1970年代は21人の"矢沢ファミリー"と4トン半のトラック二台に機材を積み全国を"ドサ回り"した[出典 112]。ツアーを重ねるたびに規模も会場のキャパも大きくなっていったが、同時に新たなファンも確実に獲得していった[190]。2012年まで総ライブ数は1800回を超え、ライブの実績において他の追随を許さない[28]。矢沢は制作や興行という面でも先駆者と呼ぶべきキャリアを歩んできた[出典 113]。矢沢がライブ制作を自前で手掛け始めたのは1990年[出典 114]。音楽業界の常識を破る試みだったが、リーダーシップを発揮し、ステージセットの刷新や音響環境の改善。大規模なホーン隊やストリングスを招聘するなど、ミュージシャンらしい視点を取り入れたライブは、日本の音楽シーンに大きなインパクトを与えた[28]

AKB商法が話題を呼んだ2012年には「口パクはダメだよ。あと何枚買ったら手を握らせるとかあるかは知らないけど、もしあるなら一緒にしてほしくない。そんなジャンル、俺たち歌手とは別モノでしょ。俺も100枚買ってくれたら×××握られしちゃうよ!」とジョークを交えて力説した[195]

著作権ビジネスの先駆者

[編集]

矢沢はキャロル解散後に、ビートルズが設立したアップル・コアにならって自らの音楽出版社を設立した[出典 115]。当時の音楽業界はアーティストが自分の作品の権利を主張するなど言語道断[出典 116]レコード会社や音楽出版社が権利を掌握し、レコード・CDの売り上げなどはミュージシャンの懐にほとんど届かない仕組みになっていた[18]。音楽の著作権(出版権)は通常、レコード会社から音楽出版社に管理が委託されるが、出版権だけでなく肖像権にも目をつけた[76]。グッズ販売なども自らの手でコントロールした[出典 117]。1991年、それまでコンサート制作を任せていた大手プロモーターとの契約を解除し[出典 118]、自社でのコンサート制作に切り換える[出典 119]。このため一時、ツアーはどこも満員でも赤字続きだった時期がある[出典 120]。2008年「GARURU RECORDS」設立で、音源制作や流通をすべて自前で行うスタイルを確立した[出典 121]。現在、世界の音楽業界では、CD販売のみに頼ることなく、あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっており、矢沢は日本に於ける先駆者であると言われる[28]。こうした銭金の話が日本人に馴染まないこともあって、これまで多くのトラブルが発生した[18]

矢沢は

だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。ファッションだったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の芸能界でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。だからオレ、浮いてたよ。"にぎりの矢沢"って言われてた。にぎりってのはドケチっていうことね。守銭奴扱いよ。中にはオレに賛同してくれたミュージシャンもいたけど、いざとなると自分の身がかわいいんだな。体制側についちゃうんだよ。だけどオレは貫き通した。自分が守るためってのもあったけど、芸能界のカラクリにハラがたったからよ。(中略)オレ、雑誌のインタビューなんかで芸能界をバンバン批判した。しまくったよ。テレビ局から、芸能プロダクションから、レコードカンパニーから。だって、オレの方がスジ通ってると思ったもの。(中略)そりゃあね、風当たりムチャクチャ強かったよ。芸能プロダクションとしちゃあ、ミュージシャンが賢くなるのは困る。音楽バカでいてくれたほうが都合がいいのよ、コントロールできるから。実際、オレを潰そうとしたとこもあったしね。矢沢がバンバン発言するようになって、だんだんみんな目覚めてきたよね。この世界も、オレが正しいと思った方向に変わってきた

などと述べている[出典 122]。前述のトラブルの大半が先に挙げた著作権や肖像権に関わることである。矢沢は「結局はただ音楽を作ろうと思っても、納得出来ないことが山ほどあったってだけ。長い物には巻かれず、"F〇〇Y〇〇!"ってやってきたから。他の芸能人が誰もやろうとしないから、オレがやらざるを得なかった」などと述べている[98]。矢沢はコンサートの演出からアルバム制作まで、すべて自身でプロデュースを行っている[199]

矢沢ファンを公言する著名人

[編集]

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]
発売日 タイトル カップリング 規格 規格品番 順位
CBS・ソニー
1st 1975年9月21日 アイ・ラヴ・ユー、OK セクシー・キャット EP SOLB-305 43位
1989年3月21日 8cmCD 10EH-3256 -
2nd 1976年3月21日 真夜中のロックン・ロール 最後の約束 EP SOLB-402 65位
1979年9月21日 06SH-605 -
3rd 1976年9月21日 ひき潮 写真の二人 EP 06SH-65 50位
1989年3月21日 8cmCD 10EH-3257 -
4th 1977年6月21日 黒く塗りつぶせ せめて今夜は EP 06SH-170 78位
5th 1978年3月21日 時間よ止まれ チャイナタウン EP 06SH-270 1位
1989年3月21日 8cmCD 10EH-3258 -
6th 1979年4月1日 I say Good-bye, So Good-bye 天使たちの場所 EP 06SH-464 16位
ワーナー・パイオニア
7th 1980年3月10日 THIS IS A SONG FOR COCA-COLA RUN & RUN EP K-30W 5位
8th 1980年5月10日 涙のラブレター レイニー・ウェイ K-31W 9位
-[注釈 13] 1980年11月28日 兄貴に相談 - KZ-2W -
9th 1981年4月25日 抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- The Ride K-1503W -
10th 1981年9月25日 You/Shampoo K-1510W 23位
11th 1982年2月20日 YES MY LOVE YOKOHAMA FOGGY NIGHT K-1515W 8位
12th 1982年4月10日 LAHAINA SEPTEMBER MOON K-1516 16位
13th 1982年10月9日 ROCKIN' MY HEART WHY DID YOU EVER GO K-1519 15位
14th 1983年6月29日 ミスティ -misty- WHY YOU… K-1524 16位
15th 1983年11月16日 Last Christmas Eve シーサイド#9001 K-1527 14位
16th 1984年3月10日 THE BORDER I SAID I LOVE YOU K-1530 42位
17th 1984年7月10日 逃亡者 BALL AND CHAIN K-1534 24位
18th 1985年6月25日 TAKE IT TIME あ・い・つ K-1550 18位
19th 1986年5月25日 BELIEVE IN ME 棕櫚の影に <1985・12・19武道館LIVE> K-1560 17位
Warner Bros. Records
20th[注釈 14] 1987年5月13日 FLASH IN JAPAN YOKO EP 7-28325 -
東芝EMI / EASTWORLD
21st 1988年7月6日 共犯者 RISKY LOVE EP RT07-2130 6位
8cmCD XT10-2030
CT ZX10-6145
22nd 1988年9月21日 ニューグランドホテル キャンディ EP RT07-2200 26位
8cmCD XT10-2200
CT ZX10-6200
23rd 1988年11月30日 くちづけが止まらない ルイジアンナ (ニューヴァージョン) EP RT07-2250 42位
8cmCD XT10-2250
CT ZX10-6250
24th 1989年4月26日 SOMEBODY'S NIGHT アゲイン EP RT07-2333 2位
8cmCD XT10-2333
CT ZX10-6333
25th 1989年7月19日 愛しい風〜子熊のテーマ〜 六本木ショット EP RT07-2400 17位
8cmCD XT10-2400
CT ZX10-6400
26th 1989年10月11日 バラードよ永遠に FLESH AND BLOOD EP RT07-2425 6位
8cmCD XT10-2425
27th 1990年5月23日 PURE GOLD I LOVE YOU,OK -1990 Version- Maxi TODT-2513-Y 1位
8cmCD TODT-2513
CT TOST-2513
28th 1991年4月19日 夢の彼方 フェンス越しのFICTION 8cmCD TODT-2650 3位
CT TOST-2650
29th 1991年5月31日 ラスト・シーン LONELY WARRIOR 8cmCD TODT-2670 4位
CT TOST-2670
30th 1991年12月11日 BIG BEAT DON'T WANNA STOP 8cmCD TODT-2780 29位
31st 1992年6月3日 Anytime Woman Sail Away TODT-2839 9位
CT TOST-2839
32nd 1992年6月17日 Anytime Woman -English Version- アンジェリーナ 8cmCD TODT-2863 9位
CT TOST-2863
33rd 1993年2月10日 東京 心花よ 8cmCD TODT-2980 6位
CT TOST-2980
34th 1993年10月27日 黄昏に捨てて 闇の中のハリケーン 8cmCD TODT-3123 24位
35th 1994年4月27日 アリよさらば SEA BREEZE TODT-3215 4位
CT TOST-3215
36th 1994年5月25日 いつの日か センチメンタル・コースト 8cmCD TODT-3230 8位
CT TOST-3230
37th 1995年2月8日 夏の終り 抱いちまったら 8cmCD TODT-3430 19位
38th 1995年5月24日 青空 THE TROUBLE MAN TODT-3490 30位
39th 1996年5月16日 MARIA 終わりじゃないぜ TODT-3700 26位
40th 1996年11月7日 もうひとりの俺 WILD HEART TODT-3880 37位
41st 1997年9月3日 Still China Girl TODT-5040 34位
42nd 1997年11月7日 あの日のように だから、抱いてくれ TODT-5075 37位
43rd 1998年7月29日 チャイナタウン 黒く塗りつぶせ TODT-5178 33位
44th 1999年6月30日 Oh!ラヴシック I have no reason Maxi TOCT-4155 17位
馬鹿もほどほどに (Live at CLUB CITTA' KAWASAKI Sep.29th,1998)
45th 2000年8月9日 THE TRUTH Brother! TOCT-4235 16位
ユニバーサル インターナショナル
46th 2000年10月25日 Tonight I Remember Little Drummer Boy (Song by Narada Michael Walden) Maxi UICE-5001 35位
東芝EMI / EASTWORLD
47th 2001年8月29日 背中ごしの I LOVE YOU THE STRANGE WORLD -remix- Maxi TOCT-4315 19位
48th 2002年7月26日 鎖を引きちぎれ 気ままなロックン・ローラー Maxi (CD-EXTRA) TOCT-4403 15位
49th 2005年8月24日 ONLY ONE 面影 Maxi TOCT-4895 20位
EMI Music Japan
50th 2007年9月5日 夏の終り この道の向こうに Maxi TOCT-40142 27位
GARURU RECORDS
51st 2009年2月25日 Loser Maxi GRRC-7 17位
52nd 2009年6月3日 コバルトの空 未来をかさねて GRRC-8 13位

オリジナル・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1975年9月21日 I LOVE YOU,OK LP SOLN-4 CBS・ソニー 8位
1990年10月15日 CD CSCL-1256 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-951 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 99位
2nd 1976年6月21日 A Day LP 25AH-35 CBS・ソニー 9位
1990年10月15日 CD CSCL-1257 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-952 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 109位
3rd 1977年4月21日 ドアを開けろ LP 25AH-185 CBS・ソニー 2位
1990年10月15日 CD CSCL-1260 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-955 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 114位
4th 1978年6月1日 ゴールドラッシュ LP 25AH-485 CBS・ソニー 1位
1990年10月15日 CD CSCL-1263 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-958 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 100位
5th 1979年6月21日 Kiss Me Please LP 25AH-734 CBS・ソニー 2位
1990年10月15日 CD CSCL-1266 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-961 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 118位
ワーナー・パイオニア
6th 1980年6月10日 KAVACH LP K-10022W ワーナー・パイオニア 2位
1985年12月10日 CD 32XL-136 -
1990年10月25日 WPCL-195
2010年11月20日 GRRC-11 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 246位
7th 1981年8月5日 YAZAWA LP K-10024E ワーナー・パイオニア 9位
1981年9月25日 5E-536 海外発売 第1弾 / 逆輸入 3位
1983年 CD 35XL-21 -
1985年7月10日 32XL-97
1990年10月25日 WPCL-199
2010年11月20日 GRRC-12 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 247位
8th 1981年10月25日 RISING SUN LP K-12502W ワーナー・パイオニア 3位
1983年 CD 35XL-14 -
1987年10月25日 32XL-226
1990年10月25日 WPCL-200
2010年11月20日 GRRC-13 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 278位
9th 1982年7月10日 P.M.9 LP K-12056 ワーナー・パイオニア 1位
1983年 CD 35XL-2 -
1985年7月25日 32XL-100
1990年10月25日 WPCL-201
2010年11月20日 GRRC-14 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 218位
10th 1982年12月4日 YAZAWA It's Just Rock'n Roll LP SDM-15005 ワーナー・パイオニア 2位
1983年2月10日 60199-1 海外発売 第2弾 / 逆輸入盤 -
1983年 CD 35XL-7
1987年9月25日 32XL-223
1990年10月25日 WPCL-202
2010年11月20日 GRRC-15 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 256位
11th 1983年7月20日 I am a Model LP K-12507 ワーナー・パイオニア 4位
1983年 CD 35XL-13 -
1985年8月10日 32XL-104
1990年10月25日 WPCL-203
2010年11月20日 GRRC-16 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 277位
12th 1984年7月25日 E' LP K-12512 ワーナー・パイオニア 3位
CD 35XL-44 -
1985年7月10日 32XL-98
1990年10月25日 WPCL-205
2010年11月20日 GRRC-17 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 248位
13th 1985年7月25日 YOKOHAMA二十才まえ LP K-12517 ワーナー・パイオニア 1位
CD 32XL-94
1990年10月25日 WPCL-206 -
2010年11月20日 GRRC-18 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 261位
14th 1986年7月25日 東京ナイト LP K-12525 ワーナー・パイオニア 5位
CD 32XL-158
1990年10月25日 WPCL-209 -
2010年11月20日 GRRC-19 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 245位
Warner Bros. Records
15th 1987年5月18日 FLASH IN JAPAN LP 25384-1 Warner Bros. Records 海外発売 第3弾 / 日本未発売 -
CD 25384-2
1999年12月24日 TOCT-24280 東芝EMI / EASTWORLD 15位
東芝EMI / EASTWORLD
16th 1988年7月21日 共犯者 LP RT28-5255 東芝EMI / EASTWORLD 3位
CT ZT28-5255
CD CT32-5255
2010年11月20日 GRRC-20 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
17th 1989年6月21日 情事 LP RT28-5500 東芝EMI / EASTWORLD 2位
CT ZT28-5500
CD CT32-5500
2010年11月20日 GRRC-21 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
18th 1990年7月31日 永吉 TOCT-5780 東芝EMI / EASTWORLD 2位
2010年11月20日 GRRC-22 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
19th 1991年7月5日 Don't Wanna Stop TOCT-6200 東芝EMI / EASTWORLD - 3位
2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
20th 1992年6月24日 Anytime Woman TOCT-6521 東芝EMI / EASTWORLD 5位
2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
21st 1993年3月31日 HEART TOCT-6925 東芝EMI / EASTWORLD 1位
2010年11月20日 GRRC-25 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
22nd 1994年7月6日 the Name Is... TOCT-8480 東芝EMI / EASTWORLD 1位
2010年11月20日 GRRC-26 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
23rd 1995年7月5日 この夜のどこかで TOCT-9110 東芝EMI / EASTWORLD 3位
2010年11月20日 GRRC-27 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様
24th 1996年7月3日 MARIA TOCT-9550 東芝EMI / EASTWORLD 5位
2010年11月20日 GRRC-28 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
25th 1997年8月8日 YES TOCT-9930 東芝EMI / EASTWORLD 8位
2010年11月20日 GRRC-29 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
26th 1999年8月6日 LOTTA GOOD TIME TOCT-24200 東芝EMI / EASTWORLD 10位
2010年11月20日 GRRC-30 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
27th 2000年9月27日 STOP YOUR STEP TOCT-24400 東芝EMI / EASTWORLD 7位
2010年11月20日 GRRC-31 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
28th 2001年9月27日 YOU,TOO COOL TOCT-24650 東芝EMI / EASTWORLD 6位
2010年11月20日 GRRC-32 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
29th 2004年9月1日 横顔 TOCT-25449 東芝EMI / EASTWORLD 8位
2010年11月20日 GRRC-33 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
30th 2005年9月14日 ONLY ONE TOCT-25834 東芝EMI / EASTWORLD 4位
2010年11月20日 GRRC-34 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
GARURU RECORDS
31st 2009年8月5日 ROCK'N'ROLL CD GRRC-10 GARURU RECORDS 3位
32nd 2010年6月9日 TWIST CD+DVD(初回限定盤) GRRC-35 3位
CD(通常盤) GRRC-36
33rd 2012年8月1日 Last Song CD+Tシャツ(初回限定盤) GRRC-38/E 2位
CD(通常盤) GRRC-38
34th 2019年9月4日 いつか、その日が来る日まで… CD+Blu-ray (初回限定盤A) GRRC-54/55 1位
CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-58/59
CD+Blu-ray (初回限定盤B) GRRC-56/57
CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-60/61
CD (通常盤) GRRC-53

ライブ・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1976年11月21日 THE STAR IN HIBIYA LP 40AH-119/20 CBS・ソニー 19位
1990年10月15日 CD CSCL-1258/9 CD選書
2006年11月15日 MHCL-953/4 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 132位
2nd 1977年11月21日 スーパーライブ 日本武道館 LP 40AH-384/5 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1261/2 CD選書
2006年11月15日 MHCL-956/7 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 120位
3rd 1978年12月5日 LIVE 後楽園スタジアム LP 40AH-645/6 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1264/5 CD選書
2006年11月15日 MHCL-959/60 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 108位
ワーナー・パイオニア
4th 1980年11月28日 The Rock 6.2.1980 NIPPON BUDOKAN LIVE LP K-6001/2W ワーナー・パイオニア
1990年10月25日 CD WPCL-196/7
5th 1983年3月26日 1982 P.M.9 LIVE LP K-5503
1990年10月25日 CD WPCL-198
東芝EMI / EASTWORLD
6th 1989年2月15日 STAND UP!! LP RT16-5395/7 東芝EMI / EASTWORLD 1位
CD CT24-5395/6
7th 1992年9月30日 LIVE ALBUM Anytime Woman CD TOCT-6690 3位
8th 1998年4月22日 LIVE!YES,E CD TOCT-10270 10位
9th 2000年3月29日 LIVE DECADE 1990〜1999 CD TOCT-24331/2 15位
10th 2002年3月30日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR "Z" 2001 CD TOCT-24775/6
11th 2004年2月25日 YAZAWA CLASSIC〜VOICE〜 DVD-Audio[注釈 15] TOAT-1005
12th 2004年2月25日 ONE MAN in BUDOKAN DVD-Audio TOAT-1006
GARURU RECORDS
13th 2016年7月27日 LIVE HISTORY 2000〜2015 CD GRRC-49/50 GARURU RECORDS 5位
2018年3月5日 GRRC-51/2 45位

ベスト・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1980年7月1日 THE GREAT OF ALL LP 28AH-994 CBS・ソニー -
2001年4月25日 CD SRCL-5064 Sony Music Entertainment (Japan)
2006年11月15日 MHCL-962 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 116位
2nd 1980年12月1日 THE GREAT OF ALL VOL.2 LP 44AH-1160/1 CBS・ソニー -
2001年4月25日 CD SRCL-5065/6 Sony Music Entertainment (Japan)
3rd 1983年11月21日 THE GREAT OF ALL -Special Version- CD 35DH-55 CBS・ソニー -
1993年10月1日 SRCL-2718 Sony Records
ワーナー・パイオニア
4th 1984年2月15日 THE BORDER LP K-12510 ワーナー・パイオニア -
CD 35XL-36
1985年5月25日 32XL-76
1990年10月25日 WPCL-204
CBS・ソニー
5th 1985年11月21日 矢沢永吉全集 CD 00DH-327/30 CBS・ソニー CBS・ソニーからリリースされた『CD-BOXシリーズ』シリーズの1つ -
ワーナー・パイオニア
6th 1988年3月25日 ROCK'N ROLL GOLD CD 32XL-275 ワーナー・パイオニア -
1990年10月25日 WPCL-210
7th 1988年3月25日 BALLAD GOLD CD 32XL-276 ワーナー・パイオニア -
1990年10月25日 WPCL-209
CBS・ソニー
8th 1988年7月21日 ベスト・コレクション CD 15EH-8046 CBS・ソニー CBS・ソニー20周年企画『My Favorite Songs』シリーズの1つ。8cmCD、5曲入り -
東芝EMI / EASTWORLD
9th 1990年10月31日 THE ORIGINAL 2CD TOCT-5850/1 東芝EMI / EASTWORLD 4位
10th 1993年12月8日 THE ORIGINAL 2 CD TOCT-8270
Sony Records
11th 1997年10月1日 E.Y 70'S CD (CD-EXTRA) SRCL-4838 Sony Records 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 12位
2003年12月17日 CD MHCL-838 Sony Music Direct / GT music -
ワーナーミュージック・ジャパン
12th 1997年10月1日 E.Y 80'S CD (CD-EXTRA) WPC6-8383 ワーナーミュージック・ジャパン 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 13位
東芝EMI / EASTWORLD
13th 1997年10月1日 E.Y 90'S CD (CD-EXTRA) TOCT-9960 東芝EMI / EASTWORLD 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 11位
GARURU RECORDS
14th 2013年5月15日 ALL TIME BEST ALBUM 3CD+DVD (初回限定盤) GRRC-39/42 GARURU RECORDS 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、初のオール・タイム・ベスト 1位
3CD(通常盤) GRRC-43/5
15th 2015年7月1日 ALL TIME BEST ALBUM II 3CD GRRC-46/8 2位
16th 2020年10月21日 STANDARD 〜THE BALLAD BEST〜 3CD+Blu-ray(初回限定盤A) GRRC-73/6 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、オールタイム・バラード・ベスト 2位
3CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-81/4
3CD+Blu-ray(初回限定盤B) GRRC-77/80
3CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-85/8
3CD(通常盤) GRRC-70/2
5LP (数量限定盤) GRRR-01/5

その他アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
ワーナー・パイオニア
1st 1985年11月28日 TEN YEARS AGO LP K-12520 ワーナー・パイオニア キャロル時代の楽曲のセルフカバー -
CD 32XL-118
1990年10月25日 WPCL-207
東芝EMI / EASTWORLD
2nd 1998年9月8日 SUBWAY EXPRESS CD TOCT-10420 東芝EMI / EASTWORLD セルフカバー 3位
3rd 2002年9月4日 SUBWAY EXPRESS 2 TOCT-24840 9位
4th 2006年5月17日 YOUR SONGS 1 TOCT-26003 リミックスベスト 5位
2010年11月20日 GRRC-1 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
5th 2006年5月17日 YOUR SONGS 2 TOCT-26004 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 6位
2010年11月20日 GRRC-2 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
6th 2006年5月17日 YOUR SONGS 3 TOCT-26005 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 7位
2010年11月20日 GRRC-3 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
7th 2007年9月26日 YOUR SONGS 4 TOCT-26343 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 20位
2010年11月20日 GRRC-4 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
8th 2007年9月26日 YOUR SONGS 5 TOCT-26344 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 22位
2010年11月20日 GRRC-5 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
9th 2007年9月26日 YOUR SONGS 6 TOCT-26345 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 16位
2010年11月20日 GRRC-6 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
GARURU RECORDS
10th 2011年7月6日 ONLY ONE 〜touch up〜 CD GRRC-37 GARURU RECORDS リミックス 10位
11th 2022年8月1日 アルバム未収録曲集 配信 配信のみ GARURU RECORDS 矢沢永吉の楽曲サブスク解禁を記念して、

アルバム未収録曲集を1つにまとめたもの

映像ソフト

[編集]
発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 備考
1983年6月25日 RUN&RUN 松竹 VHS NV-1802
パイオニア LD FH003-25F
1996年12月21日 松竹 VHS KF-0071
2006年8月4日 DVD DC-0019
DC-9019 レンタル専用
1983年7月10日 MILES AND MILES ワーナー・パイオニア VHS 10PV-1
LD 07LP-28
1984年9月25日 矢沢永吉ヒストリー CBSソニー VHS 15PV-23
LD 96LM-24
1995年2月22日 東芝EMI VHS TOVH-1255
1995年3月24日 Sony Records LD SRLM-453
1986年9月25日 東京ナイト ワーナー・パイオニア VHS 09PV-62
LD 08PL-21
1987年10月25日 矢沢永吉ヒストリー2 ワーナー・パイオニア VHS 13PL-68
LD 10PL-27
1995年2月22日 東芝EMI VHS TOVH-1256
LD TOLF-1256
1988年4月1日 E' LIVE 1984 YAZAWA CLUB VHS 12YX-01 ファンクラブ限定
1997年4月1日 VHS 12YV-01 ファンクラブ限定
1990年4月25日 STAND UP '89 ARENA 東芝EMI VHS TOVH-1053
LD TOLF-1053
1990年4月25日 STAND UP '89 DOME 東芝EMI VHS TOVH-1054
LD TOLF-1054
1991年4月26日 ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1118
LD TOLF-1118
1992年2月26日 1991 BIG BEAT STADIUM 東芝EMI VHS TOVH-1138
LD TOLF-1138
1992年2月26日 1991 BIG BEAT BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1139
LD TOLF-1139
1992年10月14日 Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992 東芝EMI VHS TOVH-1150
LD TOLF-1150
2007年6月27日 YAZAWA CLUB DVD YCB-09
1992年10月14日 Anytime Woman 東芝EMI VHS TOVH-1150
LD TOLF-1150
1992年10月14日 LIVE VIDEO Anytime Woman 東芝EMI VHS TOVH-1150
LD TOLF-1150
1993年9月14日 VIDEO CLIPS 東芝EMI VHS TOVH-1241
LD TOLF-1241
1994年 Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993 YAZAWA CLUB VHS TOVH-1257 ファンクラブ限定
LD TOLF-1257 ファンクラブ限定
1995年2月22日 The name is YAZAWA 東芝EMI VHS TOVH-1257
LD TOLF-1257
1995年2月22日 The name is YAZAWA Concert Tour 1994 東芝EMI VHS TOVH-1257
LD TOLF-1257
1996年4月6日 JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995 YAZAWA CLUB VHS YCV-03 ファンクラブ限定
1996年7月3日 OPEN RECORDING GIG 東芝EMI VHS TOVH-1270
LD TOLF-1270
1996年11月16日 DVD TOBF-5001
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9047
1998年7月1日 WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996 YAZAWA CLUB VHS YCV-04 ファンクラブ限定
1998年7月1日 YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997 YAZAWA CLUB VHS YCV-05 ファンクラブ限定
1999年6月23日 SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 東芝EMI VHS TOVH-1401
LD TOLF-1308
DVD TOBF-5009
1999年6月23日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 東芝EMI VHS TOVH-1402
LD TOLF-1309
DVD TOBF-5010
2000年12月13日 TONIGHT THE NIGHT!〜ありがとうが爆発する夜〜 東芝EMI DVD TOBH-1036
2001年10月24日 THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001 東芝EMI DVD TOBF-5094
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9050
2001年11月21日 THE STAR IN HIBIYA 東芝EMI DVD SSBX-2008
2002年3月29日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001 東芝EMI DVD TOBH-1040
2003年6月27日 YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002 東芝EMI DVD TOBF-5223
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9051
2003年8月27日 ONE MAN in BUDOKAN Eikichi Yazawa 02.12.16 東芝EMI DVD TOBF-5230
2003年8月27日 ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002 東芝EMI DVD TOBF-5230
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9053
2004年6月9日 Rock Opera Eikichi Yazawa 東芝EMI DVD TOBF-5217
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9055
2007年12月05日 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN- CCRE DVD CCRE-8805 TSUTAYAオンライン限定
2004年12月1日 ROCK 'N' ROLL KNIGHT2 YAZAWA CLUB DVD YCB-1 ファンクラブ限定
2005年5月25日 FIFTY FIVE WAY 東芝EMI DVD TOBF-5391 限定版
DVD TOBF-5393 通常版
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9057
2005年8月24日 YAZAWA CLASSIC II 東芝EMI DVD TOBF-5402
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9059
2005年8月24日 FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN 東芝EMI DVD TOBF-5404
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9061
2000年7月21日 お受験 松竹ビデオ VHS SB-0872
2007年1月27日 DVD DB-0038
2009年3月17日 DVD DB-2038
2011年12月21日 DVD DB-5038
2007年4月25日 Rock Opera2 NEW STANDARD 東芝EMI DVD TOBF-5527
2017年3月8日 ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9063
2007年6月27日 THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX YAZAWA CLUB DVD YCB-2
2008年4月23日 THE REAL GARURU RECORDS Blu-ray GARU-01
DVD GARU-02-03
2009年1月30日 SPECIAL X'mas LIVE GARURU RECORDS DVD GRRD-1 ファンクラブ限定
2009年12月9日 ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-2
2010年7月21日 E.YAZAWA ROCK 東映ビデオ DVD DSZD-08026
DVD DSZD-08027 プレミアムエディション<初回生産限定版>
Blu-ray BSZD-08026
Blu-ray+DVD BSZD-08027
2011年4月13日 THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo 2005 GARURU RECORDS DVD GRRD-5
2011年4月13日 New Standard 〜Blue Note Style〜 2006 GARURU RECORDS DVD GRRD-6
2011年8月17日 ONLY ONE〜touch up〜 SPECIAL LIVE in DIAMOND MOON GARURU RECORDS DVD GRRD-7
2012年11月7日 EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』 GARURU RECORDS DVD GRRD-8
2014年5月7日 It's Only YAZAWA 1988 in Tokyo DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-10
2014年5月7日 JUST TONIGHT 1995 in YOKOHAMA STUDIUM GARURU RECORDS DVD GRRD-12
2014年5月7日 STILL ROCKIN' ~走り抜けて…~2011 in BUDOKAN GARURU RECORDS DVD GRRD-14
2014年5月7日 JAMMIN' ALL NIGHT 2012 in BUDOKAN GARURU RECORDS DVD GRRD-16
2014年5月7日 TREASURE BOX GARURU RECORDS DVD GRRD-19BOX
2015年12月2日 ROCK IN DOME GARURU RECORDS DVD GRRD-20
Blu-ray GRRB-01
2017年3月8日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9048
2017年3月8日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN ユニバーサル・ミュージック DVD UPBY-9049
2017年9月6日 BUTCH!! 2016 IN OSAKA-JO HALL GARURU RECORDS DVD GRRD-22
Blu-ray GRRB-02
2017年9月6日 EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2016「Dreamer」IN GRAND HYATT TOKYO GARURU RECORDS DVD GRRD-24
Blu-ray GRRB-03
2018年12月26日 EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018「STAY ROCK」 GARURU RECORDS DVD GRRD-26
Blu-ray GRRB-05
2021年5月5日 LOTTA GOOD TIME 1999 GARURU RECORDS DVD GRRD-30
Blu-ray GRRB-07
2021年5月5日 TRAVELING BUS 2017 GARURU RECORDS DVD GRRD-31
Blu-ray GRRB-08
2021年5月5日 ROCK MUST GO ON 2019 GARURU RECORDS DVD GRRD-32
Blu-ray GRRB-09
2021年5月5日 3 BODY'S NIGHT GARURU RECORDS DVD GRRD-20BOX
Blu-ray GRRB-01BOX
2022年6月8日 ALL TIME BEST LIVE GARURU RECORDS DVD GRRD-33
Blu-ray GRRB-10
2022年12月21日 EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY LIVE "MY WAY" IN JAPAN NATIONAL STADIUM GARURU RECORDS DVD GRRD-37
Blu-ray GRRB-14
2024年3月13日 〜Welcome to Rock’n’Roll〜 EIKICHI YAZAWA 150times in Budokan GARURU RECORDS DVD GRRD-39
Blu-ray GRRB-15

校歌

[編集]
  • Nishiyamato Academy of California School Song「今日をありがとう」

タイアップ一覧

[編集]
楽曲 タイアップ 収録作品
トラベリン・バス SONY ラジカセ『リズムカプセル9000』CMソング アルバム『A Day
時間よ止まれ 資生堂『アクエア』CMソング シングル「時間よ止まれ
資生堂「美への挑戦」編 CMソング
I say Good-bye, So Good-bye アルパイン'79“アルパイン・カーオーディオセンサー<SK-800>”CMソング シングル「I say Good-bye, So Good-bye」
THIS IS A SONG FOR COCA-COLA コカ・コーラ CMソング シングル「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA
RUN & RUN 富士映画配給『RUN&RUN』主題歌
抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- マクセルカセットテープ CMソング シングル「抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST-
You TBS系ドラマ『はじめまして再婚』主題歌 シングル「You/Shampoo」
Shampoo 三菱ギャランΣ』CMソング
YES MY LOVE '82 コカ・コーラ CMイメージ・ソング シングル「YES MY LOVE
LAHAINA 資生堂キャンペーン・ソング シングル「LAHAINA」
ROCKIN' MY HEART パイオニア・シェルフコンポーネントプライベート CMソング シングル「ROCKIN' MY HEART」
Last Christmas Eve Johnnie Walker Red Label CMソング シングル「Last Christmas Eve
THE BORDER シングル「THE BORDER
TAKE IT TIME ホンダeve PAX』CMソング シングル「TAKE IT TIME
苦い雨 宝酒造バービカン』CMソング アルバム『YOKOHAMA二十才まえ
BELIEVE IN ME シングル「BELIEVE IN ME」
止まらないHa〜Ha 第一興商『LIVE DAM HD』CMソング[注釈 16] アルバム『東京ナイト
フジテレビ系『IPPONグランプリ』テーマソング
共犯者 銀座ジュエリーマキ・カメリアダイアモンド CMソング シングル「共犯者」
ニューグランドホテル シングル「ニューグランドホテル」
くちづけが止まらない シングル「くちづけが止まらない」
SOMEBODY'S NIGHT AXIAビデオテープ CMソング シングル「SOMEBODY'S NIGHT
FLESH AND BLOOD AXIAオーディオテープGT-X CMソング アルバム『情事
シングル「バラードよ永遠に
愛しい風 東宝東和提供『子熊物語』メッセージソング シングル「愛しい風」
バラードよ永遠に AXIAオーディオテープPS-X CMソング シングル「バラードよ永遠に」
PURE GOLD TBS系ドラマ『ホットドッグ』主題歌 シングル「PURE GOLD
I LOVE YOU, OK -1990 Version- AXIAビデオテープ CMソング
GET UP アルバム『永吉
夢の彼方 アサヒ生ビール"Z" CMソング シングル「夢の彼方
ラスト・シーン 日本テレビ系ドラマ『刑事貴族2』エンディングテーマ シングル「ラスト・シーン
BIG BEAT TBS系『世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ シングル「BIG BEAT」
東京 日本テレビ系ドラマ『はだかの刑事』主題歌 シングル「東京
心花よ サントリーBOSS CMソング
黄昏に捨てて シングル「黄昏に捨てて」
Midnight Jungle NHKBS2 衛星アニメ劇場おまかせスクラッパーズ』オープニングテーマ アルバム『the Name Is...
ミス・ロンリー・ハート NHKBS2 衛星アニメ劇場『おまかせスクラッパーズ』エンディングテーマ
アリよさらば TBS系ドラマ『アリよさらば』オープニングテーマ シングル「アリよさらば
ブリヂストン『GRID II』CMソング
SEA BREEZE シーブリーズ'94 イメージソング
いつの日か TBS系ドラマ『アリよさらば』エンディングテーマ シングル「いつの日か
夏の終り サントリーBOSS CMソング シングル「夏の終り」
マンダム『ルシード』CMソング
青空 サントリーBOSS CMソング シングル「青空」
THE TROUBLE MAN PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』オープニングテーマ
PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』CMソング
THE RAIN[注釈 17] PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』エンディングテーマ シングル、アルバム共に未収録
MARIA サントリーBOSS CMソング シングル「MARIA」
終わりじゃないぜ サントリーBOSS 1995 CMソング
Love is you 映画『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』主題歌 アルバム『E.Y 90'S』
テレビ東京系『愛の貧乏脱出大作戦』エンディングテーマ
もうひとりの俺 サントリーBOSS CMソング シングル「もうひとりの俺」
TBC CMソング
Stll 資生堂『ピエヌ』CMソング シングル「Stll」
しなやかな獣たち 日産ラルゴ ハイウェイスターツーリング』CMソング アルバム『YES
あの日のように TBS系東芝日曜劇場ベストパートナー』主題歌 シングル「あの日のように」
だから、抱いてくれ サントリーBOSS CMソング
I have no reason 映画『お受験 OJUKEN』主題歌 シングル「Oh!ラヴシック」
フォーチュン・テイラー TBS系月曜ドラマスペシャル雨に眠れ』主題歌 アルバム『LOTTA GOOD TIME
THE TRUTH ファミリーマート CMソング シングル「THE TRUTH」
背中ごしのI LOVE YOU サントリー角瓶』CMソング アルバム『YOU,TOO COOL
ワン・ナイト・ショー 三菱ふそうキャンター』CMソング アルバム『SUBWAY EXPRESS 2
ロックンロールドラッグ ユニクロ CMソング アルバム『横顔
ONLY ONE TBC CMソング[注釈 18] シングル「ONLY ONE」
Loser PS3用ゲームソフト『龍が如く3』メインテーマ シングル「Loser」
コバルトの空 ロッテ『キシリトールガム』CMソング シングル「コバルトの空」
Sweet Rock'n'Roll ロッテ『キシリトールガム』CMソング アルバム『ROCK'N'ROLL
あの日、アイツに 第一興商『MTV DAM』CMソング
サイコーな Rock You! ロッテ『キシリトールガム』CMソング アルバム『TWIST
Shake Me 日本郵便ゆうパック』CMソング
闇を抜けて AXNフラッシュフォワード』イメージソング
ワニ革のスーツ 第一興商『LIVE DAM』CMソング
HEY YOU… トヨタアルファード』CMソング
IT'S UP TO YOU! 第一興商『LIVE DAM』CMソング アルバム『Last Song
翼を広げて 映画『デンジャラス・ラン』日本版イメージソング
JAMMIN' ALL NIGHT ヨコハマタイヤ『アイスガードファイブ』CMソング

書籍

[編集]

『成りあがり』

[編集]

その他の著書

[編集]
  • 矢沢永吉『ドアを開けろ: 矢沢永吉』サンライズマッキー、1977年。 

その他

[編集]
  • 楽譜
    • 『矢沢永吉: LP「E」まで ギター弾き語り』協楽社〈ソング・ブック〉、1984年。ISBN 4-7635-0775-3 
    • 『矢沢永吉: 最新LP「キス・ミー・プリーズ」まで全曲集 ギター弾き語り』〈ソング・ブック〉1979年。 
    • D-STYLE 編『矢沢永吉 B1』D-STYLE、2018年。ASIN B07FSN79SY 
    • 『バンドスコア 矢沢永吉 ベストスコア』ケイ・エム・ピー、2017年。ISBN 978-4773242263 
    • 『ギター弾き語り 矢沢永吉 ベスト曲集』ケイ・エム・ピー、2018年。ISBN 978-4773243505 
    • 青山しおり, 田嶌道生 編『ギターで歌う 矢沢永吉』ドリーム・ミュージック・ファクトリー、2020年。ISBN 978-4865713398 
  • 矢沢論・伝記資料
    • 矢沢永吉ファンクラブ会員 著、高橋利恵 編『ドアを開けたら、矢沢が立っていた』アマゾンジャパン合同会社(販売)、2020年。ASIN B08JHB4VTY  (電子書籍)
    • アートブック『「矢沢永吉」人生の語録:40周年記念版』スパロウ、2013年。ISBN 978-4860974145 
    • 『俺 矢沢永吉: The History of E.Yazawa』ぴあ、2019年。ISBN 978-4835639147 
    • 浅野暁『1億2000万人の矢沢永吉論』双葉社、2018年。ISBN 978-4575314052 
    • 矢沢永吉(著)、有賀幹夫(写真)『アー・ユー・ハッピー?』角川書店〈角川文庫〉、2004年(原著2001年)。ISBN 4041483026 
  • 音楽・教本
    • 『矢沢永吉ロックンロール』協楽社、1977年。 
    • 『初心者のロック・ギター入門』協楽社、1973年。 
  • 写真集
    • 『矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE photo:稲越功一』小学館、1979年。 
    • 『矢沢永吉写真集: 19490914 THE LIFE OF EIKICHI YAZAWA』新潮社、1995年。ISBN 4104080012 
  • その他
    • 「イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学」製作委員会『イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学』ぴあ、2006年。ISBN 4835616278 
    • 横田光弘『矢沢永吉に学ぶ成りあがりマーケティング』角川学芸出版、2013年。ISBN 978-4046539175 

矢沢永吉が登場する本

[編集]
  • 森永博志『原宿ゴールドラッシュ』(1985年、ワニブックス) - 初版本のみ矢沢が登場する。矢沢の件は『成りあがり』番外編といえる優れた逸話が多く、特にヤクザ風の男との対峙は同書の白眉ともいえる[267]

出演

[編集]

テレビドラマ

[編集]

音楽番組

[編集]

その他番組

[編集]

ラジオ

[編集]

ほか

映画

[編集]

CM

[編集]
ザ・プレミアム・モルツの広告の矢沢(2019年)

インターネット配信

[編集]
  • E.YAZAWA “ONE NIGHT SHOW 2019”(2019年7月6日、Hulu) - ライブの模様を生中継(同年7月25日より1ヶ月限定で矢沢の出演部分のみ配信)

新聞

[編集]

受賞歴

[編集]
1994年

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1978年10月頃、TBSクイズ番組ベルトクイズQ&Q』で、「テレビの歌番組に、まだ一度も登場したことのない有名なロック歌手。さて、だれでしょう」答え「矢沢永吉」という問題が出された[17]
  2. ^ 当時、矢沢永吉はファンにとって絶対的なカリスマであり、そうでない者にとっては滅多にテレビに出ないミステリアスな存在だった[16]。当時の雑誌インタビューでは「歌番組ィーッ?どっこのチャンネルひねっても同じ顔ばかり並んでからに"賄賂"もらってるのか、プロダクションから金ころがしてんのか知らんけど。矢沢のシングルが1位になったからって何で出なくちゃならんの。誤解しないように言っとくけど、テレビ拒否じゃないの。いい番組なら、こっちから頼んででも出たいし、実際出たこともある」「ソロシンガーになって売れなきゃハナもひっかけられないこの世界で自分の道を切り拓いてきた。その中で得た三つの宝、レコード制作、ナマのステージ、そして"矢沢ファミリー"。あのテの番組にハイ、そうですかって出てしまえば、俺がこの数年間やってきたことは、みんなウソになっちゃうわけョ」などと話している[22]。「時間よ止まれ」が大ヒット中の1978年6月にフジテレビの『ザ・ポップ』に出演して「鎖を引きちぎれ」など6曲歌った他、同年11月に日本テレビが矢沢の特番を放送した[23]
  3. ^ 1970年代後半は仲のよかった『吉田拓郎のセイ!ヤング』に1979年7月7日にゲスト出演した[25]
  4. ^ 矢沢はキャロル時代からテレビに出なかったわけではないが、歌番組でもない、それもNHKの教育番組で45分もインタビューに答えるというのは、おおげさでなく"事件"だった[16]。やり手のディレクターが、1年以上にわたる出演交渉の末、矢沢をテレビに引っ張り出した[出典 8]。自分のことを語る機会など無かった矢沢が、張りつめた雰囲気の中、インタビューに応じる。今も語り継がれる名言が次々と飛び出した本番組は、記憶に残るテレビ史の名場面となった[出典 9]。この番組が伝説になった理由の一つが、インタビューを受けながらスタジオでの矢沢の喫煙[16]。今日では勿論有り得ないが、矢沢は番組中、切らすことなくタバコを吸い続けた[16]。NHKに出ようが、お行儀よくなることないその姿に見る者は痺れた[16]。実際の放送は45分だが[26]、収録そのものは倍の1時間半だった[16]。レギュラー司会者だった中部博は「キャロル時代から矢沢さんは好きだった。音楽だけじゃなくその言動も含めて興味はあった。楽曲作りからステージまで、すごいこだわりを持っている人だという噂は聞いていたから、相当アクの強い人だろうなと覚悟はしていたけどね(笑)。事前の打ち合わせは一切なしで、収録の始まる前に挨拶しただけです。質問しちゃいけない項目も無かった。収録後も『あそこは使わないでくれ』といった注文はなかったと聞きました。相手の言いたいことだけ話させて『ありがとうございました』じゃ面白くもなんともないと思っていました。僕の質問は彼にとって想定内だったと思うよ。受け答えの際、苦笑い浮かべたりしているけど、カメラにどう撮られているかちゃんと考えていたと思う」等と話した[16]。中部は高校生の時からリベラル政治運動に参加した[16]。このインタビューが伝説と化した最大の理由は、中部が躊躇なく際どい質問を矢沢にぶつけ、逡巡しながら言葉を選ぶ矢沢の姿だった[16]。中部はこのインタビュー以降、一度も矢沢に会っていないという。ただ一度きりの邂逅だった[16]増淵健は「めったにテレビに出ないロックのスーパースターを引っ張り出した担当者の得意そうな顔が目に浮かぶ。歌が4曲、矢沢を主人公にしたドキュメンタリー映画が公開日付きで紹介される。矢沢をテレビに出したいばかりに公共放送の矜持を捨て、特定個人に奉仕したNHK。インタビューに答える矢沢も奇態であった。自分自身を『矢沢』と呼び、『わかります?』と聞き手に確認を求めながら話す。よくいえば、ナイーブ、ありていに言ってマンガ的。そして分かりにくい。分かったのは、矢沢がソロ歌手になってまもなくのコンサートを起爆剤にして『ビッグ』になったことだった。人影がまばらな客席に向かって『こんなに才能があるオレ』について訴えた彼は、二年後、同じ会場を超満員にして『オトシマエ』をつけたそうな。『オトシマエ』などという辞書にもない言葉を"教育テレビ"が認めていたとは意外である」などと評した[20]
  5. ^ 連続ドラマ主演を渋ったが、プロデューサーの遠藤環に「矢沢さん、怖いんですか?」と言われ、「何にも怖くないよ!じゃあやってやるよ」と出演が決まった[出典 14]
  6. ^ 矢沢がギターを学んだ山中ジャズスクールは、当時のまま、現在も広島市に現存している。建物の外観も当時と変わらない[出典 31]
  7. ^ 『成りあがり』には、『週刊平凡』と記載。細田の著書では『女性セブン』1978年7月6日号[66]
  8. ^ 同マネージャーは後に業界の実力者として君臨[出典 83]
  9. ^ タオルはソロになってから、ステージで動き回り、汗を大量にかくので、途中でスタッフに「ちょっとタオルくれ」って言ったのが始まり。最初は手ぬぐいのような小さいタオルで拭いていたが、「もうちょうと大きいのくれ」とバスタオルを使うようになった。人に使われたくないから、「名前ちゃんと入れとけ」とロゴ入りタオルになった。最初のうちは、汗拭いちゃスタッフに投げ返していたが、めんどくさくなり、タオルを肩にかけて歌ったら、それがサマになった。白のスーツはただ着てみたいと思ったから着た。まだ専属のスタイリストなんていない時代、ファッションにも興味がなく、どこで買えばいいか分からないから、当時住んでいた弘明寺商店街のテイラーで作ってもらった[164]
  10. ^ 長者番付は翌1979年は2位だったが、美空ひばりが不動産を処分したために1位を明け渡したもので実質は二年連続1位だった[87]
  11. ^ 1995年の著書では「20年前の日本のロックって、そのへんのジャリが集まってセンズリかいているような音楽だった。エレキギター持って女の子にキャーキャー言われても、コンサートを開けるのは東京、大阪ぐらいでね。まだまだマイナーだったのよ。都会を離れて地方でもやれるようになったのは、キャロルが最初だった。全国ツアーってヤツ。それを具体的に定着させたのは、矢沢だったんじゃないかな」と述べている[189]
  12. ^ 「成りあがり」の「広島」「横浜」「キャロル」「E・YAZAWA」の四章に対し、「成りさがり」では「所沢」「都内」「有楽町」「スター」「G・TOKORO」「成りさがり」の六章の構成になっている。
  13. ^ アルバム『The Rock』付属のEP盤。
  14. ^ アメリカのみ発売。
  15. ^ リニアPCM、48KHz、20bit、5.1/2CH
  16. ^ 『ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME』の映像を使用。
  17. ^ アルバム『この夜のどこかで』に収録されている「予感の雨」の英語詩バージョン。エンドロール曲でありゲームをクリアしないと聴くことができない。
  18. ^ アカペラバージョンを使用。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 矢沢永吉(ヤザワエイキチ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2022年1月27日閲覧。
  2. ^ a b c 阿部公輔 (2022年6月14日). “矢沢永吉「10メートル先のタバコ屋にキャデラックで行って…」50年前の言葉振り返る”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年6月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220613204031/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/14/kiji/20220614s00041000048000c.html 2022年6月19日閲覧。 阿部公輔 (2022年6月14日). “75年、アメ車の屋根でゴキゲンな「キャロル」時代の矢沢(前列右)。メンバーのジョニー大倉(同左)、ユウ岡崎、内海利勝(上)”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年6月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220613222248/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/14/gazo/20220613s00041000658000p.html 2022年6月19日閲覧。 
  3. ^ a b c d e 矢沢永吉」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E7%9F%A2%E6%B2%A2%E6%B0%B8%E5%90%89コトバンクより2022年6月19日閲覧 
  4. ^ a b c d e 矢沢永吉 - プロフィール”. CDJournal. 音楽出版社. 2022年1月27日閲覧。
  5. ^ a b c ロックシンガー矢沢永吉 72歳で挑む大舞台”. ニュースウオッチ9. NHK総合テレビジョン (2022年6月16日). 2022年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月9日閲覧。NHK MUSIC SPECIAL 第1回 矢沢永吉”. NHK MUSIC SPECIAL. NHK総合テレビジョン (2021年4月5日). 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月9日閲覧。
  6. ^ a b c 矢沢永吉誕生(1949〜) - おんがく日めくり | ヤマハ株式会社(Internet Archive)
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n EIKICHI YAZAWA 50 YEARS HISTORY 1949–75”. 矢沢永吉公式サイト (2022年5月2日). 2022年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  8. ^ 嬉一夫(中国新聞)『あの時この歌―戦後日本歌謡史―』渓水社、1983年、212頁。ASIN B000J76GNO 
  9. ^ 矢沢永吉携帯公式サイト「E.YAZAWA」内コンテンツ「世話がやけるぜ」より
  10. ^ a b c 水陶マコト (2018年12月14日). “『1億2000万人の矢沢永吉論』――日本のロックと不良を大人に変えた、矢沢永吉というカリスマの真実!”. ダ・ヴィンチニュース. KADOKAWA. 2018年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月21日閲覧。
  11. ^ a b c “矢沢永吉の生きざまに魅了され人生が変わった“永ちゃんファン”それぞれの「MY WAY」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2022年8月28日). オリジナルの2022年8月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220827212146/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/28/kiji/20220828s00041000097000c.html 2022年10月14日閲覧。 
  12. ^ a b c d ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年記念企画 矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。”. ほぼ日刊イトイ新聞. 株式会社ほぼ日 (2019年6月18日). 2023年5月12日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m #浅野 pp.6–12
  14. ^ 永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか NHKスペシャル 2006年2月26日放送
  15. ^ a b c d e f g h i j k l 岡野誠/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集 (2022年8月1日). “Yahoo!ニュースオリジナル特集 最初は抵抗あったけど、もう全部やっちゃおう、って――サブスク全解禁、矢沢永吉50年目の先へ”. ヤフー. p. 2. オリジナルの2022年8月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220801085137/https://news.yahoo.co.jp/articles/d978a991288c6cd9f3373640687e8ea59c31c4ed?page=2 2022年8月4日閲覧。 
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 伊藤禎. “俺たちが震えたあの瞬間 テレビ編SCENE.4 NHK『若い広場』に出演した矢沢永吉”. 昭和40年男 (クレタパブリッシング) (2015年2月): 26–27頁. 
  17. ^ a b c d e f 「ロックの王者『矢沢永吉における大物(ビッグ)の研究』自称"成りあがり"者の世間の騒がせ方」『週刊新潮』 1978年11月3日号、新潮社、175-177頁。 
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al EIKICHI YAZAWA 50 YEARS HISTORY 1975–80”. 矢沢永吉公式サイト (2022年4月22日). 2022年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  19. ^ a b c 矢沢永吉が成し遂げた偉業 - 日刊サイゾー
  20. ^ a b 「増淵健のTVモニター 矢沢永吉の正体」『週刊現代』1980年2月21日号、講談社、50頁。 
  21. ^ a b c d e f 山川健一「2億4千万稼いでも… 32歳になったロックシンガー 矢沢永吉の新たな挑戦」『週刊現代』1982年5月8日号、講談社、102–105頁。 
  22. ^ a b c d e f g h i j k 「劇的人間『鎖を引きちぎってここまで来た!』歌手・矢沢永吉の"ハングリー・ロック"」『サンデー毎日』 1978年7月30日号、毎日新聞社、126-131頁。 
  23. ^ a b c d #写真集 p.28-29
  24. ^ a b c d #吉見 pp.205-209
  25. ^ a b 岡野誠/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集 (2022年8月1日). “Yahoo!ニュースオリジナル特集 最初は抵抗あったけど、もう全部やっちゃおう、って――サブスク全解禁、矢沢永吉50年目の先へ”. ヤフー. p. 3. オリジナルの2022年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220803085011/https://news.yahoo.co.jp/articles/d978a991288c6cd9f3373640687e8ea59c31c4ed?page=3 2022年8月4日閲覧。 
  26. ^ a b c d 特集 なつかしの番組 若い広場-NHKアーカイブス
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n EIKICHI YAZAWA 50 YEARS HISTORY 1981–87”. 矢沢永吉公式サイト (2022年5月2日). 2022年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h i j #R&Rぴあ pp.64-65
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m EIKICHI YAZAWA 50 YEARS HISTORY 1988–93”. 矢沢永吉公式サイト. 2022年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月18日閲覧。
  30. ^ a b c #TV SONGS p.38
  31. ^ a b #クロニクル1 p.73
  32. ^ a b c “だから素敵! あの人のヘルシートーク ロック歌手・矢沢永吉さん”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年8月10日). オリジナルの2023年4月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230418013322/https://news.nissyoku.co.jp/hyakusai/hgs-47-0007 2024年7月13日閲覧。 
  33. ^ 上間貴大 (2012年3月9日). “ロングセラーの挑戦 サントリー「BOSS」の“おじさん”は誰? 人によって印象が違う表情の秘密”. ITmedia. アイティメディア. p. 2. 2022年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  34. ^ a b c RIEKO SHIBAZAKI、YAKA MATSUMOTO (2024年3月31日). “湯江タケユキ「矢沢、これ食べると3回連続になっちゃう」 『アリよさらば』収録現場で目撃したレジェンド歌手の大好物は?”. 女性自身. 光文社. 2024年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  35. ^ さえきしの (2024年5月24日). “30年前のドラマが“神作”ばかり!『古畑任三郎』第1作に矢沢永吉『アリよさらば』も…「1994年春ドラマ」のすごすぎるラインナップ”. ふたまん. 双葉社. 2024年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  36. ^ #写真集 pp.432-433
  37. ^ a b #カドカワ pp.63-64
  38. ^ 「週プレが追った男たちの肖像 矢沢永吉」『週刊プレイボーイ創刊50周年記念出版「熱狂」』(集英社ムック)、2016年10月14日、集英社 pp.221-224。
  39. ^ 「引退をにおわせる作戦も!」矢沢ビジネス健在なぜ今“永ちゃん節”がメディア席巻なのか
  40. ^ a b c d e 指南役「7月25日 成りあがった矢沢永吉 『オレ、矢沢。よろしく!』」『黄金の6年間 1978-1983 素晴らしきエンタメ青春時代』日経BP、2022年、52–59頁。ISBN 978-4-296-11226-5 
  41. ^ 矢沢永吉さんの名言について考える
  42. ^ ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年記念企画 矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。”. ほぼ日刊イトイ新聞. 株式会社ほぼ日 (2019年6月6日). 2023年5月12日閲覧。
  43. ^ #写真集 p.352
  44. ^ a b c #R&Rぴあ pp.66-67, 72
  45. ^ いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p4- WEB GOETHE ヒューマン(Internet Archive)
  46. ^ a b 【オリコン】矢沢永吉、63歳8ヶ月で“最年長”1位”. オリコンスタイル (2013年5月21日). 2013年5月31日閲覧。
  47. ^ a b c d GARURU RECORDS | 矢沢永吉 | PROFILE
  48. ^ a b c d e f ACTIVITY|矢沢永吉公式サイト|YAZAWA'S DOOR(Internet Archive)
  49. ^ a b 石井健 (2023年12月14日). “「サイコーだよ!」矢沢永吉さん、武道館で前人未到150回目の公演”. 産経新聞 (産経新聞社). オリジナルの2023年12月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231217045152/https://www.sankei.com/article/20231214-DCVWC6BQN5NZJAPGCSITHFC3DI/ 2024年7月13日閲覧。 
  50. ^ a b c #R&Rぴあ p.24
  51. ^ a b c d e f g h i 放送内容 今夜の嵐にしやがれは…日本ロック界の帝王! ★矢沢永吉が降臨!…”. 嵐にしやがれ. 日本テレビ (2019年8月31日). 2021年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月21日閲覧。
  52. ^ a b c d e 【ライブレポート】矢沢永吉150回目の武道館公演! 観客1万4千人に見せた示した気高い姿”. THE FIRST TIMES. THE FIRST TAKEソニー・ミュージックレーベルズ (2023–12–29). 2024-01-02日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
  53. ^ a b いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p3- WEB GOETHE ヒューマン(Internet Archive)
  54. ^ a b c d e f g h i 阿部公輔 (2022年7月12日). “矢沢永吉が引き上げた「ロックに市民権」 ライブ至上主義貫き年間120本以上のステージ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2023年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230430052552/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/12/kiji/20220711s00041000715000c.html 2024年7月13日閲覧。 
  55. ^ 「日本のロック愛 矢沢永吉107回の武道館」『BRUTUS』2010年3月1日号 p.83
  56. ^ a b c d e f g h 【35億円詐欺被害も】ロック界のカリスマ・矢沢永吉の「半生とお金」 二度にわたるスタッフの“金銭的な裏切り”を乗り越えて”. マネーポストWEB. 小学館 (2024年3月16日). 2024年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  57. ^ 矢沢永吉名曲が36年ぶり資生堂CMソングに復活 オリコンニュース(2014.1.5)2019.1.28閲覧
  58. ^ 【オリコン】矢沢永吉ライブDVDが総合1位 最年長記録を66歳3ヶ月に更新”. ORICON STYLE (2015年12月9日). 2015年12月9日閲覧。
  59. ^ 矢沢永吉からメッセージ”. 矢沢永吉 公式サイト. 2018年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月17日閲覧。
  60. ^ 矢沢永吉、最年長1位獲得アーティストに「気づいたらこの歳」”. SANSPO.COM (2019年9月10日). 2019年10月10日閲覧。
  61. ^ 矢沢永吉孫誕生 長女・矢沢洋子が第1子出産 サポートに感謝「本当に幸せ」”. SponichiAnnex (2021年1月23日). 2021年1月27日閲覧。
  62. ^ 矢沢永吉の娘・矢沢洋子が第1子女児を出産 “世界のYAZAWA”が孫にメロメロな姿が想像できてしまうな!”. ねとらぼ (2021年1月23日). 2021年1月27日閲覧。
  63. ^ 矢沢永吉の娘・洋子、お宮参りで第2子と記念ショット“ようやくのお祝い”に「じいじも嬉しいですね」”. ねとらぼ (2022年1月30日). 2023年7月29日閲覧。
  64. ^ ロックンロールどこいった! 矢沢永吉、孫と仲良く遊ぶ“じいじ”の姿に「ファンにはたまりません」「超レア」”. ねとらぼ (2023年4月9日). 2023年7月29日閲覧。
  65. ^ 矢沢永吉、孫がFUJI ROCKで「じいじ!」と大興奮 娘家族がライブ参戦も「somebody's nightでまさかの寝落ち笑」”. ねとらぼ (2023年7月29日). 2023年7月29日閲覧。
  66. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 細田 2017, pp. 172–211, 第五章 矢沢永吉の場合
  67. ^ a b c d e f g h i #写真集 pp.116-117, 182-185, 192, 252-253, 246, 250-253
  68. ^ a b c 「『成りあがり』の魂いまも ミュージシャン・矢沢永吉:上(逆風満帆)」『朝日新聞be 2010年6月26日朝刊
  69. ^ a b c d e f g h i j k ZAKKY (2024年6月21日). “人生を映画化したい日本のカリスマ歌手は? 妄想キャスト予想(4)波瀾万丈の半生…ロックスターの真実とは?”. 映画チャンネル. カンゼン. 2024年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  70. ^ a b c d #カドカワ pp.50-54, 69
  71. ^ a b c d e f #浅野 pp.165–174
  72. ^ 山中ジャズスクール
  73. ^ “【高校サッカー】広島国際学院成りあがる!矢沢永吉の母校が初出場初勝利 快進撃ヨロシク”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年12月29日). オリジナルの2023年12月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231230125813/https://hochi.news/articles/20231228-OHT1T51237.html?page=1 2024年7月13日閲覧。 
  74. ^ a b 石原信一 (2005年12月5日). “熱き歌の日々 団塊クロニクル〈36〉 ニューロック(1) キャロル伝説の第一歩はテレビから”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 29 
  75. ^ a b c d “情熱大陸 ロックシンガー/矢沢永吉“永ちゃん”は止まらない…72歳の現役ロックンローラー”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2022年1月14日). オリジナルの2022年1月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220114080311/https://mainichi.jp/articles/20220114/org/00m/200/004000c 2022年2月28日閲覧。 
  76. ^ a b c d e f g h 岡野誠/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集 (2022年8月1日). “Yahoo!ニュースオリジナル特集 最初は抵抗あったけど、もう全部やっちゃおう、って――サブスク全解禁、矢沢永吉50年目の先へ”. ヤフー. オリジナルの2022年8月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220801023853/https://news.yahoo.co.jp/articles/d978a991288c6cd9f3373640687e8ea59c31c4ed 2022年8月4日閲覧。 
  77. ^ a b 矢沢永吉『成りあがり』『アー・ユー・ハッピー?』電子書籍化!『成りあがり』 矢沢永吉 : 本よみうり堂 : 読売新聞(Internet Archive)
  78. ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年記念企画 矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。”. ほぼ日刊イトイ新聞. 株式会社ほぼ日 (2019年6月6日). 2023年5月12日閲覧。
  79. ^ 矢沢永吉「マイク握って死にたい」 8日から全国ツアー - スポニチ小林武史 × 矢沢永吉 | エコレゾ ウェブ矢沢永吉「Last Song」インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー Power Pushほぼ日刊イトイ新聞 - はっきりした形がほしい。-10
  80. ^ a b c 鈴木款 (2021年1月3日). “ユーミンや矢沢永吉を育てた“基地の街”を繋ぐ国道16号線”. FNNプライムオンライン. 2021年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月28日閲覧。
  81. ^ a b c スージー鈴木 (2023年9月14日). “【スージー鈴木の球岩石】Vol.10:1995年の横浜スタジアムと矢沢永吉「ルイジアンナ」”. mysoundマガジン. ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス. 2023年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月2日閲覧。
  82. ^ a b c Vol.14 奥田民生&吉田拓郎で、鉄道に乗ってさすらいの旅へ”. ザ・カセットテープ・ミュージック. BS12 トゥエルビ (2018–11–10). 2020年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月31日閲覧。
  83. ^ a b c d e #浅野 pp.18–37
  84. ^ a b c d アーティスト「矢沢永吉」さんは、トップスターになる夢を横浜でどのように過ごし育んできたのか、徹底調査!
  85. ^ 石鍋仁美 (2021年10月31日). “NIKKEITheSTYLEー乾いた風土に愛着芽生えて。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 11 
  86. ^ 『新装版成りあがり』(角川文庫、2004)p.91
  87. ^ a b #塩沢 pp.22-23
  88. ^ 阿部公輔 (2022年8月16日). “矢沢永吉 湧き出るメロディーの源にある人生の原風景は父との思い出”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220816024808/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/16/kiji/20220816s00041000089000c.html 2022年10月14日閲覧。 
  89. ^ 『新装版成りあがり』(角川文庫、2004)pp.165-172
  90. ^ 矢沢永吉 オリコン芸能人事典-ORICON STYLE
  91. ^ GOOD OLD ROCK AND ROLL キャロルから始まる、不良の、不良による、不良のためのロックンロール
  92. ^ 『成りあがり』p.235,275
  93. ^ a b c d #カドカワ pp.55-56
  94. ^ 『成りあがり』p.235,275
  95. ^ a b c d e “メタメタに燃える"ロックの虫" ソロで再出発 矢沢永吉(元キャロルのリーダー) 陽水、拓郎の挑戦だ 27日から全国音楽ツアー 突っぱり派の代表選手、矢沢永吉。愛称"エイちゃん"”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 9. (1975年9月16日) 
  96. ^ a b c d 伝説の日比谷野音公演、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを振り返る
  97. ^ a b c 「サブウェイ特急」で“ヤミに向かって突っ走るのさ どこまでも”と歌われたフレーズは40年たった今も有効だ・・・本日は矢沢永吉、66回目の誕生日。
  98. ^ a b c d #浅野 pp.100–109
  99. ^ 小倉信昭「HUMAN THEATER 人間劇場 第71回 矢沢永吉(2) 『裸一貫、父兄参観、人生悪漢!?』」『週刊明星』1986年8月21日号、集英社、64–67頁。 
  100. ^ #写真集 p.37
  101. ^ a b c ALBUM ドアを開けろ”. 矢沢永吉公式サイト. 2021年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  102. ^ a b c d e 阿部公輔 (2022年7月5日). “ドサ回りで開いた扉 ロックスター矢沢永吉は日比谷野音で誕生した”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年7月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220705025055/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/05/kiji/20220705s00041000111000c.html 2022年7月7日閲覧。 阿部公輔 (2022年7月5日). “矢沢永吉「最初、散々な目に遭う。2度目、オトシマエをつける。3度目、余裕」 そして4度目は…”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年7月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220705025120/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/05/kiji/20220705s00041000094000c.html 2022年7月7日閲覧。 
  103. ^ 今日と明日、2日間に渡ってゲストにお迎えするのは…矢沢永吉
  104. ^ a b c d e f 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、379–381頁。ISBN 9784907583637 
  105. ^ a b c d e #カドカワ pp.57-60
  106. ^ ガモウ ユウイチ (2018年10月10日). “日比谷公園大音楽堂の伝説 いつの時代も"野音"は燃えていた......”. 東京エキマチVol.21. 交通新聞社. 2020年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  107. ^ 矢沢永吉、70歳1発目ライブは43年ぶり日比谷野音
  108. ^ a b 磨井慎吾 (2017年8月16日). “話の肖像画 編集者・島本脩二(3) 読者見て生まれた矢沢永吉「成りあがり」 無名時代の糸井重里がリライト”. 産経ニュース (産業経済新聞社). オリジナルの2023年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230328004629/https://www.sankei.com/article/20170816-5N3FUJBF6ZKQZD2LTOBHIHO6OI/ 2023年3月28日閲覧。 
  109. ^ a b c d e f 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p2- WEB GOETHE(Internet Archive)
  110. ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 - みんなCM音楽を歌っていた。(6)
  111. ^ a b 11月18日ロック界のカリスマ 矢沢永吉に直撃インタビュー - スッキリ!!(Internet Archive)
  112. ^ ホラン千秋 (2021年5月8日). “【本ナビ+1】キャスター、タレント ホラン千秋 つらさを幸福に変える発想『じいじ、最期まで看るからね 育児と介護のダブルケア奮闘記』”. 産経新聞 (産業経済新聞社). オリジナルの2021年5月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210508093027/https://www.sankei.com/life/news/210508/lif2105080003-n1.html 2022年7月7日閲覧。 
  113. ^ a b 金沢俊吾 (2023年2月10日). “ゲーム『MOTHER』に影響を与えたスティーブン・キングの小説とは?糸井重里が人生に深く関わる3冊を語る【私の愛読書】”. ダ・ヴィンチWeb. KADOKAWA. 2022年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月日閲覧。
  114. ^ a b 矢沢永吉 伝説のベストセラーが電子書籍化決定 - ウレぴあ総研
  115. ^ 「ワイドコラム・ルック・るっく 人と事件 ラジオ CM独占で判明した矢沢永吉流商法」『週刊現代』1980年5月22日号、講談社、54頁。 
  116. ^ #浅野 pp.141–153
  117. ^ 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p3- WEB GOETHE(Internet Archive)
  118. ^ a b ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年記念企画 矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。”. ほぼ日刊イトイ新聞. 株式会社ほぼ日 (2019年6月6日). 2023年5月12日閲覧。
  119. ^ “伝説”再び…矢沢永吉 40年ぶりロックバンド「Z’s」結成 スポニチ Sponichi Annex 芸能 2014年(平成26年)2月27日掲載、2014年3月10日閲覧
  120. ^ ROCK IN DOME”. GARURU RECORDS『矢沢永吉』DISCOGRAPHY (2015年9月15日). 2015年9月15日閲覧。
  121. ^ スペシャ「MUSIC AWARDS」でドリカム2冠、BUMPは投票1位に”. 音楽ナタリー (2016年2月29日). 2016年2月29日閲覧。
  122. ^ 矢沢永吉「ONE NIGHT SHOW 2019」7月25日(木)からHuluで独占配信決定!氣志團、KREVA、東京スカパラダイスオーケストラ(Guest奥田民生)、MIYAVIとともに「止まらないHa~Ha」を大合唱”. Hulu News&In (2019年7月8日). 2022年8月1日閲覧。
  123. ^ 矢沢永吉 初冠フェスに2万人熱狂「俺やります、よろしく!」 9月に7年ぶり新アルバムも”. ORICON NEWS (2019年7月7日). 2019年7月9日閲覧。
  124. ^ 台風接近…矢沢永吉、日比谷野音の公演中止が決定「安全等を第一に考慮」 振替公演なし”. ORICON NEWS (2019年10月10日). 2019年10月10日閲覧。
  125. ^ 矢沢永吉の日比谷野音70歳初ライブ、台風接近により中止”. 音楽ナタリー (2019年10月10日). 2019年10月10日閲覧。
  126. ^ 「THE STAR IN HIBIYA 2019」限定映像配信延期のお知らせ”. 矢沢永吉公式サイト・NEWS (2019年10月12日). 2019年10月12日閲覧。
  127. ^ 矢沢永吉、体調不良できょうのマリンメッセ福岡でのコンサート中止…歌手生活47年で初の公演中止”. スポーツ報知 (2019年11月24日). 2019年11月25日閲覧。
  128. ^ 矢沢永吉、27日浜松公演も中止 「喉がちぎれてもやりたい」断腸の思い明かす”. ORICON NEWS (2019年11月26日). 2019年11月30日閲覧。
  129. ^ E.YAZAWA "ROCK MUST GO ON" TOUR -EXTRA- 2020 開催中止のお知らせ”. 矢沢永吉公式サイト (2020年3月26日). 2020年3月27日閲覧。
  130. ^ 矢沢永吉、春ツアー全公演中止を発表 新型コロナ状況受け「ハッキリ決めました」”. ORICON NEWS (2020年3月26日). 2020年3月27日閲覧。
  131. ^ 矢沢永吉「俺だって食わなきゃいけない」未発売の伝説ライブ3本、初の有料配信へ”. SponichiAnnex (2020年6月17日). 2020年6月20日閲覧。
  132. ^ 矢沢永吉役は神尾楓珠「人生初リーゼントにも注目して」 『THE MUSIC DAY』特別ドラマ”. ORICON NEWS (2020年9月10日). 2020年9月13日閲覧。
  133. ^ 矢沢永吉「矢沢です。今秋ツアーやります。」”. 音楽ナタリー (2021年7月8日). 2021年7月15日閲覧。
  134. ^ 12/25(土)横浜アリーナ 追加公演決定! 矢沢永吉全国ツアー2021「I'm back!! ~ROCKは止まらない~」”. 矢沢永吉公式サイト (2021年10月1日). 2021年10月7日閲覧。
  135. ^ 矢沢永吉が、全国ツアー「I’m back!! 〜ROCKは止まらない〜」を2021年10月より開催する。”. Rolling Stone Japan (2021年7月12日). 2021年7月15日閲覧。
  136. ^ 矢沢永吉、全国ツアー31公演を完遂 横アリで魅せたロックの真髄”. Music Voice (2021年12月25日). 2021年12月27日閲覧。
  137. ^ 矢沢永吉まだまだ走り続ける“史上最年長”全国アリーナツアー千秋楽公演”. 日刊スポーツ (2021年12月25日). 2021年12月27日閲覧。
  138. ^ 矢沢永吉8月から50周年ツアー「MY WAY」開催「新国立競技場やります!よろしく!」”. 日刊スポーツ (2022年4月4日). 2022年4月4日閲覧。
  139. ^ 矢沢永吉のフェス『ONE NIGHT SHOW』Day1のレポートが到着! 布袋寅泰、BiSH、SUPER BEAVERが白熱の共演”. THE FIRST TIMES (2022年7月4日). 2022年7月5日閲覧。
  140. ^ 矢沢永吉のフェス『ONE NIGHT SHOW』Day2のレポート到着! 打首獄門同好会、サンボマスター、氣志團が豪華共演”. THE FIRST TIMES (2022年7月5日). 2022年7月5日閲覧。
  141. ^ 矢沢永吉が12万人のファンを熱狂させた国立競技場2DAYS、MISIAに加えB’zとの共演も”. Rolling Stone Japan (2022年8月29日). 2022年8月31日閲覧。
  142. ^ 矢沢永吉、新国立でB’zとサプライズ初共演「たまんないねー」 無告知登場に6万人どよめき&歓喜”. ORICON NEWS (2022年8月28日). 2022年8月31日閲覧。
  143. ^ “矢沢永吉 3年ぶりタオル投げ復活にファン歓喜「最高」「素晴らしい時間」”. SponichiAnnex (スポーツニッポン新聞社). (2022年8月27日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/27/kiji/20220827s00041000617000c.html 2022年8月31日閲覧。 
  144. ^ 矢沢永吉「こんな感謝はない」デビュー50周年でライブ 国立競技場初の有観客2デイズ MISIA、B’zも盛り上げる”. TOKYO HEADLINE (2022年8月28日). 2022年8月31日閲覧。
  145. ^ 速報!国立競技場公演 12月21日(水)Blu-ray&DVD発売決定!”. 矢沢永吉公式サイト (2022年9月25日). 2022年9月26日閲覧。
  146. ^ 本日73歳の誕生日迎えた矢沢永吉が秋のツアー開催発表、前人未到の150回目の日本武道館公演へ”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2022年9月14日). 2022年9月18日閲覧。
  147. ^ 矢沢永吉、全国11ヵ所17公演のホール&アリーナツアー発表! 前人未踏の日本武道館150回公演達成へ”. THE FIRST TIMES. THE FIRST TAKE (2022年9月14日). 2022年9月18日閲覧。
  148. ^ 【中止のお知らせ】12月20日 日本武道館公演について”. 矢沢永吉公式サイト (2022年12月20日). 2022年12月20日閲覧。
  149. ^ 矢沢永吉、喉の不良により本日20日の日本武道館ライブ中止”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2022年12月20日). 2022年12月20日閲覧。
  150. ^ 矢沢永吉 喉の不調は2日前に前兆「ちょっとハイパート、きたかな」 NHK生番組で公演中止の経緯告白”. SponichiAnnex. スポーツ報知新聞社 (2022年12月23日). 2022年12月24日閲覧。
  151. ^ FUJI ROCK FESTIVAL公式Twitter 2023年7月28日付
  152. ^ 矢沢永吉、デビュー50周年を経た150回目の武道館に喜び 無念の中止から1年「みなさんにまたこうやって会うことができました」”. ORICON NEWS. oricon ME (2023年12月14日). 2023年12月29日閲覧。
  153. ^ #写真集 p.111
  154. ^ 僕が音楽マネージャーになるまで – (8)世界の終わり
  155. ^ #写真集 pp.384-385
  156. ^ 矢沢永吉が衝撃の真相を語る!35億円詐欺事件の真実とは ザ!世界仰天ニュース 公式サイト 2022年7月19日 2024年7月16日 閲覧
  157. ^ #TITLe pp.48-49
  158. ^ #写真集 p.42
  159. ^ a b c #TITLe p.26
  160. ^ a b #R&Rぴあ p.61
  161. ^ #GOOD ROCKS p.11
  162. ^ a b 矢沢永吉|WOWOWオンライン独占インタビュー全文(Internet Archive)
  163. ^ MISIA砂漠から熱唱 永ちゃんは豪快マイクターン ― スポニチ
  164. ^ #写真集 p.75
  165. ^ #写真集 p.374
  166. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 -ありがとうが爆発する夜
  167. ^ a b c d 「矢沢永吉武道館ライブ」『実話ナックルズ』2017年2月号、ミリオン出版 pp.124-127
  168. ^ a b c d e f g h #浅野 pp.110–121
  169. ^ a b c d e f #浅野 pp.38–57
  170. ^ #写真集 p.60
  171. ^ a b c d e #R&Rぴあ pp.12-13
  172. ^ 小林武史 × 矢沢永吉エコレゾウェブ
  173. ^ 矢沢永吉、迷惑ファンの「出入り禁止」を報告 公式サイトで説明 ORICON NEWS 2018年1月24日 同日閲覧
  174. ^ a b c d e #三橋 pp.187-188
  175. ^ 「作家で聴く音楽」 山川啓介 - JASRAC
  176. ^ #TITLe p.30
  177. ^ [矢沢永吉] YAZAWA流ロックオペラがDVD化”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2007年2月16日). 2022年8月31日閲覧。
  178. ^ TOMC (2022–10–29). “あのアーティストの知られざる魅力を探る TOMCの<ALT View>#20 矢沢永吉とソウル~AOR~シンセ・ファンク いま改めて注目すべき“ロックスター”の音楽的冒険とは”. 日刊サイゾー. サイゾー. 202-06-22時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
  179. ^ #クロニクル2 pp.81-83
  180. ^ 朝日新聞出版 最新刊行物:フリーペーパー:ジェイヌード(Internet Archive)
  181. ^ 【新】矢沢永吉、70歳。「不器用で結構だ、ヨロシク」
  182. ^ 矢沢永吉 - TOWER RECORDS ONLINE
  183. ^ a b #名曲事典 pp.454-455
  184. ^ a b c d マキタスポーツスージー鈴木「春の名曲フェア~スージーの春」『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』KADOKAWA、2018年、120–135頁。ISBN 9784048962605 
  185. ^ マキタスポーツ・スージー鈴木「春の名曲フェア~スージーの春」『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』KADOKAWA、2018年、134–135頁。ISBN 9784048962605 
  186. ^ 第64回 79年はロックの夜明け - 富澤一誠の55歳の決心!(Internet Archive)
  187. ^ a b 浜野保樹 (2010年10月14日). “東大教授浜野保樹のメディア対談録 1980年12月、レノンが死んだ 音楽業界トップ・石坂敬一ユニバーサル ミュージック合同会社会長が語るその未来 第3回”. WEDGE ONLINE. ウェッジ. 2010年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
  188. ^ a b 矢沢永吉「Last Song」インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー Power Push
  189. ^ a b #写真集 pp.64-65
  190. ^ a b c d e #百科 p.123
  191. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 -53
  192. ^ #写真集 pp.132-133
  193. ^ #TITLe p.28
  194. ^ #写真集 p.49
  195. ^ 阿部公輔 (2012年7月26日). “永ちゃんマジだぜ!!『俺はステージで死ぬ』 本紙インタビューで激白 畳じゃ死なねえよ歌い続けて、ある日…新作『Last Song』はYAZAWAの"マイ・ウェイ" CD何枚買ったら握手なんて…『認めるけど俺とは違う』”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 22 
  196. ^ 緻密な戦略で成り上がった矢沢永吉に見る驚異的な「ビジネス力」
  197. ^ a b c #浅野 pp.58–68
  198. ^ 渡辺祐 (2022年4月25日). “【LIFE MUSIC.~音は世につれ~】第16回 矢沢永吉さんの「よろしく」によろしく”. Mikiki. タワーレコード. 2022年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
  199. ^ #浅野 pp.122–142
  200. ^ 週刊文春 2020年2月20日号 P113
  201. ^ 横浜銀蝿「中森明菜ちゃん、ピンク・レディーさん、三原じゅん子さん…」今だから話せる80年代秘話
  202. ^ #カドカワ pp.75-83
  203. ^ #カドカワ pp.48-49
  204. ^ 藤井フミヤが「これがなければチェッカーズはなかった」と語る映画は?
  205. ^ 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】当日に突然の取材拒否!?「矢沢永吉さんだったらこんな企画受けない」 大人だからとこびず、曖昧を嫌っていた (1/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社 (2020年2月11日). 2020年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月14日閲覧。5年越しで実現した中森明菜の悲願
  206. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 - なんだ、これは!
  207. ^ 日刊ゲンダイ、2008年4月4日、18面
  208. ^ 清木場俊介 『唄い屋・BEST Vol.1』インタビュー EXILE ATSUSHIと8年ぶりの歌唱。
  209. ^ 永ちゃん最高!アーティスト5人が「VIP」で矢沢を熱弁 - ナタリー
  210. ^ 三代目JSB今市隆二「自分がやりたいことができた」 ソロ活動で感じた“手応え”
  211. ^ “【夢中論】片寄涼太 ビンテージの服のように…世代を超え長く愛される王子に”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2018年10月2日). オリジナルの2022年7月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220705091255/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/10/02/kiji/20181002s00041000059000c.html 2022年7月7日閲覧。 
  212. ^ オフィシャルブログ「LOVEY-DOVEY」 - 伯父が矢沢のバンドメンバー"YOKAN"
  213. ^ 日だまりのお部屋563*ひなちま
  214. ^ a b I LOVE 永ちゃん! 舛添要一、リリー・フランキーが語る矢沢永吉(Internet Archive)
  215. ^ a b c 2009年9月号 | Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版(Internet Archive)
  216. ^ “大阪市・松井市長は矢沢永吉ライブで大興奮!? 橋下徹氏が証言「タオルをブワーッと放り投げてます」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2022年10月8日). オリジナルの2022年10月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221008084314/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/08/kiji/20221008s00041000472000c.html 2022年10月日閲覧。 
  217. ^ hashimoto_loの2016年11月28日15時15分のツイート2019年11月18日閲覧。「矢沢永吉さん博士である知事の前では...」“橋下徹氏、初デートで車内チュー!まさかの告白に「どうしたんですか?」”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2021年10月5日). オリジナルの2021年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211005084410/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/10/05/0014736107.shtml 2022年2月28日閲覧。 
  218. ^ a b 矢沢永吉と辻本秀幸と勝間和代 日本武道館と恩師とインタディが見事につながった日”. 試みの水平線 常見陽平公式ブログ (2010年12月16日). 2019年11月18日閲覧。
  219. ^ 矢沢永吉
  220. ^ “梅沢富美男が絶賛「いくつになっても、カッコいいね!」刺激を受けた同年代のスターとは?”. スポーツニッポン (スポーツニッポン社). (2022年6月6日). オリジナルの2022年6月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220606130659/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/06/kiji/20220606s00041000597000c.html 2022年7月7日閲覧。 
  221. ^ 泉ピン子「憧れの矢沢様と偶然お隣さんに…」半世紀にわたる推し活を語る ピンからキリまで“おんなの流儀””. FRaU. 講談社 (2023–11–04). 2023年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
  222. ^ 金曜ブラボー 番組インフォメーション<8月12日のメニュー>
  223. ^ 私と音楽 第31回 バックナンバー 宮崎美子が語るBABYMETAL BABYMETALで初めて感じた“雷に打たれるような衝撃”
  224. ^ “藤山直美 療養中の元気の源は「永ちゃんのDVD。一緒に歌って踊ります」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2018年8月7日). オリジナルの2021年4月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210416112321/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/08/07/kiji/20180807s00041000191000c.html 2022年7月7日閲覧。 
  225. ^ 野沢尚『映画館に、日本映画があった頃』キネマ旬報社、1995年、164頁。ISBN 9784873761213 
  226. ^ ミュージックビデオ 「#ラジオ永ちゃん話【リーゼント刑事】2021年7月2日★矢沢永吉さんに憧れリーゼントにしました「くにまるジャパン極」」 - YouTube
  227. ^ 【矢沢永吉】「キャロル時代からの熱狂的ファン…」憧れの男“永ちゃん”を語る - 小沢仁志公式チャンネル『笑う小沢と怒れる仁志』 - 2022年7月2日
  228. ^ “アラ還シンガー”坂本つとむ、大人のラブソング『LOSTプロポーズ』テレビ初披露
  229. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 - 大好きな「言葉」というもの。
  230. ^ 第 10回 「肯定」って、強いです。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  231. ^ 松本人志、木村祐一の忘れ物から矢沢永吉のファンになる
  232. ^ 俳優 伊原 剛志さん | スペシャル対談~藤本裕子が各界トップに迫る
  233. ^ 矢沢永吉 | 出川哲朗 official ブログ by ダイヤモンドブログ
  234. ^ 『月刊キング』vol.1、2006年8月、講談社
  235. ^ 高知東生が初小説で転落の半生を綴る「今、僕は生き直している最中ですから」”. 徳間書店 (2023年2月23日). 2023年3月3日閲覧。高知東生「薬物依存だった俺」ディスコで薬に手を出したあの日”. 光文社 (2020年10月17日). 2023年3月3日閲覧。
  236. ^ 永ちゃん武道館ライブへ”. 前田典子公式ブログ - マエ★ノリヌーベル (2014年12月12日). 2019年11月30日閲覧。
  237. ^ 「アナザースカイ」中条あやみが関西弁でトーク!?
  238. ^ 鈴木京香、大ファンの“永ちゃんスタイル”でパフォーマンス披露へ 『日曜日の初耳学』で素顔を明かす
  239. ^ 吉田豪を一発でノックアウトした「矢沢永吉」のホスピタリティ
  240. ^ “二宮清純レポート 三浦大輔 38歳・横浜DeNAベイスターズ 男はいかにして「成りあがる」べきか”. 週刊現代. (2012年8月30日). https://gendai.media/articles/-/32848?page=7 2013年9月15日閲覧。 
  241. ^ 【番長崇拝の矢沢永吉がメッセージ「本当にご苦労様」”. 日刊スポーツ (2020年2月11日). 2024年11月5日閲覧。
  242. ^ 俺はいいけど、石丸伸二ならどうするかな? …安芸高田市長が「YAZAWA」に学んだ"理想を実現する方法"”. PRESIDENT Online. プレジデント社 (2024年5月24日). 2024年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  243. ^ RIEKO SHIBAZAKI、YAKA MATSUMOTO (2023年2月1日). “「こんなにいいエゴはない」──鈴木亮平にとっての愛とは? 【FAB FIVE】”. VOGUE JAPAN. コンデナスト・パブリケーションズ. 2023年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
  244. ^ “神田松之丞「NHKはぶっ壊さないで」 矢沢永吉密着番組でナレーション担当”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2019年8月24日). オリジナルの2022年8月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220818110310/https://www.sanspo.com/article/20190824-IVSB67DWMJKMBDFUJGJZQ4FLJA/ 2023-03–03閲覧。 
  245. ^ 「紗耶×夏未エレナ —ROCK’N美少女YAZAWA対談—」『ReaL Vol.001』、東京ニュース通信社、2010年6月25日、46-49頁、ISBN 978-4-86336-094-5 
  246. ^ 木下優樹菜 天心VS武尊を生観戦「感動しちゃった!」「席は10列」
  247. ^ <箱根駅伝2010を読む> エースの背中が見せるもの。(1/3)サンケイスポーツ 2009年11月2日
  248. ^ "竜星涼、矢沢永吉『成り上がり』が芸能界デビューのきっかけ!?「とがってた」". 日刊大衆. 双葉社. 17 November 2019. 2019年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月18日閲覧
  249. ^ 【日本ハム】新球場元年は「永ちゃん」争奪戦!?矢沢永吉を登場曲に明言したドラ1・矢沢に待ったをかける「選手の名前」”. ココカラネクスト (2023年1月3日). 2023年3月3日閲覧。
  250. ^ #TITLe pp.66-85
  251. ^ From Artists... - TOWER RECORDS ONLINE矢沢永吉 CONCERT TOUR 2013 「ALL TIME HISTORY - A DAY-」in BUDOKAN
  252. ^ 矢沢永吉さん。”. 田原俊彦公式ブログ - Once upon a time in Japan (2012年10月15日). 2019年11月30日閲覧。高1で狙った一発逆転劇、いざ六本木へ 真っ赤なトレーナーで事務所の周りをうろつく 話の肖像画 歌手・田原俊彦<8>」『産経新聞』産業経済新聞社、2024年4月8日。2024年7月27日閲覧。
  253. ^ 矢沢永吉が近藤真彦への楽曲提供を拒否!その断り方にファンが拍手喝采
  254. ^ 成田昭次Instagram 2021年12月16日の投稿
  255. ^ 安田顕、毎日眺めてときめいていた女優を告白
  256. ^ 今井翼 ドラマ撮影現場でのスーツ&“YAZAWAマスク”姿 ファン「カッコイイ!」「お顔小さい」
  257. ^ 山Pが安室奈美恵のライヴで手が震えた理由【山下智久のP’s STYLE】
  258. ^ “藤ヶ谷太輔、矢沢永吉にハマる「なぜ矢沢さんに出会わずして34年間生きてきたのか」”. ザテレビジョン (KADOKAWA). (2021年10月5日). オリジナルの2022年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220206032212/https://thetv.jp/news/detail/1070692/ 2022年2月28日閲覧。 “藤ヶ谷太輔、憧れる矢沢永吉との交流秘話「やっぱりスター」と大感激”. マイナビニュース (マイナビ). (2022年8月15日). オリジナルの2022年8月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220814230335/https://news.mynavi.jp/article/20220815-2425353/ 2022年9月9日閲覧。 
  259. ^ Snow Man・渡辺翔太、ラウールを「矢沢永吉さんみたい」と表現したワケ
  260. ^ “トシちゃん流“エスコート”術「少なめに言って400人」/芸能ショナイ業務話”. sanspo.com (産業経済新聞社). (2018年6月24日). オリジナルの2019年6月12日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/4j2PI 2019年12月10日閲覧。 
  261. ^ 矢野利裕のジャニーズ批評少年隊の知られざるルーツとは? 錦織一清がラジオで語る、歌謡曲の「裏面史」
  262. ^ 徳光和夫、「嵐」櫻井翔の父の逸話を披露 後輩・桝太一氏もビックリ”. tv asahi 芸能&ニュース. テレビ朝日 (2022年4月23日). 2022年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  263. ^ 売野雅勇『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』朝日新聞出版、2016年 pp.171-188
  264. ^ “【この人の哲学(5)】 売野雅勇氏 矢沢さんはちょっとした天使”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2019年10月15日). オリジナルの2019年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2019-1118-1249-47/https://www.tokyo-sports.co.jp:443/entame/interview/1583199/ 2019年11月18日閲覧。 
  265. ^ DON!』(日本テレビ系)、2010年10月15日放送(DON! - 1932年10月15日「オリコン創業者小池聰行さんが生まれた日」)。
  266. ^ a b 天野祐吉「所ジョージの世界」『広告批評』1982年7月号、44頁。 
  267. ^ 森永博志『原宿ゴールドラッシュ』ワニブックス、1985年、90-93頁。 文庫、ワニブックス、1990年、エンジェルワークス文庫/ソニー・マガジンズ、 2004年)
  268. ^ 矢沢永吉、2週連続「MUSIC FAIR」出演!秘蔵映像も公開”. ザテレビジョン (2019年8月31日). 2019年9月1日閲覧。
  269. ^ 矢沢永吉、『Mステ』初出演&タモリと初対面!8月30日“矢沢の日”に実現”. テレ朝POST (2019年8月23日). 2019年8月23日閲覧。
  270. ^ 矢沢永吉、約25年ぶりにTBS音楽番組出演、安住アナ「毎年来てください」に「呼んで下さい」”. 日刊スポーツ (2022年7月16日). 2022年7月17日閲覧。
  271. ^ 来月70歳の矢沢永吉を密着取材、ロサンゼルスで「俺の人生を語ろう」”. 音楽ナタリー (2019年8月9日). 2019年8月18日閲覧。
  272. ^ 矢沢永吉 - オリコンTV出演情報
  273. ^ 「関ジャム」で矢沢永吉特集、横山健ら“YAZAWAの名曲”語る”. 音楽ナタリー (2019年8月19日). 2019年8月19日閲覧。
  274. ^ 「関ジャム 完全燃SHOW ~【矢沢永吉特集!貴重デモテープ音源&サプライズ生演奏も】~」 2020年10月18日(日)放送内容”. 価格.com (2020年10月19日). 2020年10月21日閲覧。
  275. ^ 矢沢永吉「嵐に会いたかったから」嵐にしやがれ初登場”. 音楽ナタリー (2019年8月17日). 2019年8月18日閲覧。
  276. ^ 矢沢永吉が衝撃の真相を語る!35億円詐欺事件の真実とは”. ザ!世界仰天ニュース. 日本テレビ (2022年7月19日). 2020年7月20日閲覧。
  277. ^ 矢沢永吉、70歳を目前にニッポン放送でトーク「僕の『いま』をたっぷりお伝えします」”. 音楽ナタリー (2019年9月1日). 2019年9月1日閲覧。
  278. ^ 矢沢永吉 初のレギュラーラジオスタート「答えられることはなんでも答えます」”. TOKYO FM+. エフエム東京 (2022年5月6日). 2022年9月1日閲覧。
  279. ^ 矢沢永吉「あっという間でしたね! 半年」TOKYO FMのレギュラーラジオ番組「YAZAWA LOCKS!」出演を振り返る”. TOKYO FM+. エフエム東京 (2022年10月30日). 2022年10月31日閲覧。
  280. ^ 矢沢永吉さん&鈴木京香さんを起用した「サントリー セサミンEX」新TV-CMが1月26日(水)から全国オンエアスタート!”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年1月25日閲覧。
  281. ^ 日産自動車、新ブランドキャンペーンを開始「NISSAN PRIDE」”. 日産自動車ニュースルーム (2018年2月1日). 2018年3月16日閲覧。
  282. ^ 矢沢永吉 衝撃に出会えるかどうかで人生は決まる。

出典(リンク)

[編集]
  1. ^ [2][3][4][5][6]
  2. ^ [4][7][8]
  3. ^ [10][11][12]
  4. ^ [10][11]
  5. ^ [10][11][13]
  6. ^ [15][16]
  7. ^ [19][20][21]
  8. ^ [16][18][26]
  9. ^ [16][26]
  10. ^ [23][28]
  11. ^ [29][30][31][32][33]
  12. ^ [29][30]
  13. ^ [34][35]
  14. ^ [34][36][37]
  15. ^ [30][32]
  16. ^ [2][16][40][41][42]
  17. ^ [43][44]
  18. ^ [44][45]
  19. ^ [4][46]
  20. ^ [6][47][48][49][50][51]
  21. ^ [4][49][51][52][53]
  22. ^ [51][52][54][55]
  23. ^ [16][56]
  24. ^ [7][22][66][67][68]
  25. ^ [7][22][66][67][68]
  26. ^ [7][66][67][68][69]
  27. ^ [7][66]
  28. ^ [22][66][67][70]
  29. ^ [7][51][66][67]
  30. ^ [51][66]
  31. ^ [67][72]
  32. ^ [69][71]
  33. ^ [69][74]
  34. ^ [7][22][66][75][76][77][78][79]
  35. ^ [7][51][66][75][80][81][82]
  36. ^ [51][83]
  37. ^ [3][22][70][80][84]
  38. ^ [80][83]
  39. ^ [51][67][69][83]
  40. ^ [74][76]
  41. ^ [70][87]
  42. ^ [84][88]
  43. ^ [7][66][67][70]
  44. ^ [7][51][66][69]
  45. ^ [2][3][7][66][67]
  46. ^ [75][69]
  47. ^ [47][81][90][91]
  48. ^ [93][94]
  49. ^ [56][69]
  50. ^ [18][28][56][69][82]
  51. ^ [95][96]
  52. ^ [95][97]
  53. ^ [15][18][95]
  54. ^ [18][97]
  55. ^ [69][93]
  56. ^ [15][40]
  57. ^ [18][97][100][101]
  58. ^ [1][18][40][96][102][103]
  59. ^ [18][66]
  60. ^ [40][66]
  61. ^ [15][18][105]
  62. ^ [18][96][102][105][106][107]
  63. ^ [12][69][108]
  64. ^ [18][101]
  65. ^ [18][50][101]
  66. ^ [18][19][75][109]
  67. ^ [48][110]
  68. ^ [1][18][48][109]
  69. ^ [23][54][111]
  70. ^ [18][112][113]
  71. ^ [3][16][54]
  72. ^ [4][18][108][109][114]
  73. ^ [18][113]
  74. ^ [76][78]
  75. ^ [76][78]
  76. ^ [76][116]
  77. ^ [5][129]
  78. ^ [25][138]
  79. ^ [27][66][105]
  80. ^ [27][66]
  81. ^ [27][105][153]
  82. ^ [56][66]
  83. ^ [66][154]
  84. ^ [56][66][69]
  85. ^ [56][66]
  86. ^ [24][158]
  87. ^ [160][161]
  88. ^ [165][166]
  89. ^ [17][167]
  90. ^ [18][168]
  91. ^ [18][167][168]
  92. ^ [29][169]
  93. ^ [18][167]
  94. ^ [17][24][29][169]
  95. ^ [170][171]
  96. ^ [171][174]
  97. ^ [1][5][54][179][180]
  98. ^ [1][13][181]
  99. ^ [40][66][182]
  100. ^ [47][48][50][54]
  101. ^ [48][109][110][174][183]
  102. ^ [19][174][186]
  103. ^ [15][17][54][56][111][174]
  104. ^ [15][66]
  105. ^ [17][174]
  106. ^ [3][109][114][77]
  107. ^ [6][13]
  108. ^ [48][183]
  109. ^ [22][188]
  110. ^ [27][44][191]
  111. ^ [27][192]
  112. ^ [22][194]
  113. ^ [1][28]
  114. ^ [28][37]
  115. ^ [18][28]
  116. ^ [18][56]
  117. ^ [18][196]
  118. ^ [29][197]
  119. ^ [29][197]
  120. ^ [29][197]
  121. ^ [18][28][198]
  122. ^ [188][189]
  123. ^ [214][215]
  124. ^ [229][230]
  125. ^ [214][215]
  126. ^ [250][251]
  127. ^ [29][263][264]

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]