コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

東映アニメーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画ニメから転送)
東映 > 東映アニメーション
東映アニメーション株式会社
TOEI ANIMATION CO., LTD.
本社が入居する中野セントラルパークイースト
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社[1]
市場情報
東証スタンダード 4816
2000年12月8日上場
略称 東映アニメ[2]、東アニ[3][4]
本社所在地 日本の旗 日本
164-0001
東京都中野区中野四丁目10番1号
中野セントラルパーク イースト5階
北緯35度42分28.0秒 東経139度39分46.5秒 / 北緯35.707778度 東経139.662917度 / 35.707778; 139.662917座標: 北緯35度42分28.0秒 東経139度39分46.5秒 / 北緯35.707778度 東経139.662917度 / 35.707778; 139.662917
設立 1948年1月23日
(日本動画株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 8011601004645 ウィキデータを編集
事業内容 アニメーションの企画・制作、版権事業
代表者
資本金
  • 28億6700万円
(2024年3月31日現在)[5]
発行済株式総数
  • 4200万0000株
(2024年3月31日現在)[5]
売上高
  • 連結: 886億5400万円
  • 単独: 797億4700万円
(2024年3月期)[5]
営業利益
  • 連結: 233億6400万円
  • 単独: 146億2900万円
(2024年3月期)[5]
経常利益
  • 連結: 264億5300万円
  • 単独: 189億9600万円
(2024年3月期)[5]
純利益
  • 連結: 187億9500万円
  • 単独: 133億4500万円
(2024年3月期)[5]
純資産
  • 連結: 1317億1300万円
  • 単独: 946億9100万円
(2024年3月31日現在)[5]
総資産
  • 連結: 1627億3900万円
  • 単独: 1378億2900万円
(2024年3月31日現在)[5]
従業員数
  • 連結: 911人
  • 単独: 641人
(2024年3月31日現在)[5]
決算期 3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[5]
主要株主
主要子会社 関連会社を参照
関係する人物 関連人物を参照
外部リンク www.toei-anim.co.jp ウィキデータを編集
特記事項:1952年8月に日本動画株式会社から日動映画株式会社へ商号変更。
  • 1956年7月に日動映画株式会社から東映動画株式会社へ商号変更。
  • 1998年10月に東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社へ商号変更。
テンプレートを表示

東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、: TOEI ANIMATION CO., LTD.[6])は、日本アニメ制作会社東映連結子会社で、テレビ朝日ホールディングス持分法適用関連会社日本動画協会正会員。現存する日本のアニメ制作会社としては最も歴史が古い。

 
大泉スタジオ社屋。上から順に初代(1957年 - 2015年)、2代目(2018年 - )。

沿革

[編集]

1940 - 1960年代

[編集]

東映動画(東映アニメーション)は、東映の長年に亘る教育映画活動から生み出されたものである[7][8]。同社の教育映画事業は1947年1月に東映の前身である東横映画に開発部が設置されたことに始まる[8]。開発部は16mmで製作した教育映画を農山漁村での巡回上映を行う「十六ミリ映写隊」等の活動を行い[7][8]、常時120班ほどの上映班が全国を巡回し、「東横16ミリ」と呼ばれ親しまれていたという[8]終戦直後には、講堂や映写機材も多くが戦災で不足していたことから、1940年代後半を中心に映画館への引率観覧が積極的に行われ、それは「映画教室」として全国的に波及していった[8]。当時、この映画教育運動に最も積極的に取り込んでいたのは、後に東映動画に買収される日動映画社の前身、日本動画社と関係していた東宝教育映画部であった[8]

そこで主要なプログラムとして盛んに上映されていたのは、『捨て猫トラちゃん』や『ムクの木の話』といった短編アニメーションであった[8]。教育映画と映画会社の関係は、東映のみならず、1910年代後半の国産アニメーションの登場直後から密接に関わり[8]、日本製アニメーションも「教育映画のサブジャンル」という位置付けを強く担っていた[8]。東映でも社長の大川博が教育映画に強い関心を寄せ[7][8]、1954年に教育映画祭が開始されるなど、教育映画が社会的脚光を浴び始めたこともあり、同年9月、東映でも教育映画の自主製作を始めた[7][8][9]。「十六ミリ映写隊」は「営業部十六ミリ映画課」と名称を変えていたが、1954年9月に設置された教育映画自主製作配給委員会での検討を経て、「営業部十六ミリ映画課」は「十六ミリ映画部」として独立し、1955年6月に「教育映画部」と格上げされた[7][8]。教育映画製作は興行映画に比して事業規模も低く製作費も安く抑えられていた[7]。また劇映画が常設館での上映に対して、教育映画は学校や公民館などでの不定期な上映に依存していた[7]。しかし当時は映画自体を教育上好ましくないとみなし、学童、学生の映画館入場に厳しい視線を向ける地域も少なくなく、特に当時の東映が得意としていた剣戟主体の時代劇は俗悪と見られがちで、これと対照的な教育映画を製作・配給することは、東映にとって社会的地位や評価の向上をもたらすもので、こうした背景から教育映画が劇場の上映プログラムに組み込まれるようになった[7]。このような歴史を経て「教育映画部」の中でアニメーション映画が注目され、1955年3月31日に東映内で「漫画映画自主製作委員会」が開かれ[8]、「十六ミリ映画部」による教育用のアニメーション映画『うかれバイオリン』の制作が決まり[7][8]、日動映画へ製作が委託された[7][8]

日本動画株式会社は、1948年1月、政岡憲三山本善次郎らにより設立され[10]、設立当初は新宿成城高校の空き教室約60坪[11]を根拠地に制作が行われた[11]。1952年8月、日動映画株式会社に商号変更していた[10]

ディズニーのアニメーションが日本で公開されたのは1950年で、『白雪姫』が最初であった[12]。豊かな物語と縦横無尽に躍動するキャラクター、緻密な作画極彩色に彩られた画面は、日本の観客に衝撃を与えた[12]手塚治虫は毎日映画館に通いつめ、繰り返し観たといわれる[12]。ディズニーの長編は日本が戦時体制に入っていたため、日本では戦後に至るまで公開されず[12]、『白雪姫』を皮切りに次ぎ次ぎとディズニーアニメが日本で公開された[12]。ディズニー長編公開の意義は、アニメーションが商業的に成功し得ることを知らしめた点にあった[12]。それ以前の国産アニメーションは、ほとんどが短編で、映画館での添え物的な扱いか、学校での視聴覚教育用などの配給に過ぎず、マーケットは零細であった[12]

1955年、日動映画の藪下泰司と山本善次郎が東映の今田智憲営業課長を訪ね[13]、「自分たちは日動というアニメの会社を24、5人でやっているんだが、どうも難しい。協力してもらえないか」と相談があり[13][14][15][16]、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川博東映社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し日動映画の買収を決めた[13][14][16]。今田は東映の新規事業拡大に多く関わった重役であった[7][17]。大川は映画はズブの素人で[18][19]、映画にはあまり関心がなかったとされるが[19]、教育事業には強い関心を寄せており[7]、1955年10月完成の『うかれバイオリン』を大川が気に入り[7]、日動映画の買収を決めたという[7]。大川がアニメーションの参入にどれほど真剣であったかは、本人の発言や回想からははっきりしない[12]。『白雪姫』の製作費は約148万8,000ドルと[12]、昔も今も長編アニメの製作には莫大なお金も時間もかかることから[12]、徹底的な低予算主義を進めた大川がディズニーを目指すとは考えにくいことから[12]、1950年の黒澤明監督『羅生門』が第12回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲ったことで、劇映画に比べて無国籍性が強いアニメーションなら海外輸出ができるのではないかと考えたとする見方もある[12]

1956年1月、東映は東映動画の設立に向け「漫画映画製作研究委員会」を立ち上げ[8][20]、委員長は大川社長で、副委員長・山崎季四郎、設立準備の実務担当委員として赤川孝一管理課長[注釈 1]や、今田智憲営業課長らが任命された[20][21]。ところが、事業計画案を巡り赤川と今田の意見が対立した[20]。今田は「カラー長編制作に加え、ディズニー社を始めとするアメリカの長編アニメ制作会社と提携し、その制作技術を導入すること」「作品制作事業だけでなく、関連商品(版権商品)販売テーマパーク運営など、広範囲にわたる事業展開を図るべし」「絶対に天然色で、長編漫画でなければ収入はあがらない」などと提案[7][20][21]。今田は今日のキャラクター・ビジネスやマーチャンダイズに近い発想を既に持っていたが、結局赤川の教育映画部の意見が優先され、今田の意見は却下された[20]。今田の意見を認めなかった山崎季四郎常務取締役(教育映画部担当)は、制作実態の把握から予算編成まで曖昧なまま見切り発車させた[20]。いざ制作が始まると、制作コストは予算の2-3倍に膨張し、以降も赤字体質が常態化して行く[20]

同年8月、東映が日動映画を買収[7]。日動映画は機材も少しで人員も30人で企業価値も低く、買収額は100万円と、東映にしては同社の買収は大したエポックでもなかった[7]。東映動画の公式サイトの同社沿革でも日動映画の設立から歴史が始まっているが[10]、東映動画にとっては日動映画が前身ということではなく[7]、日動映画を買収したことにより、大川博や今田智憲、山崎季四郎、赤川孝一らが、教育映画のラインナップとバリエーションを充実化する手段としてアニメーション映画に注目する切っ掛けの一つになっただけに過ぎない[7]。1956年8月1日[22]東映動画株式会社が発足した[10][23]。設立に森康二、藪下泰司らも参加した。これ以前にも商業アニメーションは細々と存在したが[24]、東映が買収したことで初めて日本のアニメーションに光が当たった[25][注釈 2]。発足当時の35名の社員はほとんどが旧日動の社員で、会社住所も日動と同じ新宿区原町であった[26]。東映動画の発足にあたっては短編・中編制作の事業計画のみが記載され、長編の記載はなかったが[21]、もとは香港からの持ち込み企画であった『白蛇伝』の制作をスタートさせた[23]。当時、日本国内にアニメーション制作会社はごく少なく、長編制作の経験もほとんどなかった中で、東映は日動映画を買収することによりアニメーション制作のノウハウを得ようとしたのである。

発足から4ヵ月後の1956年12月[27]、まだ武蔵野の面影が残る閑静な東京都練馬区の東映東京撮影所南側に隣接してスタジオが完成[22][27]。延建坪330坪[28]。東映動画は1957年1月9日、この新スタジオに移転[10]。日本に於ける本格的アニメーションの製作が開始された[24][27]。スタジオ完成とともに新たに採用された東映動画第一期生の中には大塚康生楠部大吉郎らがいた。スタジオ竣工時就業人員80人[22]。また1958年から手塚治虫が『西遊記』の製作のために嘱託として参加している[23][29]。1958年延建坪500坪[28]。この時のノウハウが旧虫プロダクションで活かされることとなる[23][29]。東映動画の遺伝子は後の日本のアニメーションの歴史に大きな影響力を持った[23][30][31][32][33][34][35][36]岡田茂は「東映が日本のアニメーターを養成したようなもの」と述べている[37]

新スタジオでは『白蛇伝』制作のためのスタッフ急増とCMフィルムの需要の増加に対応して同年末に第1次増設工事に着工して同年4月10日に竣工し、その2年後の1959年6月15日には第2次増設工事竣工。延建坪850坪に拡大され[28]。さらに『狼少年ケン』などのテレビアニメーション(テレビ漫画)の制作に対応するため1964年6月2日には第3次増設工事が竣工して現在のスタジオに成長した。

スタジオの完成によって長編アニメーション制作の体制が整い、まず手慣らしとして旧日動映画スタッフの指導の下で1957年5月、初の短編作品『こねこのらくがき』を制作した。続いて1958年10月には『白蛇伝』を完成した。日本でテレビ放送が始まって5年8ヵ月後のことで[38]、当時としては破格の製作費4000万円、製作期間9ヶ月を費やした[38]。東映動画は「日本でもここまでできる」と後進を刺激し[33][38]家内制手工業の動画制作を近代産業に発展させ、同時に日本アニメーションの戦後を終わらせた[32][39]

藪下泰司によれば、日本の動画の正統が手工業的な日動映画から、近代的な東映動画に引き継がれていく中で最も大きく変わったのが製作技術と述べており[40]、「東映以前の漫画は、画家が描きながらアイデアを作っていた。そこには演出はなかった。画家にはカット割りとか、カメラアングルの定石も分からなかった。ところが企画・脚本・演出・原画という分化が行われるにつれて、アクションの設定なども入ってきて、動画が著しく映画的になった」などと論じている[40]。動画の特徴として同じアイデアを二度繰り返すことが出来ない、東映時代劇など、映画では監督と俳優を代えれば、同じことを繰り返すことが出来るが、動画はスターがいないため、繰り返しは出来ない。また製作期間が一年かかる動画はアイデアが古くなりやすい等がある[40]。その後、『わんぱく王子の大蛇退治』、そうして宮崎駿などの『白蛇伝』に影響を受けたスタッフらも制作に参加した『太陽の王子 ホルスの大冒険[41]、『長靴をはいた猫』などの長編作品を発表し[23]1960年代における東映動画の長編時代が築かれた[23]。輸出向けに日本人の顔や言語のデメリットを克服する漫画映画は、子供向けの壁を超えて、家族映画のマーケットを確保していく[32]。社員総数は1959年には250名にまで増えたが、そのうちCMアニメの制作に100名が従事しており、東映動画の主たる仕事は常にCMアニメの制作であった[26]

1961年、虫プロダクションが設立されると手塚治虫にアニメ制作の才能を請われたアニメーターたちが虫プロにスカウトされたり[23]、両方の作業をするという混乱期があった[26][42][43]。虫プロは設立に当たり、人材の大半を東映動画からの引き抜きに依存した[42][44]。東映動画という先行者がなしでは、虫プロも手際よく発足し、設立から一年半の間にテレビ漫画シリーズをスタートさせることはできなかった[44]。一時期の虫プロは、東映動画のスタジオが一部分そのままそっくり移転したかのような様相を呈した[44]。東映動画は作画関係者だけに限らず、演出家、美術家、カラープランナー、カメラマン、プロデューサーに至るまで抱えて育んでいたため、東映動画はアニメーション業界に、人材をつぎつぎと送り込む供給源になっていった[44]。手塚も『西遊記』『シンドバッドの冒険』『わんわん忠臣蔵』の東映動画の製作に誘われ、実際の作業の現場を経験したことにより、アニメーション制作の意を強くした[29]。東映動画に残ったクリエーターの多くは劇場公開アニメーションの制作など、東映動画の従来のアニメ制作の方針に拘った者であった[26]

当時、連続テレビ漫画番組は制作に占める人件費の割合が多く、テレビ劇映画に比べて三倍の制作費がかかるといわれ[45]、毎週テレビ放送されるアニメシリーズの制作を企画したプロダクションやテレビ局はなかった。手塚は破格の安値で明治製菓に「鉄腕アトム」のスポンサーになってもらい[46]、低い放映権料で番組制作を請け負った[26][46]。赤字分は自分の漫画の収入で補填した[46]。手塚は「漫画は本妻、アニメは愛人」と冗談半分に言った[46][47]。このしわ寄せで「鉄腕アトム」の作業者(アニメーター)は徹夜に近い作業の連続[46]。「アニメーターは低賃金で長時間労働、好きでなければやっていられない」という産業構造を生み[46][48]、手塚アニメの安値受注が業界の水準となったため[46]、後々までアニメ業界は受注金額が低く抑えられる状態が続くことになった[26][46][49]。また「鉄腕アトム」の例から、漫画雑誌に掲載された漫画作品を元にすれば知名度の点から人気が取れることが分かり、動画の技術としては手抜きな作品であっても視聴率が取れるとされ[50]、東映が劇場用で目指したのとは異なる種類のマーケットが確立し、拡大していくことになった[51][52]

白蛇伝』の制作から[53]、急ピッチに労働が強化され始めて、会社側も「7月までに仕上げぬと、日動の連中はクビだ」と暴言を吐いた[53]。『白蛇伝』を機会に芸術家たちの団結が進み、1958年10月に密かに組合準備委員会が作られ[53]、1959年3月25日[53][54]、終業時間とともにスタジオを出た約140人は、練馬区医師会館に集合し、労働組合の結成大会がもたれた[53][55]。当時のスタジオ・メンバーの大部分が参加したのに会社側はそれまで何も知らず、管理課長さえも「なぜこんなに早く帰るのか」と不思議そうな顔をしていたという[53]。翌日、決議された要求は高橋勇(高橋秀行)東映専務兼東映動画所長に提出されたが、高橋所長は組合員全員を動画試写室に集めて「組合は認めない。そういう人はウチから出て行って欲しい」と頑迷さを丸出しにした[53]。続いて組合幹部を呼び出し、一日中入れ代わり立ち代わりに動画幹部が詰問を行い、入社時の保証人を通じて反省を求め、各部課長が組合員の自宅を訪問して切り崩しをして回った[53]。1959年3月28日に高橋所長が全員を集合させ「場合によってはスタジオを閉める。東映にとってはそれくらいは何でもない、東映にはそれくらいの金はある。半年ほど閉めて、新規採用者を再教育する」と圧力をかけてきた[53]。これら一連の切り崩し策が成功したと見るや会社側は、最後に組合員の要求をすり替える方式を執って組合にトドメを刺した。会社側は「要求が通ればそれでいいのだろう。要求を聞こうではないか」と言い出し、稚い経験のない組合幹部たちは31項目の要求事項を会社に提出したが、「個人の事情を極端に無視した残業命令は出さないでほしい」「残業のときには、夕食を支給してほしい」「ラッシュを休憩時間に見せるのはやめて、作業時間中に見せてほしい」「昼休みの行動を制限しないでほしい」「課長の職権乱用を禁止してほしい」などと、他の大企業ではすでに姿を消しているような要求で、当時の東映動画の悪い労働条件が浮き彫りになった[53]。女性社員は入社時に「子どもが産まれたら退職する」という誓約書を書かされていて[55]、この誓約書の撤回に二年を要した[55]。高橋所長はこれらの要求を受け取り、「要求は実行するが、労働組合は認められない。組合はやめて、社員懇談会を作れ。今回の問題で処分者は出さない。労組は大会を開いて解散すること」と逆要求をたたきつけ、すでに内部を切り崩されていた組合はもろくも崩れ去り、1959年3月31日朝、圧倒的多数で会社側の要求を飲んだ[53]。"社員懇談会"の発案は大川博である[56]。組合結成から僅か6日間であった[55][57]。組合側にとっても、トレエスや彩色の主力である女性群は、経済的な要求があるわけではなく、管理者が"職権を乱用して"過度の親愛の情"を示すことに反撥を感じて組合を支持していたので、それさえ無くなればよいという考えだけで、組合に結集する意欲を急速に失った[53]。会社側が強硬態度を執った背景には、労組が出来ることを極度に嫌ったという事情があった。東映は1958年5月にアメリカの動画製作会社・ヒッツ・インコーポレーテッドと3年の合作協定を結んでおり、同社の社長ハーマンは、ワーナー・ブラザースの動画部を作った人で[53]、アメリカのメジャーとも関係が深く、労組の結成は合作協定に影響することを恐れたとされる[53]。会社側は組合側の要求に対して「誠意をもってやる」と厳かに誓ったが、現実に一年間に挙げた成果は午後3時に休憩時間を15分獲得しただけであった[56]。会社側はこの勝利をもとにさらに積極的に職場規律の確立と合理化を進めた[56]。1961年7月19日に公開された『安寿と厨子王丸』のベタ褒め批評が『週刊〇〇』に載った[56]。それを元組合員が職場に持ち込み、記事の余白に「マスコミがこういうふうに馬鹿だから、悪い映画が日本にはびこる」「バカがバカを呼び、一番バカを見るのはおれたちだ」などと落書きしていたら、たまたま会社の幹部に見つかり「会社の仕事にケチを付けた」と怒り、それをひったくって所長室に駆け込み、元組合員も殺気立って所長室になだれ込み、「返せ」「返さない」で大揉し、元組合員が『週刊〇〇』を取り返した[56]。当時『シンドバッドの冒険』が製作進行中であったが[56]、この作品に対しても会社側はかなり強硬な残業指令を出して来ており、この頃から動画の従業員は、激務から入院する者、辞めて行く者が相次いだ[56]

1961年秋に東映動画に正式に労働組合が結成され[48][53][54][55][58][59][60]、1962年10月、東映東京撮影所の敷地内に置く東映動画、東映テレビ・プロダクションなどの組合員を糾合して全東映労連が結成される[61][62]。過密労働と低賃金の改善という一般的な労組の目的の他、作品本数や出来高で賃金を払う契約者と呼ばれる個人請負の労働者の待遇改善[51][58][注釈 3]、東映本社が企画権を握り、漫画映画らしい作品の企画とその制作が制限されている状況を打開したい等の要求が増していく[26][34][54][58][63]。1959年就業人員270人[22]。1964年就業人員575人[22][64]、売上約5億円[64]。同年の東映は、就業人員2149人で売上約120億円[64]。1963年頃から赤字を出し始めた[22]。東映動画は1965年から以降、1991年までの26年間、正規社員を採用せず[55]、その間の不足する人材を契約社員で埋めていく[55]。結果、今日のように多種多様の雇用形態が存在することになった[55]。アニメーションの制作は、実写作品より多くの人員と長期の期間を必要とするため能率が低い[64]。不採算要因は他にもあるが、やはり人件費の問題は重く捉えられ、その後様々な対策が図られ、それは動画の職員たちに有形無形に波及した[64]。時には様々な工夫を生み出し、或いは未解決のまま引き継がれ、場合によっては重大な破綻をもたらした[64]。2019年度前期に放送された広瀬すず主演のNHK朝ドラなつぞら』では、組合運動は無視されたが[34]高畑勲宮崎駿は仕事ではなく、組合活動を通じて交流するになったもので[12][65]、1965年10月から1966年9月まで[57]、宮崎が労組の第5代書記長、高畑が副委員長でコンビを組んだ[57][66]。宮崎は東映での組合活動は意義深いものであったと後に回想し「自分の最終卒業校は東映動画労働組合。ここで勉強したことが役立っている」と話した[12]。1960年代後半に奥山玲子が労組初代婦人部長[57]

1960年代はテレビの普及に伴い、劇場用アニメーションからテレビ用アニメーションへ主流が交代していった時代であったが[27]、この時代にNET、東映動画にとって、ともに初のテレビオリジナルアニメ作品となる『狼少年ケン[23][42]や『魔法使いサリー』『ゲゲゲの鬼太郎』『ひみつのアッコちゃん』『タイガーマスク』などを手掛け、テレビ用アニメーションの市民権獲得に貢献した[27]。東映動画がテレビシリーズ制作を開始した具体的な切っ掛けは、代理店業務の強化を図っていた東映商事(現・東映エージエンシー)が森永製菓スポンサードを取り付け、東映動画に持ち込んだことにあった[67]。『狼少年ケン』の成功は、東映商事にとっても明るい門出となった[23]。これを切っ掛けに東映本社は、原価のかからない再映作品に、多少の経費でできるテレビアニメのブローアップ(画面の引き伸ばし)上映が、多額の経費が掛かる一般映画よりも興行収入が上がり、関連商品の売り上げも大きいことで、テレビアニメに映画興行の新たな商機を見出し、春、夏、冬の学校の長期間の休みには子供向けのまんが映画「東映まんがまつり」を製作、上映することを決めたといわれる[23]。東映動画が主体的に関わった「東映まんがまつり」で育った親たちが、自分の子供たちを安心して連れて来れる「まんがまつり」に連れて行ったという評価もある[68]

ガリバーの宇宙旅行』が製作された1965年2月から毎週テレビ番組『狼少年ケン』、当時興った忍者ブームの一翼を担った『少年忍者風のフジ丸[23]、『宇宙パトロールホッパ』の三本製作態勢に入ったため[69]、業界関係者からは長編動画の製作は事実上終了だろうと見られた[69]。時間も手間もかかる長編動画は群小プロには製作は不可能で[51][69]、東映動画一社だけが長編動画の製作を続けていた[69]。1965年に親会社である東映が定期採用を止めたことに倣い、東映動画も1965年を最後に正社員の定期採用を中止し[48]、以降1991年まで26年間採用をしなかった[48]。これに伴い、1965年から長編動画製作は、原則として正社員の作画職が従事し、テレビアニメ製作は、作業量に基づいて個人別に業務委託契約を結ぶ契約者が行うことが定められた[70]。これはスポンサー動向からの影響を受けるテレビアニメ製作と違い、東映本社を発注元とする長編動画製作は、東映動画の経営能力を証明しなければならないという特徴を持つものであったからである[70]

東映本体は邦画市場の縮小に対し、1964年に東映娯楽版の制作を停止し[67]、1965年から製作本数削減への対策として一本立て大作の強化を宣言した[67]。しかしその第一弾『冷飯とおさんとちゃん』など数本の芸術映画が不入りに終り、館主会から「もっと娯楽作品に重点を」という意見が出たことから、従来の二本立て路線へ回帰した[67]。東映動画の長編製作は、この方針のもとで再編を余儀なくされた[67]。当時の東映動画の長編は8000万から9000万円の受注額で制作されていたが、これは劇映画の高い方の額に比肩する規模であった[67]。こうして東映本体に本数削減と予算の引き締めが実施されたのに対し、東映動画の制作体制については、増産の実現と生産効率を上げることでコストを抑圧するという判断が下された[67]。1966年(昭和41年)内に完成予定であった長編は『ふしぎな世界の大冒険』(『少年ジャックと魔法使い』)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』と60分程度の中編「B作」であったが[67]、長編2本は年内に完成しなかった[67]

この「B作」は白川大作の提言で[67][71]夏休みのまんがまつりから、長編動画の呼び名「A作」に対して、「A作」とTVアニメの中間に位置する「B作」と呼んだ60分前後の中編『サイボーグ009』がプログラムに加えられた[67][71][72][73]。これが他作品と合わせて大ヒットしたことで[71]、テレビアニメや人気漫画原作の低予算映画に観客のニーズが高いと判断され、長編動画の存在意義が激しく揺らいだ[71]。長編動画の製作がなお続けられたのは、長編動画が日本の映画文化に果たした業績も極めて大きく[69]、長編動画を楽しみにしている子供たちもいる、長編製作の火を消してはならない、長編動画は東映の良心、という考えが大川社長にあり[74]大塚康生は「大川社長は脚本もよく読んでなかったんじゃないかでしょうか。『君たち、任せたよ』という感じでね。これは作り手にとって一番いいタイプの経営者であり、一番怖い経営者でもある」などと話しているが[19]、長編動画を含めた東映動画の赤字は大川が黙認することで不問に付されていたといわれる[74]。1969年売上高約9億円、営業利益が約500万円[16]。1970年から制作赤字が発生しはじめ、1971年からは連続して売上高の10%程度の赤字を発生させた[16]

東映動画の外部導入は1966年から始まる石ノ森章太郎とのコラボレーションサイボーグ009』から漫画家との企画段階からの共同作業に至り[32][73]、『仮面ライダー』の変身ブームや、永井豪とのコラボ『マジンガーZ』はロボットアニメの興隆を生み出した[32][75]。白川大作東映動画企画課長がスタジオ・ゼロへ原案を発注し、1966年からスタートした『レインボー戦隊ロビン』は、鈴木伸一石森章太郎藤子不二雄つのだじろうの売れっ子漫画家5人が企画を練ったもので、これが後の『秘密戦隊ゴレンジャー』に繋がる"戦隊物"のはじまりといわれる[73]。同年5月からスタートした『海賊王子』で古谷徹声優デビューした[73]。12月からスタートした『魔法使いサリー』は、日本初の少女が主役のテレビアニメである[76]東映魔女っ子シリーズ第1作)。1968年1月スタートの『ゲゲゲの鬼太郎』は、原作者水木しげると話し合い、タイトルの変更を検討、内容も子供向けにソフトアレンジし、初めてフジテレビ(CX)と交渉した結果、放映に漕ぎつけたものであった[77]。1969年には赤塚不二夫原作の『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』や、『タイガーマスク[41]、1970年『キックの鬼』『アパッチ野球軍』などをスタートさせた[77][41]。シリーズ初の東映動画オリジナル原作「東映魔女っ子シリーズ」第3弾『魔法のマコちゃん』で神谷明が声優デビューした[77]

東映アニメーションのマスコットキャラクターは、『長靴をはいた猫』・『ながぐつ三銃士』・『長靴をはいた猫 80日間世界一周』の主人公ペロである[41]

1970 - 1990年代

[編集]

大川博が1971年8月に逝去し、後任として東映社長に就任した岡田茂は(同月兼東映動画会長)[31][78]躊躇なく赤字噴出の東映動画の経営改善に踏み切り[22][79][80][81]、激しいリストラを敢行した[31][79][82][83][84][85][86]。大川の後を継いだ岡田は大川時代・旧体制の産物を再審に付した[79]。事業の多角化は大川時代から行っていたが[79]、岡田は東映社長就任後の1972年6月に映画会社で初めて事業部制を敷き[79][87]、邦画不況という当時の映画を取り巻く厳しい状況もあり、経営多角化をさらに推進させた[9][88][89]。「独立採算制の強化と部内別収益性の高揚、権限の分割・委譲による事後処理の簡素化を促進」を目的とし[79]、経営多角化の新規事業でサラ金[90]葬儀屋[90]クラブ経営[91]、出版事業(『テレビランド』など)[92]東映太秦映画村[9][90]アニメショップアニメポリス・ペロ[16][93]などに手を拡げる一方[9][90][94]、東映動画などの既存の傍系会社にも自主独立の姿勢を求めた[79]。岡田は東映動画労組との団交の席上「動画は東映のガンだ。ガンは放置しておいたら、やがて病巣は東映の全身に広がる。ガンは小さいうちに切開手術するのが医者(経営者)の義務だ」と発言し労組が猛反発した[16][79][95][96][97]。当時東映は映画製作ではただ一社黒字を出していたが[97]、岡田は赤字会社に350人もの従業員がいることを問題視し[37]、このまま東映動画を放っておくと他のセクションに悪い影響が拡がると判断[37][97][98]、「最悪の場合解散も止むをえない」という姿勢で対応を行った[16]。岡田は恫喝[99]、泣き落とし[100][101]、逃走[102]、俳優全員の前で土下座[101]とあらゆる手を使って、専属契約を結んでいたベテランの時代劇俳優・脚本家・監督を根こそぎ切り[103]京都撮影所の従業員数を2100人から900人に減らしたこともある[103][104]東映の長年の労務担当者でもあった[36][101][102][103][105][106][107][108]。この頃長編動画の製作コストが上昇して作れば作るほど赤字を出していた[82]。東映動画は累積で赤字を3億円出して倒産寸前であった[109]

東映労組(東制労)の強力な拠点となっていた東映動画には[48][97]、責任者として行くことを皆嫌がったが[95]、岡田はギブアップして病気療養中の[109]高橋勇社長に替えて[22]、元東映勤労部長で労務管理のベテラン・登石雋一を言い含めて東映動画の社長に据え[22][86][109][110]、強硬なリストラを命じた[16][82][95][109]。岡田はそれまで年二本制作されていた長編を年一作品に、年3シリーズだったテレビ作品を2シリーズに減らすという方針を打ち出し[81]、従業員320名(うち契約者104人)のうち約半数の150人の希望退職を募集[55][62][82][95][97][81]。希望者がない場合は指名解雇に踏み切る態度を匂わせ、また組合の強硬手段を計算に入れ、買い取り作品で番組編成を行うなど対戦の長期化に備えた[97][111]。労組は激しく反発し、東映東京撮影所機動隊が導入されるなど東制労闘争は激化[62][105][112]、労使の間で団交が繰り返されたが、希望退職の募集は何度も延期され、のち5カ月間に及ぶロックアウトが敢行され[16][51][62][82]、約120名が退職し東映動画は存続した[48][82][84][86][95][113]。その後も訴訟紛争は続き、労使紛争は二年に及び[22]、労使とも深い傷を残した修羅場の二ヵ年であった[16][22]。当時の東映の主な赤字部門は、東映フライヤーズと東京タワー交通、ボウリング部門、東映動画の4つで[95][109]、東映動画は関連会社で最も赤字幅が大きかったが[114]、岡田は動画以外の3つを切り動画のみ残した[37][95][103]。岡田が東映動画の独立採算体制を厳格に打ち出したことで[70]、1971年の『どうぶつ宝島』で長編動画製作は終了[70]。『太陽の王子 ホルスの大冒険』の制作遅延や興行不振で仕事を干していた高畑勲には演出の機会を与えず[81]、岡田から退社勧告を受けた森康二[115]、結果として長編を中心に自社で養成し活躍して来たクリエーターの多くは将来の展望を閉ざされ[81]、他のプロダクションに移るなどで東映動画を去った[31][36][58][59][70][79][81][85]。岡田、登石と1974年8月、後任として岡田から東映動画社長に抜擢された今田智憲の尽力により[22][95][85][116][117]、1970年代はじめに3億円あった東映動画の累積赤字は一掃されて、1981年に東映動画は売上げ70億円、利益2億円を出すまで回復し[22][36][85][95][118]、1990年半ばに東映グループの稼ぎ頭になった[109]。登石、今田とその後の泊懋で、合計32年間動画の社長を務めた三人は、いずれも岡田から「お前、動画の社長やれ」と強要されたものであった[22][86][119]。登石の前に大川博の指名で[120]動画の社長を務めた高橋勇は、労働三法を全く知らず、労務管理の全然できない人で[110][121]、行く先々で労使交渉に敗北して、にっちもさっちもいかなくなり[121][122]、毎回岡田が尻拭いを行った[121][122]

1970年代に入ると人気・制作本数ともに拡大し始めたテレビシリーズの制作に推されて、コストのかさむ劇場用長編作品の制作は縮小されていった。1971年よりテレビアニメ『アパッチ野球軍』からは青二プロダクションの所属声優を起用し、長年を通じて同社の所属声優が担当するケースは一部例外を除いて作品のほとんどに至るまで、現在もクレジットされる状態が続く。大手の制作会社というイメージが、仕事を安心して任せられる印象を放送局や広告代理店、出版社などに与えたこともあり、東映動画には週刊少年漫画誌原作のテレビアニメ制作の依頼が多く入るようになった。人気テレビアニメの焼き直しの方が独立した内容で単発の長編動画よりも利益幅が大きかった[82]。岡田茂が各部門に経営の引き締めを強化したことも拍車をかけ[79]、制作の中心はテレビシリーズへと移り、劇場用作品は漫画原作の「東映まんがまつり」が中心となり、さらに仮面ライダーシリーズのような実写ヒーロー物が「東映まんがまつり」に入るようになったことで東映動画の長編時代は1971年春の『どうぶつ宝島』を最後に終焉を迎えた[31][70][79][123]。東映動画に特有の執着を持たない岡田体制では、コストの高いアニメーション映画製作の見直しが進んだ[79]。制作本数の増加と労働争議の激化により1973年からは韓国への制作委託を開始した。国外発注の強化とともに、自社のスタジオ周辺に下請けプロダクションを増やして制作の下請け・外注化を進めた。 

大川博の息子・大川毅と反りが合わずユニオン映画に行っていた今田智憲が盟友・岡田に呼び戻され1974年に東映の社長に就任すると[85][110][116][124][125][126]、岡田が東映動画の整理で組合と大揉めしていた時期に、一度東映を出た人がまた帰ってくるとは大川社長時代では考えられないことで[126]、組合を抑えた岡田の力量も相当なものであるが[126]、岡田としても今田が東映動画の再建に失敗するようであると自らの任命責任を追及されるところであった[110]。今田は岡田との個人的親交によって、自らの裁量に基づいた独自の経営を可能にした[110]。今田は1993年まで、歴代最長の20年間東映動画の社長を務め[127]、この間一度も赤字を出すことなく[22]東映ビデオの社長も16年間兼任しながら大きな功績を残した[22][26][85][110]。今田はそれまでの強硬路線と違い、柔軟路線をとり労組に対応[16][85]。裁判での敗訴を予想し、和解交渉を持ち掛け、先のリストラ時の解雇者の中で裁判に訴えていた18名の解雇を取り消して労使は和解し[26]労組問題に揺れた東映動画を立て直す[85][128]。続いて制作の赤字構造の改善に向けた経営方針として、東映動画の組織改編を行い[16]、(1)版権ビジネス・キャラクター商品化の営業強化、(2)海外への販路拡大、(3)制作を下請け化して、その下請けプロを管理する、(4)海外にも下請けを拡大させる、(5)技術革新で省力化を図る、などを示した[16][22][26][110]。その後に今田の施策は続々と実現されていった[22][26][85][110]

1972年に放映開始した永井豪とのコラボレーション『マジンガーZ』に始まる"巨大ロボットもの"で一時代を築いた[39][75][129]。初期長編の朗らかな作品世界とは一変し、劇画タッチの荒々しいメカアクションは、超合金ロボットという玩具の分野を合わせて開拓し[129]、男児向けアニメの一大ジャンルとなった[39][129]。これ以前にも実写のキャラクター商品はあったが[129]、アニメのテレビ放映に合わせてヒットしたキャラクター商品は『マジンガーZ』が初めてであり[129]、これ以降、アニメ作品の二次利用(版権利用)が大きな収益を生むビジネスモデルとして定着した[129]。またそれまではアニメが放映されて人気を博したところでキャラクター商品が投入されていたが[129]、『マジンガーZ』では放映開始と同時に行なわれた[129]。これはテレビ放映権料が値上がりしたため、それまでのお菓子メーカーなど、子供向けアニメのスポンサー以外の業種にも広げてスポンサーを獲得せねばならなくなり、『マジンガーZ』の広告を担当した旭通信社が放映開始と同時にキャラクター商品を出すことを条件にスポンサーを納得させたものであった[129]。アニメの歴史はビジネス面ではいかにして採算をとるかの挑戦でもあったが[130]、良い作品を作っても採算が取れずに倒産した製作会社の多い中で、いち早く玩具メーカーと連携して関連グッズから利益を生み出すビジネスモデルを確立させた[130]

多くの場合、漫画家は主要なアイデアマンとして基本的な設定やデザイン、ストーリーラインなどを提供し、「原作者」としてクレジットされたが、テレビシリーズの具体的なストーリー展開には、東映動画やマーチャンダイジングを行うスポンサー側の意向も反映され、マンガを基にテレビシリーズが制作されるのではなく、アニメーション制作会社が漫画家やスポンサー、テレビ局や代理店などとともに共同で企画を立案、或いは漫画家側に企画案が提供されることもある[16][110]。この無形の企画からテレビアニメ、玩具、マンガが派生する[16][110]。また、東映テレビ事業部に新設されたテレビ関連事業室が企画編集に携わった雑誌『テレビランド』などのテレビ情報誌・児童誌で盛んに特集記事を載せ、出版社や漫画家に依存することなく、東映自体でメディアミックス展開をさせた[110]

東映の版権事業は、1960年の『西遊記』が始まりとされ[110]、以降も東映動画とテレビ部門特撮テレビものなどで多くの人気商品を生んだが、今田の社長就任以降に版権事業は大きく伸長し[16]、年々事業規模が拡大した[110]。東映動画再建の大きな分岐点となったのは1975年に岡田が東映動画とテレビ部門など、東映グループの版権事業を東映本社に一括して集約しようとしたことであった[110]。これらの制作事業はすべて東映本社を通して受注されていて、基本的に東映側に諸権利が集約されており[110]、本来、拒否は出来なかったが[110]、今田が「それでは動画の自主的な経営が崩れる。版権は再建の生命線で渡せない」などと強く主張[110]。この主張は岡田の掲げた独立採算制の発想とも合致し[110]、また岡田との交友関係もあり[110]特撮もの戦隊ものなどの実写番組の版権のみが東映本社に引き上げられ[110]、東映動画の版権営業は維持されることになった[110]。このとき版権事業を東映本体に取られていたら、東映動画の自主再建は出来なかったかも知れない[110]

1976年に放映開始した『キャンディ・キャンディ』が高い視聴率を確保すると、一年後の版権収入は11億5000万円を記録し[22]、1981年に放映開始した『Dr.スランプ アラレちゃん』が視聴率30%を維持して突っ走ると商品開発部の売上げも40億円を超えた[22]。時代の流れを捉えた今田の動画事業の多角化展開は目論見通りの成果を生むようになった[22]

東映動画作品の海外販売は当初からその成果を嘱望されたが、実際は長らく継続的な成果を上げられなかった[110]。東映作品の海外展開が一定の成果を上げ始めるのは、1960年代半ばであるが、より拡充されたのは岡田茂体制下であった[110][131]。1972年の東映洋画の設立で、映画輸入事業が本格的に開始され、東映国際部の事業が強化され、岡田が映連幹部として海外の映画祭見本市などで日本代表団団長を務める機会も増え[132][133]洋画の買い付けも含め[134]、カラテ映画や東映動画作品、特撮ヒーローものなどを自ら海外各国へ売り込んでいた[110][131][132][135]

今田は東映動画の創業時から、"アニメは日本の映像産業が世界に輸出し得る唯一の商品である"という考えを持っていたので[13]、今田が社長に就任してようやく東映動画は海外の市場にも眼を向けていく方針となった[22][136]。日本アニメの海外進出の推進役として陣頭指揮を執り[13][22][26][136][137]、それまで東映本体が行っていた海外販売を1975年から新設した動画版権営業部に行わせて、東アジア東南アジアを手始めとして欧州アメリカなど、世界各国のテレビ・映画の見本市に毎年出展をした。今田みずから世界各地の映画祭配給会社を訪ねて、日本アニメの輸出促進を働きかけ[13]、フィルムの輸出と海外版権の販路拡張を推し進めた[22][137]

今田が有賀健[31]や、林幸夫(東映国際部)らを連れて世界的マルシェ(フィルムマーケット)に出掛けたのは1976年のカンヌ国際映画祭が最初であり[22]、ブースを確保して『マジンガーZ』などを展示したが、当時のヨーロッパにおける日本のアニメの認知度は無であった[22]。そのため誰も寄り付かず、相手にもされず、「アニメは世界の共通語」と意気込んで出掛けた今田たちはショックに打ちひしがれてブースに坐り込んだ[22]。既に「鉄腕アトム」や「マッハGoGoGo」などがアメリカでもテレビ放送され[138][139]、その他にも輸出されたアニメは多々あったが、全体的には1970年代前半まで日本製のアニメは漫画と同様に、ほとんどの海外の国からは相手にされていなかった[138]。今田や有賀らはヨーロッパのテレビ局に何度も売り込みに行っては門前払いを食らった[138]。それでも懲りずに毎年売り込みを繰り返すうちに認知は広がっていき[138]、ヨーロッパにおいて東映アニメが最初に受け入れられたのは当時放送番組コンテンツが不足していたフランスイタリアスペインであった[75][138]。1978年7月には、フランスのアンテンヌ2で『キャンディ・キャンディ』と『UFOロボ グレンダイザー』(Goldorak(ゴルドラック))が放映されて高視聴率を獲得し[22]、それが突破口となった[22]。『マジンガーZ』はイタリアやスペインで人気を博した[75]。1978年にフランスとイタリアで改題されて放送された『UFOロボ グレンダイザー』は最高視聴率が80%を記録して社会現象になった(UFOロボ グレンダイザー#日本以外での放送)。また『キャンディ・キャンディ』もプライムタイムに放送されて人気を博した[138]。1970年代から1990年代の半ばにかけて日本のアニメがヒットしたのはフランス、イタリア、スペインなど欧州ラテン圏だけで[140]イギリスドイツ北欧など、言語文化が中心のアングロ・ゲルマン圏では、漫画やアニメには抵抗があり、個人主義で家族関係が冷めているとされて[140]、ほとんど放送されなかった[140]。またヨーロッパで日本アニメの熱が一気に上がらなかったのは、ヨーロッパは商品規制が厳しく、日本のキャラクター商品が入り込めず、テレビ放映の人気に限られたからで、子供たちの人気になかなか火が着かなかった[22]。1990年にフランスで規制が外れると『聖闘士星矢』(フランス題名:Les Chevaliers du Zodiaque(星座の騎士))から、テレビとマーチャンで一挙に大展開し[22]、『ドラゴンボール[注釈 4]が続き、海外市場を切り拓いていった[22]。それ以降も自社制作作品の日本国外への売り込みを積極的に行った。特に『UFOロボ グレンダイザー』、『キャンディ・キャンディ』、『ドラゴンボール』、『美少女戦士セーラームーン[注釈 5]は世界各国で放送され、日本のアニメ輸出に弾みをつけた[22][26][141]

東映および、東映と『仮面ライダー』から商品開発を連動させてきたバンダイ[142][143]等に莫大な利益をもたらした『パワーレンジャー』の仕掛人・ハイム・サバン[144][145][146]、『マジンガーZ』か[146]UFOロボ グレンダイザー』が[145]、フランスで初めて放送された際に、音楽の一部入れ替えが行われ[146]、これを担当したプロデューサーがフランス在住時のサバンで[146]、子どもを対象にしたビジネスは国を超えて全世界で商売になると見てとったサバンは[146]、アメリカ移住後も東映とビジネスを続け、東映の特撮番組を購入し[注釈 6]、全米ネットワークに挑戦したが、アメリカは子どもの教育問題や暴力シーンの規制が厳しく、何度も失敗しながら『パワーレンジャー』でようやく長年抱き続けた夢を果たしたものであった[145][146]。『パワーレンジャー』のベースとなった『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の「原型を残すから作り変えさせてくれ」というサバンからの要望を認めたのは、当時東映会長の岡田である[144][147]。また『パワーレンジャー』の1993年からのフォックス・テレビネットワークを通じての全米放映は、岡田と20世紀フォックスの長い間の協力関係が実を結んだもので[147][148][149][150][151][注釈 7]、1993年7月12日に、東映と20世紀フォックスとの間で、フォックス作品の長期間国内独占テレビ配給及びテレビ映画の共同製作に関る契約という東映国際化の一環として[98]、岡田が先行投資を締結した際の契約の一つであった[147][148][150][149]。フォックスとの共同会見で岡田は「これまでウチがFOX映画の数々のヒット作を独占的にテレビ配給して成功を収めてきた。この実績をもとに今回、FOXの全ての作品を配給する契約を結んだ。FOXの会長であり、最高責任者のマードックは7年前にお会いしたとき意気投合し、一緒に仕事をやろうと話し合った昵懇の仲で今回の契約が成立した。『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のアメリカでの放映も決まり、大いに期待されるだろう」などと話した[148]。岡田はマードックや孫正義とも親しく[152]、1996年11月に来日したディズニーを含むハリウッドの最強代理人・マイケル・オーヴィッツが「数分でも会えれば奇跡」と面会希望者が殺到したが、そのオーヴィッツからの「会いたい」という申し出に「時間が合わない」と袖にしたこともある日本のエンターテインメント業界では数少ないメディア通の一人でもあった[152]

将来を見据えたコンピュータの導入では1974年、社内にプロジェクトチームを作り、1977年正式に技術委員会プロジェクトを発足させた[26][124][153][154]。これが同社のデジタル化(デジタルアニメ)の切っ掛けとなる[124]。国内大手家電メーカーと連携して研究開発に取り組んだが、1980年代に於いては初期費用、ランニングコスト天文学的な数字にのぼり実現できなかった[124][153][154]。しかし1990年代に入ってパソコンの性能が飛躍的に向上し価格もどんどん下がり、1992年の『北斗の拳』のゲーム用データ作成を手始めに、一部実験的に試用を始め、1997年『ゲゲゲの鬼太郎 第4シリーズ』4月放映分からデジタル制作に完全に切り替えた[26][124][155]。それまで熟練した職人芸が要求された工程を全て画面上で処理するシステムの稼働で[155]、これが日本アニメのデジタル化第一作である[124][130][155]

1970年代後半から劇場用・テレビ用アニメーションの製作だけでなく活動領域を拡げ[27]、スーパーマーケットや遊園地、ホテルなどでのイベントに積極的にコミットし[22]、各種キャラクター商品やイベントを通じ、市民生活に溶け込み、新たなファン層を獲得した[22][27]。レジャーメディアでの開発は、1976年の三重県桑名市にあるナガシマスパーランドに於ける「マジンガーZロボット館」でのスペース構成が最初といわれる[27]。これによりアニメーションの製作のみならず、映像が生み出すキャラクターを主体とした関連事業が拡大した[27]。1987年はイベント関連売上げが売り上げが約40億円になった[156]。イベント関連事業は東映本社映像事業部、映画村エンタープライズと共にその中核として[156]北九州市スペースワールドの施設計画の立案等を手掛けた[156][157]。またマーチャンダイジング営業強化の施策では、制作部門に対して付帯・関連部門を強化し、関連部門の売り上げが全体の60~70%を占めるようになり、制作の差損を営業によって埋め合わせる仕組みを作った[26]。1990年代に手掛けた『美少女戦士セーラームーン』のキャラクター商品は、1995年時点で1000アイテムを超えた[22]。これらは今田が長い期間、営業体制の強化を計り実効を上げたものであった[22]。同社の版権事業は1960年の『西遊記』から始まっており[110][27]、この分野も日本に於ける草分けであった[27][158]。1987年には年間売上げ155億円を記録[27]

1977年11月、東映はマーベル・コミックスパイダーマン等の日本における版権業務の契約を締結し[110][159]、翌1978年に東映側のキャラクターをマーベルを通じてアメリカに紹介した[110]。マーベルは1988年まで多くの作品を東映動画に発注し続けた[110]

中国文化大革命終結後の1979年秋に、岡田茂日本映画製作者連盟会長と徳間康快らの尽力で[160][161][162][163]中国で初めて日本映画祭が開催され[161][164]、東映は中国で初めて上映されたアニメーション映画といわれる[161]龍の子太郎』を出品した[160][161]。映画祭の準備段階で、当時中国がアニメ制作に力を入れていたことから[161]、岡田が徳間に橋渡しを頼み[160]、代表団に中国のアニメーションと手を組んで一緒に仕事をしたいと頼んだら、中国から東映動画と組みたいと返答があり、中国に招待されたため、今田がスタッフを連れて訪中し[160]、従来韓国で行っていたアニメ制作の下請けを中国にやってもらおうと[161]、1979年からアニメ制作の下請けを中国に移した[161]。1981年より新人採用を再開させる[110]

1980年代以降は、東映の屋台骨を支えていく存在になった[22]。大川時代から変わって、岡田=今田時代の東映動画は、"アニメーションの総合商社"として第2の創業といえるものであった[27][165]

1966年から放送された日本初の少女向けアニメの『魔法使いサリー』は"魔女っ子もの"というジャンルを開拓し[12][39][76][130]、この流れは『ひみつのアッコちゃん』などの"変身もの"へ繋がり[166]、その系譜は『美少女戦士セーラームーン』や『おジャ魔女どれみ』、『プリキュア』などに受け継がれた[130]。魔法使いの少女アニメと変身して敵を倒すヒーローアニメ、人気の二大路線を東映動画が合体させたのが『美少女戦士セーラームーン』[167]。世の女の子を夢中にさせた同作は"女の子の独立宣言"とも評され[167]、海外50ヵ国で放映された[167]。同シリーズの版権売上高は「ドラゴンボール」シリーズと同程度の3000億円に達した[154]。"女子向けアニメ"を確立したのも東映動画であった[12][39][130]

1980年代以降は『Dr.スランプ アラレちゃん』『キン肉マン』『北斗の拳』『ドラゴンボール』『スラムダンク』『ONE PIECE』と立て続けに『週刊少年ジャンプ』作品をアニメ化、"ジャンプ黄金時代"を併走した[39][154]

1992年、フィリピンに地元企業EEIとの合弁でEEI-TOEI Animation Corp.[注釈 8]を設立[10]。これによりコスト的に日本国内とほぼ変わらなくなった韓国に代わりフィリピンへの制作委託体制が確立した[154]。1996年、東映グループにおける大人事改革の影響でそれまで継続していたテレビアニメ作品の全てを一旦終了。

1995年、人材育成を目的として東映アニメーション研究所を開設[10]。ディレクター・アニメーター・美術デザイナー・CGクリエーターの研究生募集を開始(現在は閉所)。1998年、東映アニメーション株式会社に商号変更した[10]

2000年代以降

[編集]

2000年、ペンタブレットによる作画工程のデジタル化システムを導入。同年、フィリピンおよび日本国内の制作プロダクションを光ファイバー通信で結ぶ「東映アニメ製作ネットワークシステム」[注釈 9]の運用を開始[10][168]。これにより素材の輸送にかかる時間を大幅に短縮。生産性を大幅に向上させることに成功し、テレビシリーズ・劇場作品をあわせ現在に至るまで業界最多クラスの制作本数を維持している。

2003年に大泉スタジオ内に東映アニメーションギャラリーを開館。歴代作品がパネルで展示されているほか、時期により特定の作品にクローズアップした企画展が行われている。入場料は無料であるが、社屋内に立ち入ることになる関係上、入館の際は守衛に申し込んで手続きする必要があった。2003年頃の従業員は動画制作部門に170人、CM制作部門に90人、それに事務部門を加え約300人である[28]

2006年には幻冬舎と共同でアニメや映画とは異なる映像カテゴリー「画ニメ(がにめ)」レーベルを立ち上げる[注釈 10][169]

2013年7月16日、営業・管理部門及び子会社でもある東映アニメーション音楽出版のオフィスを、神楽坂新宿区横寺町)から中野セントラルパークイースト中野区中野)に移転した。2014年には株主総会での承認を得た上で登記上の本店を実質的な本社機能のある中野オフィスに移したほか、同年9月より老朽化した大泉スタジオの建て替えを含めた敷地内の全面リニューアルを行うため、大泉スタジオの機能を2017年頃まで約3年間、練馬区光が丘に一時移転した[170]。大泉の新スタジオは2017年8月に竣工し、2017年末に引っ越し作業を行った上で2018年1月より稼働を開始している[171]。大泉スタジオ内にあった東映アニメーションギャラリーについても同年9月23日より長期休館に入っていたが[172]、2018年7月28日に東映アニメーションミュージアムとしてリニューアルオープンしている[173]

特徴

[編集]

東映アニメーションには、撮影所長以下スタッフ自ら「活動屋」と称する東映流映画づくりのポリシーと、日本のアニメーションの良質な部分を引き継いだ日動の技術の双方が濃厚に継承されている[30][52]。双方は後の作品にも影響を与えた[30][52]。アニメ版『タイガーマスク』の演出家は、大半が東映京都撮影所リストラされて東映動画に移籍したルサンチマンたちで[174]現場上りの荒くれ者たちが、時代劇ギャング映画任侠映画世界観をそのまま子供番組に持ち込んだものであった[174]

実写映画の制作スタイルを踏襲し、劇場作品を「長編」、テレビシリーズを劇場作品の短編と捉えて「短編」と呼ぶ。短編作品では、各話の担当演出が事実上の監督であるとの考えからシリーズ全体での監督職の表記はなく、シリーズ全体の統括職として他社制作アニメの監督よりも権限の弱い「シリーズディレクター」及び「チーフディレクター」の役職を設置する。音響監督は置いておらず、基本的に各話の演出担当者が行う[注釈 11]。そのため、他社に比べて負担が多大になるが、その補佐をする役職として演出助手を設置している。演出助手が制作進行(東映では「製作進行」と表記されている。)を兼任する場合は「演助進行」と呼ばれている。制作進行の担当は作画までであり、仕上や美術の各工程それぞれに進行担当者が設置される。背景や美術も美術担当が各話ごとに設置され、またはスクリプターが設置されており、映画会社母体の特徴が見られる。プロデューサーに転向した演出家もおり、作品によってはプロデューサーが演出に携わるケースもある。

東映アニメーションが制作した日本の民間放送向けのテレビアニメにおいて、基本的に親会社の東映本体も主要製作事業者として関わっていることが殆どであるが、日本放送協会(NHK)製作番組では東映本体自体は製作協力に留まり[注釈 12]ウォルト・ディズニー・ジャパンなどとの共同製作作品や、海外向け作品に関しては、東映本体は製作に一切関与していない[注釈 13]。映画作品に関しても、多くは東映が配給しているが、2000年代後半以降は小規模上映作品を中心に姉妹企業の東映ビデオや、ティ・ジョイが配給している作品も目立つようになっている。

過去に制作した作品のリメイクを放送することも東映アニメーションの最大の特徴であり、なかでも資本関係にあたるテレビ朝日や、フジテレビとの結びつきが非常に強い。1980年代には、『ゲゲゲの鬼太郎』(第3作)、『ひみつのアッコちゃん』(第2作)、『魔法使いサリー』(第2作)、1990年代には、『ゲゲゲの鬼太郎』(第4作)、『キューティーハニーF』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『ドクタースランプ』、2000年代は『ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU』、『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』、『ゲゲゲの鬼太郎』(第5作)、2010年代には、『ゲゲゲの鬼太郎』(第6作)、2020年代には、『デジモンアドベンチャー:』、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(第2作)をそれぞれ制作した。さらに『ドラゴンボールZ』を再編集した『ドラゴンボール改』を制作している[注釈 14]

各作品のエンディングのクレジットにも「協力:青二プロダクション」とあるように青二プロダクションとの関係が深く、かつては青二プロダクションの所属声優を独占的に起用した作品がほぼ全てであったが、1990年代後半以降は東映アカデミーを中心にキャスティングマネージメントを実施する作品もある。東映アカデミーの解散後は、東映東京撮影所マネージメント部[注釈 15]がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。

長期に渡って放送されている一部の作品では、ストーリーの展開や設定を刷新し、番組終了後もタイトルを変更する形で次週以降も放送を継続した例が多い(例:『ドラゴンボール』→『ドラゴンボールZ』など)。そのためか、番組タイトルを変更せず10年以上継続して放送しているアニメは、現在では『ONE PIECE』のみとなっている。

テレビ放送に関しては東映アニメーション作品のレギュラー放送枠を複数持っており、テレビシリーズの作品の大半は東映レギュラー枠で放送されている。ただし、資本関係を有するテレビ朝日・フジテレビとの制作作品は一時全国同時スポンサードネット番組としての放映がかつて途絶えていた時期があった[注釈 16][注釈 17][注釈 18]

集英社の少年雑誌『週刊少年ジャンプ』との結びつきも強いのが、東映アニメーションの最大の特徴でもある。1981年に製作された『Dr.スランプ アラレちゃん』以降は継続的に週刊少年ジャンプ作品のアニメを製作しており、毎年年末に開催されるジャンプフェスタには東映アニメーションのブースが設置されるなど、「東映アニメーション=少年ジャンプ作品」を連想する人も多い[要出典]澤井啓夫も自身の作品である『ボボボーボ・ボーボボ』のアニメ化に際して、「アニメ化の話で一番嬉しかったのは、(澤井がファンであった。)『キン肉マン』と同じ東映アニメーションが製作を担当すること」と自らコメントしている[175]

1986年から1993年までは、ショウエイシステムの開発のもとでゲームソフトの販売を行っていたことがあり、看板作品の『北斗の拳』シリーズなどの自社版権作品以外にも『スケバン刑事III』等の東映版権作品や、『バルトロン』や『ファイティングロード』などのオリジナル作品も携わっていた。ショウエイシステムとの提携による販売から撤退して以降はショウエイシステム自体もゲームの販売に参入しており、中でもパチンコシミュレーターの『HEIWAパチンコワールド』はシリーズ化し、1999年まで存続した。その後、2010年の『こえであそぼう! ハートキャッチプリキュア!』で17年ぶりにゲームソフトを販売。2014年にはスマートフォン向けのオリジナル作品ゲーム『円環のパンデミカ』を自社内で企画し、同年5月からサービスを開始した[176]。その後も自社のIPを活用、育て広げることを主眼としてゲームを始めとするデジタルコンテンツ事業に注力しており[177]、2024年9月には『ゲゲゲの鬼太郎』を元にしたホラーゲーム『ノロイカゴ ゲゲゲの夜』をトイジアムと共同開発しインディーゲーム市場に参入すると発表している[178]

編集・音響制作等のポストプロダクションに100%子会社のタバックを起用している。録音業務も新宿区内のビルにあったタバックの本社スタジオで主に行っていたが、ビルの老朽化により現在は録音スタジオを東映デジタルセンターに移し、音響制作は引き続きタバックが担当している。長年存在しなかった撮影監督音響監督を設置するようになり、2014年以降からエンディングでクレジットされることが多くなった。ただし、音響監督はかつてと同様に設置しない場合もあり、2016年から2017年頃に廃止された。例えば『うちの3姉妹』の様に、完全に他社に音響制作や録音・編集作業を委託した例もある。

作品履歴

[編集]

テレビアニメ(連続物)

[編集]

1960年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル 備考
1963年 11月 - 1965年8月 狼少年ケン
1964年 6月 - 1965年8月 少年忍者風のフジ丸
1965年 2月 - 11月 宇宙パトロールホッパ 後に「パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン」に改題
11月 - 1966年4月 ハッスルパンチ
1966年 4月 - 1967年3月 レインボー戦隊ロビン
5月 - 11月 海賊王子
12月 - 1968年12月 魔法使いサリー(第1作) 東映魔女っ子シリーズ
1967年 4月 - 10月 キングコング 共同制作:ビデオクラフト
4月 - 9月 1/007親指トム
7月 - 9月 ピュンピュン丸(第1期)
1968年 1月 - 1969年3月 ゲゲゲの鬼太郎(第1作
4月 - 9月 サイボーグ009(第1作)
あかねちゃん
10月 - 1969年9月 佐武と市捕物控 共同制作:スタジオ・ゼロ虫プロダクション
1969年 1月 - 1970年10月 ひみつのアッコちゃん(第1作) 東映魔女っ子シリーズ
4月 - 1970年12月 もーれつア太郎(第1作)
10月 - 1971年9月 タイガーマスク
12月 - 1970年3月 ピュンピュン丸(第2期)
- 1970年 進めや進め!スモーキー 共同制作:ランキン/バスプロダクション

1970年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル 備考
1970年 10月 - 1971年3月 キックの鬼
11月 - 1971年9月 魔法のマコちゃん 東映魔女っ子シリーズ
1971年 10月 - 1972年3月 さるとびエッちゃん
アパッチ野球軍
10月 - 1972年9月 ゲゲゲの鬼太郎(第2作
10月 - 1972年3月 原始少年リュウ
1972年 4月 - 12月 魔法使いチャッピー 東映魔女っ子シリーズ
7月 - 1973年3月 デビルマン
12月 - 1974年9月 マジンガーZ
1973年 1月 - 9月 バビル2世(第1作)
4月 - 10月 ミクロイドS
10月 - 1974年3月 ミラクル少女リミットちゃん 東映魔女っ子シリーズ
ドロロンえん魔くん
キューティーハニー
1974年 4月 - 1975年9月 魔女っ子メグちゃん 東映魔女っ子シリーズ
4月 - 1975年5月 ゲッターロボ
9月 - 1975年9月 グレートマジンガー
10月 - 1975年9月 カリメロ
1975年 4月 - 9月 少年徳川家康
5月 - 1976年3月 ゲッターロボG
10月 - 1976年8月 鋼鉄ジーグ マグネモシリーズ
10月 - 1977年2月 UFOロボ グレンダイザー
10月 - 1982年6月 一休さん
1976年 4月 - 1977年1月 大空魔竜ガイキング
4月 - 9月 マシンハヤブサ
9月 - 1977年6月 マグネロボ ガ・キーン マグネモシリーズ
10月 - 1979年2月 キャンディ・キャンディ
1977年 2月 - 9月 ジェッターマルス 制作協力:マッドハウス
3月 - 1978年3月 惑星ロボ ダンガードA
7月 - 1978年3月 超人戦隊バラタック マグネモシリーズ
9月 - 1978年8月 アローエンブレム グランプリの鷹
1978年 3月 - 1979年2月 宇宙海賊キャプテンハーロック
4月 - 1979年6月 SF西遊記スタージンガー 後に「SF西遊記スタージンガーII」に改題
9月 - 1981年3月 銀河鉄道999
11月 - 1979年12月 キャプテン・フューチャー
1979年 2月 - 1980年2月 花の子ルンルン 東映魔女っ子シリーズ
7月 - 8月 SF西遊記スタージンガーII
9月 - 1980年3月 円卓の騎士物語 燃えろアーサー

1980年代

[編集]

※は国際映画社、○はサンボウ・プロダクションやマーベル・プロダクションと共同制作。☆は東映本社企画作品。

開始年 放送期間 タイトル シリーズ
ディレクター
備考
1980年 2月 - 1981年2月 魔法少女ララベル 東映魔女っ子シリーズ
4月 - 9月 燃えろアーサー 白馬の王子
7月 - 1981年4月 がんばれ元気
1981年 3月 - 1982年2月 ハロー!サンディベル
4月 - 10月 めちゃっこドタコン しらとたけし
4月 - 9月 若草の四姉妹
4月 - 1986年2月 Dr.スランプ アラレちゃん
4月 - 1982年3月 新竹取物語 1000年女王 西沢信孝
4月 - 1982年1月 タイガーマスク二世
10月 - 1982年5月 ハニーハニーのすてきな冒険 しらとたけし
10月 - 1982年6月 銀河旋風ブライガー J9シリーズ、※
1982年 1月 - 1983年2月 あさりちゃん 葛西治
3月 - 1983年3月 機甲艦隊ダイラガーXV
4月 - 1983年5月 パタリロ! 後に「ぼくパタリロ!」に改題
5月 - 12月 魔境伝説アクロバンチ 途中から、※
7月 - 1983年3月 銀河烈風バクシンガー J9シリーズ、※
7月 - 1984年8月 The・かぼちゃワイン
10月 - 1983年3月 わが青春のアルカディア 無限軌道SSX
1983年 3月 - 1984年1月 愛してナイト 葛西治
3月 - 1984年2月 光速電神アルベガス 森下孝三
4月 - 1986年10月 キン肉マン 山吉康夫
川田武範
今沢哲男
5月 - 1984年1月 ストップ!! ひばりくん! 久岡敬史
5月 - 10月 ベムベムハンターこてんぐテン丸 設楽博
1984年 2月 - 1985年2月 夢戦士ウイングマン 勝間田具治
3月 - 1985年3月 とんがり帽子のメモル 葛西治
3月 - 1985年2月 ビデオ戦士レザリオン 森下孝三
3月 - 1985年3月 Gu-Guガンモ 新田義方
9月 - 1986年1月 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー 森下孝三
10月 - 1987年3月 北斗の拳 芦田豊雄 2006年の映画は、トムス・エンタテインメントが制作
1985年 3月 - 1986年1月 はーいステップジュン 設楽博
6月 - 12月 コンポラキッド 森下孝三
10月 - 1988年2月 ゲゲゲの鬼太郎(第3作 葛西治
芝田浩樹
1986年 1月 - 1987年1月 メイプルタウン物語 佐藤順一
2月 - 1989年4月 ドラゴンボール 岡崎稔
西尾大介
4月 - 9月 銀牙 -流れ星 銀- 勝間田具治
4月 - 11月 剛Q超児イッキマン 西沢信孝
7月 - 1987年3月 地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー 森下孝三
9月 - 1987年2月 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010
10月 - 1989年4月 聖闘士星矢 森下孝三
→菊池一仁
1987年 1月 - 12月 新メイプルタウン物語 パームタウン編 設楽博
3月 - 1988年2月 北斗の拳2 芦田豊雄 2006年の映画は、トムス・エンタテインメントが制作
7月 - 1988年3月 トランスフォーマー ザ☆ヘッドマスターズ 佐々木勝利
10月 - 1989年4月 ビックリマン 貝沢幸男
10月 - 1988年3月 仮面の忍者 赤影 石崎すすむ
レディレディ!! 設楽博
11月 トランスフォーマー ザ・リバース OPアニメーション制作、元請:AKOM、○
12月 - 1996年11月 ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ 制作協力[注釈 19]
元請:ムラカミ・ウルフ・スウェンソン英語版
1988年 1月 - 9月 闘将!!拉麵男 明比正行
2月 - 3月 ゲゲゲの鬼太郎(地獄編) 葛西治
芝田浩樹
2月 - 11月 魁!!男塾 西沢信孝
4月 - 1989年3月 トランスフォーマー 超神マスターフォース 今沢哲男
5月 - 1989年1月 ハロー!レディリン 設楽博
10月 - 1989年12月 ひみつのアッコちゃん(第2作) 芝田浩樹
1989年 3月 - 12月 戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV 新田義方
4月 - 1996年1月 ドラゴンボールZ 西尾大介
4月 - 1990年8月 新ビックリマン 貝沢幸男
4月 - 1990年3月 悪魔くん 佐藤順一
10月 - 1991年9月 魔法使いサリー(第2作) 葛西治
10月 - 1990年12月 かりあげクン 芝田浩樹

1990年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル シリーズ
ディレクター
備考
1990年 4月 - 12月 もーれつア太郎(第2作) 佐藤順一
9月 - 1992年5月 まじかる☆タルるートくん 山内重保
1991年 1月 - 1992年2月 きんぎょ注意報! 佐藤順一
2月 - 1992年1月 ゲッターロボ號 芝田浩樹
10月 - 1992年9月 キン肉マン キン肉星王位争奪編 白土武
梅澤淳稔
ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作) 西沢信孝
1992年 3月 - 1993年2月 美少女戦士セーラームーン 佐藤順一
5月 - 1993年4月 スーパービックリマン 貝澤幸男
1993年 3月 - 1994年3月 美少女戦士セーラームーンR 佐藤順一
幾原邦彦
4月 - 1994年3月 GS美神 梅澤淳稔
9月 - 12月 リトルツインズ
10月 - 1996年3月 SLAM DUNK 西沢信孝
11月 - 1994年12月 蒼き伝説シュート! 西尾大介
1994年 3月 - 1995年2月 美少女戦士セーラームーンS 幾原邦彦
3月 - 1995年9月 ママレード・ボーイ 矢部秋則
10月 - 12月 真拳伝説タイトロード
1995年 3月 - 1996年3月 美少女戦士セーラームーンSuperS 幾原邦彦
1月 - 12月 空想科学世界ガリバーボーイ 芦田豊雄
4月 - 9月 世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国 設楽博
9月 - 1996年9月 ご近所物語 梅澤淳稔
1996年 1月 - 1998年3月 ゲゲゲの鬼太郎(第4作 西尾大介
2月 - 1997年11月 ドラゴンボールGT 葛西治
3月 - 1997年2月 美少女戦士セーラームーンセーラースターズ 五十嵐卓哉
4月 - 1997年6月 地獄先生ぬ〜べ〜 貝澤幸男
9月 - 1997年8月 花より男子 山内重保
1997年 2月 - 1998年1月 キューティーハニーF 佐々木憲世
4月 - 2000年9月 金田一少年の事件簿 西尾大介 最後のセル画作品
7月 - 10月 あずみマンマ・ミーア 貝澤幸男 スーパーJチャンネル枠内にて放送
9月 - 1999年1月 夢のクレヨン王国 佐藤順一 初のデジタル制作作品
10月 - 1998年1月 ハニ太郎です。 貝澤幸男 スーパーJチャンネル枠内にて放送
11月 - 1999年9月 ドクタースランプ 山内重保
1998年 1月 - 3月 春庭家の3人目 山田徹 スーパーJチャンネル枠内にて放送
2月 - 1999年2月 こっちむいて!みい子 吉沢孝男 アニメ週刊DX!みいファぷー内で放送
ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー 貝澤幸男
ヘリタコぷーちゃん 橋本光夫
4月 - 10月 遊☆戯☆王(第1作) 角銅博之
4月 - 1999年2月 ひみつのアッコちゃん(第3作) 芝田浩樹
10月 - 1999年4月 まもって守護月天! 貝澤幸男
1999年 2月 - 2000年1月 おジャ魔女どれみ 五十嵐卓哉
佐藤順一
神風怪盗ジャンヌ 梅澤淳稔
3月 - 2000年3月 デジモンアドベンチャー 角銅博之
10月 - ONE PIECE [注釈 20]

2000年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル シリーズ
ディレクター
備考
2000年 2月 - 9月 マシュランボー 今沢哲男
2月 - 2001年1月 おジャ魔女どれみ# 五十嵐卓哉
山内重保
4月 - 2001年3月 デジモンアドベンチャー02 角銅博之
10月 - 2001年3月 勝負師伝説 哲也 チーフディレクター:西沢信孝
初の深夜アニメ
12月 - 2001年3月 ピポパポパトルくん 橋本光夫
2001年 2月 - 2002年1月 も〜っと!おジャ魔女どれみ 五十嵐卓哉
4月 - 2002年3月 デジモンテイマーズ 貝澤幸男
7月 - 2002年9月 ののちゃん 西沢信孝
佐々木憲世
2002年 1月 - 3月 Kanon(第1作)
1月 - 12月 キン肉マンII世 小村敏明
2月 - 2003年1月 おジャ魔女どれみドッカ〜ン! 五十嵐卓哉
4月 - 2003年3月 デジモンフロンティア 貝澤幸男
11月 - 2003年9月 釣りバカ日誌 今沢哲男
2003年 2月 - 2004年1月 明日のナージャ 五十嵐卓哉
4月 - 10月 エアマスター[179] 西尾大介
4月 - 2006年3月 金色のガッシュベル!! 中村哲冶
→貝澤幸男
11月 - 2005年10月 ボボボーボ・ボーボボ 芝田浩樹
2004年 2月 - 2005年1月 ふたりはプリキュア 西尾大介 プリキュアシリーズ
4月 - 6月 キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE 小村敏明
9月 - 2005年9月 冒険王ビィト 長峯達也 テレビ東京開局40周年記念作品
10月 - 12月 リングにかけろ1 小村敏明
2005年 1月 - 3月 ゼノサーガ Xenosaga THE ANIMATION
2月 - 2006年1月 ふたりはプリキュア Max Heart 西尾大介 プリキュアシリーズ
10月 - 2006年3月 冒険王ビィトエクセリオン 長峯達也
11月 - 2006年9月 ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU 細田雅弘
2006年 1月 - 3月 キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE2 小村敏明
怪 〜ayakashi〜 今沢哲男
永山耕三
中村健治
2月 - 2007年1月 ふたりはプリキュア Splash Star 小村敏明 プリキュアシリーズ、創立50周年記念作品
4月 - 2007年3月 デジモンセイバーズ 伊藤尚往 創立50周年記念作品
4月 - 6月 リングにかけろ1 日米決戦編 小村敏明
4月 - 9月 エア・ギア[180] 東映アニメーション創立50周年記念作品
共同製作:マーベラスエンターテイメントエイベックス
5月 - 8月 神様家族 地岡公俊 創立50周年記念作品
6月 - 9月 貧乏姉妹物語 貝澤幸男
7月 - 2007年6月 出ましたっ!パワパフガールズZ 石黒育 東映アニメーション創立50周年記念作品
共同製作:カートゥーン ネットワークテレビ東京アニプレックス
10月 - 12月 銀色のオリンシス 所勝美
10月 - 2007年9月 祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン 古賀豪 創立50周年記念作品
2007年 2月 - 2008年1月 Yes!プリキュア5 小村敏明 プリキュアシリーズ
4月 - 2009年3月 ゲゲゲの鬼太郎(第5作 貝澤幸男
4月 - 9月 ラブ★コン 宇田鋼之介
4月 - 2008年1月 太極千字文 韓国での放映、共同製作:KBSIconix Entertainment東西大学校JM ANIMATION
7月 - 9月 モノノ怪 中村健治
10月 - 2008年10月 はたらキッズ マイハム組 今澤哲男
2008年 1月 - 3月 墓場鬼太郎 地岡公俊
2月 - 2009年1月 Yes!プリキュア5GoGo! 小村敏明 プリキュアシリーズ
4月 - 2010年12月 うちの3姉妹 共同製作:STUDIO ANIMAL
6月 - 11月 ロボディーズ -RoboDz- 風雲篇 西尾大介 共同製作:ウォルト・ディズニー・テレビジョン・インターナショナル ジャパン
10月 - 2009年9月 ねぎぼうずのあさたろう 池田洋子
2009年 1月 - 8月 京浜家族 ケータイ配信
2月 - 2010年1月 フレッシュプリキュア! 志水淳児
座古明史[注釈 21]
プリキュアシリーズ
3月 - 2010年3月 マリー&ガリー 貝澤幸男
暮田公平
すイエんサー枠内にて放送
4月 - 2011年3月 ドラゴンボール改 『ドラゴンボールZ』のデジタルリマスター再編集版
10月 - 2010年6月 怪談レストラン 池田洋子
10月 - 12月 空中ブランコ 中村健治

2010年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル シリーズ
ディレクター
備考
2010年 2月 - 2011年1月 ハートキャッチプリキュア! 長峯達也 プリキュアシリーズ
3月 - 2011年3月 マリー&ガリー ver.2.0 貝澤幸男
暮田公平
すイエんサー枠内にて放送
4月 - 12月 うちの3姉妹 おかわりぱれたい
4月 - 6月 リングにかけろ1 影道編 貝澤幸男
7月 - 2011年3月 デジモンクロスウォーズ えんどうてつや
2011年 2月 - 2012年1月 スイートプリキュア♪ 境宗久 プリキュアシリーズ
4月 - 2014年3月 トリコ 座古明史
うえだひでひと[注釈 22]
4月 - 6月 リングにかけろ1 世界大会編 池畠博史
4月 - 9月 デジモンクロスウォーズ 〜悪のデスジェネラルと七つの王国〜 えんどうてつや
10月 - 2012年3月 デジモンクロスウォーズ 〜時を駆ける少年ハンターたち〜 貝澤幸男
2012年 2月 - 2013年1月 スマイルプリキュア! 大塚隆史 プリキュアシリーズ
4月 - 2014年3月 聖闘士星矢Ω 畑野森生[注釈 23]
長峯達也[注釈 24]
暮田公平[注釈 25]
7月 - 2013年3月 探検ドリランド 深澤敏則
2013年 2月 - 2014年1月 ドキドキ!プリキュア 古賀豪 プリキュアシリーズ
4月 - 2014年3月 探検ドリランド -1000年の真宝- 深澤敏則[注釈 26]
黒田成美[注釈 27]
10月 - 12月 京騒戯画 松本理恵
2014年 1月 - 3月 ロボットガールズZ 制作協力:LandQ studio's
2月 - 2015年1月 ハピネスチャージプリキュア! 長峯達也 プリキュアシリーズ
4月 - 2015年3月 マジンボーン 宇田鋼之介
ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ 小村敏明 共同製作:ウォルト・ディズニー・ジャパン
4月 - 9月 金田一少年の事件簿R(第1期) 土田豊
暴れん坊力士!!松太郎 貝澤幸男
4月 - 2015年6月 ドラゴンボール改 魔人ブウ編
10月 - 2016年4月 ワールドトリガー 本郷みつる[注釈 28]
小川孝治[注釈 29]
2015年 2月 - 2016年1月 Go!プリンセスプリキュア 田中裕太 プリキュアシリーズ
4月 - 9月 美少女戦士セーラームーンCrystal 第1期・第2期パッケージマスターエディション 境宗久
7月 - 2018年3月 ドラゴンボール超 地岡公俊[注釈 30]
畑野森生[注釈 31]
羽多野浩平[注釈 32]
長峯達也[注釈 33]
中村亮太[注釈 34]
9月・2018年7月 ミラキュラス レディバグ&シャノワール ウィニー 共同制作:Zagtoon、Method Animation(フランス)、SAMGアニメーション(韓国)
10月 - 2016年3月 金田一少年の事件簿R(第2期) 池田洋子
2016年 2月 - 2017年1月 魔法つかいプリキュア! 三塚雅人 プリキュアシリーズ
4月 - 6月 美少女戦士セーラームーンCrystal Season III 今千秋
10月 - 2017年9月 デジモンユニバース アプリモンスターズ 古賀豪 創立60周年記念作品
10月 - 2017年7月 タイガーマスクW 小村敏明
2017年 2月 - 2018年1月 キラキラ☆プリキュアアラモード 暮田公平
貝澤幸男
プリキュアシリーズ
4月 - 6月 正解するカド 渡辺正樹
2018年 2月 - 2019年1月 HUGっと!プリキュア 佐藤順一
座古明史
プリキュアシリーズ
5月 - 8月 おしりたんてい(第1期) 芝田浩樹
4月 - 2020年3月 ゲゲゲの鬼太郎(第6作 小川孝治
10月 - 2019年3月 爆釣バーハンター セトウケンジ 共同制作:ぎゃろっぷ
12月 - 2019年2月 聖闘士星矢 セインティア翔 玉川真人 企画・製作、アニメーション制作:GONZO
12月 - 2019年3月 おしりたんてい(第2期) 芝田浩樹
2019年 2月 - 2020年1月 スター☆トゥインクルプリキュア 宮元宏彰 プリキュアシリーズ
7月 - 9月 おしりたんてい(第3期) 芝田浩樹

2020年代

[編集]
開始年 放送期間 タイトル シリーズ
ディレクター
備考
2020年 2月 - 2021年2月 ヒーリングっど♥プリキュア 池田洋子 プリキュアシリーズ
4月 - 2021年9月 デジモンアドベンチャー: 三塚雅人
4月 - 6月 アサティール 未来の昔ばなし 共同制作:マンガプロダクションズ(サウジアラビア
おしりたんてい(第4期) 芝田浩樹
9月 - ふしぎ駄菓子屋 銭天堂 共同制作:カナバングラフィックス→ぎゃろっぷ
10月 - 2022年10月 ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第2作[181] 唐澤和也
2021年 1月 - 4月 ワールドトリガー(2ndシーズン) 畑野森生
2月 - 2022年1月 トロピカル〜ジュ!プリキュア 土田豊 プリキュアシリーズ
4月 - 6月 おしりたんてい(第5期) 佐藤雅教
10月 - 2023年3月 デジモンゴーストゲーム 地岡公俊
三塚雅人
10月 - 2022年1月 ワールドトリガー(3rdシーズン) 畑野森生
2022年 2月 - 2023年1月 デリシャスパーティ♡プリキュア 深澤敏則 プリキュアシリーズ
4月 - 7月 おしりたんてい(第6期) 佐藤雅教
2023年 2月 - 2024年1月 ひろがるスカイ!プリキュア 小川孝治 プリキュアシリーズ
4月 - 逃走中 グレートミッション 貝澤幸男
暮田公平 
4月 - 11月 おしりたんてい(第7期) 佐藤雅教
7月 - 9月 いきものさん アニメーション制作:ニューディアー[182]
10月 - 12月 キボウノチカラ〜オトナプリキュア'23〜[183][184] 浜名孝行 プリキュアシリーズ
共同制作:スタジオディーン[185][186]
2024年 2月 - わんだふるぷりきゅあ![187] 佐藤雅教 プリキュアシリーズ
4月 - 6月 ガールズバンドクライ 酒井和男
4月 - おしりたんてい(第8期) 佐藤雅教
10月 - 科学×冒険サバイバル! 細田雅弘 アニメーション制作:ぎゃろっぷ
10月 - ドラゴンボールDAIMA[188] 八島善孝
小牧文
2025年 1月 - 魔法つかいプリキュア!!〜MIRAI DAYS〜 浜名孝行 プリキュアシリーズ
共同制作:スタジオディーン[189]

テレビアニメ(スペシャル)

[編集]
放送年 タイトル 備考
1979年 あしたの勇者たち
ジャン・バルジャン物語
大恐竜時代
1980年 若草物語
闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ
1981年 荒野の呼び声 吠えろバック
走れメロス
ルパン対ホームズ
恐怖伝説 怪奇!フランケンシュタイン
夏休み人気アニメ祭り アラレちゃん一家総登場!! 1000年女王の正体は!?
Dr.スランプアラレちゃん あやや!?ペンギン村でテレビジャック
Dr.スランプアラレちゃん「ペンギン村SOS!!」「ハートで勝負!」・「なんでもOKオーチャくん」
カバ園長の動物園日記
ぼくらマンガ家 トキワ荘物語
1982年 Dr.スランプ アラレちゃん ペンギン村英雄伝説
吾輩は猫である
アンドロメダ・ストーリーズ
十五少年漂流記
少年宮本武蔵 わんぱく二刀流
1983年 吾輩は犬である ドン松五郎の生活
どくとるマンボウ&怪盗ジバコ 宇宙より愛をこめて
1984年 キン肉マン 決戦!7人の正義超人vs宇宙野武士
1985年 悪魔島のプリンス 三つ目がとおる
1990年 帰って来たDr.スランプ アラレちゃんスペシャル
1992年 Dr.スランプアラレちゃん‘92お正月スペシャル
1998年 ドクタースランプスペシャル ロボット対決!宿敵ドクターマシリト登場!!キーンで優勝!?ペンギン・グランプリ 4月1日水曜日放送
2005年 デジタルモンスター ゼヴォリューション
2007年 Dr.スランプアラレちゃんSP 〜うほほ〜い!帰ってきちったの巻〜
金田一少年の事件簿SP「オペラ座館・最後の殺人」・「吸血鬼伝説殺人事件」 11月12日・19日
2012年 ONE PIECE エピソードオブナミ 〜航海士の涙と仲間の絆〜
ONE PIECE エピソードオブルフィ 〜ハンドアイランドの冒険〜
2013年 ONE PIECE エピソードオブメリー 〜もうひとりの仲間の物語〜
2014年 ONE PIECE “3D2Y” エースの死を越えて! ルフィ仲間との誓い
2015年 ONE PIECE エピソードオブサボ 〜3兄弟の絆 奇跡の再会と受け継がれる意志〜
ONE PIECE 〜アドベンチャー オブ ネブランディア〜
2016年 ONE PIECE 〜ハートオブゴールド〜
2017年 ONE PIECE エピソードオブ東の海 〜ルフィと4人の仲間の大冒険!!〜
2018年 ONE PIECE エピソードオブ空島

Webアニメ

[編集]
配信年 タイトル 監督 備考
2011年 京騒戯画 松本理恵
2014年 美少女戦士セーラームーンCrystal 境宗久 - 2015年
2015年 聖闘士星矢 黄金魂 -soul of gold- 古田丈司
ロボットガールズZプラス 博史池畠
2017年 おしりたんてい 芝田浩樹
2019年 聖闘士星矢: Knights of the Zodiac 芦野芳晴
2021年 URVAN[190]
2023年 悪魔くん(第2作) 佐藤順一(総) 製作、アニメーション制作:エンカレッジフィルムズ
ELEMON ポエ山 共同制作:Rymation、アナライズログ

劇場アニメ

[編集]

日本動画社時代

[編集]
公開年 タイトル 備考
1947年 すて猫トラちゃん 9月25日、短編映画、東宝教育映画部配給、日本動画社製作第1作、クレジットは日本漫画映画社
1948年 トラちゃんと花嫁 短編映画、東宝教育映画部配給、日本動画株式会社製作
ポッポやさんののんき駅長
1949年 動物大野球戦 短編映画、東宝教育映画配給、日本動画株式会社製作
ポッポやさんのんき機関士
1950年 トラちゃんのカンカン虫
小人と青虫
1952年 お天気学校
兎と亀の決勝戦 短編映画、日動映画製作
1953年 ありとはと
1954年 子うさぎものがたり
1955年 トラちゃんの冒険
うかれバイオリン 短編映画、日動映画製作、東映教育映画部
1956年 一寸法師 短編映画、日動映画製作
黒いきこりと白いきこり

1950年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 備考
1957年 こねこのらくがき 5月13日完成、短編映画、東映教育映画部製作、東映動画製作第一作
ハヌマンの新しい冒険 10月14日完成、短編映画、東映製作
かっぱのぱあ太郎 11月23日公開、短編映画、東映教育映画部製作
1958年 白蛇伝 10月22日公開、東映動画長編映画第一作
みんなでいっしょにうたいましょう 12月29日完成、短編PR映画、非公開
夢見童子 4月5日、短編映画、東映教育映画部製作
1959年 こねこのスタジオ 4月9日完成、短編映画
たぬきさん大当り 6月20日完成、短編映画
熊と子供たち 10月20日完成、短編PR用映画、非公開
少年猿飛佐助 12月25日公開、東映動画長編映画第二作
もちつもたれつ 12月30日完成、短編PR用映画、非公開

1960年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 備考
1960年 西遊記
1961年 安寿と厨子王丸
ねずみのよめいり 10月14日完成、短編映画
1962年 鉄ものがたり 3月完成、4月22日日活封切、短編映画
もぐらのモトロ 7月19日完成、短編映画
アラビアンナイト・シンドバッドの冒険
1963年 わんぱく王子の大蛇退治
わんわん忠臣蔵
1965年 ガリバーの宇宙旅行
1966年 サイボーグ009
1967年 サイボーグ009 怪獣戦争
少年ジャックと魔法使い
1968年 アンデルセン物語
太陽の王子 ホルスの大冒険
ゲゲゲの鬼太郎
1969年 長靴をはいた猫
ひとりぼっち
空飛ぶゆうれい船

1970年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 備考
1970年 ちびっ子レミと名犬カピ
チュウチュウバンバン
海底3万マイル
1971年 どうぶつ宝島
アリババと40匹の盗賊
1972年 ながぐつ三銃士
魔犬ライナー0011変身せよ!
1973年 パンダの大冒険
マジンガーZ対デビルマン
1974年 マジンガーZ対暗黒大将軍
きかんしゃやえもん D51の大冒険
1975年 グレートマジンガー対ゲッターロボ
グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突
アンデルセン童話 にんぎょ姫
これがUFOだ!空飛ぶ円盤
宇宙円盤大戦争
1976年 UFOロボ グレンダイザー対グレートマジンガー
グレンダイザー ゲッターロボG グレートマジンガー 決戦! 大海獣
長靴をはいたネコ 80日間世界一周
1977年 白鳥の王子 世界名作童話シリーズ
惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団
キャンディ・キャンディ
キャンディ・キャンディ 春の呼び声
1978年 おやゆび姫 世界名作童話シリーズ
惑星ロボ ダンガードA 宇宙大海戦
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 制作元請:オフィス・アカデミー
キャンディ・キャンディ キャンディ・キャンディの夏休み
一休さんとやんちゃ姫
宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎
1979年 龍の子太郎
SF西遊記スタージンガー
銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)

1980年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 備考
1980年 銀河鉄道999 ガラスのクレア
ヤマトよ永遠に 制作元請:オフィスアカデミー、制作協力
森は生きている
花の子ルンルン こんにちわ桜の国
地球へ…
魔法少女ララベル 海が呼ぶ夏休み
ゲゲゲの鬼太郎 地相眼
サイボーグ009 超銀河伝説
1981年 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅
白鳥の湖 世界名作童話シリーズ
悪魔と姫ぎみ
夏への扉 共同制作:マッドハウス
Dr.スランプ アラレちゃん ハロー!不思議島
1982年 1000年女王
わが青春のアルカディア
アラジンと魔法のランプ 世界名作童話シリーズ
Dr.SLUMP “ほよよ!”宇宙大冒険
浮浪雲
FUTURE WAR 198X年
あさりちゃん 愛のメルヘン少女
1983年 宇宙戦艦ヤマト 完結編 共同制作:ウェスト・ケープ・コーポレーション
Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ世界一周大レース
まんがイソップ物語
パタリロ! スターダスト計画
1984年 Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝
少年ケニヤ
パパママバイバイバイ
The・かぼちゃワイン ニタの愛情物語
キン肉マン 奪われたチャンピオンベルト
キン肉マン 大暴れ!正義超人
1985年 ゲゲゲの鬼太郎 妖怪軍団
Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス
キン肉マン 正義超人vs古代超人
キン肉マン 逆襲!宇宙かくれ超人
キン肉マン 晴れ姿!正義超人
GU-GUガンモ
とんがり帽子のメモル
オーディーン 光子帆船スターライト 共同制作:ウェスト・ケープ・コーポレーション
1986年 ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争
ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!
ゲゲゲの鬼太郎 激突!! 異次元妖怪の大反乱
キン肉マン ニューヨーク危機一髪!
北斗の拳
トランスフォーマー ザ・ムービー
メイプルタウン物語
ドラゴンボール 神龍の伝説
1987年 キン肉マン 正義超人vs戦士超人
新メイプルタウン物語 パームタウン編 こんにちは!新しい町
ドラゴンボール 魔神城のねむり姫
グリム童話 金の鳥
聖闘士星矢
1988年 ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険
聖闘士星矢 神々の熱き戦い
聖闘士星矢 真紅の少年伝説
ビックリマン 第一次聖魔大戦
ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝
闘将!!拉麵男
1989年 聖闘士星矢 最終聖戦の戦士たち
レディ!レディ READY! LADY
ひみつのアッコちゃん
ひみつのアッコちゃん 海だ! おばけだ!! 夏祭り
ドラゴンボールZ
悪魔くん

1990年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 備考
1990年 ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ
ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦
ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空
悪魔くん ようこそ悪魔ランドへ!!
魔法使いサリー
Pink みずドロボウあめドロボウ
剣之介さま
宇宙皇子 天上編
1991年 ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強
まじかる☆タルるートくん
まじかる☆タルるートくん 燃えろ!友情の魔法大戦
ドラゴンクエスト ダイの大冒険
1992年 ドラゴンボールZ 激突!!100億パワーの戦士たち
ドラゴンボールZ 極限バトル!!三大超サイヤ人
まじかる☆タルるートくん すき・すき♡タコ焼きっ!
ドラゴンクエスト ダイの大冒険 起ちあがれ!!アバンの使徒
ドラゴンクエスト ダイの大冒険 ぶちやぶれ!!新生6大将軍
三国志 第一部・英雄たちの夜明け
光の風のアーマ 短編映画
キャンディ・キャンディ(リメイク版)
きんぎょ注意報!
ろくでなしBLUES
1993年 ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦
ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴
三国志 第二部・長江燃ゆ!
ろくでなしBLUES 1993
Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村はハレのち晴れ
Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村より愛をこめて
劇場版 美少女戦士セーラームーンR
メイクアップ!セーラー戦士
遠い海から来たCOO
1994年 ドラゴンボールZ 危険なふたり!超戦士はねむれない
ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ
三国志 完結編・遥かなる大地
Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!!助けたサメに連れられて…
Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!!わくわくハートの夏休み
劇場版 美少女戦士セーラームーンS
蒼き伝説シュート!
おさわが!スーパーベビー
GS美神・極楽大作戦!!
スラムダンク
スラムダンク 全国制覇だ! 桜木花道
1995年 ドラゴンボールZ 復活のフュージョン!!悟空とベジータ
ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる
美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡
スペシャルプレゼント 亜美ちゃんの初恋 美少女戦士セーラームーンSuperS 外伝
スラムダンク 湘北最大の危機! 燃えろ桜木花道
スラムダンク 吠えろバスケットマン魂!! 花道と流川の熱き夏
ママレード・ボーイ
1996年 ドラゴンボール 最強への道
ご近所物語
ゲゲゲの鬼太郎 大海獣
(超)劇場版!地獄先生ぬ〜べ〜
金田一少年の事件簿
1997年 ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター
ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車
地獄先生ぬ〜べ〜 午前0時ぬ〜ベ〜死す!
地獄先生ぬ〜べ〜 恐怖の夏休み!! 妖しの海の伝説!
キューティーハニーF
花より男子
たまごっちホントのはなし
1998年 蓮如物語
銀河鉄道999・エターナルファンタジー
1999年 金田一少年の事件簿2・殺戮のディープブルー
ドクタースランプ アラレのびっくりバーン
遊☆戯☆王
デジモンアドベンチャー

2000年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 監督
2000年 デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム! 細田守
デジモンアドベンチャー 3D デジモングランプリ! 森田信廣
デジモンアドベンチャー02 前編・デジモンハリケーン上陸!!/後編・超絶進化!!黄金のデジメンタル 山内重保
ONE PIECE 志水淳児
おジャ魔女どれみ♯ 五十嵐卓哉
2001年 デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲 今村隆寛
デジモンテイマーズ 冒険者たちの戦い 今沢哲男
ONE PIECE ねじまき島の冒険 志水淳児
も〜っと!おジャ魔女どれみ カエル石のひみつ 山内重保
キン肉マンII世 小村敏明
2002年 デジモンテイマーズ 暴走デジモン特急 中村哲治
デジモンフロンティア 古代デジモン(オニスモン)復活!! 今村隆寛
ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国 志水淳児
キン肉マンII世 マッスル人参争奪! 超人大戦争 小村敏明
2003年 ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険 宇田鋼之介
2004年 聖闘士星矢 天界編 序奏〜overture〜 山内重保
ONE PIECE 呪われた聖剣 竹之内和久
2005年 劇場版AIR 出崎統
ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島 細田守
映画 ふたりはプリキュア Max Heart 志水淳児
映画 ふたりはプリキュア Max Heart 2 雪空のともだち
2006年 ONE PIECE THE MOVIE カラクリ城のメカ巨兵 宇田鋼之介
デジモンセイバーズ 3D デジタルワールド危機イッパツ! 西川和宏
デジモンセイバーズ THE MOVIE 究極パワー! バーストモード発動! 長峯達也
映画 ふたりはプリキュア Splash Star チクタク危機一髪! 志水淳児
2007年 ONE PIECE エピソードオブアラバスタ 砂漠の王女と海賊たち 今村隆寛
Dr.マシリト アバレちゃん 長峯達也
劇場版CLANNAD 出崎統
映画 Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険! 長峯達也
2008年 ONE PIECE THE MOVIE エピソードオブチョッパー+冬に咲く、奇跡の桜 志水淳児
映画 Yes!プリキュア5GoGo! お菓子の国のハッピーバースディ♪ 長峯達也
劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!! 古賀豪
2009年 映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合! 大塚隆史
とびだす!3D東映アニメまつり きかんしゃ やえもん 貝澤幸男
ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎の幽霊電車3D 細田守
映画 フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!? 志水淳児
ONE PIECE FILM STRONG WORLD 境宗久

2010年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 監督 備考
2010年 映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ! 大塚隆史
映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!? 松本理恵
2011年 映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ! 世界をつなぐ☆虹色の花 大塚隆史
ONE PIECE 3D 麦わらチェイス 佐藤宏幸
トリコ 3D 開幕!グルメアドベンチャー!! 志水淳児
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく- 森下孝三
映画 スイートプリキュア♪ とりもどせ! 心がつなぐ奇跡のメロディ♪ 池田洋子
2012年 映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち 志水淳児
虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜 宇田鋼之介
アシュラ さとうけいいち
映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ! 黒田成美
ONE PIECE FILM Z 長峯達也
2013年 映画 プリキュアオールスターズNewStage2 こころのともだち 小川孝治
ドラゴンボールZ 神と神 細田雅弘
劇場版 トリコ 美食神の超食宝 座古明史
キャプテンハーロック 荒牧伸志 CGプロダクション:マーザ・アニメーションプラネット
映画 ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス 伊藤尚往
BAYONETTA BLOODYFATE 木崎文智 製作委員会参加、アニメーション制作:GONZO
2014年 BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅- 小村敏明
映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち 小川孝治
一休さん 反闘公主 中国版映画
聖闘士星矢 Legend of Sanctuary さとうけいいち
映画 ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ 今千秋
楽園追放 -Expelled from Paradise- 水島精二 企画・製作、アニメーション制作:グラフィニカ
2015年 映画 プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪ 志水淳児
ドラゴンボールZ 復活の「F」 山室直儀
映画 Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!! 座古明史
宮本浩史
貝澤幸男
デジモンアドベンチャー tri. 第1章「再会」 元永慶太郎 企画・製作・配給、アニメーション制作協力:颱風グラフィックス
2016年 デジモンアドベンチャー tri. 第2章「決意」
映画 プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法! 土田豊
ONE PIECE FILM GOLD 宮元宏彰
デジモンアドベンチャー tri. 第3章「告白」 元永慶太郎 企画・製作・配給、アニメーション制作協力:颱風グラフィックス
映画 魔法つかいプリキュア! 奇跡の変身!キュアモフルン! 田中裕太
ポッピンQ 宮原直樹 創立60周年記念作品
2017年 映画 プリキュアドリームスターズ! 宮本浩史
デジモンアドベンチャー tri. 第4章「喪失」 元永慶太郎 企画・製作・配給、アニメーション制作協力:颱風グラフィックス
デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」
映画 キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ! 土田豊
2018年 劇場版 マジンガーZ / INFINITY 志水淳児
映画 プリキュアスーパースターズ! 池田洋子
デジモンアドベンチャー tri. 第6章「ぼくらの未来」 元永慶太郎 企画・製作・配給、アニメーション制作協力:颱風グラフィックス
映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ 宮本浩史
ドラゴンボール超 ブロリー 長峯達也
2019年 映画 プリキュアミラクルユニバース 貝澤幸男
映画 おしりたんてい カレーなる じけん 平山美穂 東映まんがまつり
映画 爆釣バーハンター 謎のバーコードトライアングル!爆釣れ!神海魚ポセイドン セトウケンジ
えいが うちの3姉妹 大宮一仁
りさいくるずー べんぴねこ
ONE PIECE STAMPEDE 大塚隆史
映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて 田中裕太

2020年代(劇場アニメ)

[編集]
公開年 タイトル 監督 備考
2020年 映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日 深澤敏則
デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 田口智久 製作、アニメーション制作:ゆめ太カンパニー
人体のサバイバル! 奈須川充 共同制作:ぎゃろっぷ
映画 おしりたんてい テントウムシいせきの なぞ 芝田浩樹 東映まんがまつり
映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂 つりたい焼き 富岡聡
りさいくるずー まもれ!もくようびは資源ごみの日 べんぴねこ
魔女見習いをさがして 佐藤順一
鎌谷悠
2021年 映画 ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!! 中村亮太
映画 トロピカル〜ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪! 志水淳児
映画 おしりたんてい スフーレ島のひみつ 東映まんがまつり
深海のサバイバル! 入好さとる
劇場版 美少女戦士セーラームーン Eternal 今千秋 共同制作:スタジオディーン
Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる- 北川隆之 制作、アニメーション制作:LandQ studios
ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語 静野孔文 共同制作:マンガプロダクションズ
2022年 映画おしりたんてい シリアーティ 門由利子
ドラゴンボール超 スーパーヒーロー 児玉徹郎
ONE PIECE FILM RED 谷口悟朗
映画 デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ! 座古明史
THE FIRST SLAM DUNK 井上雄彦 共同制作:ダンデライオンアニメーションスタジオ
2023年 劇場版 美少女戦士セーラームーン Cosmos 高橋友也 共同制作:スタジオディーン
映画 プリキュアオールスターズF 田中裕太
デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING 田口智久 製作、アニメーション制作:ゆめ太カンパニー
鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 古賀豪
2024年 映画おしりたんてい さらば愛しき相棒(おしり)よ セトウケンジ
わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険! 宮原直樹

OVA

[編集]
発売年 タイトル 備考
1986年 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー スクランブルシティ発動編
湘南爆走族 残された走り屋たち
G.I.ジョー ザ・ムービー 制作元請:サンボウ・プロダクション/マーベル・プロダクション、アニメーション制作
1987年 湘南爆走族II 1/5 LONELY NIGHT
湘南爆走族III 10オンスの絆
勝利投手 共同製作:東北新社東映ビデオ
1988年 湘南爆走族IV ハリケーン・ライダーズ
Crying フリーマン -1994年
1989年 湘南爆走族V 青ざめた暁
左のオクロック!!
1990年 湘南爆走族VI GT380ヒストリー
トランスフォーマーZ
1991年 湘南爆走族VII スポ根マッド・スペシャル
3×3 EYES
1992年 湘南爆走族VIII 赤い星の伝説
リトルツインズ -1993年、共同製作:KSS、ヒーロー・コミュニケーションズ
1993年 湘南爆走族IX 俺とお前のGOOD LUCK!
仮面ライダーSD
1995年 湘南爆走族X FROM SAMANTHA
1996年 湘南爆走族XI 喧嘩の花咲く修学旅行
エンジェル伝説
1999年 湘南爆走族XII 完結篇 桜吹雪の卒業式
2000年 伝心 まもって守護月天! -2001年
2003年 聖闘士星矢 冥王ハーデス編 -2008年
2004年 インタールード
2005年 イリヤの空、UFOの夏
2010年 Halo Legends エピソード5【Odd One Out】
2012年 金田一少年の事件簿 「黒魔術殺人事件」 -2013年、※20周年コミックス3・4巻DVD付き限定版
2019年 デジモンアドベンチャー20th メモリアルストーリー -2020年、アニメーション制作:ゆめ太カンパニー

実写映画参加作品

[編集]
公開年 タイトル 備考
2004年 デビルマン CG担当
キューティーハニー アニメ、CG担当
2005年 男たちの大和/YAMATO CG担当
2006年 最終兵器彼女 VFX担当
2007年 俺は、君のためにこそ死ににいく CG担当
蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜 CG担当
2008年 ハッピーフライト
2009年 ヤッターマン
2018年 ママレード・ボーイ 製作委員会メンバー
2022年 大怪獣のあとしまつ CG担当
2022年 ハケンアニメ! 監修
2023年 シン・仮面ライダー CG担当

コンピュータゲーム

[編集]
発売年 タイトル 機種 備考
1986年 バルトロン ファミリーコンピュータ
北斗の拳
長靴をはいた猫 世界一周80日大冒険
1987年 北斗の拳2 世紀末救世主伝説
SWAT
1988年 スケバン刑事III
仮面の忍者 赤影
ファイティングロード
1989年 北斗の拳3 新世紀創造 凄拳列伝
北斗の拳 凄絶十番勝負 ゲームボーイ
新里見八犬伝 光と闇の戦い ファミリーコンピュータ
1990年 もっともあぶない刑事
ブラッディ・ウォリアーズ
1991年 北斗の拳4 七星覇拳伝 北斗神拳の彼方へ
雷電伝説 スーパーファミコン
1992年 北斗の拳5 天魔流星伝 哀★絶章
北斗の拳6 激闘伝承拳 覇王への道
1993年 北斗の拳7 聖拳列伝 伝承者への道
1999年 魔女っ子大作戦 PlayStation
2010年 こえであそぼう ハートキャッチプリキュア! ニンテンドーDS
2012年 スタプラ! 携帯電話ゲーム -2014年、携帯電話ゲーム、共同開発:コロプラ
2014年 円環のパンデミカ iOS/Android
2016年 拡張少女系トライナリー 共同開発:コーエーテクモゲームスガストブランド
2020年 CLEARWORLD -クリアワールド- Windows 共同開発:プラス81
2025年 ノロイカゴ ゲゲゲの夜 Steam 共同開発:トイジアム

レーザーディスクゲーム

[編集]
発売年 タイトル 備考
1984年 アルベガス 販売元:セガ
サンダーストーム 販売元:データイースト
忍者ハヤテ 販売元:タイトー
1985年 宇宙戦艦ヤマト 販売元:タイトー
タイムギャル
ロードブラスター 販売元:データイースト
キャッシングストーン 発売元:データイースト
1986年 Freedom Fighter 発売元:ミレニアムゲームプロダクツ、海外のみリリース、「銀河鉄道999」と「さよなら銀河鉄道999」の一部を加われる新作シーンが作成された

CM

[編集]
公開年 題名 備考
2014年 スズキ・ハスラー『Dr.スランプ アラレちゃん』篇 アニメーション制作[191]
スズキ・ハスラー『クリスマス アラレちゃん』篇
スズキ・ハスラー『感謝をこめて 特別仕様車・決算付』篇
2015年 スズキ・ハスラー『コラージュ』篇
スズキ・ハスラー『ワクワク広がれ』篇
2016年 スズキ・ハスラー『ワクワクがズラリ』篇
2017年 スズキ・ハスラー『ぴたっ!と安全』篇
2019年 カップヌードル『HUNGRY DAYS ワンピース ゾロ』篇 監修、アニメーション制作:シャフト
カップヌードル『HUNGRY DAYS ワンピース ナミ』篇

その他

[編集]
タイトル 備考
不二家の時間 オープニングキャッチを制作
1968年 おかしなおかしな星の国
1975年 世界名作童話 まんがシリーズ -1983年、8ミリ短編映画
新世紀ロボユーバロット誕生! 館内アニメ
おまじないアイドル・リリカルレナ→リリカルレナ・エンジェルパーティー セイカノート(現:サンスター文具)との共同展開によるオリジナル女児用文具プロジェクト
動物のカメちゃん 同社ホームページにゲームがある
1993年 ソニック・ザ・ヘッジホッグCD アニメーション制作(OP/ED)、メガCD用ソフト
美少女戦士セーラームーン -2005年、ミュージカル
新婚さんいらっしゃい! 番組オープニングのタイトルアニメを制作
1999年 クロノ・トリガー アニメーション制作、PlayStation用ソフト
水木しげるの遠野物語 制作元請:小学館集英社プロダクション、アニメーション制作、館内アニメ
2006年 白蛇伝〜White Lovers〜 ミュージカル、創立50周年記念作品
2009年- 農業ムスメ! マッグガーデンとの共同メディアミックス企画
2010年 ゲゲゲの女房 番組オープニングや妖怪等のアニメーションを制作[注釈 35]
2011年- 魔法少女 鬼塚さくら 漫画原作、作画:小林マサト
鉄拳戦士アイアン・キッド 日本語版制作
もののけ姫 制作元請:スタジオジブリ、仕上、劇場映画
平清盛 CG制作
2014年 ラブライブ! 第2期、制作元請:サンライズ、OP3DCG
2015年 まほう×少年×Days!!!!! フロンティアワークスとの共同企画。同名ドラマCD第1巻アニメーションPV
2016年 帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャー ニンニンガールズVSボーイズ FINAL WARS アニメーションパート制作
2017年 映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活 制作元請:OLM、協力、劇場映画
2018年 声ガール! アニメーション監修
2019年 なつぞら アニメーション制作
2020年 アニマルセラトピア MAGES.との共同企画
2022年 映画 五等分の花嫁 制作元請:バイブリーアニメーションスタジオ、制作協力、劇場映画
サマナーズウォー/召喚士大戦 企画、同名ゲームの小説化
2023年 電殿神伝-DenDekaDen- Strataとの協業、NFTプロジェクト
『Dancing☆Starプリキュア』The Stage 主催・企画・製作、舞台作品
2024年 キン肉マン 完璧超人始祖編 制作元請:Production I.G、製作委員会参加

関連会社

[編集]

連結子会社

[編集]
  • 株式会社タバック
  • 東映アニメーション音楽出版株式会社
  • TOEI ANIMATION PHILS., INC.
  • TOEI ANIMATION ENTERPRISES LIMITED(香港現地法人)
  • TOEI ANIMATION INCORPORATED(アメリカ合衆国現地法人、ロサンゼルス)
  • TOEI ANIMATION EUROPE S.A.S.(フランス共和国現地法人、パリ)
  • TA KZ Film Kft.(ハンガリー現地法人、ノーグラード)

持分法適用会社

[編集]

非連結子会社

[編集]
  • TOEI DOGA US Service, INC.
  • TOEI DOGA US Productions, LLC
  • TOEI DOGA US Entertainment, LLC
  • TOEI ANIMATION (SHANGHAI) CO., LTD.(中国現地法人、上海、2017年6月設立)
  • 東映動漫(上海)実業有限公司(TOEI ANIMATION ENTERPRISES LIMITEDと上海東今企業管理諮詢有限公司との合弁会社、2020年11月設立[192]
  • 株式会社FLARE CREATORS(オリジナルコンテンツの企画・プロデュース、東映との折半出資で2023年6月に設立[193]

その他関係会社

[編集]
  • 東映株式会社
  • 株式会社テレビ朝日
  • 株式会社バンダイナムコエンターテインメント(兄弟会社としての扱い)
  • 株式会社アニュータ(音楽配信サービス、発足時に東映アニメーション音楽出版が参画。2022年7月のサービス終了後は休眠状態)
  • 株式会社TENH ANIMATION MAGIC(SOLA DIGITAL ARTSとサンジゲンの共同設立によるCGアニメーションスタジオ、東映アニメーションも経営に参画)
  • 株式会社ダンデライオンアニメーションスタジオ(2018年8月に資本業務提携[194]
  • 株式会社アナライズログ(インフルエンサーエージェント事業、2019年12月に資本業務提携[195]

関連人物

[編集]

歴代社長

[編集]
  1. 大川博(1956年 - 1964年)
  2. 山崎李四郎(1964年)
  3. 山梨稔(1964年 - 1971年)
  4. 高橋勇(1971年 - 1972年)
  5. 登石雋一(1972年 - 1974年)
  6. 今田智憲(1974年 - 1993年)
  7. 泊懋(1993年 - 2003年)
  8. 高橋浩(2003年 - 2012年)
  9. 高木勝裕(2012年 - )

現役員

[編集]

企画

[編集]

アニメーター・演出家

[編集]

脚本家

[編集]

プロデューサー

[編集]

美術デザイン

[編集]
  • 佐藤千恵
  • 増田竜太郎
  • 行信三 (カルロス・ユキ)
  • ゆきゆきえ
  • 吉池隆司
  • 渡辺佳人

色彩設計

[編集]

CG監督

[編集]
  • 中沢大樹
  • 宮原直樹
  • 川崎健太郎
  • さとうえい
  • 加藤康弘
  • 能沢諭
  • 牧野快
  • 宮本浩史
  • 日向学
  • 鎌田匡晃
  • 小林真理
  • 鄭載薫
  • 高橋友彦

製作担当

[編集]

同社スタッフ・OBが独立・起業した会社

[編集]

現在

[編集]

過去

[編集]

不祥事・トラブル・事件・アクシデント

[編集]

買いたたきの事例

[編集]

2014年12月17日、委託契約を結んでいる原画制作者、CGクリエーター約400人に対する報酬を消費税増税後も据え置く「買いたたき」を行ったとして、公正取引委員会より消費税転嫁対策特別措置法に基づく再発防止の勧告を受けた[199]。委員会の調査後、4-9月分の差額約2千万円を支払った。

異動及び通名使用問題

[編集]

東映アニメーションで2013年ごろから演出として契約社員で働いていた人物(以下A)が、作画監督へ指示を出したところ大きな声で怒鳴られ[200][201]、そのことを、上司に相談をすると、「働きバチが必要だ」「(作画監督を)だまくらかして使うんだ」などと指導を受けた[200][201]。そのことについて、Aが異議を唱えると、Aの知らない間に異動願いが出され、演出から演出助手への契約変更を迫られ、さらに事務職の契約に変更させられた[200][201]。1ヶ月だけ、ということで契約書にサインをすると、異動先はアニメスタジオとは別棟で、しかも仕事の内容はダンボールの詰め込みなど、典型的な追い出し部屋であった[200][201]。Aは社内のホットラインにも通報し、なんとか演出助手までには戻ることができたが、後日、上からは「Aさんに演出の仕事は絶対にさせないように」というメールが現場に一斉送信されてしまった[200][201]

Aは労働組合「プレカリアートユニオン」に出会い、そこに加入し、東映アニメーション側に対して、団体交渉を申し込んだものの、東映アニメーション側は団体交渉に必要であった「就業規則等の資料」を提出せず、Webのみで行うという不誠実な態度であった[201]。この団体交渉を担当していたプレカリアートユニオンの役員は、当時の状況について「先方はあえて論点をズラしてきたり、議論をかき乱すような不誠実な態度でした」とした上で「こうしたケースは時折あります。あくまで推測ですが、会社側の担当弁護士が『労働組合なんてまともに相手にする必要はない、そのうち疲れて諦めるでしょう』といったアドバイスをしている可能性はあります」と述べている[201]。この団体交渉はオンラインという形で3回ほど行われたが、決着を見ず、4回目の団体交渉の時に、Aと労働組合側に、オンライン会議で用いるアドレスが受信されず、プレカリアートユニオンの役員が東映アニメーションに電話で、東映アニメーション側の担当者やその弁護士は東映アニメーションにいたことが確認したため、東映アニメーションに向かったものの、「いざ行ってみると、会社が入っているビルの1階エレベーターを警備員が封鎖していました。私たちがエレベーターに乗ろうとすると、会社側の弁護士が『酷いじゃないですか』など、私たちがあたかも乱暴なことをして乗り込んできているような言い方をして、警備員を使って追い出してきました」と当時の状況を振り返る[201]

プレカリアートユニオンは2021年1月7日、東京都労働委員会不当労働行為救済を申し立てた[200]。申し立てのきっかけは、契約社員の人事考課問題についての団体交渉時が不誠実であったためだが、LGBTの当事者で労働組合「プレカリアートユニオン」側の担当者が、通称を名乗った際に、東映アニメーション側が「偽名ではないか」という理由で団体交渉を拒否した[202]。2021年1月12日にプレカリアートユニオンが行った記者会見で、LGBTの当事者に名前の確認をしたことは差別的で不当な労働行為に該当すると主張した[203]。会見で、プレカリアートユニオンの書記長は「表現者である東映アニメーションが性的少数者を差別するのは許せない」と述べている[203]

それ以降、団体交渉は行われず、書面という形でやり取りをしていた矢先に、東映アニメーション側から「(プレカリアートユニオンの役員が)偽名を用いており、本名は『◯◯』だという指摘があった」とした上で「(東映アニメーションと労働組合との間の)信頼関係を大きく毀損した」と記した文書が発送されてきた[201]。実は、団体交渉の間に、プレカリアートユニオンの役員が通称名をしていることを、このプレカリアートユニオンを非難している、ある第三者が漏らしてしまい、それを基に、東映アニメーション側はプレカリアートユニオンに対して、「(プレカリアートユニオンの役員が)”偽名”を使っている」として、戸籍上の名前を見た上で、東映アニメーション側に、「信頼関係を毀損した」と言ってきたといういきさつがあった[201]。プレカリアートユニオンの役員は「まず偽名ではなく、私が性的マイノリティの当事者で、戸籍上の名前とは異なる名前を使っていることは伝えました」と行動したが、東映アニメーション側は、これを理由に「団体交渉はできない」とかたくなに拒否し続けた[201]

これについて、Aは「これまでも明らかに会社の態度は不誠実でひどいものでしたが、ここまでひどいのかと。まさかこんなことまで言ってくるとは思いもしませんでした」と述べ、プレカリアートユニオンの役員は「東映アニメーションの『プリキュア』シリーズは、性のあり方に関しても希望を感じられるメッセージを発信し、日本だけでなく世界中に影響を与えていると思います。そんな会社だからこそ、こんなことをやってしまえるのかと深く失望しました」と抗議している[201]

社内ネットワークへの不正アクセス

[編集]

2022年3月6日、社内ネットワークが第三者による不正アクセスを受けたことを確認し7日付で公表した。関係機関への報告を行うとともに外部の専門機関による調査を進めるほか、社内システムの一部を停止し、外部からのアクセスも遮断した[204][205][206]

この社内システムの一部停止を受けて、2022年3月時点で制作しているテレビアニメ4作品(『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』『デリシャスパーティ♡プリキュア』『デジモンゴーストゲーム』『ONE PIECE』)の放映スケジュールに影響が出ることを11日に明らかにした[207][208][209]。このうち、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』に関しては3月12日に放送する予定であった第73話の放送を延期した上で「ベストセレクション」として、第31話の再放送に切り替えた[210]。『デリシャスパーティ♡プリキュア』に関しては、3月13日は過去の作品を再編集した上で放送を行うことを、3月11日に放送されたテレビ朝日制作の夕方のニュース情報番組である『スーパーJチャンネル』の番組内で伝えた[211]。その後、3月13日の放送では「おさらいセレクション」として第4話を放送し、3月20日から4月3日までは『映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』を3週に分けて分割放送することになった[212][213]。また『デジモンゴーストゲーム』と『ONE PIECE』に関しては3月13日はもともと、スポーツ中継(名古屋ウィメンズマラソン2022東海テレビ制作)が編成されていたため休止となっていた[209]。3月20日以降は、過去に放送したエピソードを再放送した[214]。その後、4月6日に各作品の公式サイト等において4月16日・17日より順次放送再開することが発表された[215]

3月18日には映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』についても、製作が困難になったことから公開日を当初予定されていた4月22日から延期すると発表[216]。4月14日には新たな公開日が6月11日に決まったことが発表された[217][218]

4月28日付で社内システムおよび通常業務・作品製作の正常化を正式発表するとともに調査結果を公表、この中で従業員が業務上必要となるソフトウェアを外部ウェブサイトからダウンロードした際、同時にランサムウェア侵入の起点となるソフトウェアもダウンロードされるよう当該ウェブサイトが改ざんされており、これによって第三者による不正アクセスが行われ、社内サーバやパソコン端末の一部データがランサムウェアに感染、暗号化されたことを明らかにしている。その一方で個人情報をはじめとする情報流出は確認されておらず、取引先などへの被害についても報告されていないとも発表している。なお、今後の再発防止策として従業員に対するセキュリティ教育の向上ならびに不正アクセスへの対応体制強化を行うとしている[219]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 後の教育映画部次長、赤川次郎の父。
  2. ^ 一般人のアニメーションへの知識や関心が高まったのは、1978年に『アニメージュ』などのアニメ雑誌が創刊されて以降の話で、それまではアニメーターや演出家などのスタッフ名まで知っている人はほとんどいなかった(『大塚康生インタビュー』15頁)。
  3. ^ 社員でない契約者は労働者ではない、契約期間が過ぎたら、資本側が一方的に契約打ち切り(解雇)する自由があるという会社側の主張(佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第三十六回 佐渡でサド」『シナリオ』2015年6月号、日本シナリオ作家協会、66–61頁)。
  4. ^ 『ドラゴンボール』のフランスでのテレビ初放映はTF1で、1988年9月から104話(各30分)が放送され、裏番組のディズニーアニメの平均視聴率14%に対して最高視聴率は67%を記録した(『AVジャーナル』1989年4月号、7頁)。
  5. ^ 『美少女戦士セーラームーン』のフランスでの初放送は1993年末(『毎日新聞』夕刊1994年12月21日、3頁)。
  6. ^ 、岡田は「1980年代にサバンに『超電子バイオマン』や『超人機メタルダー』などの権利を売った」と後に話している(『AVジャーナル』1995年3月号、27頁)。また1996年に入ると、ルパート・マードックソフトバンク孫正義と組んでテレビ朝日を買収しようとして、日本の電波業界が大揺れした際(ソフトバンクが豪社と合弁で、テレビ朝日に資本参加、『日経ビジネス』1997年2月17日号、『財界』2011年6月7日号、61頁、『AVジャーナル』1996年9月号、7頁)、東映グループ全体で当時22%前後の株式を持つ岡田がマードックとの交渉にあたり(『財界』2011年6月7日号、61頁、『経済界』1996年8月27日号、45–47頁)、サバン・エンターテイメントフォックステレビ傘下に入っていたため、事務折衝の当事者として岡田と交渉を持ったのが岡田と付き合いの長いサバンであった(『AVジャーナル』1997年3月号、22–27頁)。「無理やり日本に進出しても支持されない」とマードックを説得し、マードックがテレビ朝日の当時の大株主・旺文社から買ったテレビ朝日の株を同額で朝日新聞に引き取らせる交渉を行ったのは岡田であった(『財界』2011年6月7日号、61頁)。
  7. ^ 岡田と20世紀フォックスの付き合いは『トラ・トラ・トラ!』の製作協力を始まりとしており(『映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』 242–248頁、報知新聞1969年2月26日、10頁、日刊スポーツ1969年2月26日、15頁)、1973年、フォックス作品の日本のテレビでの放映権独占契約を結び(『映画時報』1973年7、8月号、35–36頁)、同年10月に木曜洋画劇場で放映された『ミクロの決死圏』を皮切りに、以降、『スター・ウォーズ』『エイリアン』『ダイ・ハード』『ホーム・アローン』などが(『映画時報』1973年7、8月号、35–36頁)、東映を通じて日本のテレビ局に売り込まれた(『映画時報』1973年7、8月号、35–36頁、『経済界』1996年8月27日号、45–47頁、『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。1982年には東映が『スター・ウォーズ』を他作品30本と抱き込みで13億円で日本テレビに売り、映画テレビ関係者を驚かせた(『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。
  8. ^ 1999年よりTOEI ANIMATION PHILS., INC. 略称:TAP、Toei Phils.
  9. ^ 略称: PRO2NET、プロツーネット
  10. ^ 当時はイラストなどに音楽やナレーションなどを加えて、画の持つ魅力やメッセージ性を強調していく表現手法として、また少人数、低予算で製作でき、作者のカラーを出しやすくなることも特徴」と説明された。なお、同レーベルは数年後にほぼ終息した。
  11. ^ ただし、『北斗の拳』や『Dr.スランプ アラレちゃん』など社員でない外部の演出家がシリーズディレクターになった場合は、音響監督(オーディオディレクター)を設置することがある他、国際映画社制作の作品や『ドラゴンボール』シリーズ(『ドラゴンボール超』の第76話まで)など、自社の演出家がシリーズディレクターになった際にも稀に音響監督を設置することがある。なお、録音スタジオでもあるタバックが移設された後の作品では、基本的に音響監督を設置している。
  12. ^ かつて存在した五社協定の名残で、NHKの番組に東映本体が属する映画会社自体の直接関与が規制されているため。
  13. ^ かつて、社名が東映動画であった時代には一部作品において、東映本体名義でクレジットされる例が見られた。現在でも、東映本体が制作する番組と放送時間が被らない一部作品においては、製作協力として東映本体がクレジットされている。
  14. ^ 第1期:2009年 - 2011年、第2期:2014年 - 2015年
  15. ^ クレジット上は東映東京撮影所である。
  16. ^ テレビ朝日がシンエイ動画とも提携・資本関係を強化し、同社を完全子会社としたことやアニメ枠が減少したことも影響した。なお、シンエイ動画は元々、東京ムービーの協力企業であったAプロダクションが発祥で、テレビ朝日との関係が深まる以前は東京ムービーを通じてTBSテレビ(現在のTBSホールディングスに相当する旧法人が東京ムービーに設立に関与)・日本テレビや、在阪局の朝日放送(現:朝日放送テレビ)毎日放送読売テレビと親密な関係であった。
  17. ^ その間、テレビ朝日系では在阪準キー局朝日放送(現:朝日放送テレビ)との作品で全国同時ネット放送を維持していた(2022年現在、東映アニメーションは朝日放送グループホールディングスの株主となっている他、同社は東映本社と相互に資本関係がある)。上述の経緯から放送枠上では1970 - 1980年代初期と2000年代で在京局(NET→テレビ朝日)・在阪局(毎日放送→朝日放送)と制作会社(シンエイ動画 / 東映アニメーション)との取引関係が実質逆転状態となっていた。
  18. ^ フジテレビ系では2013年現在も全国同時ネットは途絶えているが、『ONE PIECE』は個別スポンサードネット・番組販売扱いを組み合わせる形で遅れネットも含め全国で放送している(系列局所在地でも大分県のみ、編成上の都合で同地域の系列外局に放映権を移譲)。
  19. ^ 東映動画が参加していたのはシーズン3(1989年)まで。
  20. ^ 宇田鋼之介(第1話 - 第278話)→志水淳児(第131話 - 第159話)→境宗久(第244話 - 第372話)→宮元宏彰(第352話 - 第679話)→深澤敏則(第663話 - 第891話)→長峯達也(第780話 - 第782話・第892話 - )、暮田公平(第892話 - 第1030話)、小牧文(第892話 - 第961話)、伊藤聡伺(第780話 - 第782話・第962話 - )、小山保徳(第1031話 - )
  21. ^ 第16話以降
  22. ^ 第100話 - 第131話
  23. ^ 第1話 - 第51話
  24. ^ 第52話 - 第97話
  25. ^ 第73話 - 第97話
  26. ^ ゴード編
  27. ^ ベリンダ編
  28. ^ 第1話 - 第48話
  29. ^ 第49話 - 第73話
  30. ^ 第1話 - 第46話
  31. ^ 第33話 - 第76話
  32. ^ 第68話 - 第76話
  33. ^ 第77話 - 第131話
  34. ^ 第77話 - 第131話
  35. ^ 深い提携関係のため、アニメ版ゲゲゲの鬼太郎(第1作)の実映像も提供を受ける形でも劇中に堂々と使われており、NHKオンデマンドによる配信版でも削除されていない。

出典

[編集]
  1. ^ コーポレート・ガバナンス - 東映アニメーション株式会社
  2. ^ 基本情報 2021年3月9日閲覧
  3. ^ プリキュアは“破壊と挑戦”の繰り返し FIREBUG 佐藤詳悟×アニメプロデューサー鷲尾天対談 2023年12月23日、Real Sound テック
  4. ^ 映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』が公開延期 東アニへの不正アクセスが影響、2022年3月18日、ITMediaビジネスONLINE
  5. ^ a b c d e f g h i j k 東映アニメーション株式会社『第86期(自 2023年4月1日 - 至 2024年3月31日)有価証券報告書』(レポート)2024年6月26日。 
  6. ^ 東映アニメーション株式会社 定款 第1章第1条
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s #木村、24–29、80–81、244頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 渡邉大輔「初期東映動画における教育映画の位置 -主に国際化路線との関わりから」『演劇研究 : 演劇博物館紀要』第37巻、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2014年3月、97–114頁、hdl:2065/41680ISSN 0913-039XNAID 120005467160 
  9. ^ a b c d 沿革”. 東映. 2018年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月3日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i 沿革|IR情報|東映アニメーション株式会社”. 東映アニメーション. 2014年10月19日閲覧。
  11. ^ a b #映画評論の時代、474–475頁
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #日本アニメ史、68–91頁
  13. ^ a b c d e f #アニメ大全集、4–5頁
  14. ^ a b 日本のアニメ100周年記念 「これからのアニメとこれまでのアニメ」 大塚康生インタビュー
  15. ^ #アニメ飛翔期、64–67頁 渡辺泰「東映動画の設立とアニメーション全盛時代」
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 一藤浩隆「東映動画の再興と今田智憲 : 1970年代中盤から80年代初頭の変革」『広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部文化教育開発関連領域』第68号、広島大学大学院教育学研究科、2019年、119–128頁、doi:10.15027/48480ISSN 1346-5554NAID 120006779874 
  17. ^ 43.第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」 第8節「雄飛 東映映画の海外展開 外国部」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  18. ^ ディズニーを目指した男 大川博忘れられた創業者「会社の履歴書 東映」『実業之日本』1962年12月1日号、実業之日本社、154頁。 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、41頁。ISBN 9784103332312 
  19. ^ a b c #大塚森、105頁
  20. ^ a b c d e f g #叶、257–258頁 「池田宏氏インタビュー 東映動画長編からアニメーション教育の創始まで」
  21. ^ a b c Autodesk :: AREA JAPAN | コラム | 第4回:池田 宏 氏
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「東映動画・泊懋社長インタビュー 『東映アニメ高潮気運を生かして』」『AVジャーナル』1995年1月号、文化通信社、22–29頁。 「東映動画創立40周年・泊懋社長インタビュー 『アニメに賭けた創業の初心に立ち返る』」『AVジャーナル』1996年7月号、文化通信社、24–29頁。 
  23. ^ a b c d e f g h i j k l 85.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第16節「東映テレビアニメの誕生 前編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  24. ^ a b 非アニヲタのための制作事情案内【1】テレビ局傘下に入るか、海外進出かアニメ制作会社の生き残り戦略分析
  25. ^ #大塚森、15頁
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #TVアニメーション大全、316–323頁 吉村次郎「東映、アニメの技術史」
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m 「アニメーションの総合商社として業容拡大の一途をたどる東映動画株式会社」『月刊レジャー産業資料』1988年12月号、綜合ユニコム、185–187頁。 
  28. ^ a b c d #映画評論の時代、473–474頁
  29. ^ a b c #図説全書、124–130、227–229頁
  30. ^ a b c 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第9回 アニメーション映画と湯浅政明監督
  31. ^ a b c d e f 氷川竜介叶精二 (2017年6月17日). “東映動画の傑作『どうぶつ宝島』を語りつくすトークイベント「このアニメはすごい!」レポート”. 練馬アニメーションサイト (練馬区商工観光課アニメ産業振興係). オリジナルの2017年7月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170702140339/http://animation-nerima.jp/topics/topic-news/4436/ 2018年3月24日閲覧。 氷川竜介原口正宏 (2017年). “第18回 東映動画初期劇場作品を作った人々 その1”. 練馬アニメーションサイト (練馬区商工観光課アニメ産業振興係). https://animation-nerima.jp/enjoy/kyojin/vol18/ 2019年4月25日閲覧。 
  32. ^ a b c d e 「特集 東映動画まつり 『いま光り輝く、東映動画』 文・山下彗」『東映キネマ旬報』2008年冬号 vol.8、東映ビデオ、2–5頁。 
  33. ^ a b 小原篤 (2009年11月16日). “「水攻めにしてやる」と森繁さんは言った”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2020年8月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200811095453/https://megalodon.jp/2019-0515-0823-06/https:/www.asahi.com:443/showbiz/column/animagedon/TKY200911140220.html 2019年5月16日閲覧。 
  34. ^ a b c 朝ドラ『なつぞら』が宮崎駿・高畑勲も闘った「東映動画・労使紛争」を矮小化! 労働組合の意義、会社との対立をなかったことに
  35. ^ 『なつぞら』東洋動画のモデルとなる人々は? 日本の「漫画映画」の礎築いた東映動画のレジェンド 数土直志 (2018年5月15日). “ジブリ高畑勲監督がアニメ業界に遺した宝物宮崎駿やガンダム監督にまで影響を与えた”. 東洋経済ONLINE. 2019年9月8日閲覧。生ける伝説のアニメーター・小田部羊一が明かす、高畑勲初監督作「ホルスの大冒険」誕生秘話【レポート】 服部東平 (1995年11月7日). “アニメ 基礎を築いた東映動画(映画100年邦画の軌跡:7)”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 11 “【社会】 「魂込めた作品 作り続けて」 京都アニメ創業者の兄 呼び掛け”. 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞東京本社). (2019年7月20日). オリジナルの2019年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190813071109/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019072002000275.html 2019年9月8日閲覧。 
  36. ^ a b c d 金田信一郎「岡田茂・東映相談役インタビュー」『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史』日経BP社、2006年、211–215頁。ISBN 4-8222-0158-9 NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した(Internet Archive)
  37. ^ a b c d 「東映株式会社岡田茂社長にきく『ヤングの嗜好をつかめば吉と出る映画産業』きき手・伊沢甲子麿」『中部財界』1978年10月号、中部財界社、20頁。 
  38. ^ a b c 岡田敬一 (2003年6月2日). “【競うライバル物語】(42)日本アニメの先駆者達(1)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン 
  39. ^ a b c d e f 小原篤 (2006年8月25日). “東映アニメ、夢追い50年 白蛇伝・銀河鉄道999...宮崎駿監督も輩出”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 文化芸能3頁 
  40. ^ a b c #映画評論の時代、475–477頁
  41. ^ a b c d 91.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第18節「東映子供向け作品の系譜 後編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  42. ^ a b c トレンド&テクノロジー / 3DCG の夜明け 〜日本のフルCG アニメの未来を探る〜第13回:月岡貞夫氏(アニメーション作家)
  43. ^ 平成アニメ史、生存術だった『製作委員会』の功罪 「このままでは中国と韓国にパワー負けする」
  44. ^ a b c d #図説全書、115–120頁
  45. ^ #図説全書、13–17頁
  46. ^ a b c d e f g h 井本省吾 (2002年6月17日). “マンガアニメ世界へ(11)キャラクターは金の卵(ドキュメント挑戦)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 3 
  47. ^ アニメは愛人 | アニメ!アニメ!
  48. ^ a b c d e f 新井栄三「長年の交渉の積み重ねで「請負契約」から労働基準法を完全適用し、契約社員の制度化を実現―東映動画労働組合」『ビジネス・レーバー・トレンド』2018年7月号、50-57頁。 
  49. ^ #図説全書、124–130、229–231頁
  50. ^ 「東映の良心が十万馬力で破壊された気分」(小原篤のアニマゲ丼)
  51. ^ a b c d 黒木鉄也のツイート 2015年6月21日
  52. ^ a b c #大塚森、92–95頁「東映動画の遺伝子とは?」
  53. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #映画評論の時代、482–485頁
  54. ^ a b c #木村、68–92頁
  55. ^ a b c d e f g h i 沼子哲也. “〈労働政策フォーラム> 開催報告:アニメーターの職場から考えるフリーランサーの働き方”. 第112回労働政策フォーラム 2020年12月15日). 労働政策研究・研修機構. 2023年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月14日閲覧。
  56. ^ a b c d e f g #映画評論の時代、485–488頁
  57. ^ a b c d #叶、282頁 「特別掲載資料(9) 【付録】 東映動画労働組合 主要役員の変遷(1961ー1967年)」
  58. ^ a b c d 田代正則 (2019年7月14日). “出産退職誓わされた時代...『なつぞら』舞台モデル・東映動画の労組を訪ねて”. しんぶん赤旗日曜版 (日本共産党中央委員会): p. 33 きょうの潮流 2019年7月24日 – 日本共産党きょうの潮流 2019年8月19日 – 日本共産党
  59. ^ a b “〈特集〉高畑勲とその時代 ~『かぐや姫』を迎え撃つために~”. 京都大学新聞 (京都大学新聞社). (2013–11–16). オリジナルの2024年3月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240322140548/https://www.kyoto-up.org/archives/1931 2024年3月23日閲覧。 
  60. ^ #叶、103頁
  61. ^ 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第三十六回 佐渡でサド」『シナリオ』2015年6月号、日本シナリオ作家協会、66–61頁。 
  62. ^ a b c d (7)村山新治と佐伯孚治 - 俎板橋だより
  63. ^ 高鳥都のツイート 2019年8月16日
  64. ^ a b c d e f #木村、8頁
  65. ^ 広瀬すず『なつぞら』東洋動画で働く人たちのモデルとなった人物録
  66. ^ 宮崎駿監督はどう生きたか 兄弟ゲンカに「日本刀」持ち出し、「クソコーナー」と自嘲した東映動画時代
  67. ^ a b c d e f g h i j k #木村、98–154頁
  68. ^ 池田静雄 (東映取締役・映像事業部長)他、各地区映像事業部長など11人、司会・北浦馨「50億から100億~各支社の大胆細心の経営戦略東映の特殊部隊」『映画時報』1983年8、9月号、映画時報社、8頁。 
  69. ^ a b c d e 河上英一「芸能ジャーナル『長編動画を続けよ』」『週刊読売』1965年2月28日号、読売新聞社、50頁。 
  70. ^ a b c d e f #戦後映画の産業空間、86–88頁
  71. ^ a b c d #戦後映画の産業空間、91–93頁
  72. ^ 東映長編研究 第14回 白川大作インタビュー(6) 『風のフジ丸』と「東映まんがまつり」の始まり WEBアニメスタイル
  73. ^ a b c d 86.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第16節「東映テレビアニメの誕生 中編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  74. ^ a b #戦後映画の産業空間、103–110頁
  75. ^ a b c d 岡田敬一 (2003年6月5日). “【競うライバル物語】(45)日本アニメの先駆者達(4)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン2頁  岡田敬一 (2003年6月6日). “【競うライバル物語】(46)日本アニメの先駆者達(5)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン 
  76. ^ a b 88.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第17節「少女向けテレビアニメの誕生 前編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  77. ^ a b c 87.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第16節「東映テレビアニメの誕生 後編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  78. ^ 『クロニクル東映:1947-1991』 II、東映、1992年、54頁。 岡田茂氏死去 東映名誉会長 東映アニメ取締役
  79. ^ a b c d e f g h i j k l #木村、156–236頁
  80. ^ 永野健二「岡田茂氏〔東映会長〕インタビュー 『メディアの激変、体験で読む大合併時代こそ指導力を』」『日経ビジネス』1997年2月17日号、日経BP社、70–73頁。 
  81. ^ a b c d e f #叶、267頁 「池田宏氏インタビュー 東映動画長編からアニメーション教育の創始まで」
  82. ^ a b c d e f g #アニメーション映画史、131–133頁
  83. ^ 昭和47年 - WEBアニメスタイル
  84. ^ a b WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり「五味洋子」その42 労働争議の中で - Style.fm
  85. ^ a b c d e f g h i 木村智哉「残された人びと : 「それ以降」の東映動画」『千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』第305巻、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年3月、154–165頁、ISSN 1881-7165CRID 1050570022162118912 
  86. ^ a b c d 「映画界東西南北談議 復調気配の74年をふりかえって 大きく揺れた映画界の人脈とその動き」『映画時報』1974年12月号、映画時報社、32頁。 「映画界東西南北談議 不安定な社会状況に楽観許されず 各社に漂う上昇ムードに全体が活気 新しい企画路線が軌道に乗った東映」『映画時報』1975年4月号、映画時報社、33頁。 
  87. ^ 「警戒警報の諸問題 安定ムードのなかの危機 邦画界の最新情報 岡田社長を先頭に年々業績が向上の"映画"の東映」『映画時報』1973年10月号、映画時報社、16頁。 「今年こそ映画復興の決定的年度 四社よく奮励努力すべし 独自のマーケットと独自の観客層で堅実に進む東映」『映画時報』1974年4月号、映画時報社、12頁。 “東映機構改革と大巾人事異動 本部制から事業部制への移行”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): pp. 4頁. (1972年6月17日) 
  88. ^ #クロニクル東映2、52–59頁
  89. ^ 竹入栄二郎「映画40年全記録」『キネマ旬報増刊』1986年2月13日号、キネマ旬報社、15頁。 「儲かるものなら何でもやる!! 岡田社長、東映の企業体系を語る」『映画時報』1972年10月号、映画時報社、19頁。 「匿名座談会 ヘンシンを余儀なくされる映画産業の構造 ゴルフ場経営まで 総合レジャー産業に発展 儲かるものなら何でもの岡田方式 映像中心にあらゆる職種に進出」『映画時報』1972年11月号、映画時報社、7–9頁。 「映画街」『シナリオ』1973年4月号、日本シナリオ作家協会、86頁。 「森川宗弘インタビュー ボウリング場始末記 ゲスト 東映(株)代表取締役社長岡田茂」『月刊レジャー産業資料』1974年10月号、エコセン、160–166頁。 「観客の目『トルコ風呂』も口に出す躍進する東映グループ」『週刊文春』1972年3月27日号、文藝春秋、24頁。 河合基吉「五島東急軍団、岡田東映が16年振りに復縁 実力社長同士の『信頼』から生まれた『兄弟仁義』の一部始終」『経済界』1980年3月21日号、経済界、18–21頁。 
  90. ^ a b c d #活動屋人生、12–36、74–81頁
  91. ^ 福富太郎『頭を下げれば金が来る』ごま書房、1991年、33–34頁。ISBN 4341014781 
  92. ^ 岡田茂(代表取締役社長)・福中脩(国際部長代理)・布施建(教育映画部企画部長)・矢沢昭夫(人事部次長)・今井均(宣伝部宣伝課長代理)・青木洋一(コンピューター部課長代理)「―今月のことば― "東映NN計画"(東映全国事業網拡大計画)/東映NN計画 "おはようございます"社長」『社内報とうえい』1973年2月号 No.172、東映株式会社、2–11頁。 
  93. ^ #東映の軌跡、288頁
  94. ^ 「東映『商事部』の新設決める スーパーマーケットの経営に進出」『映画時報』1974年8月号、映画時報社、12頁。 「〈LOOK映画〉『大工さん貸します』の東映商法」『週刊現代』1973年2月19日号、講談社、35頁。 「NEWS MAKERS 東映が清純派路線をうちだした背景」『週刊ポスト』1973年8月17日号、小学館、44頁。 
  95. ^ a b c d e f g h i #活動屋人生、24、28–31、156頁
  96. ^ 岡本明久「東映東京撮影所の血と骨 泣く 笑う 握る」『映画論叢』第36巻2014年7月号、国書刊行会、69頁。 
  97. ^ a b c d e f “〈あんぐる〉 人員整理、東映よお前もか”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): pp. 7. (1972年8月1日) “〈あんぐる〉 合理化と社長のガン発言”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1972年11月27日) 
  98. ^ a b 朝日新聞「ウイークエンド経済」編集部 編「時代の流れについていく感覚とは義理と人情東映会長岡田茂」『私の「経営」説法 ―ビジネス戦記 8人のトップが語る「マネジメントの要諦」』プレジデント社、1995年、47–48頁。ISBN 4833415917 
  99. ^ 「『スペシャル対談】加藤哲夫vs.山内鉄也+中田雅喜」『ぼくらが大好きだった 特撮ヒーローBESTマガジン vol.6』2005年12月9日号、講談社、12–14頁、ISBN 4-06-370006-2 
  100. ^ 立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、2003年、41頁。ISBN 4-89036-181-2 
  101. ^ a b c 品川隆二、円尾敏郎『品川隆二と近衛十四郎、近衛十四郎と品川隆二』ワイズ出版、2007年、74–76頁。ISBN 9784898302064 
  102. ^ a b 『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)
  103. ^ a b c d 「トップ戦後50年東映・岡田茂会長インタビュー『おもしろおかしく生きて勲二等瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、27–29頁。 
  104. ^ 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、147–152頁。ISBN 4879320161 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、215–229頁。ISBN 4163768106 斎藤あけみ「新 家の履歴書(357) 岡田茂」『週刊文春』2002年1月17日号、文藝春秋、75頁。 
  105. ^ a b #論叢18、30頁
  106. ^ あかんやつら――東映京都撮影所血風録 | 春日太一 | 評者 鈴木毅鈴木毅(進駸堂書店中久喜本店)泊 懋氏(元東映アニメーション会長)が語る映画の時代とテレビの時代 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、215–229頁。ISBN 4163768106 春日太一「特別企画 『現代の軍師』16人の素顔 知られざるエピソードでつづる伝説の男たち 翁長孝雄 『映画界のドン・岡田茂』を支え続けた現場力」『文藝春秋special「日本の軍師100人」』第26巻、文藝春秋、2013年・冬、104–107頁。 由原木七朗「由原木七朗の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決」『週刊明星』、集英社、1979年5月13日号、168–169頁。 
  107. ^ 岡田茂(東映常務取締役・映画事業本部長)・石渡錠太郎(東映取締役・東京撮影所長)・本郷武郎(東映・関東支社長)、聞く人・北浦馨「東映七〇年代の飛躍路線」『映画時報』1971年2月号、映画時報社、14頁。 
  108. ^ 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 製作畑の一筋に歩んできた東映高岩淡常務が労政を兼務」『キネマ旬報』1985年9月下旬号、キネマ旬報社、173頁。 
  109. ^ a b c d e f 「東映・岡田茂会長インタビュー『製作配給の赤字をどう止めるか』」『AVジャーナル』1994年1月号、文化通信社、23頁。 
  110. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad #木村、238–315頁
  111. ^ 黒木鉄也のツイート 2017年12月1日
  112. ^ 「クローズアップ・トーク 〈ゲスト〉佐伯俊道 『猫の好きなシナリオライターの書斎にて』 インタビュー・桂千穂」『シナリオ』1990年8月号、日本シナリオ作家協会、88頁。 
  113. ^ 「匿名座談会 ヘンシンを余儀なくされる映画産業の構造 ゴルフ場経営まで総合レジャー産業に発展 儲かるものなら何でもの岡田方式 映像中心にあらゆる職種に進出」『映画時報』1972年11月号、映画時報社、8頁。 
  114. ^ “東映会長岡田茂氏―アニメ成長に感激(回転イス)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 11. (1995年3月31日) 
  115. ^ #叶、76頁 「大塚康生インタビュー」
  116. ^ a b #論叢18、14頁
  117. ^ 「東映株式会社・高岩淡社長直撃インタビュー 『邦画復活には映画屋がまず燃えろ』」『月刊 財界人』1995年2月号、政経通信社、45–46頁。 
  118. ^ キネマ旬報』1973年10月秋の特別号、188頁。 
  119. ^ 岡田 茂 東映 相談役 - 株式会社プレスネット
  120. ^ “東映幹部級の人事異動 高橋勇氏東動の社長に”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1971年1月16日) 
  121. ^ a b c 岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、164-165頁。ISBN 4-04-883871-7 
  122. ^ a b 高岩淡(東映専務取締役撮影所担当)・岡田裕介(東映役員待遇東京撮影所長)・佐藤雅夫(東映役員待遇京都撮影所長)「対談 『時間差でつながる両撮影所の命題』」『AVジャーナル』1990年9月号、文化通信社、15頁。 
  123. ^ WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり「五味洋子」その40 変化のきざし - Style.fm
  124. ^ a b c d e f #山口、132–134頁
  125. ^ 岡田 茂 東映 相談役
  126. ^ a b c 「VM情報 春闘だ、人事異動だ、合理化だぁ―。 ことしも落ち着かない季節がやって来た 映画界・レコード界/ビジネスガイド 東映ビデオ、新社長に今田智憲氏が就任」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年4月号、東京映音、26–27、60頁。 
  127. ^ IR News サマリー/東映アニメーション株式会社
  128. ^ 昭和49年 - WEBアニメスタイル
  129. ^ a b c d e f g h i りん・たいこ「〔特集〕赤字体質が生むアニメーターの"空洞化" 西東京アニメ地帯」『エコノミスト』第36巻、毎日新聞出版、2003年3月18日号、86-90頁。 
  130. ^ a b c d e f 本間英士 (2016年7月14日). “東映アニメーション60周年楽しさとビジネス両立”. 産業経済新聞大阪 (産経新聞大阪本社): p. 朝刊文化 
  131. ^ a b 「映画界東西南北談議 全てに大型時代を迎えた映画界 不況風を吹飛ばす邦洋夏の大攻勢」『映画時報』1975年7月号、映画時報社、33–34頁。 「映画界東西南北談議 今年こそは希望のもてる年に順調なスタートをきった新年度」『映画時報』1976年1月号、映画時報社、36頁。 福中脩東映国際部長「年間二百万ドルを目標の海外輸出 『恐竜・怪鳥の伝説』は五〇万ドルの事前セールス」『映画時報』1977年2月号、映画時報社、12–13頁。 
  132. ^ a b #活動屋人生、66–72頁
  133. ^ 今村三四夫他「団体報告」『映画年鑑 1977年版(映画産業団体連合会協賛)』1976年12月1日発行、時事映画通信社、64–65頁。 「映画界の動き ソ連『タシケント映画祭』報告」『キネマ旬報』1976年7月上旬号、キネマ旬報社、200頁。 “第二十二回アジア映画祭了る今後の運営に宿題多々あり”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1976年6月26日) 「ビジネスガイド モスクワ五輪を約束 岡田東映社長帰国談」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年6月号、東京映音、43頁。 
  134. ^ “洋画に本腰東映路線 ソ連の大作戦争映画やブルース・リー主演もの”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7. (1974年10月8日) “日本映画打開に合作機運 海外へ市場拡大 東映・香港の大手と近く第一作 東宝・国際合作委設けて具体化”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7. (1975年10月28日) “香港のショー・ブラザーズ 東映提携の真意 ショー氏に聞く 『力貸し合い欧米進出 日本、東南アは互いの"販売網に"』”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7. (1975年11月5日) “香港映画と業務提携 東映”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年10月28日) 「映画界の動き 短信」『キネマ旬報』1974年9月下旬号、キネマ旬報社、166頁。 “東映―ショウ・ブラザーズ正式提携 第一弾『南朝金粉』に三井ら出演”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 6. (1975年10月28日) 「巻返しを計る各社の表情を探る洋高邦低の声に必死の努力を続ける」『映画時報』1976年4月号、映画時報社、12頁。 “問題のリーの最後作品を東映洋画部が輸入を声明”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1974年9月14日) 「東映『ドラゴンへの道』配給を正式決定」『映画時報』1974年9月号、映画時報社、19頁。 井沢淳・高橋英一・鳥畑圭作・土橋寿男・嶋地孝麿「映画・トピック・ジャーナル 『ドラゴンへの道』をめぐって」『キネマ旬報』1974年10月上旬号、キネマ旬報社、163頁。 “東映・ショウBの業務協定製作配給、買付け相互交流”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1975年11月1日) 岡田茂(東映代表取締役社長)、聞く人・北浦馨「岡田茂東映社長大いに語る 『日本映画の海外上陸作戦 全世界がわれわれの市場・新しい活動屋の出現に期待』」『映画時報』1979年11月号、映画時報社、4–12頁。 
  135. ^ “なになにッ! ドラゴンの遺作が大ヒット 便乗の東映に月おくれ正月”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年1月31日) 
  136. ^ a b #キャラクタービジネス、280頁
  137. ^ a b #日本ヒーロー、261頁
  138. ^ a b c d e f 井本省吾 (2002年6月25日). “マンガアニメ世界へ(17)ジャパニメーション開花(ドキュメント挑戦)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 5 
  139. ^ 海部正樹「アメリカにおける日本のコンテンツ市場」『一橋ビジネスレビュー』2010年夏号、東洋経済新報社、7–8頁、ISBN 9784492820469 
  140. ^ a b c “純日本的作品はいかが?- -海外進出のテレビアニメ”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 2. (1995年1月11日) 
  141. ^ “邦画サバイバル(5) 東映、撮影所売却で波紋―打開策欠き苦戦(映画ビッグバン)終”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 3. (1999年2月23日) 
  142. ^ “テレビ朝日:『スーパー戦隊シリーズ』30周年、高視聴率維持マジレンジャー”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 11. (2005年5月23日) “仮面ライダー、米でデビュー年内TV放映前にバンダイがグッズ販売”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 3. (1995年6月16日) 
  143. ^ 「トップインタビュー/山科誠バンダイ社長 『映画ビジネスは自主製作をメインに』」『AVジャーナル』1997年7月号、文化通信社、46–51頁。 
  144. ^ a b “独民放最大手買収の米投資家サバン氏―『パワーレンジャー』生みの親。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 21. (2003年9月4日) 
  145. ^ a b c 豊永真美「パワーレンジャーをヒットさせた男 ハイム・サバンと日本のコンテンツ」『一橋ビジネスレビュー』2010年夏号、東洋経済新報社、36–51頁、ISBN 9784492820469 
  146. ^ a b c d e f 「東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『映像ソフト、当らにゃ一文にもならん』」『AVジャーナル』1995年3月号、文化通信社、26–27頁。 「東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『R・マードック乗り込みで俄然』」『AVジャーナル』1997年3月号、文化通信社、22–27頁。 
  147. ^ a b c 川崎満 (1993年7月14日). “東映・FOX、日米映像のプロ握手、パトロン不要(ビジネスTODAY)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 1 
  148. ^ a b c 「東映=FOX、長期TV配給権締結テレビ放映用映画の共同製作も」『映画時報』1993年7、8月号、映画時報社、35–36頁。 
  149. ^ a b 阿部崇「マードックに狙われる東映・岡田茂会長の次の一手」『経済界』1996年8月27日号、経済界、45–47頁。 
  150. ^ a b 「NEW FLASH 放送 『東映がFOXと放映権の独占契約を締結』」『AVジャーナル』1993年7月号、文化通信社、17頁。 
  151. ^ 村田博文「東映・岡田茂さんを偲ぶ」『財界』2011年6月7日号、財界研究所、61頁。 
  152. ^ a b 坂村道生 (1996年11月15日). “東映会長岡田茂氏―実力者の申し出袖に(談話室)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 3 
  153. ^ a b #増田、20–134頁(『アニメビジネスがわかる』解説53
  154. ^ a b c d e #木村、318–344頁
  155. ^ a b c “第一部仮想が現実になる日(6) (モダンタイムス2001電脳社会なんて怖くない)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 1. (1997年4月13日) 
  156. ^ a b c “映画会社、ノウハウ生かしイベント開拓―企画や建設、運営も。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 4. (1988年8月12日) 
  157. ^ 新日本製鐵株式會社・滝本憲二/東映動画・村山賢郎「対談 『鉄屋の新日鐵と映画屋の東映動画が手を結ぶ時代―スペースワールドをめぐって』」『月刊レジャー産業資料』1988年12月号、綜合ユニコム、188–192頁。 
  158. ^ 版権事業|IR情報|東映アニメーション株式会社
  159. ^ “東映、米誌のキャラクター権獲得―大手出版社と契約、同時に自社品輸出図る。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1977年5月19日) 「映画界の動き東映、米マーベル・プロと業務提携結ぶ」『キネマ旬報』1980年8月下旬号、キネマ旬報社、164頁。 
  160. ^ a b c d #活動屋人生、126–130頁
  161. ^ a b c d e f g 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 日本と中国の相互関係について」『キネマ旬報』1979年10月上旬号、キネマ旬報社、203頁。 
  162. ^ 「映画界の動き 映連、全国映画統計を発表」『キネマ旬報』1979年3月上旬号、キネマ旬報社、186頁。 
  163. ^ 「映画界の動き 映連2月定例理事会開催」『キネマ旬報』1979年4月上旬号、キネマ旬報社、208頁。 「映画界の動き 映連、4月定例理事会開催」『キネマ旬報』1979年6月上旬号、キネマ旬報社、174頁。 
  164. ^ 今村三四夫編「記録編 団体報告 国際関係 日本映画見本市」『映画年鑑 1981年版(映画産業団体連合会協賛)』1980年12月1日発行、時事映画通信社、60–61頁。 
  165. ^ 一藤浩隆『今田智憲と東映動画第2の創業~1970年代中盤から80年代初頭にかけての営業戦略を中心に~』 日本アニメーション学会 2018年度 第20回大会 2018年6月16日
  166. ^ 89.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第17節「少女向けテレビアニメの誕生 後編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映
  167. ^ a b c 小原篤 (2010年3月8日). “(ニッポン人脈記)いつもアニメが:1 月にかわって、勇気くれた”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2019年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190509155018/http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY201003180252.html 2019年5月17日閲覧。 
  168. ^ 「東映アニメ製作ネットワークシステム」の運用開始について”. 東映アニメーション、東日本電信電話、セルシス (2000年5月9日). 2014年10月19日閲覧。
  169. ^ “静止画が動く“画ニメ”に、天野喜孝氏などが参加――アートなゲキメーション?”. ASCII.jp. (2006年5月30日). https://ascii.jp/elem/000/000/353/353605/ 2013年10月12日閲覧。 
  170. ^ 大泉スタジオ仮移転のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年6月2日). 2014年6月9日閲覧。
  171. ^ スタジオ移転のお知らせ、東映アニメーション株式会社、2018年1月1日
  172. ^ 「東映アニメーションギャラリー」 スタジオ仮移転に伴う長期休館のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年7月17日). 2014年9月15日閲覧。
  173. ^ 東映アニメーションミュージアム
  174. ^ a b 山田知広. “〈特集〉 俺たちのDark Hero 『心やさしきダークヒーロー タイガーマスク』”. 昭和40年男 (クレタパブリッシング) (2017年4月号): 62–63頁. 
  175. ^ ジャンプコミックス『ボボボーボ・ボーボボ』12巻より
  176. ^ 「円環のパンデミカ」 東映アニメがゲームに乗り出した理由を訊く
  177. ^ 日本最大のアニメスタジオ東映アニメーションがゲーム事業に注力する理由。「強みであるIPを活かした展開を考えている」,ファミ通.com,2023年6月7日
  178. ^ 東映アニメがインディーゲームに参入、鬼太郎原作の本格ホラー,アニメーションビジネス・ジャーナル,2024年9月12日
  179. ^ エアマスター : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月1日閲覧。
  180. ^ エア・ギア : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月6日閲覧。
  181. ^ スタッフ・キャスト”. ドラゴンクエスト ダイの大冒険. 2020年5月27日閲覧。
  182. ^ いきものさん”. 東映アニメーション (2023年3月23日). 2023年3月24日閲覧。
  183. ^ “プリキュア大人向け施策に挑戦、「Yes!プリキュア5」「魔法つかいプリキュア!」新作を発表”. コミックナタリー (ナターシャ). (2023年3月14日). https://natalie.mu/comic/news/516490 2023年3月14日閲覧。 
  184. ^ 大人へ向けた「プリキュア」シリーズの制作決定!”. プリキュアシリーズ公式ポータル. 東映アニメーション (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
  185. ^ キャスト・スタッフ - キボウノチカラ~オトナプリキュア‘23~公式サイト、2023年8月31日閲覧。
  186. ^ 大人へ向けた、新たなるプリキュア「キボウノチカラ~オトナプリキュア‘23~」ロゴ&ティザービジュアル解禁!、東映アニメーション株式会社、2023年3月21日
  187. ^ 「プリキュア」新作タイトルは「わんだふるぷりきゅあ!」、キャッチフレーズも発表”. コミックナタリー. ナターシャ (2023年11月30日). 2023年11月30日閲覧。
  188. ^ ドラゴンボール:アニメ完全新作「ドラゴンボールDAIMA」制作 6年ぶりアニメシリーズ、2023年10月13日、まんたんウェブ
  189. ^ 『魔法つかいプリキュア!』新ダイヤスタイル「ピンクダイヤスタイル」設定画公開 OPは北川理恵,ORICON NEWS,2024年8月29日
  190. ^ 東映アニメーションの新規IP研究開発チーム「PEROs」、「佐世保×サイバーパンク」の壮麗な実験映像『URVAN』(ウルヴァン)を製作 本日より、地元のテレビ佐世保とYouTubeで公開!!、東映アニメーション、2021年2月12日
  191. ^ ハスラー・CMウラ話(9月13日時点)
  192. ^ 中国における新会社設立に関するお知らせ、東映アニメーション株式会社、2020年11月6日
  193. ^ FLARE CREATORS:東映、東映アニメーションが合弁会社設立 世界市場向け作品創出を目指す、まんたんウェブ、2023年7月4日
  194. ^ 東映アニメーション:ダンデライオンと資本業務提携 デジタルコンテンツの制作、発信力を強化、毎日新聞、2018年8月22日
  195. ^ 東映アニメーション株式会社、 株式会社アナライズログと資本業務提携のお知らせ、東映アニメーション株式会社、2019年12月20日
  196. ^ 人事 ニッポン放送役員”. 産経新聞 (2021年6月23日). 2024年4月7日閲覧。
  197. ^ 会社概要、企業情報、東映アニメーション株式会社
  198. ^ tanakarionの2024年2月4日のツイート2024年2月5日閲覧。
  199. ^ 東映アニメーションに再発防止勧告 公取委”. 日本経済新聞 (2014年12月17日). 2021年1月26日閲覧。
  200. ^ a b c d e f kumonoami (1601893354). “名作たちが泣いている!東映アニメーション(髙木勝裕代表取締役)はハラスメントをやめろ!”. プレカリアートユニオンブログ. 2021年1月26日閲覧。
  201. ^ a b c d e f g h i j k l 松岡宗嗣「東映アニメ、性的マイノリティの通称使用は「偽名」交渉拒否「子ども向けの作品作ってきた会社がまさか」」『Yahoo!ニュース』2021年1月20日。2021年1月29日閲覧。
  202. ^ 東映アニメ、LGBT当事者の通称使用に「偽名ではないか」 団体交渉めぐり救済申立て」『弁護士ドットコム』2021年1月14日。2021年1月29日閲覧。
  203. ^ a b 性的少数者差別と救済申し立て 東映アニメ、交渉で戸籍名要求」『上毛新聞』2021年1月21日。2021年1月29日閲覧。
  204. ^ 当社ネットワークへの不正アクセスによるシステム障害発生に関するお知らせ、東映アニメーション株式会社、2022年3月7日
  205. ^ 東映アニメが不正アクセス被害に 詳細は調査中、ITmedia NEWS、2022年3月8日
  206. ^ 東映アニメ、社内システムに不正アクセス、日本経済新聞、2022年3月8日
  207. ^ 当社ネットワークへの不正アクセスによるシステム障害発生に伴う、テレビアニメ作品への影響についてのお知らせ、東映アニメーション、2022年3月11日
  208. ^ 東映アニメに不正アクセス ワンピースなど放映に影響、産経新聞、2022年3月11日
  209. ^ a b 東映アニメ不正アクセス 「ダイの大冒険」など放映影響、日本経済新聞、2022年3月11日
  210. ^ 東映アニメ、不正アクセスで「ワンピース」などの放送に影響 「ダイの大冒険」は放送延期に」『ITmedia』2022年3月11日。オリジナルの2022年3月12日時点におけるアーカイブ。2022年3月13日閲覧。
  211. ^ 13日の「プリキュア」は過去作品再編集で放送…東映アニメーションで不正アクセスによるシステム障害」『スポーツ報知』2022年3月11日。2022年3月13日閲覧。
  212. ^ 「デリシャスパーティ♡プリキュア」第6話以降の放送延期について”. 朝日放送テレビ (2022年3月13日). 2022年3月13日閲覧。
  213. ^ 「プリキュア」新作放送を約1カ月延期 東映アニメーションへの不正アクセスで、ITmedia NEWS、2022年3月14日
  214. ^ 松浦立樹「「ワンピース」と「デジモン」も新作が延期に、当面は再放送 再開時期は未定 東映アニメへの不正アクセスで」『IT madia』2022年3月15日。2022年3月15日閲覧。
  215. ^ 東映アニメーション制作のアニメ4作、4月16日より順次最新話を放送、コミックナタリー、2022年4月6日
  216. ^ 映画「ドラゴンボール超」公開延期、東映アメーションの不正アクセス受け製作が困難に、コミックナタリー、2022年3月18日
  217. ^ 映画「ドラゴンボール超スーパーヒーロー」公開延期 東映アニメーション 不正アクセスの影響」『スポーツニッポン』2022年3月18日。2022年3月18日閲覧。
  218. ^ ドラゴンボール超 スーパーヒーロー:6月11日公開へ、まんたんウェブ、2022年4月14日
  219. ^ 当社ネットワークへの不正アクセスに関する調査結果のお知らせ、東映アニメーション株式会社、2022年4月28日

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]