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「24時間テレビ 愛は地球を救う1」の版間の差分

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2023年5月31日 (水) 10:55時点における版

24時間テレビ 「愛は地球を救う」 > 24時間テレビ 愛は地球を救う1
日本テレビ開局25年記念番組
テレビ25年スーパースペシャル
24時間テレビ 「愛は地球を救う」
ジャンル チャリティー番組/ドキュメンタリー番組/長時間特別番組
司会者 (メインパーソナリティー)萩本欽一大竹しのぶ
(番組キャスター)大橋巨泉竹下景子
(大阪地区担当)横山やすし西川きよし
出演者 (番組シンボルキャラクター)ピンク・レディー
声の出演 水島裕(『100万年地球の旅 バンダーブック』)
小山まみ(〃)
大平透(〃)
ほか
オープニングLOVE SAVES THE EARTH』(作曲:大野雄二
2001年愛の詩』(ピンク・レディー)
エンディング 『LOVE SAVES THE EARTH』
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
製作総指揮 井原高忠
後藤達彦
プロデューサー 勝田建(CP)
都築忠彦
制作 日本テレビ
放送
放送チャンネル日本テレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1978年8月26日 - 8月27日
放送時間土曜日 20:00 - 日曜日 20:00
放送枠24時間テレビ 「愛は地球を救う」
放送分24時間(1440)分
回数1回
公式サイト
番組年表
次作24時間テレビ 愛は地球を救う21979年
関連番組11PM
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24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(24じかんテレビ「あいはちきゅうをすくう」)の第1回放送は、日本テレビにて1978年8月26日 20:00 - 8月27日 20:00(JST)に生放送された。

概要

日本テレビ放送網の開局25年記念事業の目玉として、「テレビの持つメディアとしての特性を最大限に生かし、高齢者や障碍者、また途上国の福祉の実情を視聴者に紹介するとともに、広く浄財(募金)を募集し、思いやりのあふれた世の中をつくるために活用する」[1]ことを目指して、当時の日本テレビのプロデューサー・都築忠彦が、アメリカ合衆国で行われた、ジェリー・ルイス主催のレイバー・デイ・テレソン[2]を翻案して企画されたといわれている。また、都筑が手掛けていた『11PM』においても1975年から年3回程度の割合で世界の福祉事情を取材した特集が放送されていたが、それのスピンオフ(延長線上)として開催することも企画されたといわれる[3]。なお、タイトルの通りの24時間丁度での放送は2022年現在、この第1回のみであり、第2回以後は24時間を超えた時間枠で放送されている。

サブタイトルは「日本テレビ開局25周年記念特別番組・テレビ誕生25年スーパースペシャル」、テーマは「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」[4]

オープニングは当時の芝公園・郵便貯金ホール(後のメルパルク東京)からの中継で、テーマソングとしてピンク・レディーが歌う『2001年愛の詩』(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)が用意された。また中継がつながらない場合のバックアップも兼ね、当時の日本テレビ本社Gスタジオにセットが組まれ、そちらからも随時募金の案内がなされた。

当初は日テレ開局25周年記念事業としてこの1回だけで終わらせる予定[3]であったが、全国の日テレ系列を中心とした29局の累計募金額は1,190,118,399円[4][5]を数え、日本テレビ麹町本社Gスタジオ(当時の登記上の本社があったところ。現在の番町スタジオ)に設けられた募金受付用の電話には189万本の電話がかかり、そのうちつながったのは約3.7%にも満たない7万本程度だったといわれるほどの盛況を見せた[3]。中には番組中に受付電話番号が発表されたにもかかわらず局番の間違いが相次ぎ、「間違い電話は迷惑になります」と注意喚起したものの、27日18時から18時20分に生放送された『NNN日曜夕刊』で大橋巨泉から20件ほどの間違い電話があり「善意の間違い電話だった」ことを謝罪したほどであった。この累計募金額の最高記録は2011年の24時間テレビで1,986,414,252円の累計募金額を達成するまで、33年に渡り更新されることはなかった。

番組を終えるにあたっての閉会セレモニー(代々木公園)において、会場内のインタビューアーを務めた徳光和夫(当時日テレアナウンサー)が、会場にいたある高校生にインタビューを向けたところ「欽ちゃんさ、あの聖火みたいに、今日1日で消さないでずっと続けてよ。これ消えちゃたらつまらないじゃない?タモリも頑張ってよ。どんどん笑いで訴えて」と提言。これに萩本欽一とタモリは冷静に対応し、今後も継続を要望する市民の圧倒的な声が殺到した。そして、日本テレビ代表取締役社長・小林與三次が急遽ステージに登壇し萩本から「また来年もやってくれと言ってますよ」との問いに「ご支持いただくのであれば何度でもやります。そういう必要がある限り」[6]と高らかに宣言し、事実上24時間テレビを継続開催することが決定したのである。

主な出演者

チャリティー・パーソナリティー
番組キャスター

両名とも唯一の担当。なお巨泉は当時『クイズダービー』(TBS系列。土曜19:30 - 20:00)の司会を務め、竹下は同番組の4枠レギュラー解答者を務めていたが、当番組は土曜20:00から始まったため、出演番組が重複する事はなかった。

大阪地区担当(讀賣テレビ放送スタジオ)
番組シンボルキャラクター
その他

ネット局

凡例(以下当時)
無印-NNSNNN単独加盟
☆-正式な他系列とのクロスネット(テレビ宮崎のみNNSは非加盟)
★-クロスネットではないが日テレ系の番組販売ネットの取引がある他系列の放送局

関連番組

脚注

  1. ^ 24時間テレビとは(大阪府・読売テレビ放送)
  2. ^ 私たちが「24時間テレビ」に魅了される理由と“批判するだけ番長”の不思議(大人ンサー コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員 尾藤克之)
  3. ^ a b c 『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手1(NEWSポストセブン)
  4. ^ a b 24時間テレビの歴史・第1回
  5. ^ キャンペーン特番の終了後も9月14日まで銀行・郵便振替口座、現金書留などの募金受付が継続され、最終的な募金額の詳細な発表は1978年11月2日に『木曜スペシャル・みなさんありがとう!こんなに集まりました。きっと誰かが幸せになれます。-24時間テレビありがとう番組-』というテーマで放送された後日談の特番で発表された(『福島民報』1978年11月2日付朝刊、8面、テレビ欄。同9面、みもの欄より)
  6. ^ 『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手2(NEWSポストセブン)
  7. ^ 前半部:土曜夜~日曜早朝担当
  8. ^ 後半部:日曜早朝~夜担当

外部リンク

日本テレビ系列 24時間テレビ
前番組 番組名 次番組
-
24時間テレビ 愛は地球を救う1
(1978年)