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'''ディープスカイ'''([[2005年]][[4月24日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]である
'''ディープスカイ'''(欧字名:{{Lang|en|Deep Sky}}、[[2005年]][[4月24日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]<ref name="JBIS">{{Cite web|和書|title=ディープスカイ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000891931/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-06}}</ref>


2008年の[[JRA賞最優秀3歳牡馬]]である。2004年[[キングカメハメハ]]以来史上2例目となる[[NHKマイルカップ]](JpnI)、[[東京優駿]](日本ダービー)(JpnI)を連勝。いわゆる「変則二冠」を成し遂げた。東京優駿では、1968年[[タニノハローモア]]以来40年ぶり史上3例目となる1枠1番からの優勝を、1950年[[クモノハナ]]以来58年ぶりとなるデビュー5連敗以上からの戴冠を成し遂げた。
主な勝ち鞍は2008年の[[NHKマイルカップ]]、[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]、[[神戸新聞杯]]、[[毎日杯]]。同年の[[JRA賞最優秀3歳牡馬]]。[[主戦騎手]]は[[四位洋文]]。[[競走馬#競走馬名|馬名]]は馬主が使用する[[冠名]]「ディープ」 ({{lang|en|Deep}}) と、[[空]]を意味する「スカイ」 ({{lang|en|Sky}}) の合成で、「澄み切った大空」という意味。


2015年[[全日本2歳優駿]](JpnI)優勝の[[サウンドスカイ]]、2016年[[ジャパンダートダービー]](JpnI)優勝の[[キョウエイギア]]、2018年[[京都記念]](GII)優勝の[[クリンチャー]]などの父として知られる。
== 経歴 ==
=== デビュー前 ===
2005年4月24日、[[北海道]][[浦河町]]の笠松牧場に生まれる。父は2001年の[[皐月賞]]優勝馬[[アグネスタキオン]]。母アビは2003年に輸入された[[イギリス]]産馬であり、本馬は日本における初仔であった。出生直後はそれほど目立つ馬ではなかったが、成長に従って堂々とした気性と頭の良さを買われ、牧場関係者の期待を受けた<ref name="deep">『優駿』2008年7月号 p.18</ref>。同年夏、馬主の[[深見敏男]]が購買。翌2006年5月に育成調教を始められると際立った動きを見せ始め、またこのころには馬体も非常に優秀なものとなっていた<ref>『優駿』2008年7月号 pp.18-19</ref>。


== 概要 ==
競走年齢の2歳を迎えた2007年、競走名「ディープスカイ」と名付けられ、[[滋賀県]]の[[栗東トレーニングセンター]]に入厩。当初の管理[[調教師]]は[[山内研二]]であったが、事情により9月に[[昆貢]]のもとへ転厩した<ref name="deep2">『優駿』2008年7月号 p.21</ref>。
2005年に日本で生まれた父[[アグネスタキオン]]の牡馬である。母は、母系辿れば[[ミスカーミー]]などが出くわすイギリス生産のアビ(父:[[チーフズクラウン]])である。[[第1回東京優駿大競走]]が行われた「日本ダービー記念日」である4月24日に生誕した。[[北海道]][[日高地方]][[浦河町]]にある、開業20年重賞未勝利の笠松牧場が生産し、[[静内町]]のヤマダステーブルが育成を施した。[[愛知県]][[豊田市]]の株式会社建重製作所の社長・深見敏男が、馬主歴5年目の3頭目として所有。騎手生活10年超と厩舎開業9年が経過しても、[[中央競馬]]の重賞並びにGI級競走に縁がなかった[[栗東トレーニングセンター]]所属の[[昆貢]][[調教師]]が管理した。主に[[四位洋文]]騎手に導かれ、タイトル獲得に至った。


2歳10月にデビューしてから5連敗し、3歳1月下旬の6戦目で初勝利を挙げた。それから条件戦2着、[[アーリントンカップ]](JpnIII)3着を挟み、[[毎日杯]](JpnIII)にて重賞初勝利を挙げる。前年の[[クラシック (競馬)|クラシック]]での[[ローレルゲレイロ]]の失敗を省みた昆の決断で、クラシック第1戦の[[皐月賞]]は回避し、[[NHKマイルカップ]](JpnI)に臨み、[[ブラックシェル]]、[[ダノンゴーゴー]]などを従えてGI級競走初優勝。牧場、オーナー、調教師にGI級競走のタイトルをもたらした。
=== 戦績 ===
==== 2歳・3歳(2007年・2008年) ====
[[2007年]]10月に[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]で[[松田大作]]を鞍上にデビュー。[[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]]2番[[人気]]の支持を受けたが4着に終わる。なお、1着は2010年の[[マイルチャンピオンシップ]]を制した[[エーシンフォワード]]である。以後も[[武豊]]→[[野元昭嘉]]→[[藤田伸二]]と騎手を替えながら連戦したが、2歳時は4戦うち2着3回と勝ち切れなかった。翌[[2008年]]の初戦は9着と大敗。しかし2週後の3歳未勝利戦において、通算6戦目での初勝利を挙げた。


それから[[東京優駿]](日本ダービー)(JpnI)に臨み、40年間優勝馬がいなかった1枠1番からスタート。[[スマイルジャック]]、ブラックシェルなどを従えてGI級競走連勝でダービー戴冠。2004年[[キングカメハメハ]]以来史上2例目となるNHKマイルカップからの連勝、いわゆる「[[二冠馬|変則二冠]]」を成し遂げた。また牧場、オーナー、調教師、さらには有力視されながら目前で引退し挑戦が叶わなかった父、アグネスタキオンにダービーのタイトルを、前年のダービーを[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]で制していた四位には、[[武豊]]以来史上2例目となるダービー連覇をもたらした。
続く[[日本の競馬の競走体系#競走条件区分|条件戦]]では[[津村明秀]]を鞍上に2着、重賞初出走の[[アーリントンカップ]]では[[幸英明]]を鞍上に3着と、後方から追い込んでは先頭に届かないレースを続ける。しかし、3月29日に出走した[[毎日杯]]で四位洋文が初騎乗すると、ここでは[[脚質#追い込み|追い込み]]が決まり、1番人気[[アドマイヤコマンド]]に2馬身半差で快勝。重賞初勝利を挙げた。本馬にはこの時点まで四位を含め7人の騎手が騎乗していたが、本競走以降は四位が主戦騎手として定着した。


3歳秋は[[神戸新聞杯]](JpnII)優勝を経て、[[天皇賞(秋)]](GI)で年長馬に挑み、ウオッカと[[ダイワスカーレット]]に迫り、[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]などを出し抜く3着。ジャパンカップ(GI)では[[スクリーンヒーロー]]に迫り、ウオッカ、[[マツリダゴッホ]]、[[オウケンブルースリ]]、[[メイショウサムソン]]などを出し抜く2着となった。さらに年をまたいで4歳夏の[[安田記念]](GI)ではウオッカに迫る2着、[[宝塚記念]](GI)では[[ドリームジャーニー]]、[[サクラメガワンダー]]に次ぐ3着となる。東京優駿以後、GI級競走優勝には至らなかったが、好走は続けた。宝塚記念後まもなく左前脚浅[[屈腱炎]]が祟って競走馬を引退。翌2010年から11年間、[[種牡馬]]として供用され、[[サウンドスカイ]]や[[キョウエイギア]]というGI級競走優勝産駒、[[クリンチャー]]や[[モルトベーネ (競走馬)|モルトベーネ]]という国際グレードで格付けされた[[重賞]]の優勝産駒を儲けた。
===== 変則二冠 =====
4月には[[中央競馬クラシック三冠|3歳クラシック]]初戦の皐月賞を控えたが、昆は同競走の回避を選択し、条件戦出走時から目標に据えていた<ref name="deep4">『優駿』2008年7月号 p.33</ref>5月の[[NHKマイルカップ]]へ向かった。当日は1番人気に支持されると、道中では後方2、3番手の位置から、最後の直線で馬場の内側を抜け出して優勝。[[競馬の競走格付け|GI級 (JpnI) 競走]]初勝利を飾った。この勝利は厩舎、[[馬主]]、生産者にとっても初めてのGI級競走勝利となった。レース後、四位は「是非、この馬でダービーに出たい」と昨年の[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]に続く東京優駿連覇に意欲を示した。関係者間の協議の結果、[[ローテーション (競馬)|中2週]]での[[東京優駿]]への出走が決定した。


== 誕生までの経緯 ==
当日は皐月賞優勝馬[[キャプテントゥーレ]]の不在もあり、1番人気に支持される。レースでは後方内側で待機策を採ると、最後の直線では大外から13頭を次々に交わし、残り100メートル付近で先頭の[[スマイルジャック]]を捉えて優勝。2004年の[[キングカメハメハ]]以来史上2頭目となる、NHKマイルカップ・東京優駿制覇の「[[二冠馬|変則二冠]]」を達成、同時に四位も武豊が[[1998年]]に[[スペシャルウィーク]]、[[1999年]]に[[アドマイヤベガ]]で東京優駿を制して以来の史上2人目となるダービー連覇を達成した。


===== 古馬との対戦 =====
=== 笠松牧場 ===
水上行雄は、北海道三石の競走馬生産牧場で生まれたが、牧場は継がず、会社を興していた<ref name="優駿-2008-9-55">『優駿』2008年9月号 55頁</ref>。やがて馬主免許を取得し、中央、[[地方競馬]]に参戦するようになり、成り行きで各地の牧場と付き合いが増えていた<ref name="優駿-2008-9-55" />。そんな頃、幼駒を購入したことのある1957年創業の笠松牧場の代表が亡くなる<ref name="優駿-2008-9-56">『優駿』2008年9月号 56頁</ref>。代表不在の笠松牧場は、後継者がおらず牧場消滅の危機にあった<ref name="優駿-2008-9-56" />。
夏は休養のため放牧に出され、9月に帰厩。緒戦には[[神戸新聞杯]]([[菊花賞]][[トライアル競走|トライアル]])に出走すると、追い込み一辺倒であった従来のレース運びとは異なり、中団から抜け出しての勝利を収めた。競走後、距離やコース適性などを考慮の結果、次走にはクラシック最後の一冠・菊花賞ではなく、[[馬齢|古馬]]相手となる[[天皇賞(秋)]]への出走が選択された<ref>『[[ケイバブック|週刊競馬ブック]]』2008年11月2・3日号(株式会社ケイバブック)p.10</ref>。[[戦後]]に天皇賞(秋)が3歳馬に開放されて以降、日本ダービー優勝馬が菊花賞を回避して天皇賞に向かうのは、史上初めての例であった。天皇賞(11月2日)では、[[牝馬]]の二強とされていた[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]、[[ダイワスカーレット]]と対戦。戦前は「三強対決」と注目を集め、当日は両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは神戸新聞杯と同じく中団からレースを進め、最後の直線で差し脚を見せたが、ウオッカ、ダイワスカーレットから僅差の3着に終わった(競走詳細は[[第138回天皇賞]]を参照)。


そこで水上は、笠松牧場を譲り受けて、本業の傍ら、牧場経営を行うことを決意、生産者も兼ねる[[オーナーブリーダー]]に転身した。「変更する必要性も感じなかったから<ref name="優駿-2008-9-56" />」(水上)という理由で笠松牧場の名称を継続し1989年、代表水上のもと再開業を果たした<ref name="優駿-2008-9-56" />。水上は当初、人脈皆無で未熟なブリーダーだったが、牧場の繁殖牝馬の血の更新や土壌の改良などを地道に続け、成績向上を目論んでいた<ref name="優駿-2008-9-56" />。ただし開業して20年近く経過しても、生産馬の重賞優勝が現れていなかった<ref>『優駿』2008年9月号 54頁</ref>。
次走には、陣営が天皇賞前から「秋の最大目標」と明言していた[[ジャパンカップ]]に出走。天皇賞で敗れたウオッカらを抑えて1番人気に支持され、レースではスローペースで推移するなか、中団からやや後方の17頭中12-13番手を進み、最後の直線では出走馬中で最速となる[[上がり (競馬)|上がり3ハロン]]33秒8の末脚を繰り出すも、早めに先頭に立った[[スクリーンヒーロー]]に及ばず2着に敗れた。


=== アビ ===
年末の[[グランプリ (中央競馬)|グランプリ競走]]・[[有馬記念]]は回避し、この競走を最後にシーズンを終える。当年の[[JPNサラブレッドランキング]]では、3歳馬として歴代4位タイとなる121[[ポンド (質量)|ポンド]](芝Lコラム)の評価で首位に据えられ、[[ワールド・サラブレッド・ランキング]]でも総合33位に付けた。翌1月にはJRA賞最優秀3歳牡馬に満票(300票)で選出され、授賞式の席上で、昆は来春の[[ローテーション (競馬)|ローテーション]]と、春のGI勝利を前提とした来秋の[[フランス]]・[[凱旋門賞]]への出走プランを明かした<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090127-454242.html |title=ディープスカイ国内完勝で凱旋門賞へ|author= |publisher=[[日刊スポーツ]] |accessdate=2009年8月30日 |date=2009-01-27}}</ref>。
アビは、父[[チーフズクラウン]]、母父[[キートゥザミント]]、三代母[[ミスカーミー]]の牝馬である<ref name="アビ-JBIS-血統">{{Cite web|和書|title=血統情報:5代血統表|アビ(GB)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000763149/pedigree/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-06}}</ref>。ミスカーミーの産駒、末裔は各方面で活躍して名牝系となっており、1974年[[三冠 (競馬)#アメリカ|ニューヨーク牝馬三冠]]を成し遂げた[[クリスエヴァート]]の母であるほか、1988年[[ケンタッキーダービー]]などを制した[[ウイニングカラーズ]]の祖母、2003年[[ジャパンカップ]]や2004年[[宝塚記念]]を制した[[タップダンスシチー]]の曾祖母などとして知られていた<ref name="優駿-2009-10-22">『優駿』2009年10月号 22頁</ref>。また1984年[[ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル|ブリーダーズカップジュヴェナイル]]、1985年[[トラヴァーズステークス]]を優勝したチーフズクラウンも、曾祖母がミスカーミーだった<ref name="優駿-2009-10-22" />。よってアビは、ミスカーミー系同士での近親交配「同血クロス」により、同血の割合が18.75パーセント(ミスカーミーの4×3)となり、走る馬が多いと信じられている理論「[[奇跡の血量]]」が成立していた<ref>『優駿』2008年5月号 111頁</ref><ref name="アビ-JBIS-血統" /><ref name="優駿-2009-10-22" />。


1995年にイギリスで生産されたアビは3歳で競走馬デビューし5戦1勝、引退後はイギリスで繁殖牝馬となる<ref>{{Cite web|和書|title=アビ(GB)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000763149/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-06}}</ref>。初年度は[[ザミンダー]]、2年目は{{仮リンク|バハミアンバウンティ|en|Bahamian Bounty}}、1年休んで4年目は[[ガリレオ (競走馬)|ガリレオ]]という<ref>{{Cite web|和書|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|アビ(GB)|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000763149/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-09}}</ref>、吉沢譲治によれば「名立たる種牡馬<ref name="優駿-2009-10-22" />」と交配し続けている。このうちイギリスでは、初仔、2番仔を儲けているが、後にこの2頭は、良績を残すことはできなかった<ref name="優駿-2009-10-22" />。そして4年目、ガリレオを宿した直後のアビは整理の対象となり、2002年12月タタソールズの繁殖牝馬セールに上場された<ref name="優駿-2010-6-156">『優駿』2010年6月号 156頁</ref>。
==== 4歳以降(2009年 - ) ====
厩舎内で調整が続けられたのち、翌2009年は[[4月5日]]の[[大阪杯]]から復帰。GI優勝馬6頭が集ったなかで、単勝[[オッズ]]1.6倍という圧倒的1番人気に支持された。しかし好位から直線でいったん抜け出したものの、終始ディープスカイをマークしていた[[ドリームジャーニー]]にゴール前で差され、クビ差の2着となった。


水上は、そのセールに参戦していた<ref name="優駿-2010-6-156" />。予算内で買えるお手頃な繁殖牝馬を探しており、それに適ったのがアビだった<ref name="優駿-2008-7-18">『優駿』2008年7月号 18頁</ref>{{Efn|水上は、ガリレオを受胎していることも魅力として捉えていたが、決め手はやはり予算内であることだった<ref name="優駿-2008-7-18" />。}}。そうして2003年、アビはガリレオの仔を孕んだ状態で日本に渡り、笠松牧場で3番仔(後のサクセスガーヴィン)が誕生する。3番仔が産まれた直後に行われた、日本で初めての交配では、[[アグネスタキオン]]とまぐわうも、不受胎<ref name="JAIRS-アビ">{{Cite web|和書|url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=783005260 |title=アビ(GB) |accessdate=2022-09-07 |publisher=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20220907022527/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=783005260 |archivedate=2022-09-07}}</ref>。1年の空胎を経て2004年、2度目の種付けでも再びアグネスタキオンとまぐわっていた<ref name="JAIRS-アビ" />。
勝利が凱旋門賞出走条件のひとつとされていた[[安田記念]](6月7日)では、[[JRA賞|前年度代表馬]]に選出されていたウオッカに次ぐ2番人気となる。レースは中団を追走、直線では残り400メートル過ぎで一団の[[馬群]]から抜け出し先頭に立ったが、残り200メートル地点で馬群を捌いて抜け出したウオッカに一気に交わされ、2着に終わった。続いて出走した春のグランプリ競走[[宝塚記念]]では、単勝支持率が50[[パーセント]]を超える圧倒的な1番人気となった(最終オッズは1.6倍)。レースでは道中中団を追走し、直線入り口から外をついてドリームジャーニーと並んで追い込むも、同馬に競り負け、さらに先行策から粘った[[サクラメガワンダー]]も捉えきれず3着に敗れた。安田記念と宝塚記念、どちらの勝利もならなかったことを受け、予定されていた凱旋門賞出走のプランも白紙撤回された。


=== アグネスタキオン ===
宝塚記念後は、北海道の[[ファンタストクラブ]]へ放牧<ref name="deep090820a">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2009/08/20/0002252544.shtml |title=ディープスカイ、左前浅屈腱炎で引退 |author= |publisher=デイリースポーツ |accessdate=2009年8月20日 |date=2009-08-20}}</ref>に出された。その後、秋初戦に予定されていた[[毎日王冠]]に向け、[[8月8日]]に[[函館競馬場]]に入厩したが<ref name="deep090820b">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/08/20/01.html |title=ディープスカイ引退…ダーレーJで種牡馬入りへ |author= |publisher=スポニチ |accessdate=2009年8月20日 |date=2009-08-20}}</ref>移動する2日ほど前にファンタストクラブから左前脚に熱を持っているとの報告を受けていた<ref name="deep090820b" />。[[8月12日]]に[[超音波検査]]を行った結果、損傷率11パーセントの[[屈腱炎|左前浅屈腱炎]]が判明<ref name="deep090820b" />。全治は9-12か月で復帰は不可能でなかったものの<ref name="deep090820b" />、当年6月22日に急死していた父アグネスタキオンの後継[[種牡馬]]としての期待も大きいことから、競走生活からの引退、種牡馬入りが発表された<ref name="deep090820a" /><ref name="deep090820b" /><ref name="deep090819">{{Cite web |url=http://www.jra.go.jp/news/200908/081904.html |title=ディープスカイ号が故障 |author= |publisher=JRA |accessdate=2009年8月20日 |date=2009-08-19}}</ref>。8月30日付で[[日本中央競馬会]] (JRA) の競走馬登録が抹消され、同日[[札幌競馬場]]で[[引退#競馬|引退式]]が執り行われた<ref name="jra090830b" /><ref name="jra090830a">{{Cite web |url=http://www.jra.go.jp/news/200908/083003.html |title=ディープスカイ号の引退式が行われました【札幌競馬場】 |author= |publisher=JRA |accessdate=2009年9月1日 |date=2009-08-30}}</ref>。
{{Main|アグネスタキオン|アグネスフライト#誕生までの経緯}}
アグネスタキオンは、父[[サンデーサイレンス]]、母[[アグネスフローラ]]、母母[[アグネスレディー]]の牡馬である。母、母母は共にクラシック優勝馬、全兄[[アグネスフライト]]は、2000年の[[東京優駿]](日本ダービー)優勝馬だった。アグネスタキオンは2歳、2000年12月の[[新馬戦]]で3馬身半差をつけデビュー戦勝利を果たし、暮れの[[ラジオたんぱ杯3歳ステークス|ラジオたんぱ杯3歳]][[ラジオたんぱ杯3歳ステークス|ステークス]](GIII)では、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]や[[クロフネ]]を2馬身以上突き放して優勝し、クラシック戦線に加わっていた<ref>『優駿』2009年8月号 11頁</ref>。3歳初戦の[[トライアル競走]]・[[弥生賞]]で[[マンハッタンカフェ]]などを下して無敗の3連勝を挙げ、続く[[皐月賞]]では、1951年[[トキノミノル]]に次ぐ歴代2位の単勝支持率の1番人気だった。その支持に応え、[[ダンツフレーム]]、ジャングルポケットなどに1馬身以上突き放して優勝していた<ref name="優駿-2009-8-13">『優駿』2009年8月号 13頁</ref>。
[[ファイル:Agnes tachyon.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|[[アグネスタキオン]]]]
続く二冠目の東京優駿も期待され、さらには無敗の「三冠」がちらつくほどだったが、皐月賞2週間後に左前脚に[[屈腱炎]]をきたして競走馬を引退する<ref name="優駿-2009-8-13" />。下した相手らが、後に出世しGI優勝を果たしており、4戦4勝の皐月賞優勝という活躍はひときわ目立つものだった<ref name="優駿-2009-8-13" />。翌2002年から種牡馬として供用される<ref name="優駿-2008-7-14">『優駿』2008年7月号 14頁</ref>。同年に父サンデーサイレンスが死亡したことから、その後継として期待を集め、毎年200頭近い牝馬を集め続けていた<ref name="優駿-2009-8-14">『優駿』2009年8月号 14頁</ref><ref name="優駿-2010-6-156" />。その200頭ほどの中の1頭が、アビだった<ref name="優駿-2010-6-156" />。


まぐわってから1年が経った2005年、1932年に[[目黒競馬場]]で[[第1回東京優駿大競走]](優勝馬:[[ワカタカ]])が行われた日に因む「日本ダービー記念日」の4月24日、北海道[[浦河町]]の笠松牧場にて、アビの4番仔、アグネスタキオンの3年目産駒である[[栗毛]]の牡馬(後のディープスカイ)が誕生する<ref name="優駿-2008-7-17">『優駿』2008年7月号 17頁</ref>。
=== 引退後 ===
引退後は[[ダーレー・ジャパン|ダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックス]]で種牡馬入り<ref name="jra090830b">{{Cite web |url=http://www.jra.go.jp/news/200908/083004.html |title=ディープスカイ号が競走馬登録抹消 |author= |publisher=JRA |accessdate=2009年9月1日 |date=2009-08-30}}</ref>。[[2010年]]から供用され、初年度の種付料は350万円。


== 幼駒時代 ==
[[2013年]]に初年度産駒がデビュー。中央の新種牡馬ランキングで9位と出遅れた。[[2015年]]に[[イーストスタッド]]へ移動<ref>[http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20150107-1418343.html ディープスカイ浦河でけい養へ]</ref>。産駒成績の不振から、初年度以来100頭以上を維持していた種付け頭数は2014年に激減。2015年の種付料は50万円(受胎条件)または70万円(出生条件)にまで下落した。


=== 牧場時代 ===
2015年は8頭まで種付け数が減少したが、主にダートで活躍が見られ、その後は種付け数がやや回復している。


出生直後のアビの4番仔は、牧場では目立つほうではなかったが<ref name="優駿-2008-7-17" />、時が経つにつれて、主に精神面での成長が際立つようになった。牧場の幼駒はふつう、母親と離れることを嫌うきらいがあったが、4番仔は母親が遠くに行っても動揺せず、独りで寝ころび続けていたという<ref name="優駿-2008-7-18" />。牧場の中ではリーダー的存在であり、複数での放牧中は常に集団の先頭を走っていた<ref>『優駿』2008年7月号 19頁</ref>。とはいっても我が強いすぎるわけではなく、人には従順な、大人しい性格だった<ref name="優駿-2008-7-18" />。兄姉に倣って大柄であり、四肢の負担が大きかったが、故障とは無縁で順調に成長する<ref name="優駿-2008-7-18" />。この4番仔を当歳夏、馬主・深見富朗が、皮膚の様子や筋肉の付き方に惹かれ<ref name="優駿-2008-7-27" />、富朗は自身の子である敏男に薦めていた<ref name="スポニチ-深見持ち馬" />。かくして深見敏男が所有することとなった<ref name="優駿-2008-7-27" />。
[[2015年]][[11月25日]]、[[サウンドスカイ]]が[[兵庫ジュニアグランプリ]]を勝利し、中央・地方を通じ産駒の重賞初勝利、同年[[12月16日]]、同馬が[[全日本2歳優駿]]を勝利し、中央・地方を通じ産駒のGI(Jpn1)初勝利となった。


=== 深見敏男 ===
[[2018年]][[2月11日]]、[[クリンチャー]]が[[京都記念]]を制覇し、芝の重賞を初制覇した。
深見敏男は、[[愛知県]][[豊田市]]にある株式会社建重製作所、及びその系列会社株式会社ケイユウの代表取締役社長である<ref name="優駿-2008-7-26">『優駿』2008年7月号 26頁</ref>。主に[[トヨタ自動車]]などの部品の試作品製造を生業としていた<ref name="優駿-2008-7-26" />。父の深見富朗は、同会社の会長であり、長く馬主をしており「緑、白玉霰、白袖青一本輪<ref>{{Cite web|和書|title=深見富朗のプロフィール {{!}} 馬主データ |url=https://db.netkeiba.com/owner/o_8EVZJTTEFUe/ |website=netkeiba.com |access-date=2022-09-08 |language=ja}}</ref>」という勝負服を用い、主に日高地方の生産馬を買い取って走らせていた<ref name="優駿-2008-7-26" />。


富朗の馬主歴は長く<ref name="優駿-2008-7-27">『優駿』2008年7月号 27頁</ref>、重賞優勝馬も多数いた。例えば[[チェックメイト (競走馬)|チェックメイト]]は、栗東の[[山内研二]]厩舎からデビューし2001年[[東京新聞杯]](GIII)、[[ダービー卿チャレンジトロフィー]](GIII)を優勝している<ref>{{Cite web|和書|title=チェックメイト|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000293430/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>。またラントゥザフリーズは、同じく山内厩舎からデビューし、2003年[[共同通信杯]](GIII)を優勝していた<ref>{{Cite web|和書|title=11R 共同通信杯|2003年2月9日(日)2回中山4日|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20030209/106/11/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>。ラントゥザフリーズは、クラシックに臨んでおり、皐月賞、東京優駿にも出走したが、いずれも[[ネオユニヴァース]]に敵わなかった。皐月賞こそ4着<ref>{{Cite web|和書|title=11R 皐月賞|2003年4月20日(日)4回中山8日|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20030420/106/11/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>だったが、「6月1日の東京優駿」は16着だった<ref name="優駿-2008-7-27" />。それから[[池添兼雄]]厩舎に預けた[[プライドキム]]は、2004年の[[全日本2歳優駿]](統一GI)を優勝している<ref>{{Cite web|和書|title=10R 全日本2歳優駿(中央交流)|2004年12月22日(水)11回川崎3日|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20041222/221/10/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>。富朗は、地方競馬のGI級競走こそ優勝していたが、中央競馬のGI級競走は勝利できていなかった<ref name="優駿-2008-7-27" />。
2021年7月21日、[[引退馬協会]]から[[ナイスネイチャ#バースデードネーション|ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーション]]による受け入れ馬として決定したことが発表され、種牡馬を引退することになった<ref>{{Cite web|title=ディープスカイの受け入れが決定しました!~ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションの現況報告|認定NPO法人引退馬協会|url=https://rha.or.jp/topics/20210721_001.html|website=認定NPO法人 引退馬協会|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>。


富朗の息子である敏男は、2003年に馬主登録を行う<ref name="優駿-2008-7-26" />。「'''青'''、白玉霰、白袖青二本輪<ref name="netkeiba-深見敏男">{{Cite web|和書|title=深見敏男のプロフィール {{!}} 馬主データ |url=https://db.netkeiba.com/owner/o_0EVJRTTEFEN/ |website=netkeiba.com |access-date=2022-09-07 |language=ja}}</ref>」という勝負服を用い、競走馬の命名には、苗字の「'''深'''見」に因んだ「'''ディープ'''」という冠名を定めていた<ref name="優駿-2008-7-27" />。2004年にデビューした最初の所有馬である[[タイキシャトル]]産駒・ディープサマーは、父と同じく山内厩舎だった。2歳夏の新馬戦を勝利し、[[函館2歳ステークス]]で2着、[[朝日杯フューチュリティステークス]]6着などを経て、2005年の[[クリスタルカップ]](GIII)を[[コパノフウジン]]、[[アイルラヴァゲイン]]を下して優勝する<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|ディープサマー|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000736202/record/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>。よって敏男は、最初の所有馬で重賞タイトルにありついていた<ref name="netkeiba-深見敏男" />。2頭目の所有馬である[[コマンダーインチーフ]]産駒・ディープハニーも同じく山内厩舎から、2006年、2歳夏にデビューしていたが、勝利できなかった<ref>{{Cite web|和書|title=ディープハニー|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000806380/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-08}}</ref>。
2022年より[[功労馬繋養展示事業|引退名馬繋養展示事業]]の対象馬となっている。

そして3頭目が、アビの4番仔である<ref name="スポニチ-深見持ち馬" />。4番仔は、冠名「'''ディープ'''」に空を意味する「'''スカイ'''」を組み合わせ<ref name="優駿-2008-7-27" />、「澄み切った大空」という意味の「'''ディープスカイ'''」と命名される<ref name="netkeiba-ダービーアラカルト">{{Cite web|和書|title=日本ダービー・アラカルト {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=28748 |website=netkeiba.com |access-date=2022-09-08 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jra.go.jp/JRADB/accessU.html?CNAME=pw01dud002005101358/0E |title=ディープスカイ 競走馬情報 |accessdate=2022-09-08 |publisher=[[日本中央競馬会]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20220908104003/https://www.jra.go.jp/JRADB/accessU.html?CNAME=pw01dud002005101358/0E |archivedate=2022-09-08}}</ref>。ディープスカイは、これまでと同様に山内厩舎に入ることが内定していた<ref name="優駿-2008-7-21" />。

=== 転厩 ===
1歳5月、北海道静内町、坂路調教を重用するヤマダステーブルに移り、育成が施される<ref name="優駿-2008-7-18" />。ヤマダステーブルでは、同期50から60頭が集まっていたが、アビの4番仔は外見、能力の面でも抜けていたという<ref name="優駿-2008-7-18" />。ヤマダステーブルの山田秀人場長は、2歳4月の時点でこのように述べている<ref>『優駿』2007年6月号 44頁</ref>。{{Quotation|スケールの大きい走りを見せています。乗り味も素晴らしいですね。優れたスピードの持ち主ですが、距離は長い方が能力を存分に発揮できるのではないでしょうか。順調に来ており、あとは入厩を待つだけです。|山田秀人}}順調に成長したディープスカイは、早めのデビューが可能だった。当初は夏のローカル開催でのデビューもできたが、その能力から容易に勝ち上がれると考えて、時期を遅らせて、秋競馬でのデビューとなる<ref name="優駿-2008-7-21">『優駿』2008年7月号 21頁</ref>。2歳夏、2007年8月にヤマダステーブルから、栗東トレーニングセンターの山内厩舎に入厩する。具体的には、9月の阪神競馬場開催、初週の新馬戦でデビューする予定だった<ref name="優駿-2008-7-21" />。

しかし入厩してまもなく、とある事情で山内厩舎から栗東・[[昆貢]]厩舎に転厩となる<ref name="優駿-2008-7-21" />。昆は、デビュー目前の引き受けとなったが、ディープスカイを詳しく見たところ、まだ体の節々に未熟なところがあり、特に肩が悪いことに気づいていた<ref name="優駿-2008-7-34">『優駿』2008年7月号 34頁</ref>。そこでデビュー延期となる<ref name="優駿-2008-7-21" />。その部分の改善には、牧場に帰ってから半年かけて治療する選択肢があったが<ref name="優駿-2008-7-34" />、昆は、馬の特徴を十分に把握してからデビューさせる思想の持ち主だったため、厩舎に留めながら、調教しながらの治療を目指した<ref name="優駿-2008-7-34" /><ref name="優駿-2008-7-21" />。快復後、再調整をこなしたのち、2007年10月、2歳秋にデビューとなる<ref name="優駿-2010-6-157">『優駿』2010年6月号 157頁</ref>。

== 競走馬時代 ==

=== 2-3歳(2007-08年) ===

==== アーリントンカップ3着まで ====
2007年10月8日、[[京都競馬場]]の[[新馬戦]](芝1400メートル)に[[松田大作]]が騎乗し、デビューとなる。2番人気に推されるも、1着馬エーシンフォワードに約6馬身以上後れを取る4着に終わる。
2戦目、3戦目は[[武豊]]が騎乗するも2着敗退<ref name="優駿-2010-6-157" />。
4戦目の[[中京競馬場|中京]]は、[[野元昭嘉]]が騎乗し、初めて1番人気に支持されたが、再三の2着。
2歳のうちに勝利を挙げることができなかった<ref name="JBIS-競走成績" />。
年をまたいで3歳の初戦となる5戦目では、[[藤田伸二]]が騎乗し、再び1番人気に支持されるも、9着大敗となった<ref name="JBIS-競走成績" />。
1月26日、藤田と臨んだ未勝利戦にて、1馬身半差をつけて初勝利。6戦目での勝ち上がりを果たす<ref name="JBIS-競走成績" />。
続いて2月17日、条件戦に[[津村明秀]]と臨むも、先行馬に及ばず、クビ差の2着だった<ref name="デイリー-昆-皐月賞回避">{{Cite web|和書|url=http://www.daily.co.jp/horse/schedule2008/080601g1.shtml |title=皐月賞パスが奏功! 昆氏してやったり「こういうローテーションで良かった」 |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090301062227/http://www.daily.co.jp/horse/schedule2008/080601g1.shtml |archivedate=2009-03-01}}</ref>。

3月1日、[[アーリントンカップ]](JpnIII)に[[幸英明]]と臨む。[[エアグルーヴ]]の仔である武騎乗[[ポルトフィーノ (競走馬)|ポルトフィーノ]]が単勝オッズ1倍台の人気を集め、それに[[シンザン記念]]2着のドリームガードナー、後にダート路線で大活躍する[[スマートファルコン]]、2勝馬の藤田騎乗[[ダンツキッスイ]]などが続いていた。一方のディープスカイは、36.3倍の10番人気だった。<ref name="優駿-2008-5-80">『優駿』2008年5月号 80頁</ref>。

ダンツキッスイが大逃げを展開する一方、ディープスカイは馬群の後方を追走して、最終コーナーで大外に持ち出し進出する<ref name="優駿-2010-6-158" />。最終的に後方馬群は、一様にダンツキッスイに敵わず、逃げ切りを許すことになるが、ディープスカイは、差のない3着となった<ref name="優駿-2008-5-80" />。

==== 毎日杯 ====
3月29日、毎日杯(JpnIII)に、[[四位洋文]]と臨む。ここまでの騎手起用は、昆が行っていた。昆は乗り替わりが少ない方が良いという思想の持ち主であり、厩舎が重用する藤田にディープスカイも任せようとしたが、藤田には既にほかの騎乗馬がいた<ref name="優駿-2008-7-33">『優駿』2008年7月号 33頁</ref>。そこで昆は、馬が合う騎手だろうと「直感」で思った四位に依頼する<ref name="優駿-2008-7-33" />。最初に依頼したアーリントンカップでは、他に騎乗馬がおり叶わなかったが<ref name="優駿-2008-7-33" />、四位は前年、[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]で東京優駿(日本ダービー)を優勝したにもかかわらず、この年のクラシック戦線に乗る馬がいなかった<ref name="報知-ダービー優勝">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |title=ディープスカイ変則2冠!四位、史上2人目の連覇…日本ダービー |accessdate=2022-09-11 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603175802/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |archivedate=2008-06-03}}</ref>。

相手は、1戦1勝の[[アドマイヤコマンド]]、重賞3着のマイネルスターリーや[[ヤマニンキングリー]]、2勝のロードバリオス、重賞優勝の[[サブジェクト (競走馬)|サブジェクト]]に次ぐ、8.7倍の6番人気だった<ref name="優駿-2008-5-110">『優駿』2008年5月号 110頁</ref>が、他馬に2馬身半差をつけて<ref name="優駿-2008-5-110" />。重賞初勝利を果たす<ref>{{Cite web|和書|title=毎日杯アラカルト(29日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44386 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-10}}</ref>。笠松牧場は、牧場再開業20年目で初重賞優勝だった<ref name="優駿-2010-6-158" />。

毎日杯は、皐月賞の[[優先出走権]]付与はないものの、クラシック1冠目[[皐月賞]]の出走権を得る最後の機会とされ、重賞優勝の賞金で以て、出走はほとんど可能だった。しかし、皐月賞回避と、[[NHKマイルカップ]]参戦を決断する<ref>{{Cite web|和書|title=ディープスカイ、NHKマイルCへ(11日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44505 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-10}}</ref>。昆は、東京の条件戦で2着となった際に、末脚が利く姿を見て、直線の短い中山よりも長い東京の方の適性を見出していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00063.htm |title=遅咲き11戦目V 昆師感慨…日本ダービー |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603175756/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00063.htm |archivedate=2008-06-03}}</ref>。

また昆は前年のクラシックに[[ローレルゲレイロ]]で挑んでいた。2歳夏にデビュー勝ちをしたローレルゲレイロは、牡馬が出走可能な春の3歳GI級競走である皐月賞、NHKマイルカップ、東京優駿(日本ダービー)を皆勤させていた<ref>『優駿』2008年7月号 32頁</ref>。昆は制覇の自信を持っていたが、それぞれ6着、2着、13着<ref name="優駿-2008-6-14">『優駿』2008年6月号 14頁</ref>。[[ヴィクトリー (競走馬)|ヴィクトリー]]、[[ピンクカメオ]]、ウオッカに敵わなかった<ref name="優駿-2011-8-8688" />。このあと秋も走るが、年内に勝利を挙げられなかった{{Efn|後に、GI2勝を含む重賞4勝を挙げる<ref>『優駿』2011年8月号 93頁</ref>。4歳には、[[東京新聞杯]](GIII)を藤田に導かれて重賞初勝利、昆厩舎初めての重賞優勝を挙げている。また[[阪急杯]](GIII)では四位に導かれ重賞連勝とした。それから1年以上の紆余曲折を経て5歳、2009年の[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]](GI)、[[スプリンターズステークス]](GI)というその年の春秋のスプリントGI競走を連勝する活躍を見せた。}}<ref name="優駿-2011-8-8688" />。この失敗を踏まえて、次の機会は馬の負担を軽減して、万全の状態で本番に参戦しようと反省するようになる。皆勤した3戦のうち1戦を見送って、2戦に臨むという発想が生まれ、翌年のクラシック戦線に加わったディープスカイに適用していた<ref name="優駿-2008-6-14" /><ref name="優駿-2008-7-33" />。なお回避した皐月賞は、同じアグネスタキオン産駒である[[キャプテントゥーレ]]が優勝し、皐月賞父仔制覇を成し遂げている<ref>『優駿』2008年6月号 97頁</ref>。

==== NHKマイルカップ ====
5月11日、NHKマイルカップ(JpnI)に四位が続投して臨む。4馬身差で[[マーガレットステークス]]を優勝した[[ファリダット]]、[[弥生賞]]2着の[[ブラックシェル]]、朝日杯フューチュリティステークス優勝の[[ゴスホークケン]]、[[ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]]2着のサダムイダテン、[[ニュージーランドトロフィー]]優勝の[[サトノプログレス]]が相対したが、それらを押しのける1番人気となる<ref name="優駿-2008-7-92">『優駿』2008年7月号 92頁</ref>。オッズは4.3倍であり、僅差の4.7倍の2番人気がファリダットだった<ref name="優駿-2008-7-92" />。昆は、前年のNHKマイルカップにローレルゲレイロで臨み1番人気2着、四位は前週の[[天皇賞(春)]]に[[アサクサキングス]]で1番人気3着となっており、その雪辱を期す舞台だった<ref name="デイリー-プレイバック-ダービー">{{Cite web|和書|url=http://www.daily.co.jp/horse/schedule2008/080511g1.shtml |title=3歳マイル王スカイ  さあダービーで“変則2冠だ” |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090301084743/http://www.daily.co.jp/horse/schedule2008/080511g1.shtml |archivedate=2009-03-01}}</ref>。馬場は稍重だった<ref name="優駿-2008-7-92" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=0dnk5yxHVEQ&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 NHKマイルカップ(JpnI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}

5枠9番からスタートして後方に控える<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20080511-358647.html |title=ディープスカイ抜け出す/NHKマイルC |accessdate=2022-09-11 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080512222520/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20080511-358647.html |archivedate=2008-05-12}}</ref>。ゴスホークケンが一本調子で淀みのないペースを刻む中<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080511-OHT1T00162.htm |title=ディープスカイが1番人気に応える…NHKマイルC |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080514135206/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080511-OHT1T00162.htm |archivedate=2009-04-01}}</ref>、18頭立て16番手を追走した。馬場は稍重の状態であり、内側の状態が特に悪かった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.daily.co.jp/horse/2008/05/12/0001029280.shtml |title=【NHKマイルC】3歳マイル王!スカイの末脚はじけた |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080516064601/http://www.daily.co.jp/horse/2008/05/12/0001029280.shtml |archivedate=2008-05-16}}</ref>。そのためゴスホークケン以下全頭が内を空けて大回りし、直線では馬場がきれいな外側に進路を求めていた<ref name="日刊-NHKマイルC">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080512-358837.html |title=ディープスカイ切れた/NHKマイルC |accessdate=2022-09-11 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080512195433/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080512-358837.html |archivedate=2008-05-12}}</ref>。そんな中、ディープスカイは進路を外に求めず、内側に拘り、コーナーワークで前との距離を縮める<ref name="デイリー-プレイバック-ダービー" />。直線入り口で3番人気ブラックシェルの背後を得ていた。ブラックシェルのスパートに応えて、スパートする<ref name="日刊-NHKマイルC" />。ブラックシェルは先に抜け出していたが、ディープスカイの末脚はそれを上回った<ref name="優駿-2008-7-92" />。外を回った馬が並べて伸びあぐね、同じように内からの進出もなく、ディープスカイは以後独走する<ref name="優駿-2008-7-92" />。ブラックシェルを1馬身4分の3まで突き放したところが決勝線だった<ref name="優駿-2008-7-92" />。

GI級競走初優勝を果たす<ref name="競馬ブック-NHKマイルC-アラカルト">{{Cite web|和書|title=NHKマイルCアラカルト(11日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44803 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-10}}</ref>。昆は、前年2着のローレルゲレイロの雪辱を果たしてGI級初勝利<ref name="競馬ブック-NHKマイルC-アラカルト" />。笠松牧場、深見もGI級初勝利となった。レース直後、ディープスカイと四位は馬場から退き、地下馬道を経て、検量室前での下馬を目指している<ref name="デイリー-四位-落馬">{{Cite web|和書|url=http://www.daily.co.jp/horse/2008/05/12/0001029278.shtml |title=【NHKマイルC】四位バンザ~イ…あらら落馬 |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080516064555/http://www.daily.co.jp/horse/2008/05/12/0001029278.shtml |archivedate=2008-05-16}}</ref>。検量室前は、優勝を喜ぶ多くの関係者が待ち構えており、四位はそれらに応えて両手で喜びをアピール<ref name="デイリー-四位-落馬" />。しかしその激しい動きにディープスカイが驚いて暴れてしまい、四位はたちまち振り下ろされていた<ref name="デイリー-四位-落馬" />。四位はその後、表彰式やインタビューをこなしたが、右手関節を捻挫<ref name="デイリー-四位-落馬" /><ref name="競馬ブック-四位-落馬">{{Cite web|和書|title=四位洋文騎手、負傷で乗り替わり(11日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44801 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-10}}</ref>。メインの後の最終第12レース・丹沢ステークス(1600万円以下)でリオサンバシチーに騎乗する予定だったが、騎乗を取りやめている{{Efn|[[後藤浩輝]]に乗り替わっている。}}<ref name="競馬ブック-四位-落馬" />。

続いてクラシック二冠目の東京優駿(日本ダービー)に臨むこととなる。昆は、NHKマイルカップ直前まで東京優駿参戦にはためらいがあったが、NHKマイルカップの終いの伸び脚を見て参戦を決断した<ref name="優駿-2008-7-33" />。四位もクラシックに臨む馬がおらず、続投となる<ref name="デイリー-プレイバック-ダービー" />。

==== 東京優駿 ====
[[File:75th Tokyo Yushun.jpg|250px|thumb|最終直線での攻防<br>画面左下にディープスカイ]]
6月1日、2003年以来5年ぶり16度目となる6月開催の[[東京優駿]](日本ダービー)(GI)に参戦する<ref name="競馬ブック-ダービーアラカルト">{{Cite web|和書|title=日本ダービーアラカルト(1日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/44969 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-08}}</ref>。一冠目の皐月賞を制したキャプテントゥーレは故障<ref>『優駿』2008年6月号 96頁</ref>、2001年皐月賞アグネスタキオン、東京優駿ジャングルポケット以来となる7年ぶりの皐月賞優勝馬不在の東京優駿となったが、皐月賞2着の[[タケミカヅチ (競走馬)|タケミカヅチ]]、3着の[[マイネルチャールズ]]、4着の[[レインボーペガサス]]、毎日杯2着のあと[[青葉賞]]を制したアドマイヤコマンド、NHKマイルカップ2着のブラックシェル、[[共同通信杯]]を制した[[ショウナンアルバ]]などが揃い、フルゲート18頭立てとなった。そんな中、ディープスカイは、単勝オッズ3.6倍、1番人気に支持される<ref name="優駿-2008-8-96">『優駿』2008年8月号 96頁</ref>。続く2番人気は6倍のマイネルチャールズであり、3番人気は8倍、4戦無敗、ただし初めての芝参戦となる[[サクセスブロッケン]]だった<ref name="優駿-2008-8-96" />。以下アドマイヤコマンド、レインボーペガサスまでがオッズ一桁台だった<ref name="優駿-2008-8-96" />。ただ未知の2400メートルに挑むディープスカイは、最内枠1枠1番が割り当てられていた。1枠1番は、過去74回の歴史の中で、1962年[[フエアーウイン]]、1968年[[タニノハローモア]]しか優勝しておらず、40年間勝利から遠ざかる枠番だった<ref name="報知-ダービー連覇">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |title=ディープスカイ変則2冠!四位、史上2人目の連覇…日本ダービー |accessdate=2022-09-08 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603175802/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |archivedate=2008-06-02}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=VcHJ39f6p-4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 東京優駿(日本ダービー)(JpnI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=suYFejqdaus&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2008年 東京優駿(日本ダービー)(JpnI)<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
1枠1番からスタートしたディープスカイは、控えて後方を確保<ref name="報知-ダービー優勝" />。レッツゴーキリシマが作り出した平均ペースを追走した<ref name="優駿-2008-8-96" />。向こう正面を経て、第3コーナーに近づくと、各々が仕掛けて進出を狙うようになるが、そこでは動かずに脚を溜め、最終コーナーを後方から数えて3番手、15番手で通過した<ref name="優駿-2008-8-96" />。直線では前方に馬が密集して進路がなく、外に持ち出してから進出を開始する<ref name="日刊-ダービー優勝" />。この日の馬場は、内側が伸びやすい傾向にあったが、それを無視して大外から追い上げた<ref name="デイリー-昆-皐月賞回避" />。前方、内側では、好位追走から抜け出したスマイルジャックが、逃げるレッツゴーキリシマを捉えて抜け出し、独走しており、他は迫ることができていなかった<ref name="デイリー-昆-皐月賞回避" />。しかし、末脚を繰り出したディープスカイがただ1頭迫り、ゴール板手前でスマイルジャックに並び立ち、まもなく差し切っていた<ref name="デイリー-昆-皐月賞回避" />。スマイルジャックに1馬身半差をつけたところで決勝線通過となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20080601-366974.html |title=四位連覇ディープスカイ鮮やか/ダービー |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080601212025/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20080601-366974.html |archivedate=2008-06-01}}</ref><ref name="優駿-2008-8-96" />。

東京優駿優勝を果たし、同世代8150頭の頂点となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20080601064.html |title=“孝行息子”を信じてました!/ダービー |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603212820/http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20080601064.html |archivedate=2008-06-03}}</ref>。NHKマイルカップからの連勝は広く「変則二冠」と称されていたが、ディープスカイは、2004年[[キングカメハメハ]]以来史上2頭目となる「変則二冠」を成し遂げた<ref name="報知-ダービー連覇" />。「1枠1番」の優勝は40年ぶり史上3例目<ref name="報知-ダービー連覇" />、栗毛の優勝は、2000年アグネスフライト以来で1980年[[オペックホース]]、1987年[[メリーナイス]]、1992年[[ミホノブルボン]]などに続くものだった<ref name="netkeiba-ダービーアラカルト" />。またディープスカイは、デビューから初勝利まで6戦かかり、ダービー制覇まで11戦かかっている。初勝利まで5戦以上かかりながらダービーに辿り着いたのは、1950年[[クモノハナ]]以来史上2例目<ref name="報知-ダービー連覇" />。6戦は、クモノハナは8戦だったことから史上2番目の記録であり<ref name="優駿-2008-7-24">『優駿』2008年7月号 24頁</ref>、軍土門隼夫によれば「『近年、これほど1勝目が遠かったダービー馬はいない』と断言していい<ref name="優駿-2008-7-24" />」と評している。また10戦以上かかっての制覇は、平成時代において1994年[[ナリタブライアン]]、2006年[[メイショウサムソン]]に次いで3例目だった<ref>{{Cite web|和書|title=【東京優駿】(東京)~ディープスカイ大外一気で世代の頂点へ!|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-150367.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-09-10 |language=ja}}</ref><ref name="競馬ブック-ダービーアラカルト" />。それから4月24日の「日本ダービー記念日」に生まれて、ダービーを優勝を成し遂げている<ref name="優駿-2008-7-17" />。

また父アグネスタキオンは競走馬時代、皐月賞まで無敗の4連勝を果たしながら、ダービーを前に故障し参戦が叶わなかったが、産駒で優勝し、ダービーサイアーの称号を得ている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/05.html |title=貴公子タキオンついにダービーの称号獲得 |accessdate=2022-09-06 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080604075009/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/05.html |archivedate=2008-07-04}}</ref>。サンデーサイレンス亡き日本競馬界において、その後継者争いが勃発していたが、アグネスタキオンが父父サンデーサイレンスの種牡馬で最初に、その国の基幹となるダービーを制している<ref name="優駿-2008-7-14" />。大タイトルを獲得するなど、活躍する産駒が多く出現することは、種牡馬の影響力を推し量ることができるが、この年は皐月賞と東京優駿を異なる2頭の産駒で制している<ref name="優駿-2008-7-14" />。同じ年の2頭の産駒でその2競走を制したのは、[[プリメロ]]、[[ヒンドスタン]]、サンデーサイレンス、[[ブライアンズタイム]]に次いで史上5度目だった<ref name="優駿-2008-7-14" />。

さらに四位は、前年のウオッカに続くダービー優勝であり、1998年[[スペシャルウィーク]]、1999年[[アドマイヤベガ]]優勝の武豊に次いで史上2人目となるダービー連覇を果たした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20080601043.html |title=四位 武豊に続くダービー2連覇 |accessdate=2022-09-06 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603212749/http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20080601043.html |archivedate=2008-06-03}}</ref>。昆、深見、笠松牧場は、それぞれダービートレーナー、オーナー、ブリーダーの称号を初めて得ており<ref name="netkeiba-ダービーアラカルト" />、特に深見は、馬主歴5年目、ダービー時点での所有馬がディープスカイ1頭のみという身分で初優勝を果たした<ref name="デイリー-昆-皐月賞回避" /><ref name="スポニチ-深見持ち馬">{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/03.html |title=一騎当千!深見氏唯一の持ち馬がダービー馬 |accessdate=2022-09-06 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080602161159/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/03.html |archivedate=2008-06-02}}</ref>。通算3頭目の所有馬による優勝は、1935年[[ガヴアナー]]の高橋錬逸に並ぶものだった<ref name="優駿-2008-7-26" /><!-- (注意)おそらく、この記録は最速タイであると思われるが、原典は「…という記録がある」に留めているため、この表現方式をとった。 -->。

四位はレース直後、スタンド前でのインタビューに応えているがその最中、最前列の泥酔した一ファンによる「四位コール」に遮られていた<ref name="スポニチ-ダービー-ハプニング" />。すると四位は、インタビューを一旦止め、ファンに「うるせえ」と注意していた<ref name="スポニチ-ダービー-ハプニング">{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/14.html |title=レース後騒然!!四位が泥酔ファンに「うるせえ」 |accessdate=2022-09-06 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080602161236/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/06/02/14.html |archivedate=2008-07-02}}</ref>。このハプニングはテレビ中継されており、インターネットを中心に話題を集めた<ref name="スポニチ-ダービー-ハプニング" />。また検量室前にて四位は、NHKマイルカップと同じパフォーマンスをして喜んでいる<ref name="日刊-ダービー優勝">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080602-367181.html |title=四位連覇スカイごぼう抜き/ダービー |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080602145544/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080602-367181.html |archivedate=2008-06-02}}</ref>。ディープスカイは再び暴れる素振りを見せたが、今度は四位がこらえていた<ref name="日刊-ダービー優勝" />。

==== 古馬挑戦、惜敗 ====
東京優駿の後は休養となる。直後は秋は、天皇賞(秋)か菊花賞を目指し<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080604-367935.html |title=ディープスカイ秋は天皇賞か菊花賞へ |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080604131932/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080604-367935.html |archivedate=2008-06-04}}</ref>、来年には外国遠征、具体的にはドバイミーティングやフランスの凱旋門賞参戦を検討するようになった<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080604-OHT1T00051.htm |title=ディープスカイ来秋凱旋門賞挑戦 |accessdate=2022-09-10 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080605202851/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080604-OHT1T00051.htm |archivedate=2008-06-05}}</ref>。ダービー10日後の6月12日、浦河町のグランデファームで放牧、初めての放牧に出された<ref name="優駿-2008-9-22">『優駿』2008年9月号 22頁</ref>。放牧中は、近隣の軽種馬育成調教センター(BTC)で運動する<ref name="優駿-2008-9-22" />。8月下旬に一旦[[札幌競馬場]]に入厩し、調整を経て栗東の厩舎に帰厩した<ref name="優駿-2008-9-22" />。

9月28日、[[神戸新聞杯]](JpnII)に臨む。スマイルジャックやブラックシェルとの再戦となり、3連勝中の上がり馬[[オウケンブルースリ]]との初対決となった<ref name="スポニチ-神戸新聞杯">{{Cite web|和書|title=菊でも盾でも任せなスカイ!!/神戸新聞杯 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/09/29/kiji/K20080929Z00001650.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-09-12 |language=ja}}</ref>。またも1枠1番からスタートして、中団を追走し、直線半ばで抜け出し先頭となる<ref>{{Cite web|和書|title=【神戸新聞杯】(阪神)~秋のGIへ向け視界良好!ディープスカイ人気に応える|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-156188.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-09-12 |language=ja}}</ref>。後方内から追い込むブラックシェルに詰め寄られたが、先頭は守り続けた。クビ差先着を果たして重賞連勝を果たした<ref name="スポニチ-神戸新聞杯" />。1993年ビワハヤヒデ以来となる1枠1番の優勝だった<ref name="競馬ブック-神戸新聞杯-アラカルト">{{Cite web|和書|title=神戸新聞杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/45923 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-12}}</ref>。

この競走は、菊花賞のトライアル競走であり、優先出走権を獲得する<ref name="競馬ブック-神戸新聞杯-アラカルト" />。しかしレース後、距離やコースの適性を考慮して、天皇賞(秋)に臨むこととなった<ref>『[[ケイバブック|週刊競馬ブック]]』2008年11月2・3日号(株式会社ケイバブック)p.10</ref>。最大目標は、その次のジャパンカップだった。昆は、いまだディープスカイは発展途上と考えており、あくまで来年の凱旋門賞を見据えての選択だった<ref>『優駿』2008年9月号 23頁</ref>。

11月2日、天皇賞(秋)(GI)に臨む。天皇賞(秋)の出走資格が3歳馬にも開放された1987年以降、東京優駿優勝馬が菊花賞に背を向けて天皇賞(秋)に向かうのは、史上初めての例だった<ref>『優駿』2008年12月号 31頁</ref>。17頭立てとなる中、唯一の3歳馬だった<ref name="優駿-2009-1-86">『優駿』2009年1月号 86頁</ref>。ディープスカイは有力候補の1頭だったが、他に前年の東京優駿を優勝した4歳牝馬のウオッカ、前年の二冠並びに[[エリザベス女王杯]]を優勝、故障明けの4歳牝馬の[[ダイワスカーレット]]とともに「三強」と捉えられた。オッズも3頭が抜けており、ウオッカ2.7倍、ダイワスカーレット3.6倍、そしてディープスカイは4.1倍の3番人気だった<ref name="優駿-2009-1-86" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=UaZ_lj2MBdI&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 天皇賞(秋)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1枠2番から好発し先行<ref name="優駿-2008-12-14">『優駿』2008年12月号 14頁</ref>。ダイワスカーレットが引っ張るハイペースを、外枠から進んだウオッカとともに追走した<ref name="優駿-2008-12-14" />。直線では逃げるダイワスカーレットを、ウオッカと並んで追いかけた<ref name="優駿-2009-1-86" />。やがて内からダイワスカーレット、ディープスカイ、ウオッカの順で横並び、追い比べとなる<ref name="優駿-2008-12-14" />。終いには内から[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]が加わっていた。ディープスカイは、年上相手に抵抗するものの、2頭の牝馬には敵わず、横一線から脱落、それでも7歳馬カンパニーには抗った<ref name="優駿-2008-12-14" /><ref name="優駿-2009-1-86" />。2頭にクビ差及ばず、カンパニーにはハナ差先着する3着だった<ref name="優駿-2009-1-86" />。1999年天皇賞(秋)のスペシャルウィークを上回るレコードタイムで走破したが、勝利には届かなかった<ref name="優駿-2009-1-86" />。

<br/>続いて11月30日、ジャパンカップ(GI)に臨む。ダイワスカーレット、カンパニーこそいなかったが、ウオッカとの再戦が実現する。前々年の東京優駿優勝馬であるメイショウサムソンも出走しており、史上初めて三世代ダービー馬による対決となった<ref>{{Cite web|和書|title=ジャパンカップアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/46538 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-11}}</ref><ref>『優駿』2008年12月号 36‐37頁</ref>。また回避した菊花賞を制したオウケンブルースリ、前年の有馬記念を制した[[マツリダゴッホ]]、他に3頭の外国調教馬を迎えた17頭立てだった<ref name="優駿-2009-1-92">『優駿』2009年1月号 92頁</ref>。前走敗れたウオッカがいたが、それを押しのけて1番人気に推される。ただし3.4倍、ウオッカ3.7倍の僅差だった<ref name="優駿-2009-1-92" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=er__qfITQhI&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2008年 ジャパンカップ(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}[[ネヴァブション]]が引っ張るスローペースの中、中団後方を追走する<ref name="優駿-2009-1-92" />。第3コーナーから最終コーナーにかけて大外から進出を開始した<ref name="優駿-2009-1-14">『優駿』2009年1月号 14頁</ref>。直線では、内々をまわったウオッカ、マツリダゴッホ、メイショウサムソンなどを外から追いかける。末脚を発揮してウオッカ、マツリダゴッホなどは差し切ることに成功する<ref name="優駿-2009-1-92" />。しかし内からもう1頭、9番人気[[スクリーンヒーロー]]に出し抜かれた<ref name="優駿-2009-1-14" />。ウオッカには4分の3馬身先着を果たすが、スクリーンヒーローには半馬身敵わず2着となった<ref name="優駿-2009-1-92" />。

この後、暮れの[[有馬記念]]参戦は見送った<ref>『優駿』2009年1月号 15頁</ref>。この年の[[JRA賞]]では、全300票中300票、満票で[[JRA賞最優秀3歳牡馬|最優秀3歳牡馬]]を受賞している<ref>{{Cite web|和書|title=2008年度JRA賞発表、年度代表馬はウオッカに決定|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-161428.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-09-11 |language=ja}}</ref><ref name="ラジオNIKKEI-2008JRA賞">{{Cite web|和書|title=JRA賞各賞の選考経過、投票結果|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-161429.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2022-09-11 |language=ja}}</ref>。また300票中37票を集めて[[JRA賞|年度代表馬]]選考の第3位、ウオッカ、ダイワスカーレットに次ぐ第3位となった<ref name="ラジオNIKKEI-2008JRA賞" />。

=== 4歳(2009年) ===

この年初めには昆から、春の国内専念と秋の凱旋門賞挑戦が予告される<ref name="日刊-凱旋門賞参戦">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090127-454242.html |title=ディープスカイ国内完勝で凱旋門賞へ |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130724230011/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090127-454242.html |archivedate=2013-07-24}}</ref>。ただし凱旋門賞参戦には条件があり、春に臨む[[安田記念]]と[[宝塚記念]]というGI競走で力を示さなければならなかった<ref name="日刊-凱旋門賞参戦" />。具体的には、始動戦の[[産経大阪杯]]も含めて3戦全勝で向かうのが昆の理想だった。厩舎での調整を経て、4月5日の産経大阪杯(GII)で復帰する。マツリダゴッホ、[[ドリームジャーニー]]、[[カワカミプリンセス]]ら年上馬と対し、1.6倍の1番人気に推されていた<ref name="優駿-2009-6-88">『優駿』2009年6月号 88頁</ref>。

外枠から好位の外側を追走し、最終コーナーにかけて外から進出。直線で先を行くマツリダゴッホ、[[アドマイヤフジ]]を捉えて、抜け出した<ref name="優駿-2009-6-88" />。しかしその直後、ディープスカイの背後で待機していたドリームジャーニーの追い上げを許し、たちまちかわされていた<ref name="優駿-2009-6-88" /><ref name="優駿-2013-1-69">『優駿』2013年1月号 69頁</ref>。それでもディープスカイは追いすがり、並んでの競り合いをゴール手前まで続けたが、先頭を再び奪取することができなかった。クビ差及ばず2着となる<ref name="優駿-2013-1-69" />。

続いて6月7日の安田記念(GI)に臨む。ウオッカとの再戦となり、ウオッカが1番人気、それに次ぐ2番人気だった<ref name="優駿-2009-8-84">『優駿』2009年8月号 84頁</ref>。その他、[[スーパーホーネット]]やカンパニー、スマイルジャック、同厩舎のローレルゲレイロなどとの対決だった<ref name="優駿-2009-8-84" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=HJ2nzyfau-0&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2009年 安田記念(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}3枠6番からスタートしたディープスカイは中団内側、ウオッカの背後を追走する。最終コーナーでは、ウオッカの内に潜り、先んじて進出した<ref name="優駿-2009-8-75">『優駿』2009年8月号 75頁</ref>。直線では、ウオッカが狙っていた進路を合法的に奪って抜け出し、中間地点で独走する展開を作る<ref name="優駿-2009-8-84" />。外からファリダット、カンパニーが追い込んできたが、もう一伸びして先頭を守った。しかし進路を失い、回り道をしたウオッカが進路を得てから、鋭い末脚を使い、追い込んでいた<ref name="優駿-2009-8-75" />。ウオッカの末脚により、ディープスカイは呑みこまれ、たちまちかわされた<ref name="優駿-2009-8-84" />。ウオッカに4分の3馬身後れる2着となる<ref name="優駿-2009-8-84" />。ここまで二つとも敗れ、昆の理想とはかけ離れていたが、宝塚記念の結果次第では凱旋門賞を諦めていなかった<ref name="優駿-2009-10-21">『優駿』2009年10月号 21頁</ref>。

<br/>6月28日、宝塚記念(GI)に臨む。ドリームジャーニー、[[サクラメガワンダー]]、[[アルナスライン]]、[[マイネルキッツ]]相手に1.6倍の抜けた1番人気となる<ref name="優駿-2009-8-86">『優駿』2009年8月号 86頁</ref>。7枠11番からスタートして、中団を追走する<ref name="優駿-2009-8-86" />。第3コーナーから四位により促され、前を行くサクラメガワンダーを目指したが、直線で伸びず、かわすことができなかった<ref name="優駿-2009-8-86" />。おまけに背後で待機していたドリームジャーニーに外からかわされる<ref>『優駿』2013年1月号 70頁</ref>。ドリームジャーニーには突き放された。ドリームジャーニーに1馬身4分の3差以上後れを取り、サクラメガワンダーにもクビ差後れる3着だった<ref name="優駿-2009-8-86" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=gRfVCG6hg2o&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2009年 宝塚記念(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}結局春3戦は、好走を続けたものの、未勝利に終わり、昆が掲げた理想とは正反対となった<ref name="優駿-2009-10-21" />。よってこの秋の凱旋門賞参戦は立ち消え、国内専念となる<ref name="優駿-2009-10-21" />。宝塚記念の後は、北海道日高町の[[ファンタストクラブ]]で放牧に出された<ref name="優駿-2009-9-29">『優駿』2009年9月号 29頁</ref>。昆は、深見と来年の現役続行の約束を取り付け<ref name="優駿-2009-9-29" />、目標を次の凱旋門賞に切り替えていた<ref name="優駿-2009-10-21" />。この秋こそ、国内に甘んじるものの、秋に力を見せつければ、来年の外国遠征を検討していた<ref name="優駿-2009-10-21" />。

夏の[[札幌記念]]を使う予定もあったが見送り<ref name="スポニチ-札幌記念">{{Cite web|和書|title=ディープスカイ札幌記念見送り 毎日王冠で始動 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/07/30/kiji/K20090730Z00001680.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-09-12 |language=ja}}</ref>、秋は[[毎日王冠]]、天皇賞(秋)、ジャパンカップの3戦を予定する<ref name="優駿-2009-9-29" />。始動戦の毎日王冠を目指して、8月8日に[[函館競馬場]]に入厩した<ref name="優駿-2009-10-19">『優駿』2009年10月号 19頁</ref>。ファンタストクラブからは、2日前より左前脚に熱がある報告を受けており、当日は昆の検分が行われた<ref name="優駿-2009-10-19" />。しかし左前脚の症状は、軍土門隼夫によれば「自分の目で脚元を確かめた瞬間、これはだめだとわかった<ref name="優駿-2009-10-19" />」というものだった。

8月12日、[[エコー検査]]の結果、損傷率11パーセントの左前脚の浅屈腱炎が判明する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/horse/2009/08/20/0002252544.shtml |title=ディープスカイ、左前浅屈腱炎で引退 |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090823024618/https://www.daily.co.jp/horse/2009/08/20/0002252544.shtml |archivedate=2009-08-23}}</ref><ref name="スポニチ-引退">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/08/20/01.html |title=ディープスカイ引退…ダーレーJで種牡馬入りへ |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090822100439/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/08/20/01.html |archivedate=2009-08-22}}</ref>。戦線復帰には1年近くを要するものであり、復帰は不可能ではなかったものの、競走馬引退が決定する<ref name="スポニチ-引退" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090819-OHT1T00270.htmディープスカイ引退…左前浅屈けん炎 |title=ディープスカイ引退…左前浅屈けん炎 |accessdate=2022-09-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090826093803/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090819-OHT1T00270.htm |archivedate=2009-08-26}}</ref>。父と同じ左前脚の屈腱炎で引退に追い込まれた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/08/20/03.html |title=屈腱炎に泣いた名馬たち… |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090821111008/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/08/20/03.html |archivedate=2009-08-21}}</ref>。8月30日、札幌競馬場で引退式が行われる<ref name="競馬ブック-引退式">{{Cite web|和書|title=ディープスカイ引退式―札幌競馬場 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/49181 |website=競馬ブック |access-date=2022-09-12}}</ref>。東京優駿優勝時の1枠1番のゼッケン、帽子の姿でお披露目がなされ<ref>『優駿』2009年10月号 21頁</ref>、5270人が見守った<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090831-OHT1T00070.htm |title=ディープスカイ引退式…ファン5270人見守った |accessdate=2022-09-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090901083814/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090831-OHT1T00070.htm |archivedate=2009-09-01}}</ref>。同日、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消する<ref name="競馬ブック-引退式" />。

== 種牡馬時代 ==
引退後は、北海道日高町の[[ダーレー・ジャパン|ダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックス]]にて種牡馬となった<ref name="優駿-2009-10-23">『優駿』2009年10月号 23頁</ref><ref name="優駿-2010-6-161" />。スポーツ報知によれば、取引価格は10数億円であるとされている<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090822-OHT1T00123.htm |title=10億円超でディープスカイけい養先にダーレー決定 |accessdate=2022-09-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090827011951/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20090822-OHT1T00123.htm |archivedate=2009-08-27}}</ref>。父アグネスタキオンは、活躍産駒が続々出現し、サンデーサイレンスの後継種牡馬筆頭に上り詰めていたが、2009年6月、11歳にして急死していた。これによりディープスカイは、その後継種牡馬としての期待を集めた<ref name="優駿-2009-10-23" /><ref name="優駿-2010-6-161" />。

初年度となる2010年から4年目の2013年まで三桁の繁殖牝馬を集め続け、特に3年目の2012年は、188頭の繁殖牝馬を集めた<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。しかし5年目の2014年からは30頭程度にまで減少。以後、三桁には回復せず、40頭にも届かなかった<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。2015年には[[イーストスタッド]]に移動。その後、重賞優勝馬が現れたが(後述)、繁殖牝馬は戻ってこなかった<ref>{{Cite web|和書|title=ディープスカイが種牡馬引退 {{!}} 馬産地ニュース {{!}} 競走馬のふるさと案内所 |url=https://uma-furusato.com/news/entry-58778.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-09-11}}</ref>。5頭の相手しかできなかった2021年を最後に種牡馬を引退する<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。

産駒は2013年から走っている<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。2022年9月11日時点で、2頭のGI級競走を優勝馬がいる。[[サウンドスカイ]]は、2015年の[[全日本2歳優駿]]を優勝し<ref name="JBIS-サウンドスカイ" />、[[キョウエイギア]]は、2016年の[[ジャパンダートダービー]]を優勝した<ref name="JBIS-キョウエイギア" />。その他、[[クリンチャー]]は、2018年[[京都記念]]や2020年[[みやこステークス]]を優勝し<ref name="JBIS-クリンチャー" />、ディープスカイが叶わなかった凱旋門賞にも参戦した<ref>{{Cite web|和書|title=武豊のクリンチャーは17着 凱旋門賞、エネイブルが連覇(写真=共同) |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00743_X01C18A0000000/ |website=日本経済新聞 |date=2018-10-08 |access-date=2022-09-11 |language=ja}}</ref>。さらに[[モルトベーネ (競走馬)|モルトベーネ]]は、2017年[[アンタレスステークス]]を優勝した<ref name="JBIS-モルトベーネ" />。

また、2016年[[レディスプレリュード]]優勝のタマノブリュネット<ref name="JBIS-タマノブリュネット" />、2016年[[兵庫ダービー]]優勝のノブタイザンなどがいる<ref name="JBIS-ノブタイザン">{{Cite web|和書 |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001168942/ |title=ノブタイザン |publisher=JBISサーチ |accessdate=2018-03-03}}</ref>。また[[ブルードメアサイアー]]としての産駒には、2021年[[戸塚記念]]優勝のセイカメテオポリス<ref name="JBIS-セイカメテオポリス" />、2022年[[石川ダービー]]優勝のスーパーバンタム<ref name="JBIS-スーパーバンタム" />、2022年[[羽田盃]]優勝のミヤギザオウ<ref name="JBIS-ミヤギザオウ" />がいる。

厩舎時代には、同厩舎のローレルレーシング所有であるハーリカに思いを寄せていたという<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/hashimoto/news/20090813-OHO1T00165.htm |title=GI馬の正体…ディープスカイの素顔 |accessdate=2022-09-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090822161906/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/hashimoto/news/20090813-OHO1T00165.htm |archivedate=2009-08-22}}</ref>。2013年、種牡馬のディープスカイと繁殖牝馬のハーリカを、浜本牧場が結びつけ、まぐわっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=1000247556 |title=ハーリカ(JPN) |accessdate=2022-09-22 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20220922095814/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=1000247556 |archivedate=2022-09-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|ハーリカ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000891895/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-22}}</ref>。産まれた牡馬は、ミズデッポウという名が与えられている<ref name="JBIS-ミズデッポウ">{{Cite web|和書|title=ミズデッポウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001188971/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-22}}</ref>。ミズデッポウは2016年から2022年まで中央競馬、地方競馬で116戦走り、地方競馬で6勝を挙げている<ref name="JBIS-ミズデッポウ" />。

種牡馬引退後は、2021年に実施した[[ナイスネイチャ#バースデードネーション|ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーション]]で得た資金を利用した[[引退馬協会]]に引き取られた<ref>{{Cite web|和書|title=ディープスカイの受け入れが決定しました!~ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションの現況報告|認定NPO法人引退馬協会|url=https://rha.or.jp/topics/20210721_001.html|website=認定NPO法人 引退馬協会|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>。協会支援員が里親となる「フォスターホース」となり、日高町のひだか・ホース・フレンズに繋養されている<ref>{{Cite web|和書|title=ディープスカイを訪ねて~ひだか・ホース・フレンズ {{!}} 馬産地コラム {{!}} 競走馬のふるさと案内所 |url=https://uma-furusato.com/column/entry-59733.html |website=uma-furusato.com |access-date=2022-09-11}}</ref>。2022年から[[功労馬繋養展示事業|引退名馬繋養展示事業]]の対象に加わった<ref>{{Cite web|和書|title=引退名馬 |url=http://www.meiba.jp/horses/newest |website=www.meiba.jp |access-date=2022-09-11}}</ref>。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|和書|title=ディープスカイの競走成績 {{!}} 競走馬データ |url=https://db.netkeiba.com/horse/2005101358/ |website=netkeiba.com |access-date=2022-09-06 |language=ja}}</ref>並びにJBISサーチ<ref name="JBIS-競走成績">{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|ディープスカイ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000891931/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>、『[[優駿]]』<ref name="優駿-2010-6-161">『優駿』2010年6月号 161頁</ref>の情報に基づく。
{|style="font-size:90%; text-align:center; border-collapse:collapse;white-space:nowrap"
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
|colspan="3"|年月日
! colspan="3" |競走日
|[[競馬場]]
! nowrap="" |競馬場
|競走名
!競走名
|[[競馬の競走格付け|格]]
!格
|頭<br />数
!距離
|枠<br />番
(馬場)
|馬<br />番
!頭
|colspan="2"|オッズ<br />(人気)
|着順
!枠
|[[騎手]]
|斤量<br />[kg]
!馬
|[[競走馬の適性|距離]](馬場)
|タイム<br />([[上がり (競馬)|上り]]3[[ハロン (単位)|F]])
! colspan="2" |オッズ
|タイム<br />差
(人気)
|勝ち馬/(2着馬)
!着順
!タイム
(上り3F)
!着差
!騎手
!斤量
[kg]
!1着馬
(2着馬)
!馬体重
[kg]
|-
|-
|[[2007年|2007]].
|[[2007年|2007]].
|10.
|10.
|{{0}}[[10月8日|8]]
|8
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|[[新馬|2歳新馬]]
|
|
| nowrap="" |芝1400m(良)
|8
|8
|6
|6
|6
|6
|{{0}}2.8
| nowrap="" |{{0}}2.8
|{{0}}(2人)
|{{0}}(2人)
|4着
|{{0}}4着
| nowrap="" |1:24.4 (35.5)
| nowrap="" |{{0|-}}0.8
|[[松田大作]]
|[[松田大作]]
|55
|55
|芝1400m(良)
|1:24.4 (35.5)
|{{0|-}}0.8
|[[エーシンフォワード]]
|[[エーシンフォワード]]
|506
|-
|-
|
|
|11.
|11.
|{{0}}[[11月4日|4]]
|4
|京都
|京都
|2歳未勝利
|2歳未勝利
|
|
|芝1600m(良)
|10
|10
|7
|7
128行目: 234行目:
|{{0}}8.6
|{{0}}8.6
|{{0}}(5人)
|{{0}}(5人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|[[武豊]]
|55
|芝1600m(良)
|1:35.4 (35.2)
|1:35.4 (35.2)
|{{0|-}}0.1
|{{0|-}}0.1
|[[武豊]]
|55
|ロードバリオス
|ロードバリオス
|510
|-
|-
|
|
|11.
|11.
|[[11月24日|24]]
|24
|[[東京競馬場|東京]]
|[[東京競馬場|東京]]
|2歳未勝利
|2歳未勝利
|
|
|芝1800m(良)
|17
|17
|7
|7
147行目: 254行目:
|{{0}}5.3
|{{0}}5.3
|{{0}}(3人)
|{{0}}(3人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:49.4 (34.6)
|{{0|-}}0.2
|武豊
|武豊
|55
|55
|芝1800m(良)
|1:49.4 (34.6)
|{{0|-}}0.2
|ピサノエミレーツ
|ピサノエミレーツ
|500
|-
|-
|
|
|12.
|12.
|{{0}}[[12月6日|6]]
|6
|[[中京競馬場|中京]]
|[[中京競馬場|中京]]
|2歳未勝利
|2歳未勝利
|
|
|芝1800m(良)
|16
|16
|4
|4
166行目: 274行目:
|{{0}}2.5
|{{0}}2.5
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:49.6 (35.9)
|{{0|-}}0.1
|[[野元昭嘉]]
|[[野元昭嘉]]
|55
|55
|芝1800m(良)
|1:49.6 (35.9)
|{{0|-}}0.1
|マイサイドキック
|マイサイドキック
|506
|-
|-
|[[2008年|2008]].
|[[2008年|2008]].
|1.
|{{0}}1.
|[[1月13日|13]]
|13
|京都
|京都
|3歳未勝利
|3歳未勝利
|
|
|芝2000m(稍)
|16
|16
|7
|7
185行目: 294行目:
|{{0}}4.6
|{{0}}4.6
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|9着
|{{0}}9着
|2:05.6 (35.9)
|{{0|-}}0.9
|[[藤田伸二]]
|[[藤田伸二]]
|56
|56
|芝2000m(稍)
|2:05.6 (35.9)
|{{0|-}}0.9
|マゼラン
|マゼラン
|506
|-
|-
|
|
|1.
|{{0}}1.
|[[1月26日|26]]
|26
|京都
|京都
|3歳未勝利
|3歳未勝利
|
|
|芝1800m(良)
|14
|14
|4
|4
204行目: 314行目:
|{{0}}6.6
|{{0}}6.6
|{{0}}(4人)
|{{0}}(4人)
|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:50.9 (35.6)
| -0.2
|藤田伸二
|藤田伸二
|56
|56
|芝1800m(良)
|1:50.9 (35.6)
| -0.2
|(シャイニングデイ)
|(シャイニングデイ)
|506
|-
|-
|
|
|2.
|{{0}}2.
|[[2月17日|17]]
|17
|東京
|東京
|3歳500万下
|3歳500万下
|
|
|芝1600m(良)
|16
|16
|4
|4
223行目: 334行目:
|{{0}}6.2
|{{0}}6.2
|{{0}}(3人)
|{{0}}(3人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:36.7 (33.4)
|{{0|-}}0.0
|[[津村明秀]]
|[[津村明秀]]
|56
|56
|芝1600m(良)
|1:36.7 (33.4)
|{{0|-}}0.0
|コウヨウマリーン
|コウヨウマリーン
|516
|-
|-
|
|
|3.
|{{0}}3.
|{{0}}[[3月1日|1]]
|1
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[アーリントンカップ|アーリントンC]]
|[[アーリントンカップ|アーリントンC]]
|{{JpnIII}}
|{{JpnIII}}
|芝1600m(良)
|12
|12
|3
|3
242行目: 354行目:
|36.3
|36.3
|(10人)
|(10人)
|{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|1:34.9 (34.1)
|{{0|-}}0.3
|[[幸英明]]
|[[幸英明]]
|56
|56
|芝1600m(良)
|1:34.9 (34.1)
|{{0|-}}0.3
|[[ダンツキッスイ]]
|[[ダンツキッスイ]]
|506
|-
|-
|
|
|3.
|{{0}}3.
|[[3月29日|29]]
|29
|阪神
|阪神
|[[毎日杯]]
|[[毎日杯]]
|{{JpnIII}}
|{{JpnIII}}
|芝1800m(良)
|14
|14
|2
|2
261行目: 374行目:
|{{0}}8.7
|{{0}}8.7
|{{0}}(6人)
|{{0}}(6人)
|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:46.0 (34.8)
| -0.4
|[[四位洋文]]
|[[四位洋文]]
|56
|56
|芝1800m(良)
|1:46.0 (34.8)
| -0.4
|([[アドマイヤコマンド]])
|([[アドマイヤコマンド]])
|508
|-
|-
|
|
|5.
|{{0}}5.
|[[5月11日|11]]
|11
|東京
|東京
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|{{JpnI}}
|{{JpnI}}
|芝1600m(稍)
|18
|18
|5
|5
280行目: 394行目:
|{{0}}4.3
|{{0}}4.3
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:34.2 (33.9)
| -0.3
|四位洋文
|四位洋文
|57
|57
|芝1600m(稍)
|1:34.2 (33.9)
| -0.3
|([[ブラックシェル]])
|([[ブラックシェル]])
|508
|-
|-
|
|
|6.
|{{0}}6.
|{{0}}[[6月1日|1]]
|1
|東京
|東京
|[[東京優駿]]
|[[東京優駿]]
|{{JpnI}}
|{{JpnI}}
|芝2400m(良)
|18
|18
|1
|1
299行目: 414行目:
|{{0}}3.6
|{{0}}3.6
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:26.7 (34.2)
| -0.2
|四位洋文
|四位洋文
|57
|57
|芝2400m(良)
|2:26.7 (34.2)
| -0.2
|([[スマイルジャック]])
|([[スマイルジャック]])
|514
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月28日|28]]
|28
|阪神
|阪神
|[[神戸新聞杯]]
|[[神戸新聞杯]]
|{{JpnII}}
|{{JpnII}}
|芝2400m(良)
|18
|18
|1
|1
318行目: 434行目:
|{{0}}2.0
|{{0}}2.0
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:25.3 (35.1)
| -0.0
|四位洋文
|四位洋文
|56
|56
|芝2400m(良)
|2:25.3 (35.1)
| -0.0
|([[ブラックシェル]])
|([[ブラックシェル]])
|508
|-
|-
|
|
|11.
|11.
|{{0}}[[11月2日|2]]
|2
|東京
|東京
|[[天皇賞(秋)]]
|[[天皇賞(秋)]]
|{{GI}}
|{{GI}}
|芝2000m(良)
|17
|17
|1
|1
337行目: 454行目:
|{{0}}4.1
|{{0}}4.1
|{{0}}(3人)
|{{0}}(3人)
|{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|四位洋文
|56
|芝2000m(良)
|1:57.2 (34.5)
|1:57.2 (34.5)
|{{0|-}}0.0
|{{0|-}}0.0
|四位洋文
|56
|[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]
|[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]
|510
|-
|-
|
|
|11.
|11.
|[[11月30日|30]]
|30
|東京
|東京
|[[ジャパンカップ|ジャパンC]]
|[[ジャパンカップ|ジャパンC]]
|{{GI}}
|{{GI}}
|芝2400m(良)
|17
|17
|5
|5
356行目: 474行目:
|{{0}}3.4
|{{0}}3.4
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|2:25.6 (33.8)
|{{0|-}}0.1
|四位洋文
|四位洋文
|55
|55
|芝2400m(良)
|2:25.6 (33.8)
|{{0|-}}0.1
|[[スクリーンヒーロー]]
|[[スクリーンヒーロー]]
|518
|-
|-
|[[2009年|2009]].
|[[2009年|2009]].
|4.
|{{0}}4.
|{{0}}[[4月5日|5]]
|5
|阪神
|阪神
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
|{{GII}}
|{{GII}}
|芝2000m(良)
|12
|12
|8
|8
375行目: 494行目:
|{{0}}1.6
|{{0}}1.6
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:59.7 (34.2)
|{{0|-}}0.0
|四位洋文
|四位洋文
|59
|59
|芝2000m(良)
|1:59.7 (34.2)
|{{0|-}}0.0
|[[ドリームジャーニー]]
|[[ドリームジャーニー]]
|510
|-
|-
|
|
|6.
|{{0}}6.
|{{0}}[[6月7日|7]]
|7
|東京
|東京
|[[安田記念]]
|[[安田記念]]
|{{GI}}
|{{GI}}
|芝1600m(良)
|18
|18
|3
|3
394行目: 514行目:
|{{0}}3.7
|{{0}}3.7
|{{0}}(2人)
|{{0}}(2人)
|{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|四位洋文
|58
|芝1600m(良)
|1:33.6 (35.5)
|1:33.6 (35.5)
|{{0|-}}0.1
|{{0|-}}0.1
|四位洋文
|58
|ウオッカ
|ウオッカ
|524
|-
|-
|
|
|6.
|{{0}}6.
|[[6月28日|28]]
|28
|阪神
|阪神
|[[宝塚記念]]
|[[宝塚記念]]
|{{GI}}
|{{GI}}
|芝2200m(良)
|14
|14
|7
|7
413行目: 534行目:
|{{0}}1.6
|{{0}}1.6
|{{0}}(1人)
|{{0}}(1人)
|{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|四位洋文
|58
|芝2200m(良)
|2:11.6 (34.8)
|2:11.6 (34.8)
|{{0|-}}0.3
|{{0|-}}0.3
|四位洋文
|58
|ドリームジャーニー
|ドリームジャーニー
|516
|}
|}


== 特徴 ==
== 種牡馬成績 ==
=== 成長 ===
初勝利まで6戦という成績は、東京優駿優勝馬としては1950年の[[クモノハナ]](8戦)に次ぐ遅い記録である。昆によれば、入厩時のディープスカイは「新馬とか特別戦を勝っている馬に比べると、完成度でかなり劣る馬」だった<ref>『優駿』2008年7月号 p.32</ref>。しかし初勝利を挙げたころから状態が向上し<ref name="deep2" />、春にはNHKマイルカップ、東京優駿を連勝するに至った。毎日杯から騎乗した四位は、「かれこれ26-27年馬に乗ってきたけど、2ヶ月の間でこんなに強くなった馬に、人生で初めて出会いました」と述べている<ref name="deep5">『優駿』2008年7月号 p.31</ref>。


=== コース適性 ===
=== 年度別成績 ===
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web|和書|title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|ディープスカイ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000891931/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>。
ゆったりとしたコースレイアウトを持つ[[東京競馬場]]を得意とし、同場では7戦2勝・2着4回・3着1回と高い安定感を保った。昆も「あの馬の脚質を最大限に活かせて、少々の不利も跳ね返してくれるのは東京のコースかな」と語っている<ref name="deep4" />。皐月賞を回避した背景にも、小回りの[[中山競馬場]]は向かないだろうという予測があった<ref name="deep3">『優駿』2008年7月号 p.22</ref>。またこの回避に関しては、ディープスカイの前年に皐月賞、NHKマイルカップ、東京優駿を皆勤した昆の管理馬[[ローレルゲレイロ]]が、結局ひとつも勝つことができなかったことも大きく影響していた<ref name="deep2" />。
{| class="wikitable"
!種付年度
!種付頭数
!生産頭数
!血統登録頭数
!出走頭数
!勝馬頭数
!重賞勝馬頭数
![[アーニングインデックス|AEI]]
![[コンパラブルインデックス|CPI]]
|-
!2010
|116
|84
|82
|74
|48
|0
|0.66
|
|-
!2011
|115
|83
|83
|74
|55
|2
|0.93
|
|-
!2012
|188
|124
|121
|106
|78
|3
|0.53
|
|-
!2013
|127
|79
|76
|65
|42
|3
|0.91
|
|-
!2014
|32
|22
|22
|19
|17
|0
|1.24
|
|-
!2015
|8
|4
|4
|4
|2
|-
|0.83
|
|-
!2016
|28
|20
|20
|19
|13
|0
|0.36
|
|-
!2017
|36
|19
|19
|16
|9
|0
|0.53
|
|-
!2018
|32
|23
|22
|18
|9
|0
|0.50
|
|-
!2019
|20
|12
|10
|4
|2
|-
|0.77
|
|-
!2020
|10
|5
|5
|0
|-
|-
|-
|
|-
!2021
|5
|0
|0
|0
|-
|-
|-
|
|-
! colspan="3" |合計
|464
|399
|275
|8
|0.83
|1.34
|}


* 情報は、2022年9月5日時点。
=== 気性 ===
* 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、[[アーニングインデックス]]、[[コンパラブルインデックス]]は、[[平地競走]]に限る。
レースでは騎手の意に反して前に行きたがる面も見せたが、四位は「本質的には[[折り合い]]に不安のあるタイプではない」と述べている<ref name="deep5" />。日常生活では穏やかな馬であり、ダービーのあとに四位が[[厩舎]]を訪れた際には、馬房のなかで寝転がったままで四位の手からニンジンを口にしたという。悍の強い[[サラブレッド]]としてはめずらしい行動であり、四位は「牧場の人が大切にしてくれたんでしょう。だから人間のことを信頼しているんですよ。こんな馬は初めて」と語っている<ref name="deep5" />。


== 種牡馬成績 ==
=== 主な産駒 ===

=== グレード制重賞優勝馬 ===
==== GI級競走優勝産駒 ====
'''太字'''はGI(またはJpnI)競走。
GI級競走は、競走名を'''太字強調'''にて示す。
[[File:Sound-Sky IMG 2125-3 20170909.jpg|thumb|200px|サウンドスカイ(2013年産)]]
* 2013年産
[[File:Kyoei Gere IMG 1519r R 20151219.jpg|thumb|200px|キョウエイギア(2013年産)]]
**[[サウンドスカイ]](2015年[[兵庫ジュニアグランプリ]]、'''[[全日本2歳優駿]]''')- 母父:[[ゴーンウェスト|ゴーンウエスト]]<ref name="JBIS-サウンドスカイ">{{Cite web|和書|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001173652/ |title=サウンドスカイ |publisher=JBISサーチ |accessdate=2017-10-23}}</ref>
**[[キョウエイギア]](2016年'''[[ジャパンダートダービー]]''')- 母父:[[パラダイスクリーク]]<ref name="JBIS-キョウエイギア">{{Cite web|和書|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001168048/ |title=キョウエイギア |publisher=JBISサーチ |accessdate=2017-10-23}}</ref>
<gallery>
ファイル:Sound-Sky IMG 2125-3 20170909.jpg|[[サウンドスカイ]]
ファイル:Kyoei Gere IMG 1519r R 20151219.jpg|[[キョウエイギア]]
</gallery>

==== グレート制及びダートグレード重賞優勝産駒 ====
*2012年産
*2012年産
**タマノブリュネット(2016年[[レディスプレリュード]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001151518/|title=タマノブリュネット |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
**タマノブリュネット(2016年[[レディスプレリュード]])- 母父:[[ジェイドロバリー]]<ref name="JBIS-タマノブリュネット">{{Cite web|和書|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001151518/|title=タマノブリュネット |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
**モルトベーネ(2017年[[アンタレスステークス]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001149319/|title=モルトベーネ |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
**[[モルトベーネ (競走馬)|モルトベーネ]](2017年[[アンタレスステークス]])- 母父:[[アフリート]]<ref name="JBIS-モルトベーネ">{{Cite web|和書|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001149319/|title=モルトベーネ |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
*2013年産
**[[サウンドスカイ]](2015年[[兵庫ジュニアグランプリ]]、'''[[全日本2歳優駿]]''')<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001173652/|title=サウンドスカイ |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
**[[キョウエイギア]](2016年'''[[ジャパンダートダービー]]''')<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001168048/|title=キョウエイギア |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
*2014年産
*2014年産
**[[クリンチャー]](2018年[[京都記念]]、2020年[[みやこステークス]]、2021年[[佐賀記念]]、2021年・2022年[[名古屋大賞典]])
**[[クリンチャー]](2018年[[京都記念]]、2020年[[みやこステークス]]、2021年[[佐賀記念]]、2021年・2022年[[名古屋大賞典]]連覇- 母父:[[ブライアンズタイム]]<ref name="JBIS-クリンチャー">{{Cite web|和書|title=クリンチャー|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001184463/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>


=== 地方重賞優勝 ===
==== 地方重賞優勝産駒 ====

*2013年産
* 2013年産
**ノブタイザン(2015年[[園田ジュニアカップ]]、2016年[[兵庫ダービー]]、2018年[[六甲盃]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001168942/|title=ノブタイザン |publisher=JBISサーチ|accessdate=2018-03-03}}</ref>
**ノブタイザン(2015年[[園田ジュニアカップ]]、2016年[[兵庫ダービー]]、2018年[[六甲盃]])- 母父:[[ダンスインザダーク]]<ref name="JBIS-ノブタイザン" />
*2014年産
*2014年産
**スカイサーベル(2016年[[平和賞 (船橋競馬)|平和賞]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001191077/|title=スカイサーベル |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
**スカイサーベル(2016年[[平和賞 (船橋競馬)|平和賞]])- 母父:[[ワイルドラッシュ]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001191077/ |title=スカイサーベル |publisher=JBISサーチ |accessdate=2017-10-23}}</ref>

**ブラウンレガート(2017年[[黒潮盃]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001187511/|title=ブラウンレガート |publisher=JBISサーチ|accessdate=2017-10-23}}</ref>
ブラウンレガート(2017年[[黒潮盃]])- 母父:[[フォーティナイナー]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001187511/ |title=ブラウンレガート |publisher=JBISサーチ |accessdate=2017-10-23}}</ref>

* 2015年産
**ソロフレーズ(2022年[[いしがきマイラーズ]])- 母父:[[ピヴォタル|Pivotal]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001207959/ |title=ソロフレーズ |publisher=JBISサーチ |accessdate=2022-10-09}}</ref>
*2020年産
**サベージ(2023年[[京浜盃]])- 母父:[[アドマイヤムーン]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001322612/ |title=サベージ |website=JBISサーチ |publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2023-03-29}}</ref>

=== ブルードメアサイアーとしての産駒 ===

==== グレート制及びダートグレード重賞優勝産駒 ====

* 2021年産
** [[スウィープフィート]](2024年[[チューリップ賞]])- 父:[[スワーヴリチャード]]

==== 地方重賞優勝産駒 ====
* 2016年産
** ニューホープ(2018年[[若駒賞 (岩手競馬)|若駒賞]]、2019年[[岐阜金賞]]、[[東海ゴールドカップ]]、2020年[[マーチカップ (競馬)|マーチカップ]])- 父:[[フリオーソ (2004年生)|フリオーソ]]<ref>{{Cite web|和書|title=ニューホープ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001221728/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>
* 2018年産
** セイカメテオポリス(2021年[[戸塚記念]]、2023年[[オグリキャップ記念]]、[[大井記念]]、2024年[[はがくれ大賞典]])- 父:[[マジェスティックウォリアー]]<ref name="JBIS-セイカメテオポリス">{{Cite web|和書|title=セイカメテオポリス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001268904/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>
* 2019年産
** [[スーパーバンタム]](2022年[[ノトキリシマ賞]]、[[北日本新聞杯]]、[[石川ダービー]]、[[加賀友禅賞]]、[[西日本ダービー]])- 父:[[アポロソニック]]<ref name="JBIS-スーパーバンタム">{{Cite web|和書|title=スーパーバンタム|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001310505/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-17}}</ref>
** ミヤギザオウ(2022年[[羽田盃]])- 父:[[パイロ]]<ref name="JBIS-ミヤギザオウ">{{Cite web|和書|title=ミヤギザオウ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001311928/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-09-05}}</ref>
*2020年産
**サルトアンヘル(2023年[[星雲賞 (競馬のレース)|星雲賞]])- 父:[[ダンカーク]]<ref>{{Cite web|和書|title=サルトアンヘル|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001323735/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-08-17}}</ref>
*2021年産
**ストリーム(2023年[[栄冠賞]]、2024年[[ネクストスター北日本]]、[[グランシャリオ門別スプリント]]、[[ウポポイオータムスプリント]]、[[笠松グランプリ]])- 父:[[ダノンレジェンド]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001336757/|title=ストリーム|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-06-27}}</ref>
**マルカイグアス(2023年[[園田ジュニアカップ]]、2024年[[兵庫優駿]]、[[園田オータムトロフィー]]、[[園田金盃]])- 父:[[マクフィ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001336525/|title=マルカイグアス|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-12-31}}</ref>


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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}}
}}
父については同馬の項を参照のこと。母はイギリスで5戦1勝。叔父に[[ウニオンレネン]](ドイツ2000ギニー)など[[ドイツ]]で重賞4勝を挙げたロイヤルドラゴンRoyal Dragon。4代母[[ミスカーミー|Miss Carmie]]の牝系からは数々の活躍馬が出ており、同[[ファミリーライン|牝系]]に属する馬に[[ケンタッキーダービー]]優勝牝馬[[ウイニングカラーズ]]Winning Colors、[[三冠 (競馬)#アメリカ|ニューヨーク牝馬三冠]]を制した[[クリスエヴァート]]Chris Evert、宝塚記念とジャパンカップの優勝馬[[タップダンスシチー]]などがいる。母の父チーフズクラウンChief's Crownもこの牝系に属しているため、ディープスカイには母のアビから受け継いだミスカーミーのインブリードがある。

== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
<references group="注釈" />

=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

*『[[優駿]]』2008年7月号(日本中央競馬会、2008年)
*『優駿』2009年2月号(日本中央競馬会、2009年
* [[優駿]]』([[日本中央競馬会]]
** 2007年6月号
*** 村本浩平「【2歳馬情報 Part2】ヤマダステーブル アビの05」
** 2008年5月号
*** 「【重賞プレイバック】第17回アーリントンカップ(JpnIII)ダンツキッスイ」
*** 「【重賞プレイバック】第55回毎日杯(JpnIII)ディープスカイ」
**2008年6月号
***島田明宏「【ダービーだけは譲れない】期待度∞の3歳マイル王 ディープスカイ 距離の壁を越え、見据える世代ナンバーワンの座」
***「【重賞プレイバック】第68回皐月賞(JpnI)キャプテントゥーレ」
**2008年7月号
***有吉正徳(朝日新聞)「【第75回日本ダービー詳報】混迷のダービー戦線。キーワードは、『アグネスタキオン』『逃げ馬』『道悪』だった」
***広見直樹「【ダービー馬の蹄跡】ディープスカイ "運命"の日に生を受けて~誕生から牧場を巣立つまで」
***軍土門隼夫「【ダービー馬の蹄跡】昆調教師と結ばれた縁~入厩からダービー制覇まで」
***街風隆雄「【ダービーオーナーの肖像】深見敏男氏 栄冠は多くの『良運』の合作」
***優駿編集部「【杉本清の競馬談義(278)】昆貢調教師」
***「【重賞プレイバック】第13回NHKマイルカップ(JpnI)ディープスカイ」
**2008年8月号
***「【重賞プレイバック】第75回東京優駿(日本ダービー)(JpnI)ディープスカイ」
**2008年9月号
***軍土門隼夫「【有力馬たちのいま、そして決戦へ…】ディープスカイ ダービー馬の陣営の揺るぎない青写真」
***広見直樹「【優駿たちの故郷をたずねて】ディープスカイの故郷 笠松牧場 20年目、一気の飛躍」
**2008年12月号
***阿部珠樹「【クローズアップ】第138回天皇賞(秋)最後の100メートルで示された 3頭のフィジカルな能力と精神力」
***軍土門隼夫「【第138回天皇賞(秋)詳報】ディープスカイ ダービー馬の無念と矜持と」
***軍土門隼夫「【第28回ジャパンカップ】中央競馬史上初!日本ダービー馬3頭が揃い踏み」
**2009年1月号
***軍土門隼夫「【クローズアップ】第28回ジャパンカップ ニューヒーローの誕生とグランプリの行方」
***「【重賞プレイバック】第138回天皇賞(秋)(GI)ウオッカ」
***「【重賞プレイバック】ジャパン・オータムインターナショナル 第28回ジャパンカップ(GI)スクリーンヒーロー」
**2009年2月号
***「【2008年度JRA賞決定】年度代表馬はウオッカ 11年ぶりに牝馬が受賞」
***「【2008年JPNサラブレッド・ランキング発表】3歳芝 古馬と好勝負を演じたディープスカイが121ポンドの高評価」
***吉沢譲治「【巻末特集 アグネスタキオン徹底分析】日本の競馬環境への適応性の高さ。成功の所以は『ここ』にあり」
***橋浜保子(JRDB)「【巻末特集 アグネスタキオン徹底分析】"走る産駒"の馬体に迫る」
**2009年6月号
***「【重賞プレイバック】第53回産経大阪杯(GII)ドリームジャーニー」
**2009年8月号
***石田敏徳「【追悼企画】さらばアグネスタキオン 超高速で天まで駆け抜けた生涯」
***河村清明「【クローズアップ】第59回安田記念優勝馬 ウオッカ 勝利を劇的にデザインする力」
***「【重賞プレイバック】第59回安田記念(GI)ウオッカ」
***「【重賞プレイバック】第50回宝塚記念(GI)ドリームジャーニー」
**2009年9月号
***柴田章利(サンケイスポーツ)「【有力馬たちの夏と、秋への動向を徹底チェック!!】ディープスカイ」
**2009年10月号
***軍土門隼夫「【引退特別企画】ディープスカイ 高みを目指し続けた駿才」
***吉沢譲治「【特別寄稿】種牡馬ディープスカイの可能性を探る」
** 2010年6月号
*** 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ディープスカイ 天高く馬肥える"春"」
**2011年8月号
***谷川善久「【優駿激闘譜】ローレルゲレイロ 最後まで諦めない、折れない心」
**2013年1月号
***阿部珠樹「【優駿激闘譜】ドリームジャーニー グランプリで結実させた"夢の旅路"」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=2005101358|yahoo=2005101358|jbis=0000891931|racingpost=707503/deep-sky}}
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* {{Meiba.jp|2005101358|ディープスカイ}}


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2024年12月21日 (土) 17:11時点における最新版

ディープスカイ
2008年5月11日 東京競馬場
欧字表記 Deep Sky[1][2]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 栗毛[1][2]
生誕 2005年4月24日(19歳)[1][2]
抹消日 2009年8月30日[3]
アグネスタキオン[1][2]
アビ[1][2]
母の父 Chief's Crown[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1][2]
生産者 笠松牧場[1][2]
馬主 深見敏男[1][2]
調教師 山内研二栗東[4]
昆貢(栗東)[1][2]
厩務員 堂本和裕[5]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀3歳牡馬(2008年)[1][2]
生涯成績 17戦5勝[1][2]
獲得賞金 6億4213万9000円[1][2]
WTR L121 / 2008年[6]
I120 / 2009年[7]
勝ち鞍
JpnI NHKマイルC 2008年
JpnI 東京優駿 2008年
JpnII 神戸新聞杯 2008年
JpnIII 毎日杯 2008年
テンプレートを表示

ディープスカイ(欧字名:Deep Sky2005年4月24日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

2008年のJRA賞最優秀3歳牡馬である。2004年キングカメハメハ以来史上2例目となるNHKマイルカップ(JpnI)、東京優駿(日本ダービー)(JpnI)を連勝。いわゆる「変則二冠」を成し遂げた。東京優駿では、1968年タニノハローモア以来40年ぶり史上3例目となる1枠1番からの優勝を、1950年クモノハナ以来58年ぶりとなるデビュー5連敗以上からの戴冠を成し遂げた。

2015年全日本2歳優駿(JpnI)優勝のサウンドスカイ、2016年ジャパンダートダービー(JpnI)優勝のキョウエイギア、2018年京都記念(GII)優勝のクリンチャーなどの父として知られる。

概要

[編集]

2005年に日本で生まれた父アグネスタキオンの牡馬である。母は、母系辿ればミスカーミーなどが出くわすイギリス生産のアビ(父:チーフズクラウン)である。第1回東京優駿大競走が行われた「日本ダービー記念日」である4月24日に生誕した。北海道日高地方浦河町にある、開業20年重賞未勝利の笠松牧場が生産し、静内町のヤマダステーブルが育成を施した。愛知県豊田市の株式会社建重製作所の社長・深見敏男が、馬主歴5年目の3頭目として所有。騎手生活10年超と厩舎開業9年が経過しても、中央競馬の重賞並びにGI級競走に縁がなかった栗東トレーニングセンター所属の昆貢調教師が管理した。主に四位洋文騎手に導かれ、タイトル獲得に至った。

2歳10月にデビューしてから5連敗し、3歳1月下旬の6戦目で初勝利を挙げた。それから条件戦2着、アーリントンカップ(JpnIII)3着を挟み、毎日杯(JpnIII)にて重賞初勝利を挙げる。前年のクラシックでのローレルゲレイロの失敗を省みた昆の決断で、クラシック第1戦の皐月賞は回避し、NHKマイルカップ(JpnI)に臨み、ブラックシェルダノンゴーゴーなどを従えてGI級競走初優勝。牧場、オーナー、調教師にGI級競走のタイトルをもたらした。

それから東京優駿(日本ダービー)(JpnI)に臨み、40年間優勝馬がいなかった1枠1番からスタート。スマイルジャック、ブラックシェルなどを従えてGI級競走連勝でダービー戴冠。2004年キングカメハメハ以来史上2例目となるNHKマイルカップからの連勝、いわゆる「変則二冠」を成し遂げた。また牧場、オーナー、調教師、さらには有力視されながら目前で引退し挑戦が叶わなかった父、アグネスタキオンにダービーのタイトルを、前年のダービーをウオッカで制していた四位には、武豊以来史上2例目となるダービー連覇をもたらした。

3歳秋は神戸新聞杯(JpnII)優勝を経て、天皇賞(秋)(GI)で年長馬に挑み、ウオッカとダイワスカーレットに迫り、カンパニーなどを出し抜く3着。ジャパンカップ(GI)ではスクリーンヒーローに迫り、ウオッカ、マツリダゴッホオウケンブルースリメイショウサムソンなどを出し抜く2着となった。さらに年をまたいで4歳夏の安田記念(GI)ではウオッカに迫る2着、宝塚記念(GI)ではドリームジャーニーサクラメガワンダーに次ぐ3着となる。東京優駿以後、GI級競走優勝には至らなかったが、好走は続けた。宝塚記念後まもなく左前脚浅屈腱炎が祟って競走馬を引退。翌2010年から11年間、種牡馬として供用され、サウンドスカイキョウエイギアというGI級競走優勝産駒、クリンチャーモルトベーネという国際グレードで格付けされた重賞の優勝産駒を儲けた。

誕生までの経緯

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笠松牧場

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水上行雄は、北海道三石の競走馬生産牧場で生まれたが、牧場は継がず、会社を興していた[8]。やがて馬主免許を取得し、中央、地方競馬に参戦するようになり、成り行きで各地の牧場と付き合いが増えていた[8]。そんな頃、幼駒を購入したことのある1957年創業の笠松牧場の代表が亡くなる[9]。代表不在の笠松牧場は、後継者がおらず牧場消滅の危機にあった[9]

そこで水上は、笠松牧場を譲り受けて、本業の傍ら、牧場経営を行うことを決意、生産者も兼ねるオーナーブリーダーに転身した。「変更する必要性も感じなかったから[9]」(水上)という理由で笠松牧場の名称を継続し1989年、代表水上のもと再開業を果たした[9]。水上は当初、人脈皆無で未熟なブリーダーだったが、牧場の繁殖牝馬の血の更新や土壌の改良などを地道に続け、成績向上を目論んでいた[9]。ただし開業して20年近く経過しても、生産馬の重賞優勝が現れていなかった[10]

アビ

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アビは、父チーフズクラウン、母父キートゥザミント、三代母ミスカーミーの牝馬である[11]。ミスカーミーの産駒、末裔は各方面で活躍して名牝系となっており、1974年ニューヨーク牝馬三冠を成し遂げたクリスエヴァートの母であるほか、1988年ケンタッキーダービーなどを制したウイニングカラーズの祖母、2003年ジャパンカップや2004年宝塚記念を制したタップダンスシチーの曾祖母などとして知られていた[12]。また1984年ブリーダーズカップジュヴェナイル、1985年トラヴァーズステークスを優勝したチーフズクラウンも、曾祖母がミスカーミーだった[12]。よってアビは、ミスカーミー系同士での近親交配「同血クロス」により、同血の割合が18.75パーセント(ミスカーミーの4×3)となり、走る馬が多いと信じられている理論「奇跡の血量」が成立していた[13][11][12]

1995年にイギリスで生産されたアビは3歳で競走馬デビューし5戦1勝、引退後はイギリスで繁殖牝馬となる[14]。初年度はザミンダー、2年目はバハミアンバウンティ英語版、1年休んで4年目はガリレオという[15]、吉沢譲治によれば「名立たる種牡馬[12]」と交配し続けている。このうちイギリスでは、初仔、2番仔を儲けているが、後にこの2頭は、良績を残すことはできなかった[12]。そして4年目、ガリレオを宿した直後のアビは整理の対象となり、2002年12月タタソールズの繁殖牝馬セールに上場された[16]

水上は、そのセールに参戦していた[16]。予算内で買えるお手頃な繁殖牝馬を探しており、それに適ったのがアビだった[17][注釈 1]。そうして2003年、アビはガリレオの仔を孕んだ状態で日本に渡り、笠松牧場で3番仔(後のサクセスガーヴィン)が誕生する。3番仔が産まれた直後に行われた、日本で初めての交配では、アグネスタキオンとまぐわうも、不受胎[18]。1年の空胎を経て2004年、2度目の種付けでも再びアグネスタキオンとまぐわっていた[18]

アグネスタキオン

[編集]

アグネスタキオンは、父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ、母母アグネスレディーの牡馬である。母、母母は共にクラシック優勝馬、全兄アグネスフライトは、2000年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬だった。アグネスタキオンは2歳、2000年12月の新馬戦で3馬身半差をつけデビュー戦勝利を果たし、暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)では、ジャングルポケットクロフネを2馬身以上突き放して優勝し、クラシック戦線に加わっていた[19]。3歳初戦のトライアル競走弥生賞マンハッタンカフェなどを下して無敗の3連勝を挙げ、続く皐月賞では、1951年トキノミノルに次ぐ歴代2位の単勝支持率の1番人気だった。その支持に応え、ダンツフレーム、ジャングルポケットなどに1馬身以上突き放して優勝していた[20]

アグネスタキオン

続く二冠目の東京優駿も期待され、さらには無敗の「三冠」がちらつくほどだったが、皐月賞2週間後に左前脚に屈腱炎をきたして競走馬を引退する[20]。下した相手らが、後に出世しGI優勝を果たしており、4戦4勝の皐月賞優勝という活躍はひときわ目立つものだった[20]。翌2002年から種牡馬として供用される[21]。同年に父サンデーサイレンスが死亡したことから、その後継として期待を集め、毎年200頭近い牝馬を集め続けていた[22][16]。その200頭ほどの中の1頭が、アビだった[16]

まぐわってから1年が経った2005年、1932年に目黒競馬場第1回東京優駿大競走(優勝馬:ワカタカ)が行われた日に因む「日本ダービー記念日」の4月24日、北海道浦河町の笠松牧場にて、アビの4番仔、アグネスタキオンの3年目産駒である栗毛の牡馬(後のディープスカイ)が誕生する[23]

幼駒時代

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牧場時代

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出生直後のアビの4番仔は、牧場では目立つほうではなかったが[23]、時が経つにつれて、主に精神面での成長が際立つようになった。牧場の幼駒はふつう、母親と離れることを嫌うきらいがあったが、4番仔は母親が遠くに行っても動揺せず、独りで寝ころび続けていたという[17]。牧場の中ではリーダー的存在であり、複数での放牧中は常に集団の先頭を走っていた[24]。とはいっても我が強いすぎるわけではなく、人には従順な、大人しい性格だった[17]。兄姉に倣って大柄であり、四肢の負担が大きかったが、故障とは無縁で順調に成長する[17]。この4番仔を当歳夏、馬主・深見富朗が、皮膚の様子や筋肉の付き方に惹かれ[25]、富朗は自身の子である敏男に薦めていた[26]。かくして深見敏男が所有することとなった[25]

深見敏男

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深見敏男は、愛知県豊田市にある株式会社建重製作所、及びその系列会社株式会社ケイユウの代表取締役社長である[27]。主にトヨタ自動車などの部品の試作品製造を生業としていた[27]。父の深見富朗は、同会社の会長であり、長く馬主をしており「緑、白玉霰、白袖青一本輪[28]」という勝負服を用い、主に日高地方の生産馬を買い取って走らせていた[27]

富朗の馬主歴は長く[25]、重賞優勝馬も多数いた。例えばチェックメイトは、栗東の山内研二厩舎からデビューし2001年東京新聞杯(GIII)、ダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)を優勝している[29]。またラントゥザフリーズは、同じく山内厩舎からデビューし、2003年共同通信杯(GIII)を優勝していた[30]。ラントゥザフリーズは、クラシックに臨んでおり、皐月賞、東京優駿にも出走したが、いずれもネオユニヴァースに敵わなかった。皐月賞こそ4着[31]だったが、「6月1日の東京優駿」は16着だった[25]。それから池添兼雄厩舎に預けたプライドキムは、2004年の全日本2歳優駿(統一GI)を優勝している[32]。富朗は、地方競馬のGI級競走こそ優勝していたが、中央競馬のGI級競走は勝利できていなかった[25]

富朗の息子である敏男は、2003年に馬主登録を行う[27]。「、白玉霰、白袖青二本輪[33]」という勝負服を用い、競走馬の命名には、苗字の「見」に因んだ「ディープ」という冠名を定めていた[25]。2004年にデビューした最初の所有馬であるタイキシャトル産駒・ディープサマーは、父と同じく山内厩舎だった。2歳夏の新馬戦を勝利し、函館2歳ステークスで2着、朝日杯フューチュリティステークス6着などを経て、2005年のクリスタルカップ(GIII)をコパノフウジンアイルラヴァゲインを下して優勝する[34]。よって敏男は、最初の所有馬で重賞タイトルにありついていた[33]。2頭目の所有馬であるコマンダーインチーフ産駒・ディープハニーも同じく山内厩舎から、2006年、2歳夏にデビューしていたが、勝利できなかった[35]

そして3頭目が、アビの4番仔である[26]。4番仔は、冠名「ディープ」に空を意味する「スカイ」を組み合わせ[25]、「澄み切った大空」という意味の「ディープスカイ」と命名される[36][37]。ディープスカイは、これまでと同様に山内厩舎に入ることが内定していた[4]

転厩

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1歳5月、北海道静内町、坂路調教を重用するヤマダステーブルに移り、育成が施される[17]。ヤマダステーブルでは、同期50から60頭が集まっていたが、アビの4番仔は外見、能力の面でも抜けていたという[17]。ヤマダステーブルの山田秀人場長は、2歳4月の時点でこのように述べている[38]

スケールの大きい走りを見せています。乗り味も素晴らしいですね。優れたスピードの持ち主ですが、距離は長い方が能力を存分に発揮できるのではないでしょうか。順調に来ており、あとは入厩を待つだけです。 — 山田秀人

順調に成長したディープスカイは、早めのデビューが可能だった。当初は夏のローカル開催でのデビューもできたが、その能力から容易に勝ち上がれると考えて、時期を遅らせて、秋競馬でのデビューとなる[4]。2歳夏、2007年8月にヤマダステーブルから、栗東トレーニングセンターの山内厩舎に入厩する。具体的には、9月の阪神競馬場開催、初週の新馬戦でデビューする予定だった[4]

しかし入厩してまもなく、とある事情で山内厩舎から栗東・昆貢厩舎に転厩となる[4]。昆は、デビュー目前の引き受けとなったが、ディープスカイを詳しく見たところ、まだ体の節々に未熟なところがあり、特に肩が悪いことに気づいていた[39]。そこでデビュー延期となる[4]。その部分の改善には、牧場に帰ってから半年かけて治療する選択肢があったが[39]、昆は、馬の特徴を十分に把握してからデビューさせる思想の持ち主だったため、厩舎に留めながら、調教しながらの治療を目指した[39][4]。快復後、再調整をこなしたのち、2007年10月、2歳秋にデビューとなる[40]

競走馬時代

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2-3歳(2007-08年)

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アーリントンカップ3着まで

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2007年10月8日、京都競馬場新馬戦(芝1400メートル)に松田大作が騎乗し、デビューとなる。2番人気に推されるも、1着馬エーシンフォワードに約6馬身以上後れを取る4着に終わる。 2戦目、3戦目は武豊が騎乗するも2着敗退[40]。 4戦目の中京は、野元昭嘉が騎乗し、初めて1番人気に支持されたが、再三の2着。 2歳のうちに勝利を挙げることができなかった[41]。 年をまたいで3歳の初戦となる5戦目では、藤田伸二が騎乗し、再び1番人気に支持されるも、9着大敗となった[41]。 1月26日、藤田と臨んだ未勝利戦にて、1馬身半差をつけて初勝利。6戦目での勝ち上がりを果たす[41]。 続いて2月17日、条件戦に津村明秀と臨むも、先行馬に及ばず、クビ差の2着だった[42]

3月1日、アーリントンカップ(JpnIII)に幸英明と臨む。エアグルーヴの仔である武騎乗ポルトフィーノが単勝オッズ1倍台の人気を集め、それにシンザン記念2着のドリームガードナー、後にダート路線で大活躍するスマートファルコン、2勝馬の藤田騎乗ダンツキッスイなどが続いていた。一方のディープスカイは、36.3倍の10番人気だった。[43]

ダンツキッスイが大逃げを展開する一方、ディープスカイは馬群の後方を追走して、最終コーナーで大外に持ち出し進出する[44]。最終的に後方馬群は、一様にダンツキッスイに敵わず、逃げ切りを許すことになるが、ディープスカイは、差のない3着となった[43]

毎日杯

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3月29日、毎日杯(JpnIII)に、四位洋文と臨む。ここまでの騎手起用は、昆が行っていた。昆は乗り替わりが少ない方が良いという思想の持ち主であり、厩舎が重用する藤田にディープスカイも任せようとしたが、藤田には既にほかの騎乗馬がいた[45]。そこで昆は、馬が合う騎手だろうと「直感」で思った四位に依頼する[45]。最初に依頼したアーリントンカップでは、他に騎乗馬がおり叶わなかったが[45]、四位は前年、ウオッカで東京優駿(日本ダービー)を優勝したにもかかわらず、この年のクラシック戦線に乗る馬がいなかった[46]

相手は、1戦1勝のアドマイヤコマンド、重賞3着のマイネルスターリーやヤマニンキングリー、2勝のロードバリオス、重賞優勝のサブジェクトに次ぐ、8.7倍の6番人気だった[47]が、他馬に2馬身半差をつけて[47]。重賞初勝利を果たす[48]。笠松牧場は、牧場再開業20年目で初重賞優勝だった[44]

毎日杯は、皐月賞の優先出走権付与はないものの、クラシック1冠目皐月賞の出走権を得る最後の機会とされ、重賞優勝の賞金で以て、出走はほとんど可能だった。しかし、皐月賞回避と、NHKマイルカップ参戦を決断する[49]。昆は、東京の条件戦で2着となった際に、末脚が利く姿を見て、直線の短い中山よりも長い東京の方の適性を見出していた[50]

また昆は前年のクラシックにローレルゲレイロで挑んでいた。2歳夏にデビュー勝ちをしたローレルゲレイロは、牡馬が出走可能な春の3歳GI級競走である皐月賞、NHKマイルカップ、東京優駿(日本ダービー)を皆勤させていた[51]。昆は制覇の自信を持っていたが、それぞれ6着、2着、13着[52]ヴィクトリーピンクカメオ、ウオッカに敵わなかった[53]。このあと秋も走るが、年内に勝利を挙げられなかった[注釈 2][53]。この失敗を踏まえて、次の機会は馬の負担を軽減して、万全の状態で本番に参戦しようと反省するようになる。皆勤した3戦のうち1戦を見送って、2戦に臨むという発想が生まれ、翌年のクラシック戦線に加わったディープスカイに適用していた[52][45]。なお回避した皐月賞は、同じアグネスタキオン産駒であるキャプテントゥーレが優勝し、皐月賞父仔制覇を成し遂げている[55]

NHKマイルカップ

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5月11日、NHKマイルカップ(JpnI)に四位が続投して臨む。4馬身差でマーガレットステークスを優勝したファリダット弥生賞2着のブラックシェル、朝日杯フューチュリティステークス優勝のゴスホークケンラジオNIKKEI杯2歳ステークス2着のサダムイダテン、ニュージーランドトロフィー優勝のサトノプログレスが相対したが、それらを押しのける1番人気となる[56]。オッズは4.3倍であり、僅差の4.7倍の2番人気がファリダットだった[56]。昆は、前年のNHKマイルカップにローレルゲレイロで臨み1番人気2着、四位は前週の天皇賞(春)アサクサキングスで1番人気3着となっており、その雪辱を期す舞台だった[57]。馬場は稍重だった[56]

映像外部リンク
2008年 NHKマイルカップ(JpnI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

5枠9番からスタートして後方に控える[58]。ゴスホークケンが一本調子で淀みのないペースを刻む中[59]、18頭立て16番手を追走した。馬場は稍重の状態であり、内側の状態が特に悪かった[60]。そのためゴスホークケン以下全頭が内を空けて大回りし、直線では馬場がきれいな外側に進路を求めていた[61]。そんな中、ディープスカイは進路を外に求めず、内側に拘り、コーナーワークで前との距離を縮める[57]。直線入り口で3番人気ブラックシェルの背後を得ていた。ブラックシェルのスパートに応えて、スパートする[61]。ブラックシェルは先に抜け出していたが、ディープスカイの末脚はそれを上回った[56]。外を回った馬が並べて伸びあぐね、同じように内からの進出もなく、ディープスカイは以後独走する[56]。ブラックシェルを1馬身4分の3まで突き放したところが決勝線だった[56]

GI級競走初優勝を果たす[62]。昆は、前年2着のローレルゲレイロの雪辱を果たしてGI級初勝利[62]。笠松牧場、深見もGI級初勝利となった。レース直後、ディープスカイと四位は馬場から退き、地下馬道を経て、検量室前での下馬を目指している[63]。検量室前は、優勝を喜ぶ多くの関係者が待ち構えており、四位はそれらに応えて両手で喜びをアピール[63]。しかしその激しい動きにディープスカイが驚いて暴れてしまい、四位はたちまち振り下ろされていた[63]。四位はその後、表彰式やインタビューをこなしたが、右手関節を捻挫[63][64]。メインの後の最終第12レース・丹沢ステークス(1600万円以下)でリオサンバシチーに騎乗する予定だったが、騎乗を取りやめている[注釈 3][64]

続いてクラシック二冠目の東京優駿(日本ダービー)に臨むこととなる。昆は、NHKマイルカップ直前まで東京優駿参戦にはためらいがあったが、NHKマイルカップの終いの伸び脚を見て参戦を決断した[45]。四位もクラシックに臨む馬がおらず、続投となる[57]

東京優駿

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最終直線での攻防
画面左下にディープスカイ

6月1日、2003年以来5年ぶり16度目となる6月開催の東京優駿(日本ダービー)(GI)に参戦する[65]。一冠目の皐月賞を制したキャプテントゥーレは故障[66]、2001年皐月賞アグネスタキオン、東京優駿ジャングルポケット以来となる7年ぶりの皐月賞優勝馬不在の東京優駿となったが、皐月賞2着のタケミカヅチ、3着のマイネルチャールズ、4着のレインボーペガサス、毎日杯2着のあと青葉賞を制したアドマイヤコマンド、NHKマイルカップ2着のブラックシェル、共同通信杯を制したショウナンアルバなどが揃い、フルゲート18頭立てとなった。そんな中、ディープスカイは、単勝オッズ3.6倍、1番人気に支持される[67]。続く2番人気は6倍のマイネルチャールズであり、3番人気は8倍、4戦無敗、ただし初めての芝参戦となるサクセスブロッケンだった[67]。以下アドマイヤコマンド、レインボーペガサスまでがオッズ一桁台だった[67]。ただ未知の2400メートルに挑むディープスカイは、最内枠1枠1番が割り当てられていた。1枠1番は、過去74回の歴史の中で、1962年フエアーウイン、1968年タニノハローモアしか優勝しておらず、40年間勝利から遠ざかる枠番だった[68]

映像外部リンク
2008年 東京優駿(日本ダービー)(JpnI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2008年 東京優駿(日本ダービー)(JpnI)
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠1番からスタートしたディープスカイは、控えて後方を確保[46]。レッツゴーキリシマが作り出した平均ペースを追走した[67]。向こう正面を経て、第3コーナーに近づくと、各々が仕掛けて進出を狙うようになるが、そこでは動かずに脚を溜め、最終コーナーを後方から数えて3番手、15番手で通過した[67]。直線では前方に馬が密集して進路がなく、外に持ち出してから進出を開始する[69]。この日の馬場は、内側が伸びやすい傾向にあったが、それを無視して大外から追い上げた[42]。前方、内側では、好位追走から抜け出したスマイルジャックが、逃げるレッツゴーキリシマを捉えて抜け出し、独走しており、他は迫ることができていなかった[42]。しかし、末脚を繰り出したディープスカイがただ1頭迫り、ゴール板手前でスマイルジャックに並び立ち、まもなく差し切っていた[42]。スマイルジャックに1馬身半差をつけたところで決勝線通過となる[70][67]

東京優駿優勝を果たし、同世代8150頭の頂点となる[71]。NHKマイルカップからの連勝は広く「変則二冠」と称されていたが、ディープスカイは、2004年キングカメハメハ以来史上2頭目となる「変則二冠」を成し遂げた[68]。「1枠1番」の優勝は40年ぶり史上3例目[68]、栗毛の優勝は、2000年アグネスフライト以来で1980年オペックホース、1987年メリーナイス、1992年ミホノブルボンなどに続くものだった[36]。またディープスカイは、デビューから初勝利まで6戦かかり、ダービー制覇まで11戦かかっている。初勝利まで5戦以上かかりながらダービーに辿り着いたのは、1950年クモノハナ以来史上2例目[68]。6戦は、クモノハナは8戦だったことから史上2番目の記録であり[72]、軍土門隼夫によれば「『近年、これほど1勝目が遠かったダービー馬はいない』と断言していい[72]」と評している。また10戦以上かかっての制覇は、平成時代において1994年ナリタブライアン、2006年メイショウサムソンに次いで3例目だった[73][65]。それから4月24日の「日本ダービー記念日」に生まれて、ダービーを優勝を成し遂げている[23]

また父アグネスタキオンは競走馬時代、皐月賞まで無敗の4連勝を果たしながら、ダービーを前に故障し参戦が叶わなかったが、産駒で優勝し、ダービーサイアーの称号を得ている[74]。サンデーサイレンス亡き日本競馬界において、その後継者争いが勃発していたが、アグネスタキオンが父父サンデーサイレンスの種牡馬で最初に、その国の基幹となるダービーを制している[21]。大タイトルを獲得するなど、活躍する産駒が多く出現することは、種牡馬の影響力を推し量ることができるが、この年は皐月賞と東京優駿を異なる2頭の産駒で制している[21]。同じ年の2頭の産駒でその2競走を制したのは、プリメロヒンドスタン、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムに次いで史上5度目だった[21]

さらに四位は、前年のウオッカに続くダービー優勝であり、1998年スペシャルウィーク、1999年アドマイヤベガ優勝の武豊に次いで史上2人目となるダービー連覇を果たした[75]。昆、深見、笠松牧場は、それぞれダービートレーナー、オーナー、ブリーダーの称号を初めて得ており[36]、特に深見は、馬主歴5年目、ダービー時点での所有馬がディープスカイ1頭のみという身分で初優勝を果たした[42][26]。通算3頭目の所有馬による優勝は、1935年ガヴアナーの高橋錬逸に並ぶものだった[27]

四位はレース直後、スタンド前でのインタビューに応えているがその最中、最前列の泥酔した一ファンによる「四位コール」に遮られていた[76]。すると四位は、インタビューを一旦止め、ファンに「うるせえ」と注意していた[76]。このハプニングはテレビ中継されており、インターネットを中心に話題を集めた[76]。また検量室前にて四位は、NHKマイルカップと同じパフォーマンスをして喜んでいる[69]。ディープスカイは再び暴れる素振りを見せたが、今度は四位がこらえていた[69]

古馬挑戦、惜敗

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東京優駿の後は休養となる。直後は秋は、天皇賞(秋)か菊花賞を目指し[77]、来年には外国遠征、具体的にはドバイミーティングやフランスの凱旋門賞参戦を検討するようになった[78]。ダービー10日後の6月12日、浦河町のグランデファームで放牧、初めての放牧に出された[79]。放牧中は、近隣の軽種馬育成調教センター(BTC)で運動する[79]。8月下旬に一旦札幌競馬場に入厩し、調整を経て栗東の厩舎に帰厩した[79]

9月28日、神戸新聞杯(JpnII)に臨む。スマイルジャックやブラックシェルとの再戦となり、3連勝中の上がり馬オウケンブルースリとの初対決となった[80]。またも1枠1番からスタートして、中団を追走し、直線半ばで抜け出し先頭となる[81]。後方内から追い込むブラックシェルに詰め寄られたが、先頭は守り続けた。クビ差先着を果たして重賞連勝を果たした[80]。1993年ビワハヤヒデ以来となる1枠1番の優勝だった[82]

この競走は、菊花賞のトライアル競走であり、優先出走権を獲得する[82]。しかしレース後、距離やコースの適性を考慮して、天皇賞(秋)に臨むこととなった[83]。最大目標は、その次のジャパンカップだった。昆は、いまだディープスカイは発展途上と考えており、あくまで来年の凱旋門賞を見据えての選択だった[84]

11月2日、天皇賞(秋)(GI)に臨む。天皇賞(秋)の出走資格が3歳馬にも開放された1987年以降、東京優駿優勝馬が菊花賞に背を向けて天皇賞(秋)に向かうのは、史上初めての例だった[85]。17頭立てとなる中、唯一の3歳馬だった[86]。ディープスカイは有力候補の1頭だったが、他に前年の東京優駿を優勝した4歳牝馬のウオッカ、前年の二冠並びにエリザベス女王杯を優勝、故障明けの4歳牝馬のダイワスカーレットとともに「三強」と捉えられた。オッズも3頭が抜けており、ウオッカ2.7倍、ダイワスカーレット3.6倍、そしてディープスカイは4.1倍の3番人気だった[86]

映像外部リンク
2008年 天皇賞(秋)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠2番から好発し先行[87]。ダイワスカーレットが引っ張るハイペースを、外枠から進んだウオッカとともに追走した[87]。直線では逃げるダイワスカーレットを、ウオッカと並んで追いかけた[86]。やがて内からダイワスカーレット、ディープスカイ、ウオッカの順で横並び、追い比べとなる[87]。終いには内からカンパニーが加わっていた。ディープスカイは、年上相手に抵抗するものの、2頭の牝馬には敵わず、横一線から脱落、それでも7歳馬カンパニーには抗った[87][86]。2頭にクビ差及ばず、カンパニーにはハナ差先着する3着だった[86]。1999年天皇賞(秋)のスペシャルウィークを上回るレコードタイムで走破したが、勝利には届かなかった[86]
続いて11月30日、ジャパンカップ(GI)に臨む。ダイワスカーレット、カンパニーこそいなかったが、ウオッカとの再戦が実現する。前々年の東京優駿優勝馬であるメイショウサムソンも出走しており、史上初めて三世代ダービー馬による対決となった[88][89]。また回避した菊花賞を制したオウケンブルースリ、前年の有馬記念を制したマツリダゴッホ、他に3頭の外国調教馬を迎えた17頭立てだった[90]。前走敗れたウオッカがいたが、それを押しのけて1番人気に推される。ただし3.4倍、ウオッカ3.7倍の僅差だった[90]

映像外部リンク
2008年 ジャパンカップ(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

ネヴァブションが引っ張るスローペースの中、中団後方を追走する[90]。第3コーナーから最終コーナーにかけて大外から進出を開始した[91]。直線では、内々をまわったウオッカ、マツリダゴッホ、メイショウサムソンなどを外から追いかける。末脚を発揮してウオッカ、マツリダゴッホなどは差し切ることに成功する[90]。しかし内からもう1頭、9番人気スクリーンヒーローに出し抜かれた[91]。ウオッカには4分の3馬身先着を果たすが、スクリーンヒーローには半馬身敵わず2着となった[90]

この後、暮れの有馬記念参戦は見送った[92]。この年のJRA賞では、全300票中300票、満票で最優秀3歳牡馬を受賞している[93][94]。また300票中37票を集めて年度代表馬選考の第3位、ウオッカ、ダイワスカーレットに次ぐ第3位となった[94]

4歳(2009年)

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この年初めには昆から、春の国内専念と秋の凱旋門賞挑戦が予告される[95]。ただし凱旋門賞参戦には条件があり、春に臨む安田記念宝塚記念というGI競走で力を示さなければならなかった[95]。具体的には、始動戦の産経大阪杯も含めて3戦全勝で向かうのが昆の理想だった。厩舎での調整を経て、4月5日の産経大阪杯(GII)で復帰する。マツリダゴッホ、ドリームジャーニーカワカミプリンセスら年上馬と対し、1.6倍の1番人気に推されていた[96]

外枠から好位の外側を追走し、最終コーナーにかけて外から進出。直線で先を行くマツリダゴッホ、アドマイヤフジを捉えて、抜け出した[96]。しかしその直後、ディープスカイの背後で待機していたドリームジャーニーの追い上げを許し、たちまちかわされていた[96][97]。それでもディープスカイは追いすがり、並んでの競り合いをゴール手前まで続けたが、先頭を再び奪取することができなかった。クビ差及ばず2着となる[97]

続いて6月7日の安田記念(GI)に臨む。ウオッカとの再戦となり、ウオッカが1番人気、それに次ぐ2番人気だった[98]。その他、スーパーホーネットやカンパニー、スマイルジャック、同厩舎のローレルゲレイロなどとの対決だった[98]

映像外部リンク
2009年 安田記念(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

3枠6番からスタートしたディープスカイは中団内側、ウオッカの背後を追走する。最終コーナーでは、ウオッカの内に潜り、先んじて進出した[99]。直線では、ウオッカが狙っていた進路を合法的に奪って抜け出し、中間地点で独走する展開を作る[98]。外からファリダット、カンパニーが追い込んできたが、もう一伸びして先頭を守った。しかし進路を失い、回り道をしたウオッカが進路を得てから、鋭い末脚を使い、追い込んでいた[99]。ウオッカの末脚により、ディープスカイは呑みこまれ、たちまちかわされた[98]。ウオッカに4分の3馬身後れる2着となる[98]。ここまで二つとも敗れ、昆の理想とはかけ離れていたが、宝塚記念の結果次第では凱旋門賞を諦めていなかった[100]
6月28日、宝塚記念(GI)に臨む。ドリームジャーニー、サクラメガワンダーアルナスラインマイネルキッツ相手に1.6倍の抜けた1番人気となる[101]。7枠11番からスタートして、中団を追走する[101]。第3コーナーから四位により促され、前を行くサクラメガワンダーを目指したが、直線で伸びず、かわすことができなかった[101]。おまけに背後で待機していたドリームジャーニーに外からかわされる[102]。ドリームジャーニーには突き放された。ドリームジャーニーに1馬身4分の3差以上後れを取り、サクラメガワンダーにもクビ差後れる3着だった[101]

映像外部リンク
2009年 宝塚記念(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

結局春3戦は、好走を続けたものの、未勝利に終わり、昆が掲げた理想とは正反対となった[100]。よってこの秋の凱旋門賞参戦は立ち消え、国内専念となる[100]。宝塚記念の後は、北海道日高町のファンタストクラブで放牧に出された[103]。昆は、深見と来年の現役続行の約束を取り付け[103]、目標を次の凱旋門賞に切り替えていた[100]。この秋こそ、国内に甘んじるものの、秋に力を見せつければ、来年の外国遠征を検討していた[100]

夏の札幌記念を使う予定もあったが見送り[104]、秋は毎日王冠、天皇賞(秋)、ジャパンカップの3戦を予定する[103]。始動戦の毎日王冠を目指して、8月8日に函館競馬場に入厩した[105]。ファンタストクラブからは、2日前より左前脚に熱がある報告を受けており、当日は昆の検分が行われた[105]。しかし左前脚の症状は、軍土門隼夫によれば「自分の目で脚元を確かめた瞬間、これはだめだとわかった[105]」というものだった。

8月12日、エコー検査の結果、損傷率11パーセントの左前脚の浅屈腱炎が判明する[106][107]。戦線復帰には1年近くを要するものであり、復帰は不可能ではなかったものの、競走馬引退が決定する[107][108]。父と同じ左前脚の屈腱炎で引退に追い込まれた[109]。8月30日、札幌競馬場で引退式が行われる[110]。東京優駿優勝時の1枠1番のゼッケン、帽子の姿でお披露目がなされ[111]、5270人が見守った[112]。同日、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消する[110]

種牡馬時代

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引退後は、北海道日高町のダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスにて種牡馬となった[113][2]。スポーツ報知によれば、取引価格は10数億円であるとされている[114]。父アグネスタキオンは、活躍産駒が続々出現し、サンデーサイレンスの後継種牡馬筆頭に上り詰めていたが、2009年6月、11歳にして急死していた。これによりディープスカイは、その後継種牡馬としての期待を集めた[113][2]

初年度となる2010年から4年目の2013年まで三桁の繁殖牝馬を集め続け、特に3年目の2012年は、188頭の繁殖牝馬を集めた[115]。しかし5年目の2014年からは30頭程度にまで減少。以後、三桁には回復せず、40頭にも届かなかった[115]。2015年にはイーストスタッドに移動。その後、重賞優勝馬が現れたが(後述)、繁殖牝馬は戻ってこなかった[116]。5頭の相手しかできなかった2021年を最後に種牡馬を引退する[115]

産駒は2013年から走っている[115]。2022年9月11日時点で、2頭のGI級競走を優勝馬がいる。サウンドスカイは、2015年の全日本2歳優駿を優勝し[117]キョウエイギアは、2016年のジャパンダートダービーを優勝した[118]。その他、クリンチャーは、2018年京都記念や2020年みやこステークスを優勝し[119]、ディープスカイが叶わなかった凱旋門賞にも参戦した[120]。さらにモルトベーネは、2017年アンタレスステークスを優勝した[121]

また、2016年レディスプレリュード優勝のタマノブリュネット[122]、2016年兵庫ダービー優勝のノブタイザンなどがいる[123]。またブルードメアサイアーとしての産駒には、2021年戸塚記念優勝のセイカメテオポリス[124]、2022年石川ダービー優勝のスーパーバンタム[125]、2022年羽田盃優勝のミヤギザオウ[126]がいる。

厩舎時代には、同厩舎のローレルレーシング所有であるハーリカに思いを寄せていたという[127]。2013年、種牡馬のディープスカイと繁殖牝馬のハーリカを、浜本牧場が結びつけ、まぐわっている[128][129]。産まれた牡馬は、ミズデッポウという名が与えられている[130]。ミズデッポウは2016年から2022年まで中央競馬、地方競馬で116戦走り、地方競馬で6勝を挙げている[130]

種牡馬引退後は、2021年に実施したナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションで得た資金を利用した引退馬協会に引き取られた[131]。協会支援員が里親となる「フォスターホース」となり、日高町のひだか・ホース・フレンズに繋養されている[132]。2022年から引退名馬繋養展示事業の対象に加わった[133]

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[134]並びにJBISサーチ[41]、『優駿[2]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2007. 10. 08 京都 2歳新馬 芝1400m(良) 8 6 6 02.8 0(2人) 04着 1:24.4 (35.5) -0.8 松田大作 55 エーシンフォワード 506
11. 04 京都 2歳未勝利 芝1600m(良) 10 7 8 08.6 0(5人) 02着 1:35.4 (35.2) -0.1 武豊 55 ロードバリオス 510
11. 24 東京 2歳未勝利 芝1800m(良) 17 7 14 05.3 0(3人) 02着 1:49.4 (34.6) -0.2 武豊 55 ピサノエミレーツ 500
12. 06 中京 2歳未勝利 芝1800m(良) 16 4 7 02.5 0(1人) 02着 1:49.6 (35.9) -0.1 野元昭嘉 55 マイサイドキック 506
2008. 01. 13 京都 3歳未勝利 芝2000m(稍) 16 7 13 04.6 0(1人) 09着 2:05.6 (35.9) -0.9 藤田伸二 56 マゼラン 506
01. 26 京都 3歳未勝利 芝1800m(良) 14 4 5 06.6 0(4人) 01着 1:50.9 (35.6) -0.2 藤田伸二 56 (シャイニングデイ) 506
02. 17 東京 3歳500万下 芝1600m(良) 16 4 7 06.2 0(3人) 02着 1:36.7 (33.4) -0.0 津村明秀 56 コウヨウマリーン 516
03. 01 阪神 アーリントンC JpnIII 芝1600m(良) 12 3 3 36.3 (10人) 03着 1:34.9 (34.1) -0.3 幸英明 56 ダンツキッスイ 506
03. 29 阪神 毎日杯 JpnIII 芝1800m(良) 14 2 2 08.7 0(6人) 01着 1:46.0 (34.8) -0.4 四位洋文 56 アドマイヤコマンド 508
05. 11 東京 NHKマイルC JpnI 芝1600m(稍) 18 5 9 04.3 0(1人) 01着 1:34.2 (33.9) -0.3 四位洋文 57 ブラックシェル 508
06. 01 東京 東京優駿 JpnI 芝2400m(良) 18 1 1 03.6 0(1人) 01着 2:26.7 (34.2) -0.2 四位洋文 57 スマイルジャック 514
09. 28 阪神 神戸新聞杯 JpnII 芝2400m(良) 18 1 1 02.0 0(1人) 01着 2:25.3 (35.1) -0.0 四位洋文 56 ブラックシェル 508
11. 02 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 17 1 2 04.1 0(3人) 03着 1:57.2 (34.5) -0.0 四位洋文 56 ウオッカ 510
11. 30 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 17 5 9 03.4 0(1人) 02着 2:25.6 (33.8) -0.1 四位洋文 55 スクリーンヒーロー 518
2009. 04. 05 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 12 8 11 01.6 0(1人) 02着 1:59.7 (34.2) -0.0 四位洋文 59 ドリームジャーニー 510
06. 07 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 3 6 03.7 0(2人) 02着 1:33.6 (35.5) -0.1 四位洋文 58 ウオッカ 524
06. 28 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 14 7 11 01.6 0(1人) 03着 2:11.6 (34.8) -0.3 四位洋文 58 ドリームジャーニー 516

種牡馬成績

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年度別成績

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以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[115]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2010 116 84 82 74 48 0 0.66
2011 115 83 83 74 55 2 0.93
2012 188 124 121 106 78 3 0.53
2013 127 79 76 65 42 3 0.91
2014 32 22 22 19 17 0 1.24
2015 8 4 4 4 2 0.83
2016 28 20 20 19 13 0 0.36
2017 36 19 19 16 9 0 0.53
2018 32 23 22 18 9 0 0.50
2019 20 12 10 4 2 0.77
2020 10 5 5 0
2021 5 0 0 0
合計 464 399 275 8 0.83 1.34

主な産駒

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GI級競走優勝産駒

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GI級競走は、競走名を太字強調にて示す。

グレート制及びダートグレード重賞優勝産駒

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地方重賞優勝産駒

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ブラウンレガート(2017年黒潮盃)- 母父:フォーティナイナー[136]

ブルードメアサイアーとしての産駒

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グレート制及びダートグレード重賞優勝産駒

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地方重賞優勝産駒

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血統表

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ディープスカイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系
[§ 2]

アグネスタキオン
1998 栗毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
アグネスフローラ
1987 鹿毛
*ロイヤルスキー
Royal Ski
Raja Baba
Coz o'Nijinsky
アグネスレディー *リマンド
イコマエイカン

*アビ
Abi
1995 栗毛
Chief's Crown
1982 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Six Crowns Secretariat
Chris Evert
母の母
Carmelized
1990
Key to the Mint Graustark
Key Bridge
Carmelize Cornish Prince
Miss Carmie
母系(F-No.) Miss Carmie系(FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Bold Ruler5×5・5、Miss Carmie 5・4(母内) [§ 4]
出典
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  3. ^ [143]
  4. ^ JBISサーチ ディープスカイ 5代血統表2017年8月29日閲覧。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 水上は、ガリレオを受胎していることも魅力として捉えていたが、決め手はやはり予算内であることだった[17]
  2. ^ 後に、GI2勝を含む重賞4勝を挙げる[54]。4歳には、東京新聞杯(GIII)を藤田に導かれて重賞初勝利、昆厩舎初めての重賞優勝を挙げている。また阪急杯(GIII)では四位に導かれ重賞連勝とした。それから1年以上の紆余曲折を経て5歳、2009年の高松宮記念(GI)、スプリンターズステークス(GI)というその年の春秋のスプリントGI競走を連勝する活躍を見せた。
  3. ^ 後藤浩輝に乗り替わっている。

出典

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  132. ^ ディープスカイを訪ねて~ひだか・ホース・フレンズ | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2022年9月11日閲覧。
  133. ^ 引退名馬”. www.meiba.jp. 2022年9月11日閲覧。
  134. ^ ディープスカイの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2022年9月6日閲覧。
  135. ^ スカイサーベル”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  136. ^ ブラウンレガート”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  137. ^ ソロフレーズ”. JBISサーチ. 2022年10月9日閲覧。
  138. ^ サベージ”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年3月29日閲覧。
  139. ^ ニューホープ”. www.jbis.or.jp. 2022年9月5日閲覧。
  140. ^ サルトアンヘル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2023年8月17日閲覧。
  141. ^ ストリーム”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年6月27日閲覧。
  142. ^ マルカイグアス”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年12月31日閲覧。
  143. ^ 平出貴昭 (2019年9月18日). “『覚えておきたい世界の牝系100』掲載牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年4月5日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2007年6月号
      • 村本浩平「【2歳馬情報 Part2】ヤマダステーブル アビの05」
    • 2008年5月号
      • 「【重賞プレイバック】第17回アーリントンカップ(JpnIII)ダンツキッスイ」
      • 「【重賞プレイバック】第55回毎日杯(JpnIII)ディープスカイ」
    • 2008年6月号
      • 島田明宏「【ダービーだけは譲れない】期待度∞の3歳マイル王 ディープスカイ 距離の壁を越え、見据える世代ナンバーワンの座」
      • 「【重賞プレイバック】第68回皐月賞(JpnI)キャプテントゥーレ」
    • 2008年7月号
      • 有吉正徳(朝日新聞)「【第75回日本ダービー詳報】混迷のダービー戦線。キーワードは、『アグネスタキオン』『逃げ馬』『道悪』だった」
      • 広見直樹「【ダービー馬の蹄跡】ディープスカイ "運命"の日に生を受けて~誕生から牧場を巣立つまで」
      • 軍土門隼夫「【ダービー馬の蹄跡】昆調教師と結ばれた縁~入厩からダービー制覇まで」
      • 街風隆雄「【ダービーオーナーの肖像】深見敏男氏 栄冠は多くの『良運』の合作」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(278)】昆貢調教師」
      • 「【重賞プレイバック】第13回NHKマイルカップ(JpnI)ディープスカイ」
    • 2008年8月号
      • 「【重賞プレイバック】第75回東京優駿(日本ダービー)(JpnI)ディープスカイ」
    • 2008年9月号
      • 軍土門隼夫「【有力馬たちのいま、そして決戦へ…】ディープスカイ ダービー馬の陣営の揺るぎない青写真」
      • 広見直樹「【優駿たちの故郷をたずねて】ディープスカイの故郷 笠松牧場 20年目、一気の飛躍」
    • 2008年12月号
      • 阿部珠樹「【クローズアップ】第138回天皇賞(秋)最後の100メートルで示された 3頭のフィジカルな能力と精神力」
      • 軍土門隼夫「【第138回天皇賞(秋)詳報】ディープスカイ ダービー馬の無念と矜持と」
      • 軍土門隼夫「【第28回ジャパンカップ】中央競馬史上初!日本ダービー馬3頭が揃い踏み」
    • 2009年1月号
      • 軍土門隼夫「【クローズアップ】第28回ジャパンカップ ニューヒーローの誕生とグランプリの行方」
      • 「【重賞プレイバック】第138回天皇賞(秋)(GI)ウオッカ」
      • 「【重賞プレイバック】ジャパン・オータムインターナショナル 第28回ジャパンカップ(GI)スクリーンヒーロー」
    • 2009年2月号
      • 「【2008年度JRA賞決定】年度代表馬はウオッカ 11年ぶりに牝馬が受賞」
      • 「【2008年JPNサラブレッド・ランキング発表】3歳芝 古馬と好勝負を演じたディープスカイが121ポンドの高評価」
      • 吉沢譲治「【巻末特集 アグネスタキオン徹底分析】日本の競馬環境への適応性の高さ。成功の所以は『ここ』にあり」
      • 橋浜保子(JRDB)「【巻末特集 アグネスタキオン徹底分析】"走る産駒"の馬体に迫る」
    • 2009年6月号
      • 「【重賞プレイバック】第53回産経大阪杯(GII)ドリームジャーニー」
    • 2009年8月号
      • 石田敏徳「【追悼企画】さらばアグネスタキオン 超高速で天まで駆け抜けた生涯」
      • 河村清明「【クローズアップ】第59回安田記念優勝馬 ウオッカ 勝利を劇的にデザインする力」
      • 「【重賞プレイバック】第59回安田記念(GI)ウオッカ」
      • 「【重賞プレイバック】第50回宝塚記念(GI)ドリームジャーニー」
    • 2009年9月号
      • 柴田章利(サンケイスポーツ)「【有力馬たちの夏と、秋への動向を徹底チェック!!】ディープスカイ」
    • 2009年10月号
      • 軍土門隼夫「【引退特別企画】ディープスカイ 高みを目指し続けた駿才」
      • 吉沢譲治「【特別寄稿】種牡馬ディープスカイの可能性を探る」
    • 2010年6月号
      • 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ディープスカイ 天高く馬肥える"春"」
    • 2011年8月号
      • 谷川善久「【優駿激闘譜】ローレルゲレイロ 最後まで諦めない、折れない心」
    • 2013年1月号
      • 阿部珠樹「【優駿激闘譜】ドリームジャーニー グランプリで結実させた"夢の旅路"」

外部リンク

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