グロースターク
グロースターク | |
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欧字表記 | Graustark |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1963年4月7日[1][2] |
死没 | 1988年8月21日[1] |
父 | リボー |
母 | フラワーボウル |
母の父 | アリバイ |
生国 | アメリカ合衆国ケンタッキー州 |
生産者 | ジョン・W・ゴルブレス[1][2] |
馬主 | Darby Dan Farm[1] |
調教師 | ロイド・ジェントリー・ジュニア[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 8戦7勝[1][2] |
獲得賞金 | 75,904ドル[1][2] |
グロースターク(Graustark、1963年 - 1988年)はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。全弟にアメリカリーディングサイアーのヒズマジェスティ、半姉にアメリカ殿堂馬ボウルオブフラワーズがいる。名前の由来はジョージ・バールの小説より[1]。
現役時代は主に2歳戦で活躍し8戦7勝。ほとんどのレースが圧勝で、75,904ドルの賞金を稼ぎ出した。
経歴
[編集]デビュー前から手綱を抑えたまま5ハロンを58秒4、6ハロンを1分11秒8と驚異的な調教タイムを出して注目を集めており[3]、2歳時には3戦して全勝、アーリントンパーク競馬場のアーチワードステークスを不良馬場の中6馬身差で優勝している。しかしシンスプリントを発症して戦線離脱、バックパサーに次ぐ全米2歳ランキング2位にランクされた。
明けて3歳シーズンはフロリダから始動し、バハマステークスを含めて連勝を7に伸ばしていた。しかし、8戦目に迎えたブルーグラスステークスを前に左前肢の蹄鉄打ち間違えにより故障が発生、その状態でレースを強行したが、エイブズホープのハナ差2着に敗れた[3][4]。結局この故障が原因で引退、バックパサーと同世代だったがいちども対戦せずに終わった。なお、この馬やバックパサー、ダマスカス、ドクターフェイガーにレースでの騎乗経験があるブラウリオ・バエザは、自分が騎乗した中で最も強かった馬は何かという質問に「グロースタークです、何の迷いもなくそう言い切れます」とこの馬の名前を挙げた[5]。
引退後は240万ドルのシンジケートを組まれて種牡馬入りし[1]、プラウドトゥルース、キートゥーザミント、アヴァター、カラコレロらを輩出し成功、1972年にはアメリカ種牡馬ランキング6位にランクされた。母の父としてはそれ以上の成績を収め、イギリスでは1985年に、アメリカでは1988年にリーディングブルードメアサイアーに輝いている。
グロースタークは1988年に死亡するまで種牡馬活動を行っていた。埋葬地は繋養されていたダービーダンファーム[1]。
主な勝ち鞍
[編集]- バハマステークス、アーチワードステークス
- 2着 - ブルーグラスステークス
主な産駒
[編集]- プラウドトゥルース(ブリーダーズカップ・クラシック)
- プルーヴアウト(ジョッキークラブゴールドカップ、ウッドワードステークス)
- キートゥザミント(トラヴァーズステークス、サバーバンハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ、ウッドワードハンデキャップ、ホイットニーハンデキャップ)
- アヴァター(ベルモントステークス、サンタアニタダービー)
- カラコレロ(ジョッケクルブ賞)
- プロテクションラケット(アイリッシュセントレジャー)
- ジムフレンチ(サンタアニタダービー)
- ラディガ(ナリタタイシンの母父)
血統表
[編集]グロースタークの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リボー系 |
[§ 2] | ||
父 Ribot 1952 鹿毛 |
父の父 Tenerani鹿毛 1944 |
Bellini | Cavaliere d'Arpino | |
Bella Minna | ||||
Tofanella | Apelle | |||
Try Try Again | ||||
父の母 Romanella栗毛 1943 |
El Greco | Pharos | ||
Gay Gamp | ||||
Barbara Burrini | Papyrus | |||
Bucolic | ||||
母 Flower Bowl 鹿毛 1952 |
Alibhai 栗毛 1938 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Teresina | Tracery | |||
Blue Tit | ||||
母の母 Flower Bed黒鹿毛 1946 |
Beau Pere | Son-in-Law | ||
Cinna | ||||
Boudoir | Mahmoud | |||
Kampala | ||||
母系(F-No.) | (FN:4-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Tracery 5x4 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 栗山求『血統史たらればなし』エンターブレイン、2016年。ISBN 978-4-04-734112-8。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Avalyn Hunter. “Graustark (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b c d “Graustark (KY)”. EQUIBASE. 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b 栗山 p.217
- ^ Whitney Tower (1966年5月9日). “THE RACE THAT SCRAMBLED THE DERBY”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月24日閲覧。
- ^ 栗山 p.218
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Graustark(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年5月24日閲覧。
- ^ a b c d “Graustarkの血統表”. netkeiba.com. 2021年5月24日閲覧。