パラダイスクリーク
パラダイスクリーク | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006年9月撮影(アロースタッド) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
欧字表記 | Paradise Creek | ||||||||||||||||||||||||||||||||
品種 | サラブレッド | ||||||||||||||||||||||||||||||||
性別 | 牡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
毛色 | 黒鹿毛 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1989年2月3日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
死没 | 2011年4月4日(22歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
父 | Irish River | ||||||||||||||||||||||||||||||||
母 | North of Eden | ||||||||||||||||||||||||||||||||
母の父 | Northfields | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生国 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生産者 | Mr. & Mrs.Bertram R.Firestone | ||||||||||||||||||||||||||||||||
馬主 |
Bertram R.Firestone →西山正行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
調教師 | William I.Mott(アメリカ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
生涯成績 | 25戦14勝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
獲得賞金 |
2,687,514USドル 52,996,000円 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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パラダイスクリーク(Paradise Creek、1989年2月3日 - 2011年4月4日)はアメリカ合衆国の競走馬。
主な勝ち鞍は1992年のハリウッドダービー、1994年のETマンハッタンハンデキャップ、アーリントンミリオン、ワシントンDCインターナショナル。
アメリカでG1を4勝し、ジャパンカップにも出走した。馬主は西山牧場の西山正行で、引退後は日本で種牡馬として供用された。
戦績
[編集]1991年6月と比較的早めにデビューし、初戦で初勝利を挙げた。その後も安定した成績を残し、1992年のハリウッドダービーで初のG1制覇を成し遂げている。
このように早い段階から活躍していたが、本格化したのは5歳となった1994年である。1月のアップルトンハンデキャップ (G3) から6月のマンハッタンハンデキャップ (G1) まで6連勝。次走で敗れ連勝は止まるが、その後アーリントンミリオンステークス、ワシントンDCインターナショナルと大競走を連勝する。1番人気で臨んだブリーダーズカップ・ターフはティッカネンの3着、引退レースとなったジャパンカップでは日本の伏兵・マーベラスクラウンとの激しい叩き合いの末2着に敗れた。この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出されている。
2着に敗れたジャパンカップについて、本馬の所有者西山正行氏の息子西山茂行氏は「競馬裏事件史」の中で「筆者(茂行氏)は田原成貴に頼むつもりでいた。父は岡部がいいんじゃないかと言っていた。ところが海外参戦馬は、騎手の旅費もJRA持ち。となれば、主戦のパット・デイで・・・となった。ずっと乗ってきている人なので断る理由も希薄だった。しかし結果、パット・デイはきれいに乗りすぎて、内から差したマーベラスクラウン・南井にハナだけ敗れた。内を突く南井の競馬を知っている田原だったら、と今でも悔やまれてならない。」と語っている。
年度別競走成績
[編集]- 1991年(2戦1勝)
- 1992年(7戦4勝)
- ハリウッドダービー (G1) 、ホールオブフェイムステークス (G2)
- 1993年(5戦1勝)
- 1994年(11戦8勝)
- マンハッタンハンデキャップ (G1) 、アーリントンミリオンステークス (G1) 、ワシントンDCインターナショナル (G1) 、カナディアンターフハンデキャップ (G2) 、アーリータイムズ・ターフクラシック (G2) 、ディキシーハンデキャップ (G2) 、アップルトンハンデキャップ (G3)
種牡馬
[編集]引退後は日本で種牡馬入りし、カネツフルーヴやテイエムプリキュアなどを輩出した。産駒は2000メートル以下の距離で活躍する傾向にあるが、それ以外の部分ではかなり幅が広く、早熟の芝マイラーから晩成のダート馬まで様々なタイプの産駒が見られる。2009年にシンジケートを解散。2010年8月7日にこれまで繋養されていたアロースタッドから前川義則牧場へ移動した。2011年4月4日に死亡[1]。現役時の馬主の息子である西山茂行が受けた連絡によると、放牧先で立ち上がった際に(種付け中とする記事もある[2])転倒して腰骨を強打し、予後不良になったという[3]。母・ノースオブエデンの死[4]から間もなくの出来事であった。後継種牡馬であるカネツフルーヴの初年度産駒は2008年にデビューをしている。
代表産駒
[編集]- 1997年産
- 1998年産
- 1999年産
- 2000年産
- ジューンパラダイス(のじぎく賞)
- 2001年産
- 2002年産
- 2003年産
- テイエムプリキュア(阪神ジュベナイルフィリーズ、日経新春杯)
- アンバージャック(京阪杯)
- 2004年産
- アポロティアラ(フェアリーステークス)
- ホクザンパラダイス(姫路プリンセスカップ)
- 2005年産
- キングサラディン(高知県知事賞)
- 2007年産
母の父としての産駒
[編集]- 2003年産
- 2004年産
- 2013年産
血統表
[編集]パラダイスクリークの血統(ネヴァーベンド系(ナスルーラ系) / Nearco5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Irish River 1976年 栗毛 |
父の父 Riverman1969年 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
River Lady | Prince John | |||
Nile Lily | ||||
父の母 Irish Star1960年 鹿毛 |
Klairon | Clarion | ||
Kalmia | ||||
Botany Bay | East Side | |||
Black Brook | ||||
母 North of Eden 1983年 鹿毛 |
Northfields 1968 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Little Hut | Occupy | |||
Savage Beauty | ||||
母の母 *ツリーオブノレッジTree of Knowledge 1977年 鹿毛 |
Sassafras | Sheshoon | ||
Ruta | ||||
Sensibility | Hail to Reason | |||
Pange F-No.3-h |
- 母・ノースオブエデンはシアトリカルの半妹、タイキブリザードの半姉である。本馬も含めて3頭のG1勝ち馬の母となった。
- 半弟・Wild EventはWRターフクラシックを、半弟・Forbidden Appleはマンハッタンハンデキャップを勝ち、本馬との兄弟制覇を果たした[5]。Wild Eventはシャトル先のブラジルでG1馬を輩出し、種牡馬としても成功している。
- 甥のデビッドジュニアはイギリス・UAEでG1を4勝し、2007年より日本で種牡馬となった。
脚注
[編集]- ^ パラダイスクリークが死亡
- ^ 名種牡馬パラダイスクリークが死亡
- ^ さらば、想い出の馬…(西山茂行の個人ブログ)
- ^ North Of Eden, 28, Dies
- ^ ただし、ターフクラシックステークスは勝利時のグレードが兄はG2、弟はG1の違いがある。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- パラダイスクリーク(USA) - 競走馬のふるさと案内所