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名称は ''cynos'' と ''argos'' に由来し、「白い犬」または「すばしこい犬」を意味する。伝説によれば、アテナイのディディモス (Didymos) がたくさんの生贄を捧げていたとき、白い(またはすばしこい)犬が現れて捧げ物を盗んで逃げた。ディディモスが驚いていると[[神託]]があり、その犬が捧げ物を落とした場所に[[ヘーラクレース]]の神殿を建てよ、と告げた<ref>[[スーダ辞典|Suda]], κ2721, ε3160. 別の記述 (Suda, ει290) によると、白い犬を生贄として捧げ、それをワシが盗んで落としたという。</ref>。 |
名称は ''cynos'' と ''argos'' に由来し、「白い犬」または「すばしこい犬」を意味する。伝説によれば、アテナイのディディモス (Didymos) がたくさんの生贄を捧げていたとき、白い(またはすばしこい)犬が現れて捧げ物を盗んで逃げた。ディディモスが驚いていると[[神託]]があり、その犬が捧げ物を落とした場所に[[ヘーラクレース]]の神殿を建てよ、と告げた<ref>[[スーダ辞典|Suda]], κ2721, ε3160. 別の記述 (Suda, ει290) によると、白い犬を生贄として捧げ、それをワシが盗んで落としたという。</ref>。 |
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[[ヘロドトス]]によれば、紀元前490年ごろにはそこに神殿があり<ref>Herodotus, 6.116</ref>、それが[[ヘーラクレース]]の有名な聖地となり、その母[[アルクメーネー]]、妻[[ヘーベー]]、ヘーラクレースを助けた[[イオラーオス]]も祀られていた<ref>[[パウサニアス (地理学者)|Pausanias]], 1.19.3.</ref>。そこにギュムナシオンが建設された<ref>[[プルタルコス|Plutarch]], ''Themistocles'', 1; [[ディオゲネス・ラエルティオス|Diogenes Laërtius]], vi.13; Steph. Byz., 393, 24</ref>。キュノサルゲスは主に私生児 ''nothoi'' のためのギュムナシオンとされた<ref>Demosthenes 23.213; Athenaeus, ''Deipnosophists'', 6.234E; Plutarch, ''Themistocles'', 12</ref>。 |
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キュノサルゲスは[[キュニコス派]]の[[アンティステネス]]が講義をした場所と言われており、キュニコス派という名称の由来の1つとされている<ref>Diogenes Laërtius, vi.13</ref>。 |
キュノサルゲスは[[キュニコス派]]の[[アンティステネス]]が講義をした場所と言われており、キュニコス派という名称の由来の1つとされている<ref>Diogenes Laërtius, vi.13</ref>。 |
2021年11月15日 (月) 10:52時点における最新版
キュノサルゲス(希: Κυνόσαργες、Cynosarges)は、アテナイの城壁の外に隣接し、イリソス川の南の丘にあった公共の体育場(ギュムナシオン)。
名称は cynos と argos に由来し、「白い犬」または「すばしこい犬」を意味する。伝説によれば、アテナイのディディモス (Didymos) がたくさんの生贄を捧げていたとき、白い(またはすばしこい)犬が現れて捧げ物を盗んで逃げた。ディディモスが驚いていると神託があり、その犬が捧げ物を落とした場所にヘーラクレースの神殿を建てよ、と告げた[1]。
ヘロドトスによれば、紀元前490年ごろにはそこに神殿があり[2]、それがヘーラクレースの有名な聖地となり、その母アルクメーネー、妻ヘーベー、ヘーラクレースを助けたイオラーオスも祀られていた[3]。そこにギュムナシオンが建設された[4]。キュノサルゲスは主に私生児 nothoi のためのギュムナシオンとされた[5]。
キュノサルゲスはキュニコス派のアンティステネスが講義をした場所と言われており、キュニコス派という名称の由来の1つとされている[6]。
脚注
[編集]- ^ Suda, κ2721, ε3160. 別の記述 (Suda, ει290) によると、白い犬を生贄として捧げ、それをワシが盗んで落としたという。
- ^ Herodotus, 6.116
- ^ Pausanias, 1.19.3.
- ^ Plutarch, Themistocles, 1; Diogenes Laërtius, vi.13; Steph. Byz., 393, 24
- ^ Demosthenes 23.213; Athenaeus, Deipnosophists, 6.234E; Plutarch, Themistocles, 12
- ^ Diogenes Laërtius, vi.13
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Cynosarges - インターネット哲学百科事典「キュノサルゲス」の項目。