「アルクマイオーン」の版間の差分
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* 『ギリシア悲劇全集11 ソポクレース断片』、岩波書店(1991年) |
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* 『ギリシア悲劇全集12 エウリーピデース断片』、岩波書店(1993年) |
* 『ギリシア悲劇全集12 エウリーピデース断片』、岩波書店(1993年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年) |
2021年11月15日 (月) 10:32時点における版
アルクマイオーン(古希: Ἀλκμαίων, Alkmaiōn)は、ギリシア神話の人物である。アルクメオーン(古希: Ἀλκμέων, Alkmeōn)、アルクマーン(古希: Ἀλκμάν, Alkmān)ともいわれ、長母音を省略してアルクマイオン、アルクメオン、アルクマンとも表記される。アルゴスの予言者アムピアラーオスとアドラーストスの姉妹エリピューレーの子で、アムピロコス[1]、エウリュディケー、デーモーナッサと兄弟[2]。
アルカディアのプソーピスの王ペーゲウスの娘アルシノエーと結婚し[3](あるいはアルペシボイア[4])、クリュティオスを[5]、河神アケローオスの娘カリロエーとの間に、アムポテロス、アカルナーンをもうけた[6][7]。またテイレシアースの娘マントーの間にアムピロコス、ティーシポネーをもうけた[8]。
アルクマイオーンはエピゴノイとしてテーバイに遠征した。またカリュドーンの王オイネウスがアグリオスの息子たちに幽閉されたとき、ディオメーデースとともに救出した[9]。
神話
アムピアラーオスの死
かつてアルクマイオーンの父アムピアラーオスはアドラーストスが率いるテーバイ遠征に参加した。しかしアムピアラーオスは予言の術によってアドラーストス以外のすべての七将が戦死することを知っていたので、遠征に参加するつもりはなかった。ところが妻のエリピューレーはアムピアラーオスの忠告にもかかわらず、ポリュネイケースからハルモニアーの黄金の首飾りを受け取って買収された。というのは、かつてアムピアラーオスがアドラーストスと対立して和解したときに、2人は今度意見が分かれたら妻エリピューレーに裁断してもらうことに決めていたからである。そこで、アムピアラーオスがテーバイ遠征に反対したとき、買収されたエリピューレーは遠征に賛成する人々に有利な裁決をし、アムピアラーオスに遠征に参加するよう説得した。このときアムピアラーオスは妻の裏切りに気づき、しぶしぶ遠征に参加したが、その際自分の子供たちに成長したらエリピューレーを殺し、テーバイに遠征することを命じた[10]。
エピゴノイの遠征
10年後、七将の息子たち(エピゴノイ)は再びテーバイ遠征を計画し、デルポイに神託をうかがった。するとアルクマイオーンを指揮官とすれば勝利できるだろうと告げられたので、七将の1人ポリュネイケースの子テルサンドロスはエリピューレーにハルモニアーの長衣(ペプロス)を渡し、アルクマイオーンがテーバイ遠征に参加するように説得してもらった。このためアルクマイオーンは父の遺言に従ってエリピューレーの殺害を考えていたが、それをすることなく遠征に参加した。アルクマイオーンは他のエピゴノイから指揮官に選出され、テーバイとの戦いではアイギアレウスがテーバイの王ラーオダマースに討たれたが、アルクマイオーンはラーオダマースを討ち、戦いに勝利した[11]。
エリピューレーの殺害
遠征後、アルクマイオーンは母エリピューレーが再び買収されていたことを知り、怒って母を殺した。一説には兄弟のアムピロコスも殺害を手伝ったといわれる。しかし母殺しのためにアルクマイオーンはエリーニュスたちに追われ、狂気に取り憑かれた。そしてまずアルカディアの祖父オイクレースのところに行き、次にプソーピスの王ペーゲウスのところに行って、ペーゲウスによって罪を浄められ、王の娘アルシノエーと結婚した。アルクマイオーンはハルモニアーの首飾りと長衣をアルシノエーに贈った。ところがプソーピスから豊饒が失われたとき、神託はアルクマイオーンが原因であり、アルクマイオーンが河神アケローオスのところに去ったならば豊饒は戻るだろうと告げた。このためアルクマイオーンはカリュドーンの王オイネウスのところに行き、次にテスプローティアー人のところへ行った。そしてテスプローティアー人に追放された後、アケローオス河の水源に行った。アルクマイオーンはその地でアケローオスに浄められ、アケローオスの娘カリロエーと結婚し、アケローオス河流域に1市を建設して住んだ。しかしカリロエーはハルモニアーの首飾りと長衣がなければアルクマイオーンと一緒に住まないと言い出したので、アルクマイオーンは仕方なくペーゲウスのところに戻り、デルポイにハルモニアーの首飾りと長衣を奉納すれば狂気から解放されると偽って、首飾りと長衣を返してほしいと願った。ペーゲウスはこれを信じて返したが、召使いが実はアルクマイオーンは新しい妻カリロエーに首飾りと長衣を与えるつもりなのだとペーゲウスに知らせたので、ペーゲウスは2人の子プロノオスとアゲーノールにアルクマイオーンを殺すことを命じた。このためアルクマイオーンは2人に待ち伏せされて殺された。これを知ったアルシノエーが非難すると、プロノオスとアゲーノールは彼女を箱に入れ、テゲアーの王アガペーノールのところに連れて行き、アルクマイオーン殺害の犯人だと偽って、奴隷として与えた。
その後、アルクマイオーンとカリロエーとの間に生まれた子供たちアムポテロス、アカルナーンがペーゲウスに復讐したといわれる。夫の死を知ったカリロエーが復讐のために子供たちが早く成長することをゼウスに願うと、子供たちは突然大人になり、復讐の旅に出た。そしてアガペーノールのところに行き、ちょうどアガペーノールのところにペーゲウスの子供たちがやって来たのでこれを殺し、さらにプソーピスに行ってペーゲウスとその妻を殺したという[12][13]。
エウリーピデースの異説
エウリーピデースによると、アルクマイオーンは狂気に囚われている間にテイレシアースの娘マントーと交わってアムピロコス、ティーシポネーをもうけた。そしてコリントスの王クレオーンに2人を預けた。しかし2人が成長したとき、ティーシポネーが大変な美女になったため、クレオーンの妻は夫がティーシポネーを正妃とすることを恐れ、奴隷として売り飛ばした。アルクマイオーンはティーシポネーを自分の娘とは知らずに買い、その後コリントスに子を返してもらいに行き、アムピロコスとも再会した[8]。
アルクマイオーンと悲劇
三大悲劇詩人はいずれもアルクマイオーンを題材とした悲劇を作った。アイスキュロスは『エピゴノイ』、ソポクレースは『アルクメオーン』、『エピゴノイ』、『エリピューレー』、エウリーピデースは『プソーピスのアルクメオーン』、『コリントスのアルクメオーン』といった作品があったことが知られているが、いずれも散逸している。現存する神話から、その内容がうかがえるのはエウリーピデースの2作品で、『プソーピスのアルクメオーン』はアルクマイオーンのエリピューレー殺害からアケローオスの娘カリロエーとの結婚、そしてアルクマイオーンの死と子供たちの復讐の物語が扱われていたと考えられている(本項の節、エリピューレーの殺害)。また『コリントスのアルクメオーン』はアポロドーロスにエウリーピデースの悲劇に由来している物語が述べられている(本項の節、エウリーピデースの異説)。
系図
その他のアルクマイオーン
このアルクマイオーンは、メッセーネーのピュロスの王ネーレウスの子孫で、トラシュメーデースの子シロスの子である。ヘーラクレイダイがペロポネーソス半島に帰還したとき、他のネーレウスの子孫とともにメッセーネーを追放され、アテーナイに去り、アルクマイニダイの祖となった[14]。
脚注
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- オウィディウス『変身物語(下)』中村善也訳、岩波文庫(1984年)
- 『ギリシア悲劇全集10 アイスキュロス断片』、岩波書店(1991年)
- 『ギリシア悲劇全集11 ソポクレース断片』、岩波書店(1991年)
- 『ギリシア悲劇全集12 エウリーピデース断片』、岩波書店(1993年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年)