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「お召し列車」の版間の差分

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また2010年時点、[[オーストリア]]では、[[オーストリア・ハンガリー二重帝国]]時代に運行されていた皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世|フランツ・ヨーゼフ]]のお召し列車の内装などを参考にした皇帝列車 (MAJESTIC IMPERATOR TRAIN) という名の一般の観光客向け企画列車が走っている。
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なお、君主制から共和制に移行した国であっても、[[独裁者]]が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車両が元首の命により整備され運行される。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]や[[介石]]は[[総統]]専用列車を有していたし、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]や[[毛沢東]]も国内の移動に専用客車を利用していた(ただし、介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である)。
なお、君主制から共和制に移行した国であっても、[[独裁者]]が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車両が元首の命により整備され運行される。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]や[[介石]]は[[総統]]専用列車を有していたし、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]や[[毛沢東]]も国内の移動に専用客車を利用していた(ただし、介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である)。


[[朝鮮民主主義人民共和国]]の最高指導者([[金日成]]、[[金正日]]、[[金正恩]])も特別列車([[朝鮮民主主義人民共和国最高指導者専用列車]])を所有し、[[旅客機]]での移動を嫌うために、その列車で数度、[[中華人民共和国]]や[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]](後に[[ロシア連邦]])を訪問していた。
[[朝鮮民主主義人民共和国]]の最高指導者([[金日成]]、[[金正日]]、[[金正恩]])も特別列車([[朝鮮民主主義人民共和国最高指導者専用列車]])を所有し、[[旅客機]]での移動を嫌うために、その列車で数度、[[中華人民共和国]]や[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]](後に[[ロシア連邦]])を訪問していた。

2020年9月15日 (火) 13:09時点における版

お召し列車または御召列車[1](おめしれっしゃ)とは、日本において天皇皇后上皇上皇后皇太后が使うために特別に運行される列車である。なお、天皇、皇后、上皇、上皇后、皇太后、太皇太后 以外の皇族のために運行する列車は、御乗用列車(ごじょうようれっしゃ)と呼ばれる。

概要

お召し仕様のC51 201(1940年撮影)

第二次世界大戦前から製造・運行されている(「#戦前」で後述)。天皇、皇后が乗車する客車は「御料車」と呼ばれていた。旧『皇室典範』では、即位の礼大嘗祭京都で行うと定められていたため、三種の神器の剣璽(草薙剣八尺瓊勾玉)を置く「奉安室」が御料車に設けられていたほか、八咫鏡を移動させる「賢所乗御車」が連結され、実際に大正4年(1915年)と昭和3年(1928年)に運行された[1]

お召し列車・御乗用列車のための専用の車両(皇室用客車)があるほか、普段は特急など一般の列車に使われている車両を天皇が乗るための臨時列車として、特別なヘッドマークを掲出するなどして運転する場合もある[2]。後者の場合も皇族が使うために運行するため、お召し列車、御乗用列車にあたる。

しかし定期列車を使う場合、たとえば新幹線のぞみxx号」の○号車を借り切る場合には、天皇、皇后、上皇、上皇后、皇太后が使うことになったとしても天皇、皇后、上皇、上皇后、皇太后のために運転する列車ではないため、お召し列車には含まれない。

車両

C57 139 準鉄道記念物。名古屋機関区所属機、お召し列車18回牽引。お召し装備での復元(リニア・鉄道館 2013)
ファイル:E655お召し列車.jpg
お召し列車として使用される
E655系「なごみ」
貴賓車クロ157-1(特急色)
お召し列車牽引用として発注されたEF58 61
EF58 61牽引お召し列車(1984年)
お召列車用機関車EF58-61とDD51-842

戦後の車両としては、日本国有鉄道(国鉄)の貴賓車として造られたクロ157形がお召し列車としても用いられた。

お召し列車を牽引する機関車には、運転を担う機関区の中で特に状態の良い車両が選ばれる。運転頻度の高い地区においてはお召し指定機関車というものがあり、過去には28661(8620形), C51 236, C51 239(品川機関区), C51 276(梅小路機関区), C57 126新鶴見機関区), C59 108(梅小路機関区), ED53 1, ED53 2(東京機関区), EF53 16, EF53 18(予備EF53 17, いずれも東京機関区)、EF81 81田端運転所[3] などが定められていた。

また、EF58 61東日本旅客鉄道(JR東日本)に在籍)とEF58 60は、特にお召し列車牽引用としてメーカーに発注された指定機関車である。従来、電気機関車が牽引の場合、トラブル発生に備えて必ず重連で運用されていたが、EF58形以降は単機での牽引となった。なお、61号機が日立製作所、60号機が東芝製で、車体側面にステンレスの飾り帯を廻すなどお召し用として特別な仕様で造られている[4]。このうち、60号機は1983年(昭和58年)に廃車となり、61号機は2008年(平成20年)に運用から外れたが、保留車のまま東京総合車両センターの御料車庫で保管されている。このほか、JR東日本のDD51 842は、同社管内の非電化路線で運転されるお召し列車の指定機となっており、通常もお召し用の装飾を残したまま運用されている。

お召し列車として運用された客車編成「一号編成」が2016年(平成28年)時点もJR東日本に在籍している。このうち実際に天皇・皇后が乗車する車両を御料車といい、随伴する供奉員が乗車する車両を供奉車という。

「一号編成」とクロ157形の老朽化に伴い、新たに交直両用E655系電車「なごみ(和)」2007年(平成19年)7月に落成した。基本は6両編成であるが、中間の特別車両 (E655-1) を外した5両編成で一般の団体乗客向けにも使用されている点で、従来のお召列車用車両と一線を画する。また電源供給用のディーゼル発電機を備えており、非電化区間ではディーゼル機関車による牽引が考えられている。お召し運用としては、2008年(平成20年)11月12日にデビューした。

新幹線では、0系100系を除き特別な編成が備えられているわけではないが、グリーン車防弾ガラスとなっている車両がいくつかあり、それが使われる。

国鉄時代は、在来線でお召し列車が運転される場合、レールの繋がっていない北海道四国を含め「一号編成」を全国各地に回送して運転された。地方での運転などのため編成を長距離にわたり回送する場合は、回送中に傷や汚れが付着するのを防ぐため、御料車にのみ車体全体に覆いが掛けられた。国鉄分割民営化後は、「一号編成」が継承されたJR東日本を除き、他のJR各社は旅客営業に用いている車両を特別に整備して使うことになった。民営化後に「一号編成」がJR東日本以外の線区で使われたのは、1987年(昭和62年)5月24日に唐津線で運転された時だけである[5]

西日本旅客鉄道(JR西日本)管内の直流電化区間でのお召し列車には281系はるか」が、非電化区間でのお召し列車には14系サロンカーなにわ」が充てられることが多く、前者の場合、防弾ガラスが使用されており、後者の場合、天皇、皇后が乗車する最後尾車両のスロフ14形には様々な対策工事や他の車両より特に念入りな保守が行われているという。また、他の地区や私鉄などでは原則として特急用の車両(特急用車両がなければ、最新または最良の設備を持つ車両)をお召し列車運用時に限り、特別に改造または整備して使われる。

お召し列車の運転回数が多い近畿日本鉄道(近鉄)では、かつては特急車を改装し、天皇が乗車する場合には御座所を設けていた(12400系のサ12551号車など)。しかし、平成に入ってから21000系「アーバンライナー」などJRのグリーン車に相当する特別席を設けている車両を使用し御座所は設けなくなっており、2014年以降は最上級クラスとなる50000系「しまかぜ」を使用している。珍しい例では大阪市営地下鉄が1970年の大阪万博VIP輸送用に通勤型電車50系を改造した特別車両(車内にソファ絨毯(じゅうたん)を設置したもの)を用意したが、実際に使用されることはなかった。

2015年(平成27年)現在JRに在籍している車両のうち、新幹線や特急用のグリーン車には防弾ガラスなどを備えているVIP対応車があり、お召し列車として運行する場合に多く使われる。代表的なのは「サロンカーなにわ」やJR東日本新潟車両センターに在籍していたサロ489-1051, 1052[6] だが、テロリズム対策の観点から、当該車の車両番号は公表されていない場合も多く、見かけは普通のグリーン車であるため、判別はつきにくい。

運行

お召列車運転当日の乗務員の点呼風景
1977年6月24日 品川駅

お召し列車には列車番号はなく、ダイヤ上でも「お召し」である。ただし現在のJR東日本では列車の運行管理コンピュータシステムで行うので、お召し列車にも列車番号を与えている。下りは9001、上りは9002という列車番号が使われることが多いが、必ずしもそうであるわけではない。新幹線の場合は、一般の団体臨時列車と同じ列車番号が付けられることが多い。

お召し列車の運行には「三原則」があるといわれている。

  1. 他の列車と並んで走ってはならない。
  2. 追い抜かれてはならない。
  3. 立体交差では上の線路を他の列車が走ってはならない。

このため臨時に他の列車の時間調整を行なうほか、事故などの不測の事態に備えてダイヤ作成担当者がお召し列車に添乗する。

戦前にはお召し列車の10分程前に先導列車が運行され、先導列車が通過後はポイント操作が許されないなど、特別の配慮がとられた。21世紀初頭の現在でも同じ措置をとる場合がある(後述の記載も参照)。

お召し列車担当の運転士は、運転区間を管轄する車両基地内で技術・勤務態度・人間性を踏まえて選ばれる。殊に衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、数センチメートルのズレも許されない停止位置など、通常の列車に比べて極めて細かい運行が求められるため、運転技術が特に優れている運転士が選ばれている。

移動日や時刻は『官報』によって公に示されている。ただし通常の列車の場合もあるので、必ずしもお召し列車による運行とは限らない。あくまで皇族の行事参加及び移動を掲載しているためである。

お召し列車は原則として夜には運転されない。交通機関が発達していなかった第二次世界大戦前の例では天皇が長時間移動でお召し列車を用いる場合には、途中の御用邸などに宿泊しながら移動していた。例外は、1947年(昭和22年)12月11日姫新線林野15時42分発、東京翌6時57分着で運転された例が、お召し列車唯一の夜行列車である。また1946年(昭和21年)6月6日 - 7日千葉県銚子市を訪れた時には、戦災で天皇が泊まるような邸宅旅館などが銚子に残っていなかったことから、銚子駅の先に在った貨物駅である新生駅に御料車を引き込んで、その中で泊ったことがある。2019年(令和元年)現在まで、天皇が御料車内で泊ったことが認められるのはこの2件のみである[7]

その他

元号平成となってからは、鉄道ダイヤの変更などで、国民に負担を強いることを嫌う第125代天皇明仁の意向やその他の事情によって、行幸は一般の定期列車や臨時列車の一部の車両や旅客機政府専用機民間機)を利用することが多くなった。このため、専用車両を用いたお召し列車が運行されることは少なくなっており、国賓接待の一環としての性格が強くなっている。また、同じ理由で原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)を使うことも減少し、2001年の使用を最後に現在は使用が停止されている[8]

お召し列車も団体専用列車の範疇に含まれるため、運行は定期列車の間を縫って走らせ、運賃・料金も当局から然るべく支払われている。お召し列車を運行するにあたっては、事前の準備や警備などにも多くの経費がかかるが、慣例として当日のお召し列車運行そのものに掛かった経費のみを宮内庁が支払っている。

日本国有鉄道(国鉄)時代は、お召し列車の運賃・料金は無料であった。国鉄分割民営化にあたり、民間鉄道伊勢神宮へのお召し列車を頻繁に運行していた近畿日本鉄道に実情を問い合わせて、それに合わせる形で経費を計算することになった。また、宮内庁がお召し列車の運転を申し込む窓口は、運転線区にかかわらずJR東日本が担っている。これは民営化直前に、当時の国鉄運転局列車課長が宮内庁の問い合わせに対し、「おそらく皇居に近い東京駅を管轄する東日本会社が担当するだろう」と答えたことが慣例となって続いている[9]

現代においても、お召し列車の運行については沿線やの警備のほかに、下に記した事柄のごとく細心の注意が払われていることが多い。

  • 車両が故障した時の代替として予備車を用意する。電化区間の場合は、停電時の対策としてディーゼル機関車を用意する場合も多い。
  • 通常の車両を使用する場合でも塗装を塗り直したうえでフラットをなくすために車輪の削正(適正な踏面形状への削り直し)を施工し、窓を防弾ガラスにする(新規製造時にVIPの乗車を考慮し、あらかじめ全てまたは一部の窓を防弾ガラスにしておく例もある)。また、警察用無線の設置スペースが確保されている。
  • 本列車の運行の直前に特別の回送列車(指導列車。通常は単行機関車列車)を走らせ、線路上に問題がないことを確認する(通称「露払い」)。過去には営業用列車が担当[10] した事もある。

列車の性格上、テロ対策のため、極めて厳しい警備が行われる。到着駅では国際会議開催・海外要人来日時と同様にごみ箱コインロッカーの使用が禁止されたり、場合によってはプラットホームへの入場制限が行われたりする。また沿線には警察官が配置され、列車上空をヘリコプターが追尾する。ただし沿線で写真を撮る事が縛られているわけではなく、お召し列車を撮る鉄道ファンも少なくない。

車両前面に方向幕が備えられている車両をお召し列車として運行する場合、方向幕には何も示さない。一般には白無地一色の幕を示すが、クロ157の牽引を183系1000番台が担っていた時はクリーム色一色の幕を示して運転していた。なお、LED搭載車の場合は「団体」と示す場合がある。

主な運転記録

1993年(平成5年)

1994年(平成6年)

1996年(平成8年)

1997年(平成9年)

1999年(平成11年)

2000年(平成12年)

2001年(平成13年)

2002年(平成14年)

2003年(平成15年)

2005年(平成17年)

2006年(平成18年)

2007年(平成19年)

2008年(平成20年)

2009年(平成21年)

2010年(平成22年)

2010年9月26日に外房線でお召し列車が運転された際の露払い列車DE10 1751
2010年9月26日に外房線で運転されたお召し列車で特別車両に立つ天皇と皇后
2010年9月26日に外房線で運転されたお召し列車。皇族が乗車していない時間は国旗及び御紋章は収納される

2011年(平成23年)

  • 10月31日山陰本線鳥取駅 - 倉吉駅間(片道) 本務機DD51 1186+DD51 1179+サロンカーなにわ5両(露払いDD51 1183)[15]
  • 11月13日中央本線東京駅 - 甲府駅間(片道) E655系6両
    • 当初は第125代天皇上皇明仁上皇后美智子恩賜林御下賜100周年記念行事出席に伴うお召し列車として運転が予定されていたが、天皇の気管支炎による体調不良のため、皇太子徳仁親王が天皇の名代として同行事に出席するための運転となった。
    • この場合、前述にもある通り本来は「御乗用列車」となるが、JR東日本の広報担当は「今回は陛下の名代ということもあってお召し列車としての運転となった」と説明、そのためお召し列車と同等の装飾を施しての運転となった[16]
    • なお、14日にも同区間で復路の運転が予定されていたが、皇太子はそのまま公務で長野県へ向かったために運転は取り消しとなった。

2012年(平成24年)

  • 7月19日上越新幹線東京駅 - 越後湯沢駅間(往復) E2系8両(使用N2編成、予備N12編成)[17]
  • 9月28日:東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(片道) N700系16両
  • 9月30日:東海道新幹線岐阜羽島駅 - 東京駅(片道) N700系16両
    • 当初は10月1日に運転が予定されていたが、台風17号の影響で予定より前倒しての帰京となったため30日に運転された。
  • 10月6日中央本線東京駅 - 甲府駅間(往復) E655系6両
    2012年10月6日に中央本線で運転されたお召し列車
  • 10月12日:東海道新幹線東京駅 - 岐阜羽島駅(往復)N700系16両

2013年(平成25年)

  • 3月25日:東海道本線東京駅 - 伊豆急行線下田駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)
  • 3月28日:伊豆急行線下田駅 - 東海道本線東京駅間(片道)E655系5両(特別車両非連結、予備185系OM04編成)
  • 10月27日九州新幹線熊本駅 - 新水俣駅間(往復)N700系8両(使用R8編成、予備R9編成)

2014年(平成26年)

2015年(平成27年)

2016年(平成28年)

  • 4月2日4月4日:近畿日本鉄道京都線京都駅 - 橿原線橿原神宮前駅間(2日橿原神宮前行き、4日京都行き) 近鉄50000系6両 railf.jp 2016年4月3日付)
  • 9月11日羽越本線酒田駅 - 鼠ケ関駅間、鼠ケ関駅 - 鶴岡駅間 E655系6両(予備車651系K105編成 railf.jp 2016年9月12日付)

2017年(平成29年)

2019年(平成31年)

  • 3月26日:近畿日本鉄道 京都線京都駅 - 橿原線橿原神宮前駅間 近鉄50000系6両(50101編成(SV01))[20]
  • 4月17日:近畿日本鉄道 名古屋線近鉄名古屋駅 - 山田線宇治山田駅間 近鉄50000系6両(50101編成(SV01))[21]

2019年(令和元年)

  • 9月28日:東日本旅客鉄道 東北本線東京駅 - 常磐線勝田駅(片道) E655系6両[22]
    • 第126代天皇(徳仁)即位後、初めてのE655系6両(E655-1連結)によるお召列車。
  • 11月21日:近畿日本鉄道 名古屋線近鉄名古屋駅 - 山田線宇治山田駅間 近鉄50000系6両(50103編成(SV03))[23]
    • 天皇、皇后の即位における「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」の一連の儀式終了を伊勢神宮へ報告する「親謁の儀」によるもの。

戦前

  • 単線区間の閉塞方法(同じ区間に同時に2つの列車を走らせない)として、通票閉塞方法が採用されていた時期に、お召し列車の機関士が、通過駅において授柱からの通票受け取りに失敗、再度取りに行くため、停車する事態になった。このトラブル以後、お召し列車は受け取りに失敗した場合、通票を谷底に落とした場合と同様、そのまま進行してもよいとの通達が出された。
  • 戦前は、お召し列車の通過中、沿線にいる者全員が最敬礼をした他、陸橋や丘陵などから見下ろすことまで「不敬である」として、官憲により規制された。また、それに限らず、不穏なものが天皇の目に入ることを避けるようにされた。1930年(昭和5年)11月に発生した富士瓦斯紡績川崎工場の争議では、この時に出現した煙突男が持っていた赤旗が、中国地方大日本帝国陸軍演習視察から帰る途中のお召し列車[24] から見える可能性があったため、警察側が調停に入って労働者側の要求をほぼ受け入れ、煙突男は地上に下りた。お召し列車はその後に付近を通過した。
  • 運行トラブルから自殺者の出る事件となったこともある。陪乗していた、時の鉄道院総裁の原敬による記述が『原敬日記』の1911年(明治44年)11月にあり、それによれば、次第は以下の通りである。福岡県久留米付近で行われる日本軍の大演習明治天皇が親臨されるため、7日に新橋駅発の宮廷列車が運行され、静岡姫路三田尻でそれぞれ一泊した(当初は6日発、名古屋泊の予定であった)。10日、馬関(下関)での休憩と渡海後の休憩の後、12時半に門司駅を発車して車内で昼食の予定だったが、御料車が脱線したため復旧中で、休憩所で昼食を取った。発車は1時(13時)過ぎとなった[25]。降雨中だったため御料車を汚さぬようにとの配慮から、カバーを付けたまま側線から本線に入換えをしていたところ、カバーから垂れた紐が風で転轍てこを引掛けたために4輪が脱線した(ボギー車)ためであった。朝日新聞社『国鉄物語』によれば、すぐカバーを外せるよう紐をほどいてあったため垂れていたものという[26]。12日、門司駅の操車主任が馬関駅付近に行き轢死した、という報を受ける。自殺であった。16日発・19日着で帰京。22日、操車主任の死亡につき、宮中より遺族に対し、300円の下賜があり、原と宮内大臣渡辺千秋の相談で、「憫然に思召されて」の事とした。また、原はこの件で、お召し列車の運行体勢の改良を思案している。曽野綾子の「幸吉の行燈」[27] は、この事件と、別の運行トラブル(蒸気機関車の走り装置のクランクが停車地点で丁度死点となってしまい、さらにわずかながら上り勾配であったため、衝撃を与えずに引き出すことができず、発車できなかった、というもの[28][29] で、そちらは自殺者は出ていない。作中で曾野は「死点を外すためやむをえず後退した」と描写している)をヒントとした話ではあるが、これは戦後書かれたフィクションである。「お召し列車運行に関わるわずかなトラブルでさえも、その社会的制裁は、家族を含めて一生つきまとうものであった。」といった印象もある。
  • 天皇・皇后が1両の御料車に同乗するようになったのは第二次世界大戦終了後のことで、それまでは原則としてそれぞれに専用の御料車を連結して運転していた。昭和天皇即位礼のための整備完了後に報道陣に公開された折の写真では、賢所乗御車、天皇が乗る12号御料車、皇后が乗る8号御料車の順で連結されていた[1]。乗車の際に皇后は、天皇の乗車をホームで見届けてから乗車していたという。

世界各国のお召し列車

オランダの王室専用客車

日本以外の各国でも、王室が存在する国には、日本のような「お召し列車」が運転されることがある、イギリスでは「ロイヤルトレイン」 (Royal Train) と呼ばれる列車が運転されることがある。

イギリス以外にも、オランダノルウェーのように、王室が存在する国においては、王室専用客車(御料車)が用意されているが、その扱いは控車まで含め専用客車が用意され、目的によって色々組み合わせ1編成とするもの(イギリス、ノルウェー)から、基本的に1両で構成され、通常の客車を前後に控車として連結し運用されるもの(オランダ)など様々である。タイ王国では王室専用駅も設置されている。

ロシアオーストリア中国など、帝政を廃止した国々においても、かつて帝室や王室が存在した当時にはお召し列車に相当する列車が運行されていた。中でも清朝西太后北京から奉天(現在の瀋陽)へ向かう際に乗車したお召し列車は、16両編成というその規模や、150人の料理人を乗せ狭い客車内にかまどを左右25基、計50基も据えさせたこと、合計100皿にもおよぶ彼女の食事の度に長時間停車して他の列車を止めさせたことなど、エピソードにこと欠かない。

こうしたお召し列車に使用された御料車や貴賓車は、今でもその国や、かつてその国の植民地だった国の鉄道博物館に残っていることがある。もっとも西太后のお召し列車に使用された御料車は、彼女の死後張作霖の手に渡り、彼の専用列車に使用されていたが、張作霖爆殺事件の際に彼ごと関東軍に爆破されたので現存しない(一部が上海レストランに転用されているとの説もある)。

また2010年時点、オーストリアでは、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代に運行されていた皇帝フランツ・ヨーゼフのお召し列車の内装などを参考にした皇帝列車 (MAJESTIC IMPERATOR TRAIN) という名の一般の観光客向け企画列車が走っている。

なお、君主制から共和制に移行した国であっても、独裁者が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車両が元首の命により整備され運行される。ヒトラー蔣介石総統専用列車を有していたし、スターリン毛沢東も国内の移動に専用客車を利用していた(ただし、蔣介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である)。

朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者(金日成金正日金正恩)も特別列車(朝鮮民主主義人民共和国最高指導者専用列車)を所有し、旅客機での移動を嫌うために、その列車で数度、中華人民共和国ソビエト社会主義共和国連邦(後にロシア連邦)を訪問していた。

韓国においても、「トレイン1」と呼ばれる大統領専用のKTXが設定されている。当初は存在が非公開だったが、2011年2月11日光明駅付近で脱線事故が発生。その事故を起こした列車が、偶然にも大統領専用車両を組み込んだ編成ということで存在が広く知られた[30]。なお、一般列車として運行する場合は大統領専用車両は締め切り扱いとなっている。2017年12月19日、文在寅大統領が京江線に試乗した際、初めて車内が一般に公開された。また、セマウル号仕様の大統領専用編成(景福号)も存在する。

アメリカ合衆国では第32代大統領フランクリン・ルーズベルトが国内移動に専用列車が必要と判断し、フェルディナンド・マゼラン号(Ferdinand Magellan (railcar))が1942年より導入された。ルーズベルトの死後次代大統領に就任したハリー・S・トルーマンは1948年の大統領選で専用列車で各地を遊説し、場所によっては駅間で列車を停めて列車の上から遊説するなどした結果、圧倒的に優位に立っていたトマス・E・デューイ候補を破って再選を果たした。それにあやかって旅客鉄道輸送が殆ど廃れた現代でも大統領が列車で遊説する例が見られる[31]。マゼラン号は現在フロリダ州の ゴールドコースト鉄道博物館(Gold Coast Railroad Museum)に保存されている。

脚注

  1. ^ a b c 原武史【歴史のダイヤグラム】幻の車両、運行は2度だけ『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2019年10月5日(4面)2020年7月19日閲覧
  2. ^ 通勤電車を「お召し列車に」TX ヘッドマークを展示/天皇在位30年を記念し秋葉原駅で毎日新聞』朝刊2019年2月24日(東京面)2019年2月25日閲覧。
  3. ^ 1985年4月26日つくば万博参加による2回のみ。その後は寝台特急北斗星」、「あけぼの」などに使用されるかたわら、お召し列車予備機やE655系電車(後述)初試運転時の牽引を務めている。JR東日本在籍。
  4. ^ 塗色については製造時は同型機と同様のぶどう色2号であったが、61号機は1966年のお召し列車運転直前の検査時から一号編成の塗色(暗紅色・溜色〈ためいろ〉)に合わせた塗色に変えられた。大宮工場で調色したぶどう色2号を基に赤を混ぜて調色した特別色。
  5. ^ このお召し列車は昭和天皇最後のお召し列車でもあった。
  6. ^ 両車とも2010年10月22日付で廃車。
  7. ^ 白土 貞夫「天皇がご宿泊になった貨物駅 -総武本線新生駅-」『鉄道ピクトリアル』No.808(2008年9月)pp.67 - 71 電気車研究会
  8. ^ 原宿駅については接続する山手貨物線埼京線湘南新宿ライン等旅客列車の増発でダイヤが過密化し、専用列車の設定が難しくなったという事情もあり、2000年代以降関東地区発着の在来線お召し列車は、皇居に近く線路容量に余裕のある東京駅を始発としている。
  9. ^ 進士 友貞『国鉄最後のダイヤ改正 -JRスタートへのドキュメント-』交通新聞社 pp.290-292
  10. ^ 1950年(昭和25年)3月から1961年(昭和36年)頃まで東京駅発で運転する場合は「つばめ」(9時発)を指導列車の代わりとし、その10分後を特急に準じたダイヤで運行していた。同様に2008年(平成20年)11月12日上野駅土浦駅行でも「スーパーひたち15号」の後を追う形でE655系「なごみ」が運転された。
  11. ^ 国外要人乗車の際は戦前は国旗を掲げて運転されていたが、戦後は国旗取り付けを行なっていなかった。
  12. ^ 『RAIL FAN』第49巻第8号、鉄道友の会、2002年8月1日、16-17頁。 
  13. ^ “両陛下、スペイン国王とお召し列車でつくば市をご訪問”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2008年11月12日). オリジナルの2009年2月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090210071735/http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/081112/imp0811121211001-n1.htm 
  14. ^ a b 鉄道ファン』2009年1月号 pp.83
  15. ^ 「お召し列車」で移動 鳥取訪問の両陛下(動画あり)”. 47NEWS (よんななニュース) (2011年10月31日). 2011年11月3日閲覧。
  16. ^ お召し列車、10年ぶりに中央線を走行-鉄道ファンら詰めかける”. 八王子経済新聞 (2011年11月14日). 2011年11月17日閲覧。
  17. ^ 【JR東】E2系N編成使用のお召列車運転”. Rail Magazine RM News (2012年7月10日). 2012年7月25日閲覧。
  18. ^ お召し列車に鉄道ファン興奮 天皇、皇后両陛下の茨城県ご訪問で運行”. 『産経新聞』 (2017年11月28日). 2017年11月30日閲覧。
  19. ^ 平岡豊 (2017年11月28日). “E655系によるお召列車運転”. 『鉄道ファン』. 2017年11月30日閲覧。
  20. ^ 近鉄でお召列車運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2019年3月27日). 2019年4月19日閲覧。
  21. ^ 近鉄名古屋線・山田線でお召列車運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2019年4月18日). 2019年4月19日閲覧。
  22. ^ 両陛下、茨城へ お召し列車が令和初「特別車両」連結で常磐線を走る E655系電車「和」”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ (2019年9月28日). 2019年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月10日閲覧。
  23. ^ 近鉄名古屋線・山田線でお召列車運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2019年11月22日). 2019年12月14日閲覧。
  24. ^ 天皇は岡山県宇野港から横須賀港までは軍艦で移動し、横須賀駅から東京駅までお召し列車を利用した。
  25. ^ 「御召列車脱線」東京日日新聞 明治44年11月19日『新聞集成明治編年史. 第十四卷』国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 『朝日新聞』連載記事。同社より出版の単行本『国鉄物語』に収録。
  27. ^ 初出は「お召列車、後退せず」の題で、1967年講談社『別冊小説現代』第2巻第1号(1967年1月15日発売、新春特別号)pp. 218-243
  28. ^ 明治41年11月18日舞子駅
  29. ^ 「聖上御乗の宮廷列車動かず」『東京朝日新聞』明治41年11月19日『新聞集成明治編年史. 第十三卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  30. ^ 時代錯誤の韓国大統領専用列車 Archived 2011年9月12日, at the Wayback Machine. 朝日将軍の執務室 2011年2月16日(『朝鮮日報』2011年2月15日からの記事引用)
  31. ^ オバマ米次期大統領、遊説しながら列車でワシントンへ - 「ロイターニュース」2009年1月18日付記事

関連項目

外部リンク