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*『銀のはしご うさぎのピロちゃん物語 井上靖の童話』小学館 1980、[[鈴木義治]]画。のち「星よまたたけ」新潮文庫 |
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*『井上靖 シルクロード詩集』日本放送出版協会 1982 新版1990、のち同ライブラリー |
*『井上靖 シルクロード詩集』日本放送出版協会 1982 新版1990、のち同ライブラリー |
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*『乾河道』集英社 1984 |
*『乾河道』集英社 1984 |
2020年6月18日 (木) 12:19時点における版
井上 靖 (いのうえ やすし) | |
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1955年 | |
誕生 |
1907年5月6日 北海道旭川町 (現・旭川市) |
死没 |
1991年1月29日(83歳没) 東京都中央区築地(国立がんセンター)[1] |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 学士(文学) |
最終学歴 | 京都帝国大学哲学科(美学) |
活動期間 | 1936年 - 1991年 |
ジャンル | 小説 |
代表作 |
『氷壁』(1957年) 『天平の甍』(1957年) 『敦煌』(1959年) 『しろばんば』(1960年) 『蒼き狼』(1963年) 『風濤』(1963年) 『おろしや国酔夢譚』(1968年) 『孔子』(1989年) |
主な受賞歴 |
千葉亀雄賞(1936年) 芥川龍之介賞(1950年) 芸術選奨(1958年) 日本芸術院賞(1959年) 文藝春秋読者賞(1960年) 毎日芸術賞(1960年) 野間文芸賞(1961年・1989年) 読売文学賞(1964年) 日本文学大賞(1969年・1982年) 文化勲章(1976年) 菊池寛賞(1980年) 朝日賞(1985年) |
ウィキポータル 文学 |
井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。
年譜
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1907年(明治40年)5月6日 - 北海道上川郡旭川町(現:旭川市)に軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれる。井上家は静岡県伊豆湯ヶ島(現在の伊豆市)で代々続く医家である。父・隼雄は現在の伊豆市門野原の旧家出身であり井上家の婿である。
- 1908年(明治41年) - 父が韓国に従軍したので母の郷里・静岡県伊豆湯ヶ島(現在の伊豆市湯ケ島)へ戻る。
- 1912年(大正元年) - 両親と離れ湯ヶ島で戸籍上の祖母かのに育てられる。
- 1914年(大正3年) - 湯ヶ島尋常小学校(後の伊豆市立湯ヶ島小学校。現在は閉校)に入学。
- 1920年(大正9年)2月 - 浜松尋常高等小学校(現:浜松市立元城小学校)に編入学。同年4月、静岡県浜松師範学校附属小学校高等科(現:静岡大学教育学部附属浜松中学校)に入学。なお入学前に浜松中学を受験するも落第。
- 1921年(大正10年) - 静岡県立浜松中学校(現:静岡県立浜松北高等学校)に首席で入学。
- 1922年(大正11年) - 静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校)に転入。
- 1927年(昭和2年) - 石川県金沢市の第四高等学校理科(現:金沢大学理学部)に入学。柔道部に入る。
- 1929年(昭和4年) - 柔道部を退部、文学活動を本格化。
- 1930年(昭和5年) - 第四高等学校理科を卒業。井上泰のペンネームで北陸四県の詩人が拠った誌雑誌『日本海詩人』に投稿、詩作活動に入る。九州帝国大学法文学部(現:九州大学文学部)英文科へ入学する(福岡市中央区唐人町の素人下宿に棲む)。
- 1932年(昭和7年) - 九州帝大中退。京都帝国大学文学部哲学科へ入学。
- 1935年(昭和10年) - 京都帝大教授・足立文太郎の娘ふみと結婚。
- 1936年(昭和11年) - 京都帝大卒業[2]。『サンデー毎日』の懸賞小説で入選(千葉亀雄賞)し、それが縁で毎日新聞大阪本社へ入社。学芸部に配属される。日中戦争のため召集を受け出征するが、翌年には病気のため除隊され、学芸部へ復帰する。なお部下に山崎豊子がいた。
- 戦後は学芸部副部長をつとめ、囲碁の本因坊戦や将棋の名人戦の運営にもかかわる。
- 1950年(昭和25年) - 『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。
- 1951年(昭和26年) - 毎日新聞社を退社。以後創作の執筆と取材講演のための旅行が続く。
- 1955年(昭和30年) - 講演のため旭川を訪れる。短編「姨捨」発表
- 1964年(昭和39年) - 日本芸術院会員となる。
- 1976年(昭和51年) - 文化勲章受章。
- 1982年(昭和57年) - 以降、世界平和アピール七人委員会の委員を務める。
- 1988年(昭和63年) - ならシルクロード博覧会総合プロデューサーを務める。
- 1991年(平成3年)1月29日 - 急性肺炎のため東京都中央区の国立がんセンターで死去[1][3][4]。享年83。戒名は峯雲院文華法徳日靖居士。墓所は静岡県伊豆市、葬儀委員長は司馬遼太郎。
- 2007年(平成19年) - 生誕100周年を記念して『風林火山』が大河ドラマとして放送された。
作風
小説は同時代を舞台とするもの(『猟銃』、『闘牛』、『氷壁』他)、自伝的色彩の強いもの(後述。『あすなろ物語』、『しろばんば』他)に加え、歴史に取材したものに大別される。歴史小説は、日本で特に戦国時代(『風林火山』、『真田軍記』、『淀どの日記』他)、中国ではとりわけ西域を題材にした(『敦煌』、『楼蘭』、『天平の甍』他)ものを多く描いた。巧みな構成と詩情豊かな作風は今日でも広く愛され、映画・ドラマ・舞台化の動きも絶えない。
歴史作品を中心に各国語に翻訳され、日本ペンクラブ会長時代にはしばしばノーベル文学賞の候補とされた。読売新聞は2012年3月にノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長に取材し、「井上靖が、非常に真剣に討論されていた」といったコメントを得たことを報じた[5]。川端康成が受賞した翌年の1969年には実際に候補(ロングリスト)に挙げられたことが判明している[6]。
『しろばんば』、『夏草冬濤』、『北の海』は、自身がモデルの主人公・伊上洪作が幼少期から青年に至るまで自伝的な作品である(井上靖自伝的小説三部作[7])。『しろばんば』[8]は静岡県伊豆湯ヶ島(現伊豆市湯ヶ島)で過ごした幼少時代の、『夏草冬涛』は旧制沼津中学校の生徒だった頃の、『北の海』は沼津中学卒業後の沼津での浪人生活の1年近くの日々を描いたもので、その日常、あるいは旧制第四高等学校の練習に誘われ、寝技主体の柔道、いわゆる高専柔道に明け暮れる洪作が生き生きと描かれている。井上靖の周囲に実在した人物がモデルとして多く登場し、特に『しろばんば』中に登場する、曽祖父の妾で洪作とは血の繋がらない「おぬいばあさん」(実在の名は「おかの」)との生活は、井上靖の人格形成を語る上で欠かせないものである。
その他、老いの境地に入った実母・八重について書いた作者晩年の短編三部作として『花の下』、『月光』、『雪の面』がある(講談社文庫より『わが母の記 -花の下・月の光・雪の面-』の題名で発行され、モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受賞の映画『わが母の記』にもなった)。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 北海道生まれだが出身地は静岡県である。随筆『郷里伊豆』に「私は北海道旭川で生まれた。しかし年鑑や名簿などでは私の出生地は殆ど静岡県になっている。自分で書く時は出生地は旭川、出身地は静岡県と区別して書くが…」と記している。
- 『私の自己形成史』の中の<自然との奔放な生活>には「この少年時代を過ごした原籍地の伊豆が私の本当の意味での郷里であり、ここで私という人間の根底になるものはすべて作られたと考えていいようである」と記している。
- 天寿を全うし、最晩年のがんを除けば病気らしい病気もしなかったといわれるが、文壇の酒豪番付の横綱常連で、60・70代になっても酒量が増え続けるほどだったという。ノーベル賞を逃した夜は、無礼講で「ノーメル賞だ」と知人らにふるまった。
- 晩年には親鸞を小説に書こうと考えていたが、実現することなく亡くなった。なお『わだつみ』は大作だが未完作である。
- 日本画家平山郁夫とは日中文化交流で終生親しく、平山が関連役職を継いでいる。
- 神社仏閣、日本史にも造詣が深く、複数の出版社で監修・編集委員を引き受けている。
- 著作の一つ『蒼き狼』の執筆の動機として、著者が旧制中学生の頃に「成吉思汗は源義経也、非ず」という論争が『中央史壇』で行われており、著者が第四高等学校へ進学した時にその友人がこの論争について言及していた事をきっかけとして、帝国大学へ進学してから『中央史壇』におけるくだんの記事を読み関心を持った(新潮文庫版『蒼き狼』の著者あとがきより)。
- ふみ夫人との間には4人の子供がいる。長男の井上修一はドイツ文学者で東大独文卒、一橋大学教授から筑波大学教授を経てプール学院大学学長に就任。日本独文学会やドイツ語学文学振興会の理事長などを歴任。世紀末ウィーン文学を研究している。
- 二男の井上卓也は慶應義塾大学卒業後、電通に入社。コピーライター、CMプランナーとして活躍後、作家デビュー。長女に浦城いくよ(井上靖記念文化財団専務理事ほか)二女に黒田佳子は詩人がおり、各回想記を刊行している。
受賞歴
- 1936年(昭和11年) 『流転』で第1回千葉亀雄賞
- 1950年(昭和25年) 『闘牛』で第22回芥川賞
- 1958年(昭和33年) 『天平の甍』で芸術選奨文部大臣賞
- 1959年(昭和34年) 『氷壁』で日本芸術院賞
- 1960年(昭和35年) 『敦煌』『楼蘭』で毎日芸術賞。『蒼き狼』で文藝春秋読者賞
- 1961年(昭和36年) 『淀どの日記』で第12回野間文芸賞
- 1964年(昭和39年) 『風濤』で第15回読売文学賞
- 1969年(昭和44年) 『おろしや国酔夢譚』で第1回日本文学大賞。ポルトガル・インファンテ・ヘンリッケ勲章
- 1976年(昭和51年) 文化勲章、文化功労者
- 1980年(昭和55年) 菊池寛賞
- 1981年(昭和56年) NHK放送文化賞・仏教文化賞
- 1982年(昭和57年) 『本覚坊遺文』で日本文学大賞
- 1985年(昭和60年) 朝日賞
- 1986年(昭和61年) 北京大学より名誉博士号
- 1989年(平成元年) 『孔子』で第42回野間文芸賞
著書
長編小説
- 『流転』有文堂 1948
- 『その人の名は云えない』新潮社 1950 のち文春文庫
- 『黯い潮』文藝春秋新社、1950 のち角川文庫、「黯い潮・霧の道」文春文庫、(下山事件を扱う。映画『黒い潮』原作)
- 『白い牙』新潮社 1951 のち角川文庫、集英社文庫
- 『戦国無頼』毎日新聞社 1952 のち角川文庫
- 『青衣の人』新潮社 1952
- 『暗い平原』筑摩書房 1953のち中公文庫
- 『あすなろ物語』新潮社 1954 のち文庫
- 『昨日と明日の間』朝日新聞社 1955 のち角川文庫
- 『風林火山』新潮社 1955 のち文庫
- 『あした来る人』朝日新聞社 1954 のち新潮文庫
- 『淀どの日記』文藝春秋社 1961 のち角川文庫
- 『満ちてくる潮』新潮社 1956 のち角川文庫
- 『黒い蝶』新潮社 1955 のち文庫
- 『射程』新潮社 1957 のち文庫
- 『氷壁』朝日新聞社 1957 新潮社 1957 のち文庫
- 『天平の甍』中央公論社 1957 のち新潮文庫
- 『海峡』角川書店 1958 のち文庫
- 『敦煌』講談社 1959 のち新潮文庫
- 『ある落日』角川書店 1959 のち文庫
- 『蒼き狼』文藝春秋新社 1960 のち新潮文庫
- 『渦』新潮社 1960 のち角川文庫
- 『しろばんば』中央公論社 1962 のち新潮文庫
- 『崖』文藝春秋 1961 のち文庫
- 『憂愁平野』新潮社 1963 のち文庫
- 『城砦』毎日新聞社 1964のち角川文庫
- 『楊貴妃伝』中央公論社 1965 のち講談社文庫
- 『風濤』講談社 1963 のち新潮文庫
- 『夏草冬濤』(なつくさふゆなみ) 新潮社 1966 のち文庫
- 『後白河院』筑摩書房 1972 のち新潮文庫
- 『おろしや国酔夢譚』文藝春秋 1968 のち文庫、徳間文庫 …大黒屋光太夫の漂流記
- 『化石』講談社 1965 のち角川文庫
- 『夜の声』新潮社 1967 のち文庫
- 『額田女王』毎日新聞社 1968 のち新潮文庫
- 『北の海』中央公論社 1968 のち新潮文庫、中公文庫
- 『欅の木』集英社 1970 のち文春文庫
- 『四角な船』新潮社 1970 のち文庫…NHKでドラマ化
- 『星と祭』朝日新聞社 1971 のち角川文庫
- 『幼き日のこと』毎日新聞社 1972 「幼き日のこと・青春放浪」新潮文庫
- 『わだつみ』(全3冊) 岩波書店 1977
- 『流沙』毎日新聞社 1977 のち文春文庫
- 『本覺坊遺文』講談社 1981 のち文庫、文芸文庫…千利休を描く
- 『異国の星』講談社 1984 のち文庫
- 『孔子』新潮社 1989 のち文庫
短編小説
- 「猟銃」 ※「闘牛」に所収(発表は1949年で本作が先)
- 『闘牛』 文藝春秋新社 1950 のち「猟銃・闘牛」新潮文庫
- 『死と恋と波と』養徳社 1950
- 『雷雨』新潮社 1950
- 『ある偽作家の生涯』創元社 1951 のち新潮文庫
- 『春の嵐』創元社 1952 「春の嵐・通夜の客」角川文庫
- 『黄色い鞄』小説朝日社 1952 のち文春文庫
- 『緑の仲間』毎日新聞社 1952 のち文春文庫
- 『仔犬と香水瓶』文藝春秋新社 1952 「貧血と花と爆弾」文春文庫
- 『風と雲と砦』新潮社 1953 のち角川文庫
- 『末裔』新潮社 1954
- 『花と波濤』大日本雄弁会講談社 1954 のち文庫
- 『異域の人』大日本雄弁会講談社 1954 のち角川文庫
- 『青い照明』山田書店 1954
- 『風わたる』現代社 1954
- 『愛』雲井書店 1954 のち角川文庫
- 『霧の道』雲井書店 1954 のち角川文庫、文春文庫
- 『春の海図』現代社 1954 のち角川文庫
- 『伊那の白梅』光文社 1954 のち潮文庫(岳父を描いたもの)
- 『オリーブ地帯』大日本雄弁会講談社 1954 のち文春文庫
- 『星よまたたけ』同和春秋社(昭和少年少女文学選集)1954
- 『美也と六人の恋人』光文社(カッパ・ブックス)1955
- 『騎手』筑摩書房 1955
- 『夢見る沼』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)1955 のち文庫
- 『その日 そんな時刻』東方社 1956
- 『魔の季節』毎日新聞社 1956 のち文春文庫
- 『野を分ける風』創芸社 1956
- 『姨捨』新潮社 1956 のち文庫
- 『七人の紳士』三笠書房 1956 「楼門」集英社文庫
- 『孤猿』河出書房 1956 のち角川文庫、旺文社文庫
- 『ある愛情』三笠書房 1956
- 『真田軍記』新潮社 1957 のち角川文庫、旺文社文庫
- 『山の湖』角川小説新書 1957
- 『白い炎』新潮社 1957 のち文春文庫
- 『白い風 赤い雲』角川書店 1957 のち文庫
- 『こんどは俺の番だ』文藝春秋新社 1957 のち文庫
- 『少年』角川小説新書 1957 「少年・あかね雲」新潮文庫
- 『青いボート』光文社 1958
- 『揺れる耳飾り』講談社 1958 のち文春文庫
- 『満月』筑摩書房 1958 のち角川文庫
- 『楼蘭』講談社 1958 のち新潮文庫
- 『波濤』講談社 1959 のち角川文庫
- 『旅路』人文書院 1959
- 『朱い門』文藝春秋新社 1959
- 『河口』中央公論社 1960 のち角川文庫
- 『川』有紀書房 1960
- 『群舞』毎日新聞社 1961 のち角川文庫
- 『小磐梯』新潮社 1961 のち新潮文庫 ※「楼蘭」に所収
- 『半島』有紀書房 1962
- 『洪水』新潮社 1962 「洪水・異域の人」旺文社文庫
- 『凍れる樹』講談社 1964 「北国の春」文庫
- 『異国の旅』毎日新聞社 1964
- 『羅刹女国』文藝春秋新社 1965
- 『西域小説集』講談社 1965。新版「異域の人 自選西域小説集」
- 『燭台』講談社 1965 のち文春文庫
- 『傾ける海』文藝春秋 1966 のち角川文庫。伊勢湾台風と近鉄名古屋線改軌を題材にした
- 『天城の雲』大和書房 1968
- 『月の光』講談社 1969 のち文庫
- 『崑崙の玉』文藝春秋 1970 のち文庫
- 『ローマの宿』新潮社 1970 「道・ローマの宿」文庫
- 『土の絵』集英社 1972 「冬の月」集英社文庫
- 『火の燃える海』集英社 1973 のち文庫
- 『あかね雲』新潮社 1973 のち文庫
- 『桃李記』新潮社 1974
- 『わが母の記』講談社 1975 のち文庫、文芸文庫
- 『花壇』角川書店 1976 のち文庫
- 『過ぎ去りし日日』日本経済新聞社 1977
- 『盛装』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『戦国城砦群』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『地図にない島』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『兵鼓』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『月光・遠い海』文藝春秋 1977 「遠い海」文庫
- 『紅花』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『若き怒濤』文藝春秋 1977 のち文庫
- 『石濤』新潮社 1991 のち文庫。遺作集
- 『補陀落渡海記 井上靖短篇名作集』講談社文芸文庫 2000
- 『異域の人・幽鬼 井上靖歴史小説集』講談社文芸文庫 2004.2
- 『崑崙の玉・漂流 井上靖歴史小説傑作選』講談社文芸文庫 2018.4
詩集・童話・現代語訳
- 『傍観者』新潮社 1951 のち潮文庫、「夏花」集英社文庫
- 『きたぐに』東京創元社 1958、のち改題「北国」新潮文庫
- 『地中海』新潮社 1962
- 『運河』筑摩書房 1967
- 『季節』講談社 1971
- 『遠征路』集英社 1976
- 『井上靖全詩集』新潮社 1979 のち文庫
- 『銀のはしご うさぎのピロちゃん物語 井上靖の童話』小学館 1980、鈴木義治画。のち「星よまたたけ」新潮文庫
- 『西行 山家集』学習研究社(現代語訳 日本の古典)1982、のち新版、文庫
- 『森鷗外 舞姫』学習研究社「現代語訳明治の古典」1982、ちくま文庫 2006
- 『井上靖 シルクロード詩集』日本放送出版協会 1982 新版1990、のち同ライブラリー
- 『乾河道』集英社 1984
- 『シリア沙漠の少年』銀の鈴社 1985
- 『星闌干』集英社 1990
随筆・紀行
- 『西域物語』朝日新聞社 1968 のち朝日選書(オンデマンド版)、新潮文庫
- 『六人の作家』河出書房新社 1973
- 『美しきものとの出会い』文藝春秋 1973
- 『歴史小説の周囲』講談社 1973、のち文庫、新編・文芸文庫 2009
- 『カルロス四世の家族 小説家の美術ノート』中央公論社 1974 のち文庫
- 『わが一期一会』毎日新聞社 1975 のち三笠書房・文庫、日本図書センター「人間の記録」
- 『過ぎ去りし日日』日本経済新聞社 1977、のち日本図書センター「作家の自伝」。元は「私の履歴書」
- 『遺跡の旅・シルクロード』新潮社 1977 のち文庫
- 『歴史の光と影』講談社 1979 のち文庫
- 『私の中の風景 現代の随想』日本書籍 1979
- 『故里の鏡 随想集』風書房 1979 のち中公文庫
- 『きれい寂び 人・仕事・作品』集英社 1980 のち文庫
- 『ゴッホの星月夜 小説家の美術ノート』中央公論社 1980
- 『現代の随想1 井上靖集』彌生書房 1981。自選
- 『作家点描』講談社 1981
- 『クシャーン王朝の跡を訪ねて』潮出版社 1982
- 『私の西域紀行』(上下)、文藝春秋 1983 のち文庫
- 『忘れ得ぬ芸術家たち』新潮社 1983 のち文庫
- 『美の遍歴 半世紀にわたる芸術家たちとの出会い』毎日新聞社 1984
- 『レンブラントの自画像 小説家の美術ノート』中央公論社 1986
- 『河岸に立ちて 歴史の川 沙漠の川』平凡社 1986 のち新潮文庫
- 『西域仏跡紀行』法蔵館 1992。集成
- 『日本古寺巡礼』法蔵館 1992。集成
- 『シルクロード紀行』(上下)、岩波同時代ライブラリー 1993
- 『日本紀行』岩波同時代ライブラリー 1993
対談・共著
- 『西域 人物と歴史』岩村忍、筑摩書房 1969。新書判 のち現代教養文庫
- 『アレキサンダーの道 アジア古代遺跡の旅』画平山郁夫 文藝春秋 1976 のち文庫
- 『わが文学の軌跡』聞き手篠田一士、辻邦生 中央公論社 1977 のち文庫
- 『四季の雁書 往復書簡』池田大作 潮出版社 1977 のち聖教文庫
- 『西域をゆく』司馬遼太郎 潮出版社 1978 のち文庫、文春文庫
- 『対談集 歴史の旅』創林社 1980
- 『対談集 歴史・文学・人生』牧羊社 1982
全集
- 大日本雄弁会講談社
- 井上靖作品集 全5巻 1954
- 三笠書房
- 井上靖長篇小説選集 全8巻 1957-58
- 新潮社
- 岩波書店
- 井上靖歴史小説集 全11巻 1981-82
- 井上靖歴史紀行文集 全4巻 1992
- 井上靖短篇集 全6巻 1998
- 学習研究社
- 井上靖エッセイ全集 全10巻 1983-84
- 井上靖自伝的小説集 全5巻 1985
参考文献
- 黒田佳子『父・井上靖の一期一会』 潮出版社 2000年
他の親族・関係者の回想
- 井上卓也『グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー 父・井上靖へのレクイエム』文藝春秋、1991年
- 浦城いくよ『父井上靖と私』ユーフォーブックス、2016年
- 福田宏年『井上靖評伝覚』集英社、増補版1991年
- 山川泰夫『晩年の井上靖 『孔子』への道』求龍堂、1993年
関係事項
- 施設
- 井上靖記念館(北海道旭川市)
- 井上靖文学館 (静岡県駿東郡長泉町)
- 井上靖旧邸(道の駅天城越え内)
- アジア博物館・井上靖記念館(鳥取県米子市大篠津町)
- 井上靖記念室 (神奈川近代文学館内)
- 井上靖記念室 (日本現代詩歌文学館内)
- 井上靖記念室 (長浜市立高月図書館内)[9]
- その他
- 日本中国文化交流協会 設立に関わった。
-
井上靖記念館
-
井上靖文学館
-
井上靖旧邸
-
伊豆の墓地にある井上靖の墓
-
井上靖墓碑の裏側
関連作品
映画
- 『流転 第一部・炎』(1937年・松竹 監督:二川文太郎)
- 『流転 第二部・星』(1937年・松竹 監督:二川文太郎)
- 『その人の名は云えない』(1951年・東宝 監督:杉江敏男)
- 『哀愁の夜』(1951年・東宝 監督:杉江敏男)
- 『黄色い鞄』(1952年・松竹 監督:弓削進)
- 『戦国無頼』(1952年・東宝 監督:稲垣浩)
- 『花と怒涛』(1952年・新東宝 監督:松林宗恵)
- 『昨日と明日の間』(1954年・松竹 監督:川島雄三)
- 『緑の仲間』(1954年・大映 監督:森一生)
- 『愛』(1954年・新東宝 監督:若杉光夫)
- 『黒い潮』(1954年・日活 監督:山村聰)
- 『あした来る人』(1955年・日活 監督:川島雄三)
- 『第二の恋人』(1955年・松竹 監督:田畠恒夫)
- 『あすなろ物語』(1955年・東宝 監督:堀川弘通)
- 『満ちてくる潮』(1956年・東映 監督:田中重雄)
- 『白い炎』(1958年・松竹 監督:番匠義彰)
- 『氷壁』(1958年・大映 監督:増村保造)
- 『「通夜の客」より わが愛』(1960年・松竹 監督:五所平之助)
- 『白い牙』(1960年・松竹 監督:五所平之助)
- 『猟銃』(1961年・松竹 監督:五所平之助)
- 『しろばんば』(1962年・日活 監督:滝沢英輔)
- 『憂愁平野』(1963年・東宝 監督:豊田四郎)
- 『風林火山』(1969年・東宝 監督:稲垣浩)
- 『化石』(1975年・東宝 監督:小林正樹)
- 『天平の甍』(1980年・東宝 監督:熊井啓)
- 『敦煌』(1988年 監督:佐藤純彌)
- 『千利休 本覺坊遺文』(1989年東宝 監督:熊井啓)
- 『おろしや国酔夢譚』(1992年 監督:佐藤純彌)
- 『KOYA 澄賢房覚え書』(1993年 監督:村野鐵太郎)
- 『茶々 天涯の貴妃』(2007年 監督:橋本一)
- 『ウォーリアー&ウルフ』(2008年 監督:ティエン・チュアンチュアン) ※原作は『狼災記』
- 『わが母の記』(2012年 監督:原田眞人)
- 『死と恋と波と』(2015年 監督:松永大司)
テレビドラマ
- 『猟銃』(1963年、NET)
- 『氷壁』(1967年、日本テレビ)
- 『化石』(1972年、フジテレビ)
- 『氷壁』(1972年 脚本:倉本聰、NHK)
- 『額田女王』(1980年 脚本:中島丈博)
- 『蒼き狼』(1980年 脚本:大野靖子)
- 『風林火山』(1992年、日本テレビ、年末大型時代劇スペシャル第8弾、脚本:杉山義法)
- 『猟銃』(2003年、朗読紀行「にっぽんの名作」)※行定勲演出の朗読映像ドラマ
- 『風林火山』(2006年、テレビ朝日、新春時代劇スペシャル)
- 『氷壁』[10](2006年、NHK、土曜ドラマ・シリーズ第1弾)
- 『風林火山』(2007年、NHK、大河ドラマ)
- 『初秋』(2011年、CBC)※原作は『凍れる樹』
舞台
- 『天平の甍』(2002年 前進座)
- 『猟銃』(2011年 演出:フランソワ・ジラール)
- 『楊貴妃伝』(2004年 宝塚歌劇団星組『花舞う長安』)
関連項目
- 増田俊也 - 作家。井上同様学生時代に柔道に打ち込み、その時の体験を小説化した作品が多い。特に『七帝柔道記』は、井上の『北の海』の影響を受けている
- 曾根博義 - 近代文学研究者・文芸評論家。決定版「井上靖全集」を編さん。「井上靖 詩と物語の饗宴 「国文学解釈と鑑賞」別冊」を編んだ(至文堂 1996年)。
脚注
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和11年度』京都帝国大学、1936年、468頁。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)5頁
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)38頁
- ^ “安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る”. YOMIURI ONLINE (2012年3月23日). 2012年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月5日閲覧。
- ^ 井上靖、ノーベル賞候補だった 川端康成受賞翌年の1969年朝日新聞2020年1月21日
- ^ “偕成社文庫100本ノック37『しろばんば』”. スタッフ通信. 偕成社. 2015年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月3日閲覧。
- ^ 「しろばんば」は方言で、「雪虫」のこと。1962年に滝沢英輔監督、木下惠介脚本の映画にもなった。
- ^ 『るるぶ滋賀びわ湖'15〰'16』JTBパブリッシング〈るるぶ情報版〉、2015年、51頁。ISBN 9784533101458。
- ^ “文豪の世界への誘い 〜大作家の作品のドラマ化〜 -NHKアーカイブス”. NHK. 2020年6月13日閲覧。