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永井龍男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永井 龍男
(ながい たつお)
1955年
誕生 1904年5月20日
東京市神田区猿楽町
死没 (1990-10-12) 1990年10月12日(86歳没)
神奈川県横浜市栄区桂町
墓地 済海寺
職業 小説家随筆家編集者
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1920年 - 1990年
ジャンル 小説随筆俳句
代表作 『朝霧』(1949年)
『一個 その他』(1965年)
『青梅雨 その他』(1966年)
『石版東京図絵』(1967年)
『わが切抜帖より』(1968年)
『コチャバンバ行き』(1972年)
主な受賞歴 横光利一賞(1949年)
野間文芸賞(1965年)
日本芸術院賞(1966年)
読売文学賞(1969年・1973年)
菊池寛賞(1972年)
文化功労者(1973年)
川端康成文学賞(1975年)
文化勲章(1981年)
デビュー作 『活版屋の話』(1920年)
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永井 龍男(ながい たつお、1904年明治37年)5月20日 - 1990年平成2年)10月12日)は、日本小説家随筆家編集者日本芸術院会員、文化功労者文化勲章受章者。 俳名、東門居。

懸賞小説に応募した『活版屋の話』(1920年)、『黒い御飯』(1923年)などで菊池寛に推賞される。人情の機微を精緻に描写する短編小説作家として活躍。作品に『朝霧』(1949年)、『風ふたたび』(1951年)など。

生涯

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東京市神田区猿楽町(現在の東京都千代田区猿楽町)に、父教治郎 - 母ヱツの、四男一女の末子として生まれた。父親は本所割下水の御家人の次男で、永井家に夫婦養子として入り、印刷所の校正係をしていた[1]。母は築地活版所の印刷職工の娘[1]。兄も欧文植字工、叔父も印刷所勤務と印刷関係者が多い一族[1]。1911年(明治44年)(7歳)、錦華尋常小学校へ入学、1919年(大正8年)(15歳)、一ツ橋高等小学校を卒業。父の病弱のため進学を諦め、米穀取引所仲買店に勤めたが、胸を病み3ヶ月で退職した。同年11月、父没。

1920年(大正9年)(16歳)、文芸誌『サンエス』に投稿した「活版屋の話」が当選。16年年長の選者菊池寛の知遇を得る。1922年帝国劇場の募集脚本に「出産」が当選。1923年(大正12年)、「黒い御飯」が創刊直後の『文藝春秋』誌に掲載。1924年、小林秀雄石丸重治河上徹太郎富永太郎らと同人誌『山繭』を刊行する。

1927年(昭和2年)(23歳)、文藝春秋社に就職を希望し菊池寛社長を訪ね、居合わせた横光利一の口利きにより入社。『手帖』、『創作月刊』、『婦人サロン』の編集につぎつぎに当たった。1932年、『オール讀物』の、次いで『文芸通信』の編集長となった。編集者生活の傍らで創作の発表も続けた。

1934年1月、久保田万太郎夫妻の媒酌により、久米正雄夫人の妹の奧野悦子と結婚。女児2人が生まれた。同年11月、神奈川県鎌倉郡鎌倉町(現在の鎌倉市)に移る。以後転居を度々行ったが鎌倉市で終生居住した。

1935年(31歳)、1月に創設された芥川賞直木賞の常任理事として3年間両賞の事務を取った。同年3月、母没。1939年、『文藝春秋』誌の編集長、1940年、文藝春秋社の編集局次長となった。

1943年(昭和18年)4月、文藝春秋社取締役。同年11月、満洲国新京市(現在の中国東北部長春市)に単身赴任し、満洲文藝春秋社を設立した。翌年一時帰国し、太平洋戦争末期の混乱のため東京の本社に留まる。1945年3月、文藝春秋社専務取締役となった。

戦後の1945年12月、文藝春秋社に辞表を出し、1946年1月、『新夕刊』林房雄小林秀雄らと創刊したが、1947年10月(43歳)、GHQ公職追放され、文筆生活への専念を余儀なくされた。1948年追放解除とともに日比谷出版社取締役社長となり、復活した直木賞を二回同社『文芸読物』で担当するも同社が倒産。以降は雑誌、新聞、週刊誌に、作品を発表した。

1952年(昭和27年)上期から1957(昭和32年)下期まで直木賞選考委員を、1958年(昭和33年)上期から1977年(昭和52年)下期まで芥川賞選考委員を務めた。

1966年(62歳)、『一個 その他』などの文業により日本芸術院賞受賞[2]。1968年、日本芸術院の会員に選任される。1972年、長年の作家活動により第20回菊池寛賞を受賞。

1974年(70歳)、勲二等瑞宝章を受章。1975年には『秋』により第2回川端康成文学賞を受賞した。

1976年(72歳)、村上龍限りなく透明に近いブルー」への授賞に抗議し選評「老婆心」を提出、芥川賞選考委員辞任を申し出る。日本文学振興会職員に慰留を受け提出選評「老婆心」末尾、菊池寛文章引用部分を削除する。この事件は外に洩れなかった。

1977年(73歳)、池田満寿夫エーゲ海に捧ぐ」の芥川賞受賞決定に対して、選評で「空虚な痴態」と断じ、前々回での「限りなく」も取り上げ、「前衛的な作品」と述べつつ全否定の見解を述べ委員を退任。

1981年(77歳)、文化勲章受章。翌年にかけ『永井龍男全集』(全12巻)を、講談社より刊行。

1985年(81歳)、開館した鎌倉文学館の初代館長に迎えられる。

1990年(平成2年)10月12日心筋梗塞により横浜栄労災病院で死去。享年86。戒名は東門居士[3]東京都港区三田済海寺の墓域に眠る。

おもな著作

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  • 『絵本』四季社(1934)
  • 『あゝ、この一球』光文社(1949)
  • 『手袋のカタッポ』日比谷出版(1949)
  • 『朝霧』改造社(1950)(第2回横光利一賞)/新潮文庫(1951)/講談社文芸文庫(1992)ISBN 9784061961678
  • 『鳩舎』四季社(1951)
  • 『白い犬』創元社(1951)
  • 『菜の花』池田書店(1951)
  • 『風ふたたび』朝日新聞社(1951)/角川文庫(1955)
  • 『明日はどっちだ』毎日新聞社(1952)
  • 『座席は一つあいている』読売新聞社(1953)
  • 『外灯』文藝春秋新社(1953)
  • 『さくらんぼ』新潮社(1953)
  • 『胡桃割り』四季社(1954)
  • 『紅茶の時間』四季社(1954)
  • 『遠い横顔』新潮社(1954)
  • 『四角な卵』文藝春秋新社(1955)
  • 『設計図の上の消しゴム』四季社(1955)
  • 『巣立ちの歌』新潮社(1955)
  • 『寄せ算引き算』東方社(1955)
  • 『女の靴』鱒書房(1955)
  • 『人なつこい季節』四季社(1955)
  • 『酒徒交伝』四季社(1956)
  • 『午前と午後と』新潮社(1956)
  • 『その火のすべて』講談社(1957)
  • 『噴水』毎日新聞社(1957)/角川文庫(1960)
  • 『菊池寛』時事通信社(1961)
  • 『幸吉八方ころがし』筑摩書房(1963)/文春文庫(1986)(読売新聞連載)
  • 『皿皿皿と皿』河出書房新社(1964)
  • 『大の虫小の虫』筑摩書房(1964)
  • 一個 その他』文藝春秋新社(1965)(第28回野間文芸賞)/新編・講談社文芸文庫(1991)ISBN 4061961217
  • 『けむりよ煙』筑摩書房(1965)/角川文庫(1971)(読売新聞「近世名勝負物語」岩谷松平村井吉兵衛
  • 『カレンダーの余白』講談社(1965)/講談社文芸文庫(1992)ISBN 4061961934
  • 『青梅雨 その他』講談社(1966)/新潮文庫(1969、改版2001)ISBN 4101075018
  • 『他人の帽子』講談社(1966)
  • 石版東京図絵中央公論社(1967)/中公文庫(1975、改版2004)ISBN 4122043735
  • わが切抜帖より』講談社(1968)(第20回読売文学賞(随筆・紀行賞))/講談社文芸文庫(1991)ISBN 9784061961579
  • 『灰皿抄』講談社(1969)/講談社文芸文庫(1991)
  • 『この人吉田秀雄電通(1971)/文春文庫(1987)ISBN 9784167289034
  • 『文壇句会今昔』文藝春秋(1972)
  • コチャバンバ行き』講談社(1972)(第24回読売文学賞(小説賞))/講談社文庫(1977)/講談社文芸文庫(1991)ISBN 9784061961418
  • 『雀の卵 その他』講談社(1972)
  • 『雑談 衣食住』講談社(1973)
  • 『自撰作品十一種』新潮社(1974)
  • 『ネクタイの幅』講談社(1975)
  • 『黒い御飯』成瀬書房(1976)
  • 『永井龍男句集』五月書房(1976)
  • 『身辺すごろく』新潮社(1976)
  • 『花十日』講談社(1977)
  • 『雲に鳥』五月書房(1977)
  • 『回想の芥川・直木賞』文藝春秋(1979)/文春文庫(1982)
  • 『夕ごころ』講談社(1980)
  • 『秋 その他』講談社(1980)
  • 『永井龍男集 現代の随想9』彌生書房(1981)、自選集
  • 『縁さきの風 雑文集』講談社(1983)
  • 『わが女房教育』講談社(1984)
  • 『落葉の上を』朝日新聞社(1987)
  • 『へっぽこ先生 その他』講談社文芸文庫(1990、改版2011)、自選集
  • 『東京の横丁』[4]講談社(1991)/講談社文芸文庫(2016)ISBN 4062903229

全集

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  • 『永井龍男全集』全12巻、講談社(1981 - 1982)[5] 
  • 「1・2・3・4 短篇小説」、「5・6・7・8 長篇小説」、「9・10・11 雑文集」、「12 俳句集」

脚注

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  1. ^ a b c 自著『雀の卵』
  2. ^ 『朝日新聞』1966年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。
  3. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)228頁
  4. ^ 前半部の元は『私の履歴書日本経済新聞社
  5. ^ 付録月報は、『個人全集月報集 藤枝静男著作集 永井龍男全集』(講談社文芸文庫、2013)に再録

伝記

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  • 『別冊かまくら春秋 最後の鎌倉文士 永井龍男追悼号』かまくら春秋社、1991年12月
  • 乾英治郎『評伝 永井龍男 芥川賞・直木賞の育ての親』青山ライフ出版、2017年4月

参照資料

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外部リンク

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