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由起しげ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1949年

由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年12月2日 - 1969年12月30日)は、日本の小説家山田耕筰に師事し、フランスに音楽留学もしたが、脊椎カリエスのため文筆に転じ、芥川賞を受賞しベストセラー作家になった[1]。旧名新飼 志げ(しんがい しげ)。

生涯

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大阪府堺市生まれ。神戸女学院音楽部在学中に山田耕筰から作曲を学び[2]、才能を発揮していたが、中退する。

1924年、画家伊原宇三郎と結婚[2]、三男一女を儲けた。

1945年、伊原と別居する。神近市子らの勧めにより作家の道に進む。

1949年、『作品』に発表した最初の短篇「本の話」で第21回(戦後再開第1回)芥川賞を受賞する[2]

1954年、『小説新潮』に載せた「女中ッ子」が映画化され、ベストセラーとなる。以後はもっぱら少女小説中間小説の作家として活躍した。息子は彫刻家の伊原通夫(1928年- )。

1960年、『赤坂の姉妹』が川島雄三監督により『赤坂の姉妹より 夜の肌』として映画化された。墓所は富士霊園

著書

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  • 『厄介な女』(時事通信社、1950年)
  • 『春を告げる花』(時事通信社、1950年)
  • 『警視総監の笑ひ・本の話』(角川文庫、1951年)
  • 『コクリコ夫人』(早川書房、1952年)
  • 『ルリ色の海』(同和春秋社、1955年)
  • 『女中ッ子・この道の果に』(新潮社、1955年)
  • 『語らざる人』(大日本雄弁会講談社、1955年)
  • 『今日のいのち』(現代社、1956年)
  • 『未知からの誘い』(現代社、1956年)
  • 『若い火』(河出新書、1956年)
  • 『夕すげ』(現代社、1956年)
  • 『生きる場所』(大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)、1958年)
  • 『ヒマワリさん』(講談社(ロマン・ブックス)、1958年)- 明日は咲こう花咲こうの原作
  • 『女ごころ』(文芸評論新社、1958年)
  • 『女の中の悪魔』(新潮社、1959年)
  • 『契約結婚』(新潮社、1960年)
  • 『夢違い』(光文社、1960年)
  • 『赤坂の姉妹』(新潮社、1960年)
  • 『沢夫人の貞節』(新潮社、1961年)
  • 『罪と愛』(新潮社、1962年)
  • 『小さな結婚』(講談社、1963年)
  • 『真夜中の顔』(新潮社、1963年)
  • 『やさしい良人』(文藝春秋新社、1963年)
  • 『愛のかけら』(文藝春秋新社、1964年)
  • 『女性作家シリーズ 森茉莉・由起しげ子・萩原葉子』角川書店 1998

脚注

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  1. ^ 津上智実、「神戸女学院所蔵資料に見る由起しげ子の音楽教育歴」『女性学評論』 2017年 31巻, NCID AN10066294, 神戸女学院大学女性学インスティチュート
  2. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)「由起しげ子」の解説”. KOTOBANK. 2022年7月17日閲覧。

参考文献

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  • デジタル版日本人名大辞典
  • 『日本近代文学大辞典』講談社、1984年
  • 「年譜」『芥川賞全集』第4巻 文藝春秋、1982年
  • 「年譜」『女性作家シリーズ』

関連項目

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