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* [[2003年]](平成15年)、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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* [[2008年]](平成20年)1月、[[在日韓国人]]等に参政権を付与することを目的とする「[[在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟]]」に参加。 |
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* [[集団的自衛権]]の行使は現行憲法でも可能であり、[[法解釈|憲法解釈]]の変更をすべきとしている<ref>[http://db.kosonippon.org/statesman/statesman_answer.php?eid=7&sid=1050 構想日本アンケート]</ref>。 |
* [[集団的自衛権]]の行使は現行憲法でも可能であり、[[法解釈|憲法解釈]]の変更をすべきとしている<ref>[http://db.kosonippon.org/statesman/statesman_answer.php?eid=7&sid=1050 構想日本アンケート]</ref>。 |
2017年9月4日 (月) 16:36時点における版
一川 保夫 いちかわ やすお | |
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生年月日 | 1942年2月6日(82歳) |
出生地 | 石川県小松市 |
出身校 | 三重大学農学部 |
前職 | 国家公務員(農林水産省) |
現職 | 参議院幹事長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (自由党→) 民主党 |
称号 |
農学士(三重大学・1965年) 旭日重光章 |
親族 |
一川保正(父) 一川政之(子) |
第9代 防衛大臣 | |
内閣 | 野田内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2012年1月13日 |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年7月29日 - 2013年7月28日 |
選挙区 | 比例北陸信越ブロック(石川2区) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1996年10月25日[1] - 2005年8月8日 |
選挙区 | 小松市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1991年4月30日 - 1996年10月1日 |
一川 保夫(いちかわ やすお、1942年(昭和17年)2月6日 - )は、日本の政治家、農林官僚。
衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、防衛大臣(第9代)、参議院災害対策特別委員長、民主党の参議院幹事長、参議院政策審議会長、参議院政治倫理審査会会長、石川県議会議員(2期)等を歴任。
来歴
1942年(昭和17年)に石川県小松市に生まれる。石川県立松任農業高等学校を卒業後、三重大学農学部農業土木学科を卒業した。1965年(昭和40年)に農林省(現農林水産省)に入省して、以後25年間、農水省(その後の農林水産省)に勤務する[2]。1990年(平成2年)に農林水産省を退官した。
1990年(平成2年)に父である一川保正の後を継いで石川県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。石川県議会では石川県選出の奥田敬和系列に属した。1993年(平成5年)に奥田の自民党離党に伴い、一川は同じく石川県議会議員の金原博、宇野邦夫らと共に自民党を離党して、新生党結党に参加した。翌1994年(平成6年)に新生党が解党した事により新進党結党に加わった。
1996年(平成8年)に奥田敬和の推挽により石川県議を辞職して、第41回衆議院議員総選挙に石川2区から新進党公認で出馬した。石川2区では森喜朗に敗れるが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活して、初当選。同年、奥田が後見役を務める羽田孜と、新進党党首の小沢一郎の対立が激化した。羽田、奥田らは新進党を離党して太陽党を結成するが、一川は新進党に残留して、以後は小沢の側近として行動を共にする。
1997年(平成9年)末に小沢党首が突如新進党の解党を宣言して、自由党結党に参加した。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙では、石川県選挙区で民主・自由・社民・新党さきがけ4党が推薦した岩本荘太が現職の沓掛哲男を破り当選。参院選後に奥田が死去すると、補欠選挙に奥田敬和の長男・奥田建を擁立して当選させて、石川県の非自民勢力の中心人物となった。2003年(平成15年)の民由合併により民主党に入党した。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では、石川2区で森に敗れ、比例復活もできず落選したが、石川県連代表の職には留まった。
2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から出馬して、自民党公認の矢田富郎を約4千票の僅差で破り、参議院議員に初当選。当初石川県連は別の候補者擁立を模索していたものの不調に終わり、やむなく県連代表の一川が擁立された。
2009年(平成21年)に輿石東参院議員会長の下で参院政策審議会長に就任。
2011年(平成23年)に成立した野田内閣で防衛大臣に任命され初入閣したが、就任直後から閣僚としての自覚が欠落した言動・問題発言、行動が相次いだことから、第179回国会の会期末である12月9日付けで問責決議案が可決された(理由は後述の#防衛大臣としてを参照)が、一川は「責任問われる致命的なものはない」として辞任を拒んだ。しかし、2012年(平成24年)1月13日の野田改造内閣発足に伴い、在任四ヶ月で大臣を退任した。1月24日、輿石東幹事長が民主党参議院議員総会で一川を民主党参議院幹事長に起用することを提案し、了承された。
2012年7月の小沢による国民の生活が第一の結成には一切同調しなかった。同年12月の第46回衆議院議員総選挙において民主党が大敗したため衆参合わせて石川県の選挙区ないし北陸三県の選挙区で選出された唯一の民主党議員になった。
2013年(平成25年)7月21日の第23回参議院議員通常選挙にて自民党の新人山田修路に3倍近い差をつけられ大敗し、落選[3]。選挙結果について、「有権者の判断基準が分からない」「これから有権者がマイナスを実感する」と述べた。[4]また同選挙では富山県選挙区と福井県選挙区も自民党の候補者が当選したため北陸3県から選出された民主党の国会議員はいなくなった。
2014年(平成26年)4月、旭日重光章を受章。同年12月の第47回衆議院議員総選挙において比例北陸信越ブロックに立候補したものの、落選。
政策・主張
- 2003年(平成15年)、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[5]。
- 2008年(平成20年)1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。
- 集団的自衛権の行使は現行憲法でも可能であり、憲法解釈の変更をすべきとしている[6]。
- 第23回参議院議員通常選挙では、社民党県連合と政策協定を結び、憲法改正に反対した。
防衛大臣として
- 「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」
- 2011年(平成23年)9月2日、防衛大臣の認証式前、記者団に「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と述べた。この発言に対して、元防衛相である自民党の石破茂政調会長は「閣僚解任に値する。任命した野田佳彦首相の見識も問われる」と批判、国会で追及する考えを示した[7][8][9]。 また、2日夜の内閣発足後の会見で、「閣僚として(靖国神社に)参拝する必要はない」と答えている[10]。9月2日夜、記者団に対し首相官邸内で「ほとんどの国民は(安保政策は)素人だ。一般の国民を代表する国会議員が監視するのがシビリアンコントロールだと思っている。国民目線で、国民が安心できるような政策が大事だと(いう意味で発言した)」と弁明した[11]。
- 「小松基地を抱え、自治体の苦労は分かっているつもり」
- 2011年(平成23年)10月17日、沖縄県庁で仲井眞弘多知事と会談し、普天間飛行場を名護市辺野古に移設するための環境影響評価書を年内に同県に提出する意向を伝えた[12]。その会談中、「(地元の石川県に自衛隊)小松基地を抱え、自治体の苦労は分かっているつもり」と発言。その数時間後、仲井眞知事は県庁で竹内春久沖縄担当大使の就任の挨拶を受けた際に「自衛隊基地と米軍基地は全く違う」と述べ、「日本側の統制が全く及ばない米軍基地が沖縄県に多数存在する」現状を正しく政府に伝えるよう竹内大使に注文をつけた[13]。
- 「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちらの方が大事だ」
- 2011年(平成23年)11月16日、国賓として訪日中のブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席して日本・ブータン友好議員連盟副会長を務める高橋千秋民主党議員の政治資金パーティーに参加。この中で、「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちらの方が大事だ」とスピーチした。翌17日の参議院予算委員会で「軽率だった。申し訳なく思い、反省している」と陳謝したが、志位和夫日本共産党委員長は「国賓がお見えになっている外交上の行事での、そういう対応は閣僚としては大きな問題行動だ」と批判した[14]。山口那津男公明党代表も「非常識であり閣僚の資質が欠けている」と批判した[15]。11月22日に一川大臣は在京のブータン総領事館に訪れて謝罪した。
- 「正確な中身を詳細には知らない」・「少女「乱交」事件」
- 2011年(平成23年)12月1日の参議院東日本大震災復興特別委員会で、自民党・佐藤正久からアメリカ軍普天間飛行場返還運動の端緒となった1995年(平成7年)のアメリカ海兵隊員らによる沖縄米兵少女暴行事件について問われ、「正確な中身を詳細には知らない」と答弁した[16]。また、翌2日午前の記者会見で前述の沖縄米兵少女暴行事件を少女「乱交」事件と発言。本人によるその場での訂正はなく、会見後に防衛省広報を通して訂正の申し入れを行った。上記2発言及び元沖縄防衛局長の不適切発言による更迭を含め、仲井眞沖縄県知事に対する謝罪を行ったが先方は強い不快感を示しており、会見は短時間で打ち切られた[17][18]。先述の「安全保障に関しては素人」発言、ブータン国王夫妻来日時における自身の言行と併せ、第179回国会の会期末で野党が提出した問責決議案が可決された。なお、任命者である野田佳彦内閣総理大臣は問責決議案が可決された以降も一川及び山岡賢次国家公安委員長兼消費者担当大臣を更迭しない意向[19]であったが野田改造内閣の発足により解任された。なお、一連の騒動の発端となった元沖縄防衛局長に対し停職処分を宣告したほか、監督責任を取る形で自身の在職中の大臣給与を全額返納している[20]。
- 防衛省講堂での初ライブ
- 2011年12月20日、東日本大震災で精力的な慰問活動を行った歌手・長渕剛を防衛省に招き感謝状を贈呈するとともに同省講堂内で初となるライブを行った。だが同日、防衛省内では自衛隊南スーダン派遣や空自次期主力戦闘機の機種などの重要事項が閣議決定された日であり、また、3日前の12月17日には北朝鮮の金正日総書記の死去が発表されたことに伴う情勢の緊迫、自身も問責決議を受けた中での行為であったことから批判の声が相次いだ[21]。
- 「官僚主導にはじき出された」
- 2012年1月16日、民主党議員との会合での挨拶で自身の防衛相退任について「官僚主導にはじき出された」と発言。『産経新聞』は「(退任の原因を)官僚に責任を転嫁したかったようだ」と評した[22]。
発言
- 「農家の苦しみが分かる幹部はいるのか」
- 農林省への採用面接の席上で面接官らを相手に「農家の苦しみが分かる幹部はいるのか」などと主張したと朝日新聞のインタビューに答えている[2] 。
- 「民主党を支援してもらわなくても良い」
- 2010年(平成22年)4月24日、石川県小松市林町で開かれたタウンミーティングで有権者と意見交換において、参加者に意見を求めたところ、「子ども手当が出来ることで配偶者控除がなくなり、生活が大変になる」など民主党の政策に対する不安が続出したため、一川は「(そう言うのなら)民主党を支援してもらわなくても良い」と声を荒らげて、会場の空気が凍り付く場面があったと読売新聞が報じた[23]。
- 「閣内不一致ととらえられかねない感じを受けた。慎重に対応した方がいい」
- 中川正春内閣府特命担当大臣が交付国債の取り下げに言及したことで閣内不一致を野党から指摘された際の定例記者会見で述べた言葉。この発言以前に問責決議が可決し一川は防衛大臣を事実上、更迭された。
- 「民主党は何も悪いことしていない」「自民だけでいいのか」
- 第23回参議院議員通常選挙で落選した際、テレビのインタビューにて「民主党は何も悪いことしていない」、「自民党政権のどこがいい?」、「自民だけでいいのか。有権者の判断基準が分からない」と述べた。
家族・親族
生家は農家[2]。父・一川保正は石川県議会議員や県議会議長を務めた。また、息子の一川政之は、保夫の秘書を経て、小松市議会議員を経て小松市選挙区現石川県議会議員[24]。
所属団体・議員連盟
- 大相撲議員連盟
- 教育政策議員懇談会
- 国内生産酒を考える議員連盟
- 米消費拡大・純米酒推進議員連盟
- 自治体政策研究会
- “食の安全”研究議員連盟
- 世界連邦日本国会委員会
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟
- 土地家屋調査士制度推進議員連盟
- 日本・ベナン友好議員連盟
- 仏教議員連盟
- ペルー元大統領アルベルト・フジモリ氏に係る裁判の公正を求める議員連盟
- 民主党NGO海外活動推進議員連盟
- 民主党在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 民主党森林環境政策議員懇談会
- 民主党「整備新幹線」を推進する議員の会 - 副会長
- 民主党薬事制度改革推進議員連盟
- 民主分権の会
- 民緑ゴルフ同好会
- 養鶏問題に関する議員連盟
- 有機農業推進議員連盟
- 真宗大谷派関係国会議員同朋の会[25]
出典
- ^ 『官報』特別号外第12号、平成8年10月25日「平成8年10月20日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件(中央選挙管理会告示第24号)」
- ^ a b c 「農家の長男旧農林省出身」『朝日新聞』45024号、12版、朝日新聞東京本社、2011年9月3日、5面。
- ^ “一川氏陣営、敗北に声なし”. 産経新聞. (2013年7月21日) 2013年7月21日閲覧。
- ^ “一川保夫元防衛相、ぶぜん「自民だけでいいのか」”. 産経新聞. (2013年7月21日) 2013年7月27日閲覧。
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ^ 構想日本アンケート
- ^ “一川防衛相「素人だから文民統制」”. 朝日新聞. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “石破氏「一川防衛相任命、首相は自衛官の息子らしくない”. 産経新聞. (2011年9月3日) 2011年9月4日閲覧。
- ^ “防衛相“文民統制発言”で説明”. NHKニュース. (2011年9月3日) 2011年9月4日閲覧。
- ^ 野田新内閣発足 一川防衛相が会見 日テレNEWS24 2011年9月3日
- ^ “防衛相「安保は素人、これが本当の文民統制」”. 読売新聞. (2011年9月2日) 2011年9月4日閲覧。
- ^ “辺野古の環境評価、年内提出 防衛相、沖縄知事に伝える”. 朝日新聞 (2011年10月17日). 2011年12月3日閲覧。
- ^ “「自衛隊と米軍違う」防衛相発言を批判”. 沖縄タイムス (2011年10月18日). 2011年12月3日閲覧。
- ^ “防衛相の晩餐会欠席 共産志位委員長「大きな問題行動」”. 産経新聞. (2011年11月17日) 2012年2月4日閲覧。
- ^ “防衛相の晩餐会欠席 「資質も姿勢も欠けている」と公明・山口氏”. 産経新聞. (2011年11月17日) 2012年2月4日閲覧。
- ^ “「沖縄少女暴行事件の詳細知らない」 一川防衛相が答弁”. 朝日新聞. (2011年12月1日) 2011年12月1日閲覧。
- ^ 一川防衛大臣の沖縄訪問について防衛省報道資料、2011年12月2日閲覧
- ^ 一川防衛相、仲井真沖縄知事会談要旨MSN産経、2011年12月5日閲覧
- ^ 野田首相:一川・山岡氏の続投明言…年明け国会、五里霧中 毎日新聞 2011年12月9日
- ^ 前防衛局長に停職処分MSN産経、2011年12月10日閲覧
- ^ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111220/plc11122022320027-n1.htm 一川防衛相が長渕剛さんに感謝状、省内からは「問責なのに浮かれすぎ!」]MSN産経、2011年12月20日、2012年1月13日閲覧
- ^ “一川前防衛相「官僚主導にはじき出された」 民主党議員会合で〝軽口〟”. 産経新聞. (2012年1月16日) 2012年1月16日閲覧。
- ^ 民主県連代表が激高 嫌なら「支援しなくて結構」(読売online、リンク切れ)
- ^ 「新人7氏当選、若返り――小松市議選」『北國・富山新聞ホームページ - 石川のニュース』北國新聞社、2011年4月25日。
- ^ 公式ブログ 真宗大谷派関係国会議員の会
関連項目
外部リンク
- 一川 保夫のブログ(公式ブログ)
- 一川保夫 (@ichikawa_yasuo) - X(旧Twitter)
- 一川保夫 (YiChuanBaoFu) - Facebook
- 民主党石川県総支部連合会
公職 | ||
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先代 北澤俊美 |
防衛大臣 第9代:2011年 - 2012年 |
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党職 | ||
先代 小川敏夫 |
民主党参議院幹事長 2012年 - 2013年 |
次代 羽田雄一郎 |