「ニコール・キッドマン」の版間の差分
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| 本名 = Nicole Mary Kidman<ref name=allocine>{{cite web|url=http://www.allocine.fr/personne/fichepersonne_gen_cpersonne=15760.html|title=Nicole Kidman|work=AlloCiné|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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| 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> |
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| 出生地 = {{USA}} [[ハワイ州]][[ホノルル]] |
| 出生地 = {{USA}} [[ハワイ州]][[ホノルル]]<ref name=allocine/> |
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| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->{{AUS}}<br />{{USA}} |
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->{{AUS}}<ref name=allocine/><br />{{USA}}<ref name=allocine/> |
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| 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> |
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| ジャンル = [[映画]]、[[テレビドラマ]]、[[舞台]] |
| ジャンル = [[映画]]、[[テレビドラマ]]、[[舞台]] |
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| 活動期間 = 1983年 - |
| 活動期間 = 1983年 - |
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| 活動内容 = 1983年:映画初出演<br />2003年:アカデミー主演女優賞受賞 |
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| 活動内容 = |
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| 配偶者 = [[トム・クルーズ]](1990年 - 2001年)<br />[[キース・アーバン]](2006年 - ) |
| 配偶者 = [[トム・クルーズ]](1990年 - 2001年)<br />[[キース・アーバン]](2006年 - ) |
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| 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意。 --> |
| 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意。 --> |
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| 公式サイト = |
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| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 --> |
| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 --> |
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| アカデミー賞 = '''[[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]'''<br />[[第75回アカデミー賞|2003年]]『[[めぐりあう時間たち]]』 |
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| ベルリン国際映画祭 = '''[[銀熊賞 (女優賞)|銀熊賞]]'''<br />[[第53回ベルリン国際映画祭|2003年]]『めぐりあう時間たち』 |
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| MTVムービー・アワード = '''主演女優賞'''<br />2002年『[[ムーラン・ルージュ (映画)|ムーラン・ルージュ]]』<br />'''音楽シーン賞(デュエットシーン)'''<br />2002年『ムーラン・ルージュ』 |
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| AFI賞 = '''主演女優賞(ミニシリーズ部門)'''<br />1987年『陽のあたる街角』 |
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| 英国アカデミー賞 = '''[[英国アカデミー賞 主演女優賞|主演女優賞]]'''<br />2003年『めぐりあう時間たち』 |
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| セザール賞 = |
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| エミー賞 = |
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| ジェミニ賞 = |
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| ゴールデングローブ賞 = '''[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)]]'''<br />[[第53回ゴールデングローブ賞|1996年]]『[[誘う女]]』<br />[[第59回ゴールデングローブ賞|2002年]]『ムーラン・ルージュ』<br />'''[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞(ドラマ部門)]]'''<br />[[第60回ゴールデングローブ賞|2003年]]『めぐりあう時間たち』 |
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| ゴールデンラズベリー賞 = '''[[ゴールデンラズベリー賞 最低スクリーンカップル賞|最低スクリーンカップル賞]]'''<br />[[第26回ゴールデンラズベリー賞|2006年]]『[[奥さまは魔女 (映画)|奥さまは魔女]]』 |
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| ゴヤ賞 = |
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| グラミー賞 = |
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| トニー賞 = |
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| 日本アカデミー賞 = |
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| その他の賞 = '''[[ハリウッド映画賞]]'''<br />'''助演女優賞'''<br />2016年『[[ライオン (2016年の映画)|ライオン]]』 |
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| その他の賞 = |
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| 備考 = |
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'''ニコール・キッドマン'''('''Nicole Kidman'''、[[1967年]][[6月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]出身の[[オーストラリア]]の[[俳優|女優]]、[[映画プロデューサー]]である。 |
'''ニコール・キッドマン'''('''Nicole Kidman'''、[[1967年]][[6月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]出身の[[オーストラリア]]の[[俳優|女優]]、[[映画プロデューサー]]である。 |
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オーストラリア人女優として初めて[[アカデミー主演女優賞]]を受賞した女優であり |
オーストラリア人女優として初めて[[アカデミー主演女優賞]]を受賞した女優であり(2003年『[[めぐりあう時間たち]]』で主演女優賞受賞)、これまで3度[[アカデミー賞]]にノミネートされ、[[ゴールデングローブ賞]]には10度(うち3度受賞)ノミネート経験がある。女優としての功績と人道支援活動が評価され、2006年にオーストラリア国民の最高の栄誉である、勲章「Companion of the Order of Australia(AC)」を受勲。1994年より[[国際連合児童基金|ユニセフ]]の[[親善大使]]、2006年から2010年までは[[国際連合婦人開発基金]]の親善大使も務めていた。 |
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== 生い立ち == |
== 生い立ち == |
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== キャリア == |
== キャリア == |
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15歳からテレビやミュージック・ビデオなどに出演 |
15歳からテレビやミュージック・ビデオなどに出演{{要出典|date=2016年11月}}。1983年、『BMXアドベンチャー』で映画初出演を果たす<ref>{{cite web|url=http://www.ew.com/article/2011/03/06/16-year-old-nicole-kidman-with-exclusive-video|title=Check out a 16-year-old Nicole Kidman! Her first director says she had 'IT' -- with EXCLUSIVE video|work=Entertainment Weekly|date=2011-03-06|access-date=2016-11-25}}</ref>。1988年に出演した『[[デッド・カーム/戦慄の航海]]』を偶然目にした[[トム・クルーズ]]に招かれて[[ハリウッド]]入りし、『[[デイズ・オブ・サンダー]]』で共演、1990年に結婚した。 |
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ハリウッド進出当時は、当時の夫であり、ハリウッド進出に導いたトム・クルーズ夫人としての側面が強く、いわゆる型どおりの美人女優として平凡なキャリアに甘んじた。しかし2001年にトム・クルーズとの離婚を機に、充実したキャリアを開花させ、以降、アメリカを代表する演技派女優として変身を遂げた。キッドマン自身離婚後、「いままでは結婚生活というものが、私にとって一番優先することだった。でも、いまの私には、仕事と子供たちしか残されていない。独身になったから、女優として成長できる時期だ、というふうには思わないけれど、確かに、演じたいという情熱は結婚していたときよりも強くなった。」と語っている<ref>[http://news.aol.jp/2012/10/04/nicole-kidman-talks-tom-cruise-divorce-katie-holmes/] - Aol News 2012年10月25日</ref>。 |
ハリウッド進出当時は、当時の夫であり、ハリウッド進出に導いたトム・クルーズ夫人としての側面が強く、いわゆる型どおりの美人女優として平凡なキャリアに甘んじた。しかし2001年にトム・クルーズとの離婚を機に、充実したキャリアを開花させ、以降、アメリカを代表する演技派女優として変身を遂げた。キッドマン自身離婚後、「いままでは結婚生活というものが、私にとって一番優先することだった。でも、いまの私には、仕事と子供たちしか残されていない。独身になったから、女優として成長できる時期だ、というふうには思わないけれど、確かに、演じたいという情熱は結婚していたときよりも強くなった。」と語っている<ref>[http://news.aol.jp/2012/10/04/nicole-kidman-talks-tom-cruise-divorce-katie-holmes/] - Aol News 2012年10月25日</ref>。 |
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2001年公開の『ムーラン・ルージュ』で[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|ゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)]]を受賞。2003年公開の『[[めぐりあう時間たち]]』では、特殊メークによる付け鼻で完全に自らの容姿を隠し、[[ヴァージニア・ウルフ]]を演じきり、[[アカデミー主演女優賞]]や[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)|ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)]]などを受賞した。 |
2001年公開の『[[ムーラン・ルージュ (映画)|ムーラン・ルージュ]]』で[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|ゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)]]を受賞。2003年公開の『[[めぐりあう時間たち]]』では、特殊メークによる付け鼻で完全に自らの容姿を隠し、[[ヴァージニア・ウルフ]]を演じきり、[[アカデミー主演女優賞]]や[[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)|ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)]]などを受賞した。 |
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2004年には日本をはじめ世界各国で放映された[[シャネル]]の[[香水]]「[[シャネルNo.5|No.5]]」の[[テレビコマーシャル]](監督:[[バズ・ラーマン]])に出演し、120秒(一部の国では240秒)という異例の長さのCMに注目が集まった。また、出演料も破格であった。現在は[[オメガ]]の顔として広告に出演している。 |
2004年には日本をはじめ世界各国で放映された[[シャネル]]の[[香水]]「[[シャネルNo.5|No.5]]」の[[テレビコマーシャル]](監督:[[バズ・ラーマン]])に出演し、120秒(一部の国では240秒)という異例の長さのCMに注目が集まった。また、出演料も破格であった。現在は[[オメガ]]の顔として広告に出演している。 |
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映画1作品の出演料が高額なことで知られており、2006年には「最も出演料の高い女優1位」となる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0009545 ニコール・キッドマン、高額出演料女優ナンバーワンに] - シネマトゥデイ 2006年12月4日</ref>。 |
映画1作品の出演料が高額なことで知られており、2006年には「最も出演料の高い女優1位」となる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0009545 ニコール・キッドマン、高額出演料女優ナンバーワンに] - シネマトゥデイ 2006年12月4日</ref>。 |
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2007年1月、アメリカの経済誌『フォーブス』がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ニコールは総資産72億円で18位にランクインした。 |
2007年1月、アメリカの経済誌『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ニコールは総資産72億円で18位にランクインした。 |
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2008年の |
2008年の『フォーブス』誌では高額なギャラ相応の興行収入が稼げないことから、「コストパフォーマンスの悪い俳優1位」になってしまった<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0015217 ニコール・キッドマン、ギャラをもらい過ぎナンバー1女優に選ばれる] - シネマトゥデイ 2008年9月12日</ref>。 |
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2010年の映画『[[ラビット・ホール]]』の演技によって再び評価を高め、[[アカデミー主演女優賞]]をはじめとする多くの賞にノミネートされた。 |
2010年の映画『[[ラビット・ホール]]』の演技によって再び評価を高め、[[アカデミー主演女優賞]]をはじめとする多くの賞にノミネートされた。 |
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自身が若い頃、「オーストラリアに住んでいてはチャンスをつかめない。小さな業界だから、確固たるキャリアを築くことはできないだろう。」、「女優になるには背が高すぎる。」などと言われたことから、「『あなたにはできない』と言われても、その言葉を聞きいれてはダメ。いろいろなところから断られたり、批判されたりしても、耐えていけるような強さが必要です。また、有名になるとついて回る弊害もあるけれど、自分の中に“核”をしっかり保つことが重要。もし情熱を保ち続けることができないのなら、やめたほうがいい。保ち続けられるのであれば、とことん突き進むべきだと思います。」と述べている<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/294649/4/ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン] - All About 2008年2月19日</ref>。 |
自身が若い頃、「オーストラリアに住んでいてはチャンスをつかめない。小さな業界だから、確固たるキャリアを築くことはできないだろう。」、「女優になるには背が高すぎる。」などと言われたことから、「『あなたにはできない』と言われても、その言葉を聞きいれてはダメ。いろいろなところから断られたり、批判されたりしても、耐えていけるような強さが必要です。また、有名になるとついて回る弊害もあるけれど、自分の中に“核”をしっかり保つことが重要。もし情熱を保ち続けることができないのなら、やめたほうがいい。保ち続けられるのであれば、とことん突き進むべきだと思います。」と述べている<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/294649/4/ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン] - All About 2008年2月19日</ref>。 |
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映画の撮影では、[[スタントマン]]や替え玉を使うことを徹底的に拒否し、映画のアクションシーンや歌うシーンなどは全てキッドマン本人が行っている。 しかしスタントマンを使わないことが仇となり、映画『[[ムーラン・ルージュ]]』の撮影中に怪我をおい、主演予定だった『[[パニック・ルーム]]』を降板した(ただし脇役の声を担当している)。『パニック・ルーム』は[[ジョディ・フォスター]]がキッドマンに代わって主演を務めた<ref>[http://www.cinematoday.jp/page/A0000265 ニコール・キッドマン 来日記者会見] - シネマトゥデイ 2001年10月25日</ref>。 |
映画の撮影では、[[スタントマン]]や替え玉を使うことを徹底的に拒否し、映画のアクションシーンや歌うシーンなどは全てキッドマン本人が行っている。 しかしスタントマンを使わないことが仇となり、映画『[[ムーラン・ルージュ (映画)|ムーラン・ルージュ]]』の撮影中に怪我をおい、主演予定だった『[[パニック・ルーム]]』を降板した(ただし脇役の声を担当している)。『パニック・ルーム』は[[ジョディ・フォスター]]がキッドマンに代わって主演を務めた<ref>[http://www.cinematoday.jp/page/A0000265 ニコール・キッドマン 来日記者会見] - シネマトゥデイ 2001年10月25日</ref>。 |
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監督については、「とても惹き付けられる監督というのは、一言で言うならビジョナリー、自分が何を言いたいのか、どういう映画にしたいのかということを明確に頭の中に描いている人。そういう監督は非常に自分の世界観をしっかりと持っているけれど、同時にとても協力的で、人の意見を聞く耳を持っているの。[[スタンリー・キューブリック|キューブリック]]もそうだったし[[ジェーン・カンピオン|カンピオン]]もそう。自分のビジョンはあるけれど、ちゃんと人の意見も聞く。そこが本当に素晴らしいと思うわ。私はそういう監督と一緒に仕事がしたいと思っているの。 」と語っている<ref>[http://www.cinematoday.jp/page/A0000265 ニコール・キッドマン 来日記者会見] - シネマトゥデイ 2001年10月25日</ref>。 |
監督については、「とても惹き付けられる監督というのは、一言で言うならビジョナリー、自分が何を言いたいのか、どういう映画にしたいのかということを明確に頭の中に描いている人。そういう監督は非常に自分の世界観をしっかりと持っているけれど、同時にとても協力的で、人の意見を聞く耳を持っているの。[[スタンリー・キューブリック|キューブリック]]もそうだったし[[ジェーン・カンピオン|カンピオン]]もそう。自分のビジョンはあるけれど、ちゃんと人の意見も聞く。そこが本当に素晴らしいと思うわ。私はそういう監督と一緒に仕事がしたいと思っているの。 」と語っている<ref>[http://www.cinematoday.jp/page/A0000265 ニコール・キッドマン 来日記者会見] - シネマトゥデイ 2001年10月25日</ref>。 |
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[[ヒュー・ジャックマン]]や[[ケイト・ブランシェット]]、[[ラッセル・クロウ]]、[[コリン・ファース]]、[[ナオミ・ワッツ]]らと仲が良い。特に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]版『[[ザ・リング]]』などで有名なワッツとは、オーストラリア時代のルームメイトで現在に至るまで深い交友関係にある。キッドマンはワッツがハリウッドで仕事がなく、他の業界で働くことを考えていた時も、「一本でも良い映画に当たれば必ずヒットするから、辞めないで。」と励まし続けた。実際『[[21グラム]]』では、キッドマンが台本読みでワッツのコーチを務めた<ref>[http://www.ozmall.co.jp/ol/ozneta/20100516e ナオミ・ワッツ、ニコール・キッドマンとの友情について語る ] - OZmall 2010年5月16日</ref>。 |
[[ヒュー・ジャックマン]]や[[ケイト・ブランシェット]]、[[ラッセル・クロウ]]、[[コリン・ファース]]、[[ナオミ・ワッツ]]らと仲が良い。特に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]版『[[ザ・リング]]』などで有名なワッツとは、オーストラリア時代のルームメイトで現在に至るまで深い交友関係にある。キッドマンはワッツがハリウッドで仕事がなく、他の業界で働くことを考えていた時も、「一本でも良い映画に当たれば必ずヒットするから、辞めないで。」と励まし続けた。実際『[[21グラム]]』では、キッドマンが台本読みでワッツのコーチを務めた<ref>[http://www.ozmall.co.jp/ol/ozneta/20100516e ナオミ・ワッツ、ニコール・キッドマンとの友情について語る ] - OZmall 2010年5月16日</ref>。 |
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1990年に[[トム・クルーズ]]と結婚したが、2001年に離婚。二人は養子を二人取っているが、離婚後はお互いのもとで交互に暮らしている。 |
1990年に[[トム・クルーズ]]と結婚したが、2001年に離婚。二人は養子を二人取っているが、離婚後はお互いのもとで交互に暮らしている。息子は「僕はママ(ニコール)のことが大好きだ。」、「僕とママにはしっかりした絆がある。」と告白している<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/11380169/ 「IQ132」の女優 ニコール・キッドマンの意外な一面とは] - ライブドアニュース 2016年4月5日</ref>。 |
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トム・クルーズとの離婚後は[[レニー・クラヴィッツ]]やスティーヴ・ビーイングなどと交際した時期もあった。 |
トム・クルーズとの離婚後は[[レニー・クラヴィッツ]]やスティーヴ・ビーイングなどと交際した時期もあった。 |
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2006年6月25日、カントリー歌手の[[キース・アーバン]]と[[シドニー]]で結婚式を挙げる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0008593 ニコール・キッドマン、キース・アーバンと挙式] - シネマトゥデイ 2006年6月26日</ref>。2008年7月7日、第一子となる女児 |
2006年6月25日、カントリー歌手の[[キース・アーバン]]と[[シドニー]]で結婚式を挙げる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0008593 ニコール・キッドマン、キース・アーバンと挙式] - シネマトゥデイ 2006年6月26日</ref>。2008年7月7日、第一子となる女児を出産<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_07/g2008070807_all.html ニコール・キッドマン女児出産…06年に再婚] - ZAKZAK 2008年7月8日</ref>。この時奇しくも映画『[[オーストラリア (映画)|オーストラリア]]』の撮影中に、第一子を妊娠していることがわかった。ひどいつわりに苦しみながらも、1日14~15時間にわたる過酷な撮影を最後までやり通した<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/294649/4/ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン] - All About 2008年2月19日</ref>。 |
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2007年1月、[[ロサンゼルス]]市内において『インベージョン』の撮影中に乗っていた車が事故を起こし、スタッフら8名とともに病院に搬送された。彼女に大きなけがはなく、検査などを受けた後、病院を出た。スタント・ドライバーが運転を誤ったことが事故原因と見られる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0009850 ニコール・キッドマン、撮影中に事故] - シネマトゥデイ 2007年1月29日</ref>。 |
2007年1月、[[ロサンゼルス]]市内において『[[インベージョン]]』の撮影中に乗っていた車が事故を起こし、スタッフら8名とともに病院に搬送された。彼女に大きなけがはなく、検査などを受けた後、病院を出た。スタント・ドライバーが運転を誤ったことが事故原因と見られる<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0009850 ニコール・キッドマン、撮影中に事故] - シネマトゥデイ 2007年1月29日</ref>。 |
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2010年12月28日、アーバンにとっての第二子であり、キッドマンにとっての三番目の娘 |
2010年12月28日、アーバンにとっての第二子であり、キッドマンにとっての三番目の娘を[[代理母出産]](「surrogate」、ただしキッドマンは「gestational carrier」と表現している)によりナッシュビルのセンテニアル・ウーメンズ・ホスピタルで授かった。この子供はキッドマンとアーバンの生物学的実の娘である。 |
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2013年、自身が審査員を務めた[[第66回カンヌ国際映画祭]]で[[カンヌ国際映画祭 審査員賞|審査員賞]]を受賞した日本映画『[[そして父になる]]』を鑑賞中、涙したといわれている。その3か月後、監督を務めた[[是枝裕和]]と再会した際、「私には、実子と養子と代理母で産んだ子がいて、その子たちを同時に育てているので、本当に心に刺さる内容だったの。その子供たち全員と一緒にいることが、今何よりハッピーなことだから。」と本作を改めて評価した<ref>[http://www.cinemacafe.net/article/2013/09/09/19065.html ニコール・キッドマンが是枝監督に逆オファー…『そして父になる』in トロント映画祭 ] - シネマカフェ 2013年9月19日</ref>。 |
2013年、自身が審査員を務めた[[第66回カンヌ国際映画祭]]で[[カンヌ国際映画祭 審査員賞|審査員賞]]を受賞した日本映画『[[そして父になる]]』を鑑賞中、涙したといわれている。その3か月後、監督を務めた[[是枝裕和]]と再会した際、「私には、実子と養子と代理母で産んだ子がいて、その子たちを同時に育てているので、本当に心に刺さる内容だったの。その子供たち全員と一緒にいることが、今何よりハッピーなことだから。」と本作を改めて評価した<ref>[http://www.cinemacafe.net/article/2013/09/09/19065.html ニコール・キッドマンが是枝監督に逆オファー…『そして父になる』in トロント映画祭 ] - シネマカフェ 2013年9月19日</ref>。 |
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整形の多いハリウッドで唇などの整形疑惑が特に囁かれている女優であり、メスに関しては否定しているがボトックス使用については認めている |
整形の多いハリウッドで唇などの整形疑惑が特に囁かれている女優であり、メスに関しては否定しているがボトックス使用については認めている<ref>http://news.livedoor.com/article/detail/7372041/</ref>。 |
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== 慈善活動 == |
== 慈善活動 == |
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| ''Big Little Lies''<!--日本語題未定--> || セレステ || 兼製作<br />ミニシリーズ |
| ''Big Little Lies''<!--日本語題未定--> || セレステ || 兼製作<br />ミニシリーズ |
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== 受賞 == |
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** [[第75回アカデミー賞|2003年]] [[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]] 『[[めぐりあう時間たち]]』<ref>{{cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/2003|title=The 75th Academy Awards|work=Oscars.org|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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* [[ベルリン国際映画祭]] |
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** [[第53回ベルリン国際映画祭|2003年]] [[銀熊賞 (女優賞)|銀熊賞]] 『めぐりあう時間たち』<ref>{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2766697.stm|title=Refugees' plight tops Berlin film festival|work=BBC News|date=2003-02-16|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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* [[MTVムービー・アワード]] |
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** 2002年 主演女優賞/音楽シーン賞(デュエットシーン)『[[ムーラン・ルージュ (映画)|ムーラン・ルージュ]]』<ref>{{cite web|url=http://www.ew.com/article/2002/06/06/here-are-mtv-movie-award-winners|title=Here are the MTV Movie Award winners|work=Entertainment Weekly|date=2002-06-06|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** 1987年 主演女優賞(ミニシリーズ部門)『陽のあたる街角』<ref>{{cite web|url=http://www.aacta.org/winners-nominees/1980-1989/1987.aspx|title=1987 Winners & Nominees|work=AACTA|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** 2003年 [[英国アカデミー賞 主演女優賞|主演女優賞]] 『めぐりあう時間たち』<ref>{{cite web|url=http://variety.com/2003/film/awards/high-notes-for-pianist-1117881010/|title=High notes for ‘Pianist’|work=Variety|date=2003-02-23|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** [[第53回ゴールデングローブ賞|1996年]] [[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)]] 『[[誘う女]]』<ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/1996-01-22/news/mn-27442_1_golden-globe/2|title='Sense,' 'Babe' Take Home Top Golden Globes (2/2)|work=Los Angeles Times|date=1996-01-22|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** [[第59回ゴールデングローブ賞|2002年]] 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 『ムーラン・ルージュ』<ref>{{cite web|url=http://www.ew.com/article/2002/01/22/see-complete-list-golden-globes-winners|title=See the complete list of Golden Globes winners|work=Entertainment Weekly|date=2002-01-22|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** [[第60回ゴールデングローブ賞|2003年]] [[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞(ドラマ部門)]] 『めぐりあう時間たち』<ref>{{cite web|url=http://www.theguardian.com/film/2003/jan/20/awardsandprizes.oscars2003|title=The Hours and Chicago dominate Golden Globes|work=The Guardian|date=2003-01-20|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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** [[第26回ゴールデンラズベリー賞|2006年]] 最低スクリーンカップル賞 『[[奥さまは魔女 (映画)|奥さまは魔女]]』([[ウィル・フェレル]]と共に)<ref>{{cite web|url=http://www.cbsnews.com/news/cruise-most-tiresome-tabloid-target/|title=Cruise 'Most Tiresome Tabloid Target'|work=CBS News|date=2006-03-05|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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* [[ハリウッド映画賞]] |
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** 2016年 助演女優賞『[[ライオン (2016年の映画)|ライオン]]』<ref>{{cite web|url=http://www.usatoday.com/story/life/movies/2016/11/07/mock-hollywood-film-awards-honors-and-mock-them/93408650/|title=Stars receive Hollywood Film Awards honors (and then mock them)|work=USA Today|date=2016-11-07|access-date=2016-11-25}}</ref> |
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== 日本語吹き替え == |
== 日本語吹き替え == |
2016年11月25日 (金) 23:08時点における版
ニコール・キッドマン Nicole Kidman | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2013年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
本名 | Nicole Mary Kidman[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1967年6月20日(57歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 ハワイ州ホノルル[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 |
オーストラリア[1] アメリカ合衆国[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 女優、映画プロデューサー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1983年 - | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動内容 |
1983年:映画初出演 2003年:アカデミー主演女優賞受賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 |
トム・クルーズ(1990年 - 2001年) キース・アーバン(2006年 - ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニコール・キッドマン(Nicole Kidman、1967年6月20日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州出身のオーストラリアの女優、映画プロデューサーである。
オーストラリア人女優として初めてアカデミー主演女優賞を受賞した女優であり(2003年『めぐりあう時間たち』で主演女優賞受賞)、これまで3度アカデミー賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞には10度(うち3度受賞)ノミネート経験がある。女優としての功績と人道支援活動が評価され、2006年にオーストラリア国民の最高の栄誉である、勲章「Companion of the Order of Australia(AC)」を受勲。1994年よりユニセフの親善大使、2006年から2010年までは国際連合婦人開発基金の親善大使も務めていた。
生い立ち
アメリカ系オーストラリア人の両親のもとにハワイ州ホノルルで生まれたため、アメリカ合衆国とオーストラリアの二重国籍である。4歳でオーストラリア・シドニーに戻った。3歳下の妹にアントニアがおり、アントニアはオーストラリアでテレビ番組のプレゼンターをしている。
4歳からバレエを習い始め、Australian Theatre for Young Peopleで発声や演劇史を学ぶようになる。
キャリア
15歳からテレビやミュージック・ビデオなどに出演[要出典]。1983年、『BMXアドベンチャー』で映画初出演を果たす[2]。1988年に出演した『デッド・カーム/戦慄の航海』を偶然目にしたトム・クルーズに招かれてハリウッド入りし、『デイズ・オブ・サンダー』で共演、1990年に結婚した。
ハリウッド進出当時は、当時の夫であり、ハリウッド進出に導いたトム・クルーズ夫人としての側面が強く、いわゆる型どおりの美人女優として平凡なキャリアに甘んじた。しかし2001年にトム・クルーズとの離婚を機に、充実したキャリアを開花させ、以降、アメリカを代表する演技派女優として変身を遂げた。キッドマン自身離婚後、「いままでは結婚生活というものが、私にとって一番優先することだった。でも、いまの私には、仕事と子供たちしか残されていない。独身になったから、女優として成長できる時期だ、というふうには思わないけれど、確かに、演じたいという情熱は結婚していたときよりも強くなった。」と語っている[3]。
2001年公開の『ムーラン・ルージュ』でゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。2003年公開の『めぐりあう時間たち』では、特殊メークによる付け鼻で完全に自らの容姿を隠し、ヴァージニア・ウルフを演じきり、アカデミー主演女優賞やゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)などを受賞した。
2004年には日本をはじめ世界各国で放映されたシャネルの香水「No.5」のテレビコマーシャル(監督:バズ・ラーマン)に出演し、120秒(一部の国では240秒)という異例の長さのCMに注目が集まった。また、出演料も破格であった。現在はオメガの顔として広告に出演している。
映画1作品の出演料が高額なことで知られており、2006年には「最も出演料の高い女優1位」となる[4]。
2007年1月、アメリカの経済誌『フォーブス』がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ニコールは総資産72億円で18位にランクインした。
2008年の『フォーブス』誌では高額なギャラ相応の興行収入が稼げないことから、「コストパフォーマンスの悪い俳優1位」になってしまった[5]。
2010年の映画『ラビット・ホール』の演技によって再び評価を高め、アカデミー主演女優賞をはじめとする多くの賞にノミネートされた。
2012年のテレビ映画『私が愛したヘミングウェイ』では、文豪ヘミングウェイの3番目の妻マーサ・ゲルホーンを演じた。この演技が絶賛され、プライムタイム・エミー賞をはじめ数々の賞にノミネートされた[6]。
2015年、ロンドンのウエストエンドで舞台『Photograph 51』に主演し、「Evening Standard」紙の演劇賞で最優秀女優賞を受賞するなどの高い評価を得た[7]。また、この作品で英舞台界で最も権威あるローレンス・オリヴィエ賞に17年ぶりにノミネートされた[8]。
2016年公開の映画『ライオン』で、ハリウッド映画賞助演女優賞を受賞した。この映画では主人公を引き取って育てる養母を演じた。キッドマンは「その子がどこから来たにしろ、愛に囲まれた環境で育ててあげるのが、何よりも大事。スー(養母)はそれをしてあげたの。私も養子を取った母。共感できる部分がたくさんあったわ。映画の中でも語られるけれど、スーは血のつながった子を産むことができたのに、養子を取る方を選んだの。そう聞くと驚く人も多いでしょうけれど、それが彼女の望んだことなのよ。」と語った[9]。
人物
IQは132。短編小説を書くのが好きで、いずれはそれらを出版したいと願っている。またオーガニック野菜にこだわって家庭菜園もスタートし、野菜を育てるのが趣味で「菜園で獲れるコーンが大好きなの。」と語っている[10]。
自身について、「女優なんていう仕事をしていると、自己顕示欲が強いと思われがちだけど、実は結構シャイなの。」と語っている。『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の撮影でも、ドレスを着て男性たちの前を歩くシーンでは、「深呼吸して。自信を持つのよ。」と自分に言い聞かせて演技を行った[11]。
自身が若い頃、「オーストラリアに住んでいてはチャンスをつかめない。小さな業界だから、確固たるキャリアを築くことはできないだろう。」、「女優になるには背が高すぎる。」などと言われたことから、「『あなたにはできない』と言われても、その言葉を聞きいれてはダメ。いろいろなところから断られたり、批判されたりしても、耐えていけるような強さが必要です。また、有名になるとついて回る弊害もあるけれど、自分の中に“核”をしっかり保つことが重要。もし情熱を保ち続けることができないのなら、やめたほうがいい。保ち続けられるのであれば、とことん突き進むべきだと思います。」と述べている[12]。
映画の撮影では、スタントマンや替え玉を使うことを徹底的に拒否し、映画のアクションシーンや歌うシーンなどは全てキッドマン本人が行っている。 しかしスタントマンを使わないことが仇となり、映画『ムーラン・ルージュ』の撮影中に怪我をおい、主演予定だった『パニック・ルーム』を降板した(ただし脇役の声を担当している)。『パニック・ルーム』はジョディ・フォスターがキッドマンに代わって主演を務めた[13]。
監督については、「とても惹き付けられる監督というのは、一言で言うならビジョナリー、自分が何を言いたいのか、どういう映画にしたいのかということを明確に頭の中に描いている人。そういう監督は非常に自分の世界観をしっかりと持っているけれど、同時にとても協力的で、人の意見を聞く耳を持っているの。キューブリックもそうだったしカンピオンもそう。自分のビジョンはあるけれど、ちゃんと人の意見も聞く。そこが本当に素晴らしいと思うわ。私はそういう監督と一緒に仕事がしたいと思っているの。 」と語っている[14]。
ヒュー・ジャックマンやケイト・ブランシェット、ラッセル・クロウ、コリン・ファース、ナオミ・ワッツらと仲が良い。特にアメリカ版『ザ・リング』などで有名なワッツとは、オーストラリア時代のルームメイトで現在に至るまで深い交友関係にある。キッドマンはワッツがハリウッドで仕事がなく、他の業界で働くことを考えていた時も、「一本でも良い映画に当たれば必ずヒットするから、辞めないで。」と励まし続けた。実際『21グラム』では、キッドマンが台本読みでワッツのコーチを務めた[15]。
1990年にトム・クルーズと結婚したが、2001年に離婚。二人は養子を二人取っているが、離婚後はお互いのもとで交互に暮らしている。息子は「僕はママ(ニコール)のことが大好きだ。」、「僕とママにはしっかりした絆がある。」と告白している[16]。
トム・クルーズとの離婚後はレニー・クラヴィッツやスティーヴ・ビーイングなどと交際した時期もあった。
2006年6月25日、カントリー歌手のキース・アーバンとシドニーで結婚式を挙げる[17]。2008年7月7日、第一子となる女児を出産[18]。この時奇しくも映画『オーストラリア』の撮影中に、第一子を妊娠していることがわかった。ひどいつわりに苦しみながらも、1日14~15時間にわたる過酷な撮影を最後までやり通した[19]。
2007年1月、ロサンゼルス市内において『インベージョン』の撮影中に乗っていた車が事故を起こし、スタッフら8名とともに病院に搬送された。彼女に大きなけがはなく、検査などを受けた後、病院を出た。スタント・ドライバーが運転を誤ったことが事故原因と見られる[20]。
2010年12月28日、アーバンにとっての第二子であり、キッドマンにとっての三番目の娘を代理母出産(「surrogate」、ただしキッドマンは「gestational carrier」と表現している)によりナッシュビルのセンテニアル・ウーメンズ・ホスピタルで授かった。この子供はキッドマンとアーバンの生物学的実の娘である。
2013年、自身が審査員を務めた第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した日本映画『そして父になる』を鑑賞中、涙したといわれている。その3か月後、監督を務めた是枝裕和と再会した際、「私には、実子と養子と代理母で産んだ子がいて、その子たちを同時に育てているので、本当に心に刺さる内容だったの。その子供たち全員と一緒にいることが、今何よりハッピーなことだから。」と本作を改めて評価した[21]。
整形の多いハリウッドで唇などの整形疑惑が特に囁かれている女優であり、メスに関しては否定しているがボトックス使用については認めている[22]。
慈善活動
慈善活動について、キッドマンは、人々に与えることが自分の義務であると考えている。「様々な問題を解決して、人々の命を救おうと努めることが、自分の映画のキャリアを積むことよりもはるかに重要だと感じています。これまで私は、たくさんのものを与えられてきました。ですから、そのお返しをすることが、自分の義務だと思っています。」と語り、世界中の様々な良い運動を促進することに意欲的である。これまでに赤十字、キッズ・ウィッシュ・ネットワーク、平和の映画など20以上の非営利団体や慈善団体を支援し、また、1994年よりユニセフの親善大使、2006年から2010年までは国際連合婦人開発基金の親善大使も務めた[23]。
子供や女性の権利を守るための熱心な活動家としても知られていて、国連からは「Citizen of the World」に任命されていて、女性に対する暴力の撲滅を目指すインターネットキャンペーンにも参加している。また、母親が1984年に乳癌を患っていることから、“Little Tee Campaign”として、Tシャツやベストをデザインし、乳癌ケアのための募金活動を行っているほか、『コールド マウンテン』が撮影されたルーマニアでは、地元の孤児院に寄付をしている[24]。
2011年の東日本大震災の復興支援では、ファッション誌『VOGUE JAPAN』『GQ JAPAN』の呼びかけにより企画された、チャリティーTシャツのデザインを行った[25]。
2015年、ロンドンのウエストエンドで舞台『Photograph 51』に主演し、「Evening Standard」紙の演劇賞で最優秀女優賞を受賞した。公演の千秋楽後にキッドマンはギャラ全額を、病気や怪我に苦しんだり老齢を迎えた舞台関係者を支援する「Actor’s Benevolent Fund」と、舞台で演じた物理学者のロザリンド・フランクリンが勤務していた、ロンドン大学のキングズ・カレッジに寄付した。キッドマンの父は生化学者で、DNAなどの化学構造を解明したフランクリン女史の功績にも詳しかった。キングズ・カレッジへの寄付は亡き父とフランクリン女史への思いを込めて行った[26]。
評価
若い頃からトニー・スコット、ロバート・ベントン、ロン・ハワード、ガス・ヴァン・サント、ジェーン・カンピオン、スタンリー・キューブリック、アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック、ヴェルナー・ヘルツォークなど、名だたる監督作品に出演し、演技派女優として高い評価を得ている[27]。
ヴェルナー・ヘルツォークは自身が監督した映画『アラビアの女王 愛と宿命の日々』で主演を務めたキッドマンについて、「ほとんどすべてのシーンをニコールがけん引している。彼女ほど、献身的な女優は見たことがない。」と絶賛した。
多くのオスカー女優と異なり、基本的に大作、娯楽作、文芸作品関係なく様々な映画に出演することで知られている。娯楽作では、特に『ライラの冒険 黄金の羅針盤』のコールター夫人役、『パディントン』のミリセント役などで知られている。また、ミュージカル映画への出演も多く、『ムーラン・ルージュ』や『NINE』では吹き替えなしの歌を披露している。
主な出演作品
公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1983 | BMXアドベンチャー BMX Bandits |
ジュディ | |
1985 | アーチャーズ・アドベンチャー Archer's Adventure |
日本では劇場未公開 | |
陽のあたる街角 Vietnam |
テレビ映画 | ||
1986 | ニコール・キッドマン in シャドウ・オブ・ブロンド Watch The Shadows Dance Nightmaster |
エイミー・ガブリエル | 日本では劇場未公開 |
ウインド・ライダー Wind Rider |
Jade | 日本では劇場未公開 | |
1987 | 誘惑の香り An Australian in Rome |
ジル | 日本では劇場未公開 |
1988 | 最も危険な悪女 Emerald City |
ヘレン/マイクの彼女 | 日本では劇場未公開 |
デッド・カーム/戦慄の航海 Dead Calm |
レイ | 日本では劇場未公開 | |
1989 | 囚われた女 Bangkok Hilton |
カトリーナ | テレビ映画 |
1990 | ニコール・キッドマンの恋愛天国 Flirting |
ニコラ | 日本では劇場未公開 |
デイズ・オブ・サンダー Days of Thunder |
Dr.クレア | ||
1991 | ビリー・バスゲイト Billy Bathgate |
ドリュー | |
1992 | 遥かなる大地へ Far and Away |
シャノン | |
1993 | マイ・ライフ My Life |
ゲイル | |
冷たい月を抱く女 Malice |
トレイシー | ||
1995 | バットマン フォーエヴァー Batman Forever |
チェイス・メリディアン博士 | |
誘う女 To Die For |
スーザン | ||
1996 | ある貴婦人の肖像 The Portrait of a Lady |
イザベル | |
妻の恋人、夫の愛人 The Leading Man |
アカデミー賞のプレゼンター | ||
1997 | ピースメーカー The Peacemaker |
ジュリア・ケリー博士 | |
1998 | プラクティカル・マジック Practical Magic |
ジリアン・オーウェンズ | |
1999 | アイズ ワイド シャット Eyes Wide Shut |
アリス | |
2001 | ムーラン・ルージュ Moulin Rouge! |
サティーン | |
アザーズ The Others |
グレース | ||
2002 | パニック・ルーム Panic Room |
スティーブンの恋人 | 声のみの出演(クレジット表記なし) |
バースデイ・ガール Birthday Girl |
ナディア | ||
めぐりあう時間たち The Hours |
ヴァージニア・ウルフ | ||
2003 | ドッグヴィル Dogville |
グレース・マリガン | |
コールド マウンテン Cold Mountain |
エイダ・モンロー | ||
白いカラス The Human Stain |
フォーニア | ||
2004 | ハリウッドセレブ恋愛裏事情 Studio Portraits: Love Hollywood Style |
テレビ映画 | |
ステップフォード・ワイフ The Stepford Wives |
ジョアンナ・エバハート | ||
記憶の棘 Birth |
アナ | ||
2005 | ザ・インタープリター The Interpreter |
シルヴィア・ブルーム | |
奥さまは魔女 Bewitched |
イザベル/サマンサ | ||
2006 | ハッピー フィート Happy Feet |
ノーマ・ジーン | 声の出演 |
毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト Fur: An Imaginary Portrait of Diane Arbus |
ダイアン・アーバス | ||
2007 | インベージョン The Invasion |
キャロル | |
ライラの冒険 黄金の羅針盤 The Golden Compass |
コールター夫人 | ||
マーゴット・ウェディング Margot at the Wedding |
マーゴット | 日本では劇場未公開 | |
2008 | オーストラリア Australia |
サラ・アッシュリー夫人 | |
2009 | NINE Nine |
クラウディア | |
2010 | ラビット・ホール Rabbit Hole |
ベッカ・コルベット | 兼製作 |
2011 | ウソツキは結婚のはじまり Just Go with It |
デヴリン・アダムズ | |
ブレイクアウト Trespass |
サラ・ミラー | ||
2012 | 私が愛したヘミングウェイ Hemingway&Gellhorn |
マーサ・ゲルホーン | テレビ映画 |
ペーパーボーイ 真夏の引力 The Paperboy |
シャーロット・ブレス | ||
2013 | イノセント・ガーデン Stoker |
イヴリン・ストーカー | |
レイルウェイ 運命の旅路 The Railway Man |
パティ・ローマクス | ||
俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク Anchorman: The Legend Continues |
カメオ出演 | ||
2014 | グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札 Grace of Monaco |
グレース・ケリー | |
リピーテッド Before I Go to Sleep |
クリスティーン | ||
パディントン Paddington |
ミリセント | ||
2015 | 虹蛇と眠る女 Strangerland |
キャサリン・パーカー | |
The Family Fang | Annie | ||
2016 | シークレット・アイズ Secret in Their Eyes |
クレア | |
ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ Genius |
アリーン | ||
ライオン Lion |
スー・ブライアリー | ||
2017 | アラビアの女王 愛と宿命の日々 Queen of the Desert |
ガートルード | |
Big Little Lies | セレステ | 兼製作 ミニシリーズ |
受賞
- アカデミー賞
- ベルリン国際映画祭
- MTVムービー・アワード
- AFI賞
- 1987年 主演女優賞(ミニシリーズ部門)『陽のあたる街角』[31]
- 英国アカデミー賞
- ゴールデングローブ賞
- 1996年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 『誘う女』[33]
- 2002年 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) 『ムーラン・ルージュ』[34]
- 2003年 主演女優賞(ドラマ部門) 『めぐりあう時間たち』[35]
- ゴールデンラズベリー賞
- ハリウッド映画賞
日本語吹き替え
『冷たい月を抱く女』以降は多くの作品で田中敦子が担当している。田中自身数多くの女優の吹き替えを担当しているが、ニコール・キッドマンは過去に演じてきた役で最も印象的だったと語っている[38]。
脚注
- ^ a b c d “Nicole Kidman”. AlloCiné. 2016年11月25日閲覧。
- ^ “Check out a 16-year-old Nicole Kidman! Her first director says she had 'IT' -- with EXCLUSIVE video”. Entertainment Weekly (2011年3月6日). 2016年11月25日閲覧。
- ^ [1] - Aol News 2012年10月25日
- ^ ニコール・キッドマン、高額出演料女優ナンバーワンに - シネマトゥデイ 2006年12月4日
- ^ ニコール・キッドマン、ギャラをもらい過ぎナンバー1女優に選ばれる - シネマトゥデイ 2008年9月12日
- ^ AXN的エミー賞大予想 - AXN的エミー賞大予想 2012年7月19日
- ^ イブニング・スタンダード・シアター・アワードでニコール・キッドマンが最優秀女優賞に輝く - 海外ドラマNAVI 2015年11月25日
- ^ ニコール・キッドマン ローレンス・オリヴィエ賞にノミネート - シネマトゥデイ 2016年3月3日
- ^ ニコール・キッドマン出演の『ライオン(原題)』がトロント映画祭で高評価 - 映画情報のぴあ映画生活 2016年9月14日
- ^ 「IQ132」の女優 ニコール・キッドマンの意外な一面とは - ライブドアニュース 2016年4月5日
- ^ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン - All About 2008年2月19日
- ^ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン - All About 2008年2月19日
- ^ ニコール・キッドマン 来日記者会見 - シネマトゥデイ 2001年10月25日
- ^ ニコール・キッドマン 来日記者会見 - シネマトゥデイ 2001年10月25日
- ^ ナオミ・ワッツ、ニコール・キッドマンとの友情について語る - OZmall 2010年5月16日
- ^ 「IQ132」の女優 ニコール・キッドマンの意外な一面とは - ライブドアニュース 2016年4月5日
- ^ ニコール・キッドマン、キース・アーバンと挙式 - シネマトゥデイ 2006年6月26日
- ^ ニコール・キッドマン女児出産…06年に再婚 - ZAKZAK 2008年7月8日
- ^ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン - All About 2008年2月19日
- ^ ニコール・キッドマン、撮影中に事故 - シネマトゥデイ 2007年1月29日
- ^ ニコール・キッドマンが是枝監督に逆オファー…『そして父になる』in トロント映画祭 - シネマカフェ 2013年9月19日
- ^ http://news.livedoor.com/article/detail/7372041/
- ^ ニコール・キッドマンが好きな、心を静める方法 - TMWAVE 2014年5月18日
- ^ 『オーストラリア』ニコール・キッドマン - All About 2008年2月19日
- ^ ガガらアーティスト&俳優がチャリティーTシャツで復興支援 - ORICON STYLE 2011年5月25日
- ^ ニコール・キッドマン、舞台出演のギャラ全額をチャリティに寄付 - シネマカフェ 2015年11月26日
- ^ ヒュー・ジャックマン、出演作選びは「ニコール・キッドマンのアドバイスに従っている」と明かす! - 海外ドラマNAVI 2015年10月7日
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- ^ 日曜洋画劇場|テレビ朝日|アフレコ現場から - 日曜洋画劇場 2010年11月28日