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== 著書 == |
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* 『それでも日本は蘇る-21世紀への10の指針-』日経事業出版社1998年5月、ISBN 4930746493 |
* 『それでも日本は蘇る-21世紀への10の指針-』日経事業出版社1998年5月、ISBN 4930746493 |
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* 『再生、興国への突破口-それでも日本は蘇る-』[[小学館クリエイティブ]]2003年6月 |
* 『再生、興国への突破口-それでも日本は蘇る-』[[小学館クリエイティブ]]2003年6月ISBN 4797986441 |
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* 『戦略なき政治を斬る』[[小学館クリエイティブ]] 2010年10月 |
* 『戦略なき政治を斬る』[[小学館クリエイティブ]] 2010年10月 ISBN 978-4-7780-9002-9 |
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* 『中京維新-日本が蘇る5大改革戦略!-』[[PHP研究所]] 2012年10月 |
* 『中京維新-日本が蘇る5大改革戦略!-』[[PHP研究所]] 2012年10月 ISBN 978-4-569-80885-7 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2016年11月15日 (火) 18:11時点における版
大村 秀章 おおむら ひであき | |
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生年月日 | 1960年3月9日(64歳) |
出生地 | 愛知県碧南市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
所属政党 |
(自由民主党(平成研究会)→) (無所属→) 日本一愛知の会 |
称号 | 法学士 |
公式サイト | 大村ひであきOfficial Site |
公選第17・18代 愛知県知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2011年2月15日 - 現職 |
選挙区 |
(比例東海ブロック→) (愛知13区→) 比例東海ブロック(愛知13区) |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1996年10月20日 - 2011年1月14日 |
大村 秀章(おおむら ひであき、1960年(昭和35年)3月9日 ‐)は、日本の農水官僚、政治家。愛知県知事(公選第17・18代)、日本一愛知の会会長(代表)[要出典]。
衆議院議員(連続5期)、厚生労働副大臣(麻生内閣)、内閣府副大臣(安倍内閣)等を歴任[要出典]。
来歴・人物
愛知県碧南市生まれ。碧南市立鷲塚小学校、同東中学校、愛知県立西尾高等学校、東京大学法学部卒業。1982年4月、農林水産省に入省する[要出典]。
1986年林野庁企画課係長、1988年徳島市ニューフロンティア推進部長兼理事、1991年農林水産省経済局農業協同組合課課長補佐、1993年食糧庁企画課課長補佐(総括)[要出典]。
衆議院議員
1995年自由民主党愛知県第13選挙区支部長。1996年第41回衆議院議員総選挙にて初当選(比例、当時36歳)。その後、2000年第42回衆議院議員総選挙で再選(小選挙区)、2003年第43回衆議院議員総選挙で3選(小選挙区)、2005年第44回衆議院議員総選挙で4選(小選挙区)、2009年第45回衆議院議員総選挙で5選(比例)と、5期連続当選を果たす[要出典]。
この間、衆議院厚生労働委員会(筆頭理事)、同消費者問題等に関する特別委員会などに所属。また、2001年経済産業大臣政務官、2002年内閣府大臣政務官、2005年自由民主党愛知県連会長、自由民主党厚生労働部会長、2006年年内閣府副大臣(経済財政、金融、地方分権改革)、2007年自由民主党医療委員長、党厚生関係団体委員長、2008年厚生労働副大臣、2010年衆議院決算行政監視委員長、などを歴任[要出典]。
愛知県知事
第1期(2011年-2015年)
2010年10月、名古屋市の河村たかし市長から、翌2011年2月に実施される愛知県知事選挙への出馬を打診され[1]、11月13日には出馬の意向が報じられた[2]。大村は、「私は今、日本と日本経済に大いなる危機感を抱いています。このままでは、日本経済も愛知の経済、ものづくりも沈没してしまう。日本を、愛知・名古屋を、今一度世界と闘える力強い国・社会・経済とするため、私は皆様とともに起ち上がりたい。」『日本一愛知の会マニフェスト』と、知事選への立候補の決意を述べている。12月3日、大村は石原伸晃幹事長に離党届を提出し[3]、12月6日に正式な出馬表明を行った。その後、12月21日、地域政党「日本一愛知の会」の設立を発表[4][リンク切れ][5]し、同会会長に就任した。2011年1月14日、横路孝弘衆議院議長に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職した。大村の辞職により、望月義夫が繰り上げ当選した[6]。
2011年2月6日の愛知県知事選挙では、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票を獲得した[7]。
2012年1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した[8]。同年8月には、政治団体「中京維新の会」を設立し、代表に就任した。また「日本維新の会」顧問にも就任した[要出典]。
第2期(2015年-)
2014年9月24日、愛知県議会にて、大村は「県民の皆様の御理解・御支援が得られるのであれば、県民の皆様から与えられた任期をしっかりと十全に全うし、さらに、未来の愛知にも責任を担っていきたいと考えております。そして、皆様とともに日本一元気な愛知の実現に向けて全力で取り組んでまいりたいと考えております。」と2期目への出馬意向を表明した[9][信頼性要検証]。2014年12月19日、大村が記者会見を開き、「2015年2月1日執行予定の愛知県知事選挙にて再選を目指して出馬する」ことを表明し、合わせて選挙公約などを発表した[10]。その後、2015年1月6日には、詳細な政策集である「あいち重点政策ファイル300+1」を発表した[11]。
2015年2月1日に実施された愛知県知事選挙では、7党(自由民主党、民主党、公明党、維新の党、次世代の党、生活の党と山本太郎となかまたち、減税日本)からの推薦を得て、1,629,147 票を獲得して再選を果たした(得票率80.63%)。この得票数・得票率は何れも、愛知県知事選挙史上2番目である。
政策
衆議院議員
大村は、農林水産省出身ながら社会保障政策の立案や法案成立などに深く関与し、厚生労働副大臣をはじめ自民党厚生労働部会長、衆議院厚生労働委員会筆頭理事を務めた経験がある。厚生労働副大臣時代には、当時社会問題化していた年越し派遣村の厚生労働省の建物(講堂)を開放する決定に携わった。また、C型肝炎薬害訴訟を担当すると共に、障害者自立支援法や後期高齢者医療制度(高齢者の医療の確保に関する法律)等の政策立案や法案成立に尽力した[要出典]。
愛知県知事
第1期(2011年-2015年)
大村は、「平成の楽市楽座」「世界と闘える愛知・名古屋」の実現をめざし、236項目からなるマニフェストを掲げて初当選を果たした[12]。
愛知県知事就任後、2011年7月28日に首相官邸を訪問し、枝野幸男内閣官房長官(当時)と会談。東日本大震災及びそれに続く記録的な円高・ドル安に対処するため、政府及び日本銀行による為替介入、中小企業へのサポートなどを含む県や地元労使4団体の緊急要請文を手渡した[13][リンク切れ]。さらに8月17日には全国知事会の円高対策プロジェクトチームの取りまとめ役として、政府と日銀に対して復興債の日銀直接引受けやインフレターゲットの導入を要請した[14][リンク切れ]。大村は官邸で福山哲郎内閣官房副長官(当時)に面会した後、記者団に対して「(日銀引受けを)政治として決断してもらいたい」と述べた[要出典]。
大村は、知事1期目には、総じて以下のような実績をあげたとしている[15]。
- 副知事に、厚生労働省出身の吉本明子、トヨタ自動車出身の森岡仙太を迎え(就任日順)、県職員出身の2名と合わせて、副知事4名体制を構築した。吉本副知事は、「女性の活躍促進プロジェクト」の展開を指揮している[16][17]。
- 県道路公社が所有・運営する有料道路8路線について、国の「構造改革特区」の枠組みによる「公共施設等運営権」(コンセッション)を設定し、道路施設は県公社が所有したままで、運営権を民間事業者に売却して向こう30年間の道路運営を民間事業者に委ねる事業を準備。(現在は、国会での法改正プロセス中。)[15]
- 県内への企業立地を促進し研究開発を支援する「産業空洞化対策減税基金」では、補助件数123件、補助総額130億円、総投資額2,482億円の実績をあげると共に、県内における25,000人の雇用維持・創出を果たした[15]。
- 次世代自動車の開発・普及に尽力。初めて市販された燃料電池車(FCV)をいち早く購入すると共に、普及支援策として、水素ステーションの整備支援、購入者への補助金などの措置を講じた[15]。
- 総合特区「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」について、目標を大きく上回る成果をあげて、平成24・25年度の2か年にわたり「A」評価を獲得した[18]。
- あいち小児保健医療総合センター3次救急施設の整備、城山病院の全面改築、がんセンター2病院の機能強化など、県立病院の建替え・機能強化に取組んだ[15]。
- 県独自の「子育て支援減税手当」の給付を行うために、基金を積み立てるなどして2013・14両年度で計105億円の財源を確保して、14年度に実施した。これは、消費税率の引上げが子育て世帯の負担を重くし、次代を担う児童の健全育成に影響を及ぼすことのないよう、特に子育て世帯を支援するもので、児童1人あたり1万円を給付した[19]。
- 特別支援教育の充実に取組み、いなざわ特別支援学校の開校、豊橋特別支援学校山嶺教室の開設などを行った[15]。
- 2014年11〜12月に、「技能五輪全国大会」及び「全国障害者技能競技大会(アビリンピック)」を開催して、何れも過去最多の来場者を得た(22万人、6万9千人)[15]。
- 2014年11月に、「ESDユネスコ世界会議」を開催。開会全体会合には、皇太子同妃両殿下のご臨席を得た[15]。
- ベトナムとの医療協力の協定締結(2012年4月)、タイ・バンコク都との相互協力に関する覚書締結(2012年7月)、タイ工業省との経済連携に関する覚書締結(2014年9月)など、成長著しいアジア地域との交流を推進した[15]。
- エアポートセールスによる中部国際空港(セントレア)便の増開設を実現した[15]。
- 2014年12月に、今後、観光施策を強化して交流人口の増加を図るために、2015年を「愛知観光元年」とする旨を宣言した[20]。
- 防災に関して、建築物の耐震化を推進するとともに、「愛知県河川海岸堤防等地震・津波対策事業推進協議会」を設立して国への要望活動を実施(2014年)。また「第3次あいち地震対策アクションプラン」を策定した(2014年)[15]。
- 危険ドラッグ対策として、全国2例目となる独自条例「薬物の濫用の防止に関する条例」を制定(2012年10月)。また、警察職員による立入検査権限の付与等を行った(2014年11月)[15]。
- 愛知県庁本庁舎が、隣接する名古屋市役所本庁舎と共に、国の重要文化財に指定された(2014年12月)[15]。
- FIFAフットサルワールドカップ2020の開催招致に関して、日本サッカー協会に意向表明(2014年4月)及び「開催構想概要書」を提出(8月)。日本サッカー協会にて、愛知を日本の開催地として、FIFAに対し、招致を行うことが決定(10月)[15]。
第2期(2015年-)
大村は2015年1月6日に記者会見して、「-日本一元気な愛知をつくり日本の未来をつくる! リニア・ジェット・FCV-あいち重点政策ファイル300+1」と題する全300項目からなる政策集を発表して、選挙戦を闘った[11]。
この政策集には、愛知県の成長により東京一極集中にストップをかける意思が示されており、「今や、東京一極集中にSTOPをかけることこそが日本の国益にかなうのです。では、こうした時に、これができるのは誰か?日本一の産業県・愛知しかありません。」としている。また、以下を柱とする重要政策が示されている(計300項目)[要出典]。
- 「リニア・インパクトを生かし、世界に発信する『中京大都市圏』をつくる」
- 「産業首都愛知」
- 「ひとが輝くあいち」
- 「文化・スポーツ・魅力発信、『あいち観光元年』」
- 「あいちのグローバル展開」
- 「安心・安全なあいち」
- 「『環境首都あいち』の確立」
- 「地方分権・行財政改革」
- 「東三河の振興」
2014年12月に、2015年を「愛知観光元年」とする旨を宣言して、観光施策を強化して、交流人口の増加を図るとしている。2015年度には県庁組織を改組して、地域振興部を改組する振興部内に「観光局」を新たに設置し、その初代局長に外部人材を登用した[21]。
2015年3月19日、国家戦略特区諮問会議により、「国家戦略特区(地方創生特区)」に指定された。その際、地方創生担当の石破茂大臣より、東京圏・関西圏に伍す地域に発展することへの期待が示された[22]。
議員連盟等(衆議院議員時代)
- 窯業建材推進議員連盟 (会長[23])
- 養鰻振興議員懇談会 (会長[23])
- 食品産業振興議員連盟 (幹事長[23])
- 障害保健福祉推進議員連盟 (幹事長[23])
- 在宅介護推進議員連盟 (幹事長[23])
- 都市農業研究会 (幹事長[23])
- 自動車議員連盟税制小委員長[23]
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日韓議員連盟
- 日中友好議員連盟[24]
- 外国人材交流推進議員連盟
- 速やかな政策実現を求める有志議員の会
- 自民党組織運動本部
- 自民党厚生労働部会
- 自民党医療委員会
テレビ出演
- NHK「日曜討論」
- NHK「NHKスペシャル」
- 日本テレビ「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」
- TBS「NEWS23」
- フジテレビ「報道2001」
- テレビ朝日「サンデープロジェクト」
- テレビ朝日「朝まで生テレビ!」
- テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」
- テレビ朝日「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」
- 知事就任後には、同番組「プレッシャースタディ」のコーナーに出演した。
著書
- 『それでも日本は蘇る-21世紀への10の指針-』日経事業出版社1998年5月、ISBN 4930746493
- 『再生、興国への突破口-それでも日本は蘇る-』小学館クリエイティブ2003年6月ISBN 4797986441
- 『戦略なき政治を斬る』小学館クリエイティブ 2010年10月 ISBN 978-4-7780-9002-9
- 『中京維新-日本が蘇る5大改革戦略!-』PHP研究所 2012年10月 ISBN 978-4-569-80885-7
関連項目
脚注
- ^ “河村市長、自民・大村氏に愛知知事選出馬要請”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年10月16日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。 2010年11月13日閲覧。
- ^ “河村市長が要請…自民・大村氏、愛知知事選へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年11月13日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。 2010年11月13日閲覧。
- ^ “自民・大村議員が離党届、愛知県知事選へ意欲”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年12月3日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201101130035.html[リンク切れ]
- ^ “大村ひであき活動レポート(2010年12月21日号)”. 大村ひであきblog (2010年12月21日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “衆議院:大村秀章氏が辞職 望月義夫氏が繰り上げ当選”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年1月14日). オリジナルの2011年1月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “大村氏へ秋波…愛知県議選、公認・推薦求めて”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年2月11日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。 2011年2月11日閲覧。
- ^ “東海大志塾”. 大村ひであき公式WEBサイト (2012年3月27日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “議会 会議録検索”. 愛知県. 2016年9月25日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ “大村知事、正式に再選出馬表明 来年の知事選 『日本一元気な愛知をつくる』”. 東愛知新聞 (東愛知新聞社). (2014年12月20日). オリジナルの2014年12月24日時点におけるアーカイブ。 2014年12月20日閲覧。
- ^ a b “あいち重点政策ファイル300+1” (PDF). 大村ひであき公式WEBサイト (2015年1月6日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “日本一愛知の会マニフェスト《全体版》” (PDF). 大村ひであき公式WEBサイト. 2016年9月25日閲覧。 『日本一愛知の会マニフェスト』
- ^ “知事ら円高是正を要請 政府・日銀に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2011年7月29日)[リンク切れ]
- ^ “復興債の日銀引き受け要請 知事会、円高阻止・デフレ脱却で”. SankeiBiz (産経新聞社). (2011年8月17日)[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “日本一元気な愛知をめざして 主な取組実績(平成22~26年年度)” (PDF). 大村ひであき公式WEBサイト. 2016年9月25日閲覧。など。
- ^ “吉本副知事が就任会見”. 中日新聞 オピ・リーナ (中日新聞社). (2013年7月11日) 2016年9月25日閲覧。
- ^ “愛知副知事、民間から初の起用へ トヨタホーム社長”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2014年2月26日). オリジナルの2014年2月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「アジアNo1航空宇宙産業クラスター形成特区」の評価結果(平成 25 年度)について” (PDF). 愛知県知事政策局企画課. 愛知県 (2014年12月9日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “子育て支援減税手当”. 愛知県 (2014年3月26日). 2014年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月25日閲覧。
- ^ “「あいち観光元年」宣言について”. 愛知県 (2014年12月22日). 2014年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月25日閲覧。
- ^ “振興部観光局長への外部人材の登用についての知事記者会見動画を配信しました”. 広報広聴課. 愛知県 (2015年3月18日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “石破国家戦略特別区域担当大臣記者会見要旨” (PDF). 内閣府地方創生推進事務局. 首相官邸 (2015年3月19日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 大村秀章『戦略なき政治を斬る』小学館クリエイティブ、2010年4月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-7780-9002-9。
- ^ “日中友好議員連盟 若手世代を代表して中国訪問”. 大村ひであき公式WEBサイト (2004年9月17日). 2004年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月25日閲覧。
外部リンク
- 大村ひであきOfficial Site
- 大村 秀章 (hideaki.ohmura) - Facebook
- 大村秀章 (@ohmura_hideaki) - X(旧Twitter)