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毎年恒例の『[[27時間テレビ|FNS27時間テレビ]]』を始め、『[[FNSドキュメンタリー大賞]]』『[[FNSソフト工場]]』といったコンテンツを[[フジネットワーク|FNS]]各局が総力を挙げて制作。単発でバラエティー、ドキュメンタリー、スポーツ、ドラマ、映画などを放送。[[ミニ番組]]については[[ミニ番組一覧#フジテレビ]]を参照。 |
毎年恒例の『[[27時間テレビ|FNS27時間テレビ]]』を始め、『[[FNSドキュメンタリー大賞]]』『[[FNSソフト工場]]』といったコンテンツを[[フジネットワーク|FNS]]各局が総力を挙げて制作。単発でバラエティー、ドキュメンタリー、スポーツ、ドラマ、映画などを放送。[[ミニ番組]]については[[ミニ番組一覧#フジテレビ]]を参照。 |
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==フジテレビで流れるCM== |
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{{expand|CMの流れる会社について}} |
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*[[プロクター・アンド・ギャンブル|P&G]] |
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*[[ユニリーバ|ユニリーバジャパン]] |
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*[[花王]] |
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*[[ライオン (企業)|ライオン]] |
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*[[再春館製薬所]] |
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*[[小林製薬]] |
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*[[ロート製薬]] |
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*[[コジマ]] |
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====過去に流れたCM==== |
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*[[箱根小涌園]] |
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*[[鈴丹|SUZUTAN]] |
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<!--*JUNGLE ハート篇(自社CM・サブリミナル 1992~1993年)--> |
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<!--*JUNGLE 人形篇(自社CM・サブリミナル 1992~1993年)--> |
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== スタジオ == |
== スタジオ == |
2007年8月8日 (水) 15:23時点における版
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 東証1部:4676 |
略称 | フジテレビ |
本社所在地 |
137-8088 東京都港区台場二丁目4番8号 |
設立 | 1957年(昭和32年)11月18日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 放送法に基づくテレビジョン放送 |
代表者 |
代表取締役会長 日枝久 |
資本金 |
1,462億0035万円 (2007年3月31日現在) |
売上高 |
単体:3,778億75百万円 連結:5,826億60百万円 (2007年3月期) |
従業員数 | 1,423人(2007年3月31日現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要子会社 |
株式会社ニッポン放送 株式会社ポニーキャニオン |
外部リンク | www.fujitv.co.jp |
特記事項:FCGビル設計・丹下健三・都市・建築研究所 手前はアクアシティお台場 2004年11月撮影 |
株式会社フジテレビジョン (Fuji Television Network, Inc.) は、関東広域圏を放送対象地域とする放送局である。
略称はコールサイン (JOCX-TV) からCX。通称はフジテレビ。
76社、5法人、3美術館、10,000名強の従業員からなる日本最大のメディア・コングロマリットであるフジサンケイグループの中核企業であり、現在は資本関係上もグループの統括会社となっている。
会社概要
フジテレビジョン/log20200104 | |
---|---|
英名 |
Fuji Television Network, Incorporated |
放送対象地域 |
(東京都・茨城県・栃木県・ 群馬県・埼玉県 千葉県・神奈川県) |
ニュース系列 | FNN |
番組供給系列 | FNS |
略称 | CX |
愛称 | フジ、フジテレビ |
呼出符号 | JOCX-(D)TV-DTV |
呼出名称 | フジ(デジタル)テレビジョン |
開局日 | 1959年3月1日 |
本社 |
〒137-8088 東京都港区台場二丁目4-8 |
演奏所 | #スタジオを参照 |
リモコンキーID | 8 |
デジタル親局 | 東京 21ch |
アナログ親局 | 東京 8ch |
ガイドチャンネル | 8ch |
主なデジタル中継局 | 下記参照 |
主なアナログ中継局 | 下記参照 |
公式サイト | http://www.fujitv.co.jp/ |
特記事項: また、大東諸島も、放送区域に含まれる |
- 商号 株式会社フジテレビジョン(Fuji Television Network, Inc.)
- 本社所在地 東京都港区台場2丁目4番8号
- 郵便番号:137-8088(一般的な番組の宛て先については119-0188が使われている。以前の5桁時代の時は149-88、河田町時代は162-88だった)
- 設立 1957年(昭和32年)11月18日
- 放送開始 1959年(昭和34年)3月1日
- 事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送
- 代表者
- 資本金 1462億0035万円
- 株主 下記の記事参照
- メインバンクは、みずほコーポレート銀行(旧富士銀行)であり、FNSチャリティーキャンペーンのフジテレビの振込先もみずほ銀行東京中央支店(旧富士銀行本店)である。そして、以前フジテレビでは芙蓉グループ提供の番組「感動エクスプレス」「満足!迷い旅」を放送していた。また、芙蓉グループの広告会社である富士アドシステムは、フジサンケイグループと芙蓉グループの共同出資である。
- 各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするフジネットワーク(FNS:Fuji Network System、FUJI NETWORK SPORT)と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするフジニュースネットワーク(FNN:Fuji News Network)を組織している。
- 地上放送の他にSKY PerfecTV!(東経124・128度CS放送)、および委託放送事業者であるサテライト・サービスを通じてe2 by スカパー!(東経110度CS放送)で、フジテレビ721及びフジテレビ739の2つのチャンネルを放送していて、一部のケーブルテレビでも放送されている。
送信所
(放送区域は、本来は沖縄県の放送対象地域である大東諸島が含まれる。これは、系列局の沖縄テレビが、大東諸島に中継局を設けていないため。TBS=琉球放送並びに、テレビ朝日=琉球朝日放送の際も同様)。
- アナログ放送
- コールサイン:JOCX-TV
- チャンネル:8ch(東京)
- 映像出力:50kW
- 音声出力:12.5kW
- デジタル放送
- コールサイン:JOCX-(D)TV
- チャンネル:21ch(東京)
- 出力:10kW
- リモコンキーID:8
アナログ放送の主な中継局
- 東京都
- *八王子 31ch
- *多摩 55ch
- 新島 58ch
- 父島 57ch
- 母島 58ch
- *大井町 74ch
- 茨城県
- 水戸 38ch
- 日立 58ch
- 常陸鹿嶋 41ch
- 栃木県
- 宇都宮 57ch
- 群馬県
- 前橋 58ch
- 桐生 35ch
- 利根 57ch
- 埼玉県
- 秩父 29ch
- 児玉 57ch
- 千葉県
- 銚子 57ch
- 成田 57ch
- 館山 58ch
- 神奈川県
- *横浜みなと 58ch
- 横須賀久里浜 37ch
- 平塚 39ch
- 小田原 58ch
- *山下町 75ch
- 沖縄県
- 北大東 46ch
- 南大東 58ch
他多数
*は、その中継局周辺でも、東京8chを視聴する場合が多く、画質が良くない場合に視聴される。他局の、同位置にある中継局も同様。
デジタル放送の主な中継局
- 茨城県
- 水戸 19ch
- 日立 19ch
- 栃木県
- 宇都宮 35ch
- 群馬県
- 前橋 42ch
- 埼玉県
- 秩父 21ch
- 千葉県
- 銚子 21ch
- 神奈川県
- 平塚 21ch
- 小田原 21ch
沿革等
沿革
- 1957年(昭和32年)11月18日 - 文化放送とニッポン放送を主体とし、東宝、松竹、大映の映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立。
- 1958年(昭和33年)12月 - 商号を株式会社フジテレビジョン(カタカナ名)に変更。
- 1959年(昭和34年)1月9日 - 本免許を受ける。
- 1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-TV)。開局は大阪・毎日放送(MBS)と福岡・九州朝日放送(KBC)と同日。関西地区においては、関西テレビ(KTV)と毎日放送とのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに一本化する。
- 1959年(昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局でネットワーク協力体制に調印し、フジネットワークシステム(FNS)の基礎を確立。
- 1964年(昭和39年)9月3日、東京オリンピック開始に伴い、カラー本放送を開始。(東京地区では3番目)最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。
- 1966年(昭和41年)10月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
- 1969年(昭和44年)10月 - フジネットワークシステム(FNS)発足。
- 1971年(昭和46年) - 制作局を廃止させ系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
- 1973年(昭和48年)『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組が全部カラー放送になる。
- 1978年(昭和53年)10月、音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビやNHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は神宮球場からのヤクルト戦のステレオ放送。
- 1984年(昭和59年) - フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジやフジテレビ721、739、ディノスチャンネルなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であったお台場への社屋移転構想を発表する。(#フジテレビお台場移転の経緯を参照。)
- 1985年(昭和60年)12月 - 文字多重放送本放送開始。
- 1986年(昭和61年) - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
- 1988年(昭和63年) - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる。
- 1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
- 1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
- 1993年(平成5年) - 台場本社ビル着工。
- 1994年(平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
- 1995年(平成7年)4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。
- 1995年(平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン(EDTV-II)本放送開始。
- 1996年(平成8年) 8月- 東京都港区台場に新本社ビル完成。河田町本社からの移転作業が部署別に順次開始される。
- 1997年(平成9年)3月10日 - 台場の現社屋に本社機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。旧河田町本社ビルの解体作業開始。
- 1997年(平成9年)8月 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
- 1998年(平成10年)4月 - 放送法に基づきCSデジタル放送」2チャンネルの委託放送事業者の認定を受ける。
- 1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ721」放送を開始。
- 1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」放送を開始。
- 2000年(平成12年)12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送『BSフジ』(デジタルBS8Ch)開始。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV)。
- 2005年(平成17年)1月17日 - 系列ラジオ局のニッポン放送株式の公開買付(TOB)を発表した。その結果、ニッポン放送発行済み株式の36.47%を取得した。
- 2005年(平成17年)5月23日 - ライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を『LFホールディングス』に変更(7月12日に合併)。
- 2005年(平成17年)6月13日 - 産業再生法に基づく事業再構築計画の認定を受ける。2008年(平成20年)5月まで。
- 2005年(平成17年)7月15日 - 地上波キー局として初めてのブロードバンド動画配信サービス、「フジテレビ On Demand」のサービスを開始。
- 2005年(平成17年)9月1日 - ニッポン放送と株式交換し、同社を完全子会社化。
- 2006年(平成18年)1月22日 - ライブドアが証券取引法違反で1月18日に家宅捜索される。
- 2006年(平成18年)3月15日 - ポッドキャスティング「フジポッド」の配信開始。
- 2006年(平成18年)3月16日 - 日枝会長が記者会見を行いUSENの宇野康秀社長にフジテレビが所有するライブドア持ち株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消とライブドア・ショックにより受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。
- 2006年(平成18年)4月1日
- 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。
- ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。
- 2006年(平成18年)4月3日 - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は『株式会社ニッポン放送』を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、ポニーキャニオン、ディノス等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。
- 2007年(平成19年)3月26日 - ライブドアに対する345億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起したと発表した。
- 2007年(平成19年)3月29日 - ポニーキャニオンと扶桑社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化。同時にBSフジへの出資比率を上げる。
番組史
- 1959年(昭和34年)3月、開局と同時に同局の看板トーク番組である『スター千一夜』放映開始。旭化成の一社提供、初回ゲストは長門裕之と津川雅彦、この回の司会は高橋忠雄が担当(1981年9月23日まで)。
- 1959年(昭和34年)6月17日、渡辺プロダクションの制作指揮による音楽番組『ザ・ヒットパレード』放送開始。初代司会はミッキー・カーチス(1970年3月まで)。
- 1961年(昭和36年)4月、『きょうのプロ野球から』放映開始(プロ野球シーズン期間中のみ放送)。後に『プロ野球ニュース』(第1期)に改題された(1965年9月に一旦終了)。
- 1963年(昭和38年)1月1日、日本初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』を放送(1966年12月31日まで)。
- 1964年(昭和39年)1月1日、正月恒例の『新春かくし芸大会』開始。翌1965年からは司会者に高橋圭三(1971年からは芳村真理も参加)を迎え規模を年々拡大。『NHK紅白歌合戦』などと並ぶ年末年始の風物詩的番組に発展。
- 1964年(昭和39年)8月31日、今現在も続く長寿音楽番組『ミュージックフェア』放映開始。初代司会は越路吹雪。
- 1965年(昭和40年)5月1日、NET(現:テレビ朝日)系列の朝のワイドショー、『モーニングショー』に対抗し、NHKの看板アナウンサーだった小川宏を招聘し、『小川宏ショー』をスタート。初代司会陣は小川宏と元TBSアナウンサーの木元教子、それから当時アナウンサーだった露木茂(1982年3月まで)。
- 1965年(昭和40年)10月6日、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送。
- 1968年(昭和43年)4月1日、不毛の時間帯とされた平日午後15時枠を開拓したワイドショー『3時のあなた』放送開始。初代司会は高峰三枝子と木元教子(1988年4月1日まで)。
- 1968年(昭和43年)11月4日、新感覚の歌謡番組と銘打ち『夜のヒットスタジオ』放送開始。幅広い出演者と歌手の素顔を映し出してゆくという番組構成が視聴者に浸透し、格上の音楽番組として後に評価されるようになる。初代司会は前田武彦、芳村真理(~1990年10月3日)。
- 1969年(昭和44年)、『オールナイトフジ』(第1期)放送開始。司会者は歌手の舟木一夫だった(レギュラー放送は1971年まで、スペシャル版は1975年まで放送)。
- 1969年(昭和44年)10月、今現在も続く長寿アニメ『サザエさん』開始。
- 1974年(昭和49年)7月、第1回『FNS歌謡祭』放送。初代司会は小川宏と吉永小百合。当初は賞レース番組であったが、1991年からはショー形式の番組に変更。
- 1975年(昭和50年)10月、萩本欽一がニッポン放送で担当していたラジオ番組をモチーフとする『欽ちゃんのドンとやってみよう!』スタート。当初は土曜19時30分~の放送であったが、1981年春からは月曜21時枠に放送時間を移動し、「良い子悪い子普通の子」などシリーズ化。
- 1976年(昭和51年)4月、『プロ野球ニュース』(第2期)開始。第2期スタート当初の司会は佐々木信也とはらたいら。
- 1981年(昭和56年)10月、海外情報バラエティの先駆的存在『なるほど!ザ・ワールド』(司会は愛川欽也、楠田枝里子:1996年3月まで)、無敵の人気を誇ったTBS系『8時だよ!全員集合』に対抗すべく時の漫才ブームの立役者たちをメインキャストに据えた『オレたちひょうきん族』(出演者はビートたけし、明石家さんま、山田邦子、他:1989年10月まで)をスタート。
- 1981年(昭和56年)10月、後にスペシャル番組としてシリーズ化される『北の国から』がスタート。脚本は倉本聡、主演は田中邦衛。
- 1982年(昭和57年)10月、今現在も放送しているタモリが司会を務める平日昼の人気長寿生放送バラエティ『笑っていいとも!』開始。
- 1983年(昭和58年)、『オールナイトフジ』(第2期)開始。現役の女子大生タレントを司会に登用し、人気を博す。
- 1984年(昭和59年)10月、『FNNスーパータイム』開始。夕方ニュース戦争の幕開け。
- 1985年(昭和60年)4月、『夕やけニャンニャン』開始。同番組の"主役"・おニャン子クラブは後に社会現象的な人気を集める。
- 1987年(昭和62年)1月、1981年4月より続いた萩本欽一による『欽ドン!』シリーズに代って、新たにドラマ枠(通称:"月9")を新設。『アナウンサーぷっつん物語』を最初に、『ラジオびんびん物語』、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、『ロング・バケーション』などの大ヒット作を生み出し、業界ドラマやトレンディードラマブームの火付け役となる。
- 1987年(昭和62年)、モータースポーツの最高峰であるF1中継の放送開始。
- 1987年(昭和62年)7月、同局開局以来の24時間編成の大型番組として『テレビ夢列島(現:FNSの日)』を放送。総合司会はタモリ、明石家さんま。
- 1988年(昭和63年)、深夜枠のソフト充実を目的に『JOCX-TV2(深夜黄金伝説)』スタート。以降、『やっぱり猫が好き』(出演:もたいまさこ、室井滋、小林聡美。作:三谷幸喜、他)や『カノッサの屈辱』(出演:仲谷昇、他)など新感覚の番組が高い評価を受ける。
- 1991年(平成3年)、ビートたけしと逸見政孝司会の『平成教育委員会』放送開始。翌1992年にはこの番組を基本として恒例の24時間テレビ編成が行われる。
- 1994年(平成6年)、田村正和主演、三谷幸喜脚本による異色の刑事ドラマ『古畑任三郎』スタート。後にシリーズ化され、同局を代表するドラマシリーズに成長する。
- 1997年(平成9年)3月、夕方ニュース戦争の幕開けだった『FNNスーパータイム』がついに終了し、『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』へ移行と同時に開始時刻が夕方18:00から5分前倒して夕方17:55からの放送(フライングスタート移行)となる。
- 2001年(平成13年)3月、『プロ野球ニュース』(第2期)の地上波での放送を終了。
- 2003年(平成15年)10月、フジテレビ開局45周年記念番組として、1978年に田宮二郎と山本學の主演で放送された社会派ドラマ『白い巨塔』のリメイク版を半年間(2クール)にわたり放送。リメイク版の主演は唐沢寿明と江口洋介。
- 2005年(平成17年)1月、お台場社屋からの主要生番組(『めざましテレビ』『とくダネ!』『ニュース関係全般』など)が全てハイビジョン放送になる。
歴代社長
- 水野成夫(1957年設立~1964年)
- 鹿内信隆(1964年~1968年)
- 浅野賢澄(1968年~1985年)
- 羽佐間重彰(1985年~1988年)
- 日枝久(1988年~2001年)
- 村上光一(2001年~2007年)
- 豊田皓(2007年~)
社史概要
1950年代~1960年代
- 1957年6月にニッポン放送、文化放送、東宝、松竹、大映らが免許を申請し、翌7月に予備免許が交付。その後、事業体として同年11月に東京都千代田区有楽町一丁目7番地に資本金6億円で株式会社富士テレビジョンとして設立(翌年12月に現在の商号に変更)。
- 開局から1986年(昭和61年)3月31日まではシンボルマークはチャンネルナンバー「8」を図案化したもの。(関西テレビ放送や沖縄テレビ放送とは多少違う)ロゴは産経新聞(当時はサンケイ)やニッポン放送の旧書体に似た旧フジサンケイグループ標準書体だった。
- 1959年1月に東京都新宿区市ヶ谷河田町7番地(後の新宿区河田町3-1)に本社ビルを完成させ(本店所在地の変更は1962年)、同年3月1日に東京で3番目(開局順としては4番目だが、総合局と教育局の都合上現在は3番目)のテレビ局として放送を開始した(放送開始当時は映像出力10KW、音声出力2.5KW。1960年1月17日に現在と同じ空中線電力となった。)。
チャンネルは当初「1」を希望していたが、NHKが獲得。『4』も既に日本テレビ放送網が、『6』もラジオ東京テレビ(KRT(現在のTBS))が取得していたため、第8チャンネルとなった。
- 1961年4月1日、「きょうのプロ野球から」が放送開始。瞬く間に人気番組になる。翌1962年に「プロ野球ニュース」に改題。1965年に一旦終了。
1970年代~1980年代
- 1976年、「プロ野球ニュース」がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される。アニメ·子供向け番組などでは注目されたが、全般としては、特に現代ドラマにおいて視聴率が低迷し迷走を極めていた1970年代を経て、1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」(よく勘違いされるが「面白くなければ―」ではない)というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革のスローガンであった。そこから横澤彪がプロデュースした『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』など数々の人気番組が生まれていった。一名「軽チャー路線」(かる-ろせん)とも評される。
- バラエティー番組中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に「年間視聴率三冠王」(ゴールデン·プライム·全日でトップ)を獲得。その後「三冠王」は12年間続いた。
- ただこの『軽チャー路線』が現在のバラエティー番組の『低俗番組』化を招き、日本の社会モラルが低下したとも言えよう。現在問題となっている子供による(特に中・高生)いじめも『軽チャー路線』を実施した1984年頃から増加傾向となった。
- 1980年代後半のバブル景気時には、所謂「トレンディドラマ」が人気を博し、ゴールデン·プライム帯の視聴率を押し上げた。
1990年代~
- 1990年代前半には、『カノッサの屈辱』など、深夜放送を中心とした人気番組が続々産まれた。しかし、1993年夏頃から「三冠王」のうちのいくつかをバラエティーや巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビに明け渡すようになってくると、その勢いも次第に衰えていった。1994年~2002年には9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を日本テレビが達成した。
- 1997年3月10日に東京都新宿区河田町から東京都港区台場のフジテレビ本社ビル(正式名称:FCGビル)に移転。新社屋の設計は丹下健三・都市・建築設計研究所、施工は鹿島建設。敷地面積21102.220m²、延べ床面積141825.438m²、地下2階 地上25階 塔屋1階。直径32mの球体展望室が印象的。 収録に使用した道具や収録スタジオ(V4スタジオ)などが見られる見学者コースがあり、お台場周辺の観光スポットの一つになっている。 ビル全体の“見た目サイズ”はワイドクリアビジョンテレビの16:9をイメージしているとされる。
- 建物は、低層部については公開スペースを1階に設け、スタジオを3階に設置するという珍しい構造で、高層部については「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟を中央3フロアに合計6本ある渡り廊下(コリドール)が繋ぐ構造となっている。
- かつてはメディアタワー棟22~24階に、本社建て替え工事の間借りとして、系列ラジオ局のニッポン放送の本社があった(2004年9月6日にかつて本社があった千代田区有楽町に移転し、9月13日より全業務を開始した)。
- 1999年にはイメージキャラクターのラフくんが登場、2002年からは「きっかけは、フジテレビ。」のキャッチコピーで様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。
- 2003年度(2003年4月~2004年3月)の調査ではプライムタイムの視聴率が日本テレビを上回った。この結果2004年には「三冠」を日本テレビから奪還し低迷期から脱した。2004年度においては、「四冠」も獲得した。
- 2004年度からはお笑い系のバラエティー番組だけでなく、『IQサプリ』や『タモリのジャポニカロゴス』、『熱血!平成教育学院』などの教養系なバラエティー番組も多く制作しだした、これは今までこの様な番組を制作していた、日テレよりも若干多くなっており、視聴率的にも成功している番組も在る。
フジテレビお台場移転の経緯
1980年(昭和55年)に掲げた「軽チャー路線」がようやく波に乗り出し、1984年(昭和59年)には年間売上高も開局以来初めて在京キー局でトップに躍り出た。局舎のお台場移転構想が持ち上がったのはこのころである。
当時のフジサンケイグループ議長鹿内春雄が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するならビルの林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の東京都知事鈴木俊一も「情報の集まる所に人は集まる」と考えており、「臨海副都心計画を成功させるためにはお台場エリアに一大エンターテインメントも必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。お台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で提供してもらえたことも大きく影響した。
しかしながら、当時はレインボーブリッジやゆりかもめはおろか、臨海副都心線さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともあり、ほとんどの役員はお台場移転案に消極的であった。ただ、前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の河田町の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、
の3つに絞られた。その中でも、フジテレビ自身も局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地のど真ん中にある河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.の春雄のお台場移転案が決定的になった。
これを受け、春雄は局内に総合開発室を設置し、初代室長に当時取締役編成局長だった日枝久を抜擢。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、現在の「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で実に数千億円に上ったという。
目玉マークの誕生
- 目玉マークを参照。
フジテレビのトリビア
- フジテレビに好んで出演する芸能人や、フジテレビのことが好きな視聴者のことを、俗に「フジっ子」と言う。「夜のヒットスタジオ」、「ラブラブショー」、「新春かくし芸大会」など同局の看板番組を数多く担当した芳村真理や「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」で活躍していた頃の明石家さんま、女優の深津絵里などがこの代表格である。
- 裏番組での同時出演は必ず避けるという業界の暗黙の了解に敏感な局ではあるが(プロ野球中継が延長した際は別)、2004年の『27時間テレビ』放送中に、SMAP(相手局と番組はテレビ朝日の『SmaSTATION-3』)により打破された。その後も『F2-X』と『ジャスト』(TBS)や、2005年元日の『登龍門F 若手芸人ネタ祭り!!~元旦生ライブSP~』と『CDTVスペシャル年越しプレミアライブ2004~2005!』(同)、『FNS25時間テレビ』と『アッコにおまかせ!』(同)との同時二元中継も実現もしている。また1992年5月5日にはNHKおかあさんといっしょのファミリーコンサートにひらけ!ポンキッキのキャラクターガチャピン・ムックが出演したり、1993年2月26日には森田一義アワー 笑っていいとも!『テレフォンショッキング』とTBS『素敵な気分De!』との同時生電話トークがあったり、2005年のNHK紅白歌合戦にワンナイR&Rのキャラクターゴリエが出場するなど他局との同時放送や共同制作を行ったり、他局と合同出資した会社(例:ム·ーハ(TBSとの合同出資)やトレソーラ(TBSやテレビ朝日との合同出資))を設立したりと日テレ、テレ東以外の他のキー局(特にTBS)とNHKの交流には積極的な局でもある。
- 本社ビルにあるスタジオ数が限られており、現在ドラマ等の制作については都内のスタジオに分散して行われているのが現状である。現在使用している貸しスタジオの中で「渋谷ビデオスタジオ」(渋谷区宇田川町)には途中から資本参加しており、後述の「東京メディアシティ」完成まではフジテレビのドラマの大半はここで収録されていた。また東京メディアシティ(世田谷区、国際放映所有)内にフジテレビは2つのスタジオを保有、同じく2つのスタジオを保有している関西テレビ関連会社のレモンスタジオと合わせ、4つの収録用スタジオを有している。また、本社に近いと言うこともあり、パナソニックセンター有明スタジオも主にバラエティ番組が使用していた(2006年3月31日をもってレンタルスタジオ事業を終了)。
それらのスタジオを集中·統合化する目的で、本社付近の江東区青海にニッポン放送と共同の「臨海副都心スタジオ(仮称)」を2007年3月竣工予定で建設する。内部にはフジテレビの自社スタジオだけで10ステージを設置し、また本社とも光ケーブル等でリンクし、生放送等にも対応する柔軟な施設にする予定で、これにより自社で20ステージのスタジオを保有する事になり、完成後は自社スタジオ中心での制作体制になると思われる。
- 局舎は一つになっているように見えるが、実際はオフィスタワーとメディアタワーに大きく分かれていて、その間をスタジオや見学者コース、空中回廊で結ばれている構造になっている。そのためタワー館相互の行き来や、各タワーの高層階に席を置く社員にとって社員食堂やスタジオや倉庫などへの移動は一苦労で、エレベーターを使ったとしても待ち時間を含め10分以上かかることが多い。台車ワゴンを使っての荷物、特に機材や収録テープの運搬移動には、カーペットがしかれている個所も多いためかなりの重労働を強いられる。
- 国民的アニメサザエさんの前番組は白土三平の忍風カムイ外伝であった。
- テロップのフォントは、フォント制作会社の株式会社ニィスと共同開発した物を使用している(これが先駆となって、現在は色々な印刷物にこのフォントが使用されるようになった)。
フジテレビの評価
- バラエティ番組やドラマは大変好評な局であるが、一方で報道番組や教養番組はバラエティ色を出しすぎたものも多いため「報道2001」「ニュースJAPAN」以外の番組の評価は低い。しかし、2003年12月14日のサッダーム・フセイン拘束のニュース速報を他局にさきがけて伝えた上に民放で唯一報道特番を組むなど近年報道にも力を入れている。
- 社員に有名人や大手クライアントの子息や孫が多い。アナウンサーではタレント・永六輔の娘永麻理(現在は退社)や俳優・竜崎勝の娘高島彩、俳優・高橋英樹の娘高橋真麻、元プロ野球選手・田淵幸一の息子田淵裕章などがいる。アナウンサー以外では、元議長・鹿内信隆の孫の鹿内植や、中曽根康弘・村上勇の子息、宇津井健の息子の宇津井隆、遠藤周作の息子の遠藤龍之介(同社取締役)、かまやつひろしの息子のTAROかまやつも入社をしており、大手クライアントでは東宝や松竹、王子製紙の役員の子息や孫も入社している。これらに対しては、実力や人脈の確保といった物事を正当化する理由も認められなくもないが、放送業が公共性の高いことから、批判も多い(ただし、有名人や大手クライアントの子息や孫の縁故入社は他の在京キー局や大阪の準キー局でも数多く事例があり、フジテレビに限った話ではない。他局の有名な例では日本テレビに石原慎太郎の長男の石原伸晃やみのもんたの次男、某大手証券会社役員の息子(かの盗撮事件を起こした有名アナウンサー、現在は他部署へ異動)、元広島東洋カープ監督・山本浩二の息子が、TBSには小渕恵三の娘の小渕優子やみのもんたの長男が、テレビ朝日には長嶋茂雄の娘が、読売テレビには村山実の長男がそれぞれ入社している)。
- インターネットを利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。また、ホームページ内採用情報(「こちらフジテレビ」)では、在籍社員のコメントも多種多様で充実している。掲載内容ではアナウンサー職や制作職社員のコメントには秀逸なものも見受けられる一方、憧れのフジテレビに入社できたと歓喜のあまり極端に主観的なコメントを述べてしまう社員を掲載してしまうこともある。過去には「面接で放送禁止用語(性器を表現する言葉)を叫んだところ受かってしまった」と豪語した女性技術社員のコメントが掲載されていた。(2003年度採用情報より)
- バラエティ番組では女子アナをタレントのように扱うこともある。(他の民放でも似た傾向があるが、フジテレビはそれが非常に強い)そのことが影響しているのか、以前芸能活動をしていたアナウンサーも多数存在する。
- それらのことから軽薄なイメージが強い社風ではあるが、一方で質の高い番組も多く放送関係の各賞の受賞回数は上位に位置する。(代表的なのはNONFIX、ザ・ノンフィクションなど)
- 軽チャー路線やトレンディードラマなどで軽薄な若者文化を牽引、普及させたのは間違いなくフジテレビであるが、同局の報道番組ではその軽薄な若者文化を否定するような報道を行うことがある。往々にして、精神分裂的報道と揶揄されがちだが、その裏には正論路線を貫こうとする報道部門と、実利を追うドラマ、バラエティー部門との確執がある。営業上は、報道部門はドラマ、バラエティー部門の足元にも及ばず、「喰わせてもらっている」との負い目から、社内での発言力は極めて小さい。
- 技術部門では大卒工学部卒業の女性の採用実績があり、活躍が注目されている。(数名が在籍中)
- 在京キー局中、労働組合の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いともいわれている。
- 2006年頃よりネット上の各種コンテンツ掲載関係内容に関して敏感になってきている。
フジテレビの不祥事・事件・トラブル
- 1992年、風船で太平洋を横断したいという荒唐無稽な妄想を抱くいわゆる「風船おじさん」に資金援助をするかわりに独占的に出発を取材。しかし、「風船おじさん」は太平洋上で行方不明になり、週刊誌や他局のワイドショーの報道は過熱していったが、一転して一切報道しなくなる。
- 1998年11月29日、『スーパーナイト』で取り上げた隣人トラブルについて、片方の言い分だけを鵜呑みにし、相手方へレッテルを張り、一方的に非難した内容で放映した。それにより、非難された側の経営する会社が倒産に追い込まれ、娘の婚約が破談になるなどの報道被害を受け、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)へ救済を訴えた。BRCはフジテレビの報道姿勢に対し、「人権への配慮が不十分で、放送倫理上問題があった」と認定したが、フジテレビが被害者に謝罪することはなかった。
- 1999年11月、役員待遇であった男性アナウンサー(当時)が同局の公金を横領したとの疑惑が浮上した。公金は政界への工作資金と報道され、男性アナは出演していた報道番組を降板した。しかしアナ本人やフジテレビ側は一切事実関係を明らかにせず、男性アナは定年まで勤め上げた後2年間も役員として同局に在籍していた。
- 1999年、美容師の腕を競わせる番組『シザーズリーグ』に出演していた「カリスマ美容師」が無免許であることが発覚した。大物として知られた同番組のプロデューサーは制作会社から制作費のキックバックなどが発覚し、責任をとらされ、退社した。しかし、豪奢な生活から抜けられず、借金がかさんだあげく、金融業者と無免許美容師と美容院を恐喝し、逮捕された。
- 2000年12月24日- アニメ『サザエさん』にて、サンタクロースを題材にした物語を放送したが、サンタクロースは実際は家族の人だったと分かるストーリーだったため、番組を見た視聴者から「子供の夢を壊さないで」などの苦情や抗議がフジテレビに殺到した。
- 2001年2月3日- 男性アナウンサー(当時)が自動車運転中に人身事故を起こし、被害者男性が死亡した。アナウンサーは業務上過失致死傷容疑で逮捕されたが、被害者家族と示談が成立して不起訴処分となる。社内での処分は1年間の謹慎という極めて甘いものでだった。
- 2001年8月1日、スポーツ番組担当のディレクターがカジノバーで遊ぶ金を捻出するためにクレジットカード詐欺を行い、電子計算機使用詐欺の容疑で神奈川県警に逮捕された。
- 2002年10月25日- 『FNN報道特別番組』として北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんの娘とされているキム・ヘギョンの独占インタビューなどを放送した。放送途中からフジテレビやその系列局に「北朝鮮のプロパガンダに乗せられたのでは」などの抗議が殺到したほか、救う会や家族会などが会見し批判した。
- 2003年8月13日-『ワンナイR&R』内の「ジャパネットはかた」というコントで福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)・王貞治監督の顔を模した便器(王シュレット)を販売するというコントを(地元のテレビ西日本(TNC)を含めて)放送、同球団と王貞治本人が激怒し、同球団はフジテレビ系列(TNCを含む)の取材を一切拒否、後日フジテレビは放送上等で謝罪するが、同年の日本シリーズでの放送権を剥奪され、また通信販売業のジャパネットたかたからも「あまりにも良識の範囲を超えている」と抗議された。また8月13日には和光堂の粉ミルク「ぐんぐん」を妊婦に扮した出演者に粉ミルクをかけるというコントを放送。視聴者から「育児に不可欠な粉ミルクを軽率に扱うとは何事だ」などの苦情が殺到し、和光堂から「企業イメージを損ねた」として抗議された。
- 2004年6月、新潟県長岡市にある田中直紀参議院議員の選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中議員と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪をもとめて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。
- 2005年2月8日- フジテレビ人事局(当時)に所属するモーグル選手里谷多英が泥酔して東京六本木のクラブ店内で同伴の男性とみだらな行為に及び、止めに入った店員に暴行を加えたとして警察の取調べを受け一時留置された。後に被害者と和解が成立して、被害者が被害届を取り下げたため、起訴猶予処分になった。フジテレビは5日間の謹慎処分という極めて甘い社内処分を下しただけであった。
- 2005年4月25日にJR福知山線脱線事故が発生したが、他局は全て通常番組を休止して報道特番を組んで放映した。しかし、フジテレビだけは『笑っていいとも!』など通常のお笑い番組を放映し続け顰蹙(ひんしゅく)を買った。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。2006年にフジテレビはこの事故をドラマ化して放映したが、遺族、被害者から強い批判を受けた。
- 2004年にインターネット掲示板「2ちゃんねる」発祥の電車男が話題になり、書籍化された。翌年(2005年)フジテレビでは映画「電車男」を企画・製作(後にテレビドラマも制作・放送)したが、同年6月9日に放送された『めざましテレビ』で軽部真一が「電車男はある意味、フジテレビ映画」と発言し、2ちゃんねるの利用者から大顰蹙を買った。それが原因なのか、映画やドラマでも後になって「2ちゃんねる」の名を出すようになった。
- 2005年10月、有名人気女子アナウンサーを標的にした連れ去り未遂事件、爆破予告事件が起こる。犯人はいずれも逮捕された。
- 2005年11月、バラエティー番組『幸せって何だっけ』内で占い師細木数子が養鶏場で生産される鶏卵について「薬漬けのニワトリが24時間照明を点けられて一日2~3個の卵を産まされている」と発言し、養鶏業者団体から猛抗議を受けた。これを受けフジテレビは後日養鶏業者団体に謝罪し、細木は番組で自ら養鶏業者に出向く事態となった。
- 2005年11月14日、ジャニーズ事務所所属のアイドルグループNEWSの未成年メンバーが仙台市内で泥酔してトラブルを起こし、補導された。その後、フジテレビの看板女子アナウンサー(菊間千乃)が未成年であることを承知の上、仙台市内で補導された少年を酒席に呼び出していたことが発覚。ジャニーズ事務所は少年を無期限謹慎処分としてNEWSメンバーから外し、研修生に降格した。一方、フジテレビは女子アナに1週間の謹慎処分を下した。しかし、そのあまりにも甘い処分に世論だけではなく、国家公安委員会からも批判の声が挙がり、慌てたフジテレビは追加で同女子アナの他、酒席に参加していた同局常務など10名の社員に減給減俸処分を下した。同女子アナはレギュラー番組から降板させたが、同年11月には深夜番組で復帰し、翌年春の番組改編ではゴールデン枠にレギューラー復帰を果たしている。
- 2006年5月4日の『FNNスーパーニュース』内で、中華民国(台湾)の国旗として五星紅旗(中華人民共和国の国旗)を掲載したことから、中華民国政府の駐日代表処を含む、中華民国関係者の抗議を受けた。これに対して、同月8日の放送で一部配慮に欠ける表記があったことを謝罪したものの訂正は行わなかったため、その後も関係者による少規模なデモなど、抗議が続いている[1]。
- 2006年6月5日、同年9月まであった総合格闘技イベントPRIDEを興行するDSEとの放送契約を突然一方的に打ち切った。同時期、週刊現代でDSEと暴力団との癒着を追求する記事が連載されていた。また、関係を取りざたされていた暴力団組長が別件で警視庁に逮捕されていた。
- 2006年6月29日、南北離散家族面会行事を特集した際に、金英男氏の近くにいた韓国政府統一部職員を“元工作員”安明進のコメントを元に「金氏を監視する担当の北側工作員」と“指摘”。韓国政府から申し入れを受け、7月4日のFNNスーパーニュース内で訂正。
- 2006年9月、『めざましテレビ』内のコーナー「めざまし調査隊」でやらせがあったことが発覚した。やらせを行ったフリーのディレクターとの契約は打ち切られ、コーナーは打ち切られた。また、管理責任を問われ情報制作局長を減俸、情報制作センター室長を減給処分とした。
- 2006年10月4日、V6が主演する『Viva Viva V6』の罰ゲームシーンを神奈川県鎌倉市腰越海岸で収録中、フジテレビスタッフが持参したゴミをまき散らし、撮影準備をしているところを住民に見咎められトラブルとなった。
- 2006年4月に放映したドラマ『トップキャスター』の第3話で、「ドラマに登場した『女性占い師』は明らかに自分をモデルにしており、名誉毀損に当たる』と、占い師の細木数子からの抗議を受け、11月に発売したDVDでは第3話をまるまる削除して発売した。
- 2007年1月6日に放送されたバラエティ番組が高校野球を冒とくする内容だとして、日本高校野球連盟は10日、「教育の一環として行われている高校野球の目的から著しく逸脱する番組構成で誠に遺憾」とする抗議文を同局に送付した。また、番組制作に協力した兵庫県西宮市の旅館を甲子園大会時の指定宿舎から外す方針も決めた。
- 番組は6日夜に放送された『めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周健康の旅スペシャル』。SMAPの中居正広とお笑いコンビのナインティナインが、昨夏の甲子園で優勝した早稲田実の宿舎を訪れ、選手が使用した酸素室などを試す内容で、出演者に下劣な行動があったという。83年から東京都代表の宿舎に指定されているこの旅館は、日本高野連や早稲田実に了解を得ていなかった。
- 2007年1月7日に放送された『発掘!あるある大事典II』(関西テレビ制作)では、納豆ダイエットの実験データが捏造されていた。(『発掘!あるある大事典#データ捏造問題』も参照のこと)
- 2007年5月29日、情報制作局副部長が、乗用車を違法駐車したことからレッカー車により撤去された。副部長は撤去された乗用車を受け取りに渋谷区の立体駐車場に行ったところ、理不尽にも自分の犯罪行為を棚に上げ、近くに止まっていたレッカー車のドアを蹴飛ばして破壊した。レッカー車の運転手がこれを見てその場で取り押さえ、副部長は警視庁渋谷署に器物損壊容疑で逮捕された。
- 2007年6月29日、前報道局長が、私的な飲食や遊興の領収書や架空領収書を使い、913万円を不正流用していたことから懲戒解雇された。同年3月末に東京国税局から、実体のない取引や接待を指摘され、社内調査で発覚した。同時に局自体による所得隠しが発覚し、追徴課税された。
- 2007年7月16日10時13分頃新潟県中越沖地震が発生したが、フジテレビではこたえてちょーだい!を生放送中だった。スタジオでも地震の揺れを感じ、テロップが表示されたにもかかわらす、司会の川合俊一はヘラヘラと笑いながら「何か出た? ウチってちゃんと地震伝えなきゃいけないんでしたっけ?」と発言。発言に対する謝罪や訂正は一切なかった。
フジテレビ制作番組
フジテレビ制作の番組については、フジテレビ番組一覧を参照。 制作セクションは編成制作局にあり、第三制作部までに分かれていた。第一制作部(現・ドラマ制作センター、英語ではdivision1→ディビジョン1)はドラマ、バラエティ制作センター(第二制作部)はバラエティ・音楽番組、情報番組センター(元・第三制作部)はドキュメンタリー・情報番組などを作っている(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行、2004年6月に情報番組センターに改称)。また、報道特番についてはFNN系報道特別番組を参照。
ニュース・情報
『FNNニュース』、『FNNスピーク』、『FNNスーパーニュース』、『ニュースJAPAN』などのニュース番組を報道局が制作。『めざましテレビ』、『情報プレゼンター とくダネ!』などの情報番組やワイドショー番組は、情報制作センターが制作している。フジテレビ以外の系列局の映像には、当該系列局名のテロップが入る。(ただし、とくダネ!など一部の番組を除いて、2005年4月以降、当該系列局名のテロップは廃止された。現在は、画面左下に『FNNNEWS』と入り、その横にそのニュースの取材場所などが表示されるようになっている。これは、フジテレビ、それ以外の系列局の取材に関係なく表示される。)
スポーツ
『すぽると!』、『ジャンクSPORTS』、中継番組全般をスポーツ局が制作。又、レーベル表記は「FUJI NETWORK SPORT」を2001年10月より使用(2005年4月より中継番組のみの使用)。
- 1987年以来、F1世界選手権を放送しており、日本グランプリの公式スポンサーでもある。その他、バレーボール・ワールドカップ、世界柔道選手権(2003年・大阪大会以後)もフジテレビ系列の地上波独占中継である。
- FIFAコンフェデレーションズカップなど国際サッカー連盟(FIFA)公認のナショナルチーム同士による国際大会(W杯は除く)は、フジテレビ系列及びTBS系列が共同放送制作している。(2004年アテネオリンピックのバレーボール最終予選もフジ・TBSの共同製作だった)
- かつてはJリーグ中継は清水エスパルスや鹿島アントラーズなどの主催試合を中継していたが、2002年以降はヤマザキナビスコカップ決勝のみの中継となっている。
- 開局の1959年以来、中央競馬の日曜東京・中山及び夏季ローカル開催のメインレース中継を放送している。また、「フジテレビ賞スプリングステークス」の冠スポンサーにもなっている。尚2005年の菊花賞では初めて関西テレビとの共同制作で中継された。(従来の京都・阪神の中継は関西テレビが担当している。)
- 格闘技は前述の世界柔道選手権の独占中継をはじめ、日本大相撲トーナメントの主催・中継を行っている。ボクシング中継ではファイティング原田、輪島功一らの国民的スターを輩出し、現在では「ダイヤモンドグローブ」で月1回の放送を実施している。プロレスでは過去に全日本女子プロレスの中継やWWEの日本語版放送を実施してきた。さらに現在ではK-1やPRIDEの中継放送や格闘技専門番組「SRS」を放送している。しかしPRIDEに関しては、2006年6月にPRIDE主催側に契約違反があったとして、放送の打ち切りを発表している。
バラエティ
バラエティ制作センター(旧・第二制作部、港浩一バラエティ制作センター室長がチーフとなり吉田正樹部長らが所属)が制作している。主に『笑っていいとも!』『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』『めちゃ×2イケてるッ!』など。『ネプリーグ』、『クイズ!ヘキサゴンII』等のクイズ番組や、『ライオンのごきげんよう』等のトーク番組もバラエティ制作センターで制作している。
スポンサー料の安い深夜・早朝枠は、逆に「視聴率を稼がなくても良い」と解釈され、実験的な番組が多数作られた。1987年10月改編で正式に「24時間放送」を開始、「プロ野球ニュース」終了後以降の深夜枠に「JOCX-TV2」という「ゾーンタイトル」を付加、社内組織的にも編成局内に「深夜の編成部」なる深夜編成担当チームが組まれ、ゾーンタイトル独特のタイトルバックがさらに人気を高めた。これらの枠から人気を博した番組に「カノッサの屈辱」「ウゴウゴルーガ」「Flyer TV」がある。
深夜枠のゾーンタイトルでは「TV2」以降、「JOCX-TV PLUS」「JOCX-TV GARDEN」「MIDNIGET TV PLUS」「JUNGLE」「音楽美学」など、深夜枠内共通のゾーンジングルが1990年代後半まで付加されたが、編成方針の変更により「深夜の編成部」が廃止され、「ゾーンタイトル」など「深夜枠」という特定のカテゴリー自体もこれをもって廃止された。
音楽
バラエティ同様、バラエティ制作センターが担当。『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』『新堂本兄弟』『MUSIC FAIR21』などはきくち伸プロデューサー率いる音組が担当している。フジテレビの音楽番組の中でも、もっとも質の高い音楽番組は、30年以上の歴史を誇るミュージックフェアである、(石田弘エグゼクティブプロデューサー役員待遇)が長く担当し、提供にシオノギ製薬で長寿番組として現在もミュージックフェア21として放送されている。
ドラマ
ドラマ制作センター(旧・第一制作部)が制作している。 現在、ドラマを放送している時間帯(以下JST)は月曜午後9時(月9)、火曜午後9時、木曜午後10時、土曜午後11時(2007年4月から)の4枠。
アニメ
日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を放送し、『ゲゲゲの鬼太郎』『世界名作劇場』『科学忍者隊ガッチャマン』『ドラゴンボール』シリーズや週刊少年ジャンプの漫画原作作品など人気アニメ番組を数多く放送するなど、かつてフジテレビは民放一のアニメ局であった。現在でもアニメ番組では視聴率トップクラスの『サザエさん』を、日曜午前9時台には数多くの人気作品を放送している。
しかし、1997年以降、『世界名作劇場』の終了や、テレビ東京でのアニメ番組の増加、少子化などで次第に地位が低下し、2001年には平日枠(深夜枠以外)のアニメ番組が消滅した。このはるか前、1980年代まではタツノコプロとの関係が深かったが、1983年の「イタダキマン」の不振がきっかけとなって絶縁し(最後の作品は1985年の「炎のアルペンローゼ」)今日に至っている。2004年には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が終了、『ONE PIECE』も2006年10月より日曜日午前9時半からの放送になった事により、ゴールデンタイム枠のアニメ番組は消滅した。
2002年~2003年にかけて番組数が比較的多かったが、当時地上デジタルテレビ放送の準備による放送機器メンテナンスが相次ぎ放送スケジュールが不安定になり、それに伴う地上波放送の打ち切り・枠廃止も相次いだことから視聴者や制作会社から不満の声が高まり、その影響で関東地区では独立U局でのネットに切り替える作品が相次ぎ(その名残で、現在も関西・中京圏では従来通り系列局の関西テレビおよび東海テレビでの放映作品枠が1本ある)、2004年10月にすべての枠が一旦廃止となった(深夜アニメの項を参照)。
しかし、2005年4月14日から『ノイタミナ』枠でスタートした『ハチミツとクローバー』(木曜深夜0:35~)で復活することになったが、『蟲師』がまたもシリーズ途中で地上波放送では打ち切りになるなど、依然として他局と比べても異常に不安定な放映状況を解消出来ていない。2007年1月現在は『ノイタミナ』枠のほかは土曜深夜に1本(『月面兎兵器ミーナ』)放映しているのみである。
子供向け番組
関連会社のフジテレビKIDSが『ポンキッキ』などを制作している。2007年3月に『ポンキッキ』が終了し、地上波でのレギュラー子供向け番組は消滅している。
その他
毎年恒例の『FNS27時間テレビ』を始め、『FNSドキュメンタリー大賞』『FNSソフト工場』といったコンテンツをFNS各局が総力を挙げて制作。単発でバラエティー、ドキュメンタリー、スポーツ、ドラマ、映画などを放送。ミニ番組についてはミニ番組一覧#フジテレビを参照。
スタジオ
臨海副都心
台場・フジテレビ本社ビル
- V1スタジオ(3階 100坪)- ワイドショー等の情報系番組用スタジオ。『情報プレゼンター とくダネ!』『ハッケン!!』などで使用。
- V2スタジオ(3階 150坪)- 大型多目的スタジオ。『郁恵・井森のデリ×デリキッチン!』『週刊人物ライブ スタ☆メン』などで使用。
- V3スタジオ(3階 120坪)- 大型多目的スタジオ。『ライオンのごきげんよう』『とんねるずのみなさんのおかげでした』などで使用。
- V4スタジオ(3階 300坪)- 大型多目的スタジオ。国内最大級の広さを誇る。主に『FNSの日』等スペシャル番組などで使用される。
- V5スタジオ(3階 210坪)- 大型多目的スタジオ。『クイズ$ミリオネア』『めちゃ²イケてるッ!』『メントレG』などで使用。
- V6スタジオ(6階 100坪)- 情報系番組用スタジオ。『報道2001』などで使用。
- V7スタジオ(6階 70坪) - 主にBSフジの番組で使用。
- V8スタジオ(メディアタワー9階 90坪) - スポーツニュース専用スタジオ。『すぽると!』などで使用。
- V9スタジオ(メディアタワー12階 100坪)- ニュース専用スタジオ。緊急報道番組の際には可動壁を取り除いて、報道センターと一体化させることができる。定時ニュース・臨時ニュース・『めざましテレビ』『FNNスーパーニュース』『ニュースJAPAN』などで使用。
- V10スタジオ(メディアタワー14階 17坪)- 『めざにゅー』などで使用。
スタジオ内にあるテレビカメラは、全てハイビジョン対応(1997年3月10日の運用開始当初から)。しかし、サブ周りの機器は一部河田町からの移設やSD対応機材だったため、その「HD非対応」スタジオについては段階的にHD対応に移行させている。
- (新設第1スタジオ)
- (新設第2スタジオ)
- (新設第3スタジオ)
- (新設第4スタジオ)
- (新設第5スタジオ)
- (新設第6スタジオ)
- (新設第7スタジオ)
- (新設第8スタジオ)
- 現在、都内に分散している番組収録スタジオ(渋谷ビデオスタジオ、フジテレビ砧スタジオ〔TMC〕等)を統合・集約する事により、作業効率・費用効率の向上、企画から収録・編集までの一貫したコンテンツ制作体勢の構築を目的とした「臨海副都心スタジオ(仮称)」を、子会社のニッポン放送と共同で建設中、2007年7月から一部供用、同年9月に全面供用開始を目指している。敷地面積19400m² 、延床面積71000m² 、総工費580億円。
- テレビスタジオは8ステージ・HDフルデジタルシステムを導入し、スタジオ床面積は5459m²で、一部のスタジオは、自社のV4スタジオやNHK放送センターの101スタジオを凌ぐ日本最大級の広さとなる予定で、台場本社とは光ゲーブル等で大容量のの双方向回線で結ばる。 また台場本社と異なり、展示ギャラリー・ショップ等がある1階の公開エリア以外は、一般人の立ち入りが完全に規制できる事から、今後大規模番組等の収録の中心はこちらに移るものと思われる。
- 屋上緑化や壁面を二重構造にするなどして従来のスタジオよりもエネルギー消費量を約2割削減して省エネルギー化をはかり、また敷地内に1万本以上の樹木を植樹するなどして環境に配慮した設計になっている。
- FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!のクイズ!ヘキサゴンII クイズパレード!!27時間スペシャルで初めて臨海副都心スタジオが使用された。また、番組中、同スタジオの名前はまだ決定ししてないため「フジテレビ新スタジオ」としている。
その他
- フジテレビ砧スタジオ(世田谷区砧 東京メディアシティ(TMC)内)
- A1スタジオ(HD/SD、200坪)
- SMAP×SMAP(※水・木曜日収録)、HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP(※隔週日曜日収録)、新堂本兄弟(最終火曜日収録)、はねるのトびら(※土曜日収録)、ブログタイプなどで使用。
- A2スタジオ(200坪)
- SMAP×SMAP(※水・木曜日収録)などで使用。
- A1スタジオ(HD/SD、200坪)
- スタジオドリームメーカー(SDM)(港区台場メディアージュ内)
- F2-X、公開番組、イベントなどで使用。位置的にはフジテレビ本社ビルの北側に隣接する。
- スタジオアルタ(新宿区)
- 大手町取材センター(千代田区大手町)
- 台場に本社がある関係でアクセスが良くない大手町周辺の取材拠点として、東京サンケイビル・産経新聞本社内に設置している。経済系ニュースの取材拠点。簡易スタジオがあるほか、アナウンサーが常駐している。
- 国会記者会館(千代田区永田町)
- 政治ニュースの取材拠点であり、会館の周辺には首相官邸などの重要施設が集中している。オフィス内に簡易スタジオ設備と専用の中継回線があり、必要があればいつでも放送が行えるようになっている。
- 東証アローズ(中央区日本橋兜町東京証券取引所 東証アローズ・メディアセンター内)
- 経済ニュースの拠点の一つ。東証アローズの一角にあるメディアセンター内に設けられたミニスタジオ。市場を管理しているマーケットセンターのグラスシリンダー部全体が見渡せるようになっている。
- 新宿支局(フジテレビ第一別館)(新宿区市谷仲之町)
- 本社が台場という埋立地に有る事によるアクセスの特殊性を考慮し、旧本社敷地付近にある第一別館に報道の取材拠点を設置。常設の簡易スタジオがある他、中継車も常駐している。尚、こちらの建物は河田町本社時代のものをそのまま使用しており、通り沿いにある看板も「フジテレビ第一別館」のままである。
情報カメラ設置ポイント
- 東京都 ・・・お台場(本社屋上)[HD]、新宿(スタジオアルタ)、天王洲、築地(聖路加ガーデン)、丸の内[HD]、東京駅(東京駅周辺のビルより)、羽田空港第1・第2ターミナル
- 神奈川県 ・・・横浜(クロスゲートビル)、江の島、小田原
- 千葉県 ・・・成田空港
キャッチフレーズ
- 明るい家庭に楽しいテレビ(1959年開局時)
- 母と子どものフジテレビ(1960年頃)
- 青春は8ビート燃える秋のフジテレビ(1979年秋)
- テレビカルサマー8チャンネル(1981年夏季のみ)
- 軽チャーっぽい。春の8チャンネル(1984年春)
- スーパーTV宣言(1987年)
- お世話になったあの人に、フジテレビ。(1987年末)
- 不意のお客様に、フジテレビ。(1988年1月)
- フジテレビばかり見てると、ウマになるよ。(1988年夏)
- 4月からのフジテレビに気をつけよう。(1989年春改編)
- なんか、変化。(1989年後期)
- ゆく変化、くる変化。(1989年末)
- 変化新年。(1990年1月)
- それ、世の中動かしてみませんか(1990年前期)
- フジテレビがLOVEと言い始めた(1990年後期)
- 新しいルールとご一緒しませんか(1991年)
- みんなそろそろホントのことを(1992年前期)
- 「哲学」(1992年後期)
- サービスとは何でしょうか?(1993年)
- テレビって…(1994年前期)
- PUSH(1994年後期)
- フジテレビが、いるよ。(1995年)
- 歌えフジテレビの歌(1996年)
- お台場ちゃんねるフジテレビ(1997年)
- また、お会いしましたね(1997年)
- マジ?フジ(1999年)
- フジテレビギン(2000年)
- ガッチャ!フジテレビ(2001年)
- きっかけは、フジテレビ(2002年~2005年・尚、「きっかけは、~」は、現在系列局の北海道文化放送で使われている。)
- ちょっぴりハッピー=ちょぴハピ きっかけは、フジテレビ(2006年)
- HAVE YOUR MEASURE きっかけは、フジテレビ(2007年)
コーポレート・スローガン
- 母と子のフジテレビ(~1980年)
- 楽しくなければテレビじゃない(1981年~)
- 夢・を・つ・く・る(1986年~)
テレビの時刻出し
- 放送開始時~9:55(日曜は~9:30)
- かつて土曜日は11:24まで、日曜日は9:57(一時期10:00)まで時刻出しを行っていた事があった他、2004年4月~6月には9:57以降のCM中及び提供クレジット時を除き「笑っていいとも!増刊号」終了5秒前(11:42:25)まで時刻出しを行っていた事もあった。また、1995年前後には平日14・15時台にも表示を行っていた(「ビッグトゥディ」放送時、但し提供クレジットとCM中は除く)。さらに1992年7月19日のFNSの日内では(5:58頃~)10:01過ぎまで表示していた他、かつては放送終了後のフィラーからの表示や2002年10月26日~2003年3月22日の土曜深夜に放送された深夜戦隊ガリンペロでも独自のフォントで表示があった。
- 最近では2007年2月5日から3月30日まで「こたえてちょーだい!」(放送終了、現在は「わかってちょーだい!」)で手前の番組「情報プレゼンター とくダネ!」から引き続き10:50過ぎまで時刻表示があった(9:55以降はCM時表示オフ)。
- なお、旧社屋時代には1995年11月から1996年10月頃までフィラーや午前の番組で一時期興和フォントが使用されていた事があった。
テレビ放送以外
映画事業局
フジテレビは、テレビ局であると同時に日本最大級の映画制作集団であり、映画事業局が映画製作とテレビでの映画放送を行っている。
映画事業局は、劇場用映画を制作する「映画制作部」と、『プレミアムステージ』などテレビ等で放送する映画放映権の獲得交渉・宣伝を行う「映画調整部」の2セクションに分かれる。規模で言えば既存の映画制作会社を凌ぎ日本でも最大級である。制作する映画のほとんどは映画制作部が主体となる。映画事業局は同局々長である亀山千広を中心に関口大輔や臼井裕詞などの映画プロデューサーが所属。彼らが中心となり企画から制作、配給契約、宣伝、DVD化、テレビ放送、海外セールスまでを同局が一括して管理する。
現在、フジテレビは同局が中心となり株式会社GDH(アニメーション製作会社であるGONZOの持ち株会社)の株を第三者割当により10%取得して資本関係を結び、アニメ映画の共同製作(第一作は宮部みゆき原作、2006年夏公開予定の『ブレイブ・ストーリー』)を行うとする一方、『攻殻機動隊』シリーズで世界的な名声を誇るアニメーション及びCG制作スタジオProduction I.Gと共同で、有限責任事業組合フジ・IG・ラボ・フォー・ムービーズ(FILM)を設立、同組合専用のデジタルスタジオ「FILM」を立ち上げ同スタジオと、米国の音楽制作プロダクションスカイウォーカー・サウンドのスタジオ間に専用の大容量ネットワーク回線を敷設し、日米で同時並行作業が可能な体制を整える など、劇場用実写・アニメーション映画の制作力向上に対して積極的な姿勢を取っている。
フジテレビ制作映画
- 1983年
- 1985年
- 1986年
- 1987年
- 私をスキーに連れてって
- スケバン刑事(東映と共同)
- 1988年
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 水の旅人 侍KIDS
- 新宿鮫
- 1994年
- 1995年
- ぼくたちの映画シリーズ
- Love Letter(中山美穂)
- 鬼平犯科帳劇場版
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- レイクサイド マーダーケース
- ローレライ
- 電車男
- 星になった少年
- THE ODORU LEGEND CONTINUES 交渉人 真下正義(ユースケ・サンタマリア)
- THE ODORU LEGEND CONTINUES 容疑者 室井慎次(柳葉敏郎)
- 春の雪
- 2006年
- これらの他に、こちら葛飾区亀有公園前派出所やワンピース等のアニメ作品の映画化版もある。
事業部
イベント
イベントは事業部が主催している。
総合イベント
- 国際スポーツフェア(1984年~1992年、毎年4月29日~5月5日、国立代々木競技場)
- 夢工場(1987年~1988年、晴海見本市会場・河田町駐車場ほか)
- LIVE UFO(1993年~1995年、毎年4月~5月、国立代々木競技場とその周辺)
- LIVE WORKS(1996年4月27日~5月6日、国立代々木競技場、渋谷ほか)
- お台場Do Donpa!(1997年7月19日~8月8日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- KISS ME ODAIBA(1997年~2004年、12月~1月、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- P-KIESワンダーランド(1998年7月18日~8月31日、お台場フジテレビ本社とその周辺)
- BANG×PARK(1999年7月20日~8月29日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- お台場どっと混む!~o-daiba.com~(2000年7月20日~9月3日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- お台場どっと混む!(2001年7月20日~9月2日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- お台場どっと混む!(2002年7月21日~9月1日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- お台場冒険王(2003年7月20日~8月31日、2005年、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- Adventure Kingお台場冒険王2004 ~レインボーブリッジは封鎖するな!~(2004年7月17日~9月5日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- 東京国際コメディフェスティバル(2003年4月~5月、2004年4月~5月)
- HOT FANTASY☆ODAIBA(2003年12月~2004年1月、2004年12月10日~2005年1月3日、2005年12月10日~2006年1月9日、お台場フジテレビ本社)
- お台場学園~文化祭~(2005年4月29日~2005年5月8日、お台場フジテレビ本社)
シルク・ドゥ・ソレイユ日本公演
(東京・原宿ビッグトップをはじめ、横浜・名古屋・大阪・福岡の各都市で開催)
※今後の国内公演に関しては、オリエンタルランド(OLC)がシルク・ドゥ・ソレイユ社、ディズニーと提携し千葉県浦安市の東京ディズニーリゾート内に専用常設劇場を建設、OLCシアトリカル事業部が興行の運営業務も受託するため、今度もフジテレビが主催しての公演を行うかどうかは不明である。
オープニング
- 初代:富士山(1959.3.1(開局)~1966.3、カラー化:1966.4~1978.3、BGMはドビュッシーの「夢」)
- 二代目:愛のメッセージ(1978.4~1981.3)
- 三代目:I・愛・eye(1981.4~1986.3)
- 四代目:目玉マーク紹介 - ナレーション:逸見政孝(故人)(1986.4~1986.9)
- 五代目:目玉タウン(1986.10~2001.9)本編前のナレーションは、目玉タウンを参照。BGMの作曲は有澤孝紀。
- ※但し、新社屋での放送開始初日は別のものに差し替え(ナレーション担当のアナウンサーは当時のもの)
- 六代目:未来のお台場バージョン - ナレーション:近藤雄介(2001.10~2003.11)
- 七代目:未来のお台場バージョン・その2 - ナレーション:向坂樹興(2003.12~)
クロージング
- 初代:局舎~宇宙(1959.3.1開局~1966.3、カラー化:1966.4~1978.3)
- 二代目:愛のメッセージ(1978.4~1981.3)※クロージングでは83~4年まで流された
- 三代目:I・愛・eye(1979.4~1986.3)
- 四代目:目玉マーク紹介 - ナレーション:逸見政孝(故人)(1986.4~1987.3)
- 五代目:目玉タウン(1987.4~2001.9)本編前のナレーションは、目玉タウンを参照。
- ※但し、新社屋での放送開始前日は開局から河田町社屋移転までの歴史をプレイバックする2分間の特別版に差し替え(ナレーション担当のアナウンサーは当時のもの)
- 六代目:未来のお台場(オープニングと同じフルバージョンまたはラスト5秒のみのいずれか) - ナレーション:近藤雄介→向坂樹興(2001.10~)放送機器点検などのときはクロージングの前または後に55秒間告知のフリップがアナウンスやBGM無しで流される。
メンテナンスの日は未来のお台場ラスト5秒のみが流れる。
備考
2001年10月まではオープニング&クロージング映像(以下、放送開始/終了映像)の前に局名・呼出符号・周波数・出力(空中線電力)の読み上げ(副音声では音声多重放送の呼出符号「JOCX-TAM」・音声周波数・音声出力を読み上げ)があったが、2001年10月から放送開始/終了映像に局名・呼出符号・周波数・出力(空中線電力)が表示されるのみとなった。
また、2003年12月からの放送開始/終了映像では、呼出符号と局名(しかも、通称の「フジテレビ」だけ)の表示となった。一方、デジタル放送は正式な呼出名称の「フジデジタルテレビジョン」で表示・アナウンスされる。
数字は入社年。また、2006年4月3日付けを持ってニッポン放送の親会社・ニッポン放送ホールディングスがフジテレビと吸収合併したため、ニッポン放送から移籍したアナウンサーもいる。 Template:Ana
男性
- 須田哲夫(1971年)◇堺正幸(1975年)◇福井謙二(1976年)◇向坂樹興(1982年)◇牧原俊幸(1983年)◇川端健嗣(1984年)◇軽部真一、三宅正治(1985年)◇笠井信輔、塩原恒夫(1987年)◇青嶋達也(1988年)◇境鶴丸、野島卓(1989年)◇長坂哲夫、吉田伸男(1990年)◇福原直英(1992年)◇奥寺健(1993年)◇佐野瑞樹(1994年)◇伊藤利尋、森昭一郎(1995年)◇竹下陽平(1996年)◇西岡孝洋(1998年)◇長谷川豊(1999年)◇森下知哉、渡辺和洋(2001年)◇田中大貴(2003年)◇倉田大誠(2004年)◇田淵裕章(2005年)◇小穴浩司(2006年)◇中村光宏(2007年)
女性
- 益田由美(1977年)◇松尾紀子(1983年)◇吉崎典子(1984年)◇阿部知代(1986年)◇佐藤里佳、木幡美子、田代尚子(1989年)◇西山喜久恵(1992年)◇武田祐子(1994年)◇高木広子、菊間千乃(1995年)◇佐々木恭子、藤村さおり(1996年)◇春日由実(1997年)◇島田彩夏(1998年)◇政井マヤ、梅津弥英子(2000年)◇森本さやか、高島彩(2001年)◇中野美奈子、中村仁美(2002年)◇石本沙織、戸部洋子、長野翼(2003年)◇高橋真麻、斉藤舞子(2004年)◇遠藤玲子、平井理央、宮瀬茉祐子(2005年)◇本田朋子、松尾翠、秋元優里(2006年)◇大島由香里、生野陽子(2007年)
ニッポン放送から転籍したアナウンサー
共同テレビ所属の専属契約アナウンサー
歴代アナウンサー
異動したアナウンサー
- 男性
- 岡田浩揮(報道局)
- 小泉陽一(報道局・現パリ支局長)
- 浪久圭司(BSフジ代表取締役社長)
- 野崎昌一(広報局広報部長)
- 智田裕一(報道局)
- 横井克裕(総務局副部長)
- 八馬淳也(営業局)
- 増田明男(解説委員)
- 吉沢孝明(営業局・現名古屋支社長)
- 陣内誠(番組審議室)
- 近藤雄介(視聴者総合センター)
- 桜井堅一朗(スポーツ局)
- 渡邉卓哉(人事局)
- 女性
退社したアナウンサー
- 男性
- 逸見政孝(故人、司会者)
- 今井彬
- 岩佐徹(WOWOWアナウンサー→現フリーアナウンサー)
- 大川和彦
- 大林宏(解説委員)
- 角谷優
- 露木茂(フリーキャスター、東京国際大学教授)
- 鳥居滋夫(『プロ野球ニュース』幻の初代キャスター。“幻”としたのは、局側が公式には1976年放送開始、且初代キャスターは佐々木信也としている為。)
- 永島信道
- 能村庸一
- 野間脩平
- 松倉悦郎
- 盛山毅
- 山田祐嗣(ニッポン放送から移籍)
- 山中秀樹(フリーアナウンサー)
- 女性
- 相川梨絵(共同テレビジョンから出向、現在フリーアナウンサー)
- 荒瀬詩織(横浜ベイスターズ・石井琢朗選手夫人)
- 有賀さつき(元タレント)
- 石毛恭子
- 石野紀代子(現姓・佐々木)
- 岩瀬惠子(タレント)
- 海野まり子
- 永麻理
- 宇田麻衣子
- 内田恭子(フリーアナウンサー)
- 大坪千夏
- 大野かおり
- 大橋マキ(タレント)
- 織田恵美子
- 木佐彩子(東京ヤクルトスワローズ・石井一久夫人)
- 小出美奈(メリルリンチ日本証券勤務)
- 河野景子(現:花田景子)(貴乃花親方夫人、元タレント)
- 小島奈津子(タレント)
- 小玉美意子
- 小林節子
- 近藤サト(タレント)
- 酒井ゆきえ(タレント)
- 桜井郁子
- 城ヶ崎祐子
- 関戸めぐみ(共同テレビジョンから出向、現在リポーター)
- 田丸美寿々(フリーキャスター)
- 千野志麻
- 寺田理恵子
- 土井尚子
- 富永美樹(まこと夫人)
- 豊原ミツ子
- 中井美穂(タレント、東京ヤクルトスワローズ・古田敦也夫人)
- 中野安子
- 長野智子(レポーター、フリーキャスター)
- 中村江里子(タレント)
- 中村奈緒美(現:牛尾奈緒美)(明治大学助教授)
- 中村洋子
- 濱田典子(福原直英アナウンサー夫人)
- 平松あゆみ(フリーキャスター)
- 深澤里奈
- 福元英恵(東北楽天ゴールデンイーグルス・福盛和男夫人)
- 本間淳子
- 松井みどり
- 松田朋恵(野崎昌一元アナウンサー夫人)
- 三上彩子
- 八木亜希子(タレント)
- 山村美智子
- 頼近美津子
- 渡辺直子
アナウンサー以外の出身者
- 王東順(通信販売会社社長)
- 小田多恵子
- 五社英雄(故人)(映画監督)
- 坂井義則(東京オリンピック聖火リレー最終ランナー)
- 沢雄二(公明党参議院議員)
- 妹尾河童(舞台美術家)
- 俵孝太郎(政治評論家)
- 長島一由(前逗子市長、ブルッキングス研究所客員研究員)
- 山川千秋(故人)(在籍中に死去。ニュースキャスター、報道記者)
- 横澤彪(元吉本興業取締役、現吉本興業相談役)
- すぎやまこういち(作曲家)
アナウンサー以外の在籍者
- 坂井義則(元陸上選手、東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた)
- 岡田寿也(シンガーソングライター)
- かまやつ太郎(シンガーソングライター)
- 里谷多英(スキー選手・長野オリンピック金メダリスト)
- ディレクター・プロデューサーについてはそれぞれフジテレビプロデューサー一覧、フジテレビディレクター一覧を参照。
- 山懸慎司(3代目いいとも青年隊のスタッフ隊)
- 吉田正樹(3代目いいとも青年隊のスタッフ隊)
- 亀山千広(映画事業局長、ドラマ・映画プロデューサー・踊る大捜査線シリーズ エグゼクティブ・プロデューサー)
主なスタジオ技術系協力会社
グループ会社・事業組合
フジサンケイグループ各社に関しては『フジサンケイグループ』の項目を参照。ここでは、フジサンケイグループに属さないものを挙げる。
持分法適用関連会社
持分法非適用関連会社
- 株式会社トレソーラ
- 株式会社ム・ーハ
- 株式会社ヤクルト球団(株式会社ヤクルト本社の連結子会社) - 東京ヤクルトスワローズ
ほか
事業組合等
- 有限責任事業組合 フジ・IG・ラボ・フォー・ムービーズ(FILM。プロダクションIGとの合弁事業で専用の「FILMスタジオ」にて実写・アニメ映画やDVDの製作を行う)
ほか
グループ外企業への出資状況
下記を含む160を超える企業に出資している。
上場会社
- 株式会社スカイパーフェクト・コミュニケーションズ (12.48%) 2005年3月31日現在
- 株式会社ヤクルト本社 (3.69%) 2005年3月31日現在
- 株式会社WOWOW (9.94%) 2005年3月31日現在
- 株式会社インデックス・ホールディングス (3.91%) 2005年8月31日現在 (2005年12月28日に行われる増資の後は3.64%)
- 東映アニメーション株式会社 (7.14%) 2005年3月31日現在
- 株式会社GDH (7.16%) 2005年3月31日現在
非上場会社
- 株式会社横浜スタジアム (5.74%) 2005年1月31日現在
- 株式会社エフエム九州 (5.60%) 2005年3月31日現在
- 株式会社ZIP-FM (4.30%) 2005年3月31日現在
- 株式会社エフエム長崎 (4.00%) 2005年3月31日現在
- 株式会社ティー・ヴィー・キュー九州放送 (4.90%) 2005年3月31日現在
- 株式会社チューリップテレビ (4.00%) 2005年3月31日現在
- 株式会社テレビ北海道 (3.0%) 2005年3月31日現在
- 株式会社あいテレビ (3.00%) 2005年3月31日現在
この外、株式会社京都放送などに出資している。
系列局
系列放送局各社に関しては「FNN」及び「FNS」の項目を参照。
関連衛星放送
- BSフジ
- フジテレビCS事業部(フジテレビ721&739・ディノスチャンネル 直営)
- 日本映画衛星放送(日本映画専門チャンネル・時代劇専門チャンネル)
- J SPORTS(ESPN、1、2、Plus 東京放送も資本参加)
- CS衛星放送はスカイパーフェクTV!の合併前の母体の一つ「JスカイB」経営に出資していた(大株主の一)という事情もあり、CX直営の他に資本参加している放送会社もある
主要株主
2007年3月31日現在
- 東宝株式会社 (7.96%)
- 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) (5.09%)
- 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) (4.55%)
- ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー 505025 (3.64%)
- 株式会社文化放送 (3.38%)
- 株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ (3.34%)
- ゴールドマン・サックス・インターナショナル(2.45%)
- 関西テレビ放送株式会社 (2.36%)
- 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(退職給付信託口・株式会社電通口) (2.02%)
- エイチエスビーシー バンク ピーエルシークライアンツ ノンタックス トリニティ (1.99%)
関連項目
- スタジオドリームメーカー
- フジテレビ青森支局(青森県内の報道取材のため設置している。)
- フジテレビ山形支局(山形テレビのネットチェンジにより、さくらんぼテレビジョン開局までのつなぎとして開設。)
- フジテレビ高知支局(高知県内の報道取材のため設置していたが、高知さんさんテレビの開局に伴いこの支局は閉鎖された。)
- リアリー?マドリッド(アナウンサーによるフットサルチーム)
- 愛のメッセージ(かつてのイメージソング)
- 東京新聞ニュース(スタジオ収録のみ)
- POP STOCK(江東区有明・東京ビッグサイト内のライブスペース。1996年のみ運営)
- フジテレビサンデードラマチックモーニング(フジテレビ提供の文化放送のラジオ番組※2004年10月~2005年4月に毎週日曜日に放送、終了)
- とことん笑顔!きっかけ先生(フジテレビ提供のニッポン放送のラジオ番組※2004年4月~2004年10月に毎週金曜日に放送、終了)
- 着ラジ(フジテレビ1社提供のコーナーあり、終了)
- フジテレビ20ミニッツ(冠スポンサーのラジオ番組)
- ラヴシーン(アナウンサーによる朗読劇)
- 野村克也(楽天監督、元ヤクルト・阪神監督)
- ニッポン放送の経営権問題
- ラヂオプレス(河田町時代の局内に事務所を構えていた)
放送区域外のケーブルテレビ再送信局
- 山梨県
- 日本ネットワークサービス
- 山梨CATV
- 河口湖有線テレビ放送
- ほか県内ほぼすべてのケーブルテレビ会社
- 長野県
- 県内のほとんどのCATV局
- 静岡県
- 県東部・伊豆地方のCATV局
外部リンク
参考文献
- 『SD別冊29号 フジテレビ本社ビルの記録』 鹿島出版会、1996年。