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「都市」の版間の差分

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{{参照方法|date=2020年11月}}
'''都市'''(とし、{{Lang-en-short|city}})とは、[[人口]]の集中した地域で、政治・経済・文化の中心になっている大きな "まち" <ref name="seisen">『精選版 日本国語大辞典』【都市】</ref>。多くの人口集団をもっており、家屋などの[[建築物|建造物]]が密集し、住民の生産がおもに[[第二次産業]]や[[第三次産業]]に依存して発達した集落{{Efn|この「集落」とは、通俗的な意味での「集落」ではなく、より学術的な意味合いでの「集落」である。つまり住宅の集まっている地域全般を指すための用語であり、数十万人や数百万人が住んでいても「集落」である。}}<ref name="Britannica">『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』【都市】</ref>。


[[ファイル:Shibuya Scramble Square SHIBUYA SKY (52506274200).jpg|サムネイル|[[渋谷駅]]と[[スクランブル交差点]](日本・東京)]]
「[[村落]]」と対比される用語・概念である<ref name="Britannica" />。
'''都市'''(とし)は、人間の居住形態の一様式である。[[村落]]と対比する概念であり、一般には、人口が集中し、商工業やサービス業といった第二次・第三次産業が発達した、周辺地域の中心地となる地域をこのように呼ぶ。都市を村落と峻別するための方法論は多数存在するが、その指標や閾値はさまざまである。また、都市の領域および構造、外部との連関を説明するための理論も、さまざまに構築されている。


人類文明における都市の起源は[[紀元前4千年紀]]の西アジアにあると考えられており、以後、古代から近世にかけて世界各地で発展していった。[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけては特に西洋世界で都市人口が急増し、近代都市計画の概念がうまれた。都市化は世界的に進みつつあり、[[国際連合]]は2014年に世界人口のおよそ半分が都市に居住していると発表した。都市は一般に、地方政府の管轄として統治される。都市行政は基礎インフラや公共サービスを提供し、都市計画や財政運営を行う。現代都市においては企業の役割が増大していることが指摘されている。都市には経済機能が集積し、文化の中心地としても機能する。都市はさまざまな文芸・絵画・映画作品のモチーフとなってきた。
==概要==
都市を規定するのに、人口の数を基礎とすることは昔から行われてはいるが、そのやり方は国によって異なっており、必ずしも基準が決まっているわけではない<ref name="Britannica" />。


== 語源 ==
;都市の測定と指標
都市をはかる[[指標]]はいくつもある。


=== 都市 ===
たとえば都市の[[人口]]規模を表す指標だけでもいくつもあり、「自治体(行政的区分)の人口」、[[人口集中地区]](DID)の人口、「都市圏の人口」など、さまざまな指標がつかわれる。
[[ファイル:『漢語字類』都市項.jpg|サムネイル|『漢語字類』より「都市」の項。日本の辞書に「都市」の語があらわれる最初期の例。]]
:(※)なお「都市の人口」といっても、[[先進国]]の大都市では職住分離が進んでいる場合が多く、中心自治体の範囲と都市機能に主に携わる人々の居住地の範囲が必ずしも一致していないことが多い(たとえば[[千代田区]]の[[昼間人口]]は約85万人なのに対し、[[常駐人口|夜間人口]]は約4万4000人しかいない)。
『[[大漢和辞典]]』によれば、漢語の「都市」は「商賈のあつまるところ。城市、又はまち、みやこ」の意味であり、『[[漢書]]』などに用例がある{{Sfn|大漢和辞典|1990}}。とはいえ、日本語においてこの語が用いられることは稀であり、漢語としては「都邑」「都城」「京師」といった語が一般的なものとして用いられていた{{Sfn|望月ほか|1994}}。『[[日本国語大辞典]]』は、日本語における「都市」の初出として、1868年の『[[布令字弁]]』を挙げている<ref>{{Cite kotobank|word=都市|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典|access-date=2024-12-03}}</ref>。同書は、文明開化期の漢語の流行を背景に刊行された、明治政府の布告にふくまれる難読語を解説することを目的とした漢語辞書である{{Sfn|松井|1977}}。また、翌年の『[[漢語字類]]』にも「都市」が掲載される。[[国語辞典]]では1878年の『[[明治伊呂波節用大全]]』が初出とみられる。この語は明治30年代には専門図書類で定着するようになり、1918年ごろより、[[都市計画法]]に関する議論を背景として新聞類でも一般に用いられるようになった{{Sfn|望月ほか|1994}}。


=== city ===
[[経済]]に関するさまざまな統計値も用いられる。
英語の city は、[[古フランス語]]で「都市」をあらわす cite([[フランス語|現代フランス語]]: cité)を語源とするものであり、さらにはラテン語の civitas(キーウィタース)にさかのぼることのできるものである。この言葉は元来は「市民権」「市民としての条件や権利」「共同体の一員であること」といった意味であり、のちに「市民の共同体」を意味するようになった<ref name=":1">{{Cite web |title=city {{!}} Etymology of city by etymonline |url=https://www.etymonline.com/word/city |website=www.etymonline.com |access-date=2024-12-02 |language=en}}</ref>。[[カロリング朝]]時代には司教座の存在するようなローマ都市についてもこのように呼ぶようになり、堅固な城壁を有する大都市も同様にこう言い表すようになった<ref>{{Cite kotobank|word=キウィタス|encyclopedia=改訂新版 世界大百科事典|author=世良晃志郎|author-link=世良晃志郎|access-date=2024-12-03}}</ref>。[[中英語]]においても同様に、首都や司教座の存在する都市をこう呼び、のちに都市一般を意味する言葉となった<ref name=":1" />。


== 定義と特徴 ==
経済力が端的に現れると見られる[[中心業務地区]](CBD)(や[[都心]])の大きさ(面積)を指標にする場合も稀にある。
都市は[[村落]]と対比される、人間の居住形態の一様式であるが、このふたつを明瞭に区別することは困難である<ref name=":0">{{Cite kotobank|word=都市|encyclopedia=日本大百科全書(ニッポニカ)|access-date=2024-12-03}}</ref>{{Sfn|森川|2024|p=15}}。都市の定義としては世界各国でさまざまな指標が用いられており、このことは世界の都市について広い視角から論じることを困難にしている{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=3}}。研究者の多くは、都市の人口および人口密度が周囲より高く、施設および行政機能が充実しているという点について合意している一方、都市を形ある実体として恣意性なしに定義することもまた難しいと考えている{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=14}}。


=== 行政 ===
;各国のさまざまな線引き
{{multiple image|image1=Map of New York Highlighting New York City.svg|image2=New_York_Population_Map.png|total_width=400|footer=[[ニューヨーク州]](アメリカ)におけるニューヨークの位置と、州の人口地図}}
国によって「都市」とそうでない地域の線引き(定義)は様々である。人口の "絶対数" で線引きしている国も、[[人口密度]]で線引きしている国も
ある。
<!-- 頭を使えばすぐに分かることだが、都市に限らずどんなことでも基本的には、線引きのしかたは各国の政府がそれぞれ自由に決めるもの。そもそも「国際的に統一」なんて妙な言い方を、誰が言い出した?投稿者の変な思い込みなのでコメントアウト。


多くの国家が「都市」を行政的枠組みとして定めており、これをそのまま都市の基準として用いることもできる{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=13}}。
{{要出典範囲|都市についての国際的に統一された定義はない|date=2022年10月}}。-->


その一方で、後述の通り、これらの基準は混乱しており、互換性も小さい{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=3}}。また、実態としての都市と市域は一致しないことももっぱらである。たとえば、[[ニューヨーク]]郊外の[[郡 (アメリカ合衆国)|郡]]には、実質的にはニューヨークの一部となっているものがあるにもかかわらず、厳密な定義においてはそうは扱われない。逆に、[[中華人民共和国|中国]]の[[重慶市]]は都市外郭の広大な範囲の農村を、市域の一部に含めている{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=13}}。日本国内においては[[平成の大合併]]を経て、2015年時点で人口の84%が人口5万人以上の[[市町村]]に居住していることになっている。日本の統計上の都市居住率は[[イギリス]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[フランス]]・ドイツなどと比較しても高いが、こうした定義は必ずしも実態を反映したものとはいえない{{Sfn|森川|2024|p=16}}。
「都市」とみなす最低基準人口は<u>[[スウェーデン]]・[[デンマーク]]では200人</u>規模であり<ref name=”ngn”/>、<u>[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では2500人</u><ref name=”hys”>林(2012),p.4-6</ref>、<u>[[スイス]]では1万人</u>であり<ref name=”hys”/>、<u>日本では5万人</u>(時限立法で3万人の例あり)<ref name="td"/>。<u>[[国際連合|国連]]の統計では「都市人口規模」が1,000人~30,000人とさまざま</u>である<ref name="td"/>。


=== 人口 ===
また、アメリカでは「<u>人口1万人以上5万人の地域は[[小都市統計地域]]</u>」と定義し、「5万人以上の統計地域と一方が1.5万人以上の人口を有し、2つ合わせると5万人を超える連続する統計地域は[[大都市統計地域]](MSA)」と定義している。[[カナダ]]のCMAやイギリスのSMLAという概念も同様のものである<ref name=”hys”/>。
人口は、都市をその他の集落と区別するための単純な尺度となりうる{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=13}}。[[人口]]および[[人口密度]]は、都市を定義づける基準として多くの国家で利用されている{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=3}}。


しかし、その閾値はさまざまであり、日本ではおおむね人口5万人以上であることが市制施行の条件となる一方で、[[デンマーク]]や[[アイスランド]]では人口200人以上なら都市地域と認められる。人口密度については、たとえば中国が都市の定義を1 km<sup>2</sup>あたり1500人としているのに対し、ドイツではその基準は10分の1になる{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=3}}。[[木内信蔵]]の指摘するように、都市と人口の関係は、それぞれの地域における、集落の社会的・歴史地理的状態によってさまざまである。木内の表現を引用するならば、[[アメリカ中西部]]には「広漠とした畑の中に教会とドラッグストア、ガソリンスタンドなどが建つだけ」の都市がある一方で、[[南イタリア]]には「人口1~2万が密集して住む都市と見間違える農業集落」がある<ref name=":0" />。
現在の[[日本]]では一般的には、「行政上の区画である "[[市]]" が都市」とされる<ref name=”ngn”>永野(2009),p.18</ref>が、[[昭和の大合併]]で人口が集中する地域と農村的性質を持つ地域を併せ持ち、都市的な景観と不一致な土地利用<ref name=”ngn”/>をする市が増えたため<ref name="td">戸所(2000),p.48-49</ref>、国は「都市的地域」を確定するための作業を実施し<ref name=”ngn”/>、[[1960年]]の[[国勢調査]]から 「<u>4,000人/㎢の[[人口密度]]で5,000人以上の人口集積を持つ地域</u>」が「[[人口集中地区]](DID)」として統計上、"都市" として扱われることになった<ref name="td"/>。
また、複数の市街地の連担([[コナーベーション]])が起き、自治体の枠を超えてそれが広がるにつれて、コナベーションした地域群の全体が "都市" や "[[都市圏]]" と呼ばれるような状況になっている。


=== 産業 ===
[[ファイル:Australian Census 2011 demographic map - New South Wales by POA - BCP field 7124 Persons Agriculture forestry and fishing Total.svg|サムネイル|[[ニューサウスウェールズ州]]([[オーストラリア]])の農漁業従事者人口(2011年)]]
都市的産業が発達していることも、都市の定義の一部にふくまれうる{{Sfn|森川|2024|p=16}}。すなわち、村落部の住民の多くが[[第一次産業]]に従事する一方で、都市においては多くの住民が[[第二次産業|第二次]]・[[第三次産業]]に従事している<ref name=":0" />。市場および貿易・商業関係を都市概念において重要なものと位置づける考えは、[[アルフレッド・ウェーバー]]などにより20世紀初頭より注目されはじめ、農村の余剰が都市をうみだしたとする考えは、多くの都市論者のあいだで共有されている(一方で、交易のハブであるところの都市が農村をかたちづくったとする、[[ジェイン・ジェイコブズ]]のような考えもある){{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=13}}。


産業従事者の比率は、国家による都市の定義にも用いられる。たとえば[[インド]]においては、非農業部門労働に従事する成人男性人口が75%を超える集落が、都市と定められている{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=13}}。同様に、[[カンボジア]]においては非農業部門労働に従事する成人男性人口が50%以上であること、[[ブータン]]においては一次産業への依存度が50%未満であることが、都市の要件の一部にふくまれている{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=3}}。日本においても、市制施行の要件には「農林水産業以外の産業に従事する人および同一世帯に属する人の合計が町の全人口の6割以上」であることが求められる{{Sfn|森川|2024|p=18}}。その一方で、[[森川洋]]は「今日の日本では農業を中心的産業とする村落は皆無に近い」ことも指摘している{{Sfn|森川|2024|p=13}}。
;ギャラリー
{{Gallery
|width = 200px
|File:2017-07-30-21h55m18.jpg|[[クラクフ]]。ポーランドの歴史都市
|File:Coimbra Portugal.jpg|[[コインブラ]]。ポルトガルの都市。人口15万人規模。ポルトガルで第3〜4位ほどに位置する都市。
|File:Jerusalem Dome of the rock BW 14.JPG|[[エルサレム]]。歴史が古く、3つの宗教の聖地に当たる都市。
|File:Jaipur Night During Diwali.jpg|[[ジャイプール]]。人口が300万人規模にもなるが、インドでは人口規模で10番目の都市。
|File:View from Mt.Hakodate (Hakodateyama),Hakodate Hokkaido, Japan 27 April 2016 - panoramio.jpg|[[函館市]]。人口約25万人で、北海道第3位の規模の都市。
|File:Flickr - yeowatzup - Mount Hachiman, Omihachiman, Shiga, Japan.jpg|[[近江八幡市]]。[[城下町]]、[[商業都市]]として発展した歴史がある。人口8万人強。
|File:Harbour Skyline Boston MA USA.jpg|[[ボストン]]。アメリカ[[マサチューセッツ州]]北東部サフォークにあり、人口約67万で、同州最大の都市。
|File:Santos in the 1900s.jpg|[[サントス]]。[[ブラジル]]の[[港湾都市]]([[1900年]]ころの絵画)。2020年時点で人口は約43万人。「サンパウロ都市圏」に含まれる。
}}


== 都市人口の歴史 ==
=== 中心性 ===
都市は周辺地域住民の生活の中心をなす{{Sfn|森川|2024|p=16}}。木内は、「周囲の地方に対する中心的機能」であるところの結節性(nodality)こそが都市の本質であると位置づけている<ref name=":0" />。都市的産業は周辺地域の住民に都市的サービスを与え、通勤圏を構築する{{Sfn|森川|1990|p=19}}{{Sfn|森川|2024|p=18}}。また、大学や文化施設なども、他地域に対する影響力をもつ{{Sfn|戸所|2013}}。こうした都市機能は、周辺地域に影響を与えるベーシック機能と、あくまで地域内部にサービスするものであるノンベーシック機能に分類され{{Sfn|戸所|2013}}、前者は都市の中心性を構築する。[[ヴァルター・クリスタラー]]の論じるように、都市の中心性は階層的な構造をなす<ref name=":2">{{Cite kotobank|word=都市|encyclopedia=改訂新版 世界大百科事典|access-date=2024-12-03}}</ref>。
=== 推定人口について ===
[[歴史]]・[[地理学|地理]]学者は、文献や[[遺跡]]の面積、それぞれの時代の[[生産性]]から都市人口を推定している。[[古代]]・[[中世]]の人口統計は残っている方がまれであり、その信頼性も低い。


こうした機能的なつながりを利用して、都市の領域を定義することにより、行政的に定義づけられた市域とは異なるかたちで都市領域を設定することができる{{Sfn|Marcotullio|Solecki|2013|p=15}}。[[オーストラリア]]・[[ベルギー]]・[[イタリア]]・[[カナダ]]といった国家は、[[都市圏]](Metropolitan area)の概念をおもに利用して、都市を定義づけている{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=4}}。一方で、都市の中心性はさまざまな要素が重層的に関係するものであり、分析的に取り扱うと偏りが生じる可能性がある<ref name=":2" />。また、中心性をベースとする都市の定義では、[[衛星都市]]の処遇が不明瞭になる{{Sfn|森川|2024|pp=18-19}}。都市圏の設定のためには中心を定める必要が生じるため、やはり都市圏の設定にも絶対的な基準は存在しえない{{Sfn|山神|2013}}。
以下1850年頃までに100万人以上の都市域人口を有していたと推定されている都市に関し、二人の[[学者]]のピーク時推定人口を列挙する。史料が乏しい場合の推定人口の誤差は大きく、しばしば桁すら変わってしまう。より詳しい推定値については[[歴史上の推定都市人口]]を参照。


==立地と構造==
{| class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:right"
=== 立地 ===
! rowspan="2" | 都市名
[[ファイル:Christaller's_central_place_theory_animation.gif|サムネイル|180x180ピクセル|クリスタラーの中心地理論の模式図]]
! colspan="2"| Chandler(1987)
都市の立地は、歴史的には自然・技術・経済・軍事上の条件に応じてさまざまであった。水域へのアクセスは都市の立地と成長のうえで重要な要素であり、19世紀に[[鉄道輸送]]が発達すると例外が生じるとはいえ、世界の都市人口のほとんどが、海または川に近接した地域に居住している{{Sfn|Marshall|1989|pp=11-14}}。
! colspan="2"| Modelski(2003)
! rowspan="2"| 備考
|-
! 年代
! 推定人口
! 年代
! 推定人口


都市は原則として食料を自給できないため、[[後背地]]との結びつきを発展させる必要がある<ref name="Kaplan2004p155">{{Harvnb|Kaplan et al.|2004|pp=155-156}}</ref>。歴史的には、都市の発展のためにはその外郭に十分な規模の農村地帯が広がっていなければならなかった{{Sfn|Marshall|1989|p=15|pp=}}。ゆえに、生産性の高い地域における中心性が都市の立地に影響する<ref name="Latham2009p18">{{Harvnb|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|p=18}}</ref>。古くは[[ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネン]]のような学者が後背地と都市の空間配置を定量的に説明しようとし、これはのちに学術分野としての[[立地論]]に進展した{{Sfn|森川|2013}}。クリスタラーの[[中心地理論]]は、平坦な地形に均等な人口が分布した場合、財の希少性とその到達距離に応じて中心地とその市場地域は幾何学的な階層構造をなすというものであり、実際に南[[ドイツ]]においてはおおむねこの理論が成り立つという検証も行われた{{Sfn|杉浦|2024|pp=27-31}}。
|-
| align="left" | [[パータリプトラ]]<br />([[パトナ]])
| [[紀元前]]361年
| 150,000
| 紀元前300年
| 400,000
| align="left" |[[マウリヤ朝]]の[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]の時代に、パータリプトラを訪れた[[ギリシャ人|ギリシア人]][[メガステネス]]の記録によれば、東西約14.4km、南北約2.7km、周囲約35kmの[[平行四辺形]]都市。[[城壁]]で囲み、城壁の周囲には幅180mの[[堀]]が巡らせてあった。


=== 内部構造 ===
|-
{{Main|都市構造}}
| align="left" | [[アレクサンドリア]]<br />(アル=イスカンダリーヤ)
[[ファイル:Ulman2.png|サムネイル|多核心モデルの模式図]]
| [[紀元前]]60年
都市の内部構造を説明するためのモデルは、多数考案されてきた。古典的なものとしては、[[アーネスト・バージェス]]の[[同心円モデル]]がある。[[中心業務地区]](CBD)を中心とし、漸移地帯([[インナーシティ]])、労働者住宅地帯、住宅地帯、通勤者住宅地帯がその外郭に広がるこのモデルは、都市の内部構造モデルとして広く知られている。[[ホーマー・ホイト]]はこれを修正し、CBDから主要な交通路に沿って卸売・軽工業地区や低級住宅地区が伸びる[[扇型モデル]]を発案した。また、[[チョーンシー・ハリス]]と[[エドワード・ウルマン]]はこれらのモデルを改良し、CBDとは別に、郊外の住宅地帯からの通勤がおこなわれる郊外工業地区をモデルに組み入れた[[多核心モデル]]を発表した{{Sfn|堤|2013}}{{Sfn|堤|2024|pp=41-46}}。
| 325,000
| 紀元前100年
| 1,000,000
| align="left" | 30万人(紀元前60年, 自由民人口,『[[シケリアのディオドロス#歴史叢書|歴史叢書]]』); 最大推定 110万人


一方で、たとえばヨーロッパの都市においては都市の中心部に高層の[[オフィスビル]]が建てられることはまれであり、多くの場合は教会や広場などがおもな利用形態となる{{Sfn|堤|2013}}。また、[[阿部和俊]]の論じるように、日本では漸移地帯に相当する地域が目立たないとする見解がある。[[モータリゼーション]]の進展によって都市の業務機能や商業機能の多くが郊外に移転し、CBDの中枢性は低下している{{Sfn|堤|2024|pp=47-48}}。{{仮リンク|マイケル・ディア|en|Michael Dear }}の論じるように、[[ロサンゼルス]]のようなモータリゼーションのいちじるしく進んだ都市では、都市の諸施設は不規則に分布する[[キノ資本主義]]の形態をとる{{Sfn|長尾|2006|p=}}。
|-
| align="left" rowspan=3 | [[ローマ]]
| [[紀元]]100年
| 450,000
| 紀元100年
| 1,000,000
| align="left" | 17.83 km<sup>2</sup>([[アウグストゥス]]が定めたローマ市の領域)


=== 都市集積と都市圏 ===
|-
{{Main|都市圏}}
| 171-180年
[[ファイル:New York City, Southern RI and CT, illuminated at night.jpg|サムネイル|ニューヨークとその近郊の都市]]
| 600,000
都市の領域は、市域(city proper)の外部に広がることがもっぱらである。行政的な線引きとは関係なく、都市が連続している領域を指し示すための用語として都市集積(Urban agglomeration)がある。[[国連経済社会局]]人口部は、世界の都市について分析するにあたって、都市集積を中心とする分析的枠組みをもちいることを選好している{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=4}}。
| 200年
| 1,200,000
| align="left" | 最大推定 200万人


都市ないし都市集積の外部には、都市圏が広がる{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=4}}。通常、都市圏は日常的な人の動きを基盤とする日常生活圏を指すが、都市は物資の流動圏や人口移動圏といった、より広大な勢力圏もその外部に広がっている{{Sfn|山神|2013}}。都市圏の定義についても、各国でさまざまな指標が用いられているが{{Sfn|UN HABITAT|2019|p=4}}、日本においては、[[労働市場]]の空間的範囲をあらわし、[[国勢調査]]の項目であるゆえにデータの入手が容易な、通勤流動がそのベースとして用いられることが多い{{Sfn|山神|2013}}。アメリカでは、国勢調査において[[アメリカ合衆国大都市統計地域|標準大都市圏]](Standard Metropolitan Statistical Area、SMSA)を定義している。中心都市から連続する郡のうち75%以上が非農業従事者であり、かつ「人口密度が1平方マイルあたり150人以上の行政区域が互いに連続しており、郡全体の人口の50%以上がこの区域に居住している」「郡内で雇用される非農業従事者人口が10,000人以上、または中心都市の所属する郡で雇用される非農業従事者人口の10%以上である」「郡内に居住する非農業従事者の人口が10,000人以上、または中心都市の所属する郡内の非農業従事者人口の10%以上である」ことのいずれかを満たすものが、大都市圏の一部とみなされる{{Sfn|長田|2006|p=16}}。
|-
| 271-280年
| 500,000
| 300年
| 1,000,000
| align="left" | 13.05 km<sup>2</sup>(270-273年, [[アウレリアヌス城壁]]内)


=== 都市化 ===
|-
{{Main|都市化}}
| align="left" rowspan=5|[[コンスタンティノポリス]]<br />([[イスタンブール]])
[[ファイル:Cres a 1969008 f0003 ob.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|フィンランド・オーストリア・オランダにおける都市中心部と周縁地域の人口の変遷{{Harvcol|Humer|Cardoso|Meijers|2021}}]]
| 500-565年
村落が都市に変化していく過程を都市化と呼ぶ。都市化は第一次産業から都市的産業への[[産業構造]]の転換をベースに進むものであり、[[イングランド]]では[[産業革命]]後の1811年から1851年にかけて都市人口が急増した。また、日本においても産業革命後の1890年代に都市人口が急増したが、もっとも都市化がいちじるしかったのは[[高度経済成長期]]を経験し、都市的産業の比重が大きくなった1950年代から1970年代にかけてである{{Sfn|富田|2013}}。都市化の潮流は世界的なものであり、[[国際連合]]は2014年に世界人口のおよそ半分が都市に居住していると発表した<ref>{{Cite news |title=U.N. Finds Most People Now Live in Cities |newspaper=The New York Times |date=2014-07-11 |url=https://www.nytimes.com/2014/07/11/world/more-than-half-the-global-population-growth-is-urban-united-nations-report-finds.html |access-date=2024-12-04 |last=Somini |first=Sengupta}}</ref>。
| 600,000
| 600年
| 600,000
| align="left" |12 km<sup>2</sup>(447年, 城壁内)


都市化の流れを一般化する試みとして、空間サイクルモデル(Spatial-Cycle Model)と総称されるモデルがある。すなわち、都市は都市化・[[郊外化]]・[[反都市化]]・[[再都市化]]を繰り返すというものである{{Sfn|Humer|Cardoso|Meijers|2021}}。たとえば、[[L・H・クラーセン]]の都市化推移モデルによれば、都市の発展は5段階にわけられる。すなわち、中心都市が周辺地域から人口を吸い上げるI期、中心都市の人口が急増し、周辺地域の人口も増加するII期、中心都市の過密と[[郊外化]]により、周辺地域への人口集中が進むIII期、中心都市の人口が減少し、郊外でのみ人口が増加するIV期([[ドーナツ化現象]])、中心都市の再開発によって[[都心回帰]]が進むV期である{{Sfn|富田|2013}}。[[富田和暁]]の分析では、日本国内では1995年以降東京・大阪・名古屋といった大都市圏において再都市化が進んでいる{{Sfn|富田|2013}}。一方で、アロイス・ヒューマー(Alois Humer)らによれば、空間サイクルモデルは[[フィンランド]]や[[オーストリア]]といった国家においては有用である一方、[[オランダ]]のような多中心的都市地域(polycentric urban region)においては確認できず、むしろ都心と周縁の人口動態は同期的な関係にあった{{Sfn|Humer|Cardoso|Meijers|2021}}。
|-
| 944年
| 330,000
| 1000年
| 600,000
| align="left" |16 km<sup>2</sup>(11世紀, 城壁内); 最大推定 100万人


=== 都市システムとグローバルシティ ===
|-
{{Main|都市システム|世界都市}}
| style="white-space:nowrap" |1600-1650年
都市の集合には、人・財・情報などの流動、あるいは都市に居住する組織同士が取り結ぶ関係などを介して、秩序ないし相互作用関係が生じる{{Sfn|日野|2013}}。都市間の相互結合関係のことを、都市システムと呼ぶ{{Sfn|阿部|2024|p=132}}。都市システムはさまざまなスケールから構築され、日常的なレベルでは通勤通学圏や商圏、地域的なレベルでは交通や通信、医療といった社会サービス、国家間のレベルでは経済的刺激や情報の交換といったかたちであらわれる{{Sfn|田辺|1982|p=2}}。阿部和俊は、日本において、民間大企業の支店立地から見た都市システムは非階層的であり、東京を中心とする都市間相互の結びつきが強まっていると論じている{{Sfn|阿部|2024|p=138}}。
| 700,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 11万戸(1552年); 最大推定 130万人


都市システムは国民国家の枠組みをこえて結びつくこともある。たとえば、ヨーロッパではEU統合にともない、首都を頂点とする都市システムが解消されつつあり、たとえばフランスの[[リール (フランス)|リール]]ではパリだけでなく、[[ロンドン]]・[[ブリュッセル]]といった都市への近隣性も活かした発展戦略が実行されている{{Sfn|日野|2013}}。また、グローバル化にともない、世界の大都市は世界経済の結節点として機能している{{Sfn|Kaplan et al.|2014|pp=87-88}}。世界の貿易・銀行業・金融・イノベーション・市場などにおいて、きわだった中心地となっている都市を、[[サスキア・サッセン]]は[[世界都市|グローバルシティ]]と呼称した<ref>{{Cite journal|last1=Engel|first1=Jerome S.|last2=Berbegal-Mirabent|first2=Jasmina|last3=Piqué|first3=Josep M.|year=2018|title=The renaissance of the city as a cluster of innovation|journal=Cogent Business & Management|volume=5|issue=1|pages=1532777|doi=10.1080/23311975.2018.1532777|hdl=10419/206125|doi-access=free|hdl-access=free}}</ref><ref>{{Cite encyclopedia|title=Global City|encyclopedia=The Wiley Blackwell Encyclopedia of Urban and Regional Studies|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/9781118568446.eurs0514|last1=Jacobs|first1=Andrew J.|year=2023|doi=10.1002/9781118568446.eurs0514|last2=Orum|first2=Anthony M.|pages=1–10|isbn=978-1118568453|s2cid=240985764}}</ref>。
|-
| 1675-1690年
| 750,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 88,185 戸(1794年); 最大推定 110万人


==歴史==
|-
{{Main|都市史|{{ill|都市の歴史|en|History of cities}}}}
| 1850年
=== 古代(-5世紀) ===
| 785,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 873,565(1885年, 城壁内)


==== 西アジア・アフリカ ====
|-
[[ファイル:Uruk Archaeological site at Warka, Iraq MOD 45156521.jpg|サムネイル|ウルク。世界最古の都市と考えられている。]]
| align="left" |京兆府[[長安]]([[西安市|西安]])
西アジアの、[[エリコ]]({{仮リンク|テル・アッスルターン|en|Tell es-Sultan}})や[[チャタル・ヒュユク]]といった[[紀元前8千年紀]]の集落は、最初期の{{仮リンク|原都市|en|proto-city}}であるとみなされている{{Sfn|Southall|1998|p=23}}。古代都市の定義についてはこれまでにも多くの議論がなされてきたが、[[ゴードン・チャイルド]]は都市の条件として以下の10要件を提示した。この要件については批判もあるものの、小泉龍人いわく「古代都市論において、必ずと言っていいほど彼の定義は引用されてきている{{Sfn|小泉|2013|p=84}}。」
| 700-750年
{{段組|#大規模集落と人口集住
| 800,000
#第一次産業以外の職能者
| 700年
#生産余剰の物納
| 1,000,000
#社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
| align="left" | 30 km<sup>2</sup>(隋唐城壁内); 362,921 戸(742年, 京兆府); 最大推定 200万人
#知的労働に専従する支配階級
#文字記録システム
#暦や算術・幾何学・天文学
#芸術的表現
#奢侈品や原材料の長距離交易への依存
#支配階級に扶養された専業工人|count=2}}
[[ファイル:Babylon ausgrabungen.jpg|サムネイル|バビロン]]
小泉はより簡潔な定義として、「都市計画」「行政機構」「祭祀施設」の存在を都市の定義としているが、いずれにしても最古の都市と認められるのは[[紀元前4千年紀]]の[[ウルク (メソポタミア)|ウルク]]である{{Sfn|小泉|2013|p=84}}{{Sfn|高見沢|2013}}。[[紀元前32世紀]]にはすでに、ウルクの人口は約20,000人に達していたと考えられている{{Sfn|Lees|2015|p=5}}。その後、[[メソポタミア]]では[[エリドゥ]]・[[ウル]]・[[ラガシュ]]・[[ニップル]]・[[キシュ]]・[[ニネヴェ]]・[[バビロン]]といったさまざまな大都市があらわれた{{Sfn|Lees|2015|p=6}}。メソポタミアでうまれた都市という居住形態は、[[古代エジプト]]といった周辺地域にも広がった{{Sfn|Lees|2015|p=9}}。エジプトについては、自然環境ないし居住形態の違いから、メソポタミアのような[[遺丘]]が生じづらく、都市の誕生についてはっきりとしたことはわからない。とはいえ、[[先王朝時代]]の[[紀元前30世紀]]ごろにはすでに{{仮リンク|ヒエラコンポリス|en|Hierakonpolis}}のような都市型集落が形成されていたようであり{{Sfn|小泉|2016|pp=269-270}}、[[中王国時代]]の[[紀元前18世紀]]ごろには直線的街路網を有する都市遺跡もあらわれる。[[エジプト新王国|新王国時代]]の都市遺構としては、[[アマルナ]]がよく保存されている<ref>{{Cite web |title=Towns in Egypt |url=https://www.ucl.ac.uk/museums-static/digitalegypt/house/towns.html |website=Digital Egypt for Universities |access-date=2024-12-04 |publisher=University College London}}</ref>。


紀元前30世紀には、地中海の[[フェニキア]]にも[[ビブロス]]のような都市が建築された{{Sfn|Lees|2015|p=10}}。交易の進展により、[[トルキスタン]]や[[カスピ海]]沿岸、[[ペルシャ湾]]沿岸などにも都市が築かれていった<ref>{{Cite web |title=City {{!}} Definition & History {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/topic/city |website=www.britannica.com |date=2024-12-04 |access-date=2024-12-05 |language=en}}</ref>。また、[[モーリタニア]]では紀元前20世紀頃より農耕牧畜民の定住がはじまり、紀元前16世紀ごろまでには都市的集落があらわれた{{Sfn|Cameron|2018}}。
|-
| align="left" rowspan=4|マディーナト・アル=サラーム<br />([[バグダード]])
| 932年
| 1,100,000
| 900年
| 900,000
| align="left" | 73.42 km<sup>2</sup>(932年, 推定都市域); 最大推定 300万人


==== 東アジア・東南アジア・南アジア ====
|-
[[ファイル:Mohenjo-daro.jpg|thumb|モヘンジョダロ]]
| 1000年
[[紀元前25世紀]]から[[紀元前17世紀]]ごろまで[[インダス川]]流域で栄えた[[インダス文明]]は、[[モヘンジョダロ]]や[[ハラッパー]]といった都市遺跡をのこした<ref>{{Cite web |title=Indus civilization {{!}} History, Location, Map, Artifacts, Language, & Facts {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/topic/Indus-civilization |website=www.britannica.com |date=2024-11-18 |access-date=2024-12-04 |language=en}}</ref>。インダス文明が廃れたのち、インドで再び都市建設が盛んになるのは[[紀元前6世紀]]ごろのことである。[[ガンジス川]]流域で栄えた[[十六大国]]諸都市の記録は[[仏典]]などに残され{{Sfn|Kumar|2023}}、考古学的には[[カウシャーンビー]]から{{Ill|北方黒色磨研土器|en|Northern Black Polished Ware|label=北方黒色磨研土器文化}}以前のものとみられる城壁がみつかっている{{Sfn|Ray|2016|p=23}}。[[クシャーナ朝]]の衰退とともに、再びインドでの都市化の趨勢は衰えはじめた{{Sfn|Ray|2016|p=26}}。インドの都市文明は[[東南アジア]]にも広がり、[[ミャンマー]]では[[紀元前250年]]から[[5世紀]]ごろのものとされる、[[ピュー]]の遺跡である{{仮リンク|ベイッタノー|en|Beikthano}}が検出されている{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=201}}。また、3世紀には[[カンボジア]]の[[扶南]]が交易の中心地となっていたようである{{Sfn|新田|2013}}。
| 125,000
| 1000年
| 1,200,000
| align="left" | 公衆浴場 1,500(993年); 最大推定 150万人


中国では[[仰韶文化]]期の[[半坡遺跡]]より濠をめぐらせた集落が検出されており、[[紀元前35世紀]]ごろよりはじまる[[龍山文化]]期には、城壁と排水施設、宗教儀式の痕跡をのこす[[平糧台]]のような遺構があらわれる{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=184}}。とはいえ、多くの歴史家は、中国における都市文明の始まりを、[[紀元前18世紀]]よりはじまる[[殷]]・[[周]]代のことであるとしている{{Sfn|Lees|2015|p=12}}。[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]には列国の首府の巨大化が顕著なものとなり、たとえば[[斉国|斉]]の都である[[臨淄]]には70,000戸が居住していたといわれている。こうした中国の地方都市は、[[秦]]・[[漢]]代には解体される傾向にあったが、一方で[[咸陽市|咸陽]]・[[長安]]・[[洛陽市|洛陽]]といった国府は殷賑を極めた<ref name=":2" />。ベトナムでは、600ヘクタールの面積を有する都市遺構である[[古螺]]が見つかっている{{Sfn|Stark|2015}}。ベトナムはインドよりはむしろ中国の影響を受けていたようであり、[[呉 (三国)|呉]]・[[建康 (都城)|建業城]]のものと類似する、3世紀の人面瓦が出土している{{Sfn|新田|2013}}。
|-
| 1100年
| 150,000
| 1100年
| 1,200,000
| align="left" | 65 km<sup>2</sup>(1070年頃, 推定都市域)


==== ヨーロッパ ====
|-
[[ファイル:Map of downtown Rome during the Roman Empire large.png|サムネイル|[[帝政ローマ|帝政期ローマ]]の中心部]]
| 1150-1258年
[[古代ギリシャ]]においては[[ミノア文明|ミノア]]・[[ミケーネ文明]]期より都市といえるような居住形態が成立していたが、[[紀元前8世紀]]にはその後の[[ポリス]]につながるような都市があらわれるようになる{{Sfn|阿部|2013}}。もっとも有力なポリスであった[[アテナイ]]は[[紀元前5世紀]]に最盛期をむかえ{{Sfn|Lees|2015|p=16}}、その人口は奴隷および在留外国人をふくめて12万ないし15万と推定されている<ref name=":0" />。また、紀元前5世紀後期に[[ミレトスのヒッポダモス|ヒッポダモス]]によっておこなわれたとされる[[ミレトス]]の再整備は、その後のギリシャに矩形的な都市計画の概念をもたらした{{Sfn|阿部|2013}}。
| 100,000
| 1200年
| 1,000,000
| align="left" | 公衆浴場 2,000(1185年, イブン・ジュバイル)


ギリシャでポリスが分立していたのと同時期に、[[イタリア半島]]においても同様の都市国家である[[キウィタス|キーウィタース]]が成立しており、うち[[古代ローマ|ローマ]]が周辺地域を統一した<ref name=":0" />。ギリシャ同様の都市計画は古代ローマの[[古代の植民都市|植民都市]]においても採用されたが、首都である[[ローマ]]自体は無秩序な発展をとげ、政治家や皇帝といった有力者は競うようにして市内にモニュメントを建てた{{Sfn|阿部|2013}}。ローマの人口は、2世紀には少なくとも70万人に達していた{{Sfn|Lees|2015|p=21}}。
|-
| align="left" | アル=クルトゥバ([[コルドバ (スペイン)|コルドバ]])
| 1000年
| 450,000
| 1000年
| 450,000
| align="left" | モスク 471, 11.7 km2(1009年, 城壁内); 最大推定 100万人


==== アメリカ ====
|-
[[ファイル:View from Pyramide de la luna.jpg|サムネイル|テオティワカン]]
| align="left" rowspan=2 | ヤショダラプラ([[アンコール遺跡|アンコール]])
[[アメリカ大陸]]においては、[[ペルー]]の中央海岸北部に位置する{{仮リンク|ノルテ・チコ文化|en|Norte Chico civilization}}の先土器時代後期遺構を都市とみなす見解がある一方で、これには異論も多い{{Sfn|マコフスキ|2012|p=2}}。多くの研究者は、中央アンデスにおいて、狭義の都市が建設され始めたのははやくとも4世紀以降であると考えている。たとえば、[[ティワナク]]のような遺跡がそうである{{Sfn|マコフスキ|2012|p=21}}。
| 1000年
| 200,000
| 1000年
| 400,000
| align="left" | 9 km<sup>2</sup>(950年頃, 城壁内); 105 km<sup>2</sup>(アンコール遺跡全域)


マイケル・ラブ(Michael Love)らによれば、[[メソアメリカ]]においては、後期[[形成期]](Late Formative period)ないし終末期形成期(Terminal Formative period)までに全土で都市が発生していた{{Sfn|Love|2022|p=11}}。[[メキシコ高原|中央高地]]に位置する[[テオティワカン]]の人口は、[[紀元前150年]]から[[紀元前1年]]までと推測されるパトラチケ期(Patlachique phase)には、20,000人から40,000人に達していたと考えられている{{Sfn|Clayton|2015|p=281}}。また、[[マヤ文明]]の[[エル・ミラドール]]のような都市も多くの人口を集めた{{Sfn|Lees|2015|pp=28-29}}。
|-
| 1200年
| 150,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 11 km<sup>2</sup>(1200年頃, 城壁内); 最大推定 150万人


===中世(5世紀-15世紀)===
|-
| align="left" | 松都([[開城特別市|開城]])
| 927-1100年
| 60,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 8,457(1000年頃, 職人人口); 最大推定 100万人


==== ヨーロッパ・西アジア・アフリカ ====
|-
[[ファイル:Baghdad 150 to 300 AH.png|左|サムネイル|バグダード(767年-912年ごろ)]]
| align="left" rowspan=2 | 東京[[開封市|開封府]](汴京)
[[西ローマ帝国]]の滅亡後、特に北西ヨーロッパにおいて、都市の存続・発展は停滞した{{Sfn|河原|2020}}。この時代のキリスト教圏では[[東ローマ帝国]]が都市文化の中心となった。当時最大の都市は[[コンスタンティノープル]]であり、450年から1070年までのあいだ、40万から60万人程度の人口を抱えた{{Sfn|Lees|2015|p=31}}。一方で、イスラム教圏では、[[アッバース朝]]の首都として、930年時点で100万人規模の人口を抱えた、[[バグダード]]のような大都市があらわれた。ヨーロッパでも、イスラム教徒の支配下にあった[[イベリア半島]]では、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]のような都市が発展した{{Sfn|Lees|2015|p=35}}。[[10世紀]]にバグダードが衰微すると、[[カイロ]]がこれに代わってイスラム圏の中心となった<ref name=":2" />。10世紀末には、[[東アフリカ]]に[[キルワ]]が建設された{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=231}}。
| 1100-1102年
北イタリアの[[ヴェネツィア]]のような都市は[[9世紀]]ごろより、イスラム教圏や東ローマとの交易により発展しはじめた<ref name=":0" />。また、[[ライン川]]・[[ムーズ川]]下流域にも、9世紀から10世紀にかけてポルトゥスとよばれる港町が出現した{{Sfn|江川|服部|1995|p=22}}。ヨーロッパにおける農業生産の拡大と貨幣経済の進展を背景に{{Sfn|河原|2020}}、11世紀ごろより都市はいちじるしい発展を遂げ、特に北イタリアと南[[ネーデルラント]]の都市はそれぞれ地中海商業・北海交易のハブとして発展した。[[12世紀]]よりこの南北の交易圏をむすぶ街道が発達し、フランス東部の[[シャンパーニュ地方]]にも一定規模の都市があらわれた{{Sfn|江川|服部|1995|p=23}}。[[13世紀]]ごろより、[[リューベック]]・[[ハンブルク]]・[[ケルン]]といった北ヨーロッパの都市は[[ハンザ同盟]]をむすび、イタリアの[[ピサ]]・[[フィレンツェ]]・[[アマルフィ]]などとともに西欧全土を覆う経済圏をつくりあげた<ref name=":2" />。[[ファイル:Madonna bigallo, firenze view.jpg|サムネイル|[[ベルナルド・ダッディ]](1342年)『慈悲の聖母』よりフィレンツェの眺め]][[14世紀]]の[[黒死病]]の流行は、キリスト教・イスラム教両世界に強い影響を与えた。イスラム教圏でもっとも有力な都市であったカイロは活況を失い<ref name=":2" />、1453年に東ローマ帝国から[[オスマン帝国]]の版図に組み入れられた[[イスタンブール]](コンスタンティノープル)がこの地位を得た<ref name=":2" />{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=222}}。ヨーロッパの都市社会に対して、いわゆる「{{仮リンク|中世後期の危機|en|Crisis of the late Middle Ages }}」が与えた影響については諸説ある。{{仮リンク|ウィルヘルム・アーベル|en|Wilhelm Abel }}は、疫病による人口減少が農産物の価格低下をまねき、手工業品価格の上昇は都市の繁栄を導いたと論じる一方、[[マイケル・ポスタン]]は、商業全体の収縮を背景として、[[ロンドン]]や[[ブリストル]]といった一部の都市を除けば、基本的に都市経済は停滞したと論じた。これらの議論はいずれも農村と都市の対立を前提とするものであるが、たとえばこの時代の[[フランドル]]やイタリアでは、農村手工業の発達と、都市の奢侈品生産への傾斜といった、都市・農村の相互関係にもとづく経済構造の転換があったことも指摘されている{{Sfn|田北|1995|pp=132-138}}。
| 442,000
| 1100年
| 1,000,000
| align="left" | 60 km<sup>2</sup>(1127年, 城壁内); 最大推定 200万人


2千年紀中葉より、[[ニジェール川]]デルタの{{仮リンク|ジェンネ・ジェンノ|en|Djenné-Djenno}}は[[サハラ交易]]の拠点として発展し{{Sfn|Cameron|2018}}、6世紀から9世紀の時点でおよそ20,000人が居住していたと考えられている<ref name=":3">{{Cite web |title=Djenne-Djenno |url=https://www.worldhistory.org/Djenne-Djenno/ |website=World History Encyclopedia |access-date=2024-12-05 |language=en |first=Mark |last=Cartwright}}</ref>。7世紀の[[北アフリカ]]のイスラム化は、交易を通じてサハラ以南アフリカにも影響をもたらした。[[サヘル|サヘル地域]]では{{仮リンク|エッスーク|en|Essouk|label=タドメッカ}}や[[ガオ (都市)|ガオ]]といった都市が交易の中継点として栄え、より南の森林地帯に位置する[[イフェ|イレ=イフェ]]には、14世紀から15世紀の時点で70,000人以上にのぼる人口がいたとみられている{{Sfn|Cameron|2018}}。1400年ごろには[[グレート・ジンバブエ遺跡|グレート・ジンバブエ]]が全盛期を迎え、およそ40,000人の人口を抱えた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=231}}。
|-
| 1232年
| 210,000
| 1200年
| 1,000,000
| align="left" | 90万人虐殺(1232年, [[金史]])


==== 東アジア・中央アジア ====
|-
[[ファイル:Chang'an of Tang.jpg|サムネイル|唐代長安]]
| align="left" | [[メルブ遺跡|メルヴ]](マル)
中国では、[[五胡]]の侵入により中原が一時荒廃するが<ref name=":2" />、うち[[鮮卑]]の[[拓跋部]]の国家である[[北魏]]は、493年にふたたび洛陽に都を築いた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=186}}。北魏の洛陽で本格化しはじめた、北に宮城を置き、城内を坊壁で区切る計画は[[唐]]の長安にも引き継がれた<ref name=":2" />。中国風の都城制は東アジアの周辺地域にも波及し、たとえば[[新羅]]には[[慶州|金城]](7世紀)、日本には[[平城京]](710年)、[[渤海 (国)|渤海]]には[[上京龍泉府]](775年)といった都城が築かれた{{Sfn|妹尾|2013}}。
| 1150年
| 200,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 38 km<sup>2</sup>(1150年頃, 推定都市域); 最大推定 150万人


[[五代十国時代]]を経て、中国の都城は、長安のような防衛重視の内陸立地から、開封のような交通の便を重視する立地へと移り変わった{{Sfn|斯波|2002|p=32}}。また、各ブロックを坊壁で切る坊牆制のプランも、中国においては10世紀の[[宋代]]に崩壊する。この理由については、商業の活性化によるものであるという説([[加藤繁]])や、多民族国家であった隋唐の都市プランが、[[漢族]]主体の宋では崩れたという説([[妹尾達彦]])などがある{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=186}}。日本においても、12世紀には計画的都城である[[平安京]]の街区内に非公式の街道がつくられ、民営の市場が営まれるようになった。平安京は、[[戦国期]]までに中世都市としての[[京都]]に変容した{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|pp=161-162}}。宋代には、商業経済の発展を背景に、鎮や村市といった小規模な地方都市が多くあらわれた<ref name=":0" />。こうした小都市群は、より大規模な地方都市と農村を結びつけるネットワークとして機能した<ref name=":2" />。
|-
| align="left" rowspan=2 | [[杭州|臨安]]府銭塘([[杭州市|杭州]])
| 1200年
| 255,000
| 1200年
| 1,000,000
| align="left" | 302,800 戸 (1250年頃, 臨安府)


中央アジアでは8世紀に興った[[ブハラ]]や、11世紀に[[セルジューク朝]]の首都となった[[メルヴ]]といった[[オアシス都市]]が栄えた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|pp=217-218}}。中国および中央アジアの大半をその版図に置くこととなるモンゴル帝国は、[[金 (王朝)|金]]を亡ぼした翌年である1235年より首都の[[カラコルム]]を建設する{{Sfn|布野|2015|pp=464-465}}。この都市は政治機能を中心とする比較的簡素なものであったが{{Sfn|布野|2015|pp=464-465}}、帝国分裂後の1251年、[[元 (王朝)|元]]の[[クビライ]]は中国風の都城である[[大都]]を建設した{{Sfn|布野|2015|p=473}}。14世紀に興った[[ティムール帝国]]では、[[サマルカンド]]や[[ヘラート]]といった都市が栄えた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|pp=217-218}}。
|-
| 1273-1350年
| 432,000
| 1300年
| 1,500,000
| align="left" | 23 km<sup>2</sup>(1360年, 城壁内); 最大推定 250万人


==== 南アジア・東南アジア ====
|-
[[ファイル:View of the Virupaksha temple complex from Hemakuta hill.JPG|サムネイル|ヴィジャヤナルガル]]
| align="left" rowspan=4 | 北京<br />([[大都]]路大興, 順天府大興)
{{仮リンク|ラーム・シャラン・シャルマ|en|Ram Sharan Sharma }}によれば、[[グプタ朝]]時代にはいくつかの都市が繁栄したが、[[パータリプトラ]]のような都市はこの時期にはすでに衰えを見せており、貿易の停止および農業中心の社会経済制度の確立により、それ以後の時期には多くの都市が廃墟化した{{Sfn|シャルマ|1985|pp=293-294}}。シャルマの説は多くの南アジア研究者に受け入れられている一方、デレク・ケネット(Derek Kennet)のように、この時代の考古学的研究は不十分なものであり、少なくともこの時代に都市のありかたに大きな変化があったという以上のことはいえないとする見解もある{{Sfn|Kennet|2013}}。インド都市史の空白期間は、[[北インド]]では13世紀に終わる。イスラム勢力によるインドの侵攻は11世紀にはじまり、13世紀より[[デリー・スルターン朝]]と総称される諸王朝が成立する。これにより、デリー一帯にはイスラム諸王朝の都城が建築された。また、[[南インド]]では11世紀より[[チョーラ朝]]がはじまり、[[タンジャーヴール]]のような都市があらわれた。14世紀に[[デカン高原]]で興った[[ヴィジャヤナガル王国]]の首府・[[ヴィジャヤナガル]]は、当時のインドで最大の都市であった{{Sfn|柳沢|2008|pp=13-14}}。
| 1270-1300年
| 401,000
|
| 1,100,000
| align="left" | 36 km<sup>2</sup>(1264-8年, 城壁内); 401,350(1270年, 大都路)


東南アジアにおいては、7世紀に{{仮リンク|タチン川|en|Tha Chin River }}流域で[[ドヴァーラヴァティー王国]]の都市である[[ナコーンパトム県|ナコンチャイシ]]が栄えていた{{Sfn|新田|2013}}。[[メコン川]]流域では802年ごろより[[クメール王朝]]が栄えた{{Sfn|新田|2013}}。その首府である[[アンコール遺跡|アンコール]]は、100万人に及ぶ人口を抱えていた可能性がある<ref name="Evans PNAS">Evans ''et al.'', [http://www.pnas.org/content/104/36/14277 A comprehensive archaeological map of the world's largest preindustrial settlement complex at Angkor, Cambodia] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170422171845/http://www.pnas.org/content/104/36/14277|date=22 April 2017}}, Proceedings of the National Academy of Sciences of the US, 23 August 2007.</ref><ref>[https://www.independent.co.uk/news/world/asia/metropolis-angkor-the-worlds-first-megacity-461623.html Metropolis: Angkor, the world's first mega-city] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110919133524/http://www.independent.co.uk/news/world/asia/metropolis-angkor-the-worlds-first-megacity-461623.html|date=19 September 2011}}, The Independent, 15 August 2007</ref>。ベトナム沿岸部では7世紀頃より[[チャンパ王国|チャンパ]]、939年より[[大越]]、[[タイ王国|タイ]]では1238年より[[スコータイ王朝|スコータイ朝]]、1350年より[[アユタヤ王朝|アユタヤ朝]]、ミャンマーでは849年より[[パガン朝]]、[[ジャワ島]]では13世紀頃より[[マジャパヒト王国]]といった国家がつくられ、それぞれ都市文明を築いた{{Sfn|新田|2013}}。
|-
| 1575-1600年
| 706,000
| style="white-space:nowrap" | 1500-1600年
| 1,000,000
| align="left" | 706,861(1579年, 順天府)


==== アメリカ ====
|-
[[ファイル:Painting of Tenochtitlan-Tlatelolco on Lake Texcoco (9755215791).jpg|サムネイル|テノチティトラン想像図(1519年時点・[[国立人類学博物館]])]]
| 1800年
テオティワカンの勢力は600年ごろから衰え、様々な王国が覇権を争った<ref>{{Cite web |title=Mesoamerican civilization {{!}} History, Olmec, & Maya {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/topic/Mesoamerican-civilization |website=www.britannica.com |date=2024-10-24 |access-date=2024-12-07 |language=en}}</ref>。900年には[[トルテカ文明]]の都市である[[トゥーラ・シココティトラン|トゥーラ]]が興ったほか{{Sfn|ゴレンスティン|1976|p=144}}、マヤでは900年ごろを最盛期に[[ティカル]]・[[ワシャクトゥン]]・[[コパン]]・[[ボナンパク]]など様々な都市が栄えた。こうした都市が過疎化した[[後古典期]]も、[[ユカタン半島]]には[[チチェン・イッツァ]]や[[ウシュマル]]、[[マヤパン]]といった都市があった<ref>{{Cite web |title=Maya {{!}} People, Language, & Civilization {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/topic/Maya-people |website=www.britannica.com |date=2024-11-22 |access-date=2024-12-07 |language=en}}</ref>。1325年に建設された[[アステカ帝国]]の[[テノチティトラン]]の人口は、1500年時点で少なくとも80,000人、一説には20万人に達していたとされている{{Sfn|Lees|2015|p=32}}。
| 1,100,000
| 1800年
| 1,100,000
| align="left" |30 km<sup>2</sup>(1750年頃, 城壁内); 最大推定値 150万人


アンデスでは、14世紀後期より[[インカ帝国]]が勢力を増していった<ref>{{Cite web |title=Inca Civilization |url=https://www.worldhistory.org/Inca_Civilization/ |website=World History Encyclopedia |access-date=2024-12-07 |language=en |first=Mark |last=Cartwright}}</ref>。その中心地である[[クスコ]]は、スペインのインカ征服がはじまった1530年代の時点で少なくとも数万人、場合によっては20万人に達していた可能性がある<ref>{{Cite web |title=Cuzco {{!}} Inca Capital & UNESCO World Heritage Site {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/place/Cuzco |website=www.britannica.com |date=2024-12-06 |access-date=2024-12-07 |language=en}}</ref>。
|-
| 1845-1850年
| 1,648,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| &nbsp;


===近世(15世紀-18世紀)===
|-
| align="left" rowspan=2 | アル=カーヒラ([[カイロ]])
| 1348-1349年
| 494,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | モスク 494, ペストで20万人死去(1348-9年, アブ・ルゴド)


==== ヨーロッパ ====
|-
{{multiple image|image1=Palmanova1600.jpg|image2=Karlsruher Stadtansicht.jpg|total_width=400|footer=パルマノヴァとカールスルーエ。それぞれルネサンス都市計画とバロック都市計画の典型例。|align=left}}
| 1500年
[[15世紀]]ごろのイタリアでは、[[ルネサンス]]の影響を受けた[[人文主義者]]によって理想都市が構想された。この嚆矢となったのは[[レオン・バッティスタ・アルベルティ]]が1452年に著した『{{仮リンク|建築論|en|De re aedificatoria }}』である。こうした都市のありかたは、たとえば[[アレッサンドロ・ピッコローミニ]]による1460年代の[[ピエンツァ]]建設などで実行に移された。[[16世紀]]にはこうした理想都市はいちじるしく幾何学的なものとなり、1623年には[[ヴィンチェンツォ・スカモッツィ]]により[[パルマノヴァ]]が実際に建築された{{Sfn|池上|2021}}。
| 400,000
[[ファイル:Plan de Paris 1589-1643 BNF07710699.png|サムネイル|パリ(1643年)]]
| &nbsp;
15世紀末よりはじまった[[大航海時代]]は、ヨーロッパ経済を活気づかせた{{Sfn|林田|2021}}。都市の規模はこの時期いちじるしく拡大し、たとえば[[マドリード]]の人口は1600年から1800年のあいだに65,000人から168,000人に、ウィーンの人口は1500年から1800年のあいだに25,000人以下から247,000人となった{{Sfn|Lees|2015|p=45}}。17世紀以降、ヨーロッパの国王は[[絶対君主制|絶対君主]]として、自らの権力の象徴であるところの首都の再改造をおこなった。この時期には火砲の導入によりそれまでの都市を覆っていた市壁が無用の長物となり、パリやウィーンのような都市では市壁が撤去された{{Sfn|日端|2008|pp=185-189}}。16世紀末におこなわれたローマの改造は、ランドマーク的建築物に向けてヴィスタをつくる直線道路と、放射状道路から構成される、いわゆるバロック的都市計画の基盤となった{{Sfn|日端|2008|p=192}}。1661年の[[ヴェルサイユ]]や18世紀はじめの[[カールスルーエ]]は、バロック的都市計画にもとづき建設された計画都市の例である{{Sfn|日端|2008|p=195}}。近世には、都市住民のあいだで[[エリート]]文化がうまれはじめ、それまで文化的共時性を保っていた都市と農村が断絶していった{{Sfn|林田|2021}}。
| &nbsp;
| &nbsp;
|-
| align="left" | 応天府江寧(金陵, [[南京市|南京]])
| 1400年
| 487,000
| 1400年
| 1,000,000
| align="left" | 75 km<sup>2</sup>(1373年, 城壁内); 1,193,620(1394年, 応天府); 最大推定 140万人


==== アメリカ・オーストラリア ====
|-
[[ファイル:Map of the Original City of Philadelphia in 1682 by Thomas Holme.jpg|サムネイル|フィラデルフィア(1682年)]]
| align="left" | [[ヴィジャヤナガル]]
1492年に[[クリストファー・コロンブス]]がアメリカ大陸を「[[アメリカ大陸の発見|発見]]」したのち、[[イスパニョーラ島]]にヨーロッパ人が西半球につくったはじめての入植都市である[[サントドミンゴ]]が築かれた。同地を拠点に、主にスペイン人によってインカやアステカといった中南米の諸国家は征服されていった{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=275}}。中南米のほとんどはスペインおよび[[ポルトガル]]の植民地となった。ヨーロッパ人は、新大陸にバロック的都市計画を彷彿させる、矩形的な都市設計をもととする都市を築いた。1535年にスペイン人によって建設された[[リマ]]、1565年にポルトガル人によって建設された[[リオデジャネイロ]]がその一例である{{Sfn|Lees|2015|pp=55-56}}。
| 1500年
| 500,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 30 km<sup>2</sup>(16世紀, 7層の城壁内); 最大推定 130万人
|-
| align="left" | [[平安京]]([[京都]])
| 1624-1632年
| 410,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 410,098(1632年); 最大推定 130万人


北アメリカでも、1565年の[[セントオーガスティン]]のようなスペイン人による入植都市が築かれはじめた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=266}}。フランスもこれに続き、1608年に[[ケベック・シティー|ケベック]]、1642年に[[モントリオール]]、1718年に[[ニューオーリンズ]]を建設した{{Sfn|Lees|2015|pp=55-56}}。1630年にはイギリス人によって[[ボストン]]{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=269}}、1653年にはオランダ人によって[[ニューヨーク]]が築かれた{{Sfn|Lees|2015|pp=55-56}}。1681年にイギリス人が建設した[[フィラデルフィア]]は、1775年までには人口約40,000人にまで成長し、英語圏ではロンドンに次ぐ規模となった{{Sfn|Lees|2015|pp=55-58}}。1776年には[[アメリカ独立宣言]]が発出され、この都市はアメリカ合衆国の最初の首都となった{{Sfn|Lees|2015|p=60|pp=}}。1800年に建設されたアメリカの新首都である[[ワシントンD.C.]]は、[[ピエール・シャルル・ランファン]]によりバロック都市として計画された{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=273}}。この時代にはイギリスによる[[オーストラリア]]への入植もはじまり、1788年には[[シドニー]]が建設された{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=277}}。
|-
| align="left" | [[エスファハーン]]
| 1673-1675年
| 360,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 29,469 戸(1673年, 城壁内); 38,249 戸,<br/>90 km<sup>2</sup>(1673年, 全都市域); 最大推定 110万人


==== 西アジア・南アジア・アフリカ ====
|-
[[ファイル:AMH-5626-NA Bird's eye view of the city of Judja.jpg|サムネイル|アユタヤ(1665年頃)]]
| align="left" | [[アユタヤ]]
オスマン帝国は17世紀後半に最盛期を迎え、その首都であるイスタンブールの人口はおよそ67万5000人と推計されている{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=222}}。17世紀に[[サファヴィー朝]]の首都となった[[イスファハーン]]は50万人にも及ぶ人口を抱えた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=292}}。また、16世紀に成立したムガル帝国は、帝都として[[アーグラ]]や[[ラホール]]といった都市を建設した{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|pp=209-210}}。ムガル帝国はイスラム王朝であったが、その間接統治下にあった[[ラージャスターン地方]]では独自のヒンドゥー教文化が形成され{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|pp=209-210}}、1727年には[[アンベール王国]]の[[ジャイ・シング2世]]によりヒンドゥー教の理想都市理念を反映した計画都市である[[ジャイプル]]が建設された{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=212}}。
| 1767年
| 180,000
| 1700年
| 1,000,000
| align="left" | 16 km<sup>2</sup>(1720年, 推定都市域)


[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]は1498年、[[喜望峰]]まわりのインド航路を開拓した。1510年にポルトガルは[[ビジャープル王国]]の外港であった[[ゴア州|ゴア]]を占領し、アジア交易の中継点として利用した。東南アジアでも1511年、15世紀より港市国家として隆盛を誇った[[マラッカ王国]]がポルトガルにより亡ぼされた{{Sfn|野間|2009}}。続いて、1571年にはスペインがフィリピンを侵略し、[[マニラ]]に首都を築いた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=200}}。16世紀には[[オランダ]]がインドネシアのポルトガル勢力を逐い、1618年より[[バタヴィア]]を建設した{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=205}}。大陸部では[[プラナコーンシーアユッタヤー郡|アユタヤ]]が国際貿易都市として栄え、17世紀から18世紀の時点で人口はおよそ19万人であった{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=200}}。ポルトガルは15世紀以降、アフリカに[[奴隷貿易]]の拠点をつくっており、たとえば[[エルミナ]]、[[ベニンシティ|ベニン]]、キルワ、[[モンバサ]]などがそうであった{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=200}}。
|-
| align="left" rowspan=3 | [[江戸]](東京)
| 1721年
| 700,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 509,708(1721年, 町方支配場町人人口); 最大推定 100万人


==== 東アジア ====
|-
[[ファイル:NDL1286180 新板江戸大絵図 (cropped).jpg|サムネイル|『新板江戸大絵図』(1670年)]]
| 1798-1804年
[[明]]・[[清代]]、特に[[万暦帝]]から[[乾隆帝]]の時代の中国では、明代初期にあった統制経済の緩和、新世界からの銀の流入と[[一条鞭法]]の導入、[[長江デルタ]]の綿作地帯化にともなう流通の変化といった経済的変化がおこり、都市化に拍車をかけた{{Sfn|Rowe|2013}}。16世紀末ごろより都市間の遠隔地商業の一般化を背景に[[会館]]が建築されるようになり{{Sfn|斯波|2002|p=49}}、清代に最盛期を迎えた{{Sfn|布野|2015|p=566}}。この時代の首都は[[北京]]であったが、[[重慶]]・[[漢口]]・[[九江]]・[[南京]]・[[蘇州市|蘇州]]・[[仏山市|仏山]]といった都市も商業の中心として栄えた{{Sfn|Rowe|2013}}。1557年には、ポルトガルにより[[マカオ]]が建設されたが、18世紀までその管理は基本的に中国側に委ねられていた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=191}}。
| 685,000
| 1800年
| 1,000,000
| align="left" | 492,449(1798年, 町方支配場町人人口); 最大推定 130万人


日本では、1590年に[[徳川家康]]が[[江戸]]を建設しはじめた{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=172}}。[[江戸幕府]]の創設にともない、1600年ごろをピークとして全国で同様の[[城下町|近世城下町]]が計画された{{Sfn|都市史図集編集委員会|1999|p=167}}。また、[[江戸時代]]中期には生産流通の結節点として[[在郷町]]がつくられた{{Sfn|岡村|2013}}。
|-
| 1854年
| 788,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 573,619(1854年, 町方支配場町人人口); 最大推定 120万人


=== 近代(18世紀-) ===
|-
| align="left" rowspan=2 | ロンドン
| 1800年
| 861,000
| 1800年
| 1,000,000
| align="left" | 128,129(1801年, City of London); 959,310(1801年, Inner London)


==== 西洋世界 ====
|-
[[ファイル:Strand.png|サムネイル|ロンドン(1890年)]]
| 1850年
[[18世紀]]以降、[[フランス革命]]などを背景として、西洋世界の国家は封建主義・支配階級社会を脱却し、市民社会へと移行していった{{Sfn|野原|2013}}。さらに、[[産業革命]]による都市工業の発展や、行政の中央集権化、鉄道をはじめとする輸送手段の進歩を背景として、都市人口はこれまで以上にいちじるしく伸長していった{{Sfn|野原|2013}}{{Sfn|Lees|2015|pp=62-63}}。たとえば、[[ベルリン]]の人口は、1800年から1910年で12倍になった。国家の人口に占める都市人口も拡大し、たとえば北アメリカでは1850年から1910年にかけて、5,000人以上の居住区に住む人口が3.4%から40.9%に、[[ロシア帝国]]では1800年から1910年のあいだに14.5%から40.9%に上昇した{{Sfn|Lees|2015|pp=62-63}}。19世紀の終わりまでに、パリ・ベルリン・ウィーン・[[モスクワ]]・[[サンクトペテルブルク]]といった都市の人口は100万人を上回り、最大の都市であるロンドンの人口は650万人に突入していた{{Sfn|Lees|Lees|2013}}。
| 2,320,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 127,869(1851年, City of London); 2,363,341(1851年, Inner London)


都市の拡大は過密による都市問題をうみだした。ヨーロッパ大都市の住宅状況はおおむね劣悪であり、[[下水道]]の不備は[[コレラ]]といった感染症が流行する原因となった{{Sfn|Lees|Lees|2013}}。この時代には[[ジョルジュ・オスマン]]による[[パリ改造]]や、ウィーンの[[リングシュトラーセ]]建設といった首都の改造が積極的におこなわれ{{Sfn|日端|2008|pp=203-212}}、1900年代には各国で相次いで都市計画に関する法令が整備されていった{{Sfn|日端|2008|pp=314-322}}。[[エベネザー・ハワード]]は1898年に田園都市構想を発表し、これは1903年の[[レッチワース]]で部分的に実現した{{Sfn|増田|2013}}。近代都市計画は公衆衛生問題の解決を目的とするものであったが、1950年代より都市計画の手法は、画一的な都市景観をうみだすことを避ける、都市の複合用途や多様性を保持しうる土地利用規制手法へと転換していった{{Sfn|日端|2008|p=391|pp=}}。
|-
| align="left" rowspan=2 | [[広州市|広州]]
| 1800年
| 800,000
| 1800年
| 1,000,000
| &nbsp;


==== アジア・アフリカ ====
|-
[[ファイル:Markt te Calcutta in India, KITLV 152327.tiff|サムネイル|カルカッタ(1935年ごろ)]]
| 1825-1835年
ヨーロッパ人の進出により、清には[[上海]]、日本には[[横浜市|横浜]]といった開港都市がつくられた{{Sfn|白川|2013}}。日本では1920年代より近代都市化が進んでいき、[[關一]]のような人物が近代都市計画にもとづく都市運営をおこなった。鉄道の導入期、[[小林一三]]らはいわゆる私鉄郊外を構築し、これはのちの日本の都市の大きな特徴となった{{Sfn|Waley|2013}}。南アジアでは[[カルカッタ]]、アフリカでは[[ナイロビ]]のような都市が植民地帝国における商業の中心地となったほか、19世紀後半には[[ローデシア]]の[[リヴィングストン (ザンビア)|リヴィングストン]]や、[[南アフリカ]]の[[キンバリー]]といった採掘産業に立脚するコロニアル都市があらわれた{{Sfn|Waley|2013}}。
| 900,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 499,298(1895年, 広州城壁内); 最大推定 150万人(仏山を含む)


こうしたコロニアル都市は、反植民地的な政治運動の舞台ともなった。植民地の独立後、いくつかの都市ではソールズベリーから[[ハラレ]]といった、都市名の変更がおこなわれた{{Sfn|Waley|2013}}。また、ポスト植民地国家においては、エジプトの{{仮リンク|ナスルシティ|en|Nasr City }}といった、近代的な都市計画にもとづく新都市の設計もおこなわれた{{Sfn|Volait|al-Asad|2013}}。
|-
| align="left" rowspan=2 | パリ
| 1775年
| 600,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| &nbsp;


== ガバナンス ==
|-
「[[ガバナンス]]」という用語は、政府をふくむさまざまなアクターによって実施される、広い範囲の[[社会統制|社会的統制]]機能について論じる際に用いられる{{Sfn|Gupta et al.|2015|pp=4, 29}}。
| 1850年
| 1,314,000
| &nbsp;
| &nbsp;
| align="left" | 1,053,262(1851年, 城壁内)
|}


=== アジア ===
=== 政府 ===
[[ファイル:City Council of Tehran, 17 September 2015.jpg|thumb|[[テヘラン]]市議会(2015年)]]都市の行政府は一般的に、基礎インフラや、[[教育]]・[[警察]]・[[消防]]といった行政サービスを提供する。こうしたサービスは、多かれ少なかれ、日常的かつ平等に与えられるものである{{Sfn|Jones et al.|1980}}<ref name="Lineberry">Robert L. Lineberry, "Mandating Urban Equality: The Distribution of Municipal Public Services"; in Hahn & Levine (1980). See: {{仮リンク|Shaw, Mississippi|en|Shaw, Mississippi|label=Hawkins v. Town of Shaw}} (1971).</ref>。行政の責任は一般には市当局が負うものであるが、一部のサービスはより高位の政府の管轄となるほか<ref>George Nilson, "[http://www.baltimoresun.com/news/opinion/oped/bs-ed-state-control-police-20170228-story.html Baltimore police under state control for good reason] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171010010234/http://www.baltimoresun.com/news/opinion/oped/bs-ed-state-control-police-20170228-story.html|date=10 October 2017}}", ''Baltimore Sun'' 28 February 2017.</ref>、民営であることもある<ref>{{Cite journal|last1=Dilger|first1=Robert Jay|last2=Moffett|first2=Randolph R.|last3=Struyk|first3=Linda|year=1997|title=Privatization of Municipal Services in America's Largest Cities|url=https://www.jstor.org/stable/976688|journal=Public Administration Review|volume=57|issue=1|pages=21|doi=10.2307/976688|jstor=976688}}</ref>。現代都市において地方政府は、[[公衆衛生]]・[[交通]]・[[埋葬]]・資源の利用および採掘・[[レクリエーション]]・自然・建築物の利用といった、日常生活のあらゆる側面に介入する。こうした都市において発展した地域を統治する技術および制度は、都市に限らず多くの地域で遍在的なものとなっている<ref>McQuillan (1937/1987), §1.08.</ref>。市の代表であるところの[[市長]]の権限は、地域によってさまざまであるが、典型的にはその都市の顔として振る舞うことが多い<ref>{{Harvnb|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|p=146}}</ref>。
[[File:Chang'an Tang schema.svg|thumb|350px|唐の[[長安]]の都市図。唐帝国の首都として人類史に残る規模の栄華を誇り、唐の積極的な外交・友好政策の効果のおかげで、はるか中東やヨーロッパからやって来た人々も多数いるような[[国際都市]]であったという。]]
[[File:220325 One-thousandth scale model of Heijo Kyo.jpg|thumb|350px|日本の[[平城京]]。唐の長安の繁栄にあこがれ、それを模倣して造られた。(復元模型。[[奈良市役所]]の展示物)]]
<!--「{{要出典範囲|[[アジア]]には、伝統的に大都市が多い。これは、ベースとしての地域人口が多いからであり、一帯で主食とされている[[コメ]]は、[[小麦]]と比較して農地あたりの生産性に優れているため、人口が増加しても、一定の食糧を賄えるためである。すなわち、単位面積当たりの収量が多い[[稲作]]が、アジアの都市の大人口を支えてきた。|date=2022年10月}}」-->


都市制度はさまざまである。イギリスの人口85,000人以上の地方自治体においては、公選の市長が内閣を組織する市長・内閣制、議会のリーダーが内閣を組織するリーダー・内閣制、公選の市長と議会がカウンシルマネージャーを任命する市長・カウンシルマネージャー制のいずれかが採用される。アメリカでは、大都市においては市長の権限が強い[[市長・議会制]]、中小都市では市議会がシティマネジャーを任命する[[シティー・マネージャー制]]が多い{{Sfn|小池|2013b}}。日本の自治体では、市長と、公選の地方議員からなる地方議会からなる二元代表制が敷かれており{{Sfn|小池|2013a}}、[[政令指定都市]]ないし[[中核市]]・特例市と認められる、一定以上の規模を有する都市においては、一部の業務が上位政府より移譲される{{Sfn|小池|2013c}}。
[[漢書]]によると、紀元2年の人口調査で'''[[長安]]'''には80,800戸246,200人の人口がいたとされており、戸籍に残らなかった人口を含めて40万人程度の人口を抱えていたと推定されている。以降、[[中国]]では[[唐]]代の[[長安]]、[[北宋]] - 金代の開封、[[南宋]] - [[元 (王朝)|元]]代の杭州(銭塘)、[[明]]代の南京、[[元 (王朝)|元]]代以降の北京などが、人口100万人を超える大都市であったと推定されている。日本においても、[[平城京]]や平安京・[[平泉]]・[[鎌倉]]などが10万人以上の人口を有していたと推定されている。


=== 企業 ===
[[徳川家康]]が構想を練り造った'''[[江戸]]'''は、[[徳川幕府]]のもとで安定して比較的平和な状態が続いたおかげで、中世末期(日本においては[[近世]]とも呼ばれる)頃には人口100万人を超え、当時の世界においては[[北京]]や[[イスタンブール]](当時は[[コンスタンティノープル]])と並ぶ世界最大規模の都市となっていた。
[[ファイル:RasBeyrouth.jpg|サムネイル|[[ベイルート]]([[レバノン]])の中心部は、政府系企業である{{仮リンク|ソリデール|en|Solidere}}によって開発された<ref>{{Cite news |title=Beirut redeveloper Solidere struggles through Lebanon's turmoil |newspaper=Reuters |date=2017-12-12 |url=https://www.reuters.com/article/uk-lebanon-economy-solidere/beirut-redeveloper-solidere-struggles-through-lebanons-turmoil-idUKKBN1E60UH/ |access-date=2024-12-09}}</ref>。]]
[[グローバリゼーション]]の影響と、地方政府に対する[[多国籍企業]]の役割により、都市ガバナンスに対する視角は、地域の利害関係の調整が都市のガバナンスをかたちづくるという[[都市レジーム論]](urban regime theory)から、[[新自由主義]]的思想とも結びつく、外部からの経済支配を重んじるものへと変化していった{{Sfn|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|pp=142–143}}。新自由主義モデルにもとづくガバナンスは、公共事業の[[民営化]]、産業の[[規制緩和]]、企業によるガバナンスの主体としての地位の獲得などが特徴となる。こうした考えは、企業が{{仮リンク|官民連携|en|public-private partnerships}}の場や{{仮リンク|事業改善地区|en|business improvement district}}において行使する力、あるいは[[企業の社会的責任]]にもとづく自主規制への期待などにあらわれる。大規模な投資家や[[不動産デベロッパー]]は、事実上の都市計画者として機能する{{Sfn|Gupta et al.|2015|pp=30-31}}。


=== 財政 ===
近代以降、アジアにおける[[人口爆発]]は大都市の急成長を促す事になる。
都市の財政は、伝統的には都市内部の[[不動産]]に課される[[固定資産税]]によってまかなわれる。また、地方政府は市内で提供するサービスや土地の賃貸などによって資金を得ることもできる<ref name="Gwilliam2013">{{Cite journal|last1=Gwilliam|first1=Kenneth|year=2013|title=Cities on the Move Ten Years After &#124; Biofuel &#124; Economic Growth|url=https://www.scribd.com/document/326229357/Cities-on-the-Move-Ten-Years-After|journal=Research in Transportation Economics|volume=40|pages=3–18|doi=10.1016/j.retrec.2012.06.032|access-date=30 June 2017|archive-date=28 July 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200728140827/https://www.scribd.com/document/326229357/Cities-on-the-Move-Ten-Years-After|url-status=live}}</ref>。とはいえ、自治体サービスおよび[[都市再開発]]、そのたの開発プロジェクトの資金に関する問題は長年の課題であり、都市は上位政府への働きかけや民間部門との提携、サービスや資産の民営化ないし[[企業化]]、{{仮リンク|金融化|en|financialization}}によって対応している。このような問題は、[[脱工業化]]した都市において、あるいは企業や裕福な市民が郊外に流出した都市において、重大なものとなっている<ref>McQuillan (1937/1987), §§1.65–1.66.</ref><ref>David Walker, "The New System of Intergovernmental Relations: Fiscal Relief and More Governmental Intrusions"; in Hahn & Levine (1980).</ref><ref>{{Cite journal|last1=Voorn|first1=Bart|last2=van Genugten|first2=Marieke L.|last3=van Thiel|first3=Sandra|date=2017-09-03|title=The efficiency and effectiveness of municipally owned corporations: a systematic review|journal=Local Government Studies|volume=43|issue=5|pages=820–841|doi=10.1080/03003930.2017.1319360|hdl=2066/176125|issn=0300-3930|s2cid=157153401|doi-access=free|hdl-access=free}}</ref><ref name="Weber2010">{{Cite journal|last=Weber|first=Rachel|date=July 2010|title=Selling City Futures: The Financialization of Urban Redevelopment Policy|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1944-8287.2010.01077.x|journal=Economic Geography|volume=86|issue=3|pages=251–274|doi=10.1111/j.1944-8287.2010.01077.x|issn=0013-0095|s2cid=153912312}}</ref>。


1990年代以降の日本においては、[[不動産証券化]]にもとづく都市開発が発展していった{{Sfn|飯塚|2013}}。[[地方債]]も資金調達の手段としてしばしば用いられるほか<ref>{{Cite journal|last=Weber|first=Rachel|year=2002|title=Extracting Value from the City: Neoliberalism and Urban Redevelopment|url=http://www.overgaardtonnesen.dk/TEKSTERNE/09-Weber-Extracting-Value-from-the-City.pdf|journal={{仮リンク|Antipode (journal)|en|Antipode (journal)|label=Antipode}}|volume=34|issue=3|pages=519–540|bibcode=2002Antip..34..519W|doi=10.1111/1467-8330.00253|issn=0066-4812|access-date=26 September 2022|archive-date=26 September 2022|archive-url=https://web.archive.org/web/20220926150915/http://www.overgaardtonnesen.dk/TEKSTERNE/09-Weber-Extracting-Value-from-the-City.pdf|url-status=dead}}</ref>、開発による税金の増収を見込んだ{{仮リンク|税収増加ファイナンス|en|tax increment financing}}の利用もはじまっている<ref name="Weber2010" />。こうした状況下で、債権者および市当局は[[信用格付け]]を非常に重視するようになっている<ref>{{Cite journal|last=Pacewicz|first=Josh|date=2013-07-01|title=Tax increment financing, economic development professionals and the financialization of urban politics|url=https://academic.oup.com/ser/article-lookup/doi/10.1093/ser/mws019|journal=Socio-Economic Review|volume=11|issue=3|pages=413–440|doi=10.1093/ser/mws019|issn=1475-1461}}</ref>。
もともと家康が構想した江戸は[[明治維新]]後に大久保らによって「[[東京]]」と改称され、[[東京市]]となり{{Efn|第二次大戦前なので「東京市」}}、成長を続けて[[20世紀]]初頭には数百万人規模の都市になっていて、さらに人口は増えてゆき、[[1940年]] (昭和15年) 時点では東京23区の人口は約680万人まで増えていたのだが、[[太平洋戦争]]末期頃(1944 - 1945年頃)に米軍により東京に対して100回を超える爆撃([[東京大空襲]])が行われ、[[ナパーム弾]]などの[[焼夷弾]]が投下された東京の町々は「焼け野原」になってしまい、東京市民は殺されたり避難([[疎開]])を余儀なくされたことが影響し、人口減少が続き、太平洋戦争直後の時点では東京23区の人口は半分以下の280万人まで減っていたとされる。
なお、当時は[[大阪]]も東京に匹敵する規模を持っており、特に[[関東大震災]]で東京市の人口が激減した後には一時的に大阪は東京を上回る状態になった。一方、太平洋戦争末期には大阪も[[大阪大空襲]]の犠牲となり「焼け野原」になってしまった。


=== 都市計画 ===
[[第二次世界大戦]]の戦災で人口が減った東京は、戦後復興の中で再び成長した。現在では、[[東京]]は、「都市」として見た場合には約1000万人の規模であるが、「都市'''圏'''」のとして見た場合には[[神奈川県|神奈川]]・[[千葉県|千葉]]・[[埼玉県|埼玉]]・[[茨城県|茨城]]に住宅地が広がり、3,400万人とも言われる人口を抱える規模になっている。また、[[大阪市]]も京都市、[[神戸市]]と複数の核を合わせると都市圏人口1700万人の規模であり、続いて1.5%都市圏として人口1000万人弱を抱える[[中京圏|名古屋]]が、さらに地方中枢都市として[[福岡都市圏|福岡]]・[[札幌都市圏|札幌]]が都市圏人口200万人以上、[[仙台都市圏|仙台]]が160万人の都市圏となっている。
{{Main|都市計画|都市デザイン}}
都市計画とは、土地利用、交通、公共施設などの基本的なシステムを最適化し、特定の目標を達成するために、将来を見据えて都市を設計することである。技術者および研究者は、計画のあるべき姿を論じるべく、さまざまな{{仮リンク|都市計画の理論|en|theories of urban planning}}を提唱してきた。都市計画の手段は、都市そのものの新しい設計に限ったものではなく、たとえば[[公共資本]]への投資や、[[ゾーニング (都市計画)|ゾーニング]]といった土地利用計画の策定などがある。継続的な[[総合計画]]のプロセスには、一般的な目標の特定や、進捗状況を評価し、将来の決定に役立てるためのデータを収集することなども含まれる<ref>Levy (2017), pp. 193–235.</ref><ref name="McQuillin1987planning">McQuillin (1937/1987), §§1.75–179.</ref>。


都市計画の最終的な法的権限を有するのは政府であるが、実際のプロセスには官民の双方が携わる。政府は、都市計画にあたって[[土地収用]]をおこなう法的権利を有している{{Sfn|McQuillan|1987|pp=75–179}}。都市計画はしばしばある者に不利益を与えるトレードオフの構造となるため、より広い政治的状況とも密接に関連する{{Sfn|Levy|2017|p=10}}。
20世紀後半には、[[工業化]]の進んだ国だけではなく、[[開発途上国|途上国]]でも都市人口が急増した。より良い[[雇用]]や教育の機会を求めて、地方から過密都市に多量の人口が流入したためである。中国・インド・[[パキスタン]]などの大人口国家においては、名目で1千万人を超える[[メガシティ|巨大都市]]を初めとして、大都市が首都以外に幾つも生まれている。


== 社会・経済 ==
都市部への一極集中などによって大都市が過密化してくると、地方、国内の拠点だけでなく海外との交流拠点も担うグローバル化が進行するため、地価は高騰し、中心部はより高次な開発が求められるようになる。その結果、中心部に北米の大都市を思わせるような超高層ビルが建ち並ぶ大都市が幾つも見られるようになってきた。経済成長が顕著な中国・東南アジア・インド・中東(後述)については、このタイプの都市が多く、近年は内陸部の拠点都市でもそのような都市形成が行われている。住宅開発も市街地拡大に沿って行われていき、主に自動車道に沿って、中層階級のための[[団地]]が延々と建設されていくが、一方で肥大化する都市形成にインフラや交通基盤の整備などが追いつかず、[[道路渋滞]]や[[通勤ラッシュ]]が慢性化している他、その外れには、都心や団地に住めない貧困層が、不法に[[スラム]]を形成している例が多い。
=== 居住地域構造 ===
{{Main|居住地域構造}}
[[ファイル:Race and ethnicity 2010- Chicago (5560488484).png|サムネイル|[[シカゴ]]の人種地図。1ドットが25人をあらわす。{{hr}}{{legend inline|white|白人|outline=white|text=⬤|textcolor=#ff0000}} {{legend inline|white|黒人|outline=white|text=⬤|textcolor=#0000ff}} {{legend inline|white|アジア人|outline=white|text=⬤|textcolor=#00ffaa}} {{legend inline|white|ヒスパニック|outline=white|text=⬤|textcolor=#ffa600}} {{legend inline|white|その他|outline=white|text=⬤|textcolor=#ffff07}}]]
都市社会は、典型的には[[社会階層|階層的]]である。都市空間では、民族・経済・人種などによる[[セグリゲーション (社会現象)|セグリゲーション]]がおこる。居住地が近接していたとしても、生活・労働・娯楽の場が分離されることにより、民族的飛び地({{仮リンク|エスニック・エンクレイブ|en|ethnic enclave}})ないしライフスタイルの飛び地({{仮リンク|ライフスタイル・エンクレイブ|en|lifestyle enclave}})と呼ばれる空間が形成される。貧困層が集中する地域では、[[ゲットー]]がつくられる。アメリカのような地域では貧困は[[インナーシティ]]と結びつけられていたが、フランスではむしろ郊外([[バンリュー]])に結びつけられる。ヨーロッパおよび北アメリカでは、もっとも分離された人種集団は白人である。[[ゲーテッドコミュニティ]]のような居住区は世界的に増加しつつあり、地域のエリートは自らを安全な住区に自己隔離している{{Sfn|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|pp=131–140}}。


=== ヨーロッパ ===
=== ハウジング ===
{{仮リンク|ハウジング (住宅)|en|Housing|label=ハウジング}}は、多くの都市が直面する問題である。十分なハウジングには、雨風をしのげる機能だけではなく、生活と経済活動を維持するために必要なシステムがふくまれる必要がある<ref>McQuillin (1937/1987), §1.74.</ref>。
[[File:Forum Romain 05 2017.jpg|thumb|250px|[[フォロ・ロマーノ]]。ローマ帝国の首都であったローマの遺跡。]]
古代[[ヨーロッパ]]においては、(古代[[ローマ帝国]]が、ライバル国の[[フェニキア]]との戦いに勝ち[[地中海世界]]の覇権を握り、ヨーロッパでは[[ガリア]](現在のフランスあたり)や、はるか[[イングランド]]の地あたりまでも征服することに成功した結果、ローマ帝国の首都の)[[ローマ]]が200万人とも推定される巨大都市へと成長した。だがその後、商業の衰退や[[荘園]]化、相次ぐ異民族の進入や内乱による都市の破壊が進み、ヨーロッパの都市は軒並み衰退した<ref>{{Cite book|和書|author = 林玲子|title = 世界歴史人口推計の評価と都市人口を用いた推計方法に関する研究 第五章 考察 4.ヨーロッパ人口について |origdate = 2007-06-27|url = http://www.linz.jp/worldpop/jp07/540.html|accessdate = 2014-11-14|id = 書誌ID 000009362321}}</ref>。


持ち家は、特に低賃金労働者の場合にはほとんどの賃金を費やさなければいけない家賃の問題を解決するという点において、わずかに賃貸物件よりも経済的安定性がある。住宅の欠如([[ホームレス]])は、数百万人に直面する問題である<ref>Ray Forrest & Peter Williams, "Housing in the Twentieth Century"; in Paddison (2001).</ref>。
[[中世]]の都市人口は、最大でも40万から60万人規模([[後ウマイヤ朝]]の首都[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]や、[[東ローマ帝国]]の首都コンスタンティノポリスなど。いずれも[[イスラム圏]]や[[東方正教会]]の影響圏)であった。特に、西ヨーロッパでは10万人規模を超えた例はまれであった([[百年戦争]]休戦期の[[パリ]]が推定28万人, 最盛期の[[ヴェネツィア]]が推定11万人)。


=== 経済 ===
[[大航海時代]]到来後、ヨーロッパ各所に10万人規模を超える都市が出現する。
都市には[[規模の経済]]・[[集積の経済]]・[[範囲の経済]]の3要因により経済が集中する。規模の経済は、[[生産量]]の増加によって[[平均費用]]([[費用|総費用]]/生産量)が低下する([[収穫逓増]])ことをいい、たとえば大企業とその労働者によって形成される[[企業城下町]]に当てはまる。集積の経済は、多数の企業や人が一箇所に集まることによって、情報や生産手段、輸送手段といった諸費用の節減が生じることである。これは、同一業種の集積だけでなく他業種の集積によってもおこる{{Sfn|居城|2013}}。


都市の密度は商業を活性化させるほか、{{仮リンク|知識のスピルオーバー|en|knowledge spillover}}をうむため、人々や企業は情報交換をおこない、新しいアイデアを生み出すことができる<ref>{{Cite web |url=http://www.philadelphiafed.org/files/br/brq401gc.pdf |title=Knowledge Spillovers |access-date=16 May 2010 |archive-date=1 May 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140501140511/http://www.philadelphiafed.org/files/br/brq401gc.pdf |url-status=dead}}</ref><ref name="CalderFreytas2009">{{Cite journal|last1=Calder|first1=Kent E.|last2=de Freytas|first2=Mariko|year=2009|title=Global Political Cities as Actors in Twenty-First Century International Affairs|url=https://muse.jhu.edu/article/269254|journal=SAIS Review of International Affairs|volume=29|issue=1|pages=79–96|doi=10.1353/sais.0.0036|issn=1945-4724|s2cid=154230409}}</ref>。また、労働市場が厚くなることは、企業と労働者の間でのスキルマッチングの可能性を高める<ref name=":4">{{Cite journal|last1=Borowiecki|first1=Karol J.|year=2015|title=Agglomeration Economies in Classical Music|url=https://ideas.repec.org/p/cue/wpaper/awp-02-2013.html|journal=Papers in Regional Science|volume=94|issue=3|pages=443–468|bibcode=2015PRegS..94..443B|doi=10.1111/pirs.12078|hdl=10419/246978|access-date=11 November 2015|archive-date=4 March 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20160304201317/https://ideas.repec.org/p/cue/wpaper/awp-02-2013.html|url-status=live|hdl-access=free}}</ref>。{{仮リンク|ジェフリー・ウェスト |en|Geoffrey West}}によれば、都市の規模が倍増するごとに、居住者一人当たりの賃金も15%上昇する<ref>{{Cite journal|last1=Bettencourt|first1=L. M. A.|last2=Lobo|first2=J.|last3=Helbing|first3=D.|last4=Kuhnert|first4=C.|last5=West|first5=G. B.|year=2007|title=Growth, innovation, scaling, and the pace of life in cities|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences|volume=104|issue=17|pages=7301–7306|bibcode=2007PNAS..104.7301B|doi=10.1073/pnas.0610172104|pmc=1852329|pmid=17438298|author-link5=Geoffrey West|doi-access=free}}</ref>。範囲の経済は、同じ生産要素を利用して複数の財を生産することにより、個々の費用を削減することである。道路や港湾、空港といった社会資本は範囲の経済をうみだし、都市への集中を進める要因として機能する{{Sfn|居城|2013}}。とはいえ、インフラの共有は人口密度が非常に多い都市においては、混雑や待ち時間の増加といった負の効果を発生させる可能性がある<ref name=":4" />。
[[産業革命]]後、[[工業]]の集積で[[ロンドン]]が巨大化。数百万人規模の都市となり、[[19世紀]]中葉において世界最大の都市となった。その後、各地で工業化が進むにつれ、人口100万人を越える大都市が複数生まれた。


都市の発展を支えたのは伝統的には工業であるが、現代社会においては多くの都市が[[第三次産業]]ないし[[サービス]]に依存している。ここでいうサービスには、[[観光業]]・[[ホスピタリティ産業]]・[[エンターテインメント|エンターテインメント産業]]・[[家事代行]]といったものから、[[法務]]・金融コンサルタント・経営業までさまざまな業務が含まれる{{Sfn|Kaplan|2004|pp=160–165}}<ref>[[サスキア・サッセン|Saskia Sassen]], "[https://www.researchgate.net/profile/Saskia_Sassen/publication/246326854_Global_Cities_and_Survival_Circuits/links/5411771c0cf29e4a2329630c.pdf Global Cities and Survival Circuits] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171010004747/https://www.researchgate.net/profile/Saskia_Sassen/publication/246326854_Global_Cities_and_Survival_Circuits/links/5411771c0cf29e4a2329630c.pdf|date=10 October 2017}}"; in ''Global Woman: Nannies, Maids, and Sex Workers in the New Economy'' ed. [[バーバラ・エーレンライク|Barbara Ehrenreich]] and [[アーリー・ラッセル・ホックシールド|Arlie Russell Hochschild]]; New York: Henry Holt and Company, 2002.</ref>。また、都市は[[買物]]を通じ、小売商業および消費の拠点として機能してきた。20世紀には[[百貨店]]などにより、都市は[[広告]]・[[パブリック・リレーションズ|PR活動]]・[[装飾美術|装飾]]・[[デザイン]]などを通して、[[消費主義]]による自己表現および逃避のための空間として演出された<ref>{{Harvnb|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|pp=160–164}}</ref>{{Sfn|Leach|1993|pp=173–176}}。
現代では、ヨーロッパの人口停滞を背景に、都市の急成長は見られなくなった。主に、各国の首都が大都市となっている他には、大都市は少ない。首都以外での大都市の例としては、[[バルセロナ]]、[[バーミンガム]]、[[ミラノ]]、[[ハンブルク]]、[[ミュンヘン]]など、[[国民国家]]誕生以前の地方国家の首都だった都市や、産業革命で鉱工業都市となった都市がある。


=== 文化 ===
機能的でフレンドリーな方法で都市を創造する努力がなされてきた。典型的な例は、[[16世紀]]に設立された[[ポーランド]]の[[ザモシチ]]市である。[[ザモシチ]] は、[[ルブリン]]市から約80kmの[[高地]]に建設された。当時、通りや建物の特別なレイアウトのおかげで完璧な都市であった。
[[ファイル:Paris - Eiffelturm und Marsfeld2.jpg|thumb|パリは、国際的な文化的地位の高い都市として知られている<ref>{{Cite web |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/019/04111002/003/001.pdf |title=各国の主な文化政策について |access-date=2024-12-09 |publisher=文部科学省}}</ref>。]]
都市は教育や芸術の中心地であり、[[大学]]・[[美術館]]・[[博物館]]・[[寺院]]といった、さまざまな文化に関連する施設を支えている<ref name="Marshall14">Marshall (1989), pp. 14–15.</ref>。都市には規模も様式もさまざまである、多くの建築が立ち並ぶ。[[超高層建築物]]は小さな土地占有面積で多くのオフィスや住居を提供し、遠くからもよく見えることから、都市のアイコン的な特徴となっている{{Sfn|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|pp=84–85}}。文化的エリートは都市に居住する傾向にあり、[[文化資本]]を共有する。また、彼ら自身が都市のガバナンスにかかわることもある<ref>{{Cite journal|last=Zheng|first=Jane|date=2017-05-19|title=Toward a new concept of the 'cultural elite state': Cultural capital and the urban sculpture planning authority in elite coalition in Shanghai|url=https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/07352166.2016.1255531|journal=Journal of Urban Affairs|volume=39|issue=4|pages=506–527|doi=10.1080/07352166.2016.1255531|issn=0735-2166|s2cid=149125180}}</ref>。都市は、文化や教養の中心地としての地位から、[[文明]]、人類史、そして[[社会変動論|社会変動]]の中心地とみなすことができる<ref>McQuillan (1937/1987), §§1.04–1.05. </ref><ref>{{Cite journal|last1=Redfield|first1=Robert|last2=Singer|first2=Milton B.|year=1954|title=The Cultural Role of Cities|url=https://www.jstor.org/stable/1151661|journal=Economic Development and Cultural Change|volume=3|issue=1|pages=53–73|doi=10.1086/449678|issn=0013-0079|jstor=1151661|url-status=live|s2cid=154664764|archive-url=https://web.archive.org/web/20180815091004/https://www.jstor.org/stable/1151661|archive-date=2018-08-15}}</ref>。


都市の人口密度は、[[伝令]]・印刷された[[布告]]・[[新聞]]・[[デジタルメディア]]を通じた、[[マスコミュニケーション]]や[[ニュース]]の伝達に効果的にはたらく。これらの通信ネットワークは依然として都市を拠点とすることが多いものの、人の住むところの大半に深く浸透している。短時間での通信・輸送が容易になった現代社会において、都市文化なるものはもはや誰でもアクセス可能であり<ref name="HugoEtAl20032">Graeme Hugo, Anthony Champion, & Alfredo Lattes, "[https://www.jstor.org/stable/3115228 Toward a New Conceptualization of Settlements for Demography] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20200729082041/https://www.jstor.org/stable/3115228|date=29 July 2020}}", ''Population and Development Review'' 29(2), June 2003.</ref><ref>Magnusson (2011), p. 21. </ref><ref>Mumford (1961), pp. 563–567. </ref>、もはや有効な概念ではないとする意見も少なくない<ref>{{Cite book |last1=Theall |first1=Donald F. |title=The virtual Marshall McLuhan |last2=Carpenter |first2=Edmund |date=2001 |publisher=McGill-Queen's Univ. Press |isbn=978-0-7735-2119-3 |location=Montreal}}</ref>。
中心市街地が歴史的価値を持っている都市では、都市開発に制限が設けられている(市街地自体が[[世界遺産]]に登録されている都市も多い)おかげで、アジアや北アメリカのように殺伐とした摩天楼が林立してしまうような事態は免れた。第二次世界大戦の空襲で完全に破壊されたドイツの金融都市・[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]や、中心市街地付近の[[廃墟]]をビル街として再開発したロンドン([[ドックランズ]])や、[[ベルリン]]([[ポツダム広場]])、ヨーロッパの玄関口に位置する[[ロッテルダム]]などは例外である。


都市の文化的地位は、それを企業や投資家、住民、観光客などに宣伝する諸戦略とむすびついたものである<ref>Ashworth, Kavaratzis, & Warnaby, "The Need to Rethink Place Branding"; in Kavaratzis, Warnaby, & Ashworth (2015), p. 15.</ref><ref name="Wachsmuth2014">{{Cite journal|last1=Wachsmuth|first1=David|year=2014|title=City as Ideology: Reconciling the Explosion of the City Form with the Tenacity of the City Concept|url=https://www.researchgate.net/publication/275321247|journal=Environment and Planning D: Society and Space|volume=32|issue=1|pages=75–90|bibcode=2014EnPlD..32...75W|doi=10.1068/d21911|s2cid=144077154|access-date=30 June 2017|archive-date=24 October 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20181024192135/https://www.researchgate.net/publication/275321247|url-status=live}}</ref><ref>Adriana Campelo, "Rethinking Sense of Place: Sense of One and Sense of Many"; in Kavaratzis, Warnaby, & Ashworth (2015).</ref><ref name="KerrOliver2015">Greg Kerr & Jessica Oliver, "Rethinking Place Identities", in Kavaratzis, Warnaby, & Ashworth (2015).</ref>。{{仮リンク|チャールズ・ランドリー|en|Charles Landry}}と[[リチャード・フロリダ]]は、脱工業社会における都市経営においてクリエイティブ産業の集積を重視する{{仮リンク|創造都市|en|Creative city}}の理念を人口に膾炙させたが、一方でこうした考えは、都市運営において、市民の便益よりも消費者に向けたスペクタクルを重視する企業家主義的なものであるとして、[[デヴィッド・ハーヴェイ]]のような研究者から批判されている{{Sfn|笹島|2013}}。[[オリンピック]]のような[[メガイベント]]もまた、都市の文化的競争とかかわっている。多くの都市は、自らのアイデンティティを再定義するための手段としてこうしたイベントを利用している{{Sfn|町田|2013}}。
{{Gallery
|width = 220px
|File:Tammerkoski from air.jpg|[[フィンランド]]の[[ピルカンマー県]]の[[タンペレ]]は、世界で最も北にある主要都市の1つ。街には{{ill|タンメルコスキ川|en|Tammerkoski}}が流れている。
|File:University of Tartu, Main Building, April 2012.JPG|[[タルトゥ]]は[[エストニア]]の文化と教育の都市。写真はタルトゥ大学。
|File:Zamość. Ratusz..jpg|ポーランド、ザモシチ市庁舎
}}


==インフラ==
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都市インフラには、交通・水道・エネルギー・レクリエーション・その他の公共機能に必要な、さまざまな物理的ネットワークや空間が含まれる<ref name="Tarr">{{仮リンク|Joel A. Tarr|en|Joel A. Tarr}}, "The Evolution of the Urban Infrastructure in the Nineteenth and Twentieth Centuries"; in Hanson (1984).</ref>。インフラは[[固定資本]]として高い初期費用を伴うものの[[限界費用]]は低く、結果として規模の経済は正にはたらく<ref name="WellmanSpiller2012">Wellman & Spiller, "Introduction", in Wellman & Spiller (2012).</ref>。[[参入障壁]]の高さゆえに、インフラ網は[[自然独占]]となり、このことは、ひとつの組織がこうしたネットワークを管理する状態が経済学的に自然であることを示している<ref name="Bakker2003">{{Cite journal|last=Bakker|first=Karen|authorlink=Karen Bakker|date=December 2003|title=Archipelagos and networks: urbanization and water privatization in the South|journal=The Geographical Journal|volume=169|issue=4|pages=328–341|bibcode=2003GeogJ.169..328B|doi=10.1111/j.0016-7398.2003.00097.x}}</ref><ref name="WellmanPretorius2012">{{Harvtxt|Wellman|Spiller|2012|loc=Urban Infrastructure: Productivity, Project Evaluation, and Finance}}</ref>。
ロシアはヨーロッパではなくユーラシア国家。ロシアの東端は、日本の北方領土。つまり極東にある。通常、モスクワはヨーロッパに入れない。


インフラは一般に、都市の経済および規模拡大のキャパシティを決定づけるにあたって、重要な役割を有している。インフラは、住民の技術・商業・産業・社会的な活動、さらには生存を支える<ref name="Tarr" /><ref name="WellmanSpiller2012" />。構造的には、多くのインフラシステムは、冗長リンク・複数経路を有するネットワークとして構築されており、一部が使用不能となっても全体の機能が失われることはない<ref name="WellmanPretorius2012" />。インフラ網はすでにあるものを増補するようにして構築されるため、歴史的事情にもとづく[[経路依存性]]を有する<ref name="WellmanSpiller2012" />。都市インフラはあらゆる市民に平等に提供されるべきものであるが、実際には不均衡が生じることもあり、一部の都市では明確に「一等」と「二等」がわかれる<ref name="Lineberry" /><ref>{{Harvnb|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|p=75}}</ref><ref name="Bakker2003" />。
「ヨーロッパでは[[ロシア]]の[[モスクワ]]のみが1000万人を超える人口を誇っている。」
-->


=== アフリカ ===
=== 公共設備 ===
[[衛生設備]]は、高い人口密度で健康を維持するために必要なものであり、水道および[[廃棄物処理]]、個人の衛生管理などが必要になる。都市の水道設備は、水を供給する[[上水道]]と、[[生活排水]]および雨水を処理する[[下水道]]からなる。歴史的には、こうした水道設備は地方自治体ないし民間企業が担うことが多かったが、20世紀には中央政府による給水が、21世紀には民間企業による給水が増加する傾向にあった<ref name="Bakker2003" />。民間の水道事業者としては、[[ヴェオリア・ウォーター]]と[[エンジー]]の2社が、世界の水道契約の7割を担っているといわれている<ref name="Bakker2003" /><ref>{{Cite journal|last=Goldman|first=Michael|date=September 2007|title=How "Water for All!" policy became hegemonic: The power of the World Bank and its transnational policy networks|url=https://www.researchgate.net/publication/222173476|journal=Geoforum|volume=38|issue=5|pages=786–800|doi=10.1016/j.geoforum.2005.10.008|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170918020813/https://www.researchgate.net/profile/Michael_Goldman8/publication/222173476_How_Water_for_All_policy_became_hegemonic_The_power_of_the_World_Bank_and_its_transnational_policy_networks/links/569d1e4408ae03384dd049c5/How-Water-for-All-policy-became-hegemonic-The-power-of-the-World-Bank-and-its-transnational-policy-networks.pdf|archive-date=2017-09-18}}</ref>。
[[アフリカ]]では、紀元前から[[エジプト]]において都市が発達している。特に、[[ヘリオポリス]]近隣は都市が少しずつ場所を変えて成長し、[[フスタート]]、カイロへと発展する。学者によっては[[プトレマイオス朝]]時代の[[アレキサンドリア]]は100万人を超える人口を抱えていたと推定している。
また、[[フェニキア人]]が植民都市とした[[カルタゴ]]も全盛期には50万人規模の人口があったと推定されており、[[ローマ時代]]も北アフリカの重要な都市として栄えていた。


現代の都市生活は、電気機械や信号機、街灯、室内照明まで、電気として供給されるエネルギーに大きく依存している。また、通信に供する電話線やケーブル網も張り巡らされている{{Sfn | Latham | McCormack | McNamara | McNeill | 2009 | pp=169–170}}。
[[7世紀]]以降、[[イスラム教]]の伝播により、各地に祭礼と[[交易]]の拠点が築かれ、アフリカ北部で都市が発達した。[[サハラ砂漠]]を越える[[キャラバン]]など交易の網は広がり、次第にサハラ以南においても都市が発達した。


===交通===
大航海時代以降、ヨーロッパ諸国による[[奴隷貿易]]や[[商品貿易]]の拠点として、西アフリカの[[ギニア湾]]沿岸に港湾都市が建設された。以降、植民地の統括中心地として各地に都市が作られた。
{{See also|公共交通機関}}
[[ファイル:Traffic_congestion_Jl_Asia_Afrika_Bandung.jpg|thumb|[[バンドン (インドネシア)|バンドン]](インドネシア)の交通渋滞]]都市は分業制および[[賃労働]]にもとづく経済システムに依拠しているため、居住者は自宅と労働先・職場・買い物先・遊び場を行き来するために、なんらかの移動手段をもたなければならない<ref name=":5">Grava (2003), pp. 1–2.</ref>。都市住民は徒歩ないしなんらかの[[車両]]で道路を移動するか、あるいは鉄道を用いた移動をおこなう。また、都市は他地域との連絡を、トラック・鉄道・航空機といった長距離輸送手段に依存している<ref name="Hart2001">Tom Hart, "Transport and the City"; in Paddison (2001).</ref>。


歴史的には、都市の街道は馬や[[歩行者]]のためのものだった<ref name=":5" />。20世紀初頭には、西洋世界で自転車(ないし[[ベロシペード]])が短中距離の移動にあたって人気を博し<ref>Grava (2003)</ref><ref>Smethurst pp. 67–71.</ref>、ヨーロッパの影響下でアジア・アフリカにおいてより強固な基盤を築いた<ref>Smethurst pp. 105–171.</ref>。特に西洋世界において、路面電車のような交通機関の誕生は、沿線の住宅地開発をうながし、都市を拡大させた<ref name="Hart2001" /><ref name="WhittYago1985">{{Cite journal|last1=Whitt|first1=J. Allen|last2=Yago|first2=Glenn|date=September 1985|title=Corporate Strategies and the Decline of Transit in U.S. Cities|url=http://journals.sagepub.com/doi/10.1177/004208168502100106|journal=Urban Affairs Quarterly|volume=21|issue=1|pages=37–65|doi=10.1177/004208168502100106|issn=0042-0816|s2cid=153704300}}</ref>。20世紀中葉以降には、都市は自動車交通に依存するようになり、都市景観に影響を与えた<ref name="Borden">Iain Borden, "Automobile Interstices: Driving and the In-Between Spaces of the City"; in Brighenti (2013).</ref>。これは特にアメリカにおいて劇的であった一方、ヨーロッパにおいてはそうでもなかった<ref name="Hart2001" /><ref name="WhittYago1985" />。[[自家用自動車]]の台頭は、都市経済圏が郊外に向かって拡張していったことにともなうものであり、交通問題および新しい高速道路、広い幹線道路、歩行者のための道路をうみだした<ref>Moshe Safdie with Wendy Kohn, ''The City After the Automobile''; BasicBooks (HarperCollins), 1997; {{ISBN2|0-465-09836-3}}; pp. 3–6.</ref><ref>Grava (2003), pp. 128–132, 152–157.</ref>{{Sfn|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|p=30–32}}<ref name="Wachsmuth2014" />。しかし、自家用車の保有台数の増加と都市化の進展により、既存の道路網は圧倒されており、深刻な交通渋滞が世界の都市でつねに起こり続けている<ref name="Gwilliam2013" />。
第二次世界大戦後、[[アフリカの年]]を経て独立した国々が、自らの都市として整備を開始したが、間もなく各地で[[内戦]]が勃発。長引く戦乱により、経済活動が停滞して発展を阻害されている。一方、各国の首都などには、地方から[[飢饉]]や内戦を逃れたり、教育や雇用の機会を求めて人口が流入し、無秩序な拡大の一途をたどっている。収容し切れない人口は、都市周辺にスラムを形成している。


== 文化的表象としての都市 ==
=== 中東 ===
[[ファイル:The fall of Babylon; Cyrus the Great defeating the Chaldean Wellcome V0034440.jpg|thumb|ジョン・マーティン(1831年)『バビロンの陥落』]]
[[中東]]は、人類が初めて都市を作った場所の一つであり、初めて[[戦争]]を行った場所の一つである([[ハモウカル]]を参照)。以来、多くの[[王国]]や[[帝国]]が生まれ、[[東西交易]]の拠点として商業都市が繁栄していた。[[ウル]]、[[ウルク]]、[[バビロン]]、[[スーサ]]、[[ニネヴェ]]、[[ダマスカス]]、[[エルサレム]]、[[ペルセポリス]]、[[セレウキア]]と対岸の[[クテシフォン]]などがその典型である。その多くは、川の流れの変化や政治的拠点の喪失などにより衰退した。
都市は西洋世界において重要な役割を果たしており、[[聖書]]においては[[バビロン]]や[[エルサレム]]というかたちで、聖なるものとしても邪悪なものとしてもあらわれる<ref>Ellul (1970).</ref>。


都市は、両極端の観点から捉えられることがある。つまり、都市は開放的であると同時に抑圧的であり、裕福であると同時に貧困であり、組織的であると同時に混沌としている<ref>Gary Bridge and Sophie Watson, "City Imaginaries", in Bridge & Watson, eds. (2000).</ref>。{{仮リンク|反都市主義|en|anti-urbanism}}は、都市に対するさまざまなイデオロギー的反発を指す。これらは、都市の文化や国家との政治的関係といった理由に起因する。こうした思想は、都市を抑圧や支配階級と結び付けて認識することによって生じる場合がある<ref>Herrschel & Newman (2017), pp. 7–8.</ref>。このような思想や、他の政治的イデオロギーは、都市に関する言説のナラティブやテーマに、強い影響を与える<ref name="Lynch2008p678">Kevin A. Lynch, "What Is the Form of a City, and How is It Made?"; in Marzluff et al. (2008), p. 678.</ref>。よって、都市はそれぞれの社会を象徴する存在となる<ref>{{仮リンク|J.E. Cirlot|en|J.E. Cirlot}}, "City"; ''A Dictionary of Symbols'', 2nd ed., translated from Spanish to English by Jack Read; New York: Philosophical Library, 1971; pp. 48–49 ([https://archive.org/stream/DictionaryOfSymbols/Dictionary%20of%20Symbols#page/n103/mode/2up online]).</ref>。
イスラム教の拡大により[[11世紀]]頃には、世界でも最先端の技術と文化が生み出される繁栄の拠点となった。百万都市バグダード、イスラム教の聖地[[メッカ]]、[[バスラ]]、[[アデン]]、[[イスファハン]]、または、ヨーロッパ側のイスタンブール、アフリカ側のカイロなども、[[イスラム文化]]の中心地として繁栄した。


著述家・画家・映画製作者は、都市における経験に関するさまざまな作品を手がけてきた。ヨーロッパの古典・中世文学には、都市の特徴と歴史を扱った''{{仮リンク|都市に関する文学的描写の一覧 (-1550年)|en|List of literary descriptions of cities (before 1550)|label=descriptiones}}''と呼ばれるジャンルがあった。[[チャールズ・ディケンズ]]や[[ジェイムズ・ジョイス]]といった作家は、自らの故郷の都市を舞台とする情緒豊かな作品を描写した{{Sfn|Latham|McCormack|McNamara|McNeill|2009|p=115}}。[[フリッツ・ラング]]は、[[タイムズ・スクエア]]のネオン街に影響を受け、1927年の映画である『[[メトロポリス (1927年の映画)|メトロポリス]]』を制作した<ref>Leach (1993), p. 345.</ref>。さまざまな形態の作品において、未来都市は[[ユートピア]]や[[ディストピア]]として描かれた。都市が拡大し、コミュニケーションが進化し、世界の都市間で相互依存がますます深まるという展望は、ニューヨーク・ロンドン・香港が融合した{{仮リンク|ナイロンコン|en|Nylonkong}}のようなイメージや<ref>Curtis (2016), pp. vii–x, 1.</ref>、世界を包括する単一の都市である{{仮リンク|エキュメノポリス|en|ecumenopolis|redirect=1}}といった構想を生んだ<ref>[[コンスタンティノス・ドキシアディス|Constantinos Apostolou Doxiadis]], ''[http://www.doxiadis.org/ViewArticle.aspx?ArticleId=14929 Ecumenopolis: Tomorrow's City] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171010005729/http://www.doxiadis.org/ViewArticle.aspx?ArticleId=14929|date=10 October 2017}}''; Britannica Book of the Year, 1968. Chapter V: Ecumenopolis, the Real City of Man. </ref>。
大航海時代以降、陸上貿易が衰えて、商業拠点としての優位性を失った都市は、次第に発展が頭打ちとなり、19世紀にはヨーロッパの都市発展を前に、相対的な没落を経験する。その一方で、[[ベイルート]]が欧米との玄関口となる港湾都市として発達。1975年の[[レバノン内戦]]勃発まで中東で重要な経済・貿易拠点となった。


==出典==
第二次世界大戦以降、特に、[[石油危機]]の後は[[オイルマネー]]の流入により経済的に躍進を遂げ、[[ペルシャ湾|アラビア湾]]岸には莫大な資金で維持される豊かな都市が現れた。これらの都市の富裕ぶりに人口が集中して、砂漠の中に大都市が存在している。
{{Reflist|3}}


== 参考文献 ==
=== アングロアメリカ ===
[[アングロアメリカ]]では、[[ミシシッピ文化]]の時代に各地で大規模な祭祀センターが築かれ、[[カホキア]]は最盛期に人口が1万人に達したと考えられている。しかし、ヨーロッパ人と接触したころにはすでに人々の分散が進んでいた。


=== 英語 ===
[[17世紀]]ごろから西欧諸国による植民地化が始まると、[[大西洋]]岸に新たな都市が誕生していった。当初、大西洋岸に限られていた都市は、19世紀後半には[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]から[[太平洋]]岸にまで存在するようになり、その中の幾つかは、20世紀初頭に大都市となった。
* {{Cite journal|last=Cameron|first=Monroe, J.|year=2018|title="Elephants for Want of Towns": Archaeological Perspectives on West African Cities and Their Hinterlands|journal=Journal of Archaeological Research|volume=26|issue=4|pages=387–446|ref={{SfnRef|Cameron|2018}}|doi=10.1007/s10814-017-9114-2}}
* {{Cite book |last=Clayton |first=Sarah C. |title=Early Cities in Comparative Perspective, 4000 BCE-1200 CE |series=The Cambridge World History, Vol. 3 |publisher=Cambridge University Press |year=2015 |isbn=9780521190084 |ref={{SfnRef|Clayton|2015}} |pages=279-299 |chapter=Teotihuacan: an early urban center in its regional context}}
* Curtis, Simon (2016). ''Global Cities and Global Order''. Oxford University Press. {{ISBN2|978-0-19-874401-6}}
* [[ジャック・エリュール|Ellul, Jacques]] (1970). ''{{仮リンク|The Meaning of the City|en|The Meaning of the City}}''. Translated by Dennis Pardee. Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 1970. {{ISBN2|978-0-8028-1555-2}}; French original (written earlier, published later as): [[:fr:Sans feu ni lieu : Signification biblique de la Grande Ville|Sans feu ni lieu : Signification biblique de la Grande Ville]]; Paris: Gallimard, 1975. Republished 2003 with {{ISBN2|978-2-7103-2582-6}}
* Grava, Sigurd (2003). ''Urban Transportation Systems: Choices for Communities''. McGraw Hill, e-book. {{ISBN2|978-0-07-147679-9}} 
* {{Cite book |editor1-last=Gupta |editor1-first=Joyetta |editor2-last=Pfeffer |editor2-first=Karin |editor3-last=Verrest |editor3-first=Hebe |editor4-last=Ros-Tonen |editor4-first=Mirjam |title=Geographies of Urban Governance: Advanced Theories, Methods and Practices |publisher=Springer |year=2015 |isbn=978-3-319-21272-2 |ref={{SfnRef|Gupta et al.|2015}}}}
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* {{Cite book |last1=Jones |first1=Bryan D. |last2=Greenberg |first2=Saadia R. |last3=Kaufman |first3=Clifford |last4=Drew |first4=Joseph |chapter=Service Delivery Rules and the Distribution of Local Government Services: Three Detroit Bureaucracies |title=Urban Politics: Past, Present, & Future |editor1-last=Hahn |editor1-first=Harlan |editor2-last=Levine |editor2-first=Charles |publisher=Longman |location=New York & London |year=1980 |ref={{SfnRef|Jones et al.|1980}}}}
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* {{Cite book |last1=Kaplan |first1=David H. |last2=Wheeler |first2=James O. |last3=Holloway |first3=Steven R. |last4=Wheeler |first4=James O. |title=Urban Geography |publisher=John Wiley & Sons, Inc. |year=2014 |isbn=9781118573853 |ref={{SfnRef|Kaplan et al.|2014}} |edition=3rd}}
* {{Cite conference|last=Kennet|first=Derek|title=Reconsidering the decline of urbanism in late Early Historic and Early Medieval South Asia|conference=The Orient on the Eve of Islam|location=Paris, France|pages=331-353|url=https://durham-repository.worktribe.com/output/1157710|ref={{SfnRef|Kennet|2013}}|year=2013}}
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* {{Cite book |last=Lees |first=Andrew |title=The City: A World History |series=New Oxford World History |publisher=Oxford University Press |year=2015 |isbn=9780199859542 |ref={{SfnRef|Lees|2015}}}}
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* {{Cite book |last=Waley |first=Paul |chapter=Japan |title=The Oxford Handbook of Cities in World History |editor=Peter Clark |publisher=Oxford University Press |year=2013 |edition=online edn |doi=10.1093/oxfordhb/9780199589531.013.0029 |ref={{SfnRef|Waley|2013}}}}
* {{Cite book |editor1-last=Wellman |editor1-first=Kath |editor2-last=Spiller |editor2-first=Marcus |title=Urban Infrastructure: Finance and Management |publisher=Wiley-Blackwell |location=Chichester, UK |year=2012 |isbn=978-0-470-67218-1 |ref={{SfnRef|Wellman|Spiller|2012}}}}


=== 日本語 ===
[[アングロアメリカ]]の都市は、世界に先駆けてモータリゼーションを経験した事から、[[自動車]]保有を前提にした[[都市計画]]が実施されると共に、[[連邦]]制国家であるために、各地で生み出された富や技術がさほど中央に伝播せずに蓄積し、商業、工業などの産業を成熟させたため拠点都市が幾つも形成されることになった。また、さほど自治体やカウンティの合併も行われていない。このため、中心となる都市の人口だけを見て、他国の都市と比較する事はほとんど意味を成さず、都市地理学などでは都市圏のレベルで都市規模を分析することが多い。分析の指標としては都市圏で分析したMSA(Metropolitan statistic area),広域都市圏で分析したCSA(Combined statistic area)などがある。以下の数値はCSA及びMSA、2020年)での例示である<ref>[https://www.census.gov/quickfacts/fact/table/US/POP010220 QuickFacts]. U.S. Census Bureau. 2020年.</ref><ref>[https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2020/03/Bulletin-20-01.pdf OMB Bulletin No. 20-01, Revised Delineations of Metropolitan Statistical Areas, Micropolitan Statistical Areas, and Combined Statistical Areas, and Guidance on Uses of Delineations of These Areas]. Office of Management and Budget. 2020年3月6日.</ref>。
* {{Cite book|和書 |author=阿部和俊 |title=日本の都市地理学研究 |date=2024-03-30 |isbn=9784772261302 |ref={{SfnRef|阿部|2024}} |publisher=古今書院 |editor=阿部和俊 |chapter=都市システム |pages=132-140}}

* {{Cite book|和書 |author=阿部拓児 |year=2021 |chapter=古代都市とそのシステム――ギリシャ都市とローマ帝国 |pages=12-13 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|阿部|2013}} |author-link=}}
主たる例示として、[[サンフランシスコ|サンフランシスコ'''市''']]が挙げられる。サンフランシスコの人口は87万人であるが、東岸のオークランドを含めたMSAでは475万、サンノゼなどの近郊都市も含めた[[サンフランシスコ・ベイエリア|サンフランシスコ'''都市圏''']]のCSAは971万人にも上る。また、[[ワシントンD.C.]](市域69万人、MSA639万人、ボルティモアを含めたCSAで997万人)、[[ボストン]](市域68万人、MSAで494万人、[[プロビデンス (ロードアイランド州)|プロヴィデンス]]などを含めたCSAで847万人)、[[アトランタ]](市域50万人、MSAで609万人、CSAで693万人)、[[シアトル]](市域74万人、MSAで402万人、CSAで495万人)、[[マイアミ]](市域44万人、MSAで614万人、CSAで687万人)などが代表的である。他には[[ミネアポリス]]及び[[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]のTwin City(双子都市)(市域:ミネアポリス43万人、セントポール31万人、MSAで369万人、CSAで408万人)、[[デンバー]](市域72万人、MSAで296万人、CSAで362万人)などがある。アメリカ以外ではカナダの[[トロント]](都市圏550万人)などが代表であり、高層建造物が林立する大規模なCBD([[中心業務地区]])が見られ、地域中心都市、あるいは[[グローバル都市]]として顕著な拠点性を持つ。
* {{Cite book|和書 |author=飯塚洋史 |year=2021 |chapter=都市開発のファイナンス |pages=276-277 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|飯塚|2013}} |author-link=}}

* {{Cite book|和書 |editor1=河原温 |editor2=池上俊一 |title=都市から見るヨーロッパ史 |series=放送大学教材 |publisher=放送大学教育振興会 |date=2021-03 |pages=173-205 |isbn=9784595322570 |ref={{SfnRef|池上|2021}} |author=池上俊一}}
[[デトロイト]](市域64万人、CSAで542万人)、[[ボルティモア]](市域59万人、CSAは[[ワシントンD.C.]]を含め997万人)[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]](市域37万人、CSAはアクロンなどを含め363万人)、[[セントルイス]](市域30万人、CSAで292万人)、[[ピッツバーグ]](市域30万人、CSAで266万人)、[[シンシナティ]](市域31万人、CSAで232万人)、[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]](市域23万人、MSAで131万人、CSA算出なし)、[[バーミングハム (アラバマ州)|バーミングハム]](市域20万人、CSAで135万人)などのような歴史の古い拠点、産業都市は、中心市街地の空洞化、インナーシティのスラム化、再開発に伴う建物の高次化・地価高騰などによって住民が郊外に移住したことにより、都市圏が拡大された例もある。他に[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]、[[ソルトレイクシティ]]、[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]、[[グランドラピッズ (ミシガン州)|グランドラピッズ]]などは、市域人口は20万人未満だが、MSAでも100万人を超えている。極端な例では、[[オールバニ (ニューヨーク州)|オールバニ]](市域9.9万人、CSAで119万人)、[[グリーンビル (サウスカロライナ州)|グリーンビル]](市域7.1万人、CSAで149万人)、[[ハリスバーグ (ペンシルベニア州)|ハリスバーグ]](市域5.0万人、CSAで130万人)なども存在する。
* {{Cite book|和書 |author=居城琢 |year=2021 |chapter=都市の経済理論 |pages=250-251 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|居城|2013}} |author-link=}}

* {{Cite book|和書 |editor=江川温 |editor2=服部良久 |title=西欧中世史 中 |series=MINERVA西洋史ライブラリー 11 |publisher=ミネルヴァ書房 |isbn=978-4623025213 |ref={{SfnRef|江川|服部|1995}} |pages=1-50 |chapter=序論 |year=1995}}
反面、1970年以降になって急速に発展した[[アメリカ西海岸|西海岸]]や[[サンベルト]]などの都市は人口増加のため広域合併などによって市域を拡大したため、市域人口に反してMSAやCSAが比較的少数であるケースも見られる。フロリダ州の[[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]市は都市人口は約95万人で、州内で一番多いが、広域合併によって市域を拡大したためにCSAで測ると173万人に過ぎず、市域人口31万人の[[オーランド]]のCSA(422万人)より小規模である。他の例では[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]、[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]、[[サンアントニオ]]、[[サンディエゴ]]、[[サンノゼ]]、[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]、[[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]、[[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]、[[ナッシュビル]]、[[ツーソン (アリゾナ州)|ツーソン]]、[[アルバカーキ]]、[[フレズノ]]などの例が挙げられる。また、西海岸・サンベルト諸都市以外では、[[インディアナポリス]]や[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]などの例があるが、これらの都市は社会的な人口増加が顕著であり、古くからの大都市圏を席捲するようになってきている。
* {{Cite book|和書 |author=岡村治 |year=2013 |chapter=町場と在郷 |pages=424-425 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|岡村|2013}} |author-link=}}

* {{Cite journal|和書|author=長田進|date=2006|title=都市圏設定に関する一考察 : 日本・アメリカ合衆国・英国の定義を比較する|url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN10425830-20060000-0015|journal=慶應義塾大学日吉紀要. 社会科学|volume=16|pages=15-28|publisher=慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会|ref={{SfnRef|長田|2006}}|sub-title=A note for defining functional urban regions}}
一方で、MSAやCSAだけで、確実に都市規模を算出できるわけではない。一つ目の問題は、[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]や[[テキサス州|テキサス]]、[[フロリダ州|フロリダ]]などの流入人口増加が顕著な地域において、CBDも形成されないような衛星都市、回廊都市に対し、人口の値が大都市並みに算出されることがある。このような例としては、カリフォルニア州[[サンバーナーディーノ]]及び[[リバーサイド (カリフォルニア州)|リバーサイド]](ロサンゼルス東部に位置する内陸都市。MSAでは周辺の都市を含め、460万人(全米13位)の規模に上るが、CBDが殆ど形成されていない(人口10万人ほどの小規模MSA程度)。なお、CSAではロサンゼルス広域大都市圏に含む)、テキサス州[[マッカレン (テキサス州)|マッカレン]]([[メキシコ湾]]岸の都市。メキシコ国境にあり、主要道が通っているため、人口流入が著しくMSA換算では87万人に上るが、ロードサイドしか発展していない)、フロリダ州[[タンパ]]近郊の[[ケープコーラル (フロリダ州)|ケープコーラル]](MSA76万人)などが挙げられる。これらの都市は、[[ブーンバーブ]]と呼ばれているものが多い。
* {{Cite book|和書 |editor=藤井崇(監修) |editor2=青谷秀紀、古谷大輔、坂本優一郎、小野沢透、金澤周作 |title=論点・西洋史学 |publisher=ミネルヴァ書房 |date=2020 |pages=76-77 |isbn=9784623087792 |ref={{SfnRef|河原|2020}} |chapter=中世都市成立論 |author=河原温}}

* {{Cite book|和書 |author=斯波義信 |title=中国都市史 |series=東洋叢書 ; 9 |publisher=東京大学出版会 |date=2002-06 |isbn=4-13-013039-0 |ref={{SfnRef|斯波|2002}}}}
もう一つの問題は、MSA及びCSAは、あくまで拠点、中心都市をベースにした統計上の算出のため、大都市の衛星、近郊都市(特に中心地に跨がった他州の都市など)における都市規模を測れないことである。このような例では、ニューヨーク大都市圏近郊の衛星都市、ニューアーク、ジャージーシティやロサンゼルス近郊の衛星都市、アナハイムなどがある。
* {{Cite book|和書 |author=シャリー・ゴレンスティン |translator=田口実 |title=メキシコ古代文化の謎と遺産 : マヤ・トルテカ・アステカ文化の神秘 |publisher=佑学社 |date=1976 |doi=10.11501/12184285 |url= |ref={{SfnRef|ゴレンスティン|1976}}}}

* {{Cite book|和書 |author=小池治 |year=2021 |chapter=地方議会 |pages=220-221 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|小池|2013a}} |author-link=}}
=== ラテンアメリカ ===
* {{Cite book|和書 |author=小池治 |year=2021 |chapter=世界の大都市制度 |pages=294-295 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|小池|2013b}} |author-link=}}
[[ラテンアメリカ]]では、古来より祭礼の中心地として、[[メソアメリカ文明|メキシコ及びグアテマラ]]や[[アンデス文明|アンデス]]として[[テオティワカン]]や[[テノチティトラン]]、[[クスコ]]などの都市が盛えた。
* {{Cite book|和書 |author=小池治 |year=2021 |chapter=日本の大都市制度 |pages=296-297 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|小池|2013c}} |author-link=}}

* {{Cite journal|和書|author=小泉龍人|date=2013|title=都市論再考─古代西アジアの都市化議論を検証する─|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282812692159872|journal=ラーフィダーン = al-Rāfidān|volume=34|pages=83-116|publisher=国士舘大学イラク古代文化研究所|ref={{SfnRef|小泉|2013}}|issn=0285-4406}}
大航海時代に[[スペイン]]と[[ポルトガル]]が侵略したため、これらの都市は破壊され、跡地はメキシコシティなど[[キリスト教]]を中心とする植民都市となった。また、大西洋沿岸部に、ヨーロッパとの[[金]]や[[エメラルド]]の交易窓口として[[カリブ海]]沿岸やブラジル、アルゼンチンなどに港湾都市([[カルタヘナ (コロンビア)|カルタヘナ]]、ブエノスアイレス、[[リオデジャネイロ]]、[[レシフェ]]など)が建設され、19世紀後半から20世紀前半にかけて、農作物の集散地と欧州への輸出拠点として、これらの都市は繁栄した。太平洋沿岸に築かれた[[リマ]]などの都市からは[[パナマ地峡]]を経てヨーロッパへ金や銀が運ばれた。
* {{Cite book|和書 |author=小泉龍人 |title=都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る |series=講談社選書メチエ |publisher=講談社 |date=2016-03-11 |isbn=9784062586238 |ref={{SfnRef|小泉|2016}} |edition=kindle}}

* {{Cite book|和書 |author=笹島秀晃 |year=2021 |chapter=創造都市と要塞都市の間 |pages=178-179 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|笹島|2013}} |author-link=}}
20世紀後半も、工業化により都市の成長は続き、[[サンパウロ]]、[[メキシコシティ]]、[[ブエノスアイレス]]などの千万人規模の都市が複数ある。また、2億人近くの人口を抱えるブラジルでは[[クリチバ]]やレシフェなど各州の中心都市も近代化が進んでいる。その一方で、アジアやアフリカと同様に、これらの都市も人口流入とスラムの形成が深刻である。
* {{Cite book|和書 |author=白川葉子 |year=2021 |chapter=開港都市 |pages=22-23 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|白川|2013}} |author-link=}}

* {{Cite book|和書 |author=杉浦芳夫 |title=日本の都市地理学研究 |date=2024-03-30 |isbn=9784772261302 |ref={{SfnRef|杉浦|2024}} |publisher=古今書院 |editor=阿部和俊 |chapter=クリスタラーの中心地理論研究|pages=27-40}}
また、ラテンアメリカの大都市は、植民地時代の名残の残る歴史的な旧市街と、富裕層が集まる近代的な新市街に分かれている場合が多く、階級社会を象徴している。
* {{Cite book|和書 |author=妹尾龍彦 |year=2021 |chapter=唐の長安と東アジア都城時代の誕生 |pages=10-11 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|妹尾|2013}} |author-link=}}

* {{Cite book|和書 |author=高見沢実 |year=2021 |chapter=都市の誕生 |pages=8-9 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|高見沢|2013}} |author-link=}}
=== オセアニア ===
* {{Cite book|和書 |author=R.S.シャルマ |title=古代インドの歴史 |publisher=山川出版社 |date=1985-08 |isbn=4-634-65090-8 |doi=10.11501/12181155 |ref={{SfnRef|シャルマ|1985}} |translator=山崎利男、山崎元一}}
[[オセアニア]]では、19世紀あたりから[[アングロ・サクソン人]]の支配が始まり、それに従って各地に拠点となる都市が開発された。だが、大陸の大半を占める内陸部は居住に適さない砂漠であるため、人口はわずか2000万人に過ぎず、そのうちの多くがシドニー、[[メルボルン]]などの拠点都市に居住している。また、一般に知られるシドニーやメルボルンの人口規模はいわば都市圏での換算であり、シドニー市の市域人口はわずか5万人に過ぎない([[ブリスベン]]は市域を合併したために唯一都市圏人口と合致する)。一方、[[オーストラリア]]を除けば、後大規模な都市を形成しているのは[[ニュージーランド]]の[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]ぐらいで、太平洋上の島嶼国は観光業主体や産業が不毛である上、平地が少なく都市形成には不適であるために、大都市の形成は行われていない。
* {{Cite book|和書 |editor=江川温 |editor2=服部良久 |title=西欧中世史 下 |series=MINERVA西洋史ライブラリー 12 |publisher=ミネルヴァ書房 |isbn=9784623025220 |ref={{SfnRef|田北|1995}} |pages=131-156 |chapter=都市と農村 |year=1995 |author=田北廣道}}

* {{Cite book|和書 |author=田辺健一 |title=日本の都市システム : 地理学的研究 |publisher=古今書院 |date=1982-04 |isbn=4-7722-1278-7 |doi=10.11501/12210993 |ref={{SfnRef|田辺|1982}} |pages=1-36 |editor=田辺健一 |chapter=都市システムの概念と研究動向}}
== 近年の大都市 ==
* {{Cite book|和書 |author=堤純 |year=2013 |chapter=都市の内部構造モデル |pages=338-341 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|堤|2013}} |author-link=}}
{{main|大都市}}
* {{Cite book|和書 |author=堤純 |title=日本の都市地理学研究 |date=2024-03-30 |isbn=9784772261302 |ref={{SfnRef|堤|2024}} |publisher=古今書院 |editor=阿部和俊 |chapter=都市の内部構造|pages=41-48}}

* {{Cite book|和書 |editor=都市史図集編集委員会 |title=都市史図集 |publisher=彰国社 |date=1999 |isbn=9784395004898 |ref={{SfnRef|都市史図集編集委員会|1999}}}}
{{誰|date=2022年10月}}「いわゆる「[[大都市]]」といった場合には、名目([[人口]]と[[面積]])ではなく、実質(中心市街地の機能や密度)が過度に集中している都市であり{{要出典|date=2022年10月}}」、「一般に「[[過密]]都市」と呼ばれる都市を指す{{要出典|date=2022年10月}}」。
* {{Cite book|和書 |author=戸所隆 |year=2013 |chapter=都市機能 |pages=334-337 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|戸所|2013}} |author-link=戸所隆}}

* {{Cite book|和書 |author=富田和暁 |year=2013 |chapter=都市化 |pages=346-349 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|富田|2013}} |author-link=}}
日本国内では、[[総務省]]が、[[大阪市]]・[[横浜市]]・[[神戸市]]・[[名古屋市]]・[[札幌市]]・[[福岡市]]・[[仙台市]]など[[政令指定都市]]を指して大都市と称している<ref group="注釈">総務省発行の「地方財政白書」では、平成20年度版まで政令指定都市の意味で「大都市」を用いている([https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/chihou/20data/yougo.html 用語の説明 平成20年度版地方財政白書])が、21年度版以降は「政令指定都市」に変更している([https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/chihou/21data/yougo.html 用語の説明 平成21年度版地方財政白書])。</ref>が、一般的には、これに[[特別区]]である[[東京都]]の23区も加わる。なお、札幌市・静岡市・浜松市・京都市など、合併で面積が広がった結果として周辺部に過疎地域を抱える大都市も有る。城や港などから端を発して、それが巨大化したのが特徴的である。
* {{Cite book|和書 |author=長尾謙吉 |year=2006 |chapter=ロサンゼルス学派 |pages=239-250 |editor=加藤政洋・大城直樹 |title=都市空間の地理学 |publisher=ミネルヴァ書房 |isbn=9784623046805 |ref={{SfnRef|長尾|2006}}}}

* {{Cite journal|和書|author=新田栄治|date=2013-06-24|title=東南アジアの都市形成とその前提 : ドヴァーラヴァティーを中心として|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050564288837862400|journal=鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集|volume=78|pages=29-52|publisher=鹿児島大学|ref={{SfnRef|新田|2013}}|issn=03886905}}
{| class="floatright wikitable" style="text-align:right; font-size:90%;"
* {{Cite book|和書 |author=野原卓 |year=2021 |chapter=都市の近代化 |pages=24-25 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|野原|2013}} |author-link=}}
|+ 大都市の人口の世界上位ランキング{{nobold|(2016年)}}
* {{Cite book|和書 |author=野間晴雄 |title=3 アジア海域ネットワークと港市 : 生成・展開・衰退の東と西 |booktitle=海の回廊と文化の出会い : アジア・世界をつなぐ |series=国際共同研究シリーズ; 7 |publisher=関西大学出版部 |date=2009-03-31 |pages=53-79 |isbn=9784873544748 |ref={{SfnRef|野間|2009}}}}
|-
* {{Cite book|和書 |editor1=河原温 |editor2=池上俊一 |title=都市から見るヨーロッパ史 |series=放送大学教材 |publisher=放送大学教育振興会 |date=2021-03 |pages=206-221 |isbn=9784595322570 |ref={{SfnRef|林田|2021}} |author=林田伸一 |chapter=近世都市の社会集団と文化}}
! 順位 !! 都市 !! 人口
* {{Cite book|和書 |author=日端康雄 |title=都市計画の世界史 |series=講談社現代新書 |publisher=講談社 |date=2008-03 |isbn=978-4-06-287932-3 |ref={{SfnRef|日端|2008}} |edition=kindle}}
|-
* {{Cite book|和書 |author=日野正輝 |year=2013 |chapter=都市システム |pages=330-333 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|日野|2013}} |author-link=}}
| 1
* {{Cite book|和書 |author=布野修司 |title=大元都市 : 中国都城の理念と空間構造 |publisher=京都大学学術出版会 |date=2015-02 |isbn=978-4-87698-322-3 |ref={{SfnRef|布野|2015}}}}
| style="text-align:left" | [[東京都区部]]
* {{Cite journal|和書|author=クリストフ・マコフスキ|author2=渡部森哉(訳)|date=2012|title=都市と祭祀センター : アンデスにおける都市化についての概念的挑戦|journal=南山大学人類学研究所|pages=1–66|ref={{SfnRef|マコフスキ|2012}}}}
| 38,140,000
* {{Cite book|和書 |author=増田聡 |year=2021 |chapter=ルイス・マンフォードと田園都市 |pages=958-959 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|増田|2013}} |author-link=}}
|-
* {{Cite book|和書 |author=町田敬志 |year=2021 |chapter=メガイベントと都市 |pages=640-641 |editor=横浜国立大学都市科学部 |title=都市科学事典 |publisher=春風社 |isbn=9784861107344 |ref={{SfnRef|町田|2013}} |author-link=}}
| 2
* {{Cite journal|和書|author=松井利彦|date=1977|title=漢語辞書の展開--『布令字弁弐篇』と『未味字解漢語都々逸』の成立をめぐって|journal=京都教育大学国文学会誌|volume=13|pages=36-45|ref={{SfnRef|松井|1977}}}}
| style="text-align:left" | [[デリー]]
* {{Cite journal|和書|author=望月卓郎|author2=渡辺貴介|author3=十代田朗|date=1994|title=わが国における用語「都市」の登場と定着過程に関する研究|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/29/0/29_217/_article/-char/ja|journal=都市計画論文集|volume=29|pages=217-222|ref={{SfnRef|望月ほか|1994}}|doi=10.11361/journalcpij.29.217|online_issn=2185-0593|print_issn=0916-0647}}
| 26,454,000
* {{Cite journal|和書|author=森川洋|date=1990|title=わが国の地域的都市システム|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/42/2/42_2_97/_article/-char/ja|journal=人文地理|volume=42|pages=97-117|ref={{SfnRef|森川|1990}}|doi=10.4200/jjhg1948.42.97|online_issn=|print_issn=|issue=2|author-link=森川洋}}
|-
* {{Cite book|和書 |author=森川洋 |year=2013 |chapter=立地 |pages=98-99 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|森川|2013}} |author-link=}}
| 3
* {{Cite book|和書 |author=森川洋 |title=日本の都市地理学研究 |date=2024-03-30 |isbn=9784772261302 |ref={{SfnRef|森川|2024}} |publisher=古今書院 |editor=阿部和俊 |chapter=日本における都市と村落}}
| style="text-align:left" | [[上海]]
* {{Cite|和書|ref={{SfnRef|大漢和辞典|1990}}|title=[[大漢和辞典]]|author=[[諸橋轍次]]|date=|year=1990|edition=|publisher=[[大修館書店]]|volume=11|isbn=}}
| 24,484,000
* {{Cite thesis|和書|author=柳沢究|title=インドの伝統的都市における都市構造の形成と居住空間の変容に関する研究:ヴァーラーナシーとマドゥライを事例として|school=京都大学|degree=博士学位|year=2008|ref={{SfnRef|柳沢|2008}}}}
|-
* {{Cite book|和書 |author=山神達也 |year=2013 |chapter=都市圏 |pages=350-351 |editor=人文地理学会 |title=人文地理学事典 |publisher=丸善出版 |isbn=9784621086872 |ref={{SfnRef|山神|2013}} |author-link=}}
| 4
| style="text-align:left" | [[ムンバイ]]
| 21,357,000
|-
| 5
| style="text-align:left" | [[サンパウロ]]
| 21,297,000
|-
| 6
| style="text-align:left" | [[北京]]
| 21,240,000
|-
| 7
| style="text-align:left" | [[メキシコシティ]]
| 21,157,000
|-
| 8
| style="text-align:left" | [[大阪市]]
| 20,337,000
|-
| 9
| style="text-align:left" | [[カイロ]]
| 19,128,000
|-
| 10
| style="text-align:left" | [[ニューヨーク]]
| 18,604,000
|-
| colspan="4" | ''出典:[[国際連合]] [http://www.un.org/en/development/desa/population/publications/pdf/urbanization/the_worlds_cities_in_2016_data_booklet.pdf]''
|}

;メガシティ
{{main|メガシティ}}
大都市の中でも、[[都市圏人口]]で1000万人を超える巨大都市を特に[[メガシティ]]という。[[国際連合]]の統計によると、[[2009年]]現在、世界中に21の人口1000万人を超えるメガシティが存在しているとしている。世界最大のメガシティは人口3500万人を超える[[東京]]圏である。

;具体例
* 日本の例:[[東京都区部]]・[[大阪市]]・[[横浜市]]・[[神戸市]]・[[名古屋市]]・[[札幌市]]・[[仙台市]]・[[広島市]]・[[仙台市|福岡市]]など[[政令指定都市]]20市
* アジアの例:[[ソウル特別市|ソウル]]・[[釜山広域市|釜山]]・[[北京市|北京]]・[[上海市|上海]]・[[香港]]・[[台北]]・[[バンコク]]・[[マニラ]]・[[シンガポール]]・[[ジャカルタ]]・[[ムンバイ]]・[[デリー]]など。
* アジア以外の例:[[ロサンゼルス]]・[[シカゴ]]・[[ニューヨーク]]・[[メキシコシティ]]・[[サンパウロ]]・[[シドニー]]・[[メルボルン]]・[[ロンドン]]・[[マドリード]]・[[パリ]]・[[トロント]]・[[アムステルダム]]・[[モスクワ]]・[[カイロ]]・[[イスタンブール]]・[[ブエノスアイレス]]など。

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ファイル:Panorama clip3.jpg|ニューヨーク([[ミッドタウン]])
ファイル:Skyscrapers of Shinjuku 2009 January.jpg|東京([[西新宿]])
ファイル:Nishi-Umeda.jpg|大阪([[梅田]])
</gallery>

== 都市共通の機能 ==
{{独自の研究|section=1|date=2022年10月}}
都市には[[ライフライン]]・[[食料]]の供給と[[水]]・[[電力]]・[[通信]]などの手段が、都市における[[住民]]の[[生活]]を維持し、その他の都市とのつながりを確保する手段として必要とされる。都市には、電力供給の手段と上下[[水道]]の設備・[[道路]]・[[鉄道駅]]や港・[[空港]]などの[[インフラストラクチャー]]も、その人口に応じて必要とされる。また、汚水や[[ゴミ]]の処理などの静脈物流も必須である。更に、大量消費の時代に入ってからは、ゴミ・[[廃棄物]]の問題が顕在化して大都市においても深刻な問題となっている。

都市の発展により、都市の周辺の農村部においても、[[農地]]の宅地化や[[工場]]・商業施設などの進出など、都市としての性格を持つようになる。この現象を'''[[都市化]]'''という。この内、無計画な都市化を'''[[スプロール現象]]'''という。

; 政治・行政機能
: ([[市役所]]・[[市議会]]・[[消防署]])
: 市役所・[[都道府県]]庁・州政府・国家機関といった[[行政機関]]や[[裁判所]]が含まれ、[[警察署]]や消防署などが立地する。[[警察]]や消防の管轄範囲は、エリア(複数の都市)に跨がる物もある。[[水道局]]・下水道局・ゴミ処理施設などライフラインを支える物。日本においては、[[1990年代]]以降、郊外に大規模な庁舎を建設して移転する事例が見られる。
; 商業機能
: ([[百貨店]]・[[商店街]]・[[ホテル]]・[[ファストフード]]店・[[レストラン]])
: 日本においては、都心にあった百貨店や商店街は、郊外の[[ロードサイドショップ]]や大型[[ショッピングセンター]]に押され気味であり、[[消費者]]の動向は郊外に移動している。都心の[[映画館]]も、徐々に姿を消しつつある。
; 交通・通信機能
: ([[鉄道]]・[[バス (交通機関)|バス]]・[[地下鉄]]・空港・港)
: 都心への車の乗入れを制える[[ニューアーバニズム]]などの動きが、ヨーロッパの都市において始まっていて、[[バス・ラピッド・トランジット|BRT]](高速バスシステム)や[[路面電車]](次世代型路面電車)がその低公害性やバリアフリーの面から再評価されている。
; 教育・文化・娯楽機能
: ([[学校]]・[[大学]]・[[図書館]]・[[博物館]]・[[公園]]・[[スタジアム|スポーツ施設]]・[[ホール]]・[[ライブハウス]])
: 都市の継続的な発展のために、その後進を育て育成していく[[教育]]機関が都市には必要とされる。早くから郊外への移転が進んでいるが、その反省から近年では[[都心回帰]]も進んでいる。
; 医療・福祉機能
: ([[病院]]・[[母子保健センター]]・[[老人ホーム]])
: 住民の[[高齢化]]に伴い、[[医療]]機関や[[社会福祉]]施設の充実が、都市の生き残りのために重要な問題になってきている。[[高齢者]]専用の[[アパート]]やグループホームも、郊外を中心に最近は増えつつある。高齢者に供する分譲地から造られた高齢者のための都市を'''[[シニアタウン]]'''と言う。[[アメリカ合衆国]]で代表的なシニアタウンには、[[サンシティ (アリゾナ州)]]がある。

== 都市成立の例 ==
{{独自の研究|section=1|date=2022年10月}}
[[ファイル:Toyamaken-top.JPG|thumb|300px|right|交通の結束点としての宿場町、[[立山信仰]]の門前町、[[富山城]]の城下町、[[富山の売薬|薬売り]]の商業町、[[北前船]]の廻船町、富山湾の漁師町が融合した[[富山市]]。周囲に高い山が聳えることから、平野でありながら盆地の様な気候になることがある。]]

=== 平野 ===
: 広い[[平野]]は開発に制約が少なく、土地を有効活用できる。そのため、大規模な都市が発展し易い。
: 例:[[モスクワ]]、[[ロサンゼルス]]、[[パリ]]、[[ブエノスアイレス]]、[[徐州市|徐州]]、[[成都市|成都]]。
日本の[[東京都|東京]]、[[大阪市|大阪]] 、[[名古屋市|名古屋]]、[[札幌市|札幌]]、[[仙台市|仙台]]、[[新潟市|新潟]]、[[岡山市|岡山]]、[[福岡市|福岡]]、[[熊本市|熊本]]、[[宮崎市|宮崎]]、[[久留米市|久留米]]、[[佐賀市|佐賀]]

=== 盆地 ===
: [[盆地]]は山に囲まれているが、土地が比較的広いので、土地を有効活用できる。
: 例:[[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]、[[カトマンズ]]、[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]、[[マドリード]]、[[台北市|台北]]。日本の[[京都市|京都]]、[[奈良市|奈良]]、[[甲府市|甲府]]、[[平泉町|平泉]]、[[山口市|山口]]、[[旭川市|旭川]]、[[盛岡市|盛岡]]、[[山形市|山形]]、[[福島市|福島]]、[[会津若松市|会津若松]]、[[八王子市|八王子]]、[[甲府市|甲府]]、[[長野市|長野]]、[[松本市|松本]]、[[飯田市|飯田]]、[[高山市|高山]]、[[秩父市|秩父]]、[[沼田市|沼田]]、[[津山市|津山]]、[[飯塚市|飯塚]]、[[田川市|田川]]、[[阿蘇市|阿蘇]]、[[人吉市|人吉]]、[[都城市|都城]]。

=== 谷口 ===
: [[谷]]間で、[[山地]]と平野の接点。山間に住む人たちが、商売などの目的のために集積する。
: 例:[[青梅市|青梅]]、[[飯能市|飯能]]、[[寄居町|寄居]]、[[桐生市|桐生]]、[[大間々町|大間々]]、[[日立市|日立]]、[[棚倉町|棚倉]]、[[新城市|新城]]、[[中津川市|中津川]]、[[五條市|五条]]、[[朝倉市|朝倉]]、[[日田市|日田]]、[[西都市|西都]]

=== 湾 ===
: [[湾]]は海と陸との交易上の拠点となり、[[港町]]が発達し易い。
: 例:[[ニューヨーク]]、[[シドニー]]、[[リオデジャネイロ]]、[[サンクトペテルブルク]]、[[ジェノヴァ]]、[[サンフランシスコ]]。日本の[[東京都区部|東京]] [[横浜市|横浜]]、[[大阪市|大阪]] [[神戸市|神戸]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[室蘭市|室蘭]]、[[福岡市|福岡]]、[[広島市|広島]]、[[清水区|清水]]、[[鹿児島市|鹿児島]]、[[別府市|別府]]、[[長崎市|長崎]]。

=== 海峡 ===
: [[海上交通]]において、重要な拠点となる。[[海峡]]の双方に都市が形成される事が多い。
: 例:[[コペンハーゲン]]と[[マルメ]]([[エーレスンド海峡]])、[[イスタンブール]]、[[ジブラルタル]]、[[デトロイト]]と[[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]と[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]。日本の[[神戸市|神戸]]と[[淡路島]]と[[鳴門市|鳴門]]([[明石海峡]]と[[鳴門海峡]])、[[下関市|下関]]と[[北九州市|北九州]]([[関門海峡]])、[[青森市|青森]]と[[函館市|函館]]([[津軽海峡]])

=== 運河 ===
: [[運河]]における海上交通の重要な拠点となる。
: 例:[[スエズ]]、[[ポートサイド]]、[[コロン (パナマ)|コロン]]、[[パナマ市|パナマ]]、スーセントマリー([[スーセントマリー (ミシガン州)|アメリカ合衆国側]]・[[スーセントマリー (オンタリオ州)|カナダ側]])

=== 河口 ===
: 水陸交通の接点として重要な地位を占める。[[河口]]や、[[川]]の合流点、[[潮汐]]限界点などに立地する。日本では殆ど見られなくなったが、川が大規模な海外においては舟運が多いため、依然として多い。
: 例:[[ロンドン]]、[[ブレーメン]]、[[ケルン]]、[[ロッテルダム]]、[[ニューオーリンズ]]、[[リスボン]]、[[ベレン (パラー州)|ベレン]]、ブエノスアイレス、[[モンテビデオ]]、[[ル・アーヴル]]、[[上海市|上海]]、[[天津市|天津]]、[[済南市|済南]]。日本の[[酒田市|酒田]]、[[新庄市|新庄]]、[[新潟市|新潟]]、[[水戸市|水戸]]、[[銚子市|銚子]]、[[鰍沢町|鰍沢]]、[[新宮市|新宮]]、[[福山市|福山]]、[[宿毛市|宿毛]]、[[柳川市|柳川]]、[[玉名市|玉名]]、[[延岡市|延岡]]、[[宮崎市|宮崎]]。

=== 湖岸 ===
: [[湖]]と[[陸]]との接点に発達する。湖は大抵、運河を経て海に至る。
: 例:シカゴ、[[ジュネーヴ]]、[[ストックホルム]]、[[バクー]]、[[トロント]]。日本の[[大津市|大津]]、[[土浦市|土浦]]、[[諏訪市|諏訪]]、[[下諏訪町|下諏訪]]、[[松江市|松江]]、[[境港市|境港]]、[[米子市|米子]]。

=== 滝線 ===
: [[滝]]の近くや、河川交通の終着点に当たる。急流の落差を利用した[[水力発電]]が行われ、工業都市が発展する。特に、アメリカ合衆国東部から南東部の[[アパラチア山脈]]東麓に広がる[[ピードモント台地]]東縁には、[[滝線#滝線都市の例|滝線都市]]が多く見られる。
: 例:フィラデルフィア、[[ボルチモア]]、[[ワシントンD.C.]]、[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]、[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]、[[オーガスタ (ジョージア州)|オーガスタ]]、[[モンゴメリー (アラバマ州)|モンゴメリー]]、[[ヘルシンキ]]

=== 山麓 ===
: [[峠]]の[[山#山の部分名称|麓]]は人や物資が滞留する交通拠点となる。
: 例:[[ミラノ]]、[[トリノ]]、[[デンバー]]、[[ペシャーワル]]。日本の[[遠野市|遠野]]、[[小田原市|小田原]]、[[塩尻市|塩尻]]、[[三島市|三島]]、[[安中市|安中]]、[[佐伯市|佐伯]]、[[延岡市|延岡]]。

=== 渡津 ===
: 道路が川を横切る地点。人や物資が滞留する事で、都市が発達し易い。
: 例:パリ、[[ベルリン]]、[[セントルイス]]、[[ミネアポリス]]・[[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]、[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]、[[マナウス]]。日本の[[江別市|江別]]、[[滝川市|滝川]]、[[島田市|島田]]、[[桑名市|桑名]]。

=== 陸繋島 ===
: 天然の良港を生み出しやすく、風光明媚なため観光化されやすい。
: 例:[[ダカール]]、[[カディス]]、[[ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア]]。日本の[[函館市|函館]]、[[藤沢市|藤沢]]、[[串本町|串本]]、[[苓北町|苓北]]。

=== 地下資源 ===
: [[鉄鉱石]]、[[金]]、[[石炭]]などの埋蔵により、鉱工業都市が発展する。
: 例:[[キンバリー]]、[[ポトシ]]。[[夕張市|夕張]]、日立、[[新居浜市|新居浜]]、[[大牟田市|大牟田]]、[[飯塚市|飯塚]]、[[田川市|田川]]、[[撫順]]。

=== 国境 ===
: 国際的な関係が深いために発展する場合と、[[移民]]などの行き来が多いために発展する場合がある。
: 例:[[サンディエゴ]]と[[ティフアナ]]、[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]と[[シウダー・フアレス]]、[[ラレド (テキサス州)|ラレド]]と[[ヌエボラレド]](以上[[アメリカ=メキシコ国境|アメリカ合衆国・メキシコ]])、デトロイトとウィンザー(アメリカ合衆国・カナダ)、[[バーゼル]](スイス・フランス・ドイツ)

=== 城下町 ===
: 主に[[封建制|中世]]に築かれた、士族や領主の城を媒体として発達した都市。[[日本]]や[[ドイツ]]等に多く見られる。
: 日本の例:[[弘前市|弘前]]、[[盛岡市|盛岡]]、[[奥州市|奥州]]、[[一関市|一関]]、仙台、会津若松、[[佐倉市|佐倉]]、[[川越市|川越]]、江戸、小田原、松本、[[静岡市|静岡]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[犬山市|犬山]]、[[清須市|清州]]、[[小牧市|小牧]]、[[岡崎市|岡崎]]、[[豊橋市|豊橋]]、[[西尾市|西尾]]、[[岐阜市|岐阜]]、[[金沢市|金沢]]、[[福井市|福井]]、[[彦根市|彦根]]、[[姫路市|姫路]]、[[和歌山市|和歌山]]、[[岡山市|岡山]]、[[福山市|福山]]、[[広島市|広島]]、[[萩市|萩]]、[[高知市|高知]]、[[北九州市|北九州]](小倉)、[[朝倉市|朝倉]]、[[中津市|中津]]、[[大分市|大分]]、[[佐伯市|佐伯]]、[[熊本市|熊本]]、[[八代市|八代]]、[[延岡市|延岡]]、[[都城市|都城]]、[[鹿児島市|鹿児島]]
: 日本国外の例:[[ミュンヘン]]、[[カールスルーエ]]、[[フライブルク・イム・ブライスガウ|フライブルク]]、[[ハイデルベルク]]、[[エディンバラ]]、[[トレド]]、[[北京市|北京]]

=== 宿場町 ===
: 旅人を泊めるために、街道沿いに作られた宿場として発展した都市
: 日本の例:[[水沢市|水沢]](奥州市)、[[福島市|福島]]、三島、塩尻、[[関町|関]]([[亀山市]])、[[中津川市|中津川]]、[[大曲市|大曲]]([[大仙市]])、[[行橋市|行橋]]

=== 港町 ===
: 港を媒体にして発達した都市。水産都市として[[漁港]]が発展するケースも多い。
: 日本の例:[[苫小牧市|苫小牧]]、[[小樽市|小樽]]、函館、[[青森市|青森]]、[[秋田市|秋田]]、[[酒田市|酒田]]、新潟、[[横浜市|横浜]]、[[沼津市|沼津]]、[[清水区|清水]]、[[半田市|半田]]、[[津市|津]]、敦賀、[[舞鶴市|舞鶴]]、[[神戸市|神戸]]、[[高松市|高松]]、[[尾道市|尾道]]、[[呉市|呉]]、福岡、北九州、佐世保、[[長崎市|長崎]]、[[別府市|別府]]、宮崎、鹿児島
: 水産都市の例:[[釧路市|釧路]]、[[八戸市|八戸]]、[[石巻市|石巻]]、[[塩竈市|塩竈]]、[[小名浜地区|小名浜]]([[いわき市]])、[[境港市|境港]]、[[浜田市|浜田]]、[[松浦市|松浦]]、[[壱岐市|壱岐]]など
: 日本国外の例:[[マルセイユ]]、[[リオデジャネイロ]]、[[バルセロナ]]、ジェノヴァ、[[ヴェネツィア]]、[[ムンバイ]]、[[シアトル]]、[[ベルゲン]]、[[仁川広域市|仁川]]、[[高雄市|高雄]]

=== 古代政庁の町 ===
: 古代の官衙・政庁から発達した都市。[[観光都市]]となっている所が多い。なかでも、首都が置かれた事のある都市は'''[[古都]]'''とも呼ばれる。
: 日本の例:[[京都市|京都]]、奈良、大津、鎌倉、[[長岡京市|長岡京]]、[[平泉町|平泉]]、[[首里]]
: 日本国外の例:[[アテネ]](ただし、[[ギリシャ]]の首都である)、[[ローマ]](ただし、こちらも現在[[イタリア]]の首都である)、[[慶州市|慶州]]、[[西安市|西安]]、トレド、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]、[[イスタンブール]]([[コンスタンティノポリス]])、[[アレクサンドリア]]、[[クスコ]]

== 機能別分類 ==
複数の機能を集積することは都市の本質的な特徴であり、一つの都市は複数の分類に属することが多い。例えば、東京23区、京都市は、[[国際都市]]であり、観光都市であり、学術都市でもある。

=== 世界都市 ===
{{main|世界都市}}
[[世界都市]]は、主に経済的・政治的・文化的な活動において、グローバルな観点による重要性や影響力の高い都市のことである。'''[[グローバリズム|グローバル]]都市'''とも言う。

;世界都市の例
* 例:[[ニューヨーク]]・[[ロンドン]]・[[東京]]・[[パリ]]・[[香港]]・[[シカゴ]]・[[台北]]・[[ロサンゼルス]]・[[シンガポール]]・[[シドニー]]・[[ソウル特別市|ソウル]]・[[ブリュッセル]]・[[サンフランシスコ]]・[[ワシントンD.C.]]・[[トロント]]・[[北京市|北京]]・[[ベルリン]]・[[マドリード]]・[[ウィーン]]・[[ボストン]]・[[フランクフルト]]・[[上海市|上海]]など。

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ファイル:Tour Eiffel, École militaire, Champ-de-Mars, Palais de Chaillot, La Défense - 01.jpg|[[パリ]]
ファイル:LosAngeles06.jpg|[[ロサンゼルス]]
ファイル:La Paz-center.jpg|[[ラパス]]
File:Taipei, Taiwan Skyline 2019.jpg|[[台北市|台北]]
ファイル:Downtown Warsaw.jpg|[[ワルシャワ]]
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=== 宗教都市 ===
: [[宗教都市]]とは、[[聖地]]やそれにちなむ教会堂やモスクなどの宗教施設を中心として発達した都市。なかでも[[世界宗教]]の聖地にあたる場合は、世界各地からの信者たちが[[巡礼]]で訪れる。(日本では「[[門前町]]」「[[寺内町]]」などと呼ぶことがある。)
: 都市の経済が、巡礼者の滞在費(宿泊費・飲食費・土産物代など)で回っていることも多い。
: 例:[[エルサレム]]、[[メッカ]]、[[バチカン]]、[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]、[[ルルド]]、[[ケルン]]、[[ソルトレイクシティ]]
: 日本の例:(日本の場合もまず宗教的な出来事にちなむ神社や寺院ができ、それがやがて都市に発展しており、具体例としては)[[鹿嶋市|鹿嶋]]、[[日光市|日光]]、[[成田市|成田]]、[[諏訪市|諏訪]]、[[一宮市|一宮]]、[[津島市|津島]]、[[豊川市|豊川]]、[[富士宮市|富士宮]]、[[身延町|身延]]、長野、[[伊勢市|伊勢]]、[[永平寺町|永平寺]]、大阪、[[京都市|京都]]、[[天理市|天理]]、[[高野町|高野山]]、[[琴平町|琴平]]、[[金光町|金光]]、[[出雲市|出雲]]、[[太宰府市|太宰府]]、[[宗像市|宗像]]、[[添田町|英彦山]]、[[宇佐市|宇佐]]、[[高千穂町|高千穂]]、宮崎、[[霧島市|霧島]]、[[宜野湾市|普天間]]

=== 行政都市 ===
[[国家]]の[[中央政府]]([[国会議事堂|国会]]・[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]・[[日本の行政機関|中央省庁]])や地方政府([[道 (行政区画)|道]]政府・[[州]]政府・[[県庁]]などの広域自治体)が置かれている都市。特に、国家の中央政府が置かれている都市を'''首都'''といい、州政府の置かれている都市を'''[[州都]]'''、道政府の置かれている都市を'''[[道都]]'''ともいう。

中央政府や地方政府から政策などに関する発表(日本国政府においては[[内閣官房]]が発表する)が行われるので、自然と[[放送局]]や[[新聞]]社などの[[報道機関]]が立地し情報の発信地ともなる。更に、官衙([[行政庁]])への届出などのために企業が立ち並び、いつしか「経済の中枢」となる都市も少なくない。(東京特別区や[[ソウル特別市|ソウル]]など)

こうなった後の首都を持つ国の一部は、政治の中枢と経済の中枢を分離するため、[[遷都]]([[首都機能移転]])によって新たな都市が誕生する例もある([[ブラジリア]]や[[キャンベラ]]など)。しかし、遷都には多くの問題(経済的問題や世論の反発など)を妊むため、計画が破綻する例もある。日本では、首都機能移転計画が宙に浮いたままであり、[[大韓民国]]においても首都移転計画を[[憲法裁判所]]が却下した、など。
* 日本の例:[[日本の首都#大王宮・皇居所在地の変遷|歴代日本の首都]]、[[前橋市|前橋]]、[[浦和市|浦和]](現[[さいたま市|さいたま]])、静岡、[[山口市|山口]]、[[大宰府]](律令時代)、[[平泉]]([[平安時代]])、[[鎌倉市|鎌倉]]、[[那覇市|那覇]]
* 日本国外の例:[[ワシントンD.C.]]、[[ブリュッセル]]、[[デン・ハーグ]]、ベルリン、[[ボン]]、[[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]、[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]、[[ケベック・シティー|ケベックシティ]]、北京、[[ニューデリー]]、[[イスラマバード]]、キャンベラ、[[オタワ]]、[[ベルン]]、ブラジリア、[[プレトリア]]、[[ウェリントン]]、[[ラバト]]

=== 地方都市 ===
その地方における中枢機関(特に、道政府。日本の場合にはその地方を総轄する国の出先機関。)が置かれている都市。州都に見られるタイプである。括弧内は、その都市が中心になっている地方。
* 日本の例:[[東京都区部]]([[関東地方|関東]])、[[大阪市|大阪]]([[近畿地方|近畿]])、[[名古屋市|名古屋]]([[東海地方|東海]])、[[札幌市|札幌]]([[北海道]])、[[仙台市|仙台]]([[東北地方|東北]])、[[新潟市|新潟]]([[北陸地方|北陸]])、[[広島市|広島]]([[中国地方|中国]])、[[高松市|高松]]([[四国]])、[[福岡市|福岡]]([[九州地方|九州]])、[[那覇市|那覇]]([[沖縄県|沖縄]])
* 日本国外の例:バルセロナ([[カタルーニャ州|カタルーニャ]])、[[リヨン]]([[ローヌ=アルプ地域圏|ローヌ=アルプ]])、[[ミュンヘン]]([[バイエルン州]])、[[トゥールーズ]]([[ミディ=ピレネー地域圏|ミディ=ピレネー]])、[[ハノーファー]]([[ニーダーザクセン州|ニーダーザクセン]])、[[ペルージャ]]([[ウンブリア州|ウンブリア]])、[[パース (西オーストラリア州)|パース]]([[西オーストラリア州]])、[[済南市|済南]]([[山東省|山東]])、[[広州市|広州]]([[広東省|広東]])、[[成都市|成都]]([[四川省|四川]])
*[[拠点都市]]・地方中枢拠点都市

=== 商業都市 ===
古くから交易が活発な都市。古くから大口の物資の運搬方法が[[船]]である事から、大河の辺や潮流の穏やかな、海に面した場所が多い。商業都市の近くに観光地ができやすい。

* 日本の例:[[函館市|函館]]、[[仙台市|仙台]]、[[郡山市|郡山]]、[[東京]]、[[横浜市|横浜]]、[[高岡市|高岡]]、[[静岡市|静岡]]、[[金沢市|金沢]]、大阪、名古屋、京都、[[堺市|堺]]、神戸、[[広島市|広島]]、米子、福岡、熊本、鹿児島、那覇
* 日本国外の例:[[高雄]]、[[サンクトペテルブルク]]、[[ニューヨーク]]、[[パリ]]、[[ハンブルク]]、上海、[[香港]]、ムンバイ、トロント、サンフランシスコ、イスタンブール、[[アムステルダム]]、[[ミラノ]]

=== 工業都市 ===
特定の工業が集積した都市。都市の経済が[[第二次産業]]で成り立つ。古くからある工業都市は、原料や完成品の運搬のために港湾設備を備えた所が多い。最近は、工業生産品がPCパーツのように小型である場合には、空港があれば、臨空都市としても産業振興が図れるという新たなケースもある。

なお、産業の裾野が広い企業(自動車産業など)の本社や主力工場が立地する都市は、その企業に関連する下請けのための工場も林立するため、俗に'''[[企業城下町]]'''と呼ばれる。代表的な例はトヨタ自動車の創業家豊田氏にちなんで市名を変更した愛知県豊田市。(旧名・挙母(ころも)が難読である、という理由も有って名称変更した)
* 日本の例:苫小牧、[[室蘭市|室蘭]]、[[北上市|北上]]、[[いわき市|いわき]]、日立、鹿嶋、[[神栖市|神栖]]、[[太田市|太田]]、[[伊勢崎市|伊勢崎]]、[[市原市|市原]]、[[川崎市|川崎]]、[[富士市|富士]]、[[浜松市|浜松]]、[[磐田市|磐田]]、[[豊田市|豊田]]、岡崎、名古屋、[[刈谷市|刈谷]]、[[安城市|安城]]、小牧、[[四日市市|四日市]]、[[守口市|守口]]、[[倉敷市|倉敷]]、[[福山市|福山]]、広島、[[周南市|周南]]([[徳山市|徳山]]・[[新南陽市|新南陽]])、[[宇部市|宇部]]、[[下関市|下関]]、[[坂出市|坂出]]、[[四国中央市|四国中央]]([[川之江市|川之江]]・[[伊予三島市|伊予三島]])、新居浜、北九州、[[宮若市|宮若]]、[[苅田町|苅田]]、久留米、大牟田、佐世保、長崎、[[八代市|八代]]、[[水俣市|水俣]]、[[中津市|中津]]、[[大分市|大分]]、[[延岡市|延岡]]
* 日本国外の例:高雄、[[蔚山広域市|蔚山]]、[[浦項市|浦項]]、広州、[[大連市|大連]]、[[青島市|青島]]、[[天津市|天津]]、[[チェンナイ]]、[[シュトゥットガルト]]、[[ヴォルフスブルク]]、トリノ、シアトル、[[ロッテルダム]]、[[ミルウォーキー]]、デトロイト、[[イェーテボリ]]

=== 産業都市 ===
経済が第一次産業([[農業]]・[[水産業]]・[[林業]])で成り立つ都市。[[自然環境]]に恵まれた場所に位置する。天候不順の時には経済的打撃を激しく受ける。また、その一帯には集散地が形成され、主に加工(製粉など)を目的とした都市が発展しやすい。また、前橋市、八王子市、厚木市、岡谷市など、かつては農作物集散地として機能し、現在はその要素が廃れているケースも多い。
* 日本の例
** 農業:[[近郊農業]](主に[[首都圏 (日本)|東京都市圏]]・[[京阪神]]近郊都市)、[[中標津町|中標津]]、[[鉾田市|鉾田]]、[[小出町|小出]]、[[田原市|田原]]、[[八女市|八女]]、[[筑後市|筑後]]、佐賀、[[嬉野市|嬉野]]、[[諫早市|諫早]]、[[大津町|大津]]、[[日出町|日出]]、[[児湯郡]]([[都農町|都農]]、[[木城町|木城]]、[[高鍋町|高鍋]])、[[えびの市|えびの]]、[[小林市|小林]]、[[都城盆地]](都城、[[曽於市|曽於]]、[[鹿屋市|鹿屋]])、[[南九州市|南九州]]
** 水産業:[[稚内市|稚内]]、[[釧路市|釧路]]、根室、広尾、八戸、宮古、気仙沼、石巻、塩竈、いわき(小名浜地区)、銚子、[[三浦市|三浦]]三崎、[[清水区|清水]]、[[焼津市|焼津]]、境港、浜田、下関、[[室戸市|室戸]]、宇和島、[[土佐清水市|土佐清水]]、[[有明海]]沿岸([[柳川市|柳川]]、佐賀、[[鹿島市|鹿島]])、[[唐津市|唐津]]、松浦、[[天草市|天草]]、[[臼杵市|臼杵]]、[[津久見市|津久見]]、[[佐伯市|佐伯]]、[[川南町|川南]]、[[日南市|日南]]、[[串間市|串間]]、志布志、[[枕崎市|枕崎]]
** 林業:高山、新宮、日田、日南、[[木曽町|木曽]](木曽福島)
* 日本国外の例(漁業):[[ポートランド (メイン州)]]、ハリファックス、[[ケープタウン]]、[[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]]、レイキャビク
* 日本国外の例(農業・牧畜業):フレズノ、カンザスシティ、[[オマハ (ネブラスカ州)|オマハ]]、ミネアポリス、[[フォートワース]]、リッチモンド、アトランタ、シカゴ、バッファロー、ウィニペグ、カルガリー

=== 軍事都市 ===
[[基地]]や[[兵站]]などの軍事機関が立地している都市。[[陸軍]]、[[空軍]]主体の場合は広大な平地に、[[海軍]]主体の場合は[[軍艦]]の停泊に適した港湾に面して位置する事が多い。
* 日本の例:旭川、[[むつ市|むつ]]、[[三沢市|三沢]]、[[横須賀市|横須賀]]、[[相模原市|相模原]]、[[福生市|福生]]、[[舞鶴市|舞鶴]]、[[広島市|広島]](第二次大戦まで)、熊本、[[呉市|呉]]、[[春日市|春日]]、久留米、[[玖珠町|玖珠]]、佐世保、[[大村市|大村]]、[[新富町|新富]]、都城、鹿屋、[[名護市|名護]]、[[嘉手納町|嘉手納]]
* 日本国外の例:[[キール (都市)|キール]]、[[ウラジオストク]]、[[サンディエゴ]]、[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]、[[ヴィスビュー]]、[[オデッサ]]、[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]、[[トゥーロン]](以上海軍)、[[コロラドスプリングス]](空軍)

=== 学術都市 ===
[[計画都市#学園都市|研究都市]]、[[学術都市]]や[[学術研究都市]]・[[学研都市]]は、[[大学]]を初めとした高等教育機関や[[研究所]]が集まる都市。[[ハイテクパーク]]など。大学の新設や移転と共に付属する研究所が林立し、更に発展して、先端産業の工場が立地する事もある。海外では、名門大学が本拠を置く[[大学都市]]{{Enlink|College town}}('''[[大学町]]'''または'''[[大学街]]''')が存在する。このほかに'''[[学園都市]]'''、'''[[研究学園都市]]'''、'''[[文教都市]]'''といった都市がある。
* 日本の例:[[あいの里#学園都市|札幌ニュータウン]]、[[弘前市]]、[[仙台市]]([[仙台市の学校#学都仙台|学都仙台]])、[[筑波研究学園都市]]([[つくば市|つくば]])、[[国立市]]、[[多摩市]]、[[金沢市]]([[学都]])、[[松本市]]、[[名古屋市]]、[[長久手市]]、[[日進市]]、[[京都市]]、[[関西文化学術研究都市]]、[[神戸研究学園都市]]、[[播磨科学公園都市]]、[[東広島市]]、[[若松区|北九州市若松区]]、[[宮崎学園都市]]など
* 日本国外の例:[[新竹市|新竹]]、[[モントリオール]]、[[バークリー (カリフォルニア州)|バークリー]]、[[シリコンバレー]]([[サンノゼ]])、[[リサーチ・トライアングル]]([[ローリー_(ノースカロライナ州)|ローリー]]/[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]]/[[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]])、[[アナーバー]]、[[シャンペーン (イリノイ州)|シャンペーン]]/[[アーバナ (イリノイ州)|アーバナ]]、[[ボストン]]/[[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]、[[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]、[[オックスフォード]]、[[ケンブリッジ]]、[[ゲッティンゲン]]、ハイデルベルク、ミュンヘン、ストックホルム、[[ウプサラ]]、[[ルンド]]

=== 資源都市 ===
[[地下資源]]を産出するか、産出地に生産要素([[労働力]]・[[資材]]・[[機械]]・[[技術]]など)を供給する都市。資源を運搬する[[鉄道]]・[[船|船舶]]や労働者、資源を利用する[[重工業]]が集まる。産出量が落ちて衰えるなどの問題を抱える事が多い。
* 日本の例:佐世保、[[飯塚市|飯塚]]、[[田川市|田川]]、[[直方市|直方]]、大牟田、[[荒尾市|荒尾]]、[[夕張市|夕張]]、[[歌志内市|歌志内]]、[[芦別市|芦別]]、[[赤平市|赤平]]、いわき、[[高萩市|高萩]]、宇部、松浦、長崎(以上[[炭鉱]])、[[新津市|新津]]([[秋葉区|秋葉]])([[石油]])、[[釜石市|釜石]](鉄鉱)、[[鹿角市|鹿角]]、[[足尾町|足尾]](以上銅鉱)、[[大田市|大田]](銀鉱)、[[菱刈町|菱刈]](金鉱)、秩父、[[美祢市|美祢]]、田川、津久見(以上[[石灰石]])、[[茂原市|茂原]]([[天然ガス]]・[[ヨウ素]])
* 日本国外の例:[[ポートハーコート]]、[[アブダビ]]、[[リヤド]]、[[バクー]]、[[パレンバン]]、[[マラカイボ]]、[[カルガリー]]、[[ヒューストン]](以上石油)、[[ダルース (ミネソタ州)|ダルース]]([[メサビ鉄山]]で産出される鉄鉱石の積出港)、[[スクラントン (ペンシルベニア州)|スクラントン]](石炭)、サクラメント、[[ヨハネスブルグ]](以上金鉱)、[[アントファガスタ]]([[チュキカマタ]]銅山で産出される銅鉱の積出港)、[[キンバリー]]([[ダイヤモンド]])、[[パース (西オーストラリア州)|パース]]([[西オーストラリア州]]内で産出される金・鉄鉱石・ニッケル・[[アルミナ]]・ダイヤモンド等各種資源の積出港)

=== 観光都市 ===
{{main|観光都市}}
主に[[観光業]]で経済が成り立っている都市。[[観光]]資源を特に多く擁している都市。

=== 保養都市 ===
保養地のある都市。[[温泉]]や[[高原]]の保養施設が多く立地する都市や、避暑地・避寒地がここに属する。観光都市に含まれることもある。
* 日本国外の例:[[ダージリン]]、[[バース (イギリス)|バース]]、[[ホットスプリングス (アーカンソー州)|ホットスプリングス]]、[[アンタルヤ]]、[[ニース]]、[[ナポリ]]、[[バーデンバーデン]]、[[カンクン]]、[[マイアミ]]、青島、[[海口市|海口]]、[[パナマ市]]
* 日本の例については、[[日本の観光地一覧]]を参照されたい。


=== 田園都市 ===
{{main|田園都市}}

=== 海底都市 ===
{{main|海底都市}}
[[海底都市]](かいていとし)とは、海底に建設される都市。現在ではまだ構想の段階で実用化には至っていない。

=== その他の都市 ===
[[自由都市]]、[[帝国自由都市]](神聖ローマ帝国内)、[[双子都市]]、[[中枢中核都市]]、[[衛星都市]]、[[自治都市]]、[[内陸都市]]など。

== 都市問題 ==
都市は人口が密集するため、様々な社会問題が発生するリスクを伴う。こうした都市特有の社会問題を「都市問題」と呼ぶこともある。一般的に人口が多ければ多いほど発生しやすく、また、先進国よりも法整備や財政拠出が十分でない途上国で顕著な傾向がある。[[都市問題]]としての課題に次のようなものがある。

=== [[環境]]問題 ===
都市廃棄物、ごみ、大気汚染、水質汚濁

=== [[エネルギー|資源]]問題 ===
発電、停電

=== [[労働]]問題 ===
不況、ホームレス、外国人労働者、スラム、所得格差

=== [[自然災害|災害]]問題 ===
地震、台風、ウイルス、ヒートアイランド現象

=== [[防犯]]問題 ===
犯罪、麻薬、テロ、都市型犯罪、郊外型犯罪、火災、交通事故

=== [[心理]]問題 ===
疎外、孤独、ドメスティックバイオレンス、精神疾患

=== インフラ問題 ===
水、交通渋滞、2024年問題

=== 都市構造問題 ===
人口爆発、景観悪化、地価高騰、郊外化、ドーナツ化現象、スプロール現象、インナーシティ、ジェントリフィケーション

==都市の自然==
それぞれの地域は、それぞれに固有の在来の[[生物群集]]を持っているが、[[ヒト]]は自分の周辺にそれらとやや異なった生物群を引き連れることが多い。例えば積極的に育成するものに[[家畜]]や[[作物]]があり、それらを育成するために作る環境にはまた多数の生物が付随して出現する。そのためそこには外来種が多く出現する。さらに、そこから家のみが集中する都市においては、作物や家畜に関わる部分が少なくなった分だけ、さらに自然な生物群集の成立する環境とかけ離れた条件となっている。従ってそこに生活する生物は多くない。しかしながら全く存在しないわけではなく、それなりに独自の生物群集が存在する。このような観点から、都市を一つの自然環境と見なした場合、[[都市生態系]]ということもある。

これは一つにはそのような環境にも耐えられる生物が残ることで成立する。踏まれても枯れない[[オオバコ]]や、アスファルトのひび割れからでも花を咲かせる[[スミレ]]などは都市の道ばたにも出現する。また、[[公園]]などの形で残された緑地にはそれなりに様々な生物が住んでいる。

逆に、人間の作り出した環境条件が好適であるために増えるものもある。例えばヒトの住居は往々にして乾燥した垂直の壁や庇的構造を提供し、[[ツバメ]]は現在ではほとんど人間の作った構造で巣を作る。青木純一が都市で[[ササラダニ]]を採集したところ、コンクリートの上に生えるコケから珍種が発見された。これは後に海岸近くの岩の上などに生息するものであることがわかったという。他に、保温性が高いためにより暖地の生物が都市で繁殖する例もある。[[ゴキブリ]]などもこの例であろう。

== 都市を形容する俗称 ==
特定の都市を指し、[[接尾語]]として「○都」「○○の都」「○京」の様に命名している事がある(歴史上の「都」と同意義ではない)。古くは、[[国府]]や守護大名の所在都市に、「府」「陽{{要出典範囲|date=2014年7月|([[洛陽]]つまりその国の都)}}<!-- 多くの場合、命名意図について推測以上の文献は存在しないと思われる。都を意図したのか、「陽」の字義に基づくのか、なんとなく南程度の意味か、単に語感を求めたものか、一般には定めがたい。 -->」を付けた名称もあった。甲府や防府など、現在の都市名に引き継がれているものや町おこし・地域ブランドづくりのために地域の歴史や産業にちなんで名付けられたものもある。
=== 「○京」 ===
* [[西京]]:山口。[[応仁の乱]]以降、[[大内氏]]が戦乱を逃れた貴族や文人を迎え、文化的に繁栄したため、「西の京」と呼ばれた事に由来する。山口市を指すより、歴史・観光上の美称の色が濃い。
* [[中京]]:名古屋の別名として使われる事がある。

=== 「○都」 ===
* みやこ(都):普通名詞としては「[[首都]]」と同義。
* 古都:日本の都であった場所([[明日香村|奈良県明日香村]]など)、または往時の地方の中心都市として一般に認識されている京都市、奈良市、大阪市など。また[[古都保存法]]からの見地もある<ref>[https://www.mlit.go.jp/singikai/infra/city_history/historic_climate/hozon/1/images/10.pdf 古都保存法における古都の定義]</ref>。
====方角関連====
* [[東都 (曖昧さ回避)|東都]]:東京の別称。国外では[[洛陽]]。
* [[南都 (曖昧さ回避)|南都]]:京都の南方にある都として[[奈良]]を指す。「[[南都北嶺]]」。
* [[北都 (曖昧さ回避)|北都]]:札幌、秋田、平泉、新潟、(奈良に対して)京都などの企業名に用いられているが、いずれも都市自体の呼称としては一般的ではない。
* [[西都 (曖昧さ回避)|西都]]:[[西都市]]。国外では[[長安]]。

==== 都市機能====
*[[帝都]]:[[天皇]]、[[皇帝]]の住まう都。[[大日本帝国]]において、[[終戦]]までは[[東京]]を指す言葉として使われたが、今は殆ど見られない。日本国外では[[長安]]、[[ウィーン]]などにも使われる。
* [[商都]]:これも本来一般名詞である。交易が盛んな都市として使われることが多く、大阪や横浜などに使われる。大阪は天下の台所とも呼ばれることもある。
* [[軍郷|軍都]]:相模原、[[横須賀市|横須賀]]、呉、佐世保、旭川、三沢
* [[港都]]:函館、小樽、横浜、新潟、神戸、高松、門司、博多、長崎 
**開港された時の港が多い。港湾都市とも。
* [[神都]]:[[伊勢神宮]]があることから、[[伊勢市]]の別称。国外では、[[武周]]朝の[[洛陽]]。
* [[仏都]]:[[善光寺]]があることから、[[長野市]]の別称。
* [[学都]]:京都、仙台、岡山、金沢、松本
* [[都道府県庁所在地|県都]]:[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]一般について用いられる。
==== 工業関連====
* [[工都]]:日立、東海、四日市、尼崎、新居浜、北九州、大分、延岡 
**各企業の企業城下町として機能していることが多い。
* [[陶都]]:[[瀬戸市|瀬戸]]、[[常滑市|常滑]]、[[甲賀市|信楽]]、[[備前市|備前]]、[[唐津市|唐津]]、[[伊万里市|伊万里]]、[[多治見市|多治見]]、[[土岐市|土岐]]、[[瑞浪市|瑞浪]]
* [[鉱都]]:佐世保(かつての炭鉱都市)、[[足尾町|足尾]]
* [[炭都]]:[[田川市|田川]]([[筑豊]]最大の[[炭鉱都市]]であった)、[[夕張市|夕張]]
* [[織都]]/機(はた)の都:[[桐生市]]
* [[蚕都]]:[[上田市|上田]]
* [[刀都]]:[[堺市|堺]]、[[関市|関]]
* [[鋼都]]:[[安来市|安来]]
* [[車都]]:[[太田市|太田]]、[[横浜市|横浜]]、[[豊田市|豊田]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[浜松市|浜松]]、[[池田市|池田]]、[[広島市|広島]]、[[鈴鹿市|鈴鹿]]、[[デトロイト]]、[[トリノ]]、[[ミラノ]]、[[ヴォルフスブルク]]、[[ミュンヘン]]、[[シュトゥットガルト|シュツットガルト]]
==== 自然関連====
* [[岳都]]/山の都:[[甲府市]]、[[松本市]]
* [[湖都]]:[[大津市]]([[琵琶湖]])、[[浜松市]]([[浜名湖]])、[[松江市]]([[宍道湖]])
* [[泉都]]:[[熱海市]]、[[伊東市]]、[[別府市]]
* [[氷都]]:[[苫小牧市]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tomamin.co.jp/kikaku/07/ice/ice0402.htm |title=アイスホッケーの新時代-氷都苫小牧の現状と課題-(5) |publisher=[[苫小牧民報]] |date=2007 |accessdate=2022-01-27 |archiveurl=https://archive.is/ZZyZa |archivedate=2013-05-01 }}</ref><ref name="hokkaido-np-1997-11-1">“212新聞 胆振 苫小牧(人口・171795) 白鳥アリーナ 氷都の誇り国際リンク”. [[北海道新聞]] (北海道新聞社). (1997年11月1日)</ref>、[[釧路市]]<ref>{{Cite journal ja-jp |url=https://www.city.kushiro.lg.jp/common/000009420.pdf |title=氷都くしろの名を全国に |journal=広報くしろ |year=2010 |serial=1月号 |page=14 |publisher=釧路市役所総合政策部市民協働推進課 |accessdate=2022-01-27 }}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20181220010200001.html |title=氷都の宝が…釧路落胆 |date=2018-12-20 |author=高田誠 |newspaper=[[朝日新聞]] |accessdate=2022-01-27 }}</ref>、[[八戸市]]

==== 文化関連====
* [[聖都]]:京都
* [[俳都]]:[[伊賀市|伊賀上野]]、松山
* [[球都]]:桐生、[[木更津市|木更津]]、敦賀、松山

==== その他====
* [[桑都]]/桑の都:八王子
* [[柳都]]:新潟。
**地元での呼称ではあるが、地域外にも広報中。
* [[雷都]]:[[宇都宮市|宇都宮]]
* [[江都]]:[[江戸]]

=== 「○府」 ===
* 甲府:甲府
* 信府:松本
* 防府:[[防府市|防府]]
* [[駿府]]:静岡
* 江府:かつての江戸
* 別府:別府
* 水府:水戸
* [[長府]]:長府(現下関市)
* 豊府:大分

=== 「○陽」 ===
* 宇陽:宇都宮
* 武陽:東京(以前の[[江戸]])
* 華陽:岐阜<ref group="注釈">[[金華山 (岐阜県)|金華山]]に由来する。「[[wikt:陽|陽]]」は[[北半球]]において日当たりがよい山の南側、あるいは川の北側を意味する。岐阜のもともとの市街地は金華山の南西を中心に広がっている。</ref>
* 尾陽:名古屋
* 洛陽:京都<ref group="注釈">[[洛陽市|洛陽]]にそのままちなむ。[[平安京]]の[[左京]](東側)の称であり、[[右京]](西側)を[[長安]]と称したのと対比したが、右京が衰退して京都の市街地の中心が左京となったことにともない京都全体を「洛陽」と呼ぶようになった、ともされる。</ref>
* 崎陽:長崎<!-- この項(もともと五畿七道順を意図していた可能性があるが)都道府県コード順。「摂陽」(大阪)、「紀陽」(和歌山)といった称もあるが、どこまで追加するのが妥当か、判断しがたい。 -->

=== 「○の都」 ===
* 音楽の都/楽都:[[仙台市|仙台]]、[[浜松]]、[[ウィーン]]、[[ワルシャワ]]、サンクトペテルブルク
* 華の都/花の都:京都、東京、パリ、[[フィレンツェ]]。
* 霧の都:ロンドン
* 永遠の都:ローマ
* 芸術の都:パリ、フィレンツェ、ウィーン
* [[ファッションの都]]:パリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨーク
* 千年の都:京都
* 食の都:[[酒田市|酒田]]、[[庄内地方|庄内]]、[[鳥取県|鳥取]]
* 黄金の都/平和の都:平泉
* [[水の都]]/水都:大阪、平泉、[[郡上市|郡上]]、広島、新潟、松江、[[大垣市|大垣]]、[[西条市|西条]]、[[徳島市|徳島]]、[[柳川市|柳川]]、熊本、延岡、ヴェネツィア、[[ブルッヘ]](ブルージュ)、ストックホルム、サンクトペテルブルク、[[蘇州市|蘇州]]
*古の都:古都と同義。奈良、飛鳥、京都。
[[西条市|西条]](地下水が豊富で「うちぬき」と呼ばれる自噴井が多数存在)、大垣(水都タクシー、デリカスイト等所在企業名にも使用)
* [[杜の都]]:仙台(特有名称)
* [[森の都]]:熊本、ウィーン、シアトル、アトランタ、[[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]、[[メルボルン]]
* 杜と水の都:盛岡
* 鉄の都:[[八幡東区|八幡]]
* 薬の都:[[富山市|富山]]、大阪([[道修町]])
* 泉の都:[[済南市|済南]]

=== 音訳 ===
また、海外の都市を漢字で音訳する場合、都市名の音の頭文字を漢字に置き換えて、それに「都」「府」「港」を付ける事がある。ただし、これは、古風な表現で現在においては殆ど用いられない。なお、現在での漢字表記を、括弧内に記す。
* 紐育:ニューヨーク
* 巴里:パリ
* 倫敦:ロンドン
* 羅馬:ローマ
* 伯林:ベルリン
* 雅典:アテネ
* 維納:ウィーン(維也納)
* 寿府:ジュネーヴ(日内瓦)
* 桑港:[[サンフランシスコ]](三藩、旧金山)
* 羅府:ロサンゼルス(洛杉磯)
* 沙都、沙港:シアトル
* 波府:ボストン(波斯頓)
* 華府:ワシントンD.C.(華盛頓)
* 費府:フィラデルフィア
* 星港:シンガポール(新嘉坡)
* 曼谷:バンコク<!--
「河内」は音訳による表記ではないと思われる - * 河内:[[ハノイ]] -->

=== 「○○の東京」 ===
* 東北の東京:[[仙台市|仙台]]<ref>[https://micromagazine.co.jp/book/?book_no=1148]</ref>
* 九州の東京:[[福岡市|福岡]]<ref>[https://www.sankei.com/article/20160218-W74FPC44XZJJBOX2NKEEBHHNGI/]</ref>

=== 「○○の大阪」 ===
* 山陰の大阪:[[米子市|米子]]
* 北陸の大阪:[[高岡市|高岡]]
* 東北の大阪:[[酒田市|酒田]]
* 伊予の大阪:[[八幡浜市|八幡浜]]

=== 「○○のパリ」 ===
* 北米の[[パリ]]:モントリオール
* 北米のパリ:[[ケベック・シティー|ケベック]]
* 東洋のパリ:[[ホーチミン市|ホーチミン]]、[[プノンペン]]、上海
* 中東のパリ:[[ベイルート]]
* [[シベリア]]のパリ:[[イルクーツク]]
* 南米のパリ:[[ブエノスアイレス]]
* 東欧のパリ:[[ブカレスト]]

=== 「○○のヴェネツィア」 ===
* 北の[[ヴェネツィア]]:サンクトペテルブルク
* 北欧のヴェネツィア:ストックホルム
* [[東洋のヴェネツィア]]:蘇州
* アメリカのヴェニス:サンアントニオ

=== 「○○のフィレンツェ」 ===
* ドイツの[[フィレンツェ]]:[[ドレスデン]]
* 日本のフィレンツェ:岐阜

=== 「○○のアテネ」 ===
* 北の[[アテネ]]:[[エディンバラ]]
*アメリカの[[アテネ]]:[[ボストン]]

=== 「○○のナポリ」 ===
* 東洋の[[ナポリ]]:[[鹿児島市|鹿児島]]

=== 「○○の真珠」 ===
* [[アドリア海]]の[[真珠]]:ヴェネツィア、[[ドゥブロヴニク]]
* [[ドナウ]]の真珠:[[ブダペスト]]
* 東洋の真珠:[[マニラ]]
* 極東の真珠:[[ホーチミン市|ホーチミン]]

== 行政 ==
=== 日本の行政制度 ===
[[ファイル:Seireishiteitoshi.png|thumb|250px|日本の政令指定都市の位置。]]
*[[特別区]]
**[[東京都区部]] - 23区

* [[政令指定都市]] - 20市
** 北海道:[[札幌市|札幌]]
** 東北:[[仙台市|仙台]]
** 関東:[[さいたま市|さいたま]]、[[千葉市|千葉]]、[[横浜市|横浜]]、[[川崎市|川崎]]、[[相模原市|相模原]]
** 中部:[[新潟市|新潟]]、[[静岡市|静岡]]、[[浜松市|浜松]]、[[名古屋市|名古屋]]
** 近畿:[[京都市|京都]]、[[大阪市|大阪]]、[[堺市|堺]]、[[神戸市|神戸]]
** 中国:[[岡山市|岡山]]、[[広島市|広島]]
** 九州:[[北九州市|北九州]]、[[福岡市|福岡]]、[[熊本市|熊本]]

* [[中核市]] - 58市 <small>※は政令指定都市の人口要件(法定人口50万人以上<ref group="注釈">本来は将来自治体人口が100万人以上となる都市が指定されており、市町村合併支援プランの運用上では特例中に市町村合併を行った70万人以上(都市圏人口100万人以上)の都市が指定されている。</ref>)については満たすものの指定されていない市</small>
** 北海道:[[旭川市|旭川]]、[[函館市|函館]]
** 東北:[[青森市|青森]]、[[八戸市|八戸]]、[[盛岡市|盛岡]]、[[秋田市|秋田]]、[[山形市|山形]]、[[郡山市|郡山]]、[[いわき市|いわき]]、[[福島市|福島]]
** 関東:[[宇都宮市|宇都宮]]※、[[前橋市|前橋]]、[[高崎市|高崎]]、[[川越市|川越]]、[[越谷市|越谷]]、[[川口市|川口]]、[[船橋市|船橋]]※、[[柏市|柏]]、[[八王子市|八王子]]、[[横須賀市|横須賀]]
** 中部:[[富山市|富山]]、[[金沢市|金沢]]、[[福井市|福井]]、[[甲府市|甲府]]、[[長野市|長野]]、[[岐阜市|岐阜]]、[[豊田市|豊田]]、[[豊橋市|豊橋]]、[[岡崎市|岡崎]]、[[一宮市|一宮]]
** 近畿:[[大津市|大津]]、[[高槻市|高槻]]、[[東大阪市|東大阪]]※、[[豊中市|豊中]]、[[枚方市|枚方]]、[[八尾市|八尾]]、[[寝屋川市|寝屋川]]、[[姫路市|姫路]]※、[[西宮市|西宮]]、[[尼崎市|尼崎]]、[[明石市|明石]]、[[奈良市|奈良]]、[[和歌山市|和歌山]]
** 中国:[[鳥取市|鳥取]]、[[松江市|松江]]、[[倉敷市|倉敷]]、[[福山市|福山]]、[[呉市|呉]]、[[下関市|下関]]
** 四国:[[高松市|高松]]、[[松山市|松山]]※、[[高知市|高知]]
** 九州:[[久留米市|久留米]]、[[長崎市|長崎]]、[[佐世保市|佐世保]]、[[大分市|大分]]、[[宮崎市|宮崎]]、[[鹿児島市|鹿児島]]※、[[那覇市|那覇]]

* [[特例市|施行時特例市]] - 27市 <small>※は中核市への移行を検討、目指している市</small>
** 関東:[[水戸市|水戸]]※、[[つくば市|つくば]]※、[[伊勢崎市|伊勢崎]]、[[太田市|太田]]、[[草加市|草加]]、[[所沢市|所沢]]※、[[春日部市|春日部]]、[[熊谷市|熊谷]]、[[厚木市|厚木]]、[[大和市|大和]]、[[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]]、[[平塚市|平塚]]、[[小田原市|小田原]]※
** 中部:[[長岡市|長岡]]、[[上越市|上越]]、[[松本市|松本]]※、[[沼津市|沼津]]、[[富士市|富士]]、[[春日井市|春日井]]※、[[四日市市|四日市]]
** 近畿:[[茨木市|茨木]]、[[吹田市|吹田]]※、[[岸和田市|岸和田]]※、[[宝塚市|宝塚]]、[[加古川市|加古川]]
** 九州:[[佐賀市|佐賀]]

=== 日本国外の都市行政制度 ===
大都市や小都市や村落など、規模を問わず、[[基礎自治体]]を同じ名称で呼ぶ国はヨーロッパに多く見られる。

この代表的な国家には、[[フランス]]や[[イタリア]]などがある。これらの国家では、パリやミラノのような大都市でも、[[カンヌ]]のような小都市でも、[[カマンベール]]のような村落でも、全て「'''commune'''(仏:[[コミューン]])」や「'''comune'''(伊:[[コムーネ]])」と呼ばれる。イタリアでは、市役所(・村役場)の[[ウェブサイト]]の[[Uniform Resource Identifier|URI]]において“comune”の後に都市名(・村落名)が付く自治体が多い。

=== 首都以外の特別市 ===
一般に、首都は「特別市」として、一市単独で[[州]]・[[道 (行政区画)|道]]を構成する所も多い。しかし、首都以外でも、過密になり大都市となっている市もある。その中にも、「特別市」として、一市単独で州・道を形成する所もある。以下に、その例を挙げる。

* [[釜山広域市]]
* [[上海市]]
* [[重慶市]]
* [[ハンブルク]]<ref group="注釈" name="Hansestadt">[[ブレーメン]]([[ブレーメン州]])と並んで、[[ハンザ同盟]]以来の[[自由都市]]としての地位を現在まで保持している。</ref>

== その他 ==
;都市の類義語と反対語
{{独自の研究|section=1|date=2022年10月}}
類似概念と反対概念についても説明しておく。

;類義語
都市の類義語としては、'''都会'''や'''都'''などがある。

ただし「都市」と呼んだ場合には、規模の大小を問わないのに対して「都会」・「都(みやこ)」というと、規模が都市の中でも特に大きな都市を指す場合が多い。{{Efn|「都会」や「都(みやこ)」は「[[田舎]]」・「[[鄙]](ひな)」の対義語。したがって、やはり「都市」とは語感が異なっている。同義語ではない。}}

;反対語、対義語
* 都市 ⇔ [[村落]](学術的用語)
* 市 ⇔ [[村]](略語)
* 都会 ⇔ [[田舎]](俗語)
* 都 ⇔ 鄙(俗語の訓読み)
* 都心 ⇔ 辺鄙(広がりの視点を伴う俗語)
* 都 ⇔ 市(漢字の原意からは、都は行政都市:元首がおり人口多い首都。市は商業都市:語源は足を止め天秤で計る場・市場。)

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}

=== 参考文献 ===
{{参照方法|section=1|date=2022年10月}}
* 永野征男(2009)『都市地理学研究ノート』冨山房インターナショナル
* 戸所隆(2000)『地域政策学入門』古今書院
* 林上(2012)『現代都市地理学』原書房
* [[羽仁五郎]]『都市の論理 歴史的条件─現代の闘争』
* [[増田四郎]]『都市』
* Tertius Chandler, "Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census", Lewiston, NY: The Edwin Mellen Press, 1987. ISBN 0889462070
* George Modelski, ''World Cities: –3000 to 2000'', Washington DC: FAROS 2000, 2003. ISBN 0967623014
* コストフ『都市の歴史』東洋書林, 2021, ISBN 978-4887218284

== 関連項目 ==
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* [[全国市町村一覧]]
* [[世界の都市圏人口の順位]]
* [[世界の都市的地域の人口順位]]
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2024年12月19日 (木) 05:19時点における最新版

渋谷駅スクランブル交差点(日本・東京)

都市(とし)は、人間の居住形態の一様式である。村落と対比する概念であり、一般には、人口が集中し、商工業やサービス業といった第二次・第三次産業が発達した、周辺地域の中心地となる地域をこのように呼ぶ。都市を村落と峻別するための方法論は多数存在するが、その指標や閾値はさまざまである。また、都市の領域および構造、外部との連関を説明するための理論も、さまざまに構築されている。

人類文明における都市の起源は紀元前4千年紀の西アジアにあると考えられており、以後、古代から近世にかけて世界各地で発展していった。18世紀から19世紀にかけては特に西洋世界で都市人口が急増し、近代都市計画の概念がうまれた。都市化は世界的に進みつつあり、国際連合は2014年に世界人口のおよそ半分が都市に居住していると発表した。都市は一般に、地方政府の管轄として統治される。都市行政は基礎インフラや公共サービスを提供し、都市計画や財政運営を行う。現代都市においては企業の役割が増大していることが指摘されている。都市には経済機能が集積し、文化の中心地としても機能する。都市はさまざまな文芸・絵画・映画作品のモチーフとなってきた。

語源

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都市

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『漢語字類』より「都市」の項。日本の辞書に「都市」の語があらわれる最初期の例。

大漢和辞典』によれば、漢語の「都市」は「商賈のあつまるところ。城市、又はまち、みやこ」の意味であり、『漢書』などに用例がある[1]。とはいえ、日本語においてこの語が用いられることは稀であり、漢語としては「都邑」「都城」「京師」といった語が一般的なものとして用いられていた[2]。『日本国語大辞典』は、日本語における「都市」の初出として、1868年の『布令字弁』を挙げている[3]。同書は、文明開化期の漢語の流行を背景に刊行された、明治政府の布告にふくまれる難読語を解説することを目的とした漢語辞書である[4]。また、翌年の『漢語字類』にも「都市」が掲載される。国語辞典では1878年の『明治伊呂波節用大全』が初出とみられる。この語は明治30年代には専門図書類で定着するようになり、1918年ごろより、都市計画法に関する議論を背景として新聞類でも一般に用いられるようになった[2]

city

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英語の city は、古フランス語で「都市」をあらわす cite(現代フランス語: cité)を語源とするものであり、さらにはラテン語の civitas(キーウィタース)にさかのぼることのできるものである。この言葉は元来は「市民権」「市民としての条件や権利」「共同体の一員であること」といった意味であり、のちに「市民の共同体」を意味するようになった[5]カロリング朝時代には司教座の存在するようなローマ都市についてもこのように呼ぶようになり、堅固な城壁を有する大都市も同様にこう言い表すようになった[6]中英語においても同様に、首都や司教座の存在する都市をこう呼び、のちに都市一般を意味する言葉となった[5]

定義と特徴

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都市は村落と対比される、人間の居住形態の一様式であるが、このふたつを明瞭に区別することは困難である[7][8]。都市の定義としては世界各国でさまざまな指標が用いられており、このことは世界の都市について広い視角から論じることを困難にしている[9]。研究者の多くは、都市の人口および人口密度が周囲より高く、施設および行政機能が充実しているという点について合意している一方、都市を形ある実体として恣意性なしに定義することもまた難しいと考えている[10]

行政

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ニューヨーク州(アメリカ)におけるニューヨークの位置と、州の人口地図

多くの国家が「都市」を行政的枠組みとして定めており、これをそのまま都市の基準として用いることもできる[11]

その一方で、後述の通り、これらの基準は混乱しており、互換性も小さい[9]。また、実態としての都市と市域は一致しないことももっぱらである。たとえば、ニューヨーク郊外のには、実質的にはニューヨークの一部となっているものがあるにもかかわらず、厳密な定義においてはそうは扱われない。逆に、中国重慶市は都市外郭の広大な範囲の農村を、市域の一部に含めている[11]。日本国内においては平成の大合併を経て、2015年時点で人口の84%が人口5万人以上の市町村に居住していることになっている。日本の統計上の都市居住率はイギリスアメリカフランス・ドイツなどと比較しても高いが、こうした定義は必ずしも実態を反映したものとはいえない[12]

人口

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人口は、都市をその他の集落と区別するための単純な尺度となりうる[11]人口および人口密度は、都市を定義づける基準として多くの国家で利用されている[9]

しかし、その閾値はさまざまであり、日本ではおおむね人口5万人以上であることが市制施行の条件となる一方で、デンマークアイスランドでは人口200人以上なら都市地域と認められる。人口密度については、たとえば中国が都市の定義を1 km2あたり1500人としているのに対し、ドイツではその基準は10分の1になる[9]木内信蔵の指摘するように、都市と人口の関係は、それぞれの地域における、集落の社会的・歴史地理的状態によってさまざまである。木内の表現を引用するならば、アメリカ中西部には「広漠とした畑の中に教会とドラッグストア、ガソリンスタンドなどが建つだけ」の都市がある一方で、南イタリアには「人口1~2万が密集して住む都市と見間違える農業集落」がある[7]

産業

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ニューサウスウェールズ州オーストラリア)の農漁業従事者人口(2011年)

都市的産業が発達していることも、都市の定義の一部にふくまれうる[12]。すなわち、村落部の住民の多くが第一次産業に従事する一方で、都市においては多くの住民が第二次第三次産業に従事している[7]。市場および貿易・商業関係を都市概念において重要なものと位置づける考えは、アルフレッド・ウェーバーなどにより20世紀初頭より注目されはじめ、農村の余剰が都市をうみだしたとする考えは、多くの都市論者のあいだで共有されている(一方で、交易のハブであるところの都市が農村をかたちづくったとする、ジェイン・ジェイコブズのような考えもある)[11]

産業従事者の比率は、国家による都市の定義にも用いられる。たとえばインドにおいては、非農業部門労働に従事する成人男性人口が75%を超える集落が、都市と定められている[11]。同様に、カンボジアにおいては非農業部門労働に従事する成人男性人口が50%以上であること、ブータンにおいては一次産業への依存度が50%未満であることが、都市の要件の一部にふくまれている[9]。日本においても、市制施行の要件には「農林水産業以外の産業に従事する人および同一世帯に属する人の合計が町の全人口の6割以上」であることが求められる[13]。その一方で、森川洋は「今日の日本では農業を中心的産業とする村落は皆無に近い」ことも指摘している[14]

中心性

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都市は周辺地域住民の生活の中心をなす[12]。木内は、「周囲の地方に対する中心的機能」であるところの結節性(nodality)こそが都市の本質であると位置づけている[7]。都市的産業は周辺地域の住民に都市的サービスを与え、通勤圏を構築する[15][13]。また、大学や文化施設なども、他地域に対する影響力をもつ[16]。こうした都市機能は、周辺地域に影響を与えるベーシック機能と、あくまで地域内部にサービスするものであるノンベーシック機能に分類され[16]、前者は都市の中心性を構築する。ヴァルター・クリスタラーの論じるように、都市の中心性は階層的な構造をなす[17]

こうした機能的なつながりを利用して、都市の領域を定義することにより、行政的に定義づけられた市域とは異なるかたちで都市領域を設定することができる[18]オーストラリアベルギーイタリアカナダといった国家は、都市圏(Metropolitan area)の概念をおもに利用して、都市を定義づけている[19]。一方で、都市の中心性はさまざまな要素が重層的に関係するものであり、分析的に取り扱うと偏りが生じる可能性がある[17]。また、中心性をベースとする都市の定義では、衛星都市の処遇が不明瞭になる[20]。都市圏の設定のためには中心を定める必要が生じるため、やはり都市圏の設定にも絶対的な基準は存在しえない[21]

立地と構造

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立地

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クリスタラーの中心地理論の模式図

都市の立地は、歴史的には自然・技術・経済・軍事上の条件に応じてさまざまであった。水域へのアクセスは都市の立地と成長のうえで重要な要素であり、19世紀に鉄道輸送が発達すると例外が生じるとはいえ、世界の都市人口のほとんどが、海または川に近接した地域に居住している[22]

都市は原則として食料を自給できないため、後背地との結びつきを発展させる必要がある[23]。歴史的には、都市の発展のためにはその外郭に十分な規模の農村地帯が広がっていなければならなかった[24]。ゆえに、生産性の高い地域における中心性が都市の立地に影響する[25]。古くはヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネンのような学者が後背地と都市の空間配置を定量的に説明しようとし、これはのちに学術分野としての立地論に進展した[26]。クリスタラーの中心地理論は、平坦な地形に均等な人口が分布した場合、財の希少性とその到達距離に応じて中心地とその市場地域は幾何学的な階層構造をなすというものであり、実際に南ドイツにおいてはおおむねこの理論が成り立つという検証も行われた[27]

内部構造

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多核心モデルの模式図

都市の内部構造を説明するためのモデルは、多数考案されてきた。古典的なものとしては、アーネスト・バージェス同心円モデルがある。中心業務地区(CBD)を中心とし、漸移地帯(インナーシティ)、労働者住宅地帯、住宅地帯、通勤者住宅地帯がその外郭に広がるこのモデルは、都市の内部構造モデルとして広く知られている。ホーマー・ホイトはこれを修正し、CBDから主要な交通路に沿って卸売・軽工業地区や低級住宅地区が伸びる扇型モデルを発案した。また、チョーンシー・ハリスエドワード・ウルマンはこれらのモデルを改良し、CBDとは別に、郊外の住宅地帯からの通勤がおこなわれる郊外工業地区をモデルに組み入れた多核心モデルを発表した[28][29]

一方で、たとえばヨーロッパの都市においては都市の中心部に高層のオフィスビルが建てられることはまれであり、多くの場合は教会や広場などがおもな利用形態となる[28]。また、阿部和俊の論じるように、日本では漸移地帯に相当する地域が目立たないとする見解がある。モータリゼーションの進展によって都市の業務機能や商業機能の多くが郊外に移転し、CBDの中枢性は低下している[30]マイケル・ディア英語版の論じるように、ロサンゼルスのようなモータリゼーションのいちじるしく進んだ都市では、都市の諸施設は不規則に分布するキノ資本主義の形態をとる[31]

都市集積と都市圏

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ニューヨークとその近郊の都市

都市の領域は、市域(city proper)の外部に広がることがもっぱらである。行政的な線引きとは関係なく、都市が連続している領域を指し示すための用語として都市集積(Urban agglomeration)がある。国連経済社会局人口部は、世界の都市について分析するにあたって、都市集積を中心とする分析的枠組みをもちいることを選好している[19]

都市ないし都市集積の外部には、都市圏が広がる[19]。通常、都市圏は日常的な人の動きを基盤とする日常生活圏を指すが、都市は物資の流動圏や人口移動圏といった、より広大な勢力圏もその外部に広がっている[21]。都市圏の定義についても、各国でさまざまな指標が用いられているが[19]、日本においては、労働市場の空間的範囲をあらわし、国勢調査の項目であるゆえにデータの入手が容易な、通勤流動がそのベースとして用いられることが多い[21]。アメリカでは、国勢調査において標準大都市圏(Standard Metropolitan Statistical Area、SMSA)を定義している。中心都市から連続する郡のうち75%以上が非農業従事者であり、かつ「人口密度が1平方マイルあたり150人以上の行政区域が互いに連続しており、郡全体の人口の50%以上がこの区域に居住している」「郡内で雇用される非農業従事者人口が10,000人以上、または中心都市の所属する郡で雇用される非農業従事者人口の10%以上である」「郡内に居住する非農業従事者の人口が10,000人以上、または中心都市の所属する郡内の非農業従事者人口の10%以上である」ことのいずれかを満たすものが、大都市圏の一部とみなされる[32]

都市化

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フィンランド・オーストリア・オランダにおける都市中心部と周縁地域の人口の変遷(Humer, Cardoso & Meijers 2021)

村落が都市に変化していく過程を都市化と呼ぶ。都市化は第一次産業から都市的産業への産業構造の転換をベースに進むものであり、イングランドでは産業革命後の1811年から1851年にかけて都市人口が急増した。また、日本においても産業革命後の1890年代に都市人口が急増したが、もっとも都市化がいちじるしかったのは高度経済成長期を経験し、都市的産業の比重が大きくなった1950年代から1970年代にかけてである[33]。都市化の潮流は世界的なものであり、国際連合は2014年に世界人口のおよそ半分が都市に居住していると発表した[34]

都市化の流れを一般化する試みとして、空間サイクルモデル(Spatial-Cycle Model)と総称されるモデルがある。すなわち、都市は都市化・郊外化反都市化再都市化を繰り返すというものである[35]。たとえば、L・H・クラーセンの都市化推移モデルによれば、都市の発展は5段階にわけられる。すなわち、中心都市が周辺地域から人口を吸い上げるI期、中心都市の人口が急増し、周辺地域の人口も増加するII期、中心都市の過密と郊外化により、周辺地域への人口集中が進むIII期、中心都市の人口が減少し、郊外でのみ人口が増加するIV期(ドーナツ化現象)、中心都市の再開発によって都心回帰が進むV期である[33]富田和暁の分析では、日本国内では1995年以降東京・大阪・名古屋といった大都市圏において再都市化が進んでいる[33]。一方で、アロイス・ヒューマー(Alois Humer)らによれば、空間サイクルモデルはフィンランドオーストリアといった国家においては有用である一方、オランダのような多中心的都市地域(polycentric urban region)においては確認できず、むしろ都心と周縁の人口動態は同期的な関係にあった[35]

都市システムとグローバルシティ

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都市の集合には、人・財・情報などの流動、あるいは都市に居住する組織同士が取り結ぶ関係などを介して、秩序ないし相互作用関係が生じる[36]。都市間の相互結合関係のことを、都市システムと呼ぶ[37]。都市システムはさまざまなスケールから構築され、日常的なレベルでは通勤通学圏や商圏、地域的なレベルでは交通や通信、医療といった社会サービス、国家間のレベルでは経済的刺激や情報の交換といったかたちであらわれる[38]。阿部和俊は、日本において、民間大企業の支店立地から見た都市システムは非階層的であり、東京を中心とする都市間相互の結びつきが強まっていると論じている[39]

都市システムは国民国家の枠組みをこえて結びつくこともある。たとえば、ヨーロッパではEU統合にともない、首都を頂点とする都市システムが解消されつつあり、たとえばフランスのリールではパリだけでなく、ロンドンブリュッセルといった都市への近隣性も活かした発展戦略が実行されている[36]。また、グローバル化にともない、世界の大都市は世界経済の結節点として機能している[40]。世界の貿易・銀行業・金融・イノベーション・市場などにおいて、きわだった中心地となっている都市を、サスキア・サッセングローバルシティと呼称した[41][42]

歴史

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古代(-5世紀)

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西アジア・アフリカ

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ウルク。世界最古の都市と考えられている。

西アジアの、エリコテル・アッスルターン英語版)やチャタル・ヒュユクといった紀元前8千年紀の集落は、最初期の原都市英語版であるとみなされている[43]。古代都市の定義についてはこれまでにも多くの議論がなされてきたが、ゴードン・チャイルドは都市の条件として以下の10要件を提示した。この要件については批判もあるものの、小泉龍人いわく「古代都市論において、必ずと言っていいほど彼の定義は引用されてきている[44]。」

  1. 大規模集落と人口集住
  2. 第一次産業以外の職能者
  3. 生産余剰の物納
  4. 社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
  5. 知的労働に専従する支配階級
  6. 文字記録システム
  7. 暦や算術・幾何学・天文学
  8. 芸術的表現
  9. 奢侈品や原材料の長距離交易への依存
  10. 支配階級に扶養された専業工人
バビロン

小泉はより簡潔な定義として、「都市計画」「行政機構」「祭祀施設」の存在を都市の定義としているが、いずれにしても最古の都市と認められるのは紀元前4千年紀ウルクである[44][45]紀元前32世紀にはすでに、ウルクの人口は約20,000人に達していたと考えられている[46]。その後、メソポタミアではエリドゥウルラガシュニップルキシュニネヴェバビロンといったさまざまな大都市があらわれた[47]。メソポタミアでうまれた都市という居住形態は、古代エジプトといった周辺地域にも広がった[48]。エジプトについては、自然環境ないし居住形態の違いから、メソポタミアのような遺丘が生じづらく、都市の誕生についてはっきりとしたことはわからない。とはいえ、先王朝時代紀元前30世紀ごろにはすでにヒエラコンポリス英語版のような都市型集落が形成されていたようであり[49]中王国時代紀元前18世紀ごろには直線的街路網を有する都市遺跡もあらわれる。新王国時代の都市遺構としては、アマルナがよく保存されている[50]

紀元前30世紀には、地中海のフェニキアにもビブロスのような都市が建築された[51]。交易の進展により、トルキスタンカスピ海沿岸、ペルシャ湾沿岸などにも都市が築かれていった[52]。また、モーリタニアでは紀元前20世紀頃より農耕牧畜民の定住がはじまり、紀元前16世紀ごろまでには都市的集落があらわれた[53]

東アジア・東南アジア・南アジア

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モヘンジョダロ

紀元前25世紀から紀元前17世紀ごろまでインダス川流域で栄えたインダス文明は、モヘンジョダロハラッパーといった都市遺跡をのこした[54]。インダス文明が廃れたのち、インドで再び都市建設が盛んになるのは紀元前6世紀ごろのことである。ガンジス川流域で栄えた十六大国諸都市の記録は仏典などに残され[55]、考古学的にはカウシャーンビーから北方黒色磨研土器文化英語版以前のものとみられる城壁がみつかっている[56]クシャーナ朝の衰退とともに、再びインドでの都市化の趨勢は衰えはじめた[57]。インドの都市文明は東南アジアにも広がり、ミャンマーでは紀元前250年から5世紀ごろのものとされる、ピューの遺跡であるベイッタノー英語版が検出されている[58]。また、3世紀にはカンボジア扶南が交易の中心地となっていたようである[59]

中国では仰韶文化期の半坡遺跡より濠をめぐらせた集落が検出されており、紀元前35世紀ごろよりはじまる龍山文化期には、城壁と排水施設、宗教儀式の痕跡をのこす平糧台のような遺構があらわれる[60]。とはいえ、多くの歴史家は、中国における都市文明の始まりを、紀元前18世紀よりはじまる代のことであるとしている[61]戦国時代には列国の首府の巨大化が顕著なものとなり、たとえばの都である臨淄には70,000戸が居住していたといわれている。こうした中国の地方都市は、代には解体される傾向にあったが、一方で咸陽長安洛陽といった国府は殷賑を極めた[17]。ベトナムでは、600ヘクタールの面積を有する都市遺構である古螺が見つかっている[62]。ベトナムはインドよりはむしろ中国の影響を受けていたようであり、建業城のものと類似する、3世紀の人面瓦が出土している[59]

ヨーロッパ

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帝政期ローマの中心部

古代ギリシャにおいてはミノアミケーネ文明期より都市といえるような居住形態が成立していたが、紀元前8世紀にはその後のポリスにつながるような都市があらわれるようになる[63]。もっとも有力なポリスであったアテナイ紀元前5世紀に最盛期をむかえ[64]、その人口は奴隷および在留外国人をふくめて12万ないし15万と推定されている[7]。また、紀元前5世紀後期にヒッポダモスによっておこなわれたとされるミレトスの再整備は、その後のギリシャに矩形的な都市計画の概念をもたらした[63]

ギリシャでポリスが分立していたのと同時期に、イタリア半島においても同様の都市国家であるキーウィタースが成立しており、うちローマが周辺地域を統一した[7]。ギリシャ同様の都市計画は古代ローマの植民都市においても採用されたが、首都であるローマ自体は無秩序な発展をとげ、政治家や皇帝といった有力者は競うようにして市内にモニュメントを建てた[63]。ローマの人口は、2世紀には少なくとも70万人に達していた[65]

アメリカ

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テオティワカン

アメリカ大陸においては、ペルーの中央海岸北部に位置するノルテ・チコ文化英語版の先土器時代後期遺構を都市とみなす見解がある一方で、これには異論も多い[66]。多くの研究者は、中央アンデスにおいて、狭義の都市が建設され始めたのははやくとも4世紀以降であると考えている。たとえば、ティワナクのような遺跡がそうである[67]

マイケル・ラブ(Michael Love)らによれば、メソアメリカにおいては、後期形成期(Late Formative period)ないし終末期形成期(Terminal Formative period)までに全土で都市が発生していた[68]中央高地に位置するテオティワカンの人口は、紀元前150年から紀元前1年までと推測されるパトラチケ期(Patlachique phase)には、20,000人から40,000人に達していたと考えられている[69]。また、マヤ文明エル・ミラドールのような都市も多くの人口を集めた[70]

中世(5世紀-15世紀)

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ヨーロッパ・西アジア・アフリカ

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バグダード(767年-912年ごろ)

西ローマ帝国の滅亡後、特に北西ヨーロッパにおいて、都市の存続・発展は停滞した[71]。この時代のキリスト教圏では東ローマ帝国が都市文化の中心となった。当時最大の都市はコンスタンティノープルであり、450年から1070年までのあいだ、40万から60万人程度の人口を抱えた[72]。一方で、イスラム教圏では、アッバース朝の首都として、930年時点で100万人規模の人口を抱えた、バグダードのような大都市があらわれた。ヨーロッパでも、イスラム教徒の支配下にあったイベリア半島では、コルドバのような都市が発展した[73]10世紀にバグダードが衰微すると、カイロがこれに代わってイスラム圏の中心となった[17]。10世紀末には、東アフリカキルワが建設された[74]

北イタリアのヴェネツィアのような都市は9世紀ごろより、イスラム教圏や東ローマとの交易により発展しはじめた[7]。また、ライン川ムーズ川下流域にも、9世紀から10世紀にかけてポルトゥスとよばれる港町が出現した[75]。ヨーロッパにおける農業生産の拡大と貨幣経済の進展を背景に[71]、11世紀ごろより都市はいちじるしい発展を遂げ、特に北イタリアと南ネーデルラントの都市はそれぞれ地中海商業・北海交易のハブとして発展した。12世紀よりこの南北の交易圏をむすぶ街道が発達し、フランス東部のシャンパーニュ地方にも一定規模の都市があらわれた[76]13世紀ごろより、リューベックハンブルクケルンといった北ヨーロッパの都市はハンザ同盟をむすび、イタリアのピサフィレンツェアマルフィなどとともに西欧全土を覆う経済圏をつくりあげた[17]

ベルナルド・ダッディ(1342年)『慈悲の聖母』よりフィレンツェの眺め

14世紀黒死病の流行は、キリスト教・イスラム教両世界に強い影響を与えた。イスラム教圏でもっとも有力な都市であったカイロは活況を失い[17]、1453年に東ローマ帝国からオスマン帝国の版図に組み入れられたイスタンブール(コンスタンティノープル)がこの地位を得た[17][77]。ヨーロッパの都市社会に対して、いわゆる「中世後期の危機英語版」が与えた影響については諸説ある。ウィルヘルム・アーベル英語版は、疫病による人口減少が農産物の価格低下をまねき、手工業品価格の上昇は都市の繁栄を導いたと論じる一方、マイケル・ポスタンは、商業全体の収縮を背景として、ロンドンブリストルといった一部の都市を除けば、基本的に都市経済は停滞したと論じた。これらの議論はいずれも農村と都市の対立を前提とするものであるが、たとえばこの時代のフランドルやイタリアでは、農村手工業の発達と、都市の奢侈品生産への傾斜といった、都市・農村の相互関係にもとづく経済構造の転換があったことも指摘されている[78]

2千年紀中葉より、ニジェール川デルタのジェンネ・ジェンノ英語版サハラ交易の拠点として発展し[53]、6世紀から9世紀の時点でおよそ20,000人が居住していたと考えられている[79]。7世紀の北アフリカのイスラム化は、交易を通じてサハラ以南アフリカにも影響をもたらした。サヘル地域ではタドメッカ英語版ガオといった都市が交易の中継点として栄え、より南の森林地帯に位置するイレ=イフェには、14世紀から15世紀の時点で70,000人以上にのぼる人口がいたとみられている[53]。1400年ごろにはグレート・ジンバブエが全盛期を迎え、およそ40,000人の人口を抱えた[74]

東アジア・中央アジア

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唐代長安

中国では、五胡の侵入により中原が一時荒廃するが[17]、うち鮮卑拓跋部の国家である北魏は、493年にふたたび洛陽に都を築いた[80]。北魏の洛陽で本格化しはじめた、北に宮城を置き、城内を坊壁で区切る計画はの長安にも引き継がれた[17]。中国風の都城制は東アジアの周辺地域にも波及し、たとえば新羅には金城(7世紀)、日本には平城京(710年)、渤海には上京龍泉府(775年)といった都城が築かれた[81]

五代十国時代を経て、中国の都城は、長安のような防衛重視の内陸立地から、開封のような交通の便を重視する立地へと移り変わった[82]。また、各ブロックを坊壁で切る坊牆制のプランも、中国においては10世紀の宋代に崩壊する。この理由については、商業の活性化によるものであるという説(加藤繁)や、多民族国家であった隋唐の都市プランが、漢族主体の宋では崩れたという説(妹尾達彦)などがある[80]。日本においても、12世紀には計画的都城である平安京の街区内に非公式の街道がつくられ、民営の市場が営まれるようになった。平安京は、戦国期までに中世都市としての京都に変容した[83]。宋代には、商業経済の発展を背景に、鎮や村市といった小規模な地方都市が多くあらわれた[7]。こうした小都市群は、より大規模な地方都市と農村を結びつけるネットワークとして機能した[17]

中央アジアでは8世紀に興ったブハラや、11世紀にセルジューク朝の首都となったメルヴといったオアシス都市が栄えた[84]。中国および中央アジアの大半をその版図に置くこととなるモンゴル帝国は、を亡ぼした翌年である1235年より首都のカラコルムを建設する[85]。この都市は政治機能を中心とする比較的簡素なものであったが[85]、帝国分裂後の1251年、クビライは中国風の都城である大都を建設した[86]。14世紀に興ったティムール帝国では、サマルカンドヘラートといった都市が栄えた[84]

南アジア・東南アジア

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ヴィジャヤナルガル

ラーム・シャラン・シャルマ英語版によれば、グプタ朝時代にはいくつかの都市が繁栄したが、パータリプトラのような都市はこの時期にはすでに衰えを見せており、貿易の停止および農業中心の社会経済制度の確立により、それ以後の時期には多くの都市が廃墟化した[87]。シャルマの説は多くの南アジア研究者に受け入れられている一方、デレク・ケネット(Derek Kennet)のように、この時代の考古学的研究は不十分なものであり、少なくともこの時代に都市のありかたに大きな変化があったという以上のことはいえないとする見解もある[88]。インド都市史の空白期間は、北インドでは13世紀に終わる。イスラム勢力によるインドの侵攻は11世紀にはじまり、13世紀よりデリー・スルターン朝と総称される諸王朝が成立する。これにより、デリー一帯にはイスラム諸王朝の都城が建築された。また、南インドでは11世紀よりチョーラ朝がはじまり、タンジャーヴールのような都市があらわれた。14世紀にデカン高原で興ったヴィジャヤナガル王国の首府・ヴィジャヤナガルは、当時のインドで最大の都市であった[89]

東南アジアにおいては、7世紀にタチン川英語版流域でドヴァーラヴァティー王国の都市であるナコンチャイシが栄えていた[59]メコン川流域では802年ごろよりクメール王朝が栄えた[59]。その首府であるアンコールは、100万人に及ぶ人口を抱えていた可能性がある[90][91]。ベトナム沿岸部では7世紀頃よりチャンパ、939年より大越タイでは1238年よりスコータイ朝、1350年よりアユタヤ朝、ミャンマーでは849年よりパガン朝ジャワ島では13世紀頃よりマジャパヒト王国といった国家がつくられ、それぞれ都市文明を築いた[59]

アメリカ

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テノチティトラン想像図(1519年時点・国立人類学博物館

テオティワカンの勢力は600年ごろから衰え、様々な王国が覇権を争った[92]。900年にはトルテカ文明の都市であるトゥーラが興ったほか[93]、マヤでは900年ごろを最盛期にティカルワシャクトゥンコパンボナンパクなど様々な都市が栄えた。こうした都市が過疎化した後古典期も、ユカタン半島にはチチェン・イッツァウシュマルマヤパンといった都市があった[94]。1325年に建設されたアステカ帝国テノチティトランの人口は、1500年時点で少なくとも80,000人、一説には20万人に達していたとされている[95]

アンデスでは、14世紀後期よりインカ帝国が勢力を増していった[96]。その中心地であるクスコは、スペインのインカ征服がはじまった1530年代の時点で少なくとも数万人、場合によっては20万人に達していた可能性がある[97]

近世(15世紀-18世紀)

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ヨーロッパ

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パルマノヴァとカールスルーエ。それぞれルネサンス都市計画とバロック都市計画の典型例。

15世紀ごろのイタリアでは、ルネサンスの影響を受けた人文主義者によって理想都市が構想された。この嚆矢となったのはレオン・バッティスタ・アルベルティが1452年に著した『建築論英語版』である。こうした都市のありかたは、たとえばアレッサンドロ・ピッコローミニによる1460年代のピエンツァ建設などで実行に移された。16世紀にはこうした理想都市はいちじるしく幾何学的なものとなり、1623年にはヴィンチェンツォ・スカモッツィによりパルマノヴァが実際に建築された[98]

パリ(1643年)

15世紀末よりはじまった大航海時代は、ヨーロッパ経済を活気づかせた[99]。都市の規模はこの時期いちじるしく拡大し、たとえばマドリードの人口は1600年から1800年のあいだに65,000人から168,000人に、ウィーンの人口は1500年から1800年のあいだに25,000人以下から247,000人となった[100]。17世紀以降、ヨーロッパの国王は絶対君主として、自らの権力の象徴であるところの首都の再改造をおこなった。この時期には火砲の導入によりそれまでの都市を覆っていた市壁が無用の長物となり、パリやウィーンのような都市では市壁が撤去された[101]。16世紀末におこなわれたローマの改造は、ランドマーク的建築物に向けてヴィスタをつくる直線道路と、放射状道路から構成される、いわゆるバロック的都市計画の基盤となった[102]。1661年のヴェルサイユや18世紀はじめのカールスルーエは、バロック的都市計画にもとづき建設された計画都市の例である[103]。近世には、都市住民のあいだでエリート文化がうまれはじめ、それまで文化的共時性を保っていた都市と農村が断絶していった[99]

アメリカ・オーストラリア

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フィラデルフィア(1682年)

1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したのち、イスパニョーラ島にヨーロッパ人が西半球につくったはじめての入植都市であるサントドミンゴが築かれた。同地を拠点に、主にスペイン人によってインカやアステカといった中南米の諸国家は征服されていった[104]。中南米のほとんどはスペインおよびポルトガルの植民地となった。ヨーロッパ人は、新大陸にバロック的都市計画を彷彿させる、矩形的な都市設計をもととする都市を築いた。1535年にスペイン人によって建設されたリマ、1565年にポルトガル人によって建設されたリオデジャネイロがその一例である[105]

北アメリカでも、1565年のセントオーガスティンのようなスペイン人による入植都市が築かれはじめた[106]。フランスもこれに続き、1608年にケベック、1642年にモントリオール、1718年にニューオーリンズを建設した[105]。1630年にはイギリス人によってボストン[107]、1653年にはオランダ人によってニューヨークが築かれた[105]。1681年にイギリス人が建設したフィラデルフィアは、1775年までには人口約40,000人にまで成長し、英語圏ではロンドンに次ぐ規模となった[108]。1776年にはアメリカ独立宣言が発出され、この都市はアメリカ合衆国の最初の首都となった[109]。1800年に建設されたアメリカの新首都であるワシントンD.C.は、ピエール・シャルル・ランファンによりバロック都市として計画された[110]。この時代にはイギリスによるオーストラリアへの入植もはじまり、1788年にはシドニーが建設された[111]

西アジア・南アジア・アフリカ

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アユタヤ(1665年頃)

オスマン帝国は17世紀後半に最盛期を迎え、その首都であるイスタンブールの人口はおよそ67万5000人と推計されている[77]。17世紀にサファヴィー朝の首都となったイスファハーンは50万人にも及ぶ人口を抱えた[112]。また、16世紀に成立したムガル帝国は、帝都としてアーグララホールといった都市を建設した[113]。ムガル帝国はイスラム王朝であったが、その間接統治下にあったラージャスターン地方では独自のヒンドゥー教文化が形成され[113]、1727年にはアンベール王国ジャイ・シング2世によりヒンドゥー教の理想都市理念を反映した計画都市であるジャイプルが建設された[114]

ヴァスコ・ダ・ガマは1498年、喜望峰まわりのインド航路を開拓した。1510年にポルトガルはビジャープル王国の外港であったゴアを占領し、アジア交易の中継点として利用した。東南アジアでも1511年、15世紀より港市国家として隆盛を誇ったマラッカ王国がポルトガルにより亡ぼされた[115]。続いて、1571年にはスペインがフィリピンを侵略し、マニラに首都を築いた[116]。16世紀にはオランダがインドネシアのポルトガル勢力を逐い、1618年よりバタヴィアを建設した[117]。大陸部ではアユタヤが国際貿易都市として栄え、17世紀から18世紀の時点で人口はおよそ19万人であった[116]。ポルトガルは15世紀以降、アフリカに奴隷貿易の拠点をつくっており、たとえばエルミナベニン、キルワ、モンバサなどがそうであった[116]

東アジア

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『新板江戸大絵図』(1670年)

清代、特に万暦帝から乾隆帝の時代の中国では、明代初期にあった統制経済の緩和、新世界からの銀の流入と一条鞭法の導入、長江デルタの綿作地帯化にともなう流通の変化といった経済的変化がおこり、都市化に拍車をかけた[118]。16世紀末ごろより都市間の遠隔地商業の一般化を背景に会館が建築されるようになり[119]、清代に最盛期を迎えた[120]。この時代の首都は北京であったが、重慶漢口九江南京蘇州仏山といった都市も商業の中心として栄えた[118]。1557年には、ポルトガルによりマカオが建設されたが、18世紀までその管理は基本的に中国側に委ねられていた[121]

日本では、1590年に徳川家康江戸を建設しはじめた[122]江戸幕府の創設にともない、1600年ごろをピークとして全国で同様の近世城下町が計画された[123]。また、江戸時代中期には生産流通の結節点として在郷町がつくられた[124]

近代(18世紀-)

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西洋世界

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ロンドン(1890年)

18世紀以降、フランス革命などを背景として、西洋世界の国家は封建主義・支配階級社会を脱却し、市民社会へと移行していった[125]。さらに、産業革命による都市工業の発展や、行政の中央集権化、鉄道をはじめとする輸送手段の進歩を背景として、都市人口はこれまで以上にいちじるしく伸長していった[125][126]。たとえば、ベルリンの人口は、1800年から1910年で12倍になった。国家の人口に占める都市人口も拡大し、たとえば北アメリカでは1850年から1910年にかけて、5,000人以上の居住区に住む人口が3.4%から40.9%に、ロシア帝国では1800年から1910年のあいだに14.5%から40.9%に上昇した[126]。19世紀の終わりまでに、パリ・ベルリン・ウィーン・モスクワサンクトペテルブルクといった都市の人口は100万人を上回り、最大の都市であるロンドンの人口は650万人に突入していた[127]

都市の拡大は過密による都市問題をうみだした。ヨーロッパ大都市の住宅状況はおおむね劣悪であり、下水道の不備はコレラといった感染症が流行する原因となった[127]。この時代にはジョルジュ・オスマンによるパリ改造や、ウィーンのリングシュトラーセ建設といった首都の改造が積極的におこなわれ[128]、1900年代には各国で相次いで都市計画に関する法令が整備されていった[129]エベネザー・ハワードは1898年に田園都市構想を発表し、これは1903年のレッチワースで部分的に実現した[130]。近代都市計画は公衆衛生問題の解決を目的とするものであったが、1950年代より都市計画の手法は、画一的な都市景観をうみだすことを避ける、都市の複合用途や多様性を保持しうる土地利用規制手法へと転換していった[131]

アジア・アフリカ

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カルカッタ(1935年ごろ)

ヨーロッパ人の進出により、清には上海、日本には横浜といった開港都市がつくられた[132]。日本では1920年代より近代都市化が進んでいき、關一のような人物が近代都市計画にもとづく都市運営をおこなった。鉄道の導入期、小林一三らはいわゆる私鉄郊外を構築し、これはのちの日本の都市の大きな特徴となった[133]。南アジアではカルカッタ、アフリカではナイロビのような都市が植民地帝国における商業の中心地となったほか、19世紀後半にはローデシアリヴィングストンや、南アフリカキンバリーといった採掘産業に立脚するコロニアル都市があらわれた[133]

こうしたコロニアル都市は、反植民地的な政治運動の舞台ともなった。植民地の独立後、いくつかの都市ではソールズベリーからハラレといった、都市名の変更がおこなわれた[133]。また、ポスト植民地国家においては、エジプトのナスルシティ英語版といった、近代的な都市計画にもとづく新都市の設計もおこなわれた[134]

ガバナンス

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ガバナンス」という用語は、政府をふくむさまざまなアクターによって実施される、広い範囲の社会的統制機能について論じる際に用いられる[135]

政府

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テヘラン市議会(2015年)

都市の行政府は一般的に、基礎インフラや、教育警察消防といった行政サービスを提供する。こうしたサービスは、多かれ少なかれ、日常的かつ平等に与えられるものである[136][137]。行政の責任は一般には市当局が負うものであるが、一部のサービスはより高位の政府の管轄となるほか[138]、民営であることもある[139]。現代都市において地方政府は、公衆衛生交通埋葬・資源の利用および採掘・レクリエーション・自然・建築物の利用といった、日常生活のあらゆる側面に介入する。こうした都市において発展した地域を統治する技術および制度は、都市に限らず多くの地域で遍在的なものとなっている[140]。市の代表であるところの市長の権限は、地域によってさまざまであるが、典型的にはその都市の顔として振る舞うことが多い[141]

都市制度はさまざまである。イギリスの人口85,000人以上の地方自治体においては、公選の市長が内閣を組織する市長・内閣制、議会のリーダーが内閣を組織するリーダー・内閣制、公選の市長と議会がカウンシルマネージャーを任命する市長・カウンシルマネージャー制のいずれかが採用される。アメリカでは、大都市においては市長の権限が強い市長・議会制、中小都市では市議会がシティマネジャーを任命するシティー・マネージャー制が多い[142]。日本の自治体では、市長と、公選の地方議員からなる地方議会からなる二元代表制が敷かれており[143]政令指定都市ないし中核市・特例市と認められる、一定以上の規模を有する都市においては、一部の業務が上位政府より移譲される[144]

企業

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ベイルートレバノン)の中心部は、政府系企業であるソリデール英語版によって開発された[145]

グローバリゼーションの影響と、地方政府に対する多国籍企業の役割により、都市ガバナンスに対する視角は、地域の利害関係の調整が都市のガバナンスをかたちづくるという都市レジーム論(urban regime theory)から、新自由主義的思想とも結びつく、外部からの経済支配を重んじるものへと変化していった[146]。新自由主義モデルにもとづくガバナンスは、公共事業の民営化、産業の規制緩和、企業によるガバナンスの主体としての地位の獲得などが特徴となる。こうした考えは、企業が官民連携英語版の場や事業改善地区英語版において行使する力、あるいは企業の社会的責任にもとづく自主規制への期待などにあらわれる。大規模な投資家や不動産デベロッパーは、事実上の都市計画者として機能する[147]

財政

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都市の財政は、伝統的には都市内部の不動産に課される固定資産税によってまかなわれる。また、地方政府は市内で提供するサービスや土地の賃貸などによって資金を得ることもできる[148]。とはいえ、自治体サービスおよび都市再開発、そのたの開発プロジェクトの資金に関する問題は長年の課題であり、都市は上位政府への働きかけや民間部門との提携、サービスや資産の民営化ないし企業化金融化英語版によって対応している。このような問題は、脱工業化した都市において、あるいは企業や裕福な市民が郊外に流出した都市において、重大なものとなっている[149][150][151][152]

1990年代以降の日本においては、不動産証券化にもとづく都市開発が発展していった[153]地方債も資金調達の手段としてしばしば用いられるほか[154]、開発による税金の増収を見込んだ税収増加ファイナンス英語版の利用もはじまっている[152]。こうした状況下で、債権者および市当局は信用格付けを非常に重視するようになっている[155]

都市計画

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都市計画とは、土地利用、交通、公共施設などの基本的なシステムを最適化し、特定の目標を達成するために、将来を見据えて都市を設計することである。技術者および研究者は、計画のあるべき姿を論じるべく、さまざまな都市計画の理論英語版を提唱してきた。都市計画の手段は、都市そのものの新しい設計に限ったものではなく、たとえば公共資本への投資や、ゾーニングといった土地利用計画の策定などがある。継続的な総合計画のプロセスには、一般的な目標の特定や、進捗状況を評価し、将来の決定に役立てるためのデータを収集することなども含まれる[156][157]

都市計画の最終的な法的権限を有するのは政府であるが、実際のプロセスには官民の双方が携わる。政府は、都市計画にあたって土地収用をおこなう法的権利を有している[158]。都市計画はしばしばある者に不利益を与えるトレードオフの構造となるため、より広い政治的状況とも密接に関連する[159]

社会・経済

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居住地域構造

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シカゴの人種地図。1ドットが25人をあらわす。
 白人  黒人  アジア人  ヒスパニック  その他

都市社会は、典型的には階層的である。都市空間では、民族・経済・人種などによるセグリゲーションがおこる。居住地が近接していたとしても、生活・労働・娯楽の場が分離されることにより、民族的飛び地(エスニック・エンクレイブ英語版)ないしライフスタイルの飛び地(ライフスタイル・エンクレイブ英語版)と呼ばれる空間が形成される。貧困層が集中する地域では、ゲットーがつくられる。アメリカのような地域では貧困はインナーシティと結びつけられていたが、フランスではむしろ郊外(バンリュー)に結びつけられる。ヨーロッパおよび北アメリカでは、もっとも分離された人種集団は白人である。ゲーテッドコミュニティのような居住区は世界的に増加しつつあり、地域のエリートは自らを安全な住区に自己隔離している[160]

ハウジング

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ハウジング英語版は、多くの都市が直面する問題である。十分なハウジングには、雨風をしのげる機能だけではなく、生活と経済活動を維持するために必要なシステムがふくまれる必要がある[161]

持ち家は、特に低賃金労働者の場合にはほとんどの賃金を費やさなければいけない家賃の問題を解決するという点において、わずかに賃貸物件よりも経済的安定性がある。住宅の欠如(ホームレス)は、数百万人に直面する問題である[162]

経済

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都市には規模の経済集積の経済範囲の経済の3要因により経済が集中する。規模の経済は、生産量の増加によって平均費用総費用/生産量)が低下する(収穫逓増)ことをいい、たとえば大企業とその労働者によって形成される企業城下町に当てはまる。集積の経済は、多数の企業や人が一箇所に集まることによって、情報や生産手段、輸送手段といった諸費用の節減が生じることである。これは、同一業種の集積だけでなく他業種の集積によってもおこる[163]

都市の密度は商業を活性化させるほか、知識のスピルオーバー英語版をうむため、人々や企業は情報交換をおこない、新しいアイデアを生み出すことができる[164][165]。また、労働市場が厚くなることは、企業と労働者の間でのスキルマッチングの可能性を高める[166]ジェフリー・ウェスト 英語版によれば、都市の規模が倍増するごとに、居住者一人当たりの賃金も15%上昇する[167]。範囲の経済は、同じ生産要素を利用して複数の財を生産することにより、個々の費用を削減することである。道路や港湾、空港といった社会資本は範囲の経済をうみだし、都市への集中を進める要因として機能する[163]。とはいえ、インフラの共有は人口密度が非常に多い都市においては、混雑や待ち時間の増加といった負の効果を発生させる可能性がある[166]

都市の発展を支えたのは伝統的には工業であるが、現代社会においては多くの都市が第三次産業ないしサービスに依存している。ここでいうサービスには、観光業ホスピタリティ産業エンターテインメント産業家事代行といったものから、法務・金融コンサルタント・経営業までさまざまな業務が含まれる[168][169]。また、都市は買物を通じ、小売商業および消費の拠点として機能してきた。20世紀には百貨店などにより、都市は広告PR活動装飾デザインなどを通して、消費主義による自己表現および逃避のための空間として演出された[170][171]

文化

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パリは、国際的な文化的地位の高い都市として知られている[172]

都市は教育や芸術の中心地であり、大学美術館博物館寺院といった、さまざまな文化に関連する施設を支えている[173]。都市には規模も様式もさまざまである、多くの建築が立ち並ぶ。超高層建築物は小さな土地占有面積で多くのオフィスや住居を提供し、遠くからもよく見えることから、都市のアイコン的な特徴となっている[174]。文化的エリートは都市に居住する傾向にあり、文化資本を共有する。また、彼ら自身が都市のガバナンスにかかわることもある[175]。都市は、文化や教養の中心地としての地位から、文明、人類史、そして社会変動の中心地とみなすことができる[176][177]

都市の人口密度は、伝令・印刷された布告新聞デジタルメディアを通じた、マスコミュニケーションニュースの伝達に効果的にはたらく。これらの通信ネットワークは依然として都市を拠点とすることが多いものの、人の住むところの大半に深く浸透している。短時間での通信・輸送が容易になった現代社会において、都市文化なるものはもはや誰でもアクセス可能であり[178][179][180]、もはや有効な概念ではないとする意見も少なくない[181]

都市の文化的地位は、それを企業や投資家、住民、観光客などに宣伝する諸戦略とむすびついたものである[182][183][184][185]チャールズ・ランドリー英語版リチャード・フロリダは、脱工業社会における都市経営においてクリエイティブ産業の集積を重視する創造都市英語版の理念を人口に膾炙させたが、一方でこうした考えは、都市運営において、市民の便益よりも消費者に向けたスペクタクルを重視する企業家主義的なものであるとして、デヴィッド・ハーヴェイのような研究者から批判されている[186]オリンピックのようなメガイベントもまた、都市の文化的競争とかかわっている。多くの都市は、自らのアイデンティティを再定義するための手段としてこうしたイベントを利用している[187]

インフラ

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都市インフラには、交通・水道・エネルギー・レクリエーション・その他の公共機能に必要な、さまざまな物理的ネットワークや空間が含まれる[188]。インフラは固定資本として高い初期費用を伴うものの限界費用は低く、結果として規模の経済は正にはたらく[189]参入障壁の高さゆえに、インフラ網は自然独占となり、このことは、ひとつの組織がこうしたネットワークを管理する状態が経済学的に自然であることを示している[190][191]

インフラは一般に、都市の経済および規模拡大のキャパシティを決定づけるにあたって、重要な役割を有している。インフラは、住民の技術・商業・産業・社会的な活動、さらには生存を支える[188][189]。構造的には、多くのインフラシステムは、冗長リンク・複数経路を有するネットワークとして構築されており、一部が使用不能となっても全体の機能が失われることはない[191]。インフラ網はすでにあるものを増補するようにして構築されるため、歴史的事情にもとづく経路依存性を有する[189]。都市インフラはあらゆる市民に平等に提供されるべきものであるが、実際には不均衡が生じることもあり、一部の都市では明確に「一等」と「二等」がわかれる[137][192][190]

公共設備

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衛生設備は、高い人口密度で健康を維持するために必要なものであり、水道および廃棄物処理、個人の衛生管理などが必要になる。都市の水道設備は、水を供給する上水道と、生活排水および雨水を処理する下水道からなる。歴史的には、こうした水道設備は地方自治体ないし民間企業が担うことが多かったが、20世紀には中央政府による給水が、21世紀には民間企業による給水が増加する傾向にあった[190]。民間の水道事業者としては、ヴェオリア・ウォーターエンジーの2社が、世界の水道契約の7割を担っているといわれている[190][193]

現代の都市生活は、電気機械や信号機、街灯、室内照明まで、電気として供給されるエネルギーに大きく依存している。また、通信に供する電話線やケーブル網も張り巡らされている[194]

交通

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バンドン(インドネシア)の交通渋滞

都市は分業制および賃労働にもとづく経済システムに依拠しているため、居住者は自宅と労働先・職場・買い物先・遊び場を行き来するために、なんらかの移動手段をもたなければならない[195]。都市住民は徒歩ないしなんらかの車両で道路を移動するか、あるいは鉄道を用いた移動をおこなう。また、都市は他地域との連絡を、トラック・鉄道・航空機といった長距離輸送手段に依存している[196]

歴史的には、都市の街道は馬や歩行者のためのものだった[195]。20世紀初頭には、西洋世界で自転車(ないしベロシペード)が短中距離の移動にあたって人気を博し[197][198]、ヨーロッパの影響下でアジア・アフリカにおいてより強固な基盤を築いた[199]。特に西洋世界において、路面電車のような交通機関の誕生は、沿線の住宅地開発をうながし、都市を拡大させた[196][200]。20世紀中葉以降には、都市は自動車交通に依存するようになり、都市景観に影響を与えた[201]。これは特にアメリカにおいて劇的であった一方、ヨーロッパにおいてはそうでもなかった[196][200]自家用自動車の台頭は、都市経済圏が郊外に向かって拡張していったことにともなうものであり、交通問題および新しい高速道路、広い幹線道路、歩行者のための道路をうみだした[202][203][204][183]。しかし、自家用車の保有台数の増加と都市化の進展により、既存の道路網は圧倒されており、深刻な交通渋滞が世界の都市でつねに起こり続けている[148]

文化的表象としての都市

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ジョン・マーティン(1831年)『バビロンの陥落』

都市は西洋世界において重要な役割を果たしており、聖書においてはバビロンエルサレムというかたちで、聖なるものとしても邪悪なものとしてもあらわれる[205]

都市は、両極端の観点から捉えられることがある。つまり、都市は開放的であると同時に抑圧的であり、裕福であると同時に貧困であり、組織的であると同時に混沌としている[206]反都市主義英語版は、都市に対するさまざまなイデオロギー的反発を指す。これらは、都市の文化や国家との政治的関係といった理由に起因する。こうした思想は、都市を抑圧や支配階級と結び付けて認識することによって生じる場合がある[207]。このような思想や、他の政治的イデオロギーは、都市に関する言説のナラティブやテーマに、強い影響を与える[208]。よって、都市はそれぞれの社会を象徴する存在となる[209]

著述家・画家・映画製作者は、都市における経験に関するさまざまな作品を手がけてきた。ヨーロッパの古典・中世文学には、都市の特徴と歴史を扱ったdescriptiones英語版と呼ばれるジャンルがあった。チャールズ・ディケンズジェイムズ・ジョイスといった作家は、自らの故郷の都市を舞台とする情緒豊かな作品を描写した[210]フリッツ・ラングは、タイムズ・スクエアのネオン街に影響を受け、1927年の映画である『メトロポリス』を制作した[211]。さまざまな形態の作品において、未来都市はユートピアディストピアとして描かれた。都市が拡大し、コミュニケーションが進化し、世界の都市間で相互依存がますます深まるという展望は、ニューヨーク・ロンドン・香港が融合したナイロンコン英語版のようなイメージや[212]、世界を包括する単一の都市であるエキュメノポリス英語版といった構想を生んだ[213]

出典

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日本語

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