世良晃志郎
人物情報 | |
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生誕 |
1917年8月19日 日本 広島県庄原市(旧制) |
死没 |
1989年4月16日(71歳没) 日本 宮城県仙台市 |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 |
中世ドイツ史 西洋法制史 |
研究機関 |
東京大学 東北大学 宇都宮大学 |
博士課程指導教員 | 久保正幡(ドイツ歴史法学派)[注釈 1] |
博士課程指導学生 | 小山貞夫 [注釈 1] |
称号 | 東北大学名誉教授(1980年) |
主な業績 | 歴史学としての法制史学の確立 |
主要な作品 |
『歴史学方法論の諸問題』 『封建制社会の法的構造』 『西洋中世法の理念と現実』 |
影響を受けた人物 | マックス・ヴェーバー |
学会 | 法制史学会 |
世良 晃志郎(せら てるしろう、1917年8月19日 - 1989年4月16日)は、日本の法学者(中世西洋法制史)。東北大学名誉教授。元宇都宮大学学長。
生涯
[編集]1917年、現在の広島県庄原市(旧制)生まれ。東京帝国大学法学部に首席で入学して久保正幡に学び、1940年に首席で卒業する。在学中に高文司法科試験(現在の司法試験)に首席で合格する。卒業後は母校の助手となる。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた[1]。同年10月、東京帝国大学法学部の助手に復職。
戦後は、1948年7月に東北大学法文学部に助教授として赴任[2][3][注釈 2]。1952年、東北大学教授。東北大学に在職する間、1958年12月より附属図書館長(1963年11月まで)、1968年より法学部長(1970年まで)を務めた。1969年には日本学術会議会員(第8期)を務めた。その後、1979年11月に東北大学を退官[4]、同年12月に宇都宮大学学長に就任した[5]。1980年、東北大学名誉教授の称号授与。1985年に宇都宮大学を退職。1982年から1988年まで法制史学会の代表理事を3期務めた[3]。
研究内容・業績
[編集]世良はドイツを中心とした中世史、特に法制史を中心とした制度史を専門とし、日本における中世ドイツ史・西洋法制史の研究の発展に大いに貢献した。特に中世西欧の封建制の構造を巡って、荘園にその基盤を認めた世良と王権の役割を重視する堀米庸三との論争は日本の西洋史学に大きな影響を与えた。また、創文社のマックス・ヴェーバー著作集の刊行にあたっては、入念な訳注により、理想的な訳業とされた。
家族・親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』48、382頁。
- ^ 世良晃志郎「法文学部時代のこと」『東北大学法学部同窓会会報』第14号、東北大学法学部同窓会、1987年6月30日、3-4頁。"私は、昭和23年7月、東北大学助教授として仙台に来た。"
- ^ a b 小山貞夫「世良先生の御逝去を悼む」『東北大学法学部同窓会会報』第16号、東北大学法学部同窓会、1989年6月30日、2-3頁。
- ^ 東北大学法学部同窓会50周年記念誌目次(2015年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project。"世良晃志郎(54.11退官)"
- ^ 「歴代学長」『宇都宮大学 DATABOOK 2016』(PDF)国立大学法人宇都宮大学、2016年7月、1頁。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。
参考文献
[編集]- 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
- 城戸毅「世良晃志郎」『歴史学事典 5 歴史家とその作品』弘文堂、1997年。ISBN 978-4-335-21035-8
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年、1404頁。ISBN 978-4-8169-1853-7
- 岩野英夫「世良晃志郎の「法制史」観について──西洋中世法の性格をめぐる論争の整理のために」『同志社法學』第45巻第1-2号、同志社法學會、1993年7月31日、91-167頁、OCLC 5176727110。