コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安藤謙介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安藤謙介

安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日嘉永7年1月1日[1])- 1924年大正13年)7月30日)は、日本検察官官僚政治家政友会系官選県知事衆議院議員横浜市長京都市長

経歴

[編集]

土佐藩士・安藤常三郎の長男として安芸郡羽根村に生まれる。1873年に上京し、ニコライ塾に入り、その後、東京外国語学校に移りロシア語を学んだ。中江兆民からフランス語も学んだ。

1876年4月、勝海舟の推薦で外務省に出仕し、ロシア帝国サハリンコルサコフ領事館書記一等見習となる。1878年サンクトペテルブルク公使館書記生となり、サンクトペテルブルク大学で法学、行政法などを履修した。1882年から同大学の日本語教官となった。

1885年に帰国すると司法省に転じ、1887年7月、検事に任官。以後、岐阜地方裁判所前橋地方裁判所熊本地方裁判所横浜地方裁判所の各検事正を歴任した。

1896年4月、第2次伊藤内閣において富山県知事に任じられ、1897年4月に非職となる。1898年1月、第3次伊藤内閣が成立すると千葉県知事に就任。同年8月、第1次大隈内閣により非職となった。その後、成田火災保険会社社長などを務め、1903年3月、第8回衆議院議員総選挙富山県高岡市区から出馬し当選した。

1904年11月、愛媛県知事となり、1909年7月に休職となった。その後、韓海漁業会社社長を務めた。1911年9月、長崎県知事に就任し、1912年12月まで在任。1913年9月、新潟県知事となり、1914年4月まで在任し退官した。その後、横浜市長、京都市長を歴任。

栄典

[編集]
位階
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、20頁。
  2. ^ 『官報』第7770号「叙任及辞令」1909年5月22日。
  3. ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。
  4. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  5. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献

[編集]